中日文学史第二讲
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• 露伴ははじめ、漢文調の雅俗折衷 文体を用いたが、次第に言文一致 の文体となり、『天うつ浪』(そらうつなみ、 明治36)などを残した。その作風は東 洋的神秘主義と観念的理想主義の 絡み合ったもので、近代化する社会 や文壇の動向と一線を画した。
硯友社系の作家
• 「硯友社」には、他に『武蔵野』(むさし の、明治20)『胡蝶』(こちょう、明治22)で 「です調」の言文一致体を用いた山 田美妙(1868‐1910)がおり、また紅葉 門下には、後に神秘的な幻想世界 を造形した『高野聖』(こうやひじり、明治 33)、自身の若き日を描いた『婦系 図』(おんなけいず、明治40)の泉鏡花が いる。
• 続いて、題材を広く社会・政治に求 めてその矛盾を描く社会小説が登 場した。観念小説や深刻小説が人 情、世間の特殊相誇張に傾くのをみ て、『国民之友』は明治29年10月号 に「社会小説出版予告」を掲げ、「社 会、人間、生活、時勢といへる題目」 の創作化による「文壇革新」を唱えた。
内田魯庵
• 内田魯庵(うちだ・ろあん、1868‐1929)の 『くれの廿八日(にじゅうはちにち)』(1898) が社会小説の代表作として迎えられ たが、『社会百面相』(しゃかいひゃくめ んそう、1902)の政界風刺は政治家主 体批判を欠き、近代政治の核心をつ かなかった。
• 日清戦争後、社会的矛盾や不合理 を批判する観念小説や、「国民之友」 の「社会小説出版予告」(明治29・10) に端を発する社会小説が書かれた のが、社会主義文学の一つの予兆 と言えよう。
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• 一方、社会主義運動も、社会主義研 究会(明治31)、社会主義協会(明治33)、 社会民主党(明治34)などが次々と組 織され、昂揚期を迎えていた。 • この時期に創刊された労働運動誌 「労働世界」(主筆片山潜)に発表され た児玉花外(こだま・かがい、1874‐1943) の詩などが社会主義文学の典型例 となろう。
三、浪漫主義
• 明治20年代から40年代にかけて「文 学界」(明26-31)「しがらみ草子(そうし)」 (明22-27)「明星」(明33-41)「三田(み た)文学」(明43-大15)「スバル」(明42‐ 大2)などの雑誌が発行された。いず れも、ヨーロッパの浪漫主義運動に 影響を受け、自我と内面的真実に向 かい合おうとする作家たちが作った 雑誌であった。
しがらみ草子と森鴎外
• また、「しがらみ草子」では森鴎外(も り・おうがい、1862‐1922)らが留学経験か ら得た広い文芸知識をもとに評論活 動を行った。鴎外はこの雑誌で小説 『舞姫』(まいひめ、明治23)を発表、石 橋忍月(いしばし・にんげつ、1865-1926) や坪内逍遥と論争も行った。
蘆花・黒潮
• ただし花外の『社会主義詩集』(明治 36・8)は発禁となり、読者の手に渡ら なかった。 • 小説では徳冨蘆花の『黒潮』(明治35・ 1‐6)が早い時期のものだが、実質的 には社会主義文学と言えないとの意 見もある。
木下尚江
• しかし、社会主義文学の代表例とさ れる木下尚江(きのした・なおえ、 1869‐1937)『火の柱』(明治37・5)は、筋 立てその他の点において蘆花の作 品を下敷きにしており、後続作品へ の影響は大きなものがあった。
• 日清戦争(明治27‐28)から日露戦争(明治 37‐38)に至る間は、日本の資本主義の 発展期に当たるとともに、その矛盾も現 われ始めた時期だった。 • そのような現実を反映して、文学でも、社 会の暗部を抉る広津柳浪らの深刻小説、 主張や抗議を表面に打ち出す泉鏡花・ 川上眉山の観念小説がブームを呼んだ。
• 尚江は早くから腐敗政治攻撃や普 通選挙運動を推進し、社会民主党、 社会主義協会にも加わった。日露開 戦に先立って反戦運動を組織し、平 民社の中心となった。 『火の柱』や 『良人の自白』(明治37・12‐39・7)は、主 として平民社から刊行されている。
石川啄木
• 明治も終わりに近づくと、大逆事件 が象徴するような社会主義の暗黒時 代となる。尚江の著書も次々と発禁 にされて行くが、そうした時代状況を 鋭く捉えたのが、石川啄木(いしかわ・ たくぼく、1886‐1912)の評論『時代閉塞 (へいそく)の現状』(明治43・8)であった。
文学界(ぶんがくかい)
• 北村透谷(きたむら・とうこく、1868-1894)、 島崎藤村(しまざき・とうそん、1872-1943)、 樋口一葉(ひぐち・いちよう、1872-1896)、 上田敏が参加した「文学界」では、 透谷が『内部生命論』(明26)などの評 論を発表、明治20年代の自我の成 熟と内的観賞を問題にした姿勢は、 多くの人々に影響を与えた。
浮雲(うきぐも)
• 二葉亭はこの『浮雲』で逍遥の主張 を達成した。近代化の中で苦悩する 主人公内海文三を造形することに成 功するが、近代化する社会と伝統的 な感受性との相克を自身も解決する ことができず、作品は未完に終わる。 • また、言文一致を試み、「だ調」の文 体を創り出した。
二、偽古典主義
樋口一葉
• 樋口一葉は紅葉・露伴におくれて出 現した天才的な女流作家で、彗星の ような光芒を放って消えた。短い生 涯を不遇の内に過ごし、死の直前に 『たけくらべ』『にごりえ』(ともに明28)な どを書いている。
たけくらべ
• 遊里という特殊な環境を舞台に、思 春期にちかい少年や少女の織りな す心象の明暗をえがきわけ、下町の 風物を点描しながら、あいしゅうのし じょうをただよわせた傑作である。井 原西鶴に模して、和文の伝統を巧み に生かした文体も独自であり、同時 代の深刻小説とは一線を画する。
• なお、徳冨蘆花の『不如帰』尾崎紅 葉の『金色夜叉』も社会小説の面を 持つ。
(四)
社会主義小説
• 社会主義の理念に立脚する文学と 考えれば、この社会主義小説に該 当する作品は大正期にも昭和期に も多数存在するが、より狭義に、明 治30年代以降の木下尚江(きのした・ なおえ)らの作品を指すのが通常であ る。
近代文学史
第二講 第二章 形成期の文学
一、写実主義
• 明治5年に学制が定められ、教育や 留学の機会も増えたことによって、そ れまで日本では普及しなかった考え 方や学問を習得した人々が育って 来た。坪内逍遥(1859‐1935、つぼうち・ しょうよう)もそれまでの日本にはなか った「Novel(ノベル)」の概念を学び、 日本に根付けようとした一人である。
二葉亭四迷(ふたばてい・しめい)
• 逍遥はその小説論の実践として『当 世書生気質(とうせいしょせいかたぎ)』(明 18‐19)を著すが、近代小説の第一歩 は困難を極めた。 • この逍遥の考え方に触発され、二葉 亭四迷(1864‐1909)が『小説総論』(明 19)で理論を、さらにその実践として 『浮雲』(明20)を著した。
独歩・蘆花
• この時代には他に、イギリスの詩人ワ ーズワースに影響を受けた国木田独 歩(くにきだ・どっぽ、1871‐1908)の『武蔵 野』(むさしの、明治31)や、徳冨蘆花(とく とみ・ろか、1868‐1927)の『不如帰』(ほとと ぎす、明治31などが発表された。
四、深刻小説(悲惨小説) ・観念小説・社会小説
我楽多文庫
• 硯友社は機関誌『我楽多文庫』(がら くたぶんこ、明18・5‐22・10)を発行し、広 く読者を獲得した。
尾崎紅葉(おざき・こうよう)
• 中でも紅葉は明治20年代の文壇の 中心となり、雅俗折衷体(がぞくせっ ちゅうたい) を用いて、『二人比丘尼色 懺悔』(ににんびくにいろざんげ、明治22) 『三人妻』(さんにんづま、明25)を発表、 『多情多恨』(たじょうたこん、明29)で「で ある調」の文体を確立した。
• 維新以後の極端な欧化主義の反動 で、維新以前の日本文化を懐かしむ 復古主義の風潮が生まれた。
硯友社(けんゆうしゃ)
• 日本で始めての文学結社である硯 友社を結成した尾崎紅葉(1876‐1903)、 山田美妙、広津柳浪、川上眉山、巌 谷小波(いわや・さざなみ)らは、写実的 な人間描写の中にも、西鶴や近松な ど江戸文学の影響を感じさせる作品 を発表した。
小説神髄(しょうせつしんずい)
• 明治18年に逍遥は『小説神髄』を出 版、現実離れした儒教的な勧善懲 悪や、現実的効用を目的とする功利 主義を排し 、「小説は芸術である」と 唱え、さらに「人間をあるがままに描 く(人情を描く)」ものと考え、人間を 写実的に描く近代小説の方法、「写 実主義」を説いた。
「想世界」と「内部生命」との緊張の 中に生命の高揚を求める『内部生命 論』などの評論で、浪漫主義の中心 的指導者となったが、その余に理想 主義的な文学観は、近代化の途上 にあった当時の状況とは相容れず、 絶望のうちに自ら命を絶つこととなっ た。
島崎藤村
• 島崎藤村は『文学界』で透谷の影響 を受け、詩集『若菜集』(わかなしゅう、 明治30)で青春の苦悩と喜びをみず みずしい完成で歌い上げ、以降も 『落梅集』(らくばいしゅう、明治34)など、 次々と詩集を刊行、浪漫詩の頂点を 形成した。
幸田露伴(こうだろはん)
• 同じ時期、幸田露伴(1867-1947) も漢学の教養を元に、『風流仏』(ふう りゅうぶつ、明22)、『五重塔』(ごじゅうのと う、明24)など伝統的な精神や恋の美 しさを描いた作品を発表し、人気を 博した。紅葉と露伴の二人が活躍し たこの時期を「紅露時代」(明治20年 代)という。
雅俗折衷体
• 地の文を、擬古文とよばれる平安時 代の和歌や仮名文を基調とする雅 文[文語体]で書き、会話の部分を江 戸時代以降の日常的・実用的な俗 文[口語体]で書く。
金色夜叉
• また、財力が力を振るう時代の到来 を敏感にとらえた『金色夜叉』(こんじき やしゃ、明30-35、未完)において声望を いよいよ高めた。
(一)深刻小説
• 深刻小説(しんこくしょうせつ)とは、人生、 社会の悲惨、深刻な暗黒面の描写 に主眼を置いた小説。<悲惨小説(ひ さんしょうせつ)>ともいう。日清戦争後、 明治28年(1895)から3、4年間流行し たこの種の小説群をさす。
• すなわち、95年の広津柳浪(ひろつ・り ゅうろう、1861‐1928)『黒蜥蜴(くろとかげ)』 『亀さん』、後藤宙外(ごとう・ちゅうがい、 1866‐1938)『ありのすさび』、など、96 年の柳浪『今戸(いまど)心中』『河内(か わち)屋』、小栗風葉(おぐりふうよう、 1875‐1926)『亀甲鶴(きっこうづる)』、97年 の柳浪『畜生腹』など。
北村透谷
• 透谷は、『楚囚之詩』(そしゅうのし、明治 22)『蓬莱曲』(ほうらいきょく、明治24)の 詩人として出発したが、自由主義に 基づいて恋愛を賛美した『厭世詩家 と女性』(えんせいしかとじょせい、明治25) 文学を現実的功利性とは無縁のも のと定義づけた『人生に相渉(あいわ た)るとは何の謂(いい)ぞ』(明治26)、
(二)観念小説
• 観念小説とは、普通、<作家が時代 社会、世相などから触発された観念 をその作品中で明白に打ち出してい る小説>をさすものだが、ただし、日 本近代文学史上では、おもに日清 戦争後の明治28年(1895)ごろ流行し た一群の小説をさす。
• すなわち、1895年の泉鏡花『夜行巡 査(やこうじゅんさ)』『外科室(げかしつ)』、 川上眉山(かわかみ・びざん、1869‐1908) 『書記官』『うらおもて』や、翌96年の 鏡花『海城(かいじょう)発電』『化銀杏 (ばけいちょう)』などの作品に対する呼 称である。
• これらは主として、当時矛盾を露呈し 始めた明治資本主義社会の現実に 着目した作家がその問題点を指摘し、 読者に強く訴えようと意図したもので あった。 • 深刻小説とともに写実主義の深化を 目ざしたともいえる。ただ、あまりにも 観念が先行したために、空疎な印象 は否めず、やがて衰退した。
(三)社会小説