日本近代文学史
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『浮雲』の主な登場人物
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内海文三 (うつみぶんぞう) ヒーロー。役所勤めをする23歳の知識人。13歳の 時に父を亡くす。幼尐時から成績抜群。立身出世を 求め、東京の叔父の家に寄宿する。実直であるが優 柔不断で、叔父の娘・お勢に惚れているが、言い出 せない。上司との関係がうまくいかなかったのでリス トラされてしまう。 お勢(おぜい) 文三の従妹。 本田昇(ほんだのぼる) 24歳。文三の同窓、後同僚。出世主義者。 お政(おせい) 文三の叔母。お勢の母。
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坪内 逍遥(つぼうち しょうよう、安政6年5月 22日(1859年6月22日) - 昭和10年(1935 年) 2 月 28 日)は明治時代に活躍した日本 の小説家、評論家、翻訳家、劇作家。 東京大学文学部政治科卒業。 『小説神髄』 ( 26 歳)『当世書生気質』を発表して写実に よる近代文学の方向を示した。 本名は坪内 雄蔵(つぼうち ゆうぞう)
日本近代文学史
啓蒙思想の文学
啓蒙家たち
福沢諭吉(ふくざわゆきち) 西周(にしあまね) 中村正直(なかむらまさなお) 加藤弘之(かとうひろゆき)
福沢諭吉(ふくざわ ゆきち)
天保5年12月12日~明治34年2月3日 (1835~1901) 明治の代表的な啓蒙思想家。 1868年慶応義塾を創設 『西洋事情』や『文明論之概略』などの著作 を発表し、明治維新後の日本が中華思想、 儒教精神から脱却して西洋文明をより積極 的に受け入れる流れを作った(脱亜思想)。
『小説神髄』
近代文学の方向を最初に明らかにした。 日本最初の近代評論。
『小説神髄』
1.
文学の自律性を主張した。 「小説は美術 ( 芸術 ) なり」と規定し、一 切の功利主義的文学観に反対して、芸術 としての文学の存在理由と価値を明らか にしようとした。
『小説神髄』
2.
文学の中心ジャンルに小説をすえた。 進化論を導入して、文学の歴史をジャ ンルの変遷の歴史と捉(とら)え、小説こそ 最も進化し、近代社会の複雑な現象を描 くのに最も適し、すぐれた形態であると、 小説の優位性を主張した。
天保3年5月26日~明治24年6月7日 (1832~1891) 慶応2年(1866)幕府遣英留学生の監督と して渡英。同人社創立者。 14年(1881)東 京大学教授、文学博士。個人の人格の尊 厳や個性と自由の重要性を強調した。
加藤弘之 (かとう ひろゆき)
天保7年6月23日~大正5年2月9日 (1836 ~1916) ドイツ学を研究 帝国大学総長を歴任
『浮雲』の新しさ
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言文一致体 描写の手法ー客観的リアリズム 人物の造型、心理面 新旧思想の対立
言文一致運動(明治20年代から)
写実性を目指した口語体実践運動 提唱者とその実践作:
二葉亭四迷
山田美妙
尾崎紅葉
『浮雲』 (だ体) 『胡蝶』) (です体) 『多情多恨』(である体)
日本のロマン主義(浪漫主義)
封建的社会から近代市民社会への転換期を背 景に生まれた。 それゆえ、自我の確立と拡充、思想と感情の自 由を急進的に求めたところに特色をもつ。 それは、西欧文化とキリスト教思想の受容による、 前近代的な儒教倫理や封建的習俗への反逆と なって現れた。 また伝統的な美意識による、西欧的な合理思想・ 功利主義への抵抗となって現れた。 この二つの相反する動きのはざまを母胎として、 日本の浪漫主義は成立している。
『小説神髄』
3.
写実主義を主張した。 つまり、小説家は戯作に見るような荒 唐無稽(こうとうむけい)な、或いは類型的 な人物を描くことではなく、現実的人間の 心理 · 性格や,世態風俗を描くべきだと、 写実の対象を規定し、写実の方法として、 主観を排して、心理学者のごとく観察· 分 析して、ありのままを純客観的に描くこと であると主張した。
日本のロマン主義(浪漫主義)
その先駆けは、森鴎外(おうがい)『舞姫(ま いひめ)』(1890)などの三部作や、『文学界 』(1893~98)に拠(よ)った北村透谷(とうこ く)の評論、島崎藤村の詩である。 彼らは美と自由を主張し、人間性の解放と 主情的真実を探り、自我の確立を目ざした。 ついで明治 20 年代末に登場した高山樗牛 (ちょぎゅう)は自我の充足と拡大を唱え、浪 漫主義の理論的裏づけを行った。
的とする小説。
末広鉄腸の「雪中梅」
政治小説の文学史的意義
文学的関心のたかめ いろんな階級の人々に創作的興味を起こ させたという結果
【写実主義】
現実をあるがままに再現しようとする芸術 上の立場。 リアリズム。 写実主義文学論の提唱
(一)、坪内逍遥(つぼうちしょうよう)の 『小説神髄』(しょうせつしんずい)
『金色夜叉』のあらすじ
「可いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の 今月今夜になつたならば、僕の涙で必ず月 は曇らせて見せるから、月が・・・曇つたらば、 宮さん、貫一は何処(どこ)かでお前を恨んで、 今夜のように泣いていると思つてくれ」 と貫一は叫び、宮の前から姿を消す。貫一は 復讐のために、高利貸(こうりがし)になる。 一方、お宮も幸せに暮らせずにいた。
樋口一葉 ひぐち いちよう
明治5年3月25日~明治29年11月23日 (1872~1896) 東京生まれ。歌人、小説家。 25年(1892)に発表した『うもれ木』は出世作 となり、「文学界」同人との交流を得た。『に ごりえ』(1895)、『たけくらべ』(1895)など 明治時代の貧困と身分差別の中で生きる 庶民の涙とため息、そこへの深い共感。
ロマン主義
一八世紀末から一九世紀の初めにかけての ヨーロッパで、芸術・哲学・政治などの諸領域 に展開された精神的傾向。 近代個人主義を根本におき、秩序と論理に反 逆する自我尊重、感性の解放の欲求を主情 的に表現する。憧憬( どうけい) ・ 想像 ・ 情 熱 ・ 異国趣味と、それらの裏返しとしての幻 滅(げんめつ) ・ 憂鬱( ゆううつ) などが特徴。
ロマン主義
文学ではルソー・ゲーテ・ワーズワースを先 駆とし、スタール夫人・シャトーブリアン・ラ マルチーヌ・ユゴー・ミュッセ・バイロン・シェ リー・キーツ・ノバーリス・シュレーゲル兄弟、 絵画ではジェリコ・ドラクロア・ゴヤ、 音楽ではシューベルト・シューマン・ショパ ン・ベルリオーズらに代表される。
日本のロマン主義(浪漫主義)
本格的な浪漫主義は、明治30年代の詩歌全盛の時 代とともに開花する。 主流となったのは、与謝野鉄幹(よさのてっかん)・晶 子(あきこ)夫妻を中心とする『明星(みょうじょう)』 ( 1900 ~ 08 )である。好んで星と菫(すみれ)を歌い 星菫(せいきん)派と称された。 その本質は、奔放な情熱による自我の解放と恋愛 至上と空想的唯美の世界への陶酔にあった。 藤村の『若菜集』( 1897 )の流れをくむ薄田泣菫(す すきだきゅうきん)、蒲原有明(かんばらありあけ)、 伊良子清白(いらこせいはく)らの浪漫(ろうまん)的 情緒がそれに続いた。
『当世書生気質』(とうせいしょせいかたぎ)
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『小wenku.baidu.com神髄』の実践作(長編小説) 当時新興の書生を対象としてその生活の 種々相を細かに写し出したところに新味 があったが、人物が類型的で、深い人間 探求や社会批判がなく、用語にも戯作調 が目立って、「新旧両時代の橋梁(きょう りょう)」と位置づけるべき作品だったとし か言えない。
金色夜叉(こんじきやしゃ)
尾崎紅葉著の明治時代の代表的な小説。 読売新聞に明治30年(1897年)1月1日~ 明治35年(1902年)5月11日まで連載され た。 作者逝去(せいきょ)の為、未完。 昭和に入って、度々、映画、ドラマ化される ようになった。
『金色夜叉』のあらすじ
一高の学生の間貫一(はざま かんいち) の許婚(いいなずけ)であるお宮(鴫沢宮、 しぎさわ みや)は、結婚を間近にして、富 豪(ふごう)の富山唯継(とみやまただつ ぐ)のところへ嫁(とつ)ぐ。それに激怒し た貫一は、熱海(あたみ)で宮を問い詰め るが、宮は本心を明かさない。
影
響
逍遥の文学理論と実作に内在する近代性 と前近代性(戯作性)の二重性のため、その 影響下の後の文壇には、
尾崎紅葉をかしらとする硯友社の文学と、
二葉亭四迷に代表される近代文学という、
二つの傾向を生み出す結果となった。
(二)、二葉亭四迷(ふたばていしめい) と『浮雲』
二葉亭四迷(1864~1909 ):
尾崎紅葉
尾崎 紅葉(おざき こうよう):
慶応3年12月16日(1868年1月10日)
- 明治
36年(1903年)10月30日) 日本の小説家。江戸生れ。帝国大学国文科中 退。明治18年(1885年)、山田美妙らと硯友社 を設立し「我楽多文庫」を発刊。 作品:『金色夜叉』(こんじきやしゃ )
擬古典主義
明治20年代、行きすぎた欧化主義への反 動から江戸文学、とくに西鶴(さいかく)にな らった擬古的な写実観に立つ文芸思潮。 尾崎紅葉(おざきこうよう)を中心とした硯友 社の作家や幸田露伴(こうだろはん)らの文 学をさす。雅俗折衷体(がぞくせっちゅうた い)と物語の面白さで受け入れられた。(近 現代文学事典) 樋口一葉(ひぐちいちよう)の文学も。
坪内逍遥の写実は「只傍観してありのままに模写 する」という現象の再現にとどまりがちであった。 二葉亭の模写は現象を本質との関係においてと らえ、写実における個々の意味深い現象を選択· 構成· 描写して、深い本質の表現をめざすもので あった。 『小説総論』は用語· 概念の未定着からくる難解、 簡略すぎて説明不足になったところもあるが、本 格的な近代リアリズムの文学理論を提出した画 期的な意義をもつ評論であって、『浮雲』の方法論 的母胎(ぼたい)となった。
翻訳文学
翻訳文学流行した理由
西欧に対する好奇心 外国文化、習慣、風俗に対する理解
伝統的文化の近代化
文学史的重要な点
純粋な文学書の翻訳の最初である 文体の面で片仮名交り漢文読み下し体の 文章 中江兆民(なかえちょうみん)
政治小説
政治小説とは
政治上の啓蒙、主張、宣伝、風刺などをその目
日本近代文学の創始者であり、批判的リアリ ズム文学の先駆者でもある。 2. 1886(明19)年『小説総論』を発表して、逍遥 の『小説神髄』より、はるかに徹底したリアリ ズムの実質を示した。 3. 翌年、『浮雲』を発表して、近代リアリズム文 学の創始者となった。
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『小説神髄』と『小説総論』
西周(にし あまね)
文政12年2月3日~明治30年1月31日 (1829~1897) 明治の啓蒙思想家。 (1862)から慶応元年(1865)までオランダ 留学。明治元年(1868)『万国公法』を訳 刊。 西洋哲学、論理学等の導入者として、多く の術語を考案した。
中村正直(なかむら まさなお)
硯友社(けんゆうしゃ)
明治期の文学結社。 日本において最初の文学社。 1885年、尾崎紅葉、山田美妙(やまだ びみょう )、 石橋思案(いしばし しあん) 、丸岡九華(まるおか きゅうか)によって発足。 「我楽多文庫」(がらくたぶんこ)(日本初の純文芸 雑誌)を発刊、当時の文壇で大きな影響を与える 一派となった。 明治36年(1903年)10月の紅葉の死によって解体 したが、近代文体の確立など、その意義は大きい。
日本のロマン主義(浪漫主義)
小説では、幻想(げんそう)と神秘の泉鏡花(きょ うか)、自然の永遠性を渇望する国木田独歩(くに きだどっぽ)、 翻訳では、鴎外の『即興詩人』( 1892 ~ 1901 )、 評論では綱島梁川(つなじまりょうせん)の神秘的 宗教論などがその実質を形成している。 このロマン主義の流れは、明治40年代に入って、 異国情緒とデカダンス(退廃、堕落)を重んじる傾 向へと変質していく。 この傾向を新ロマン主義とも、耽美(たんび)派と も称する。