「いただきます」我开动了 (日语精读第二册第一课)10.26

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「我开动了」

我曾和三、四个好友他们讨论过,在山里只有一个人吃饭的时候,是默默开始吃呢,还是自然而然的像平常那样先说「我开动了」呢。默默开始吃总觉得不像样子,所以就变成了大家都小声说「我开动了」。由于长时间的习惯,一拿起筷子就会说那句话吧!

我在外出肚子非常饿的时候,毫不犹豫地走进了一家荞麦面店要了一份清汤荞麦面。在那种场合我一边不发出声音地掰开筷子,嘴里一边说着「我开动了」。

不知不觉就这样吃着荞麦面地时候,同桌与我正对面坐下了一位像小伙计一样感觉地年轻人。点的东西上了之后他拿起筷子用相当大且干脆清楚的声音说了声「我开动了」。虽然像这样突然发出声音对我来说稍稍有些不爽,但我却格外开心。因此我在比他先吃完后清楚地说了声多谢款待离开了。

因工作原因在日本待了近4个月左右的外国人在回国前拜访了我家。完全没有过交往的人也有,因为说着话就到了傍晚,就用现有的东西做了饭一起吃了。那时外国人用日语说了「我开动了」,他说在逗留期间,日语基本不记得了,但因为这句是非常好的语言所以学会了,回到国家之后也要教给家人,养成在吃饭前一定要说这句话的习惯。虽然我对国外的风俗习惯一无所知,但像「我开动了」这种相像的表达方式好像没有。在吃饭前祈祷这件事好像不是那么一般的事情。

一个人吃饭的时候,如果这句话自然的就说出来了,比起是对做

饭给我们吃的人的感谢,或是对请我们吃饭的人的一种礼貌来说,对将要吃的食物表示感谢的心情更加强烈。对让自己生命得以延续的食物,那样的话我认为再稍微珍视一些对待才行。但是我看过很多习惯了奢侈,虽然说着「我开动了」,但却做着让食物悲伤的吃法的人。

「いただきます」

山の中で、たった一人で食事をする時に、黙って(黙る)食べ始めるか、それとも自然に、普段のように「いただきます」と言うか、そんなことを三、四人の友達と話し合ったことがある。黙って食べ出すのは何となく格好がつかない(不像样子,不成体统)ということで、みんな小さい声で、「いただきます」と言っているようだった。長い間の習慣で、箸を持つと、そういう言葉が出てしまうのだろう。

私は外出して、よほどお腹が空いてきた時は、迷わずに蕎麦屋に入って、かけ(清汤荞麦面)を食べることにしている。そういう場合は、声には出さずに箸を割りながら、口の中で「いただきます」と言っている。

いつかそうして蕎麦を食べていると、同じ食卓(しょくたく)の、私と向かい合ったところに、小僧さんという感じの若い人が腰を下した(こしをおろした)。注文したものがきて箸を取ると、彼はかなり大きく、はっきり(干脆,清楚,清晰)とした声で「いただきます」と言った。うっかり声を出してしまったようで、私に対して

少々具合悪そうにしていたが、私は妙に嬉しかった。それで私は、彼より先に食べ終わったところで、はっきりとごちそうさまと言って席を立った。

四ヶ月ばかり仕事で日本に滞在(たいざい)していた外国人が、国に戻る前に私の家を訪ねた(たずねる)。まったく付き合いもない人であったが、話をしているうちに夕方になったので、ありあわせ(现成,现有)のもので食事を一緒にしたが、その時外国人は日本語で、「いただきます」と言った。滞在中に日本語はほとんど覚えなかったが、これだけは大変いい言葉なので、言えるようになり、国へ帰ったら家族にも教えて、食事の前には、必ずこれを言うようにするのだと言っていた。私は外国の風習(ふうしゅう)はさっぱり知らないが、「いただきます」に相当する言い方はないようである。食事の前にお祈りをするというのも、そう一般的なことではないらしい。

一人で食事をする時に、この言葉が自然に出てくるのだったら、食事の用意をしてくれた人に対する感謝、或いはごちそうをしてくれる人に向かっての礼儀というよりも、これから口に入る食べ物に対する感謝の気持ちが強い。自分の命を存続(そんぞく)させてくれる食べ物をそれならばもう少し大切にしてもいいように思いが、ぜいたくに慣れて、「いただきます」と言いながら、悲しくなるような食べ方をしている人を見かけることが多い。

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