日文文章和中文翻译三篇

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雪がやって消えて、春が訪れると、いろいろな木がいっぺんに芽を吹き出します。

生けがきのから松も小さな丸い芽を出します。

から松の芽をつまんでかいでみると、きついにおいが発散して、鼻の穴の奥をくすぐります。

わたしは春を確かめるような気持ちでいくつも芽を摘み取ったり、手のひらにこすり付けたりしました。

そして木の芽のにおいをかいで、季節を感じるなんて、わたしひとりだろうと思っていました。

单词注释
1、いっぺんに:一起
2、生けがき:篱笆,树篱笆
3、から松:落叶松
4、くすぐる:逗人发笑
译文
春天的感觉
冬雪消融,春天的脚步渐渐近了。

各种各样的树争先恐后的发出了芽。

用做篱笆的落叶松不知何时也发出了嫩绿的小圆芽,我摘下一片闻了一下,一股强烈的春天的味道扑鼻而来,直沁心脾。

我一起摘了好几片叶子,想要确认一下春天是否真的来了似的,在手掌中翻来覆去地把玩。

我想通过树的芽的味道来感觉季节的气息的人,只有我一个吧。

朝まだ眠っていた間に静かな雨が降っていた。

久し振りの雨であった。

日ごと吹きつづけていたはげしい風がやんで、しっとりと濡れたこずえを見れば、いかにも山の湯らしい気分をしみじみ感じさせられるのであった。

しばらく聞かなかった小鳥の声さえ、今朝は軒近く落ちついている。

近くの柴山には淡い霧が漂っている。

なんとなしに春がきたような暖かさである。

私は、ふと天城をみた。

そこには真っ白な雪がたにを埋めていた。

今朝の雨が、天城では雪になったのであった。

木の深いとこるだけが黒くとりのこされて、木の浅いところや、草山になっているあたりは、すっかり雪に被われてしまった。

それが里ちかくになるにつれて草山を登っている道のみがはっきりと白く雪をあらわしているところもある。

雪に包まれた天城は昨日とは見違えるほどに尊くも、寂しく、高くも思われる。

たしかに雪をいただく山を見れば、私自身の魂までが遥かな世界に還ってゆくような気がする。

单词注释。

1、しみじみ:深深的、深切的。

2、柴山:杂树丛生的小山。

3、すっかり:指用来描写完全被覆盖的样子,(可译成被覆盖的)严严实实。

4、草山:草木茂盛的山。

天城之雪
清晨,当我还在熟睡之际,外边下起了静悄悄的细雨。

好久没有下雨了。

平常日子天天刮得很猛的狂风也停了下来。

望着那湿漉漉的树梢,仿佛使人觉得恰是置身于山中的温泉之中。

清晨,从屋檐处传来了小鸟的鸣叫声,就连这鸟鸣也显得分外悠闲。

附近矮树丛生的山上漂浮着淡淡的晨雾。

天气暖洋洋的,好像春天到来了似的。

我蓦然抬首朝天成山望去,原来白雪已填满了那里的沟壑。

今晨的细雨,在天成山那里已变成了白雪。

只有树木茂密之处仍留下处处黑影,而那些树木稀疏或是野草丛生的山坡则已被皑皑白雪覆盖的严严实实。

随着山村得力临近,只有在那通往杂草丛生的矮山的山道上,残留着清清楚楚的白雪痕迹。

银装素裹的天成山与昨日相比,迥然不同,似乎给人一种神圣,孤寂与高大的感觉。

遥望那白雪覆盖的群山,我仿佛觉得就连自己的灵魂也似乎回到了那遥远的世界。

浅草東京の浅草寺「普通“浅草観音”と呼ぶ」を中心にして江戸時代から発達した地域。

土産物や伝統的な工芸品や玩具を売る商店、食べ物屋などが集中しているため、庶民に親しまれている。

東京の中でもっとも江戸時代の雰囲気がのこっている地区といえよう。

かつては、映画館や小劇場が多く、川端康成や高見順はじめ、浅草の庶民生活と軽演劇を愛好する若いインテリかこの地域を訪れ、作品にも描いたため繁華を際めたが、今むしろ庶民の町として観光客が訪れる名所になっている。

以东京的浅草寺(通常称为“浅草观音”为中心的浅草兴于江户时期,这里集中了诸多土特产、传统工艺品和玩具商店以及小餐馆,因而深受普通百姓的青睐。

可以说在东京,浅草是江户遗风最浓的地方。

从前,这里有很多电影院、小剧场,川端康成、高见顺等喜爱平民生活和轻戏剧的年轻知识分子曾常来浅草,并在他们的作品中加以描绘,浅草因此而迅速繁荣起来。

如今,浅草作为平民界已成了游客经常驻足的游览胜地
仙台を去つて後、私は多年写真をうつさなかつた。

それに状況も思わしくなく、通知すれば彼を失望させるだけだと思うと、手紙を書く気にもなれなかつた。

年月が過ぎるにつれて、今さら改まつて書きにくくなり、そのため、たまに書きたいと思うことはあつても、容易に筆がとれなかつた。

こうして、そのまま現在まで、ついに一通の手紙、一枚の写真
も送らずにしまつた。

彼の方から見れば、去つてのち杳(よう)として消息がなかつたわけである。

だが、なぜか知らぬが、私は今でもよく彼のことを思い出す。

私が自分の師と仰ぐ人のなかで、彼はもつとも私を感激させ、私を励ましてくれたひとりである。

よく私はこう考える。

彼の私にたいする熱心な希望と、倦(う)まぬ教訓とは、小にしては中国のためであり、中国に新しい医学の生れることを希望することである。

大にしては学術のためであり、新しい医学の中国へ伝わることを希望することである。

彼の性格は、私の眼中において、また心裡において、偉大である。

彼の姓名を知る人は少いかもしれぬが。

彼が手を入れてくれたノートを、私は三冊の厚い本に綴じ、永久の記念にするつもりで、大切にしまつておいた。

不幸にして七年前、引越しのときに、途中で本箱を一つこわし、そのなかの書籍を半数失つた。

あいにくこのノートも、失われたなかにあつた。

運送屋を督促して探させたが、返事もよこさなかつた。

ただ彼の写真だけは、今なお北京のわが寓居の東の壁に、机に面してかけてある。

夜ごと、仕事に倦んでなまけたくなるとき、仰いで燈火のなかに、彼の黒い、痩せた、今にも抑揚のひどい口調で語り出しそうな顔を眺めやると、たちまちまた私は良心を発し、かつ勇気を加えられる。

そこでタバコに一本火をつけ、再び「正人君子」の連中に深く憎まれる文字を書きつづけるのである。

我离开仙台之后,就多年没有照过相,又因为状况也无聊,说起来无非使他失望,便连信也怕敢写了。

经过的年月一多,话更无从说起,所以虽然有时想写信,却又难以下笔,这样的一直到现在,竟没有寄过一封信和一张照片。

从他那一面看起来,是一去之后,杳无消息了。

但不知怎地,我总还时时记起他,在我所认为我师的之中,他是最使我感激,给我鼓励的一个。

有时我常常想:他的对于我的热心的希望,不倦的教诲,小而言之,是为中国,就是希望中国有新的医学;大而言之,是为学术,就是希望新的医学传到中国去。

他的性格,在我的眼里和心里是伟大的,虽然他的姓名并不为许多人所知道。

他所改正的讲义,我曾经订成三厚本,收藏着的,将作为永久的纪念。

不幸七年前迁居的时候,中途毁坏了一口书箱,失去半箱书,恰巧这讲义也遗失在内了。

责成运送局去找寻,寂无回信。

只有他的照相至今还挂在我北京寓居的东墙上,书桌对面。

每当夜间疲倦,正想偷懒时,仰面在灯光中瞥见他黑瘦的面貌,似乎正要说出抑扬顿挫的话来,便使我忽又良心发现,而且增加勇气了,于是点上一枝烟,再继续写些为“正人君子”之流所深恶痛疾的文字。

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