天声人语-生きがい原文+翻译
天语人声
原文 1:西日本は荒天の年明けとなった。
冬空にとどろく雷を雪起こしという。
雷鳴にたたき起こされた雪雲が年をまたいで暴れ、山陰は記録的な積雪である。
鳥取県内の国道では渋滞の列に降り積もり、約千台が動けなくなった。
車中で年を越した人も多い译文1:西日本迎来了暴风雨雪的新年.冬季的天空里,轰隆隆地响着雪雷.被雷鸣唤醒的雪云跨过了新年,非常活跃,山的背面是从未有过的积雪.鸟取县的国道上,因为下的积雪而堵塞的车辆队伍,数千台不能移动.在车中渡过新年的人也很多.原文 2:数珠つなぎになった白い車列を元日朝のニュースで見て、わが国の政治を思った。
立ち往生している間に外の景色が一変し、抜き差しならなくなる、まさにその瀬戸際である译文2:在元旦早晨的新闻里看到联成串的白色的车列,想起了我国的政治.陷入僵局之时外面的风景突然改变,变得进退两难,确实是到了紧要关头.原文 3:東京は申し訳ないような青空に恵まれた。
散歩がてら、小沢一郎氏の新年会を塀の外からのぞいてきた。
豪邸の前には撮影用の脚立が20ほど並んだ。
玄関脇でバーベキューらしき煙が上がり、談笑や拍手が漏れてくる译文3:东京被赋予了抱歉似的晴空.散步时顺便从围墙外窥视到小泽一郎先生的新年会.在豪宅的前面,排列着20多个摄影用的梯凳.玄关旁边升起烧烤的烟雾,漏出来谈笑声和拍手声.原文 4:約120人の国会議員が顔を出したという。
前年より3割ほど尐ないが、一兵卒とは思えぬ威勢だ。
去年の会で万歳三唱の音頭を取ったとされる菅直人氏は今年、同じ時間帯に首相公邸で祝宴を催した。
親小沢、脱小沢に分かれての、まとまりのない新春風景だ译文4:听说大约120人的国会议员出席.虽然比前年尐了三成,但不觉得有一个兵士的威风.在去年的新年会上,被领唱高呼三声万岁的菅直人先生,今年在同一时间在首相公馆召开了祝贺宴.分成了新小泽,脱小泽的没有结果的新春风景.原文 5:くすぶる民主党に構わず、野党が政策を研ぎ澄ます風でもない。
天声人语中日对照阅读
中日对照阅读:天声人语·来自日食的警告时间:2009-7-24 14:54:30 来源:本站原创作者:maggie▼平安期の歴史書に皆既日食の記述がある。
〈墨の色のように光なく、鳥の群れが乱れ飛び、多くの星が現れる〉。
都人を驚かせた朝の異変は975年8月10日、太陽は午前7時45分8秒から完全に隠れたと、今の科学が突き止めている。
平安时代的历史书中就有关于日全食的记载,<如同墨色一般暗淡无光,成群的鸟儿惊慌失措地胡乱飞翔,天空中出现了闪烁的繁星>。
当今科学则明确指出,975年8月10日的清晨,出现了一个令京城居民大为惊讶的奇观,太阳从上午7时45分8秒开始完全地隐藏了起来。
▼そんな話題を『完全ガイド皆既日食』(朝日新聞出版)で紹介した武部俊一さんは、皆既の愉悦を「天と地と人の一体感」とする。
「宇宙の中にいる自分をこれほど実感させてくれるものはない」。
在《完整介绍日全食》(朝日新闻出版)一书中介绍了这一话题的武部俊一先生认为,日全食带给人们的愉悦就是“天、地、人的整体感”,“除此之外没有任何一种东西能够使你如此身临其境地感受到存在于宇宙之中的自我”。
▼21世紀で最長、約6分半の皆既食が4日後、南西諸島などで起きる。
日本の陸地から拝めるのは46年ぶり、次は26年先とあって、島々に渡る「観測客」は2万人を超すとみられる。
この週末から天気図が気になろう。
21世纪中最长的一次,大约持续6分半钟的日全食将在4天之后的西南群岛等地出现。
这是46年以来再一次可以从日本本土进行的观赏,下一次将出现在26年之后,估计准备渡海登岛的“观测游客”将要超过2万人。
从本周末开始,天气图恐怕将成为人们关注的中心。
▼99年夏の皆既食をフランスで見た。
「日食渋滞」の中、トイレを我慢して車で皆既帯に滑り込んだ。
草原を貫く道に停車してほどなく、ゴーと音がするように暗くなった。
鳥が飛び立ち、雲間から黒い太陽がのぞく。
天声人语作品翻译
原文第1节:かつてご紹介した詩をふと思い浮かべた。
〈戦死やあわれ/兵隊の死ぬるやあわれ/遠い他国でひょんと死ぬるや/だまってだれもいないところで/ひょんと死ぬるや……〉。
胸を絞るような詩を残して、竹内浩三は終戦の年にフィリピンで戦死した突然想起了曾经谈到过的一首诗。
“独自战死,悲伤之事。
全军覆没,亦无欢娱。
远离家国,默默死去。
杳无生息,无人知晓。
默默死去······”竹内浩三留下这首绞痛心扉的诗后,在停战那年,战死于菲律宾。
原文第3节:そうして多くの遺骨が今も残るフィリピンで、厚労省による遺骨収集のずさんさが明るみに出た。
女性や子どもも含め、日本兵ではないと見られる骨が多数混じっていたという。
関連はともかく、近年墓荒らしが相次いでいたと聞けば、胸のふさぐ遺族は多かろう并且,还有很多的遗骨至今仍留在菲律宾,由此可以看出厚生省的遗骨收集工作是多么的不细致。
据说,也包括女人和孩子在内,有很多并不是日本兵的遗骨混杂其中。
姑且不论这之间有没有什么联系,单是听到近些年连续发生坟墓破坏事件,就会有很多死难者家属悲伤不已吧。
原文第5节:墓から暴かれた骨も泣いていよう。
しっかり鑑定して、こちらも戻すべきは祖国に戻すべきだ。
そもそも海外での遺骨の収集は、他国を戦場にした歴史に根ざす。
戦没者を悼みつつ、そこは胸に畳まねばならない那些被从坟墓里挖出来的骸骨也许也在哭泣吧。
在好好的确认之后,我们也需要把那些应该接回祖国的遗骨安置回来。
原本在海外收集遗骨,就是因为我们有过侵略别国的历史。
我们在悼念战死者的同时,也必须把那可耻的历史铭记于心。
原文第6节:婚約者を沖縄戦で亡くした随筆家、故岡部伊都子さんの一文が浮かぶ。
「骨にも幸、不幸のあることを生きているものの幸、不幸と同じように感じてしまう」と。
この誠実が関係者に欲しい。
想起了因冲绳之战失去未婚夫的随笔作家、故冈部伊都子的一句话。
天声人语(2015年12月)
天声人语(2015年12月)(天声人語)話が通じなかった1年落語の「粗忽(そこつ)長屋」は奇妙な噺(はなし)だ。
十八番(おはこ)にしていた五代目柳家小さんに言わせれば、八五郎は気が短くてそそっかしい。
兄弟分の熊五郎は気が長くてそそっかしい。
この2人が繰り広げる不条理劇である▼浅草の観音様からの帰り、八五郎は行き倒れに出くわし、「熊の野郎だ」と思い込む。
しかも「当人」を連れてきて身元確認させると言い出す。
荒唐無稽だ。
「おめえ、昨夜(ゆんべ)死んでるよ」。
八にそう言われ、熊も次第にそんな気になる。
そして2人で遺体を引き取りに……▼長屋にいるのに路上にもいる。
生きているのに死んでいる。
明白な矛盾が見えない2人。
当然、町内の世話役たちとは話が全く通じない。
不気味といえば不気味な世界を、抱腹絶倒の一席に仕立てるのだから、落語という芸術は奥深い▼話が全く通じないといえば、今年1年の日本もそうだった。
安保法制をめぐる違憲合憲の論争は交わらなかった。
米軍基地の移設問題をめぐる沖縄県と官邸との対立も同様だ。
粗忽者がいるのかいないのか、言葉の通い路が失われていた▼落語に戻れば、熊五郎は最後、「自分の」遺体を持ち帰ろうと抱きかかえる。
訳がわからなくなってくる。
「抱かれてんのは確かに俺だが、抱いてる俺は一体誰だ……」というのが、この噺の下げである▼やっと矛盾に気づく瞬間。
藤山直樹著『落語の国の精神分析』によれば、「人間という考える葦(あし)が再び芽ぶく瞬間」だ。
年が改まる。
葦が芽ぶき、少しは話が通じるようにと願う。
(天声人語)師走の言葉から:朝日新聞デジタル今年の漢字に「安」が選ばれたことに何を思うか。
異論反論を含め、人それぞれの感慨が語られた、師走の言葉から▼安保関連法は海外からも注目を集めた。
米国の著名な憲法学者ブルース・アッカマンさんは、安倍政権が日本国憲法の原則を壊すなら、米国世論の支持を失うと予想する。
「米国にとって日本のリベラル民主主義への忠誠こそが戦後日米関係の基礎だったからだ」▼温暖化対策の国際会議COP(コップ)21が「パリ協定」を採択。
中日对照 天声人语 11篇
中日对照'天声人语':小生灵也有大智慧小鳥の情愛はなかなか深い。
例えばシジュウカラは、雛(ひな)を天敵から守るため、き声を使い分けているらしい。
立教大院生の鈴木俊貴さん(27)が、21組の親子の実験で突き止めた小鸟的感情也是非常深厚的。
就拿山雀来说,为了保护自己的孩子不被天敌攻击,山雀妈妈通过不同的鸣叫声向小山雀传递着信息。
立教大学的研究生铃木俊贵(27岁),对21组山雀母子进行试验,得出了结论。
剥製(はくせい)のカラスを巣箱に近づける。
親は外からチカチカと鳴いて知らせ、雛はカラスのくちばしが届かない底に身を潜めた。
次は透明の箱に入れたヘビ。
親の声はジャジャと濁り、雛たちはまとめて丸のみされぬよう巣を飛び出したという。
まさか「地下地下」「蛇蛇(ジャジャ)」ではなかろうが、弱者なりの知恵に驚く把乌鸦标本放近山雀的巢箱。
山雀妈妈就会在巢外面喳喳叫,向小山雀们传递信息,小山雀们就会躲到乌鸦的嘴巴够不到的巢穴底部。
另一个实验是用放入透明箱子的蛇靠近鸟巢。
这时山雀妈妈就会发出嘶哑的叫声,小山雀们似乎是为了不让蛇一口吞了他们似地一齐飞出了鸟巢。
难道这时,山雀妈妈这时正对小山雀说”地下危险有蛇,快逃快逃“吗?我真惊讶于鸟类这种弱小动物的智慧。
どの子も救おうと声をからす親と、けなげに聞き分ける子。
金子みすゞの「雀(すずめ)のかあさん」がチクリとくる。
〈子供が子雀つかまへた。
その子のかあさん笑つてた。
雀のかあさんそれみてた。
お屋根で鳴かずにそれ見てた。
这是为了救孩子声嘶力竭的山雀妈妈和能够分辨叫声的聪明的小山雀。
金子美玲的那首名叫《山雀的母亲》的诗深深刺痛了我的心。
诗中写道“孩子抓走了小山雀,孩子的妈妈笑着。
山雀的母亲看到了这一切,躲在屋檐上沉默地看着”。
そのスズメに一人っ子が増えているという。
こちらは岩手医科大などの研究だ。
去年の繁殖期、全国の愛好家に雛の数を調べてもらうと、商業地で平均1.4羽、住宅地が1.8羽、農村部でも2羽だった。
天声人语070502
天声人语070502沪江日语| 天声人语翻译讨论组上一期| 下一期持ち場にもよるが、20年前はスーツを常用する新聞記者はそれほど多くなかったと思う。
現場で動きやすい軽装が一般的で、使い込んで、戦友のようになった一着があったものだ。
(我)想来,虽说也会穿着(它)上岗工作,然而20 年前经常穿成套西装的报社记者并没有这么多。
(记者们)通常都是身着在(新闻)现场行动便捷的轻装,穿惯了,那身衣装就如同战友一样。
持ち場:崗位よる:寄る使い込む:他五。
1. 挪用。
2. 超支。
3. 用惯、用熟。
実際、その薄手のブルゾンは、持ち主の分まで戦っているように見えた。
20年前の憲法記念日、朝日新聞の阪神支局が襲撃され、記者2人が死傷した。
29歳で命を絶たれた小尻知博記者の上着が、支局にある襲撃事件資料室で初めて公開された(3日まで)。
事实上,就如同看见了这件薄料夹克主人在战斗一样(意译)。
20 年前的宪法纪念日(那天)、 2 名记者在朝日新闻阪神支局遭到袭击而死伤。
29 岁便失去生命的小尻知博记者的上装在位于支局的袭击事件资料室内首次公开展出(截止3 日)。
薄手: : 1. 质地薄的东西。
2. 轻伤。
ブルゾン:【( フランス)blouson 】裾をゴムやベルトで絞り、身頃をふくらませた活動的なジャケット。
サイズはM。
左ポケットのわきに、卵大の穴が開いている。
至近距離から放たれた400粒の散弾が、ひとかたまりで脇腹に飛び込んだ跡だ。
色あせた青い木綿の生地は、運ばれた病院で切り裂かれ、左半分が褐色に染まっている。
展示ケースに収める前、手にとり、そっと顔を近づけてみた。
古着(ふるぎ)のにおいだけがした。
(这件夹克)的尺寸为M。
在左边口袋旁边,开着一个鸡蛋大小的洞。
这是(小尻知博)在极近距离下被射400 发铅弹,子弹成团飞射进入侧腹留下的痕迹。
已经退色的蓝色棉织衣料,在被送入的那家医院里剪开,左半侧还染着褐色。
在这件夹克被收归展箱前,(我)把它拿在手上,并试着轻轻把它贴近面庞。
天声人语 生きがい原文+翻译
生きがい高層ビルの屋上から飛び降り自殺をしたエリート社員がある。
二人の子供を抱えて電車に飛び込んだ母親がある。
これらの人は、どうして死を選んだのであろうか。
要するにそれは、人生に希望をなくして、生きがいを見失ったからである。
「生きがい」と「希望」は双生児だ。
希望がなければ生きがいはない。
希望があれば、人生のわずらわしさや苦しみに耐え、生活と戦ってゆく勇気が湧く。
まずしい母親は、わが子の将来に希望をもてばこそ、深夜まで働きつづけるのであり、希望があればこそ、その生活苦を耐え抜くのである。
主君の仇を討った赤穂浪士は切腹の瞬間においてさえ、わが人生に悔いなく、大いなる生きがいを感じつつ死んでいった。
彼らはその希望が十分達成されたことを知っていたからである。
すなわち、「生きがい」は「希望」と同意語である。
そこに達成すべき希望という目標がなければ、もちろん、生きがいは生まれない。
「君の生きがいは」と問われて「趣味に生きることです」と答えた青年があった。
レコードにこり、モデル・シップに夢中になり、オートバイを乗り回すことにも、楽しみはあるであろう。
しかしそこに、何ほどの希望があるであろうか。
希望がなければ努力の必要はない。
緊張もなく、戦いもない平々凡々たる生活に埋没していて、どうして生きがいを感じることができようか。
だから「生きがい」は、「努力」と二人三脚でなければならない。
努力のないところに生きがいはない。
希望に向かって努力するとき、そこにはじめて生きがいを見出すことができるのである。
われわれ青年は、大いなる大希望を持ち、その希望達成のため、われわれの情熱を傾けることだ。
そこにわれわれは、人生最高の喜びを見出すことができるだろう。
それが「生きがい」である。
生存的价值生活之中,有从高楼跳下自杀的公司精英,也有抱着两个孩子撞电车而死的母亲,为什么这些人会选择结束生命呢?或许存在着各种各样的原因吧,总而言之,我认为是因为他们对人生失去了希望,看不到生存的价值。
天声人语(7月14日~7月31日)
夕立の雤脚は白く光り、古来「銀の竹」や「銀の矢」に見立てられてきた。
梅雤明けの炎暑から一転し、雷鳴に驚き、豪雤への警戒が続く7月の言葉から▼転校などで野球部員が減った福島県の3高校が「相双連合」チームを組んで県大会に出た。
初戦で1―8と敗れたが最後に得点して一矢を報いた。
服部芳裕監督(52)は「この先、苦しいことが待っているかもしれない。
でも、お前らはできる。
最後の1点がそれを証明した」▼歌舞伎の中村吉右衛門さん(67)が人間国宝に。
歳(とし)を重ね、精神が充実すれば体は衰える。
そんな矛盾に抗(あらが)い、「80歳で本公演の25日間、勧進帳の弁慶を務めるのが夢。
常に上を向き、高みを目指さねば落ちていく」。
その夢は歌舞伎ファンの夢でもある▼困ったときは玄関に掲げて、と宮城県登米市の佐沼警察署が仮設住宅のお年寄りに手作りの黄色い旗を配った。
「幸せの黄色いハンカチではないが、心の支えになりたい」と三宅直希・地域課長が言う▼東大を退職した社会学者上野千鶴子さんが特別(最終)講義。
「超高齢化社会が来てよかったと思っている。
かつて強者であった人も、最後には誰かに支えてもらわないと自分の生を全うできない。
強者も、自分が弱者になる可能性を想像しなければならない社会だから」▼「しょう来、がんになりませんように」。
七夕の短冊に福島の小2女児が書いた願いに胸が痛む。
金銀砂子(すなご)の星々には、明るい願いこそ似合う。
安らぐ日々が早く戻りますよう。
2011年7月30日(土)付美と醜、そして明と暗。
同じ仲間なのに、蝶(ちょう)と蛾(が)の印象には天地の差がある。
蛾を気の毒がるのも思い上がりだろう。
蝶のように捕獲されず、疎まれるだけの身は幸せかもしれない。
地味な昆虫にも一つ、華々しい過去がある▼50年前のきょう、映画「モスラ」が公開された。
核実験で死んだ南海の孤島。
平穏を奪われた原住民の恨みを、島の守護神モスラが晴らす。
蛾の姿をした「良い怪獣」が初めてなら、少数民族を絡めた物語も異色だった▼東宝の依頼で原作を練ったのは、中村真一郎、福永武彦、堀田善衛の文学者3人。
天声人语译文两则
天声人语译文两则【摘要】天声人语是日本权威报纸《朝日新闻》的固定栏目,创建于1904年1月5日,已有上百年的历史。
内容涉及政治、经济、文化、教育、体育、环境、科学、社会等各个方面。
该栏目每篇大约750字,被公认为日本的规范文章,常被用作大学入学考试、各企业招聘考试的试题。
是日语学习者学习日语,了解日本的良好素材。
本文是天声人语的两篇译文。
【关键词】天声人语;译文;花粉症;火山一、2013年3月7日天声人语季節は違うのだが、〈百人の蕎麦(そば)食う音や大みそか〉という古川柳がふと頭に浮かんだ。
浮かんだのは、きのうの通勤電車の中だった。
ここまで読んでピンときた方もおられようか。
思い切って大げさに、その場のさまを表せば、〈百人の鼻すする音や花粉症〉となる。
新聞が読める程度に混む車内で、両隣と背後に立った人がひっきりなしにズズとやっていた。
あの列車だけで、ずいぶん多く「悩める者」を運んだことだろう。
筆者もその一人だが、春の憂鬱(ゆううつ)は関東から西でいよいよ盛りに入ったようだ。
1日の最高気温が15度を超すと、飛散量は一気に増える。
テレビの情報番組も「花粉もの」が盛りだ。
杉林から煙のように舞い上がる。
春の命の壮観だが、悩める者には敵軍の総出撃にしか映らない。
当方はいつも1月末から身構える。
今季、鼻は予防薬が奏功するも目は苦戦ぎみ。
〈目のふちが世界のふちや花粉症〉山口優夢。
涙で視界を潤ませながら、おそらくは「同士」による、あわれを誘う一句を思い出したりする。
今は涼しい顔の人も、油断しない方がいい。
当方も8年前までそうだった。
ある年ある日、鼻がムズムズする。
仲間入りのサインである。
無症状でもなるべく花粉は吸わないのが賢明らしい。
春めいたきのう、公園で辛夷(こぶし)の花芽がびっしり光っていた。
田打ち桜の名を持つ花は一樹を白く飾るように咲く。
花粉症は恨めしいが、春はやはり待ち遠しい。
百の花々の北へのリレーも、号砲の鳴る日はもう近い。
天声人语(2014年9月)
天声人语(2014年9月)2014年9月30日(火)付芸術の、読書の、食欲の、実りの、スポーツの……。
指を折って挙げてみると「秋」は多彩だ。
人為も自然も多事多難ながら、人の志に光を見た9月の言葉から▼100歳の記念展をめざして大作に取り組む東京の画家、入江一子(かずこ)さん(98)はシルクロードの人々を描いて半世紀になる。
「1時間描いて、疲れたら1時間眠る。
その繰り返しよ。
最近やっと絵画の奥義がわかってきたので面白くてね。
だから今はまだ死にたくないの」。
制作のアイデアは次々に浮かぶ▼国際アンデルセン賞の授賞式がメキシコであった。
作家賞を受けた上橋菜穂子(うえはしなほこ)さん(52)はあいさつで「他者の気持ちに寄り添って歩み、読み終えた時は読み始めた時と少し違う場所に立っている。
そういう物語を書きたい」▼49歳でプロ野球最年長勝利を挙げた中日の山本昌投手が言う。
「完成なんてない。
完成していたら全部勝てる」。
そして、「一生懸命投げる。
しつこく投げる。
諦めずに投げる」。
それが31年不変のスタイルだ、と▼大津波に遭った岩手県陸前高田市の小友(おとも)地区。
4年ぶりに黄金色に実ったのは震災後に誕生したブランド米の「たかたのゆめ」だ。
収穫した村上強(つよし)さん(43)は「新しい土で稲が育つ地力があるか心配した。
よく育った」▼アジア・全日本マスターズ陸上100メートルに今大会最高齢の104歳、京都市の宮崎秀吉(ひできち)さんが出場し34秒61でゴール。
元気の秘訣(ひけつ)を「欲をかかないことと、食べ物に気をつけること」。
健康寿命にあやかりたい。
2014年9月29日(月)付土井たか子さんが残したものは何だったかと思い巡らせる。
筆者が社会党の取材を担当し始めた1990年、委員長だった土井さんは輝いていた。
「山が動いた」89年の参院選に続き、90年の衆院選でも議席を伸ばしたからだ▼二つの選挙で初当選した議員の顔ぶれは清新に見えた。
天声人语2014年11月1日
自分はどこに帰属しているのか。
本土の人は普段あまり考えないだろうことを、沖縄県の多くの人々はいつも意識しているのかもしれない。
次のような一文がある。
自己到底归属何地?岛国人民或许一般不会思考这个问题,不过冲绳县的大部分人也许总会意识到这一问题。
有以下一的篇文章。
▼「古来琉球から息づく歴史、文化を継承しつつも、また私たちは日本の一員としてこの国の発展を共に願ってもきた」。
昨年1月、県内の全市町村の首長、議長らが安倍首相に出した「建白書」の一節である。
いわば沖縄の総意として、米軍普天間飛行場の県内移設断念などを求めた。
“我们继承了自古以来琉球的历史与文化,但我们也希望作为日本国的一员与祖国同呼吸共发展。
”摘自去年1月,冲绳县的所有市镇村长呈交给安倍首相的“建白书”。
其内容大概是:作为冲绳县的名义,要求政府放弃将美军普天间飞机场移建至县内。
▼沖縄人であると同時に、日本人でもある。
建白書に見られるような独特の自己像を、作家で元外交官の佐藤優(まさる)さんは「沖縄評論」と銘打つ近著で、複合ゕデンテゖテゖーと呼ぶ。
母が沖縄県の久米島(くめじま)出身で、自身もルーツがあると意識している。
是冲绳人的同时,也是日本人。
曾担任过外交官,现为作家的佐藤优于他的近作中将从建白书中所能见到的独特的自画像称为复合身份。
他的母亲是绳县久米岛出身,因此他也能意识到自己有着冲绳的根。
▼佐藤さんは、このところ自分は日本人から沖縄人の方へシフトしつつあると書いている。
普天間の県内移設を進めようとする政権の手法に、米軍基地の集中という「構造的な沖縄差別」の強化を見るからだ。
佐藤先生写道,此时的自己正在从日本人向着冲绳人渐渐转移。
因为从政府推进普天间于县内移建的政权手法中看见了美军基地的集中这样的“构造性冲绳歧视”的强化。
▼沖縄県知事選がおととい告示された。
異例の保守分裂選挙である。
建白書に込められていたはずの総意は、昨年来の政権の攻勢ですっかり分断された。
天声人语
2011年8月14日(日)付作家の田辺聖子さん(83)は、玉音放送を一家で聴いた。
「降伏したみたいなこと、いうてはる」と父。
「フシが、なさけなさそうですなあ」と母が頷(うなず)く。
大人の脱力ぶりに呆(あき)れ、17歳の軍国尐女は一人、無念を日記にぶつけた(回想『欲しがりません勝つまでは』)▼66年前のきょう、日本はポツダム宣言受諾を連合国側に伝えた。
深夜に録音された終戦の詔書が、翌15日昼、NHKラジオで流される。
大衆が初めて聴く陛下の声だった。
漢語の多用と雑音で、すぐには解せぬ人も多かった▼野坂昭如さん(80)はそれでも、終わったと感じた。
もう空襲はないと思うだけで、体の芯がとろけるような安堵(あんど)を覚えたという。
終戦の日、どこで何を思ったか、百人に百の話があった▼各人に語るべきものがある大震災も、時代を画す共通体験に違いない。
すべきことが山とあるのは敗戦時と同じだが、私たちに高揚はない。
虚脱の暇(いとま)もない。
津波、原発にとどまらず、日本は複合的な不全の中にある▼ひと声で動く世でもなし、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、不全の理由を一つずつ取り除いていくほかない。
より生きやすい国を目ざして、まずは荒れ放題の政治と財政から手をつけたい▼NHK放送博物館の「玉音盤」は窒素ガスの中で眠る。
今に残る音源は、傷む前のレコード盤から占領軍が複製したものだ。
米国は「多くの命を救った放送」に価値を認めた。
生かされた人々は驚異の復興を成し遂げる。
もう一度できないはずがない。
2011年8月16日(火)付終戦の日のきのう、靖国神社から千鳥ケ淵戦没者墓苑までを歩いた。
炎天下、結構目立つのは若い世代の姿だ。
逆に、戦場を体験した世代とおぼしきご高齢は随分と減っている。
戦後66年。
時はただ、過ぎに過ぎる▼腰をかがめ、杖に頼る姿は、かつては戦没兵の父母だった。
この日は、近くの日本武道館であった全国戦没者追悼式に、戦没将校の妻馬場宮子さんが97歳の最高齢で参列した。
《天声人语》20(中日对照)
棚田保存の活動に参加して、連休の一日、遠くに海を眺める房総半島の山あいで田植えをした。
地元農家のお膳立(ぜんだ)てで、段をなす田の一枚一枚に、鏡のような水が張られている。
参加梯田保护活动,连休日一天在望得见大海的房总半岛山谷中种田。
当地农家准备吃饭时,一层层阶梯状农田里已蓄满了如镜的河水。
〈田一枚植えて立去る柳かな〉。
名高い芭蕉の句からは、慣れた身ごなしで、すいすい苗を植える姿が浮かぶ。
だが日ごろ農作業と縁遠い弱卒は、そうはいかない。
腰が定まらず右往左往し、田の中は足跡だらけに。
植え付けにも難渋し、進まないことおびただしい。
“种一块田就离去的柳树啊”。
从这句脍炙人口的芭蕉俳句,仿佛看见了以熟练的动作飞快插秧的身影。
但平时与农活无缘的弱兵残将却没那么好的身手。
腰部摇摆不定,忽左忽右,田地里到处是脚印。
插秧也很吃力,进度非常慢。
(〈田一枚植えて立去る柳かな〉句意は「西行法師が『道の辺に清水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ』と詠んだ柳のそばに自分も立ちどまっている。
それは目の前で早乙女たちが一枚の田に早苗を植え終るほどの時間で、西行法師への深い思いを抱きながらこの柳のもとを立ち去ったことだ」この「立ち去る」という言葉には単に遊行柳を立ち去るばかりでなく、いよいよ関東平野を踏破して未知なる国奥州路にふみ入る決意のようなものが込められているように思われます。
次号ではいよいよ白河の関越え、つまりみちのく入りです。
)古く、田植えは女性の仕事とされ、従事する人を早乙女と呼んだ。
力のいる田打ちや代掻(しろか)きが男の仕事だった。
〈生きかはり死にかはりして打つ田かな鬼城〉。
土に生かされ、土を頼みに命をつなぐ。
往時の労働の厳しさを思うと、粛然とさせられる。
古时耕田是女性的工作,称干农活的女性为农家女。
力气活翻地和耙地是男性的工作。
“死去又活来地翻地呀鬼城作”。
以土地为生,信赖土地,视土地为生命。
想到以前劳动的辛苦,不禁肃然起敬。
しがみつかない生き方
『しがみつかない生き方』(精神科医・香山リカ著)第2章自慢・自己PRをしない一九九〇、ミス・ミナコ・サイトウの衝撃前向き思考法「ポジティブ・シンキング」を提唱して、一九九〇年代前半に若い女性を中心に人気を集め、二〇〇二年に四十四歳の若さで他界した実業家の斎藤滞素子(みなこ)さん。
彼女の名前を世に広めたのは、九〇年に出版された『ヨーロピアン・ハイライフ』(中央公論新社)という自变伝だった。
その帯に書かれたコピ1は当時の人々に衝撃を与え、賛否両論が巻き起こった。
そのコピーは、次のようなものだ。
私はミス・ミナコ・サイトウ。
ヨーロッパの上流社会ではよく知られた名前です。
自分のことを「上流社会でよく知られた」などと自慢げにアピールする感覚は、九〇年にはおよそ一般的ではなかったのだ。
ただ、欧米社会に通じている人たちは、日本式の謙譲の美徳だけでは自己主張の強い欧米人とはわたりあえないとして、「これからは日本人も自分の長所を堂々とアピールできるくらいの強さを持たなければ」とかねがね言っていた。
だから、「私は上流社会で知られています」と宣言する女性が登場したときに、「もしかしてこれこそ新しい時代の国際感覚なのかも」と否定せずに受け入れよう、という動きもあったことは確かだ。
それから、約二十年。
ミス・ミナコ・サイトウ的な自己アピールは、いまやめずらしくも何ともなくなっている。
「まわりの人たちから美容のカリスマと呼ばれています」「私は知的好奇心のかたまりと言えます」「海外を飛び回る私を、人はセレブなジェットセッターと呼びます」こういった言い方が、人目を引くための本の帯にだけではなく、雑誌のインタビューや個人のブログにも頻繁に登場するようになった。
自分を「サクセスした人間」「知的戦略家」と称する人もいる。
企業や商品が自分のことを「リーディング・カンパニー」とか「世界中から愛される味」と自画自賛したり、政治家が選挙のときに「日本を救えるのは私しかおりません!」とアピールしたりするのは当然かもしれないが、それが一般の個人レベルでもあたりまえになってきたのはいつ頃なのか。
日语天声人语
印刷近頃の乗用車は怒ったような面構えをしている。
目がつり上がり、口元は一文字。
理にかなったデザインはおのずと似るのだろうが、昔は微笑(ほほえ)みあり、泣きべそあり、ずっと表情豊かだった▼「笑顔」の傑作はスバル360だろう。
どんぐり眼(まなこ)は利発な子どもを思わせた。
富士重工の発表は1958年のきょう。
愛称「てんとう虫」は、簡素だがよく走り、マイカー時代の扉を開く。
四輪車に乗る生活は、夢から目標になった▼その富士重が、2月末で軽自動車の生産を終えた。
累計800万台。
最後の車種となった商用車サンバーは、商店や農家の足として半世紀、日本経済の浮き沈みを見つめてきた▼誇れる軽の歴史にひと区切りをつけ、富士重は個性的な普通車に力を入れるという。
エコの追い風を受ける軽自動車ながら、競争は厳しく利幅は薄い。
メーカーが勝ち残るには、さらに有望な分野に人と金をつぎ込む度胸が要る▼国内唯一のDRAM(ディーラム)専業メーカー、エルピーダメモリは、逃げ場のない市場を韓国勢に食われ、円高にとどめを刺された。
NECと日立、三菱電機の事業をまとめ、政府が300億円を注入した国策企業の倒産である。
世界を席巻した日の丸半導体も昔話になった▼産業史に残る商品とて永遠ではない。
売れるほどにライバルは増え、消耗戦が始まる。
高コストの国内でモノづくりを続けるには、たゆまぬ努力と戦略が必要だ。
経営者が福相でいられた良き時代は遠くなり、昨今は怒ったような顔が多い。
2012年3月2日(金)付印刷戦争や貧困を米国で描き続けたベン・シャーンの絵画展が、国内を巡回している。
水爆実験で死の灰を浴びた漁船「第五福竜丸」の連作もある画家は、あの世で泣いているだろう。
米国の複数の美術館が、福島県立美術館への貸し出しを取りやめたそうだ▼「スタッフと作品の安全のため」だという。
同様の出展拒否は昨年、いわき市や郡山市も経験した。
寂しい話だが、海の向こうの過剰反応とも言っていられない▼青森の雪を自衛隊が沖縄に運び、子どもに楽しんでもらう恒例行事が中止された。
天语人声
▼大げさではなく熱中症で命が奪われている。東京ではすでに400人以上が病院に運ばれたそうだ。暑気あたりを総称して「霍乱(かくらん)」という。鬼も霍乱にやられるのだから、子どもやお年寄りは注意がいる
不是夸大其词,中暑可能会致命。据说在东京已有400多人被送进了医院。中暑总称“日射病”。连鬼都无法避免日射病,因此老人和小孩更需要注意。
▼その群馬では、館林市でおとといの気温が38.9度に上がった。きのうは岐阜県多治見市で39.4度を記録した。今年の全国最高という。そのあたりを真っ赤に列島はうだる。そしてきょうは大暑。冷房という「逃げ場」はあるにせよ、これだけ暑いと鬼城の一句はぐっとリアルだ 天岐阜县多治见市的气温则是攀升到了39.4度,据说是今年全国的最高气温,连该地区周边的列岛都变得火红,闷热难耐。而今天我们迎来了大暑。虽说有空调房这一“避难好去处“,但鬼城的这首“唯独这里炎热”倒是显得更加真实。
▼夏をつかさどる神を「炎帝」と呼ぶ。ロシアでは暴君となって記録的な猛暑をもたらしている。涼を求めた人か、6、7月で約1900人も水死したそうだ。ひるがえって日本の炎帝である。今年の太平洋高気圧は賢帝だろうか、それとも愚帝だろうか
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2010年7月23日(金)付
〈念力のゆるめば死ぬる大暑かな〉の一句が俳人の村上鬼城(きじょう)にある。誇張だろうが、ひょっとすると、体ひとつで暑さと闘った時代の実感だったかもしれない。鬼城は明治の初めに群馬県に移り住み生涯を過ごした。内陸だけに夏は暑い
2010.1.24 天声人语
2010年1月24日(日)付印刷∙小沢氏聴取―まだ残る数多くの疑問∙中国の高成長―隣国の活力生かす道を小沢氏聴取―まだ残る数多くの疑問小沢一郎・民主党幹事長が、自らの資金管理団体「陸山会」による土地取引をめぐる事件に関連し、東京地検特捜部の事情聴取に応じた。
石川知裕衆院議員ら小沢氏の側近3人が逮捕された事件は、最大の山場を迎えた。
聴取に応じたのは、検察の要請から半月以上もたってからである。
4時間を超える事情聴取を終えた小沢氏は記者会見し、初めて自らの口で事件について説明した。
だが、なお多くの疑問が残った。
石川議員らの容疑は、陸山会が5年前に東京都内の土地を買った際、資金の4億円を収支報告書に「収入」として記載しなかったことだ。
東京地検が小沢氏からの聴取を要請したのは、次のようなことを明らかにする必要があったからだ。
まず小沢氏が、この容疑にどの程度かかわっていたのか。
次に、小沢氏が貸し付けたというこの資金を、小沢氏はどこから工面したのか。
特にゼネコンからの資金が入っていたのかどうか。
最後に、土地取引に絡む複雑なカネの動きは結局、一種の資金洗浄だったのではないか、ということだ。
小沢氏は会見で、こう説明した。
資金は自宅を売却した残金や家族名義の口座から引き出し、事務所の金庫に保管していた4億数千万円の一部だ。
資金の事務処理や収支報告書の虚偽記載については関与していない。
しかし巨額の資金を長年、現金で置いていたことは常識では理解できないし、家族名義の預金のもとの出どころも不明だ。
多額の利子負担を顧みず、4億円の預金を担保に銀行の融資を受け、それで土地代金を払ったように見せかけたことも知らなかったという。
東京地検は、小沢事務所が東北の公共工事をめぐり、ゼネコン談合組織の受注調整に強い影響力を持ち、多額の政治献金を集めていたとみている。
岩手県の胆沢ダム建設工事を下請け受注した中堅ゼネコンの元幹部から、石川議員らに計1億円を提供したという供述も得ているという。
天声人语日语原文
24 × 25証人喚問の沈黙が語るもの「申し訳ございません。
拒絶させてもらいます」。
耐震強度の偽装事件をめぐる国会の証人喚問で、小嶋進・ヒューザー社長の回答拒否は30回近くに及んだ。
テレビの中継を見て、歯がゆい思いをした人も多かっただろ。
しかし法律では、正当な理由があれば証言を拒否できると定められている。
自己に不利益な供述を強要されないという憲法の規定もある。
拒否が連発された喚問には、ほとんど意味がなっかたといえば、そうではない。
小嶋社長が回答を拒んだのは、こんな項目についてだった。
「構造計算書の偽造を、いつ、どこyで知ったか」「ヒューザーで急きょ開かれた会議の内容」「販売中のマンションが問題物件だと、いつ認識したのか」。
いずれも、事件の核心部分に当たる。
回答を拒むのは認められた権利の行使だが、証人にとっては不利な事態を招く一面もある。
肝心なところで明確に否定しないことで、暗に認めたとも取られ兼ねないからだ。
世間が、やはり後ろ暗いところがあるのかといった見方に傾くとしても、口を開くよりいいと考えたのだろうか。
『黙して24 × 25語らず」というが、黙してもお語るところがあったように思う。
フランスの政治思想家で法学者だったモンテスキューが述べている。
「自由とは法律の許すすべてをなす権利である」。
国会で黙された部分の実相が、「法律の許すすべて」の範囲を踏み外していなかったかどうか。
その究明葉これからだが、沈黙は、問題のありかを繰り返し指し示していた。
24 × 25違法な高利にメスアイスクリームは氷菓子だから、高利貸を「アイス」と呼ぶ。
熱海の海岸で貫一、お宮の別れの場面で知られる尾崎紅葉の「金色の夜叉」には、「アイス」が何度も出てくる。
金に目がくらんで資産家の下に走った許婚・お宮を恨んで学生・貫一が「高利貸」になる。
そして、金力でお宮と社会ヘ復讐を図る。
明治期に新聞に連載されて評判を取り、芝居で繰り返し上演された。
天声人语
2011年9月6日(火)付
紀伊山地の険しい起伏を縫う熊野古道には、ぬかるみを防ぐ石畳が残る。
霊場めぐりの人波と、有数の多雨地帯を物語る遺構である。
年に3千ミリ、ざっと東京の倍が降る。
〈霧荒(あら)し山雨(さんう)太しと熊野越え〉名和佑介▼
秋雨に煙る参詣(さんけい)路や木立は、厳かな趣であろう。
むろん、そぼ降る情景である。
年間雨量の過半が数日で果てては、趣も何もない。
世界遺産の山岳聖地を、台風12号による泤流が走った▼
熊野三社の一つ、熊野那智大社がある那智勝浦町にも、深い爪痕が刻まれた。
落差133メートルの那智の滝、マグロ漁や温泉で知られる和歌山の観光地である。
那智は「難地」に由来するとも聞くが、山あいの集落は見る影もない▼つらいのは、妻子を流された寺本真一町長(58)だ。
役場に泊まり込んだ4日未明、急を知らせる妻(51)の電話は無残に切れた。
町観光協会に勤める長女早希(さき)さん(24)は、夜が明ければ結納の運びだった。
町長はこらえて陣頭に立つ▼
全国の死者不明者はすでに約90人。
台風がのろのろと北上したため、南の湿った空気が何日も紀伊半島をなめ、記録的な雨になった。
これほどの犠牲者は2004年の23号以来となる。
その3日後には中越地震が襲った▼
2万の命を奪った大地震と津波から半年、またも地異と張り合うように天変が牙をむいた。
被害規模は違えど、ふいに明日を絶たれた人々の悲痛に変わりはない。
「想定外」に泣いた災害列島には、想像を超える雨も降る。
いま一度、防災の備えを点検したい。
天声人语2012年02月28日
天声人語2012年02月28日(火)結婚式や葬式の会計は、親族や勤務先から選ばれた複数で務めるのが相場らしい。
親しい仲でも、人のお金を預かるのは気が張るものだ。
あちらこちらから計2千億円も預かり、大半を失ったAIJ投資顧問はかなりの強心臓とみた婚礼及葬礼的帐务经管按一般行情都由亲戚以及工作单位挑选出来的数人承担。
即便是亲密的关系,为他人掌管钱财也都是要费心受累的事。
看来经管着从各处汇拢来的总计2千亿日元的款项,却又丧失了其中大半的AIJ投资顾问工时还真是拥有一颗强大的心脏。
▼資金は海外に投じたようだが、首尾よく利益を上げているとの報告は偽りだった。
運用の失敗ならまだしも、別目的に流用していたなら詐欺に近い。
人のお金である▼资金好像是被投向了海外,可一切顺利并获有盈利的报告却是虚假的。
如果说是操作失误倒也还情有可原,可倘若是被挪用于其他目的的话,那简直就是欺诈。
因为这都是别人的钱财。
▼もっとも、顧客の年金基金とて自分のお金を託していたのではない。
会員企業や従業員が積み立てた虎の子なのだ。
このままでは会社が埋めるしかないが、多くは本業も楽ではない運輸や建設の中小企業。
そんな体力があろうか▼况且,这还是客户们的年金基金,并非接受委托的个人钱财,都是一些会员企业以及从业员积累起来的万贯家财。
被如此打了水漂也只好由各家公司自行来弥补这一亏空,可他们都是些自身难保的运输及建设行业中的中小企业,不知是否具有如此体力?▼ゼロ金利で運用成績が上がらず、企業の年金担当者は頭を抱えている。
大手の生命保険や信託銀行が四苦八苦している時に、AIJの「一人勝ち」はあまりに不自然だった。
うまい話には裏がある▼在零利息的情况下,运作业绩难以提升,企业年金的负责人正大伤脑筋。
值此大型生命保险公司以及信托银行均处于苦苦维持之际,唯有AIJ“一枝独秀”这也太不自然了吧。
说得天花乱坠的背后一定会有隐情存在。
▼欲や悩みにつけ込まれ、誠実な人ほど悪徳商法の手にかかるという。
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生きがい
高層ビルの屋上から飛び降り自殺をしたエリート社員がある。
二人の子供を抱えて電車に飛び込んだ母親がある。
これらの人は、どうして死を選んだのであろうか。
要するにそれは、人生に希望をなくして、生きがいを見失ったからである。
「生きがい」と「希望」は双生児だ。
希望がなければ生きがいはない。
希望があれば、人生のわずらわしさや苦しみに耐え、生活と戦ってゆく勇気が湧く。
まずしい母親は、わが子の将来に希望をもてばこそ、深夜まで働きつづけるのであり、希望があればこそ、その生活苦を耐え抜くのである。
主君の仇を討った赤穂浪士は切腹の瞬間においてさえ、わが人生に悔いなく、大いなる生きがいを感じつつ死んでいった。
彼らはその希望が十分達成されたことを知っていたからである。
すなわち、「生きがい」は「希望」と同意語である。
そこに達成すべき希望という目標がなければ、もちろん、生きがいは生まれない。
「君の生きがいは」と問われて「趣味に生きることです」と答えた青年があった。
レコードにこり、モデル・シップに夢中になり、オートバイを乗り回すことにも、楽しみはあるであろう。
しかしそこに、何ほどの希望があるであろうか。
希望がなければ努力の必要はない。
緊張もなく、戦いもない平々凡々た
る生活に埋没していて、どうして生きがいを感じることができようか。
だから「生きがい」は、「努力」と二人三脚でなければならない。
努力のないところに生きがいはない。
希望に向かって努力するとき、そこにはじめて生きがいを見出すことができるのである。
われわれ青年は、大いなる大希望を持ち、その希望達成のため、われわれの情熱を傾けることだ。
そこにわれわれは、人生最高の喜びを見出すことができるだろう。
それが「生きがい」である。
生存的价值
生活之中,有从高楼跳下自杀的公司精英,也有抱着两个孩子撞电车而死的母亲,为什么这些人会选择结束生命呢?或许存在着各种各样的原因吧,总而言之,我认为是因为他们对人生失去了希望,看不到生存的价值。
“生存的价值”与“人生的希望”是一对双胞胎,如果没有人生的希望,那么也就没有生存的价值。
有了希望,才能忍受人生的烦恼(烦琐)和痛苦,才能鼓起生活下去的勇气。
贫苦的母亲正是因为对儿子的将来抱有希望,才会一直工作到深夜。
正是因为她抱有了这样的希望,所以才会一直不畏艰辛、坚持到底。
为主君报仇雪恨的赤穗浪士1即便是在剖腹自杀的那一瞬间,也会无悔于自己的人生,也会感受到自己生存的意义。
之所以如此,是因为他们深知自己最终实现了人生的愿望。
也就是说,“生存的价值”和“人生的希望”乃是同义语,如果没有什么需要去实现的希望的话,那么自然也就不会产生什么生存价值了。
在被问到生存的价值是什么的时候,一位年青人回答自己是为兴趣而生。
沉迷于唱片,陶醉于船模,即便是驾驶着摩托车,也会令人感到快乐。
但是,这样的兴趣之中究竟又能找到多少人生的希望呢?没有希望,也就不需要去努力,就
1赤穗浪士:1702年,日本播州赤穗四十七武士为主君报仇后集体剖腹自杀,后人以其忠诚而称为“赤穗浪士”或“赤穗四十七士”。
会沉浸在一片缺乏紧迫感、没有任何挑战(战争、纷争、战斗)的平凡生活之中,这样的话,怎么能够感受到生存的价值呢?
因此,“生存的价值”与“努力”必须齐头并进,协调一致。
没有付出努力,也就不会有什么价值可言。
我们要朝着人生目标努力前进,只有在这个时候,我们才可以找到生存的价值。
我们年轻人要拥有远大的目标,为了实现这个目标,我们要倾注我们的热情。
由此,我们就会找到人生最大的幸福。
这,就是生存的价值。