综合日语第五册第三课__日常的思想译文
综合日语第五册 庭
日语综合教程第五册(二)陆静华编著庭庭というものは住まいの外にありながら、室内の雰囲気に少ながらぬ影響を与える住まいのである。
例えば居間などに座って何気なく外に視線を投げる時、そこにあるのが明るい芝生の広がり装置であるか、こんもりとした松の茂みであるかによって住まいの気分はかなり異なるであろう。
僕は親の庭先に家を建てて住んでいるので自分の庭と言えるものを持たないのだが、それでも窓辺の食卓から父母の庭を望むことができる。
この庭は“庭園”風に整えられてはいない雑木ばかりの広がりだが、それがかえって四季折々の移り変わりを鋭敏に映しだすことになって好ましく感じられ、春先にひょろりとした梅が思いもかけぬ片隅を小さく彩ったり、枯木立が冬の入り日をチヂに裂いたりするのを眺めやることで、ささくれ立った気分が和む思いをすることが多い。
庭を眺めるという一見目立たない行為は、僕を含む日本人の日常生活の流れの中で意外に重要な一種の節目になっているらしい。
例えば山口瞳の哀切きわまりない私小説集『庭の砂場』中の同名の短編はその典型的な例の一つであろう。
この小説は次のように書き出される。
「今年の梅雨は殊更に長く感じられた。
三月にも四月にも雨が多かったせいだろう。
私は陰鬱な気分で暮らしていた。
梅雨時は必ずしも嫌いではなかった。
それは繁った樹木のせいだ。
青葉の繁った樹木に雨が降りかかるのを見るのは好い気持ちのものだった。
紫陽花は好きだし、紫式部の薄いピンクの花が咲くのもいい。
私は樹木が間近に見える居間の長椅子に坐って庭に降る雨を見ていた。
そうしていると気分が沈んでくる。
......」作者の分身である主人公は、こうして庭を眺めているうちに最近次々と亡くなった肉親たちに思いを馳せていく。
つまり気分がますます沈みこんでいくわけで、これは先に述べた「気分が和む」のとは逆のように思えるかもしれないが、実は、普段は押し殺していた感情が庭の眺めに誘い出され、一種の放電を起こすことによって抑圧が解消されるのだから、本実的には「和む」のと同じ現像である。
第五册日语综合教程
窮屈 (きゅうくつ) 窄小,不舒服
団扇 (うちわ)
網棚 (あみだな) 行李架
頑丈 (がんじょう) 结实,健壮
腰板 (こしいた) 裙板,横档
歯痛 (はいた?しつう) 牙痛
気兼ね (きがね) 多心
硫酸 (りゅうさん)
堤防 (ていぼう)
沈殿地 (ちんでんち)
濾過地 (ろかち)
明言 (めいげん)
町歩 (ちょうぶ)
半永久 (はんえいきゅう)
蓑笠 (みのかさ)
境内 (けいだい)
板前 (いたまえ) 厨师
専ら (もっぱら) 专门
物言い (ものいい) 说话,异议
仕種?仕草 (しぐさ) 动作
一通り (ひととおり) 普通,一般
小父さん (おじさん)
漠然 (ばくぜん) 含糊
奥行き (おくゆき) 进深,深度
移入 (いにゅう)
目標 (もくひょう)
調和 (ちょうわ)
性急 (せいきゅう)
王座 (おうざ)
君臨 (くんりん)
二重 (にじゅう)
寸暇 (すんか)
余裕 (よゆう)
自画像 (じがぞう)
道程 (みちのり)
山道 (やまみち)
草履 (ぞうり)
鼻緒 (はなお)
崖 (がけ)
葱 (ねぎ)
丹精 (たんせい)
飢饉 (ききん)
麓 (ふもと)
椿 (つばき)
渦 (うず)
眺望 (ちょうぼう)
炎 (ほのお)
飛沫 (しぶき)
銀色 (ぎんいろ)
後日 (ごじつ)
予兆 (よちょう)
(最新整理)日语综合教程第五册课后练习翻译题答案和部分本文翻译
第一课如果无故旷工长达一个月的话一ヶ月ぐらい無断欠勤とすると、現在の社会の状況からみて、おそらく復職したいことが難しいだろう。
虽说中了彩票,但只不过宝くじが当たったといっても、六等の 3000 円でしかないので、飛び上がって喜ぶほどのことはない。
在日逗留期间,我无论如何私は日本滞在中、何としても日本一美しいと言われる富士山を見てみたい。
轮船犹如一叶扁舟あらしの中で汽船はさながら小船のように舞い狂い、今にも転覆しそうで、心配でならない.我光是抚养妻子儿女妻子を扶養してもう精一杯だけでも、そんな奢侈なものを買って経済能力がない。
我从小由外婆一手带大子供からお祖母さんに手に掛けてくれたので、両親としっくり行ってなかった、このこと通して、両親の不易がありがたい。
尽管我们父子俩相处了30年も私たち親子が一緒に暮らして30年けれども、父と一度たりとも心行くまで話し合ったことがない。
爷爷受不了空前的炎热朝早々、爺さんが空前の暑さが応えないで、気が遠くなってしまった。
みんながあわてて病院に運んだ。
妹妹结婚后一直没有孩子妹は結婚してずっと子供に恵まれなかったが、やっと去年妊娠した。
高齢出産の妹が無事に出産することを願ってやまない。
.那地方很安静あの辺が静かで、空気もいいし、買い物や交通も便利なので、老人には住み心地のいいところだと思う。
第二課考上高中以后僕は高校に入ってから、音楽活動に努めるかたわら、陸上部に入ってスポーツにも力を入れ、日々充実した生活を送っている。
他把她的来信彼女からの手紙を燃やしつくすと、彼は静かにこの町を後に立ち去って行った。
精心策划了二ケ月もかかって、練りに練った陰謀も自分の妻の告白であっけなく失敗に終わった。
那个村庄有一对ある村に老夫婦がいて、一人娘をはなはだ可愛がっていたが、その娘は十五六歳で病で死んでしまった。
以来ずっと老夫婦は朝から晩まで悲しみに暮れ、もう目も当てられぬ有様だった。
综合日语第五册课文翻译
《日语》第五册课文翻译第一课失明的高僧公元8世纪中叶。
首都奈良,这里每天热闹非凡。
东大寺这座大寺院修建的大佛终于完工。
离庆祝大佛竣工的仪式——大佛开光的日子越来越近了。
但是,庆典将至,圣武天皇正期待着一个人的到来。
“但愿他能赶上这次庆典!”这个人,圣武天皇几年前就一直翘首期盼他的到来。
但是,不知什么原因,派去迎接她的是这几年来都杳无音讯。
“他到底会不会来?能来的话,一定要赶上这个盛大的日子啊!”圣武天皇心里总惦记着这件事。
到底是谁让天皇等得如此心焦呢?故事还得从十年前说起。
那时候,中国有很多僧人东渡日本。
同样,日本每年也有一些留学僧飘洋过海到中国去。
“我希望你们能从中国带回一位高僧。
”有一年,圣武天皇委以两名留学僧这样的重托。
因为当时的日本还没有一个够资格为众僧授戒的高僧,天皇希望能从中国请到一位这样的人。
所谓戒,就是在佛教中僧人必须遵守的戒律,修行的僧人,有一些事情是禁止做的。
如果不严格遵守戒律,就不能成为一名合格的僧人。
能够遵守这些戒律的僧人才可以受戒。
佛教在日本很盛行。
有很多僧人已经具备受戒的条件,但是有资格给他们授戒的高僧却一个也没有。
来到中国的两位日本僧人,听说唐朝的扬州有一位名叫鉴真的高僧。
要是能请到这位高僧就好了,带着这样的想法,他们跋山涉水、不顾路途遥远前去拜访鉴真,言辞恳切地请求鉴真去日本。
鉴真从孩提时就诚心信佛,18岁时,已经成为一名优秀的僧人。
他看到这两位僧人不远万里,专程从隔海相望的日本前来邀请自己,被这份热诚深深打动,于是,决定东渡日本,前往那个遥远而陌生的国度。
当时鉴真已经50多岁。
因为他要去日本,所以几个弟子也要陪同前往。
他们马上动手做准备,第二年便扬帆起航,东渡日本。
但是,这次航行并非一帆风顺。
他们的船好不容易扬帆起航,不料途中遇上了狂风巨浪,幸好获救,才得以死里逃生!可刚一回到岸上,他们马上又开始张罗船只,为下一次出航做准备。
很快,一切准备就绪,他们再次出航,不料这次却又遭遇海盗打劫,被掳去很多重要物品,无奈之下只好无功而返。
上海外语教育出版社日语综合教程(第五册)1~6课课文翻译(word文档良心出品)
上海外语教育出版社日语综合教程(第五册)1~6课课文翻译(word文档良心出品)第一课、大海中有妈妈如果说喜欢大山是继承了父亲的血统,那么爱好大海一定是从母亲那里传承下来的。
那是战争结束后不久,恰好经过不忍池附近时,妈妈会在池塘边深深蹲下,两眼死死地盯着水面。
假如我喊她,她的脸上似乎显得很难为情,站了起来,笑着说:“想看一会儿海呀!”当时,因为住在东大附近,去买东西时就顺便在不忍池休息一下,不可思议的是,我一直没有忘记那时妈妈说的话。
小学六年级的暑假,我曾去母亲的故乡,鹿儿岛上一个边远的渔村住了一个月。
外公个子高高的,非常强壮,一直在那里行医。
距家大约五十米处便是大海,从那景色秀丽的海滨,看得见樱岛和开闻火山。
母亲说想看大海,我想也许就是那故乡的海滨吧。
如是在今天,去鹿儿岛用不了两个小时,而在那时,那里是一个遥远的地方,需要坐夜间火车和联运船才能到。
在思乡之情的驱使下,似乎妈妈那种举动是理所当然的。
虽说喜欢大海,但尽情与大海亲密相处也只有在那个暑假,后来仅达到了从学校去洗海水浴的程度。
也许是因为与海隔绝的状态,反而激发起我对大海的憧憬吧。
大学毕业的那年,不知为什么,想要寻找与大海有关系的职业,便去打听能不能在日本邮船公司工作。
出来接待我的人事课长非常遗憾地说:“本公司与其他公司一样,对文学出身的大学生,一概不受。
”我将船公司误认为全体职员都在船上工作了。
尽管如此,希望乘船,我对大海的痴情却有增无减。
幸运的是,我即将去法国,根据指示,留学生将乘船前往。
去马赛有三十三天的航程——想到这个,我高兴得几乎要晕过去,可是其他留学生们不知为什么对这样耗费时间的旅行却一脸的不高兴。
我为了一个人尽情玩味航海的喜悦,选择了四等舱的铺位,那是季节工人用的船舱,留学生从不靠近,不但如此,因为在船底,靠近大海,舷窗外蓝色的波涛近在咫尺,汹涌起伏。
海上起风浪时,船员将蒙上铁皮的舷窗关死。
所谓床位,是用铁管制成的两层架子上绑上帆布,室内什么装饰也没有,简直像牢狱一样。
日常の思想
~としても
• 「体言+だ」や「活用後終止型」について、 「~としたら」と同様で、仮定や確定的仮説 条件を表し、可能性の少しない仮定を表す 表現である。即是…也…,纵然…也…
• 彼は厳しいことで有名な教授だから、彼にやら れたとしても、それは決してあなたの不名誉には ならない。
• 仮に彼が言ったのは真実だとしても、今になっ て釈明のしかたがないので、あきらめたほうがい い。
もはや 副詞。
• ある事態が実現しようとしているさま、またある事 態が変えられないところまで進んでいるさまを表す。 今となっては。すでに。事到如今,已经
• 自分の生けてきた過去。もはや引き返すことので きない人生を考える時、せめてこれから悔いのな い日々にしたいと思う。
誤る(あやまる)。
[自他五](自)しそこなう。(判断などを)まちがう。 /弄错,错,误。(他)間違えった ほうに導く。失 敗させる。/贻害,贻误。 例句:目測をあやまる:目测有误。 誤った考え:错误的想法。 (自)道をあやまる:认错路 (他)人を誤る:误人
匹敵(ひってき)[名・自サ]
あるものと比べてみて、それと対等であること。肩を並 べること。/匹敌,配得上。 例句:大卒に匹敵する学力/比得上大学毕业的学力。
• 当時、あるソビエトの作家は、はたして人類に2 1世紀があるだろうかを疑ったそうだ。
• あれだけの距離をはたして、体の弱い彼女に は完走できるだろうか。
• 2,確定表現をともなって、予想、予告したことが実 際に起こる様子を表す。思っていたように。果然…
• 彼女はろくに仕事もできないし、大丈夫だろうと は思っていたら、はたして今日大失敗をして社長 に叱られた。
Gckdpo日语综合教程五六册部分课文中日对照
秋风清,秋月明,落叶聚还散,寒鸦栖复惊。
日语综合教程第五册第一课海の中に母がいる山好きの血が父方から流れているとすると、海好きは間違いなく母から伝わっている。
終戦間もなく、不忍池のほとりを通りかかると、池端に、ははがしゃがみこんで池の面をじっと見ている。
声をかけると、母は照れたような顔で立ち上げり「ちょっと海がみたくなって」と言って笑った。
当時、東大のそばに住んでいたので、買い物のついでに不忍池で休んでいたのだろうが、その時の母の言葉が妙に忘れられない。
小学六年の夏、母の故郷の鹿児島の辺鄙な漁村で一月暮らしたことがある。
母の父は背の高い、強い人で、そこでずっと医者をしていた。
家から五十メートルほどで海に出る。
桜島や開聞岳の見える美しい浜辺だった。
母が海を見たいと言ったのは、その故郷の浜辺のことを考えていたのかもしれない。
今なら二時間もかからない鹿児島は、その頃は夜行や連絡船で二日かかる遠い国だった。
望郷の思いに駆けられても当然だったような気がする。
海好きといっても、心ゆくまで海と親しんだのはその夏だけで、あとは学校から海水浴にゆく程度だった。
おそらく海と切り離された状態がかえって海への憧れを掻き立てたのだろう。
大学を出る年、なんとしても海に関係する職業につきたいと重い、日本郵船に入社できないか聞きに行った。
対応に出た人事課長は「うちも、ほかの会社と同じですよ。
文学出身では、どうもね」と気の毒がってくれた。
船会社だから、全員が船にのれるものと勘違いしていたわけだ。
それでも、船に乗って、海を思いのたけ味わいたいと言う気持ちは、いっこうに衰えなかった。
幸いフランスに行くことになり、留学生は船に乗るように、という指示があった。
マルセイユまで三十三日の船旅――考えただけでも嬉しさで気が遠くなりそうだった。
しかし仲間の留学生たちは、なんでそんな無駄なたびをさせるのか、と不満だった。
私は一人海の喜びを満喫するため、四等船室を選んだ。
日语综合教程第五册课后翻译练习
第一课1.如果无故旷工长达1个月的话,从目前这个公司的现状来看,想要复职恐怕比较困难。
(~とすると;无故旷工―無断欠勤)一ヶ月ぐらい無断欠勤とすると、現在の会社の状況からみて、おそらく復職したいことが難しいだろう。
2.虽说中了彩票,但只不过中了1个六等奖3000日元而已,没有必要高兴得跳起来。
(~といっても)宝くじに当たると言っても、三千円の六等賞が当たっているだけ、飛び上がりに喜んだことはない。
3.在日逗留期间,我无论如何也要去看看被称为日本之最的美丽的富士山。
(何としても)在日間、何としても、「日本の最」と言われて美しい富士山を見に行きます。
4.轮船犹如一叶扁舟在海浪中疯狂地飘舞着,仿佛马上就要翻船。
让人担心不已。
(~さながら;疯狂地飘舞着-舞いくるう)汽船は小船さながら波の中で舞い狂っていて、すぐに転覆そうで、心配してたまらない。
5.我光是抚养妻子儿女就已经很吃力了,根本没有经济能力去买那种奢侈品。
(~だけでも;很吃力―精いっぱい)妻子を扶養してもう精いっぱいだけでも、そんな奢侈なものを買って経済能力がない。
6.我从小由外婆一手带大,与父母不太亲近。
可是通过这件事情,我深深感受到做父母亲的不容易。
(ありがたみ;与父母不太亲近ー両親としっくり行ってなかった)子供からお祖母さんに手に掛けてくれたので、両親としっくり行ってなかった、このこと通して、両親の不易がありがたい。
7.尽管我们父子俩相处了30年,可是我从未与父亲尽情地交谈过。
(心ゆくまで;从未ー一度たりとも~ない)私たち親子が一緒に暮らして30年けれども、父と一度たりとも心行くまで話し合ったことがない。
8.爷爷受不了空前的炎热,一大清早就晕过去了。
大家七手八脚地把他送到了医院。
(気が遠くなる;七手八脚ーあわてて)朝早々、爺さんが空前の暑さが応えないで、気が遠くなってしまった。
みんながあわてて病院に運んだ。
9.妹妹结婚后一直没有孩子,去年总算怀孕了。
综合教程第五册课文翻译
综合教程第五册课文翻译Unit1 The Fourth of July我第一次到华盛顿的时候是初夏那时我想我不应该再当一个孩子。
至少这是他们在八年级的毕业典礼上对我们说的。
我的姐姐菲利斯在同一时间从高中毕业。
我不知道她应该不再当一个什么。
但当作是送给我们俩的毕业礼物,我们全家在国庆日前往华盛顿旅游,那是传奇而著名的我国首都。
这是我第一次真正意义上在白天时乘坐火车。
当我还小的时候我们总是在夜晚乘坐运奶火车去康涅狄格海岸,因为它更便宜。
学期还没结束前家里就开始忙着准备旅行的事。
我们准备了两个星期。
父亲拿了两个大箱子和一个装满食物的盒子。
事实上,我第一次到华盛顿的旅途可以说是一个移动盛宴一在位子上安顿下来我就开始吃东西直到我们到了费城往后的某个地方才停下来。
我记得那是费城,是因为我们没有经过自由之钟对此我很失望。
母亲烤了两只鸡,然后把它们切成恰好一口一片的大小。
她打包了黑面包和黄油切片,青椒和胡萝卜条。
有来自Cushman面包店的亮黄色的周围有一圈扇贝形状的小冰蛋糕叫做“金盏花“。
有来自牛顿面包店的香辛小面包和岩皮饼,还有包裹着蛋黄酱的冰茶那是一家雷诺克斯大街上圣马可学校对面的西印度面包店。
还有母亲为我们准备的蜜桃和给父亲准备的莳萝腌菜,桃子上还有绒毛,单独包装,以免它们碰伤。
为了干净,母亲还准备了成堆的餐巾纸和一个小锡盒子里面装有浸了玫瑰水和甘油的毛巾,可以用来擦拭发粘的嘴巴。
我想要在餐车吃饭,因为我已经从书上读到过关于它们的一切,但母亲提醒了我无数次,餐车食品太贵,而且,你根本没法辨别那些食物上有谁的手在上面动过,也不知道, 之前他们的手碰过什么地方。
我的母亲从未提及过直到1947年黑人还是不被允许进入前往南部的火车餐车。
通常,无论母亲是不喜欢的或无法改变的事她都会忽视。
可能她觉得如果把注意力转开事情就会过去。
后来我知道菲利斯的高中班级旅行去的就是华盛顿,但老师们私底下又把费用还回给了她,跟她解释说,班上的孩子除了菲利斯都是白人他们将住的那家旅馆会让菲利斯不高兴。
综合日语第五册第3课翻译
一,日常的思想报社给了我一个课题,是关于对余暇问题怎样思考而进行的哲学考察。
余暇问题开始变成逐渐重要的问题给为什么这么说呢。
这是因为随着科学的发展,生产力的提高,人们的劳动时间缩短,不管是在资本主义国家还是在社会主义国家,都是采用科学技术的现代文明史所追寻的必然方向。
倒不如说这是一件好事,因为人们从对温饱问题中解脱出来,拥有自由的时间,相比于任何事情对于人们来说都是迫切希望的。
对于以前的人们来说,自由的时间是最奢侈的东西。
因为大多数人们为了维持生存而不得不从事劳动的时候,像这样不劳动的人们,仅因为这一点,而背上罪名。
因此,从事自由精神工作的传教士自行断绝了物质欲望和性欲。
也就是将禁欲当作换取自由精神生活的代价。
在这里,闲暇完全只是少数例外者所被允许的特权。
原本人类迄今为止都是以劳动为中心的价值观生存着的,特别是拥有这样强烈价值观的近代西洋文学。
日本人彻底的贯彻这种价值观是在明治以后。
在德川时代,也有肯定评价在劳动的时候可以享乐的价值观。
但是在明治以后日本刚一决定采用西洋文化不久,日本人就树立起了以劳动为唯一的价值的一元化价值观。
这是因为日本人判断日本或者东洋文明无论如何都敌不过欧洲文明的理由是,他们还洞察到欧洲文明比起拥有强大的军事能力,还拥有更高的生产力。
在这里,日本人的洞察是没有错的。
因为欧洲的文明是把通过技术提高生产力作为文明的原理的一种文明。
日本在感到自己在欧洲诸国军事能力的压力前难以匹敌的同时,还惊讶于欧洲科学技术文明所产生的生产力。
将欧洲文明移入,建设富强的国家,是过去一百年间日本的目标。
在这样的目标中让自己全力以赴的日本,最终建设成为比欧洲还要具有欧式技术文明的国家,比欧洲诸国还要推崇技术文明这个价值观的国家。
这样的事情常常在文明落后国中发生。
在欧洲,这种文明是与传统的精神文明,特别是在基督教文明相协调而存在的。
但是在想要采用像日本,美国,俄罗斯这样落后的技术文明的国家中,这种调和不仅没有作为问题,而仅仅是作为技术文明被迫不及待的移入进去。
日语综合教程五(第三课)翻译及课后答案
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新编日语教程5.1到5课课文译文
第1課媒體和我們把通過電視、報紙、攝像機、CD、書、雜志、網絡、電話等,從一個人到另一個人之間信息傳遞的時候所使用的信息的交通工具叫做媒體,你有沒有試著考慮過媒體和自己的生活有著什么樣的關系呢!希望試著回顧一下每天的生活。
起得早的話,很多人通過電視、報紙看新聞、天氣預報等。
在學校課堂上,會用到攝像機、電視,回家後,既有聽CD的人,也有埋頭於讀書、雜志的人吧。
最近,通過網絡收集信息、互通信息的人在快速增加。
另外,每天晚上養成用電話和朋友聊天習慣的人不是也不少么!這像這樣,媒體和我們的日常生活有著不可分割的關系,沒有的話很困難,可是平時我們認識到的很少,也許是因為它的存在就像水和空氣一樣吧!可是,如果說使用媒體傳送信息和接受信息的時候,我們不知不覺地遵循了各種各樣的約定的話,會是什么感覺呢?試著以電視和報紙為題材考慮一下。
比如說,電視劇中的兩個人正在交談的時候,相要突然一個人的表情被特寫,像這樣的場合,出演的人物想要自己的臉一下子像汽球一樣膨脹起來的人不怎么有吧!代替這些的是一邊根據所謂的特寫的規定,一邊解釋到:“在這特寫的人物的心裏活動被當作焦點呀!”等等,應該是即使是他們本身也不怎么認識的情況下進行的。
如果在讀報紙的時候,我們默認頭條新聞當作當天最重要的事情提出。
另外,根據規定好的標題的大小、報道的量和報道的重要性的比例關系,還完全沒有閱讀原文來判斷報道的重要性。
這裏所說的約定的事和各種各樣的媒體在表現上的善長和不善長有著密切的關系。
電視善長的地方是裝入很多畫面,將逼真的信息傳遞給我們。
剛才在例子中所舉的特寫和為了更加的提高畫面的表現力被創造出來了技巧。
但是相反,電視不善長表現關於與畫面不相稱的事情和很難映像出的事情。
沒有畫面的事情不太適合於電視。
另一方面,報紙是根據重要文字來傳送信息,所以要根據事情的背景、影響仔細的加以分析,再滿意的傳送給讀者。
但是相反,和電視相比怎么也是缺乏臨場之感,而且短時間內很難明白新聞的要點,所以不善長於傳遞。
日语综合教程第五册课后练习翻译题答案
第十一課父母目不转睛地父母は脇目も振らず、子供たちの試合をはらはらしながら見ている。
試合に出ている子供たち本人よりも緊張しているようだ。
据说当时很多人当時は戦地の様子を写したニュース映画に、もしかしたら。
肉親の姿を見ることができてはないかと、映画館に通す人が多く、映画館はいつも満員だったと言う。
如果厕所和浴室トイレとお風呂が共用であれば、家賃は安くなる、トイレとお風呂付の部屋だったら、あなたの予算は足りないだろう。
如果他出来参加彼が出馬するとなると、今度大統領選挙の局面が大きく変わるだろうと思う。
那个国家依然あの国は依然として封建的で、女性はスカーフ状のものですっぽりと頭を覆い、目ばかり覗かしている。
绝不要泄气挫けないで、これは長い人生における小さな挫折でしかないのだから。
看来这个国家的この国の国民生活レベルがかなりアップされたと見えて、自家用車を運転する人が大部多くなった。
说这件事一定これは不可能と決めるのは早計だろう。
ほかに可能性を見つけようよ。
不要以为自己有運転技術がうまいなんで思わないでください。
必ず交通ルールを守ること。
交通事故を起こしてからじゃ間に合わないんだから。
列车沿着山脉汽車は山脈づたいに走る車窓の片方は広い草原が続き、それは半日を費やしてもまだ同じ景色が続き、自然の広さを実感させられた。
第十二課只要稍微不看着他ちょっとでも目をはなすとすぐ何事かを引き起こす。
あのばか者にはやりきれないなあ。
爷爷一直工作到お祖父さんは70歳まで働いて辛うじて一部屋を買えるほどのお金を貯めた、気の毒と思う。
到了秋天秋に入って、思い出したように時雨画降り出す天気が続くと、いやな気分になる。
哪怕是一粒米たとえ、一粒の米と言えども、無駄にしてはいけないという考え方を身につけさせるべきだと思う。
他是那么喜欢看あれほど読書が好きだった彼なのに、あの大病以来、とんと本を読まなくなったようだ。
本当に惜しい。
妹妹身材高大何もそのためにわざわざ大柄に育ってたわけではないが、身体が大きくて骨組も太い妹に小柄間母親を背負わせるにはちょうどいい。
第五课 第三册
【】の中のことばを使って、文を作りなさい。 【あの子・小さい】ながらも、【兄弟・負ける・まい】と、一生懸
命手伝っている。 あの子は小さいながらも、兄弟に負けるまいと一生懸命手 伝っている。 【何度・失敗・重ねる】ながらも、【新製品・開発・成功した】。 何度も失敗を重ねながらも、新製品の開発に成功した。 【健康・よい・わかる】ながら、【たばこ・自動販売機・足・向く・ しまう】。 健康によくないとわかっていながら、たばこの自動販売機に 足が向いてしまう。
ずっと、好きでいられる家。 「健康でいられる3つの秘訣」では、3つの奥義をご案 内します。
① 試験などで,想定された最高の点数。誤りや失敗が 全くない状態。 「 -をとる」 ② 満足できる状態であること。非常に良いこと。 「サービ ス-」
わからないながらも、一生懸命に話を聞いた。 野口英世の家庭には、貧しいながらも、温かい関係 があった。 いけないと思いながらも、たばこを吸ってしまう。 先生は、学生のスピーチをほめながらも、「発音の練 習が必要だ。」と注意を与えた。 彼は、その事件を知っていながら、知らないと言った。
よくないこと、本来あってはいけないこととして許しがたく思っ て嫌う。他人の言動などに強い不快の感情をいだく。憎いと 思う。「不正を―・む」「戦争を―・む」「―・むべき犯罪」
1 見るべきところ。見る価値のあるところ。また、見落として はならない点。「この映画の―」2 今後を期待できる優れた 点。将来性。「彼は―のある若者だ」 思いどおりに実現する。願っていたことがそのとおりになる。 「念願が―・う」「出場が―・う」「―・わぬ恋」 連れの人を見失って離ればなれになる。「人込みで一行に ―・れる」「群れに―・れた子羊」 心をくばること。心づかい。「―に欠ける処置」「当事者の気 持ちを―する」
《中日交流标准日本语》中级上册第三课五目ずしの作り方 课文及翻译
第三課五目ずしの作り方正文王さんと張さんは、今日、田中さんの家に夕食に招かれました。
田中さんは旅行会社に勤めていて、日本を訪れる外国の旅行者のために、いろいろと便宜を図ってくれます。
王さんも張さんも、去年中国から日本へ来る時に、田中さんの世話になりました。
田中さんの家族は、田中さんと奥さん、それにお嬢さんの純子さんの三人です。
今日は、田中さんの奥さんが、二人のために手作りの五目ずしをごちそうしてくださるそうです。
王さんは早めに田中さんの家へ行って、奥さんに五目ずしの作り方を教わりました。
そして、次のようなメモを作りました。
*材料(五人前)米・・・三合筍・・・百グラムしいたけ・・・四個れんこん・・・一本にんじん・・・五十グラムさやえんどう・・・三十グラム海老・・・百グラム卵・・・三個だし汁酒砂糖醤油酢*作り方五目ずしを作るには、まず始めに、普通より少し固めに御飯を炊く。
そして、御飯を炊いている間に、具を用意する。
筍・しいたけは、細かく切り、だし汁・酒・砂糖・醤油で煮る。
れんこんは、薄く切って、だし汁・酒・酢・砂糖で煮る。
にんじん・さやえんどうは、細く切ってさっとゆでる。
海老もさっとゆでる。
卵は、薄く焼いてから細く切っておく。
次に、御飯が炊き上がったら、熱いうちに酢と砂糖を振りかけて混ぜる。
そして、用意した具を、卵を除いて順番に混ぜ合わせる。
最後に、皿に盛り付けてから、卵を載せ、好みで、のりや紅しょうがを添えるとよい。
会話奥さん:王さん、五目ずしの作り方はそれほど難しくないでしょう。
王:そうですね。
でも、具を細かく切るのが難しいですね。
しいたけを切っている時、もう少しで指を切りそうになりました。
奥さん:危ない、危ない。わたしも今、熱い鍋にさわって、もうちょっとでやけどをするところでした。
王:だいじょうぶですか。
奥さん:ええ、たいしたことはありません。
さあ、こうして、卵とのりと紅しょうがを載せるとできあがりです。
第五册日语综合教程
第五册名词辺鄙(へんぴ)満喫(まんきつ)接触(せっしょく)遮断(しゃだん)強烈(きょうれつ)望郷(ぼうきょう)船底(ふなそこ)丸窓(まるまど)甲板(かんぱん)優雅(ゆうが)野獣(やじゅう)落日(らくじつ)灼熱(しゃくねつ)居心地(いごこち)素肌(すはだ)退屈(たいくつ)壮大(そうだい)喧噪(けんそう)舳先(へさき)舷側(げんそく)冷酷(れいこく)地中海(ちちゅうかい)壮麗(そうれい)対応(たいおう)船旅(ふなたび)二段棚(にだんだな)牢獄(ろうごく)魂(たましい)袴(はかま)鉱毒(こうどく)流域(りゅういき)鉱石(こうせき)滓(かす)不作(ふさく)貧苦(ひんく)半ば(なかば)夜学(やがく)郷土(きょうど)予期(よき)硫酸(りゅうさん)堤防(ていぼう)沈殿地(ちんでんち)濾過地(ろかち)明言(めいげん)町歩(ちょうぶ)半永久(はんえいきゅう)蓑笠(みのかさ)境内(けいだい)大挙(たいきょ)大群(たいぐん)宿屋(やどや)真心(まごころ)野火(のび)寄付(きふ)利害(りがい)額(ひたい)辞表(じひょう)当日(とうじつ)羽織(はおり)封書(ふうしょ)槍(やり)直訴(じきそ)決行(けっこう)不敬(ふけい)監獄(かんごく)狂人(きょうじん)発作(ほっさ)術(すべ)熱中(ねっちゅう)遺言(ゆいごん)壮烈(そうれつ)菅笠(すげがさ)頭陀袋(ずだぶくろ)鼻紙(はながみ)考察(こうさつ)漸次(ぜんじ)必然(ひつぜん)従事(じゅうじ)罪(つみ)物質(ぶっしつ)性欲(せいよく)禁欲(きんよく)代価(だいか)閑暇(かんか)特権(とっけん)洞察(どうさつ)諸国(しょこく)匹敵(ひってき)移入(いにゅう)目標(もくひょう)調和(ちょうわ)性急(せいきゅう)君臨(くんりん)二重(にじゅう)寸暇(すんか)余裕(よゆう)自画像(じがぞう)繁栄(はんえい)人為(じんい)増進(ぞうしん)信念(しんねん)信仰(しんこう)動揺(どうよう)懐疑(かいぎ)思惟(しい)好都合(こうつごう)過剰(かじょう)供する(きょうする)征服(せいふく)復讐(ふくしゅう)清流(せいりゅう)濁流(だくりゅう)野生(やせい)獣(けだもの)病(やまい)根本(こんぽん)是認(ぜにん)登場(とうじょう)連載(れんさい)論者(ろんしゃ)崩壊(ほうかい)逆転(ぎゃくてん)居間(いま)芝生(しばふ)茂み(しげみ)庭先(にわさき)窓辺(まどべ)食卓(しょくたく)雑木(ぞうき)鋭敏(えいびん)春先(はるさき)片隅(かたすみ)入り日(いりひ)節目(ふしめ)哀切(あいせつ)砂場(すなば)陰鬱(いんうつ)樹木(じゅもく)分身(ぶんしん)肉親(にくしん)放電(ほうでん)抑圧(よくあつ)解消(かいしょう)結末(けつまつ)治癒(ちゆ)断片(だんぺん)偶発(ぐうはつ)効用(こうよう)遠望(えんぼう)微妙(びみょう)類(たぐい)干渉(かんしょう)境地(きょうち)人里(ひとざと)街路樹(がいろじゅ)執着(しゅうちゃく)大木(たいぼく)樹種(じゅしゅ)選定(せんてい)幹(みき)背丈(せたけ)制約(せいやく)不可欠(ふかけつ)身繕い(みづくろい)木陰(こかげ)恩恵(おんけい)屈折(くっせつ)一貫(いっかん)克服(こくふく)親和(しんわ)漁師(りょうし)年頃(としごろ)親心(おやごころ)山番(やまばん)行商(ぎょうしょう)風呂敷(ふろしき)道程(みちのり)山道(やまみち)草履(ぞうり)鼻緒(はなお)崖(がけ)葱(ねぎ)丹精(たんせい)飢饉(ききん)椿(つばき)渦(うず)月日(つきひ)不気味(ぶきみ)天井(てんじょう)空耳(そらみみ)戸口(とぐち)津波(つなみ)夕暮れ(ゆうぐれ)紅(べに)袈裟(けさ)濃い(こい)旅館(りょかん)川辺(かわべ)脇(わき)断固(だんこ)合間(あいま)自嘲(じちょう)巨木(きょぼく)盛り(さかり)怪物(かいぶつ)沢(さわ)片思い(かたおもい)相対(あいたい)映像(えいぞう)紗(しゃ)相棒(あいぼう)上機嫌(じょうきげん)霙(みぞれ)情念(じょうねん)新芽(しんめ)逸れ桜(はぐれざくら)奥底(おくそこ)帰郷(ききょう)海鳴り(うみなり)小降り(こぶり)酔狂(すいきょう)繁々(しげしげ)横殴り(よこなぐり)風情(ふぜい)眺望(ちょうぼう)飛沫(しぶき)銀色(ぎんいろ)後日(ごじつ)予兆(よちょう)傷跡(きずあと)混み合う(こみあう)人山人海通路(つうろ)道路西日(にしび)夕阳窮屈(きゅうくつ)窄小,不舒服団扇(うちわ)網棚(あみだな)行李架頑丈(がんじょう)结实,健壮腰板(こしいた)裙板,横档歯痛(はいた?しつう)牙痛気兼ね(きがね)多心平素(へいそ)着用(ちゃくよう)穿鎧戸(よろいど)襟元(えりもと)后领風通し(かぜとおし?かざとおし)目隠し(めかくし)蒙眼睛質素(しっそ)俭朴倹約(けんやく)节省車両?車輌(しゃりょう)一様(いちよう)不機嫌(ふきげん)不高兴懇意(こんい)心意同業(どうぎょう)格別(かくべつ)特别時勢(じせい)时势縮小(しゅくしょう)缩小好物(こうぶつ)嗜好的东西水炊き(みずたき)清炖鸡肉看板(かんばん)招牌仕舞屋(しもたや)不开店的一般住家女将(おかみ)掌柜幾度(いくど)好几次大っぴら(おおっぴら)毫不掩饰板前(いたまえ)厨师専ら(もっぱら)专门物言い(ものいい)说话,异议仕種?仕草(しぐさ)动作一通り(ひととおり)普通,一般小父さん(おじさん)漠然(ばくぜん)含糊奥行き(おくゆき)进深,深度堀折(ほりおり)沟渠ぎごちない笨拙,不灵活詰物(つめもの)填塞食品,填充物繊維(せんい)楊枝(ようじ)牙签痛み止め(いたみどめ)止痛剂嗽(うがい)漱口膝(ひざ)突く(つつく?つっつく)1、缀,捅2、挑毛病3、挑拔片頬(かたほお)一侧的脸しかめっ面(しかめっつら)愁眉苦脸即座に(そくざに)立即皺(しわ)皱纹気配(けはい)动静辛抱(しんぼう)忍耐思案顔(しあんがお)面带愁容汗ばむ(あせばむ)微微出汗引き裂く(ひきさく)挑拔冷水(ひやみず)譲り(ゆずり)让与扇面(せんめん)薄墨(うすずみ)淡墨色見届ける(みとどける)看准意気地なし(いくじなし)没志气惜しげもなく(おしげもなく)可惜健気(けなげ)坚强足取り(あしどり)行踪端的(たんてき)大大的(だいだいてき)言辞(げんじ)幾分(いくぶん)庇う(かばう)充足(じゅうそく)屈辱(くつじょく)素質(そしつ)天资,资质体質(たいしつ)反抗(はんこう)交響(こうきょう)本職(ほんしょく)頓着(とんちゃく)放在心上,介意識者(しきしゃ)美意識(びいしき)実体(じったい)幽玄(ゆうげん)深奥,奥妙心情(しんじょう)余情(よじょう)余味,耐人寻味固有(こゆう)頻用(ひんよう)元来(がんらい)的確(てきかく)正确,准确造語(ぞうご)愛想笑い(あいそわらい)従前(じゅうぜん)猛然(もうぜん)毅然(きぜん)格闘(かくとう)融通無碍(ゆうずうむげ)気安い(きやすい)狩猟(しゅりょう)沼池(ぬまいけ)血潮(ちしお)羽毛(うもう)石炭酸(せきたんさん)足蹴(あしげ)胴体(どうたい)股(また)塵(ちり)散弾(さんだん)痛手(いたで)屈託(くったく)野道(のみち)初夏(しょか)純白(じゅんぱく)成育(せいいく)仕掛(しかけ)木戸(きど)足袋(たび)炭火(すみび)雨滴(うてき)僚友(りょうゆう)苛酷.過酷(かこく)肘(ひじ)狼狽(ろうばい)継目(つぎめ)微風(そよかぜ)。
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梅原猛,生于1925年,京都大学文学部哲学科毕业。
立命馆大学教授,京都市立艺术大学教授。
曾任国际日本文化研究中心代所长,现为京都市立艺术大学名誉教授、国际日本文化研究中心顾问。
1972年获每日出版文化奖,1974年获第一届大仏次郎奖,1992年获文化功劳者表彰。
主要著作有《地狱的思想日本精神的一系谱》、《隐藏的十字架法隆寺论》、《水底的歌柿本人论》等。
关于闲暇应该怎么看?用哲学的考察来回答这个问题,是报社交给我的一个课题。
闲暇问题将逐渐变成我们社会的重要问题,这是因为随着科学技术的发展,生产力的提高,人们劳动时间的缩短,不管是资本主义国家还是社会主义国家,都正在采用科学技术,这是现代文明所追寻的必然方向。
不用说这是一件大好事,因为对人类来说,没有什么比让自己从衣食之忧中解放出来,拥有自由的时间更为理想的了。
从前,自由时间对人类来说堪称奢侈之物,除此之外它什么也不是。
这是因为,当人类的大多数为了维持生存而不得不从事劳动时,那些无须从事这样劳动的人便因此而背负了罪名。
因此,从事自由的精神工作的宗教家,只能自我断绝了对物质的欲望与性欲。
也就是说,他们为了自由的精神生活而付出了禁欲的代价。
在这里,闲暇完全是少数佼佼者才可能被允许的特权。
我认为,人类原本一直生存在这种以劳动为中心的价值观中,尤其是这样的价值观为近代西方文明所强力推崇,而日本人则是在明治维新之后,才彻底拥有这样的价值观。
在德川时代,对既劳动也玩乐的价值观,也曾有过予以肯定评价的观点。
但自从明治维新之后,当日本在下决心是否采用西方文明时,日本人就完全树立了以劳动为唯一价值的一元价值观。
这是因为,日本人判断日本或者东方文明无论如何比不上欧洲文明,他们还洞察到,欧洲文明在拥有更强大的军事力量的同时,还拥有更高的生产力。
在这里,日本人的洞察是不错的,欧洲的科学文明,是一种通过技术提高生产力,并将其作为文明原理的文明。
日本在欧洲诸国的军事压力下,感到自己到底无法与之匹敌,对欧洲的科学技术文明所产生的巨大生产力感到无比震惊。
引进欧洲文明,建设强大富裕的国家,这就是过去百年间日本的目标。
将自己全力倾注于这一目标的日本,从而成为一个比欧洲更加欧洲化的、创造了技术文明的国家,成为一个比欧洲诸国更加推崇技术文明价值的国家。
在欧洲,科学技术文明存在于与传统的精神文明,特
别是基督教文明的协调之中。
可是在日本、美国和俄国这样技术文明被采用得较晚的国家,这样的协调并不是问题,只要是技术文明,就被急吼吼地引进。
在明治百年的文明之中,有三个价值占据着价值的宝座。
一个是勤劳。
勤劳是提高生产力不可或缺的品德。
因而,在较晚采用欧洲文明的日本,勤劳受到加倍的重视。
我认为,明治百年日本人最重要的品德,非勤劳莫属。
在小学校的校园里,建有二宫尊德的铜像,而且这座塑像表现的是背负着柴火去上学的形象。
过去许多塑像曾被日本人所尊崇,不过像这样用来表现珍惜点滴时间的塑像还不曾有过。
他分秒必争地劳动着,一点空闲也没有。
干活,干活,只有这样才能得到拯救,这样的宗教就是明治百年日本人的宗教。
二宫尊德的铜像,正是可怜可悲到极点的我们日本人的自画像。
通过勤劳的品德,我们所期待的是繁荣。
繁荣是明治百年日本人的重要目标。
因而繁荣也意味着物质的丰富。
而且对近代人来说,物质不仅仅是自然物质,还是根据许多人的意志创造出来的物质。
今天我们身边的物质几乎都不是自然的物质,我们认为有价值的物质,如电视机、电器产品、汽车,全都是根据我们的意志造出来的为我们服务的物质。
在这里,人为的东西比自然的东西更受人欢迎。
与这样的勤劳、繁荣的价值可以相提并论的,对近代人来说,伟大的价值在于进步。
这个世界正逐渐朝好的方向发展,物质变得丰富了,人的智慧日益增进,在这个世界上生存变得更容易了。
这与其说是近代人的信念,不如说是信仰。
所以,在这里发生了变化的是价值,而速度就是价值。
如果说发生了变化的东西是价值的话,那么否定也是价值,不用问去哪里,只要加快速度,就被当作价值。
我认为在过去的百年期间,支撑着日本人的价值观,就是所谓勤劳——繁荣——进步的价值观。
这样的价值观,是全体日本人的价值观,不用问是左派还是右派。
越是进步的政党,就越是建立在这样的价值观的基础上。
可是这样的价值观,如今已发生了很大的动摇。
毋宁说是在这样的价值观基础上哺育起来的文明本身,对这样的价值观提出了怀疑。
如今的时代,完全是机械化的时代。
在繁多的单纯劳动中,机械比人发挥的能力要多得多,这一点在十九世纪就已经变得很明显了,不久之后,甚至连复杂的劳动似乎也能够用机械来代替人了,而且到了最后,甚至在脑力劳动方面机械也胜过了人。
勤劳便失去了它那唯一绝对的价值。
因为,比起付出汗水的劳动,毋宁说富有余地的自由思维对技术发明更为合适,好处多多。
机械甚至比人更为勤劳,这样一来,勤劳便从它那价值的王冠上跌落下来,与其并起并坐的繁荣再也不能在价值的宝座上称王称霸了。
因为在如今先进的资本主义国家中,繁荣已经实现了它那最初的价值。
当然,物质的繁荣是永无止境的,目前在先进国家,物质正在开始渐渐变得过剩,而且这种繁荣是以牺牲自然环境为代价的。
也就是说,根据人类自己的意愿征服自然,在这里成了繁荣的条件。
这样的话,遭到人为的严重打击的自然,是否会对人类进行报复,这是问题所在。
如今,大自然的协调正在被搅乱,绿色的山野变成了一片秃山,清流变成了浊流,不用说野生兽类,就连鸟和鱼也一天天减少了。
在大城市的水泥世界中,人类果真能生存下去吗?这是个很大的疑问。
公害问题也许是破坏大自然的一种表现,而其病因在于更深层次的地方。
这样的繁荣与征服大自然的价值正在开始动摇。
而且到了最后,进步也不再成为文明的目标了。
在进步的思想中,有未来比现在更好的观念。
在此,与其说现在不是作为现在而具有价值,不如说现在是为了未来而被认可的。
只有在这样的人生观具有价值的时候,我们才会比父母更有价值,而我们的孩子会比我们更有价值。
事实上,根据这样的信念,各位进步学生才否定了父母,否定了教师,也否定了大学。
可是,当今这种勤劳——繁荣——进步的价值观正在迅速走向崩溃,取而代之的是游玩——自然——自由的价值观,作为价值所在而粉墨登场。
嬉皮士思想就是这样的新时代先锋。
在那里,脱离了所有的劳动,过着自由而回归大自然的生活,成为人类的理想。
想要提起注意的是,这样的嬉皮士最多出自于美国这样技术文明先进的国家。
关于这样的游玩问题,今后也许会在这个连载中被其他评论员所论及,对此我只想说几句话。
勤劳——繁荣——进步的价值观正面临崩溃,取而代之的是游玩——自然——自由作为新的价值观将被树立起来,不过这样的价值观恐怕仍然不能成为长期支撑人类的价值观。
因为一旦尝过文明之果的人类,再也不会回到文明前的社会中去。
我认为,一旦发现对立的两种价值观的调和点,就能在那里找到新的文明原理。