文学概论
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参考文献
——易国定《黑龙江社会科学》(2012年02 期) ——吴兆汉《国外文学》(1986年03期) ——鹈月洋 雨月物语评释.角川书店,1969. ——瞿佑 剪灯新话· 外二种Βιβλιοθήκη 上海:上海古典 出版社,1981.
共通点
• ⑴新婚の主人は家を離れることになる。 • ⑵残された妻は美貌に惹かれた男に言い 寄られたが、断るなどして、心細く夫の 帰りを待ちわびる。しかし、彼女は、主 人が帰る日を待てなくて、死んでしまっ た。 • ⑶数年後、主人はやっと帰った。鬼に なった妻と再会した。
結論
• 《爱卿传》の中で、男主人公は妻の死を 知って十日間の後で、妻の霊と再会した のに対して、 《浅茅が宿》の男主人公は 妻と一夜過ごして、次の朝、妻がもう死 んだことを知った。このプロットの比較 から、二人の作者の創作手法が違ったこ とが見える。上田が高潮の部分に伏線を 敷いたが、瞿佑は直接に高潮に入って、 ありのままに述べた。
まとめ
• 以上の比較研究を通して、以下 の結論を得た。上田秋成は《爱 卿传》を参考したが、 《爱卿 传》と異なった作品を創作した。 《浅茅が宿》は日本的なものを 含んでいて、作者の創造力を示 した。
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その夜は惜別の思い語り頼れるものを失う女心はただ野 山をさまようごとき憂えの限りです。朝な夕なにお忘れ にならず早くお戻りください。命さえあればと思うもの の明日をも知れぬのが世の習い勇む心はおありでも、ど うぞ私を哀れみください、と言えばどうして、浮木に乗 るやも知れぬ他国に長居などしようか葛の裏葉が返るこ の秋に戻ってこよう心を強く持って待ちなさい、と慰め るうちに夜も明けたので鳥の鳴く東国を発って京へと急 いだ。 译文:临行前的夜里,宫木恋恋不舍道:“家中只剩下我 孤零零一个女人家再也无人依靠,就像山野迷途一样,忧 恐不安,但愿郎君朝夕不忘,尽早归来。只要一息尚存, 总有聚首之日,但世事无常,前途难卜,望郎君体察。” 四郎安慰道:“外出如同乘桴漂泊一样,怎能久留异乡。 等来年葛叶凋落的秋天我即回来,望你安心等待。”四郎 辞别故乡,赶往京城。 ——《浅茅が宿》
《爱卿传》 と《浅茅が宿》の プロットの比較
発表者: 张娟 张硕 张星 张影娜 赵璞
問題提起
• 《浅茅が宿》は 《爱卿传》によって翻案 されたものだ。いろいろ調べたあとで、 多くの研究者が《爱卿传》 と《浅茅が宿》 の中の人物について詳しく研究したが、 プロットに対しての研究はまだ足りてい ないとわかった。 • だから、これから、二つの作品のプロッ トをもっと深く比較しようと思う。
結論:
• 《浅茅が宿》の男主人公が七年の月日が 過ぎて、宮木のことを思い出して、家へ 帰ることを決めた、ということから、勝 四郎がちょっと情けない人だ、と思って いる。 • しかし、漆間の翁と話した後、妻の深い 愛を感じて、自分を反省することになっ た。 • こういうことから、勝四郎の成長が見え てきた。上田氏は、もっと豊富な男主人 公造形を作った、とわかった。
結論
• 《爱卿传》の女主人公が夫の上京に積極的 な態度を持っているのに対して、 《浅茅が 宿》の女主人公が消極的な態度を持ってい る。以上のプロットの比較を通して、上田 秋成は日本的な伝統観念によって、 《爱卿 传》の中の爱卿と違った宮木という新しい 女主人公を創造したとわかるようになった。
発展:夫が帰途する場面の比較
結論
• 《爱卿传》の中で、女主人公が一人の男 の子に転生したのに対して、 《浅茅が宿》 の中で、老人が手児女の伝説を語って、 男主人公が悲しい和歌を作った。以上の プロットから、 《爱卿传》の作者の瞿佑 が希望に満ちた結局を作ったのに対して、 《浅茅が宿》の結局は悲劇な色彩があっ て、人を感動させる。
• 変り果てた土地の中、やっと我が家に辿り着い た。よく見ると、隙間から灯がもれている。も しやと思って咳をすると、向うから「誰(た そ)」と声がしたのは、しわがれてはいるけれ どまさしく妻、宮木のものだった。 • やがて、勝四郎はことの経緯、宮木は待つつら さを語り、その夜はふたり、ともに眠った。次 の朝勝四郎が目が覚めると、自分が廃屋にいる ことに気づいた。一緒に寝ていたはずの宮木の 姿も見えない。勝四郎はやはり妻は死んでいた のだ、と分り、家を見て回っていると、元の寝 所に塚がつくられているのがあった。 • ——《浅茅が宿》
結局の比較
• 天色渐渐明亮,爱卿忽然消失,不再看得见她的 影子了。此时,空旷的房间里静悄悄的,寒夜的 孤灯半明半灭。赵家公子急忙起床,整理行装, 径直赶赴无锡,寻找宋家的住址。等到敲开门, 原来,宋家果真得了一个男孩,那妇女已经怀孕 二十个月了。但是,孩子自从降生之后,至今啼 哭不止。赵家公子详细叙述了往事,请求见一见 面,那孩子果真一笑,以后就停止了哭声,宋家 于是就给孩子取名为罗生。此后,赵家公子请求 与宋家结为亲属,从此两家往来馈赠,一直书信 不断。 • ——《爱卿传》
発端:離れる場面の比較
• 赵家公子有一个父系亲属做了吏部尚书,从大都写信来召 他去,答应任命他担任江南的一个官职。赵家公子很想前 往,但又担心使老母弱妻受忧患;而不去呢,则又恐怕失 去功名的机会。踌躇再三,不能决定。 这时,爱卿对他说道:“贱妾听说男子出生,就要以桑 木为弓,用篷作箭,来射天地四方,长大以后,就要立身 扬名来显扬父母,怎么可以因为恩情深厚,而耽误功名的 机会呢?郎君的母亲在高堂,侍奉她生活起居,供给她可 口的食物,贱妾担任这个职责,是绰绰有余的。只是婆婆 年事已高,身体多病,而郎君又要万里远行,古人说: ‘奉事主上的日子多,而报答父母的日子少。’郎君应该 经常想到这些。远望太行山的孤云,存恤西山的落日,不 可不早早归来。”赵家公子听了这话,于是选择吉日,作 京都之行。 • ——《爱卿传》
高潮:夫妻の再会の場面の比較
• 赵家公子抚摸着妻子的尸体大哭,哭得死去活来。随即用香汤给亡妻 沐浴,再给她穿上华丽的服装,买了棺木,附葬在母亲的坟旁。赵家 公子哭着说:“娘子,你平日的聪明才智,同辈人都不及你。如今你 虽然已经死了,又怎么可以混同一般的平庸之人,就断绝了声响?你 黄泉之下如果有知,希望能让我见上一面。虽然阴阳异途,人人都忌 讳害怕,但是我们的恩爱之情深切周至,确实不会产生疑虑。”于是, 出门就到妻子的墓前祈祷,回家,就在后面的园圃哀哭。 差不多过了十天,一个月色昏暗的夜晚,赵家公子独自一人坐在中 堂,想睡又不能入眠,忽然听到暗中有哭声,起初很远,后来渐渐地 近了,他觉得有点奇怪,就站起来祝告说:“倘若是娘子之灵,为什 么不能见面叙叙旧呢?” 话音刚落,就听到回答说:“贱妾就是罗氏啊,感谢郎君想念我。 我虽然已在阴间,但确实非常哀伤,因此今天晚上让郎君有所知闻。” 说完,赵家公子感到好像有人在走动,慢慢地到来,相隔五六步的 光景,就可以辨别她的相貌,一看,果然是爱卿。她淡妆素服,完全 同过去一样,只是用丝巾围裹着脖子。 • ——《爱卿传》
• 过了不久,张士诚要求与元朝通好言和,浙省的 杨完者参政被杀害,他的部下都四散逃跑。赵家 公子这才从海路辗转南下,从太仓登岸,再直接 回嘉兴。 赵家公子听了,十分悲伤,就到银杏树下发掘, 只见爱卿的容貌,还像活着的时候一样,皮肤一 点也没有改变颜色。 赵家公子抚摸着妻子的尸体大哭,哭得死去活 来。随即用香汤给亡妻沐浴,再给她穿上华丽的 服装,买了棺木,附葬在母亲的坟旁。 • ——《爱卿传》
• 勝四郎はやはり妻は死んでいたのだ、と分り、家を見て 回っていると、元の寝所に塚がつくられているのがあっ た。そこに、一枚の紙があった。妻の筆跡で歌が書いて ある。「さりともと思ふ心にはかられて世にもけふまで いける命か」これを見て勝四郎は改めて妻の死を実感し、 伏して大きく泣いた。妻がいつ死んだのか知らないのは 情けない話だ、事情を知っている人に会おう、と外に出 ると、すでに日は高くなっていた。 • 近所の人に聞いて、ひとりの老人を紹介してもらった。 老人は、勝四郎も知る、ここに古くから住む漆間の翁で あった。漆間の翁は、勝四郎がいなくなったあとの戦乱 で乱れたこの土地の様子、宮木が気丈にもひとりで待っ ていたが、約束の秋を過ぎて次の年の八月十日に死んだ こと、漆間の翁が弔ったことを語り、勝四郎にも弔いを すすめた。その夜はふたりで、声をだして泣きながら、 念仏をして明かした。そして、漆間の翁がこの土地に伝 わる真間の手児女の伝説を語るのを聴いて、勝四郎は一 首詠んだ。「いにしへの真間の手児奈をかくばかり恋て しあらん真間のてごなを」この話は、かの国に通ってい る商人から聞いたものである。 • ——《浅茅が宿》
• 関東の方で戦乱が起きていることを知って、急ぎ故郷に 帰る途中、木曽で山賊に襲われて財産を全て奪われてし まった。また、この先には関所があって、人の通行を許 さない状態だと聞く。勝四郎は宮木が死んでしまったと 思い込み、近江へと向かった。ここで勝四郎は病にかか り、雀部の親戚の児玉の家に厄介になることになる。い つしかこの地に友人もでき、居つくようになり、七年の 月日が過ぎた。近頃は近江や京でも戦乱がおき、勝四郎 は宮木のことを思う。そして、故郷に帰ることにした。 十日余りで着いたのは、夜になってのことだった。変り 果てた土地の中、やっと我が家に辿り着いた。 • 漆間の翁は、勝四郎がいなくなったあとの戦乱で乱れた この土地の様子、宮木が気丈にもひとりで待っていたが、 約束の秋を過ぎて次の年の八月十日に死んだこと、漆間 の翁が弔ったことを語り、勝四郎にも弔いをすすめた。 その夜はふたりで、声をだして泣きながら、念仏をして 明かした。 • ——《浅茅が宿》