日本人的美意识_物哀

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日本人的美意识――物哀

李 娜

(西安工业大学 710032)

【摘 要】日本人的美意识中“物哀”是极其重要且经常被提及的。本文通过分析“物哀”美意识产生与发展直到被明确提出的过程,阐述了“物哀”的具体含义与在日本文学、文化、生活各方面的表现,论述了“物哀”对日本人的精神世界的巨大影响。

【关键词】日本人;美意识;物哀;精神世界

日本人の美意識――物の哀れ

日本人の美意識には「物の哀れ」がある。「物の哀れ」というのは、人生の機微やはかなさなどに触れた時に感ずる、しみじみとした情趣。日本の音楽が単調な 、舞踊が緩やかな動作、寺院が素朴な様子、画が派手な色彩を避ける……どうしてこうなったのかといえば、これらは全部日本人の「物の哀れ」の美意識からなるのである。

「物の哀れ」は長い期間をかけて、「哀れ」から発展したのである。奈良時代、平安時代初期、神、民族、国家共同体を追求する中の「誠」意識から「哀れ」が出た。古代神話、歴史伝説、歌謡などの口承文学からまず「誠」意識が現れ、それを基づいて、「哀れ」という美意識が芽生えた。

「あはれ」は最も「あ」と「はれ」と二つの感嘆語の組み合わせとして、人々が労働、戦闘、信仰、性欲などの衝動で発した喜び或いは悲しみの言葉で、ある本能的な感慨である。文化がまだ混沌していた時代には、他の文学の表現法がまだ現れていないから、このような感嘆語は「歌」として古代の原始歌謡に現れたのである。「あはれ」は日本漢字で表現すると、「哀」になる。字を見ると、哀愁の意味を読み取れる。正倉院の古書には万葉仮名で書いた例がある。「春佐米乃 阿波礼」。これは春雨を見て「哀れ」な気分になって、ある繊細で哀愁な感情の表現である。「哀れ」は哀愁だけでなく、歓喜の意味にも使われている。『古語拾遺』には天照大神が現れたとき、空が晴れ渡って、神々が喜び合って、踊りながら、こんな歌を歌った。「哀 阿那 于茂志吕(あはれ あな おもしろ)」。

『万葉集』は以上の「哀れ」の感嘆作用を伝承して、「哀れ」を独立の感嘆語として多く使われていた。その詠嘆と哀愁は全部個人の感情をもとに出たものである。『「万葉集」総索引』によると、万葉歌には「哀れ」を9回使用した。後の『古今和歌集』『竹取物語』『伊勢物語』『大和物語』『枕草子』『宇津保物語』にも「哀れ」が20回、6回、13回、54回、86回、317回出たという。

「哀れ」が広く使われるうちにだんだん単純の感嘆から物心合一の意識まで発展して、「哀れ」で悲哀、同情、愛憐などの感情を表して、感傷的な傾向がある。可憐な対象を主体として、人の真情を表現した「哀れ」は「誠」の美学精神と通じる。同時に、対象の中に主観的感情的に入り込んで、情緒的から情趣的感動になったから、「哀れ」だけではこんな感情、理念を完璧に表せない。この時、対象の上に「の」を付け加えて、「哀れ」と結んで、「物の哀れ」がはじめて出た。「哀れ」は平安時代にやっと「物の哀れ」になって、感動的意味から特別な情趣的意味になったのである。

『源氏物語』はその発展を促して、日本民族の美意識の主体になった。紫式部は『源氏物語』には「誠」を根底にして、「哀れ」

を「物の哀れ」に発展して、内容も豊富にして、賛美、親愛、共鳴、同情、可憐、悲傷などの内容を表す。また、感動の対象も人と物の限界を超えて、社会世相まで拡大した。調査によると、『源氏物語』には「哀れ」は1044回、「物の哀れ」は14回現したそうだ。

だから、「哀れ」から「物の哀れ」の美意識まで発展したのは紫式部によって完成したと言える。

国学者である本居宣長は、『源氏物語』の作中から「物の哀れ」の用例十二箇所を抽出してこの物語の本質が「物の哀れ」にあることを実証的に論証するとともに、この精神こそが日本文学の本質であると説いた。

「物の哀れ」は平安時代の日本文学から出た理念であるが、文学を影響するだけではなく、後世の日本人の文化観と人生観にも強い影響を与えたのである。川端康成は平安朝の「物の哀れ」が日本美の源になったとか、悲と美が互いに通じ合うものとか述べたことがある。彼はこの美意識の影響で、『伊豆の踊り子』の中に、主人公二人の悲を美に属して、淡い悲しみが真の美と解け合って、悲哀な美的抒情世界を作り出した。日本民族全体も残月を愛、初めて裂けるつぼみと散る花のかけらを愛する。

その中に悲しみ惜しむ哀愁の情緒が潜んでいると思うため、美感を増加することができるから。このようなはかない哀感と美感こそ、日本人の「物の哀れ」の真髄である。

「物の哀れ」は日本人の人生観に一番大きな影響は生死観といえる。その主体は「瞬間美」を求めて、美しい瞬間で永久不変の静寂を求める。死が最高の芸術、1種の美の表現で、芸術の極致が死滅だと川端康成は主張する。葉渭渠は更に日本人の美意識の中に瞬間美の理念が存在して、すなわち美の短さを賛美すると指摘した。古代日本人は自分を桜に例えて、瞬間美の観念を自殺で人生の極点になる行為に転換した。彼らの殉死の意義も瞬間の生命の光を求めることにあって、死滅の中で永久不変の静かさを求めることを企む。そのため、生命を求める一瞬の間はぱっと光り輝いて、「物の哀れ」の重要な特質である。

「物の哀れ」の影響で日本人の精神世界が他の民族と異になってる。日本の国旗が純白を下色にしたのもその影響と思われる。日本人は白色を愛して、白色が雪のようなためで、雪が純潔を象徴し、しかも雪は解けやすくて、無常な哀感を含んで、日本人の感傷的な性格とたいへん符合する。日本の歌舞伎は悲しい場面を表現する時、誇張の動作を避けて、多くは静かに悲しみを辛抱した動作で、観衆に更に深い方面からこの場面の表現した悲しい気持ちを感じ取らせる。世界で多くの国の国歌は雄壮で、しかし日本の国歌は哀調を持ち、子守歌さえも悲しみと可愛がりの気持ちがある。このような「物の哀れ」の強烈な感化力で日本人の心が影響されて、日本文化も独自の道を切り開いたのである。

【参考文献】

[1]『物哀と幽玄———日本人の美意識』葉渭渠、唐月梅著.広西師範大学出

版社2002年版

[2]『日本文化史』家永三郎著.岩波書店1970年版

[3]『日本文化史』葉渭渠著.広西師範大学出版社2004年版

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