平家物语开篇祇园精舎

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【3】传说释迦涅槃时,四周各有两株娑罗树,忽然变绿为白。
【4】朱异是误国的佞臣,重大国事隐匿不报,以至侯景起兵谋反,梁武帝萧衍不备。
【5】承平、天庆是朱雀天皇的年号,康和是堀河天皇的年号,平治是二条天皇的年号。平将门是镇守府将军平良将之子,承平五年(935)杀其伯父平国香,于下总国举兵谋反,五年后为平贞盛、藤原秀乡等所败。藤原纯友于天庆二年(939)与平将门相呼应,在西海举兵,天庆四年为桔为远所败。源义亲于康和三年(1101)任对马守,杀害无辜,罪行累累,平正盛奉旨讨伐,诛义亲于因幡。
【7】桓武天皇是日本第五十代天皇(781—805年在位)。
【8】日本古制,亲王分为一至四品。式部省是中央机构八省(中务、式部、民部、治部、兵部、刑部、大藏、宫内)之一,主管国家典礼、文官的选叙、高等教育等。各省的长官称为卿。
【9】上总是国名,介是Байду номын сангаас司的次官。
【10】国司:统管一国政务的机构,长官称为守,次官称为介。当时日本的行政区划分为国郡里三级,共计六十六国。
その先祖を尋ぬれば、桓武天皇の皇子?一品(いつぽん)式部卿(しきぶのきやう)葛原親王(かづらはらのしんわう)九代の後胤(こういん)?讃岐守(さぬきのかみ)正盛(まさもり)が孫(そん)、刑部卿(ぎやうぶきやう)忠盛朝臣(ただもりのあつそん)の嫡男なり。かの親王の御子(みこ)高見の王、無官無位にして失せ給ひぬ。その御子(おんこ)高望王(たかもちのわう)の時?始めて平の姓を賜って、上総介(かずさのすけ)になり給ひしより、たちまちに王氏を出でて人臣につらなる。その子鎮守府将軍良望(よしもち)、後には国香(くにか)とあらたむ。国香より正盛にいたるまで、六代は諸国の受領たりしかども、殿上(てんじやう)の仙籍をばいまだ許されず?
注释:
【1】这一节的题目,取自卷头诗开篇的四个字,突出全书立意的主旨。这是我国先秦古籍(如《诗经》)的常用做法。
【2】祇园精舍是古时印度舍卫国的著名寺院。精舍即寺院,意为精练行者居住之所。寺中僧侣养病所居的无常院有一玻璃钟,其响声似在诉说《涅槃经》中的四句偈语:诸行无常,是生灭法,生灭灭已,寂灭为乐。
【6】六波罗是京都东山区六波罗寺附近一带的地名,平清盛的府邸建在这里。按当时惯例,三位以上官员(古时日本官阶分为一至八位)出家称为入道,皇帝出家称为法皇。所谓出家,只是剃发僧装而已,实则居官掌权如故。本书人物第一次出现时,姓名往往列一长串,顺序是地名、身份、姓氏、官职、本人名、尊称,有的中间还加上排行。
祇園精舎(ぎをんしやうじや)
祇園精舎の鐘の声?諸行無常の響きあり。沙羅双樹(しやらさうじゆ)の花の色?盛者必衰(じやうしやひつすい)の理(ことわり)をあらはす。おごれる人も久しからず?ただ春の夜の夢のごとし?たけき者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵(ちり)に同じ?
遠く異朝(いてう)をとぶらへば、秦(しん)の趙高(てうかう)、漢の王莽(わうまう)、梁(りやう)の朱イ、唐の禄山(ろくさん)、これらは皆旧主先皇の政(まつりごと)にもしたがはず、楽しみをきはめ、諌(いさ)めをも思ひ入れず、天下の乱れん事を悟らずして、民間の愁(うれ)ふるところを知らざつしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。近く本朝をうかがふに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、おごれる心もたけき事も、皆とりどりにこそありしかども、まぢかくは六波羅の入道(にゅうどう)前太政大臣平朝臣清盛公(さきのだいじょうだいじんたひらのあつそんきよもりこう)と申しし人のありさま、伝へ承るこそ心もことばも及ばれね。
查考清盛公之祖先,乃是桓武天皇【7】第五皇子——一品式部卿【8】葛原亲王第九代的后裔,是赞岐守正盛的孙子,刑部卿忠盛的嫡男。葛原亲王的儿子高见王一生无官无职,其子高望王被赐姓平氏,授以上总介【9】的官职,从此以后就脱离了王室,降为人臣。其子镇守府将军良望,后改名国香。自国香至正盛,历经六代,虽都被任命为各地的国司【10】,但却未蒙恩准列入殿上人的仙籍【11】。
中文译文:
祇园精舍【1】
祇园精舍钟声响【2】,
诉说世事本无常;
娑罗双树花失色【3】,
盛者转衰如沧桑。
骄奢淫逸不长久,
恰如春夜梦一场;
强梁霸道终覆灭,
好似风中尘土扬。
远考异国史实,秦有赵高,汉有王莽,梁有朱异【4】,唐有安禄山,皆因不遵先王法度,穷奢极欲,不听贤者之谏劝,不领悟天下将乱之征兆,无视民间之疾苦,因此很快就灭亡了。近察本朝事例,承平之将门,天庆之藤原纯友,康和之源义亲,平治之藤原信赖【5】等,其骄奢淫逸之心,强横暴虐之事,虽各不相同,然其绝灭之结果却是一样。至于近世的六波罗入道【6】前太政大臣平清盛公之行为,仅就传闻所知,实在是出乎意料之外,非言语所能形容的了。
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