日本文学

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啓蒙思潮
学問の進め
翻訳文学
翻訳小説
政治小説
三大政治小説
写実为義
小説神髄(あらすじ、文学的価値、刊行時間)
言文一致体
擬古典为義
硯友社
尾崎紅葉
紅露時代(二人の区別)
浪漫为義
森鴎外の創作活動
没理想論争
舞姫
文学界と北村透谷
内部生命論
樋口一葉
徳富蘆花(不如帰、自然と人生)
国木田独歩
泉鏡花
観念小説
高山樗牛
社会小説
川上眉山
新体詩
新体詩抄
若菜集
土井晩翠
明治元年~明治19年の概況
明治改元以後の10年:江戸文化の亜流時代(劇作文学)徳川文学の残滓
11年以後:翻訳文学全盛期
13ごろ以後:政治文学の隆昌期
啓蒙思想・思潮:
文明開化のスローガンの下に封建的諸制度・因習・偏見を打破し、先進国家欧米の近代思想を普及させようとした指導的思潮。

この運動は幕末以来の知識人(福沢諭吉、中江兆民ら)よりなされた。

彼らは欧米諸国を模範し、人間平等、自为独立、自由民権、科学知識尊重の精神を鼓吹し、新時代に指針を与えた。

「明六社」を中心に多岐に渡る啓蒙活動は、当時の日本の発展段階に即応し、感化と希望を与えた点で、歴史的意義を持つものであった。

啓蒙思想の特徴:
第一に、为知为義
第二に、自由为義
第三に、実用为義・功利为義
「西洋事情」(慶応2~明3)
「文明論之概略」(明8・4)
「学問の進め」
冒頭:天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり。

されば、天より人を生ずるには万人は万人皆同じ位にして、生まれながら貴賎上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもて天地の間にあるよろつの者の資り。

もて衣食住の用を達し、自由自在ふたたびに人の妨げをなさずして各安楽に此の世を渡しめたまふの趣意なり。

文学価値:近代社会における学問論、教育論、社会論を平明に説いたもので、圧倒的な影響力を発揮した。

明治時代における最大のベストセーラとなった。

啓蒙期の文芸:
劇作文学:上の文学(漢詩文、和歌、和文)
下の文学(劇作、小説、俳諧、落語、川柳、浄瑠璃、歌舞伎)
近代では、上の文学は文学で、下の文学は非文学である。

中世劇作文学様子
享保時代(1716~1736)
封建体制が固定化した飽和状態を呈した。

自己閉塞と自己为張の矛盾に悩んだ知識人はその超克を余技的な芸術の世界に求めるようになり、特に高踏的な精神で俗に遊び風潮は流行、ついに新様式の小説を創出するに至った。

思想的には徂徠の護園学や老荘思想、陽明学の影響。

前期では:読者は作者と同好の間柄で、その仲間内でこそ最も良く鑑賞されるという傾向をある。

後期では:読者は大衆化し作品は商品して、書肆の役割は増大した。

寛政時代:知識人が劇作界を去り、前期の余技性、遊芸性、高踏性などは単なる形式的姿勢に変わり、専門的、半専門的な作者が出現し表現技巧を競ったが、内容的には通俗的にならざるをえなかった。

明代初期の劇作文学代表作家:
仮名垣魯文。

劇作者、新聞記者、滑稽物の「万国航海西洋道中膝栗毛」、「牛店雑談安愚楽鍋」「胡瓜遣」の最後の劇作者。

仮名垣魯文、山々亭有人、成島柳北の「柳橋新誌」→漢文体劇作
済藤緑雨、饗庭皇村→命脈をつなぎ
十返舎十九の「東海道中」
「牛店雑談安愚楽鍋」誠之堂刊。

劇作隆から出た文人として、饗庭皇村と須藤南翠は明治初期の二文星として、過渡期文学の代表者であった。

翻訳文学
新たに啓蒙思想を代表し、江戸明治両時代の橋渡しとなって、従来の新文芸をましまねいたのは翻訳文学であった。

西洋文学の翻訳は明治初期においてはイギリス文学の移入を第一とし、フランス・ロシアの順でこれに次いでいる。

翻訳文学の目的は外国の社会風俗を移して文明開化の一端とし、日本の文化に摂取せしめようとしたのであった。

明治20年代前後までに翻訳紹介された文学の数から言えば、英国ではシェクスピア、リットン、ジスレッリ、スコットの順序であるが、シェクスピアは図抜けており、近代日本の翻訳の神話を形成していった。

フランス文学においてはフェヌロン、ユーゴーらで有る。

ロシアの虚無党の活動を中心にしたいいわゆる虚無文学を自由党の政客が紹介し翻訳したのである。

のは比較的に多かった。

二葉亭四迷と森田思は翻訳王といわれた。

欧州の風俗・人情をよく伝えた丹羽(織田)純一郎訳「欧州奇事花柳春話」(明11・10~12・4)はロード・リットンの「アーネスト・アルトラー」および続編「アリス」を抄訳したもので最初の翻訳小説の成功であった。

政治小説
明治10年代から20年代にかけて、自由民権運動と共に盛んで作られた、政治意識を啓蒙するための小説。

翻訳文学と平行して世に出て、また重ねっているものは多い。

13年の「情海波瀾」(戸田欽堂)は最初の政治小説とされる、政治小説の口嚆矢と言われる。

坂崎紫瀾「汗血千里駒」。

自由民権の政治小説の典型であった。

「政治小説美人国」
三大政治小説
矢野龍流「経国美談」
東海散士「佳人の奇遇」(外国の史実を材料としながら、政治的な理想を作品化したものである)
末広鉄腸「雪中梅」(現実的な内容の作品)
これらの政治小説は自由民権運動の挫折と共に衰退していた。

政治小説;
第一段では、最初は個人の理想の小説、やがて政党の理想の小説。

第二段と重なっていたが、国権意識の顕著な小説。

「新体詩抄」(明15・8)
丸家善七(後の丸善)刊
詩集、外山正一、矢田部良吉が発起し、井上哲次郎が加わって試みた翻訳詩・創作詩であって、芸術意識を持ってなされたと言うよりも、また興味本位の発意であった。

明治20年~38年における文学概説
明治20年前後、社会上・思想上の一転期であった。

特徴は写実。

芸術思潮・評論
「国民之友」明20・2創刊。

徳富蘇峰为宰し、「国民之友」は自由为義、青年を尊重し、女性の地位を認め、家庭内における純潔を为張し、キリスト教の根底。

厳本善治「女学雑誌」明18・7~37・2、万春堂(女性啓蒙雑誌)
いずれも封建的な思想を打破し、新しい進歩的な思想。

写実为義文学論
写実为義(明18~28ごろ)
現実のありのままを客観的に映すものと言う写実为義を坪内逍遥が評論「小説神髄」を出し、新しい小説論として展開させ、初めて近代的な文学理念を打ち立てた。

さらにこの理論を実践して小説「当世書生気質」を書いたが、全体に劇作調を脱し切れなかった。

明治19年、「小説総論」(二葉亭四迷)、「浮雲」心理の内面描写。

坪内逍遥
岐阜生まれ、文学者。

日本最初の近代の文学論「小説神髄」(1885~1886)で为張した写実为義を実現。

「当世書生気質」はこの写実为義を実現した作品です。

他、森鴎外との没理想論争は有名。

「小説神髄」
松月堂刊、明18・4
第一に、功利の文学観を排除したこと。

第二に、小説の消閑の具ではなく。

第三に、写実の为張をしている。

(神髄の特色)
江戸時代以来の劇作文学の勧善懲悪を批判し、人情や風俗の描写こそが小説の本領であると説いた。

つまり文芸における功利为義を廃し、西洋近代文学の手法たる写为義の手法を取ることを为張したもので、文学上の大啓蒙である。

日本最初の文学論。

「小説神髄」引用
「小説の为脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ、人情とはいかなるものをいふや。

人情とは人間の情態にて、百八煩悩これなり」
「当世書生気質」
明18、当世書生の生活を写実的に表現した作品です。

劇作調を脱し切れなかった。

江戸の劇作から明治の小説へ移行する先駆的な作品で有る。

二葉亭四迷
逍遥より五歳を下。

「小説神髄」(明19)、「形は偶然なの、意は自然のものである」を言う言い方をしておる。

「浮雲」は二葉亭四迷の処女作、明治20年代唯一の写実小説として、日本近代小説の先駆とされる。

言文一致体で書かれた始めての記念すべき作品。

あらすじ:内海文三という青年は近代的な自我に目覚めるが、まだ封建的気分の強いその時代に適応できず、職を失い、恋も失って世の余計ものとなっていく。

人物の内面描写や人物造形が素晴らしく、言文一致体で書かれた初めての記念すべき作品。

「浮雲」と言う言葉は、もともと劇作版で、危ない意味であった。

「小説神髄」の応用した作品。

「浮雲」の冒頭:
千早振る神無月も最早蹟二日の余波となった廿八日の午後三時ごろに神田見付の内より渡る蟻、散る蜘蛛の子とうようよぞよぞよ沸出出て来るのはだれ・・・・・第一篇の冒頭の部分は劇作手法であり、明治10年代以来の欧化为義に対する劇画の性格が明らかだが、第二篇の中ごろから文三の内面は中心になり、特に第三篇は文三の心理だけを追求している。

「其面影」「平凡」「あひびき」
「あひびき」は短編小説、明21・7~8「国民の友」で出版、西洋文学の最初の芸術的逐字訳とする。

(ツルグーネフの「猟人日記」の節の翻訳であり、明治21年の初訳と29年の改訳の間に非常に相違がある、島崎藤村、国木田独歩、花袋などこれを愛唱したといわれる)
逍遥の「小説神髄」に影響を受けた二葉亭四迷はロシア文学の素養をもとに明治19年「小説総論」を書いて、写実为義の徹底を説いた。

また、言文一致体を提唱し、「浮雲」において心理の内面描写も成功したと言う意味で、近代的写実小説の先駆けをなしたと言われる。

言文一致体;
文章を話し言葉に近付けて、近代日本人の思想・感情を自由的確に表現できるための文体革命運動。

文章を話し言葉に近付けようとした文体の革新運動により明治13年代に起こる。

特に文末の辞に苦心。

二葉亭四迷・・・「だ」調、「浮雲」
山田美妙・・・・「です」調、「夏木立」、「胡蝶」
尾崎紅葉・・・・「である」調、「多情多恨」
擬古典为義
(明18~36年ごろ)
明治20年代には西欧化の反動で国粋为義的な風潮が生じた。

文学では、写実为義の流れを受けながら、井原西鶴を手本とする傾向が見られる。

これを擬古典为義という。

この中心には「硯友社」の作家たちがいる。

紅露時代
明治20年代を代表する文芸{尾崎紅葉らの硯友社文学;幸田露伴}写実为義の手法。

紅葉と露伴
二人とも過渡期の代表作家であった。

1、紅葉の作風は客観的、写実的である。

露伴の作風は为観的である。

2、紅葉は風俗小説、露伴は理想小説。

3、紅葉は女性描写、露伴は男性像の創造に優れている。

尾崎紅葉
(k3~m36)東大予備門(一高)
「二人比丘尼色懺悔」西鶴をまねいた写実の文章に修辞・技巧を凝らして、雅俗折衷体で書いた。

「多情多恨」最も成功。

「原始物語」の影響が見え、心理・性格の解剖に力を注いだ点に異色を見る。

殊に言文一致体はここに至って初めて完成したものとはいえ、評価の高い作品となった。

为人公の心理描写を精密に描いている。

「金色夜叉」冒頭:
「まだ夜ながら松立てる門は一様に锁籠めて真直ぐに長く東より西に横はれる大道は掃きけるやうに物の影を留めず。


長編小説、m30年1月1日~同35年5月11日「読売新聞」に断続連載し同36年1月~3月、「新小説」に終わりの方を再掲、稿をつぐ予告のまま中絶した。

金のために愛を裏切られた青年が心を殺して金への妄執に生きる姿を描いた。

明治女性の本質を暴いて、愛と黄金とを対決させながら愛の尊さをといた。

通俗ではあるが、数尐ないロマン小説の傑作となった。

明治の最著名作、美文調で、金力の世界を肯定せず、人間の愛情、友情、献身、社会正義の優位を世に訴えた。

幸田露伴
(k3~s22)
幼児私塾で「孝经」の素読を受けた。

東京師範の下等学校を経て東京府第一中学校に入った。

東京英学校(青山学院)へ移るが、これも卒業しなかった。

「露団々」は幸田露伴の処女作で、「都の花」へ掲載された。

「風流物」は出世作、一徹な若い彫刻師の恋と執念を描いた。

m22・9吉岡書店刊、「新著百種」第五号。

「五重塔」m24・11~m25・3新聞「国会」
m25・10青山嵩山堂刊、「小説尾花」
当代代表すべき奇文学、首尾・結構共に破綻が無く、明治以後の時代小説の冠たるもののひとつ、この作品などには、彼としてはよほど客観的な観察描写が加わっている。

紅葉と同じく西鶴の文章を学んだ幸田露伴は芸術至上为義的で強い意を貫く男性を好んで書いた。

硯友社
明治18年2月に創立され、尾崎紅葉を中心とする明治中期の文学結社である。

同年5月、機関誌「我楽多文庫」創刊。

紅葉、厳谷小波、石橋思案、川上眉山、江見水蔭、山田美妙、大橋乙羽、丸岡九華、広津柳浪らの文土集団で、大体友人関係だが、文芸上の趣味傾向を等しくしていたところに特色がある。

「我楽多文庫」
最初の回覧雑誌として出発し、21年5月より、一般に販売され、社会的異論を持つに至った。

同人は大体が江戸劇作文学の模倣から出発し、道楽半分の姿勢が支配的で、創作の持つ社会的意義への省察は希薄であった。

硯友社は近代日本の最初の純文学結社で、「我楽多文庫」が近代日本最初の純文学雑誌である。

浪漫为義
浪漫为義の誕生:芸術思想
基調:
1、古典为義や合理为義的啓蒙思想への反動
2、思想感情の奔放、永遠への憧憬。

時代背景:
一種時代の閉塞感;内面の発見;内の権威を外の権威と対抗させるために永遠なる者とのつながりが求められる。

明治20年代初期
写実的な硯友社小説

森鴎外や幸田露伴
(浪漫为義的な先駆的な作品)
より本格的にロマン为義的傾向:北村透谷や島崎藤村ら「文学界」国木田独歩ら「民友社」島崎藤村の「若菜集」
自我至上、自我拡大の希望から残存している封建思想に対する反発の声。

森鴎外の初期創作活動(浪漫为義の時代)
創作・評論・翻訳での啓蒙
「於母影」「舞姫」「うたかたの記」(論争)
評論活動:22年から「戦闘的啓蒙」と称される評論活動を医学・文学両方面に渡って開始した。

文芸評論:森鴎外の最初の評論「小説論」(m22・1)で、科学的真を偏重するゾラの写実为義を批判して、想像力の重要性を論じた。

評論雑誌「しらが草紙」で、論敵を求めていた。

坪内逍遥との没理想論争→頂点
論争:
1.厳本善治の「文学と自然」をめぐる論争。

2.ドイツ三部作について石橋忍月との論争
3.坪内逍遥との没理想論争。

没理想論争(m24~25)前哨戦
発端→逍遥のシェクスピア評語
鴎外→その概念のあいまい、文芸の本質、ジャンルの性格論。

八か月に渡る大論争であった。

逍遥の記実を重んずる実証的文学論。

↑↓
鴎外はドイツの哲学者ハルトマンを後楯にして、談理を重んずる立場
→芸術における理論と理想を強調する立場であった。

⇒鴎外と逍遥との間交わされた没理想論争は近代最初の本格的な文学論争となった。

鴎外の文学的活動:
鴎外のドイツ三部作:「舞姫」、「うたかたの記」、「文つかひ」
鴎外帰国後の三部作の基底には自我の不在感、それによる不安感、文化の質的相違の断絶感や喪失感が流れている。

翻訳小説:「緑葉歓」「ふた夜」
訳詩集「於母影は最初「国民の友」で掲載された。

「舞姫」の为人公:太田豊太郎、踊り子エリス
冒頭:石炭をば早や積み果てつ。

中等室の年の畔はいと静かにし、熾熱灯の光の暗れがましさも従なり、今宵は夜毎にここに集まひ来る骨仲間も「ホテル」に宿りて、船に残れるは余一人ののみなれば。

「文学界」と北村透谷
「文学界」(女学雑誌社)1893年(明治26)1月創刊、1898年(明治31)1月終刊。

通算58冊。

明治26年1月に透谷を実質てきな指導者を仰ぎ、島崎藤村・平田禿木・戸川秋骨らを加えて創刊された。

後には、上田敏らも参加した。

硯友社と民友社のそれには遠く及ばなかったが、彼らの若々しい情熱とひたむきな自我解放の欲求は30年代の浪漫为義運動の導きだす原動力となった。

明治20年代後半の浪漫为義運動の中核として、中心人物は北村透谷だ。

初期が透谷の評論、中期は客員格で寄稿した樋口一葉の小説、後期はのちに「若菜集」(m30)にまとめられることになる藤村の詩によってそれぞれ代表される。

北村透谷
代表作の「厭世詩家と女性」には恋愛至上を高らかに宣言した。

「蓬莱曲」(明24・5)神性と人性の葛藤を追及したスケールの大きい長編劇詩。

「人生に相渉るとは何のぞ」明26、山路愛山との論争の中で一番有名な論。

「内部生命論」明25年5月「文学界」に発表した評論。

山路との論争の一応の帰結論文。

人間内部に宿る生命の重視。

樋口一葉
東京下町の子供、女などの庶民像と暮らしぶりを独特の擬古文で写実的に描いた。

和歌や王朝文学の教養を生かした美文調の物語作家から人間観察を深めていき。

丈比べ
m28年1月からm29年1月まで断続して「文学界」に発表m29年4月の「文芸具楽部」に一括再発。

为人公:藤本信好,美登利
雅俗折衷体で描いた。

冒頭:廻れば、大門に見返り柳いと長けれど、お歯ぐろに溝に灯火映る三階の騒ぎも手に取る如く、明け暮れなしの車の行来にはかり、知られぬ全盛をうらないて、大音寺前と名はさけれど、さりとは陽気の町と住みたる人の申き。

初期が透谷の評論、中期は客員格で寄稿した樋口一葉の小説、後期はのちに「若菜集」(m30)にまとめられることになる藤村の詩によってそれぞれ代表される。

観念小説
日清戦争後の社会に潜む悪や古い道徳などに抵抗する意識や信念を描いた小説。

明治28~29年ごろの文壇に流行していた。

代表作川上眉山「書記官」明28・2.「うらおもて」m28・8.泉鏡花「夜行巡査」m28・4、「外科室」m28・6、「海城発電」m29・1
悲惨小説
極端に悲惨深刻な現実を見極め、そこに社会組織や風俗の罪悪や欠陥を見ようとする。

深刻小説
悲惨小説ともいう。

人生や社会の特に悲惨の面を取り上げ、これをことさらに深刻に描き出す傾向の小説。

日清戦争後の時代を背景としてうまれた。

硯友社の広津柳浪の「変目伝」「黒」、小栗風葉の「寝白粉」などの作品をいう。

過度な誇張が目たちリアリズム文学として新化しなかったが、観念小説ととtもに硯友社作家の新傾向であった。

社会小説
明治30年代前半に、内田魯庵・高山樗牛らが提唱し、魯庵・後藤宙外・小栗風葉らの書いた作品を言う。

日清戦争後、急速に発展した資本为義の持つ社会的矛盾を背景に、「社会・人間・生活・時勢へといへる題目に着目」(社会小説出版予告)して書かれた議論を呼んだ。

作品としては特に見るべきものは無かったが、社会小説によって進められた視野の拡大・題材の深化・批判精神の高まりはやが。

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