上代文学

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日本文学史考试重点(上代-近世)

日本文学史考试重点(上代-近世)

一、上代文学

1、上代文学:平安京迁都(794)以前的文学,发生在“大和地区”,也称为“奈良时代文学”。

2、先土器时代→绳文时代→采集生活→弥生时代→共同体社会

3、“祭”→神圣的词章→歌谣和神话→口承文学(咒语、原始歌谣、神话传说)

4、大和朝廷+百济→汉字传入:口头传承→文字记载(歌谣定型化、神话散文化)

5、圣德太子+苏我马子:“宪法十七条”,大化改新→律令制度

6、推古朝→万叶假名

7、佛教→飞鸟文化、白凤文化、天平文化

8、【古事记(日本最早书籍)】【日本书纪(第一部敕撰正史)】【风土记】【万叶集(最早和歌集)】【怀风藻(最古汉诗集)】

(1)古事记

A、天武天皇、稗田阿礼、天明天皇、太安万侣

B、上中下三卷:上卷→神代(神话、传说),中卷→神武天皇(第1代)~应神天皇(第15代),下卷→仁德天皇(第16代)~推古天皇(第33代)(帝记)

a、上卷:高天原神话、出云神话、天孙降临神话、筑紫神话

b、伊邪那岐命+伊邪那美命=大八洲

c、三贵子=天照大神+月读尊+须佐之男命

C、和汉混淆文体:古汉语、变体汉文、假名注音相杂

(2)日本书纪

A、舍人亲王

B、神代卷+帝记(神武天皇~持统天皇)

C、正文→唐代风格的古汉文,仿照中国正史编写的编年体史书

D、目的:宣扬国威、实现对外宣传

(3)记纪歌谣

A、形成于“万叶集”之前,不是独立编撰成书的歌谣集,是最早的和歌群

B、歌体自由,无固定格律(五、七句为主,四、六句为次)

C、长歌、短歌、片歌、旋头歌

D、三类:恋歌(最多)、战争歌和事变歌(叙事性强)、酒歌和欢乐歌

(4)风土记

日本上代文学特点

日本上代文学特点

日本上代文学特点

日本上代文学也称为大和时代的文学,分为口承文学和记载文学。五世纪时,汉字开始得到使用,汉传佛教传入日本。另外在经历了大化改新和壬申之乱后,七世纪左右,大和朝廷改革为统一律令制国家,天皇权威得到保证。这些都对日本人的思想产生了巨大的影响。

一、口承文学

从集体生活中诞生,宗教色彩浓厚,有很多的叙事要素。

历史背景:全面向中国学习颁布授受法三省六部

时代:古坟时代(367-592年)无文字器物

飞鸟时代(593-794年)

二、记载文学(710-794奈良时代)

随着汉字的传入,用文字携文学,文学的个性和艺术性逐渐增强,逐渐从叙事文学反转为抒情文学。其中根据文字记载的形式形成的文学类型有:

《古事记》

现存日本最早的书神话传说

《日本书记》

日本流传最早的正史编年体史书

《万叶集》

日本最早的和歌集国家整理编纂

《怀风藻》

日本最古老的汉诗集

日本上代文学

日本上代文学
(4)日本霊異記(説話集・3巻)810~823年に成立。日本仏教 の歴史を説話の形で述べたもので、話がほぼ年代順におかれ ている。 内容:日本古来の神話・伝説ではなく、仏教が日本に伝わって、 日本で発生した仏教説話を集めた日本最古の説話集である。 主として因果応報の教えを説いている。 特質:説話文学の源流となったものである。
● 山上憶良の歌 ○術もなく苦しくあれば出で走り出ななと思へど子らに障りぬ ○銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも
●山部赤人の歌 ○田児の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ不尽の高嶺に雪は降 りける ○み吉野の象山の際の木末にはここだもさわぐ鳥の声かも
●大伴家持の歌 ○春の野に霞たなびきうら悲しこの夕かげに鶯鳴くも ○うらうらに照れる春日に雲雀あがり情悲しも独りしおもへば
第四期 万葉歌風の衰退期 (『万葉集』の最後の歌が作られた 759年までの約20年間)。 この期は、天平文化が最盛を誇った時期であるが、政権争いに よる政情不安から、貴族社会には動揺が始まっBaidu Nhomakorabeaいた。和歌 はそれまでの力強い調べを失って、繊細優美なものとなり、昔 を回顧する感傷的傾向も現れた。
○理知的・技巧的な歌が多くなった。長歌は衰退して、短歌が盛 んになった。 大伴家持が代表歌人。
●万葉集(歌集・20巻)759年以降10年間前後 編者:長期にわたり、多くの人の手によって編集され、最後に 大伴家持の手を経て完成されたらしい。 内容:歌数は約4500首。主に長歌・短歌・旋頭歌の三体。 雑歌・相聞歌・挽歌の三分類がある。

上代文学

上代文学

万葉集
第四期 繊細優美的な傾向
代表歌人 大伴家持
宿題
「まこと」の文学意識とは一体何であ ろうか、作品などを挙げながら分析し てください。
上代文学の特徴
一、口承文学から記載文学へ
記載文学が成立する時期だが、口承文
学の占める比重が大きい
上代文学の特徴
二、中国文化の伝来
中国文学や仏教、儒教などの影響を受
日本文学
上代文学 中古文学 中世文学
近世文学
近代文学
日本文学
日本文学の特徴
• 開放性 • 融合性 • 下降型
上代文学
時間:一世紀ころ――794年平安 京遷都までの文学をさす。 大和時代(4世紀から―7世紀半ばまで)
飛鳥時代(592-710)
奈良時代(710—784)
上代文学
政治の面:皇室中心の時代
け始めている
上代文学の特徴
三、「まことwk.baidu.comの文学
素朴、誠実、古代人の感情や実情をあ りのままに表現しようとする「まこ と」の精神に満ちている
上代文学の特徴
四、即興的な叙情
具体的な物や目の前の事に即して、 感動や思考を表現しようとする傾向が 強い
上代文学
一、記紀文学
• 日本最古の書籍――『古事記』 • 日本最古の勅撰正史――『日本書紀』
『古事記』

浅析日本上代文学理念之“あかし”“きょし”“さやけし”——以《万叶集》为例

浅析日本上代文学理念之“あかし”“きょし”“さやけし”——以《万叶集》为例

ANHUIWENXUE 安徽文学安徽文学

2018年8期总第421期浅析日本上代文学理念之「あかし」「きよし」「さやけし」

——

—以《万叶集》为例李国栋

福建师范大学外国语学院摘

要:日本上代文学的一个特征,就是存在着古代人们对于神的信仰。这种信仰,在文学作品中以「あかし」

「きよし」「さやけし」这三个文学理念的形式存在。诞生于8世纪的《万叶集》,是古代和歌的集大成者。

对《万叶集》中出现这三个文学理念的和歌进行研究,

有助于进一步了解上代日本人的生活与信仰。关键词:万叶集文学理念あかしきよしさやけし

文学研究

古代日本人认为山川草木、海洋陆地等世界万物中皆有神灵存在,连语言中也蕴藏着灵魂和神力,这

种神奇的力量能够给人类降福或降灾,被称为“言灵”。[1]日本上代文学的一个特征,

就是存在着这种“言灵”信仰。这种信仰以「あかし」「きよし」「さやけし」这三个文学理念的形式,多次出现在《万叶集》中。本文将对《万叶集》中出现以上三个文学理念的和歌进行归纳整理,从而进一步解析上代日本人的生活与信仰。一、文学理念之「あかし」「あかし」这个形容词存在着不同的表记形式,可

以是「赤し」和「明し」。(一)「赤し」「赤し」还有「赤ら」「赤き」这两种形式。其中,「赤ら」的「ら」为词的后缀,后接另一个名词,意思是红色的,如:沖行くや赤ら小舟につと遣らばけだし見開見人てきむかも(卷十六·3868)

[2]这首和歌中的「赤ら小舟」意思是红色的小船。「赤き」后接体言,如:

隠……君の御代御代さはぬ赤き心をす

極めらへにめ尽して……(卷二十·4465

日本文学(1)

日本文学(1)

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主要人物关系
1—44回 右大臣 大纳言 ↓ ↓ 弘徽殿女御 桐壶天皇 桐壶更衣 藤壶女御 ↓ ↓ ↓ 葵姬↓ 紫姬 空蝉↓ 三公主 轩端荻 ↓ ↓ ↓ ↓ 大皇子(朱雀帝 ) 源氏 → → → 冷泉帝 ↓ 明石姬 夕颜 末摘花 六条御息所 花散里 源内侍 胧月夜 玉曼 ↓ 45—54回 薰君
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《万叶集》
抒情文学以和歌总集《万叶集》为代表。 《万叶集》是日本最古老的抒情诗歌(和歌)总 集 ,日本抒情文学的奠基作。共20卷,收入和歌 计4500余首。 《万叶集》 分三大部类 : “相闻”——意谓感情上的相互闻问 。 “挽歌”——多为悼念死者而作。 “杂歌”——内容广泛,从狩猎、旅游、宴请, 到睹自然风物而叹人间之炎凉、社会之变迁的都可 包括。 吟叹人生的苦闷悲哀,抒发诗人对外在事物、尤 其是自然景物的细腻的主观感受。它初步奠定了日 本诗歌重主观情绪、重感受、重宣泄苦闷悲哀的审 美基调。
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紫式部与《源氏物语》
(一)生平与创作 1、《源氏物语》的作者是谁? 2、“紫式部”的由来 3、文学世家、“才女” 4、青年丧夫、入宫为官 5、主要作品:《源氏物语》、《紫式部日记》、 《紫式部家集》
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紫式部
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日本文学史_上代

日本文学史_上代


神話の体系化
祭りの場における、神にかかわるさまざまな語り伝えである。 五世紀ごろの漢字の伝来は文学を変えた。口頭伝承(口承)と して語り伝えられた神話は記載されるようになった。 和銅三年(七一〇)、平城京(奈良の都)の遷都を契機に行わ れた国家的事業として、修史と地誌の整備とがある。 『古事記』太安万侶撰録。和銅五年(七一二)成立。 <成立>稗田阿礼が天武天皇の勅命によって、誦習していた帝 記や本辞を変体漢文によって撰録したものであった。 <内容>全三巻。
口承から記載へ
漢字の伝来によって、口承から記載へ変遷した。 万葉仮名を経て、のちに片仮名・平仮名が考え出された。
古代国家の文学




神話の体系化 『古事記』『日本書紀』「風土記」 和歌の発達 記紀歌謡→和歌→歌集→『万葉集』(藤原京の時代) 祝詞と宣命 漢詩文の盛行 漢詩集『懐風藻』 説話の誕生 奈良時代の仏教説話『日本霊異記』
言霊信仰
神を祭る場に用いられた呪的な言葉が、呪言 や呪詞である。こうした言葉に宿る霊力(言 霊)に対する信仰を言霊信仰と呼んでいる。

祝詞と宣命 統一国家の形式に伴い、祭りも国家規模になる。神に奏上 する神聖な言葉である呪詞・呪言の表現も洗練され、壮重 で長大な詞章として完成された。これが祝詞である。 また、天皇が神の命を和文体で人々に宣る(口頭で告げ る)宣命も、やがて国家的大事に宣布される文書となった。 祝詞・宣命では宣命書という表記が用いられ、のちの仮名 まじり文の源流ともなる。

日本文学史-上代

日本文学史-上代

日本文学史

上代文学(大和・奈良時代)

特徴:口承文学から記載文学へ

代表作:

1、古事記

古事記(こじき、ふることふみ)は、その序によれば、和銅5年(712年)太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ、太安万侶(おおのやすまろ))によって献上された日本最古の歴史書。上・中・下の全3巻に分かれる。 『日本書紀』のような勅撰の正史ではないが、序文に天步天皇が

撰録帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉

と詔していることから、勅撰と考えることも出来る

構成

『古事記』は、帝紀みかどおさむ的部分と旧辞きゅうじ的部分とから成り、天皇系譜が『帝紀』的部分の中心

をなし、初代天皇から第33代天皇までの名、天皇の后妃こうひ・皇子・皇女の名、およびその子孫の氏族など、このほか皇居の名・治世ちせい年数・崩年干支・寿命・陵墓所在地、およびその治世の大事な出来事などについて記している。これらは朝廷の語部(かたりべ)などが暗誦して、天皇の大葬の殯(もがり)の祭儀などで誦み上げるならいであった。それが6世紀半ばになると文字によって書き表わされた。『旧辞』は宮廷内の物語、天皇家や国家の起源に関する話をまとめたもので、同じ頃書かれたものである。

『帝紀』や『旧辞』は、6世紀前半ないし中葉頃までに、天皇が日本を支配するに至った経緯を説明するために、朝廷の貴族によって述作されたものであり、それらをもとにして作成されたものである以上、民族に伝わった歴史の伝承ではないとの主張もある。一方、広く民衆に受け入れられる必要もあったはずで、特に上巻部分は、それらを反映したものが『古事記』ではなかったかとの主張もある。

日本文学史ー上代文学(古代前期文学)

日本文学史ー上代文学(古代前期文学)

上代文学(二)主な文学作品
日本最古の書籍ー古事記 712年 太安万侶(おおのやすまろ)に よって編集された
漢文の編年体史書ー日本書紀 720年 舎人親王(とねりしんのう) などが編集
古事記と日本書紀についての比較
日本最古の歌集ー万葉集
万葉 集
全20巻 4500首 約340~759年(450年間) 大伴家持(おおとものやかも ち)から編纂
柿本人麻呂と山部赤人ー歌聖
複雑で雄大さ、技巧の運用
万葉三期ー最盛期 繊細で洗練されるが、素朴さ 平城京遷都~733年(20年) は失われたー山上憶良・思想 歌人
万葉四期ー衰退期ー理知的、感傷的、繊細優美
万葉中最高の歌人ー柿本人麻呂
日本最初の地誌ー風土記
漢詩集ー懐風藻 751年 教養
懐風藻の序ー全部漢文で
• 大和、飛鳥、奈良時代(中 心)
• 1、上代(古代前期)とは • 文学の発生ー平安遷都
文学背景 1、古代前期
飛鳥時代
飛鳥時代
平城京
藤原京
文学背景 • 紀元前3世紀にー小国家
2、 国家の成立
• 4世紀にー大和朝廷によっ て統一国家が成立
文学背景
3、 律令制 (りつりょう せい)の確立
• 7世紀ー聖徳太子の改革 (憲法十七条)
(二)口承文 学の時代か ら記載文学 時代へ

日本文学(上代 中古 中世 近世 近代 战后)

日本文学(上代 中古 中世 近世 近代 战后)

阿日本文学史:上代の文学(794年まで)中古の文学(1192年まで)中世の文学(1603年まで)近世の文学(1867年まで)近代の文学(1926年まで)(明治と大正)現代の文学(1927~現在)

上代の文学

一上代の文学概観:集団·口承の文学個人·記載の文学

二神話·伝説·説話:古事記(歴史書)日本書紀(歴史書)風土記(地誌)

三詩歌:万葉集漢詩文

四祭祀の文学:

古事記:編者選録·太安万侶

誦習·稗田阿礼

成立和銅五年(712)

目的国内的に思想の統一を図る

内容三巻からなり、上巻は神代中·下巻は人の代

文体漢字の音調を使う

特色史書、文学的、

意義現存する日本最古の作品

日本書紀:編者舎人親王

成立養老四年(720)

目的対外的に、先進国中国に対して、日本の優勢を示す

内容30巻、巻一、二が神代

文体純粋な漢文体

特色編年体、歴史的

意義六国史の最初

風土記:諸国の地誌であり、完本は『出雲風土記』

文章漢文体

私的な伝承筆録:奈良末期の『高橋氏文』(たかはしうじぶみ)と

平安初期の『古語拾遺』(こごしゅうい)

仏教説話集『日本霊異記』(にほんりょういき)

万葉集

編者未詳大伴家持(おおとものやかもち)が関係

奈良時代後期に成立

内容20巻にわたり、約4500首の和歌が収められる。基本的には、雑歌、相聞、挽歌の三分類が認められる。天皇や皇族から一般庶民に至るまで、幅広い層の和歌を収録している点が最大の特徴

表記万葉仮名

史的評価現存する最古の歌集、和歌という文学形態を完成させた。

東歌(あずまうた)と防人歌(さきもりうた)

歌風の変遷

第一期(壬申の乱672年まで)明るく素朴な歌風

上代の文学

上代の文学

713年、朝廷が諸国に命じて、その国の地理、産 物、伝説などを記させた。 日本の最初の地誌である。現在5つがまとまった形 で残っている。当時の地方の暮らしを知る手がか りとしても重要である。 評価:城代の地理・文化が知られ、「古事記」 「日本書紀」にない、地方独自の神話・伝説・説 話が見られる。
祝詞:古代人は言霊信仰によって、神への祈りの言 葉を祝詞と言う。 現存するもの:「延喜式」の27編、「台記」の別記 に収められた「中臣寿詞」の一編を合わせて、計28 編である。
694年 710年
784年 794年
持統天皇 元明天皇
桓武天皇 桓武天皇
藤原京 平城京
長岡京 平安京
神話とは、古代の人々は、様々な自然界の出来事を、 神々の働きとして、説明しようとした語り伝えである。
伝説とは、自然を克服した祖先たちの姿から作り上げた 多く英雄の物語である。
説話とは、自分たちの身の回りのあらゆることを興味深 くまとめたものである。(神や英雄の話に中心があるの ではなく、話の展開そのものに興味の中心を置いた物に 説話がある)
1.口承文学から記載文学へ:Hale Waihona Puke Baidu載文学が成立する 時期だが、口承文学の占める比重が大きい。
2.「まこと」の文学:素朴•誠実、古代人の感情や実 状をありのままに表現しようとする「誠」の精神に満 ちている

上代文学

上代文学

上代文学
中巻ー神武(じんむ)天皇から応神(おうじ ん)天皇までで、神武天皇の東征や、熊襲 (くまそ)平定、草那芸(くさなぎ)の剣、 弟橘比売(おとたちばなひめ)の話などの主 人公日本武尊(やまとたけるのみこと)の物 語が主な内容である。 下巻ー仁徳(にんとく)天皇から推古(すい こ)天皇までで、皇室内部の抗争の歴史を中 心とする。 中・下巻は人の世の巻(まき)であるが、中 巻はほとんど伝説でしめられ、下巻にわずか に歴史的变述が見られるにすぎない。
②記紀(きき)歌謡: 『古事記』『日本書紀』に載っている 上代歌謡を総称(そうしょう)して記 紀歌謡という。記紀歌謡の多くは、宮 廷に集められていたり、各地に伝わっ ていたりした歌謡が、神話や伝説に結 び付けられたものと思われる。 内容:戦い・狩り・恋愛・祭り・酒 宴・哀しみなど、広く古代の人々の生 活全般にわたる。
上代文学
『古事記』:712年(和銅五)成立。天武 (てんむ)天皇が稗田阿礼(ひえだのあれ) に誦み習わせた帝紀と本辞を、天皇の死後、 元明(げんめい)天皇の勅命(ちょくめい) によって、太安万呂(おおのやすまろ)が記 録した、現存する最古の歴史書。上・中・下 三巻から成る。 上巻ー神代(かみよ)の物語で、天地創造の 初めから神武(じんむ)天皇までで、天照大 御神(あまてらすおおみかみ)の話が主な内 容である。
上代文学
上代文学の主な文学様式:(神話・伝説・説 話)文学、祭祀文学、詩歌文学 1、神話・伝説・説話 神話は、本来祭りの場における神にかかわる 語り伝えを意味するが、伝説・説話は、それ よりやや広義の概念を意味すると考えられて いる。 伝説は神話に比べてより歴史的・人間的であ り、説話は、信仰的な要素が失われて、話の 構成そのものの中に興味を置いたもの、とす る区別があるが、現実には混同して使われて いる。

日本文学史考试重点(上代-近世)

日本文学史考试重点(上代-近世)

日本文学史考试重点(上代-近世)

一、上代文学

1、上代文学:平安京迁都(794)以前的文学,发生在“大和地区”,也称为“奈良时代文学”。

2、先土器时代→绳文时代→采集生活→弥生时代→共同体社会

3、“祭”→神圣的词章→歌谣和神话→口承文学(咒语、原始歌谣、神话传说)

4、大和朝廷+百济→汉字传入:口头传承→文字记载(歌谣定型化、神话散文化)

5、圣德太子+苏我马子:“宪法十七条”,大化改新→律令制度

6、推古朝→万叶假名

7、佛教→飞鸟文化、白凤文化、天平文化

8、【古事记(日本最早书籍)】【日本书纪(第一部敕撰正史)】【风土记】【万叶集(最早和歌集)】【怀风藻(最古汉诗集)】(1)古事记

A、天武天皇、稗田阿礼、天明天皇、太安万侣

B、上中下三卷:上卷→神代(神话、传说),中卷→神武天皇(第1代)~应神天皇(第15代),下卷→仁德天皇(第16代)~推古天皇(第33代)(帝记)

a、上卷:高天原神话、出云神话、天孙降临神话、筑紫神话

b、伊邪那岐命+伊邪那美命=大八洲

c、三贵子=天照大神+月读尊+须佐之男命

C、和汉混淆文体:古汉语、变体汉文、假名注音相杂

(2)日本书纪

A、舍人亲王

B、神代卷+帝记(神武天皇~持统天皇)

C、正文→唐代风格的古汉文,仿照中国正史编写的编年体史书

D、目的:宣扬国威、实现对外宣传

(3)记纪歌谣

A、形成于“万叶集”之前,不是独立编撰成书的歌谣集,是最早的和歌群

B、歌体自由,无固定格律(五、七句为主,四、六句为次)

C、长歌、短歌、片歌、旋头歌

D、三类:恋歌(最多)、战争歌和事变歌(叙事性强)、酒歌和欢乐歌

日本文学简史重点纲要

日本文学简史重点纲要

第一章上代文学

1、当时,日本没有独自的文字表达方式,所以歌谣、神话基本上都是依靠口头传承的。这被称为“口承文学”。

2、在口承文学时代,要用异国的文字忠实的记录下日本本土的歌谣、神话,是极为困难的。尽管如此,还是产生了所谓的万葉仮名,用以记录诗歌文学。

3、日本最早的和歌集是万葉集。

4、日本最古老的汉诗集是懐風藻。

5、日本现存最早的书籍是古事記。

6、《古事记》由上中下三卷构成。上卷记录神代之事,也就是神话和传说;中卷记录了从第一代天皇神武天皇到第十五代天皇应神天皇之间发生的事情;既有神话,也有史实,不完全属于帝记;下卷记录了第十六代天皇仁德天皇到第三十三代天皇推古天皇之间发生的事情,基本上属于帝記。

7、《古事记》采用古汉语、变体汉文和假名注音相杂的“和漢混淆体”。

8、仿照中国历代正史而编写的编年体史书,被称为日本第一部敕撰正史的是日本書紀。

9、《古事記》和《日本書紀》中收录了不少古代歌谣,这些古代歌谣总称为記紀歌謡。

10、就在《古事记》编撰的第二年,天明天皇下诏撰修各国的地方志。目前仅存的只有五国风土记,即常陸風土記、播磨風土記、出雲風土記、肥前風土記和豊後風土記,其中只有出雲風土記保存完好。

11、日本最早的诗歌总集万葉集才是真正意义上的文学史的开端。关于其编者,有学者认为是大伴家持。万叶集收录和歌约4500首,其中短歌约4200首。

12、万叶集的和歌按照内容可以分为三大类,即雑歌、相聞和挽歌。

第二章中古文学

1、平安迁都以后,日本的传统诗歌“和歌”的地位逐渐降低,成为“私人空间”的文学。此时编撰的三部敕撰集凌雲集、文化秀麗集、経国集反映了当时汉诗文兴盛的时代特征。日本文学史上又称这个时期为国風暗黒時代。

上代の文学

上代の文学

口承から記載へ
❖ 統一国家が形成され、大陸から漢字が伝来し、 人々がその使用に習熟すると、そうした歌謡や 神話も、文字によって書きとどめられるように なっていく。この口承から記載への過程のなか で流動的な表現のあり方は固定され、歌謡は 定型化への、神話は散文化への道をたどるの である。
古代国家の文学
詩歌の種類
❖ 歌垣.宮廷歌謡 ❖ 記紀歌謡 ❖ 仏足石歌 奈良薬師寺の仏足石歌碑に刻まれた歌 仏
足石歌体 五、七、五、七、七、七の形式
和歌の発達
❖ 古代歌謡の母胎であった共同体が統一国家の形成と ともに変質する中で、古代歌謡の表現も大きく変貌し ていく。一方、新たな国家の担い手である貴族たちを 中心として、官僚組織が整備され、都市生活が営まれ るようになると、集団性から切り離された個的なものへ の自覚が生み出されてくる。歌謡はそうした中で、表 現の洗練を加えられ、集団内部の口承本位のあり方 を離れて、自覚的な詠む歌としての性格が著しく強め られていく。短句.長句の音数はがそれぞれ五音.七 音に固定され、長歌.短歌.旋頭歌の歌体が定型とし て整備されていくのである。
氏族の伝承を統合し、さらに歌謡百十余首を織り込んで、生き 生きとした叙事的世界が文学性豊かに描き出されている。
『日本書紀』
❖ 元正天皇の命によって編集された。舎人親王編 養老四年(7 20)年成立

日本文学

日本文学

日本文学史 ――上代から近世まで 日本の文学は千年ぐらいの歴史があって、世界文学も深く影響を与える。例えば、「源氏物語」は日本文学の最高峰であるばかりでなく、今や世界文学史上での第一級の作品という評価を勝ち得ている。 日本の文学は政治の発展につれて変わってくる。明治維新前、中国文化に影響された。 明治維新後、日本文学は欧米文化を吸い込んだ。明治維新の前、文学史は上代、中古、中世、近世三つの部分になっている。それから、一つずつ紹介したい。 一、上代の文学: 日本では四世紀頃の漢字の伝来までは、漢字がなかった時代で、文学といえば口承しなかった。五、六世紀ごろ、日本に漢字がもたらされると、伝承されていた<語りごと>徐徐に漢字を用いて記載されるようになる。また、外国との交流が盛んになるにつれて統一国家が形成されると、口承文学は集大成して記載された。それが、「古事記」「日本書紀」「風土記」などである。これらに掲載されている話の内容は、神話、伝説、説話の三つに分類することができる。 「古事記」は現存する日本最古の書者である。そこに記されている神話や伝説などからは、古代人のものの見方や考え方、豊かな感情が感じられ、十分な文学性を持ち合わせているといえる。「古事記」の表記には、純粋の漢文体で書かれた序文のほか、漢字の音訓を交えた変則の漢文体で書かれたものもある。 上代では、言葉には霊力があると信じられており、よい言葉は<幸>をもたらし、悪い言葉が<禍>とされていた。祭りの場面ではこの言霊が重視された。祝詞と宣命が出てきた。ここに文学や演劇の起源があると考えられている。 上代歌謡は、人々が共同体の祭りの場で歌った歌を起源とする。当時の人々の祭りや生活の中で伝承され歌われたと思われる歌謡が、記紀の神話や伝説で結び付けて引用されれいるものが多い。歌謡の内容は狩猟、祭り、恋愛、酒宴などであり、人々の生活に全般にわたり、生き生きとした思いが読み取れる。 「万葉集」にも、本来は歌謡であったと推測される歌が多くある。今現存する日本最古の歌集である。巻数二十巻で、約四千五百首の歌を収めている。作者層は、天皇から一般の人々いたるまで幅が広く、地域は大和を中心都市ながらも、東国、九州などと、広がりある。漢字を表音文字として用いた万葉がなは、表記の特徴とな

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①奈良薬師寺の仏足石歌碑(ぶっそくせきかひ)に刻まれる21首の歌。
歌体は一字一音の万葉がなである。 ②平安中期の天元四年(981)に書かれた和琷の譜本「琷歌譜」も
あり、21首の歌謡は万葉がなで記されていた。
(2) 歌体: ①片歌:もっとも単純な形式で、五七音に七音を加えるも の(577) ②旋頭歌(せとうか):片歌を二回繰り返す。(5775 77) ③短歌:和歌の代表的な形で、五七を二回繰り返し、七音 を加える(57577) ④長歌:五七音を三回以上繰り返し、最後に七音を加える (575757…….577) 表現:枕詞、序詞、反復や対句を多用した。 枕詞(相当于定语):一定の語の上にかかって、修辞また は句調を整えるのに用いる。五音をほとんどである。 例:茜(あかね)さす日=>「あかねさす」は枕詞 足引きの山=>足引きの 序詞(じょことば):ある語句を引き出すために、前置に なる語句 音節が不定
『古事記』

1、「古事記」 (1)成立の時間:712年 元明天皇の時 (2)紀伝体で書かれ、3卷に分けられる。現存している日本最古の古典で あるからその中の神話・伝説・歌謡などが後世の文学に大きな影響を与え ている。 (3)完成の過程: ①天武天皇は帝紀や旧辞(本辞)を比較整理して、 稗田阿礼(ひえだのあれ)に読み習わせた。 ②元明天皇は阿礼の読み習ったものを 太安万侶(おおのやすまろ)に命じて選録させ、5年間を経て完成した。 (4)目的:壬申の乱の勝利を収めた天武天皇は天皇の系統を明らかに し、天皇中弖の国家伝承の正当性を後世に伝えるためである。
現存最古の和歌集――「万葉集」
1、地位:現存する最古の和歌集であり、全二十巻、約4500の歌が収め
られている。 2、成立時間:奈良時代末期 3、作成: 「古歌集」、 「柿本人麻呂歌集(かきのもとのひろまろ)」 「類聚歌林」(るいじゅうかりん)などの先行歌集を資料とし、数 回の編集家庭を経て、その最後段階に大伴家持(おおとものやかも


(三)詩歌
:、歌謡: 定型的な和歌が発生する以前、人々の感情を表すのは歌謡である。
1、古代歌謡:
形式、内容が洗練された「うた」である。その歌体、技巧は後の和歌 の成立の母体となっている。
2、記紀歌謡:「古事記」、「日本書紀」に収められる歌謡
数:重複のものを除くと、200首ぐらいがある。 3、ほかの歌謡:

玉带亩火山, 橿原知日圣王出, 所生一切神, 代代绵延似樛木, 来把天下治。 空中俯瞰大和国, 缘何置一旁? 怡红快绿奈良山, 翻越作何想? 虽是离天偏僻地, 却有浪拍岩, 浪花飞溅淡海国, 细浪大津宫, 天皇大神治天下, 闻说即在此。 虽说大殿即在此, 春草繁茂生, 霞光万道春日朦, 百千石与木, 筑就昔日大津宫, 今见宫址心悲伤。
ち)が全体に関与した。
4、構成: 基本的に雑歌(ぞうか)、相聞(そうもん)、換 歌(ばんか)の三大部立(ぶだて)からなる。 雑歌:公的性格の濃い歌で、行事、旅、宴食などの歌約1550首 相聞:親子、兄弟などの贈答の歌を含み、恋愛の歌が多い。約
1700首
とむら
挽歌(ばんか):死者を弔う歌、約200首
第二期:
1、時間:壬申の乱後――平城遷都(710)約40年文武天皇を中弖とする藤
原京の全盛期である。
2、歌体:短歌、長歌の形式が完成され、長歌が特に発達し、専門的な宮廷
歌人として柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)が現れ、「万葉集」 最大の歌人と評価された。 3、歌風:雄大な構想と荘重な調べ 4、歌人:柿本人麻呂、高市黒人(たけちのくろひと)、大津皇子(おおつ のおうじ)、大伯皇女(おおくのひめみこ)、志貴皇子(しきのみこ)

畝山麓の橿原の宮に御即位になった神武天皇の御代からお 生まになった御歴代の天皇の全てが、次々に大和で天下を 治めになったのに、その大和をさしおいて、奈良山を越え てどのようにお考えになったからか、遠い田舎ではあるが、 この近江の國の大津の宮に移って天下をお治めになったと いう天智天皇の皇居は、ここだと聞くが、御殿はここだと いうが、今は春草が生い茂り、春の日が霞んでいるでいる。 この大宮の跡どころを見ると悲しいことだ
第一期:初期万葉の時代
1、時間:舒明天皇(629-641)―――壬申の乱(672)
2、歌体:五音、七音の定型に落ち着き始めている。短歌の形式が一応完
成した。
3、歌風:素朴で明るく大らかな歌風 4、歌人:雄略天皇、舒明天皇、天智天皇、天武天皇、有間(ありま)皇 子、額田王(ぬかたのおおきみ)など 。特に額田王が優れている。 5、推古天皇(592-628)までは萌芽期である。年代の明記された最古の ものは仁徳天皇の皇后繁姫(いわのひめ)の歌である。

神話
二つの系統 1高天原(たかまがはら)神話系統

伊邪那岐と伊邪奈美の国づくり神話

2出雲神話系統
伝説
神話より現実性が強く、世俗的・歴史的で あり、英雄や物事の起源に関する話が多い。 記紀や「風土記」に載せられたものはまた 天皇の命によって撰進されたから、伝説の 主人公も天皇一族の人が普通である。(神 武天皇) 代表的なものは「出雲風土記」の国引き伝 説、「丹後風土記」の浦島伝説など
と)、山部赤人(やまべのあかひと)、高橋虫麻呂(たかはしのむし
まろ)、笠金村(かさのかなむら)、大伴坂上郎女(おおとものさか
のうえのいらつめ)
第四期:
1、時間:天平六年(734)――天平宝字三年(759) 天平文化の極点に達した時期で、奈良時代の中期にあたる。 2、歌体:日常の私的な歌として短歌が盛んに詠まれるようになった。贈 答用の相聞歌が最も多い。 3、歌風:文化の爛熟のおかげで、政治のゆきづまりや不安が生じ、その 反映として和歌は力強さを失い、感傷的退廃的な傾向が現れた。 4、歌人:大伴家持(大伴旅人の子)が憂愁で感傷な表現に独自の境地を 開き、代表的歌人とされる。また、中臣宅守(なかとみのやがも
第三期:
1、時間:平城遷都(710)--聖武天皇(しょうむ)(724-729)の大平5年 (733)までの約20年間 2、歌風:中国の思想文化の摂取、個性的な読みぶりが重じられて、私的な 感情を詠んだ。抒情歌にすぐれる歌人が登場した。
3、歌人:山上憶良(やまのうえのおくら)、大伴旅人(おおとものたび
5、分類:巻によっては、以下の種類に分類される。


正述弖緒歌:比喩によらず、弖情を直接に述べる歌。
寄物陳思歌(物に寄せて思いを述べる歌):事物、景物に弖情を
託して表現する歌。
比喩歌:暗喩によって、弖情を表す歌。 三者が関連し合っている場合が多い。 6、歌体:短歌は九割を超えるがほかに長歌、旋頭歌もある。 7、特色:万葉がなの使用=>漢字の持つ意味を取り除いて、表音的に使用 する。 8、「歌風の変遷」:「万葉集」の歌風は「ますらをぶり」と言われ、その 変遷によって四期に分かれる。その中弖は第二、第三期である。

『風土記』

(1)完成の時間:713年(和銅6年) (2)作成:これは元明天皇の詔(みことのり)に応じて選進さ れた諸国の地誌である。 現存するのは「常陸国(ひたちのく に)風土記」「出雲国(いずものくに)風土記」「播磨国(はりまの くに)風土記」「豊後国(ぶんごのくに)風土記」「肥前国(ひぜん のくに)風土記」 その中で唯一の完本は「出雲国物語」 (3)文体:大体漢文体で、歌謡は一字一音で記されている
り) 湯原王(ゆはらのおおきみ)女流歌人:笠歌女(かさのいら
つめ)、狭野茅上娘(さののちがみのおとめ)
「万葉集」には民衆たちが素直な感動の弖で詠んだ歌がある。
特に東歌と防人歌が異彩を放っている。
あずまうた、さきもりうた
①東歌:「万葉集」十四巻に収められるすべての歌。東国の民謡的な歌で
ある。
全体としては万葉前期に属する。広義には13、20巻の防人歌も含ま れる。
記載文学
『古事記』 『日本書紀』 『風土記』 『懐風藻』 『万葉集』

叙事文学
抒情文学
一、上代の叙事文学
神話・伝説・説話 神話 1呪術的、信仰的な想像力を持った超現実 的な物語。 2記載されたのは朝廷の命により撰進され たもので、皇室の権威を維持するため、政 治的意図による修正もある。 3内容はほとんど皇室についての話である。

日本文学史的划分



上代の文学 中古の文学 中世の文学 近世の文学 近代の文学 現代の文学
(794年まで) (1192年まで) (1603年まで) (1867年まで) (1926年まで):明治と大正 (1927年 -- 現在)
第一章 上代の文学
概観
1、上代とは 大和時代から794までの間 文学におい ては大和時代(約300―710)と奈良時代 (710-794)を含む。



日本書紀

(1)成立の時間:720年 元正天皇の時 (2)作成:元正天皇の命によって、 舎人親王(とねりしんのう)が編集した。 (3)内容:三十一巻の中で、一、二巻は神代、 ほかは歴代の国史である。神代から持統天皇までの歴史は編年体 で述べられる。中国の正史にならって「日本書」を目指した日本最初の歴 史書なので、正史としての性格が強い。 (4)文体:純粋な漢文体、それに万葉仮名で書く128首の歌謡

説話
民間に伝わる話で、モチーフによって起源 説話・神魂説話などに分類する。 信仰的な要素が失われ、話の構成そのもの に興味を置いたものである。内容はもっと 広い、主人公は、神や歴史上の人物とは限 らず、動植物や普通の人物であることが多 い。

記紀と『風土記』

記紀とは『古事記』と『日本書紀』とを合 わせた略称である。記紀と『風土記』は日 本の最初の整った記載文学である。
東国は地域的に遠江(とおとうみ)(静岡県)から陸奥(むつ)(東北
地方)にまで及んでいる。
防人歌:
「万葉集」の13、14、20巻に収められる防人たちの歌で、約百
首ある。
(当時の防人はほとんど東国から徴発され、九州地方に派遣する)
特に20巻にある九十三首の歌は大伴家持が採録したもので有名であ
る。 防人歌は徴発された兵士たちの歌で、東国の方言を交えて別離の 悲しみや苦痛を素直に歌っている。

原文: 君待跡 吾戀居
者 我屋戸乃 簾令動
秋之風吹

万葉集古歌
よみ: 君待つと我が 恋ひをれば、我が宿 の、簾(すだれ)動か
し、秋の風吹く

意味: あなた様を 恋しく待っていま すと、家の簾(す だれ)を動かして
秋の風が吹いてき
原文: 君之行 氣長久成奴 山多豆乃 迎乎将 徃 待尓者不待 よみ: 君が行き、日(け)長くなりぬ、山た づの、迎へを行かむ、待つには待たじ 意味:あなたがいらっしゃってから、ずいぶ んと日が過ぎてしまいました。山たづのよ うに、あなたを迎えに行きましょう、待っ てなんかいられないわ。

源自文库
口承文学と記載文学
口承文学とは 1文字のなかったごろから口から口へと言 い継がれてきたものである。 2神話・伝説・歌謡・祝詞 特徴は集団から生まれたもので、個人とし ての作者がないのである。

口承文学から記載文学

きっかけ 7cの初頭の頃になって、中国からの漢字の輸入 によって文字で文学を書き記すようになり、文学 も口承文学から記載文学に変わり、従来の集団性 格を持つ口承文学とは異質的な個人文学意識が生 まれてきた。口承文学もこの時期に入って文字で 記載するようになり、流動性を失って凝固される ようになった。
特徴・主な歌人

万葉集に特徴的な和歌として、感情や自然 の雄大さを素朴に表現したもの、庶民のこ ころを描いたもの、関東・東北地方を舞台 にして詠まれた「東歌」や、筑紫・九州北 岸地方での軍備・警護のために連れてこら れた人々の哀しい「防人歌」などがありま す。 主な歌人:額田王・柿本人麻呂・山上憶 良・大伴旅人・大伴家持など。
日本文学史的划分
歴史学のように政体の変遷に注目すること が必ずしも相応しいとは考えられないが、 目安にされることが多い。 又、以下のように、上代・中古・中世・近 世・近現代が行われているが、研究者に よって異論もあり、中古を設定しない場合 もある。近代と現代を分離するか否かにつ いても諸説あり、定まっていない。
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