日语综合教程第六册课文翻译-第九课

合集下载

総合日本语 第9课 B

総合日本语 第9课 B

汉译日
• • • • • • • 我不在的时候,让您费心了。 我不在的时候,让您费心了。 研讨会之后去什么地方了吗? 研讨会之后去什么地方了吗? 我和陈老师会下还讨论了不少问题。 我和陈老师会下还讨论了不少问题。 弟弟昨天没来帮忙。 弟弟昨天没来帮忙。 远藤老师明天对一年级学生发布考试结果。 远藤老师明天对一年级学生发布考试结果。 考试题目没有一道题难。 考试题目没有一道题难。 早上我喝咖啡或橘子汁。 早上我喝咖啡或橘子汁。
写出下列词组的日语。
• • • • • • • • 去看红叶 参加研讨会 开临时餐饮店 乘上去日本的飞机 去打工 接近现实 照相 到达成田机场
用外来语写出下列单词的日语。
• • • • • • • • 演示 马来西亚 幻灯片 网球 羽毛球 舞蹈 打击 俱乐部 季节 伙伴; 伙伴;搭档 采访 网页 角色 网吧 题目
与「を」一起使用的表示移动的动词
• • • • • • 学校を通(とお)る、町を歩(ある)く 運動場を走(はし)る、空を飛(と)ぶ 山を登(のぼ)る、橋を渡(わた)る 角を曲(ま)がる、車を降(お)りる ( ) ( ) 公園を散歩(さんぽ)する 家を出(で)る 、川を泳ぐ
格助詞「で」
1.表示动 1.表示动作进行的场所和范围。相当于汉 表示 行的场所和范围 相当于汉 ……”。 语的“在……”。 • 子供たちが川で泳いでいる。(孩子们正 子供たちが たちが川 いでいる。(孩子们 。(孩子 在河里游泳) 在河里游泳) • 教室で宿題をします。(在教室做作业) 教室で宿題をします をします。 在教室做作业 • 体育館でバレーボールをします。(在体 体育館でバレーボールをします。(在体 でバレーボールをします。( 打排球) 育馆打排球)
关于工作和上班,过去日语中是分成脑力劳动和体力劳动的。脑力劳动用 于工作和上班, 去日语中是分成脑 劳动和体力劳动的 和体力劳动 劳动用 劳动用 但是现在已经不分脑 劳动和 “……に勤める”和体力劳动用“……で働く”。但是现在已经不分脑力劳动和 に める”和体力劳动 で 体力劳动 但是选择 动词与助 劳动, 选择的 与助词 系仍然保留。 体力劳动,但是选择的动词与助词的关系仍然保留。

第9课新版_标准日本语_上

第9课新版_标准日本语_上

应用课文
李: 小野さん、すばらしい 眺めですね。
小野:ええ、本当に。
李:
小野さん、それは何ですか。
小野:ああ、これは 温泉のお湯です。李さんも 飲みますか。 李: ええ。あまり おいしくないですね。
とおく
ないです。
甲:北京ダックは 食べましたか。 乙:はい、食べました。とても おいしかったですよ
应用课文
李: 李: 小野さん、この浴衣は ちょっと 小さいです
子供用ですよ。これを どうぞ
小野:あら、それは
これは ちょうど いいですね
小野:李さん、熱くないですか。
李: いいえ、ちょうど いいです。 とても 気持ちが いいですね。
6.この辞書は 古くない 古いない です。 7.さっき おいしいコーヒーを 飲みました。 ○
基本课文
甲:天気は よかったですか。 乙:いいえ、あまり よく なかったです。 甲:天安門へ 行きましたか。 乙:はい。 とても 大きい 建物ですね。
基本课文
甲:万里の 長城は 北京から 遠いですか。
乙:いいえ、あまり
第9課 四川料理は 辛いです。
基本课文
1. 四川料理は
2. このスープは
りょこう しせんりょうり
辛いです。
あまり
たの
から
熱く
あつ
ないです。
3. 旅行は とても 楽しかったです。
ひろ くに
4. 中国は 広い
国です。
本课重点


1.一类形容词
2.一类形容词作谓语的形式 3.一类形容词作定语的形式 4.あまり 一类形容词(否定形式)
くなかった 熱くなかったです。
寒くなかったです。

みんなの日本语 第9课

みんなの日本语 第9课


短文阅读回答问题 ワットさんは さくら大学の 英語の 先生 です。毎日 赤い自動車で 大学へ さくら大学は 大きい大学ではありませんが、 良い大学です。ワットさんは いつも食堂で 12時から1時 昼ごはんを 食べます。食堂は
行きます。
まで とてもにぎやかです。食堂の食べ物は おいしいです。そして、安いです。大学の仕事 は 忙しいですが、楽しいです。

程度副词「とても」和「あまり」 「とても」用于肯定句,“很,非常” 「あまり」用于否定句,“不太„,不怎么„” あの人は とても優しい です。
これは とても有名な映画 です。
今日は あまり寒くないです。
あの人はあまり親切じゃありません。

很漂亮,不怎么漂亮⇒
很好吃,不怎么好吃⇒
很安静,不太安静⇒ 很大,不太大⇒
2)用在句末,表示原因,“因为” 時間がありませんから、新聞を読みません。 音楽が好きですから、CDをたくさん買いました。

「どうして」
询问原因的疑问词,回答时候句末加「から」。
どうして行きませんか。/どうしてですか。 時間がありませんから。

○か、×か、判断してください。
1,ワットさんは大きい大学で英語を教えます。
2,ワットさんはあまり食堂で昼ごはんを食べ
ません。 3,食堂の食べ物は高くないです。
4,ワットさんの自転車は赤いです。
5,大学の仕事は暇ではありません。
第9課
残念です
1,単語
わかります あります 好き[な](すきな) 嫌い[な](きらいな) 上手[な](じょうずな)

あまり/全然(ぜんぜん) 表示程度小或者数量少的副词,あまり>少し
和否定相呼应。

日语综合教程第六册课文翻译-第九课

日语综合教程第六册课文翻译-第九课

应邀去看海。

专门为看海出门的事这还是第一次。

从孩童时期算起大约40年,在湘南的海边生活过来,所以用不着专门的盯着海看。

可能因我原来就是对风景感觉迟钝的人,所以对方如果是海这样的庞然大物的话,自己一方无论如何用力也无济于事。

只有不去惊动他。

他和太阳公公是同类,本不是从正面可欣赏的东西,是在那里安静的呆着才让人放心这种性质的东西。

我这样想着。

在大山怀抱中长大的人对山也一定怀有和我相似的感觉吧,而我进到大山深处时,会感到奇怪的焦躁不安,想要立刻逃回山外去。

因为这种原因,海也好山也好,景色优美的地方就让给新婚夫妇和老年旅游团去吧。

而自己感到有趣的则是公开表白“景色还是比不上人,再好的名胜还是比不上东京”这些平常遭农村人反感的话。

但是只有这次似乎不可以这么说。

无论如何这三天也得看着海度过—如果不这样的话,想回也回不去—是如此的悲壮之旅。

实际上我看日本海这还是第一次,虽然在玄界滩稍稍乘坐像游船似的船走过是走过,但那好像不能计入“看”的范畴。

并且如刚才所说,以海边长大的人的安心感,不管看到哪里的海也只不过想:啊,就那么回事。

”并对它不曾看过30秒以上。

日本海大概也就是那么回事吧,这样轻视地想,完全没有期待,在看之前担心可能会没有什么可报告的,于是想到也不可能中途不愿意就逃回来,便心生一计,决定带上一个健壮的朋友一起去。

是位以前从电视台一起工作时起就一直喝酒交往过来的老朋友、很对脾气的M君。

我给他打电话说:“有没有意思去山阴两二天,去吃螃蟹?”并对他说了“你什么也不用干,每晚泡温泉喝酒就行了”之类的好听的话。

而实际上我是企图把他作为摄影师和包雇的租赁汽车司机来使用的,像是欺骗凶恶鳖鱼的因蟠的白兔一样。

就这样,两个不懂风雅的男人结伴出发了。

来了一看,日本海是狂暴的海—这句话,作为徘句字数超出规定,作为结论又过于荒谬而不成体统,但作为我来说因是真实感觉所以没有办法,而且还不是从远处看的印象。

是将近两个小时在小船上挤来挤去,相当腻烦后的老实的感想。

标日第9课_EN

标日第9课_EN

第九課建物(1)デパートの建物(たてもの)は高い(たかい)です。

百货商店的建筑很高。

郵便局の建物は高くないです。

邮局的楼不高。

郵便局の建物は低い(ひくい)です。

邮局的楼矮。

動物園(どうぶつえん)はにぎやかです。

动物园里热闹。

図書館はにぎやかではありません。

图书馆里不热闹。

図書館は静(しず)かです。

图书馆里安静。

(2)李さんは友達と富士山に登(のぼ)りました。

小李和朋友去登了富士山。

富士山は高いです。

富士山很高。

李さんたちは途中(とちゅう)までバスで登りました。

小李他们乘公共汽车到了半山腰。

バスの中(なか)はにぎやかでした。

公共汽车里很热闹。

李さんたちは途中(とちゅう)から頂上(ちょうじょう)まで歩(ある)いて登りました。

小李他们从半山腰爬到了山顶。

頂上は暑(あつ)くなかったです。

山顶上不热。

少(すこ)し寒(さむ)かったです。

有点儿冷。

頂上には雪(ゆき)がありました。

山顶上有雪。

(3)山本:今大学は夏休みですか。

现在,大学放暑假了吗?李:はい、そうです。

先週(せんしゅう)友達と富士山にのぼりました。

富士山は高いですね。

放了。

上周我和朋友去登富士山了。

富士山真高啊!山本:ええ、3776(さんぜんななひゃくななじゅうろく)メートルです。

お天気はどうでしたか。

是的,有3776米高。

那天天气怎么样?李:とてもよかったです。

わたしたちは頂上まで登りました。

很好。

我们爬上了山顶。

山本:頂上までですか。

人(ひと)はおおぜいいましたか。

到了山顶?人多吗?李:ええ、多(おお)かったですよ。

とてもにぎやかでした。

是的,很多。

特别热闹。

単語:建物(たてもの)〔名〕楼房,建筑物高い(たかい)〔形〕高,高的低い(ひくい)〔形〕低,低的,矮,矮的動物園(どうぶつえん)〔名〕动物园にぎやかだ〔形动〕热闹静かだ(しずかだ)〔形动〕安静登る(のぼる)〔动1〕登(山)途中(とちゅう)〔名〕途中頂上(ちょうじょう)〔名〕山顶歩く(あるく)〔动1〕走暑い(あつい)〔形〕热少し(すこし)〔形〕稍微,一点儿寒い(さむい)〔形〕冷雪(ゆき)〔名〕雪ええ〔感〕唉天気(てんき)〔名〕天气どう〔副〕怎样,如何とても〔副〕非常,很いい〔形〕好おおぜい〔名〕 (人)很多多い(おおい)〔形〕多富士山(ふじさん)〔专〕富士山文法:1、です在日语的时态中,『现在时』和『将来时』是一样的。

6-第9课 大学生活

6-第9课 大学生活
例: 書く、泳ぐ、出す、立つ、死ぬ、 聴く 遊ぶ、飲む、作る、買う 、弾く、戻る 注:前面的汉字为动词词干。后面的假名为 动词词尾。
一段活用动词
①上一段活用动词 上一段活用动词的词尾为两个假名,最 后一个假名均为「る」,「る」前的假 名为「い」段假名。
所谓「上一段」,是以五十音图的五段 之「う」段为中心段,因「い」段位于 中心段「う」段之上一段,故以「い」段假名 作词尾的动词称之为「上一段」动词。
練習
行(い)く、注(そそ)ぐ、放(はな)す、
育(そだ)つ 死ぬ、並(なら)ぶ、取(と)る、買(か)う いる、起きる、落(お)ちる、似(に)る 食(た)べる、受(う)ける、上(あ)げる する、研究する、インタビューする 来る
3.叙述句

体言 は、が 动词(终止形)。(简体) 体言 は、が 動詞連用形+ます。(敬体) 构成叙述句,说明主语做什么。

練習
①学生在食堂吃饭。 学生は食堂でご飯を食べます。 小王在房间上网。
王さんは部屋でインターネットをします。
②中国人用筷子吃饭。(箸[はし]①) 中国人は箸でご飯を食べます。 我用电脑写论文。 わたしはパソコンで論文を書くます。
4-3补格助词「と」

体言+と 表示动作,行为的共同者




一時 二時 三時 四時 五時 六時 七時 八時 九時 十時
いちじ にじ さんじ よじ ごじ ろくじ しちじ はちじ くじ じゅうじ
じょういちじ
じゅうにじ
动词
动词是表示主体(人或事物)的存在、行为、
动作或状态的词。活用动词都以『う』段假 名结尾。 日语动词可分为词干和词尾两部分,词干不 发生变化,词尾发生变化。词尾的变化称为 “活用”。

Gckdpo日语综合教程五六册部分课文中日对照

Gckdpo日语综合教程五六册部分课文中日对照

秋风清,秋月明,落叶聚还散,寒鸦栖复惊。

日语综合教程第五册第一课海の中に母がいる山好きの血が父方から流れているとすると、海好きは間違いなく母から伝わっている。

終戦間もなく、不忍池のほとりを通りかかると、池端に、ははがしゃがみこんで池の面をじっと見ている。

声をかけると、母は照れたような顔で立ち上げり「ちょっと海がみたくなって」と言って笑った。

当時、東大のそばに住んでいたので、買い物のついでに不忍池で休んでいたのだろうが、その時の母の言葉が妙に忘れられない。

小学六年の夏、母の故郷の鹿児島の辺鄙な漁村で一月暮らしたことがある。

母の父は背の高い、強い人で、そこでずっと医者をしていた。

家から五十メートルほどで海に出る。

桜島や開聞岳の見える美しい浜辺だった。

母が海を見たいと言ったのは、その故郷の浜辺のことを考えていたのかもしれない。

今なら二時間もかからない鹿児島は、その頃は夜行や連絡船で二日かかる遠い国だった。

望郷の思いに駆けられても当然だったような気がする。

海好きといっても、心ゆくまで海と親しんだのはその夏だけで、あとは学校から海水浴にゆく程度だった。

おそらく海と切り離された状態がかえって海への憧れを掻き立てたのだろう。

大学を出る年、なんとしても海に関係する職業につきたいと重い、日本郵船に入社できないか聞きに行った。

対応に出た人事課長は「うちも、ほかの会社と同じですよ。

文学出身では、どうもね」と気の毒がってくれた。

船会社だから、全員が船にのれるものと勘違いしていたわけだ。

それでも、船に乗って、海を思いのたけ味わいたいと言う気持ちは、いっこうに衰えなかった。

幸いフランスに行くことになり、留学生は船に乗るように、という指示があった。

マルセイユまで三十三日の船旅――考えただけでも嬉しさで気が遠くなりそうだった。

しかし仲間の留学生たちは、なんでそんな無駄なたびをさせるのか、と不満だった。

私は一人海の喜びを満喫するため、四等船室を選んだ。

日语综合教程第六册课文翻译

日语综合教程第六册课文翻译

我家现有三只猫。

最近的孩子都很现实,所以他们向父亲询问:“猫究竞有什么用?”我被问住了。

不错,这么说来,狗可以防賊,或把扔出去的球拾回来,多少为人干点事。

但是猫呢?由于现在老鼠也不太看得到丁,所以它就是吃、睡、出去走走,饿丁就回来,然后再吃丁逐,仅仅如此,对人什么贡献也没有。

“什么用也没有这一点不就挺好吗?因为仅仅呆在那里就挺有意思。

”一我只能这样回答,但这恐怕不能成为对孩于的回答吧。

这个暂且不说,就仅仅是看着动物的行动,就令我感到快乐。

每当看到它们沿着松树或刺槐的树干,垂直一气上窜奸几米,为扑捉飞着的虫于高高地跳跃在空中时,好像在这时才会发出感叹,“动物做的是多么淮确而毫无徒劳的动作啊。

“畜生的卑鄙”之类的话在人的言里是有的。

但不能说都是这样。

有些作为母亲的人甚至不愿生育、养育孩于,扔掉孩于或让孩于死掉,在这样的世界上,猫的育儿却充满细心的情爰和无限的耐心。

说是育儿,也并不是老猫让孩于吃点心,给孩子买玩具,而只不过是把自己在草地上扑捉到的四脚蛇叼来给小猫之类而巳。

用奇妙的叫声呼唤孩于,孩于过去后“啪”的一下把猎物放下来,然后自己不经意地看着孩于玩耍四脚蛇。

怡如我们人的母亲照看自己孩于时满足、安心的表情,呆呆地看着。

还有,老猫在小猫吃盘于里的食物时,远远地一宜尊待,等小猫吃完后,再去吃期盼已久的小猫剩下的东西。

责备小猫时,老猫是何等温柔地啃咬小猫的啊,用收起爪的前蹄又是何等有分寸地拍打小猫咧,而绝不会进行责打。

“连不会说话的兽类,父母也竟如此对于女爱怜,何况人乎?”实朝的这句诗,实在是千真万确。

还不仅如此,可怜的是它们还日夜受到人类文明的惊吓。

连听到吸尘器的声音也会吓得发抖,喷气式飞机在头上低空飞过的话,慌忙躲藏到隐蔽处。

那低眉俯首、无容身之地的样于,使它变得更小。

人如果活得不易,它们也活得很不容易。

猫的数星増加以后,、家中到处都可见到散乱的小动物的尸骸,从四脚蛇到蚌蟒、蝗虫、蝗螂、蜂、金龟于、蝴蝶、蛾于、蟋蟀,有时甚至还有矮虫古之类。

第九课 お花见に行きます

第九课 お花见に行きます

句型解说
六、(用言连体形/名词+の)とき 解说 表示后项的状态、现象或动作成立的时间。相当于汉语的“„时”、 “„时候”。 例句 ○小さいとき、田舎の小さな村に住んでいた。 (小时候,住在乡下的小村子里。) ○休みのとき、母の手伝いをして掃除をします。 (休息的时候,帮妈妈打扫。) ○暇なとき、漫画を見て過ごします。(闲暇时,看漫画渡过。) ○寝ているとき、友達が家に来ました。 (睡觉的时候,朋友来我家了。) 注意:“とき”前面如果是动词基本形,表示动作尚未完成;前面如果是动词 过去式,表示这个动作已经完了。 ○ドイツへ行くとき、新しい鞄を買いました。 (要去德国时,买了新包。) ○ドイツへ行ったとき、新しい鞄を買いました。 (去德国时,(在当地)买了新包。)
B:まず、宿題をします。そ后上网。)
句型解说
五、(动词连用形)ましょう 解说 动词连用形(ます形)后接“ましょう”,表示邀请或提议对方与自己 一起做某事。稍有强加于人得感觉,礼貌程度不如“ませんか”高。相当于 汉语的“一起„吧”。
例句
○そろそろ帰りましょう。(咱们快回家吧。) ○いっしょにコーヒーを飲みましょう。(一起去喝咖啡吧。) ○A:いっしょにテニスをしませんか。(一起打网球吗?) B:ええ、しましょう。(好啊,一起去打吧。) ○A:食事に行きませんか。(去吃饭吗?) B:ええ、行きましょう。(好啊,一起去吧。)
句型解说
七、(名词/形容动词词干/形容词・动词・助动词终止形)でしょう 解说 本句型读升调时,表示说话人征求听话人的同意,或是需要对方的确认; 读降调时,表示说话人委婉的推测。相当于汉语的“„吧”。另外“でしょ うか”与“ですか”意思相同,表示疑问,但是语气上更加委婉。 例句
○A:あの人は田中さんでしょう。(那个人是田中先生吧?)

高级日语第六册第九课【的】の文化_日语综合教程1

高级日语第六册第九课【的】の文化_日语综合教程1

~に問いかける:質問しかける。「聴衆に問いか ける」 どうも:まったく、まことに。 なお: 年をとる:年齢が増す。また、老齢になる いっこうに~ない:少しも、ぜんぜん、完全に ~を耳にする:聞く。「噂を耳にする」 というものだ:あるものの功能とか内容などを のべる
七: 日本には「奥ゆかしい」という美意識がある。なんと なくもっと奥へ進んでみたい、もっと実態をつかんで みたい、という雰囲気をただよわせるものが、「奥ゆ かしい」という美意識の内容である。その美意識は、 逆には、はっりきいいきってしまうこと、明確にわかっ てしまうことは、かえってものごとのあじわいをこわす ものだという心理に展開してゆく。日本人が好きな芸 術論である「有心」にしても、「幽玄」にしても、「象徴」 にしても、みな「奥ゆかしさ」を求める心情とかよいあ っている。そのことについてわたくしは、「眩暈嗜好」 と題して何回かにわたって論じてきたが、ことばに、 それらしいもの、それに準ずるもの、それにあやかる もの、それに近いもの、などの余情を示す接尾語を つけて使おうとするのは、やはり日本人に固有の のあらわれである。
~らしい:体言、形容詞の語幹についてから形 容詞になる。何何感じがする。いかに も何何を思われる。 遠慮がち:言葉や態度が控え目であるさま。 「~に部屋に片隅に座る」「~にもの を言う」 すむ:不十分ながら、事態が収拾される。 よしたまえ:よし=止し たまう~命令形~たまえ 動詞第一連用形+たまえ=命令
~てみる:ためしに~する。「やってみる」 てみる:ためしに~する。「やってみる」 。「やってみる 展開する のべひらくこと。「眼下に する」 する: 。「眼下 ~に展開する:のべひらくこと。「眼下に~する」 かよう( ):何かそれと共通点をもつ。 共通点をもつ かよう(通う):何かそれと共通点をもつ。 にしても:その場合 例外ではないことを 場合も ではないことを表 ~にしても:その場合も例外ではないことを表す 「私にしても困る」 にしても困 にわたる:ある範囲にまで及 範囲にまで ~にわたる:ある範囲にまで及ぶ。

新版中日交流标准日本语.单词第9课

新版中日交流标准日本语.单词第9课
みず(水) 〔名〕 水,凉水
ゆかた(浴衣) 〔名〕 浴衣,夏季和服
ながめ(眺め) 〔名〕 景色,风景
くすり(薬) 〔名〕 药
てんき(天気) 〔名〕 天气
うみ(海) 〔名〕 大海
やま(山) 〔名〕 山
かみ(紙) 〔名〕 纸
ニュース 〔名〕 新闻
じょせい(女性) 〔名〕 女性
おきゃくさま(お客様) 〔名〕 来宾
グラス 〔名〕 玻璃杯
かぶき(歌舞伎) 〔名〕 歌舞伎
きもち(気持ち) 〔名〕 心情
たくさん 〔名〕 很多
からい(辛い) 〔形1〕 辣
あまい(甘い) 〔形1〕 甜
しおからい(塩辛い)∕しょっぱい 〔形1〕 咸
すっぱい(酸っぱい) 〔形1〕 酸
にがい(苦い) 〔形1〕 苦
おいしい 〔形1〕 好吃,可口
すくない(少ない) 〔形1〕 少
かわいい 〔形1〕 可爱
ほんとうに(本当に) 〔副〕 真的,实在是
あまり 〔副〕 不(太)~,不很~
とても∕たいへん 〔副〕 很,非常
すこし(少し)∕ちょっと 〔副〕 一点儿
ぜんぜん(全然) 〔副〕 根本(不),全然(不)
ちょうど 〔副〕 正好,恰好
あら∕あれ 〔叹〕 哎呀,咦
ああ 〔叹〕 啊
てんあんもん(天安門) 〔专〕 天安门
ばんりのちょうじょう(万里の長城)
〔专〕 万里长城
--------------------------------------------
きもちがいい(気持ちがいい) 感觉舒服,心情愉快
~用よう
まずい 〔形1〕 不好吃,难吃

日语第9课

日语第9课

引 言
课 文
词 汇Ⅰ 情景会话
练习
词汇Ⅱ
译文
黄 :是饭前吃,还是饭后吃? 医生:饭后。我再开点漱口药,请尽量多漱口。 过个2、3天烧就会退的。不用担心。但是 即使退烧了也还要按照我说的吃药,好好 休息。还有,压力积在体内对身体不好, 所以做做运动,把压力发散出去。 黄 :好的,我知道了。谢谢。 医生:保重啊。
引 言
课 文
词 汇Ⅰ 情景会话
练习
词汇Ⅱ
译文
但是在深海里工作和在月球上工作一样辛苦。 我们可以用望远镜看到月球表面,但没办法看到 海洋深处,所以对海洋里的情况还不是很了解。 据进化论说,人类是在很久以前是从海洋中的 动物进化来的。将来人类还有可能再在海洋中生活, 这真有趣。
译文 引 言 课 文 词 汇Ⅰ 情景会话
练习
词汇Ⅱ
课文
2 テレビのキャスター こんばんは。「ニュース・ワールド」です。皆さんは黄砂という言 葉をご存知でしょうか。「黄砂」は文字どおり5黄色い砂という意味で、 実は中国内陸部の砂が上空に巻き上がり、偏西風に乗って6日本などに 飛んでくる現象なんです。それが影響で時々空が黄色くなったり太陽 が見えなくなったりします。毎年中国各地で健康 面1や環境面や交通面 で黄砂被害が出ています。
引 言 课 文 词 汇Ⅰ 情景会话
练习
词汇Ⅱ
译文
医生:那首先量一下体温吧。张开嘴„„。啊,喉咙肿了嘛。好了。 黄 :医生,事实上最近一直没有食欲。偏偏最近要有个重要的考试。 医生:是吗。因为要考试,所以可能是压力太大了。应该经常放松一下。 黄 :知道了。 医生:让我看一下体温。38度5。很高啊。不睡觉的时候很难受吧。我想 是感冒了。我给你开五天的药。请早晚每次吃两粒。

综合日语教程第六册课后翻译答案

综合日语教程第六册课后翻译答案

1 东京大学に合格する可能性はわずかでもありませんか?そうとは言い切れませんが、よほど努力しない限り合格できないと思います。

2 敌に対抗する方法はたくさんあります。

しかし、敌が强すぎる场合は、最善策は逃げてしまうことです。

谚の三十六计逃げるに如かずというのもこの事を指しています。

3私は寝るともなしにベッドで横になっていましたが、いつの间にか眠ってしまいました。

目が覚めた时はすでに深夜2时を回っていました。

4 日本金融は空洞化し始め、海外の金融机関も日本拠点を引き上げ缩小を図っています。

日本で行われるはずだった取引もニューヨーク、ロンドン、シンガポール等、しかるべき国へ移されました。

日本では、欧米でできない取引のみを行っています。

5 今、勤めている会社の给料はともかく、仕事がとても疲れます。

最近はいろんな角度から今の仕事に向いていないんじゃないか考えています。

6 家族と友人の励ましがあったからこそどんな困难を前にしても臆病にならずにすみ、立ち向かうことができた。

これを武器にどんな峠でも�\り越えられるだろう。

7 高い评価をされたい訳ではありません。

実际の业务状况に见合った评価をしてもらいのです。

もちろん私自身も时々无駄な努力をしているように思いますが、ただ、まだ谛めたくないんです。

8 両国は社会制度を異にしているとはいえ、友好的につきあいながらそれぞれの発展を求めるという点については意見が一致しています。

9 父の病気はもう回復の可能性はないと知りつつも、奇跡が起こることを信じようとしている。

10彼は手纸の返事を书いていないんだろうね。

返事を书くような人じゃないし。

いや、书いたよ。

途中で手纸が行き方不明になったんだよ。

こういう可能性もないではない。

1 お世話にもレベルが高いとはいえない学校であるが、学生はかなり裕福な家庭の子共ばかりで、寄付金が多くて施設はどこもかしこも充実している。

2 素人の私は質については変わらないが、大きさからみて、このダイヤが一番高そうに思う。

新编日语第六册课文翻译

新编日语第六册课文翻译

第六册课文翻译第一课近代的黎明吉田精一一八六零年(万延元年),丰前国首领新见正兴和淡路国首领村垣范正一行作为日本政府首批正式外交使节团成员登上了一艘美国轮船,他们受命前往欧美签订日美通商条约。

同行的咸临丸号只不过是一艘不足300吨的小军舰,可大家仍然坚持要在舰长胜麟太郎的带领下,凭借日本人自己的力量首次横渡太平洋。

这一行人赶在使节团之前于三月十七日就抵达旧金山。

在这些人当中有个人叫福泽瑜吉。

这些人有生以来第一次踏上下方的土地,所见所闻无不令他们惊奇。

看到西洋人跳舞时妇女穿着袒胸露背的服装,男男女女手牵手,身贴身的情景,他们简直目瞪口呆。

在历来恪守“男女七岁不同席”封禁习惯的日本人看来,女性在公共场合露出肌肤,那简直是一件不可想象的事情。

而且他们从小就知道,男女之间就连交换物品时也不可以直接用手睇到对方手中。

当时西洋妇女正装的裙摆上镶着鲸骨和藤环,是裙摆如吊钟办般撑开来。

日本的使节们以为西洋人把裙摆撑开来大概是因为妇女下半身太肥胖的缘故,于是就唆使一少年去戳裙子以确认他们的猜测。

另一方面,美国的市民们用一种欣赏一种珍稀动物的似的眼光,饶有兴趣地看着这支头上扎着发髻,腰间别着佩刀的日本武士队伍。

随后,使节们环游了欧洲,只有咸临丸号一行人从美国直接回到日本。

在途经檀香山时,他们应邀参加了普纳荷学校的辩论大会。

这个大会引起了随行成员福泽瑜吉的极大兴趣。

他回国后,很快把在公众面前大胆陈事自己意见的训练方式引入到自己开办的学校。

在此之前,日本学生一直被灌输“祸从口出”(《童子教》),还有“言多必失”(《孔子家语》)之类的古训,所以很不习惯在众人面前大声称述自己主张。

因此,直到江户时代末,日本与西欧文明的国度相比,在风俗习惯上还是有极大的差别。

明治维新后,日本在努力引进和利用前所未有的技术和发明的同时,也在政治形态和经济组织方面努力追随西洋,而且在风俗和生活上也是急剧地西洋化。

于一八八三年(明治十六年)落成的日比谷鹿鸣馆里,就展示了政府高官的夫人和小姐们与蓝眼睛的外国人一起跳舞的情景。

新版 标准日本语初级 第9课

新版 标准日本语初级  第9课

返回
返回
返回
返回
返回

辛いです
小野:小野さん,すばらしい 眺めですね. 李 :ええ,本当に. 李:小野さん,それは 何ですか. 小野:ああ,これは 温泉の お汤です. 李さんも 饮みますか. 李 :ええ,あまり おいしく ないですね.
日 本 的 浴 衣
返回
りょうり(料理)[名] 料理 しせんりょうり(四川料理)[名] 四川菜 スープ [名] 汤 ペキンダック(北京ダック)[名] 北京烤 鸭 たべもの(食べ物)[名] 食物,食品 すきやき(すき焼き)[名] 日式牛肉火 烧 おんせん(温泉)[名] 温泉 おゆ(お汤)[名] 热水,开水 みず(水)[名] 水,凉水 ゆかた(浴衣)[名] 浴衣,夏季和服 ながめ(眺め)[名] 景色,风景 ゆかた(浴衣)
第9课
四川料理は 四川料理は
辛いです
単语 基本课文: 1,四川料理は 辛いです. 2,この スープは あまり 热く ないです. 3,旅行は とても 楽しかったです. 4,中国は 広い 国です.
第9课
四川料理は 四川料理は
辛いです
甲:天気は よかったですか. 乙:いいえ,あまり よく なかったです. 甲:天安门へ 行きましたか. 甲:はい,とても 大きい 建物ですね. 乙:万里の 长城は 北京から 远いですか. 甲:いいえ,あまり 远くないです. 乙:北京ダックは 食べましたか. 甲:はい,食べました.とても おいしかったですよ.
第9课
四川料理は 四川料理は
辛いです
温泉 李:小野さん,この浴衣は ちょっと 小さいです. 小野:あら,それは 子供用ですよ. これを どうぞ. 李 : これは ちょうど いいです. 小野:李さん,热く ないですか. 李 :いいえ,ちょうど いいです.

新标准日本语中级单词语法详解第9课

新标准日本语中级单词语法详解第9课

第9课生词表1てにもつがかり(手荷物係)[名] 行李员手荷物(てにもつ)係(かかり)どのような[连体] 什么样的,怎样的なふだ(名札)[名] 姓名牌,姓名卡胸に~をつけるよろしい[形1] 可以,行,好よいいいそれでよろしいこの作文はなかなかよろしいしょくいん(職員)[名] 工作人员,职员職員室よびだし(呼び出し)[名] 呼叫,传唤放送で~をしてもらう呼び出す友達に呼び出されて飲みにいったアナウンス[名] 广播;报告;通知いったい[副] 到底,究竟いったいどういうことですか。

あなたはいったい誰ですか。

君はいったい何を話したいですか。

ロビー[名] 大厅ホテルのホビーで待ち合わせるのちほど(後ほど)[副] 过一会儿,随后また~お会いしましょう。

……………………………………………………~どおり与~一样,按照~那样,原样,同样予定通りに、企画案を進める予定の通り李さんは時間通りに来た。

時間の通り生词表2 语法与表达ばか[形2] 胡扯,荒唐,不合理馬鹿なことを言うな馬鹿もん馬鹿もの馬鹿馬鹿しいそんな馬鹿馬鹿しいことはない。

やぶれる(破れる)[动2] 破,撕破服が破れたやぶく(破く)[动1] 弄破手紙を破る網をやぶるしょくご(食後)[名] 饭后食前(しょくぜん)食後30分以内に服用するデザート[名] 甜点,餐后点心デザートにアイスクリームきぼう(希望)[名] 愿望,希望希望の大学は北京大学です。

だいがくいん(大学院)[名] 研究生院とりあつかい(取り扱い)[名] 办理,处理;对待この機会は取り扱いが難しい取り扱う本社は毛布を~しょうさい(詳細)[名] 详细情况~については、後で手紙で知らせるよびだす(呼び出す)[动1] 呼叫,叫出ことづける[动2] 带口信,捎话,传话田舎の名産を知人に~ことづけキャンヤル[名] 取消,废除cancel航空券を~する注文/ホテルの予約を~することづけ[名] 口信,嘱托………………………………………………………そんな(ことはない)不会,不可能~まち(~待ち)等待キャンセル待ちする(等退票)待ち時間练习カード[名] 卡,卡片げつまつ(月末)[名] 月末,月底せんせんげつ(先々月) [名] 上上个月せんせんしゅう(先々週)[名] 上上个星期もうしこむ(申し込む)[动1] 预约;提出;申请入会を~申込書を出す申込期限ほしの(星野)[专] 星野すず(鈴)[名] 铃,铃铛しょうしゃ(商社)[名] 商社,贸易公司しじ(指示)[名] 指示,吩咐~を与える~を受ける生词表3にほんこうくう(日本航空)[专] 日本航空(公司)パリ[专] 巴黎けいゆ(経由)[名] 经由,经过塩城を経由して徐州へ行くローマ[专] 罗马なりた(成田)[专] 成田成田空港かんこう(観光)[名] 观光,游览観光バス観光客けんがく(見学)[名] 参观,学习工場を見学する工場見学ナポリ[专] 那不勒斯じゆうこうどう(自由行動)[名] 自由活动よくじつ(翌日)[名] 翌日,次日,第二天翌年2000年の翌年にゅうこく(入国)[名] 入境入国管理局入国審査入国手続きふあん(不安)[名] 担心,不安;不放心不安を感じるにこにこ[副] 笑眯眯,微笑先生は~しながら子供の話を聞く嬉しくて、思わずにっこりしたガイド[名] 导游ガイドブックきしょう(起床)[名] 起床起きる早起きみやげものや(土産物屋)[名] 土特产店老板;土特产店,礼品店よびかける(呼びかける)[动2] 招呼,呼唤話しかける美人に話しかける大声で呼びかけるだまる(黙る)[动1] 不说话,不出声,沉默黙って座る黙々と座るとうようじん(東洋人)[名] 东方人,亚洲人じゅん(順)[名] 顺序,次序~に申し込を受け付けるポンペイ[专] 庞贝古城せいれき(西暦)[名] 公元,公历,阳历陰暦(いんれき)かざん(火山)[名] 火山火口(かこう)活火山(かっかざん)ばくはつ(爆発)[名] 爆发火山の爆発でできた島うまる(埋まる)[动1] 埋上,埋藏庭が落ち葉で埋まった埋める死んだ金魚を庭に埋めるイタリアご(~語)[名] 意大利语すみ(隅)[名] 角落,旮旯隅から隅まで探しましたが、見つかりませんでした。

上海外语教育出版社日语综合教程1~6课课文翻译

上海外语教育出版社日语综合教程1~6课课文翻译

第一课、大海中有妈妈如果说喜欢大山是继承了父亲的血统,那么爱好大海一定是从母亲那里传承下来的。

那是战争结束后不久,恰好经过不忍池附近时,妈妈会在池塘边深深蹲下,两眼死死地盯着水面。

假如我喊她,她的脸上似乎显得很难为情,站了起来,笑着说:“想看一会儿海呀!”当时,因为住在东大附近,去买东西时就顺便在不忍池休息一下,不可思议的是,我一直没有忘记那时妈妈说的话。

小学六年级的暑假,我曾去母亲的故乡,鹿儿岛上一个边远的渔村住了一个月。

外公个子高高的,非常强壮,一直在那里行医。

距家大约五十米处便是大海,从那景色秀丽的海滨,看得见樱岛和开闻火山。

母亲说想看大海,我想也许就是那故乡的海滨吧。

如是在今天,去鹿儿岛用不了两个小时,而在那时,那里是一个遥远的地方,需要坐夜间火车和联运船才能到。

在思乡之情的驱使下,似乎妈妈那种举动是理所当然的。

虽说喜欢大海,但尽情与大海亲密相处也只有在那个暑假,后来仅达到了从学校去洗海水浴的程度。

也许是因为与海隔绝的状态,反而激发起我对大海的憧憬吧。

大学毕业的那年,不知为什么,想要寻找与大海有关系的职业,便去打听能不能在日本邮船公司工作。

出来接待我的人事课长非常遗憾地说:“本公司与其他公司一样,对文学出身的大学生,一概不受。

”我将船公司误认为全体职员都在船上工作了。

尽管如此,希望乘船,我对大海的痴情却有增无减。

幸运的是,我即将去法国,根据指示,留学生将乘船前往。

去马赛有三十三天的航程——想到这个,我高兴得几乎要晕过去,可是其他留学生们不知为什么对这样耗费时间的旅行却一脸的不高兴。

我为了一个人尽情玩味航海的喜悦,选择了四等舱的铺位,那是季节工人用的船舱,留学生从不靠近,不但如此,因为在船底,靠近大海,舷窗外蓝色的波涛近在咫尺,汹涌起伏。

海上起风浪时,船员将蒙上铁皮的舷窗关死。

所谓床位,是用铁管制成的两层架子上绑上帆布,室内什么装饰也没有,简直像牢狱一样。

但是,文明的舒适环境,常常隔断了我们与大自然的直接接触。

  1. 1、下载文档前请自行甄别文档内容的完整性,平台不提供额外的编辑、内容补充、找答案等附加服务。
  2. 2、"仅部分预览"的文档,不可在线预览部分如存在完整性等问题,可反馈申请退款(可完整预览的文档不适用该条件!)。
  3. 3、如文档侵犯您的权益,请联系客服反馈,我们会尽快为您处理(人工客服工作时间:9:00-18:30)。

应邀去看海。

专门为看海出门的事这还是第一次。

从孩童时期算起大约40年,在湘南的海边生活过来,所以用不着专门的盯着海看。

可能因我原来就是对风景感觉迟钝的人,所以对方如果是海这样的庞然大物的话,自己一方无论如何用力也无济于事。

只有不去惊动他。

他和太阳公公是同类,本不是从正面可欣赏的东西,是在那里安静的呆着才让人放心这种性质的东西。

我这样想着。

在大山怀抱中长大的人对山也一定怀有和我相似的感觉吧,而我进到大山深处时,会感到奇怪的焦躁不安,想要立刻逃回山外去。

因为这种原因,海也好山也好,景色优美的地方就让给新婚夫妇和老年旅游团去吧。

而自己感到有趣的则是公开表白“景色还是比不上人,再好的名胜还是比不上东京”这些平常遭农村人反感的话。

但是只有这次似乎不可以这么说。

无论如何这三天也得看着海度过—如果不这样的话,想回也回不去—是如此的悲壮之旅。

实际上我看日本海这还是第一次,虽然在玄界滩稍稍乘坐像游船似的船走过是走过,但那好像不能计入“看”的范畴。

并且如刚才所说,以海边长大的人的安心感,不管看到哪里的海也只不过想:啊,就那么回事。

”并对它不曾看过30秒以上。

日本海大概也就是那么回事吧,这样轻视地想,完全没有期待,在看之前担心可能会没有什么可报告的,于是想到也不可能中途不愿意就逃回来,便心生一计,决定带上一个健壮的朋友一起去。

是位以前从电视台一起工作时起就一直喝酒交往过来的老朋友、很对脾气的M君。

我给他打电话说:“有没有意思去山阴两二天,去吃螃蟹?”并对他说了“你什么也不用干,每晚泡温泉喝酒就行了”之类的好听的话。

而实际上我是企图把他作为摄影师和包雇的租赁汽车司机来使用的,像是欺骗凶恶鳖鱼的因蟠的白兔一样。

就这样,两个不懂风雅的男人结伴出发了。

来了一看,日本海是狂暴的海—这句话,作为徘句字数超出规定,作为结论又过于荒谬而不成体统,但作为我来说因是真实感觉所以没有办法,而且还不是从远处看的印象。

是将近两个小时在小船上挤来挤去,相当腻烦后的老实的感想。

前一天的下午,从京都出发,乘坐山阴本线的柴油机车的火车呕当呕当地北上,从还隐约可见斑斑点点残雪的但马的山谷穿过,在城崎一带迎来落日。

然后钻过山洞,再走一小会儿终于看到了日本海。

用地图来说的话,是竹野滨的附近,山阴海岸公园的正中央。

对我来说是初次见面,也就是连对方的脸也不很清楚的程度。

初春的暮色里,看到它那似有似无的微弱的影子,犹如静静地叹息着一般,眼下只能说声“果然如此啊”,详细的明天早上再说。

于是在滨坂下车,当晚好好地泡泡温泉村的温泉后就睡下。

光从陆地看海还不算本事,所以计划明天乘游船从滨坂到香住,到海中公园览胜。

早上起来一看,天空与预想相反是个好天,据说恰好游船也是从今天—3月巧日开始通航,抚摸着因早晨洗澡而光光的脸,乘出租车奔向码头。

滨坂港是一个好像哪里都见得到的山阴的海港。

一字排开一长串好像电器店门前似的挂着很多灯泡的渔船,那是钓墨鱼的船吧?早上阳光的照射下,透过哗啦啦涌向脚边的水看到长势很好的藻类在摇动。

不管看哪里的海,最近大体都是先要透过水来看的,是干净的还是混浊的。

我想过去的人们可能想不到这样的事吧。

那时海水不论在哪里清澈透明都是理所当然的。

我只知道脏的海已经很久了。

或许对这里当地人说请你想象一下漆黑的海是无理的要求。

总之,初次见到的日本海的海水之干净,是留下深刻印象的。

隔过大堤向大海看去,波与涛全然不见,蓝蓝的大海展成一片。

日本海清澈而平静,让人觉得如果用波涛汹涌的灰色这一类一般描写大海的词来形容它的话,那简直要遭报应的。

但是,并非如此,我们被骗了。

一旦乘船走到海里,就终于明白了。

是外行人的天真,还是远眺与近望的巨大差异呢?急转直下一下子形成了日本海的确是狂暴的海的伟大发现。

真是不明白啊!我们乘坐的船,是号称“以雄伟为自豪的大型观光船”第一日本海号,这种事先宣传先不去管它,实际上是条把普通的渔船稍稍造得胖一点的小型船,写着定员50名。

因为船体很轻,于是摇摆也就激烈。

还不仅仅是摇摆,感觉就像蝗虫一样在水面上蹦跳。

一起乘坐的是老人很显眼的30名左右的团队。

这种时候作为常理,让老人和妇女坐进榻榻米的船舱,年轻人留在了甲板上。

真受不了。

摇摆、蹦跳、淋水,要是不留神的话,还可能连同板凳一起被拖到海里去。

一会儿左一会儿右地赳超时,头险些碰到铁柱卜。

“不会出事吧?内心不这么想的人是非常不怕死的人吧。

我虽然并非不会游泳,但这次仅仅是为看日本海而来的,所以游泳想让给下次的机会。

一边这样想着,一边在船尾将两脚站稳,并且一只手牢牢抓住铁柱,防止自己跌落下去。

虽说是初春,但海风还是有些刺骨。

早上洗澡时暖热的脸和手瞬间就冻透,失去了知觉。

尽管如此我没有偷懒反而格外慎重,所以在雨衣里扎实地套上冬天的围巾,连毛手套都戴上了,可谓全副武装。

应该紧随我们之后出发的第二日本海号,刚才乘上去一群好像是女学生的乘客,现在可能正在发着巨大的娇声惊叫吧。

上那艘船上就好了,我遗憾不已。

可能是因为没有导游小姐,船长兼驾驶员的大叔一个人开始了播音。

虽然不够流畅,但却是很有味道的解说。

不过,由于风很大,在船尾的我只能断断续续地听到。

因为从滨坂到香住不足两小时的路程里,奇岩怪石连续不断,并且各自都有名字,所以解说很忙碌,接连不断地一直说着。

因像乌龟故名龟岛有两个洞的眼睛岛因有书页样的褶皱所以叫页岩因顶上长着松树而叫松岛窗岩、蜂巢岩、恺袖以这种方式介绍着。

里面还有拥有两个侧面,从另一面看很像印第安人的脸的。

洞门的命名亦然:因朝阳能照射进来故叫做旭洞门因内部形状而叫吊钟洞门世上似乎也有见到大的岩石或洞窟就无比兴奋的人,想必这里是让这些人无法按捺得住的景观。

人似乎大都会有见到洞窟的话就要进去量量大小,见到岩石就要猜猜它像什么的习惯。

以懒户内来说的话或许是鹜羽山这样的地方吧,那一带的海湾好像有叫做象岩的岩石。

热情的解说值得感谢,但不能听得很清楚,以及最开始时溅的水使眼镜因潮水的私糊而模糊,所以哪个是什么岩一点也分不清,好像冷不防被沙迷了眼似的。

船沿着绝壁以一定的速度前进,但洞门却不能靠近。

广播说道: “今天因为稍稍有些浪,所以二,’二”省略了岩洞的参观,直接前行。

果然,日本海是狂暴的海,在这一瞬间我这么想到。

(这还是“稍稍?”)那么怎样才是“相当”的呢?我在广岛、冈山曾乘过帆船、快艇,但如此“雄伟”的感觉没有一体验过。

乘军舰行驶到太平洋上时,实在是心旷神怡。

因此我感觉到我好像明白了—即使有这种程度的波浪,以这种大小的小船不断地前往,这好像正是日本海的风格。

这样想着看去,在稍稍有点距离的海上孤零零地竖起的岩礁上,一群海鸽鹅盘踞在那里,频频翘首环视周围。

这种什么也不是的光景却让我不悦地看到了黑压压的不祥。

感觉到令人毛骨惊然、深不见底的恐怖的海。

而且天空要是阴的话这种恐怖一定会更加增大。

在太平洋一侧居住的话,想到对面是美国也没有什么特别奇怪的,而这里海平线的对面是过去的满洲(因日本的侵略曾在现在中国东北部制造了所谓的“满洲国”—编者注)及苏联领土等等,在头脑中描画地图的过程中,却产生了一种异常的无边无际的感觉。

过了设有灯塔的伊桩呷后向背后仰望,崖的上面像贴上去似的,有一团人家。

借用导游的话来说“是平家衰败后的家族”。

这个败落的家族村落过去水、电、电话都没有,与周围完全隔绝着。

但是战争时那里建立了军队的监视所,于是通了道路,沾它的光才方便了。

对我来说比起奇岩怪石的解说来,这样的事更让我感兴趣。

虽然不是来会他们的,但听说平家村落里美男美女有很多。

在这样那样说着讲着的过程中,船舱里的女人好像有几个因晕船而呕吐了。

终于到了香住港,看到出来的人中有用手!b白捂着嘴的,也有脸色苍自奔向码头厕所的,多数是阿姨们,很值得可怜。

连本不晕船的我也有点站不稳。

冒着波浪拼命地按快门的M君的脸色也不好看,据说他下月因采访要乘油轮去波斯湾。

巨型油轮固然不错,但“以雄伟为自豪的大型观光船”也相当了得,说是“游览”更接近于“苦行”,对晕船的人来说,是会把奇岩怪石看成是地狱景象的宝贵的两小时。

以不稳当的脚步徘徊在安静的香住街头,进了面条店,吃下一碗热热的素面,才缓过气来。

“海还是最好从远处看啊!”“完全正确!”于是决定接下来要从陆地上悠闲地观海,先去鸟取县。

在鸟取租了一台车站租赁的汽车,由比我技术好的M君驾驶,先横着从大沙丘旁边直接驶过,上了网代、田后、浦富的观光公路。

奇岩怪石的噩梦之后,这里的海的美丽的表情里有着让人放松的东西。

民营旅馆排成一串,低屋檐下晾晒着渔网,挂着渔具,洗的衣服飘功着,狭小的胡同里孩子们在玩耍。

汽车徐徐驶进这样千篇一律的渔家。

在这种生活的气息里也有着让旅行者安心的东西。

不知为什么,我一反常态地安静了下来。

要说真的令人大动旅情的,在我身上好像既不是因为看到漂亮的景色也不是因为参观了名胜古一迹。

而是一个积满灰尘的红色邮筒映人眼帘,在没有什么特别之处的乡村街道上,孤零零地伫立在下午没有人迹的马路上,使我不自觉地安静了下来。

宣布去旅游,原以为从生活中逃了出去,可最后即使去了别的地方又会看到别人的生活,所以出来的意义好像也就没有了。

我到底还是“人胜于景”派,还是彻头彻尾的乡土生活派。

向田后港的码头前进,从乱七八糟的窄坡道下行的同时我想起了伊豆的仲木。

当然那里与这里地形和风光都不一样。

那是去年因下田冲地震蒙受接近毁灭性灾害的那个村落,在制作电视节目时我因拍摄外景在那里的民营旅馆住过一星期。

那虽是十几年前的事,但当时正值民营旅馆成风的时候。

鱼也好吃,全家出动的服务也不是普通旅馆能比的。

感觉可打满分,没有可指责的地方。

虽是如此,我却总觉得有种愧疚感,心不得安宁。

到现在好像明白了。

我不管走到哪里,都会像这样被他人的生活占满整个心间于是,哪里还顾得上什么旅游啊在码头的突出部停车,下车。

仿佛是渔船全都出去了,仅仅在被长堤围起来的像池塘一样的水面上可见垂钓的人。

万籁俱寂。

话虽如此,是个好天。

在山阴好像有个说法:“盒饭忘了也不要忘了伞。

”但我是把伞收到提包底处,光惦记着盒饭的事。

刚才也是,为了来这里买了车站蟹肉寿司盒饭来,现在看着眼前的大海,两人在汽车里吃了起来。

应该从这里绕浦富返回鸟取沙丘的。

但我适当地调整时间,想看一看沙丘的落日过程。

但是好像稍稍早了点。

尽量慢点走。

因为想在太阳向沙丘的那一边落下的时候走到。

”虽然是第一次看的地方,却像很了解情况似的对M君开车提出要求。

但是我在沙丘人口处感觉不太良好,仅看见商店的招牌林立,缆车在行走,又只听说有拍纪念照的骆驼。

于是产生了抵触的情绪。

于是,在进人沙丘前,在稍稍远一点的地方,也就是连接沙丘北端的海岸边,我让停下了车。

这里是背后紧靠防沙林,极其常见的狭窄的海滨沙滩。

乍一看与湘南一带的海岸毫无不同。

但是比起海的蓝来,沙的美更为夺目。

我忘记了看海,蹲下去把沙捧到手上看。

相关文档
最新文档