日本古典文学概论
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紫式部
(973年前後ー1014年?)
父は越前や越後の国守を歴任した受領・中流貴族の藤
原為時
結婚は27才位の時で、夫は藤原宣孝(のぶたか)と
いう20才も年上の人。28才で娘・賢子を産むが、 僅か3年で夫と死別。
夫の死後、時の最高権力者・藤原道長(966 ~
1027)の娘彰子(しょうし)の女房として宮仕えし、
我が身一つはもとの身にして
とよみて、夜ほのぼのと明くるに、 泣く泣く帰りにけり。
直訳・現代語訳
昔、東の五条に、大后の宮が 住んでいらした頃、西の対に、 住む人があった。その人を好 きになっても仕方ないとわかっていたのに、深く愛してしまった人が、 屋敷を訪れていたが、一月十日頃に、女は他の場所に身を隠してしまっ た。居場所は聞いたものの、人の通えるようなところではなかったので、 そのままただ悲しいと思いながら日を過ごしていた。 次の年の一月、梅の花ざかりに、去年を恋しく思って行って、立って あたりを見回し、座ってあたりを見回して見るけれど、去年に似るはず もない。泣いて、がらんとして荒れた床に月が傾くまで伏せって、去年 を思い出して詠んだ。 月はあの時と同じ月ではないのか 春は昔と同じ春ではないのか 私の身一つがもとのままで 他のものは何もかも変わってし まったというのか と詠んで、月のかすかに明ける頃、 泣く泣く帰ったのだった。
「源氏物語」
平安時代中期1000年頃に、作者・紫式部によって書かれた世界最古の 長編小説 主人公・光源氏をめぐる恋愛・人生を中心として、物語は展開してい く。そのモデルは藤原道長ではないかとも言われている。さまざまな 恋物語、多彩な登場人物、平安王朝の宮廷の様子、貴族たちの日常生 活のほか、平安時代当時の信仰・社会・文化などが描かれている。
384
原文: 吾屋戸尓 韓藍<種>生之
雖干 不懲而亦毛 将蒔登曽念
よみ: 我がやどに、韓藍(から
あい)蒔(ま)き生(お)ほし、枯 れぬれど、懲(こ)りずてまた も、蒔(ま)かむとぞ思ふ
意味: 私の家の庭に、韓藍(か
らあい)の種をまいて育てて、 枯れてしまったけれど、懲り ずにまた、種をまこうと思う。
wenku.baidu.com
第四段・原文 むかし、東の五条に、大后の宮おはしましける。西の対 に、住む人ありけり。 それを、本意にはあらで、心ざし深かりける人、行きとぶらひけるを、 睦月の十日のほどに、ほかにかくれにけり。あり所は聞けど、人の行き通 ふべき所にもあらざりければ、なほ憂しと思ひつつなむありける。 またの年の睦月に、梅の花盛り に、去年を恋ひて行きて、立ちて 見、居て見、見れど、去年に似る べくもあらず。うち泣きて、あばら なる板敷きに月のかたぶくまでふ せりて、去年を思ひいでてよめる。 月やあらぬ春や昔の春ならぬ
万葉仮名
万葉集は「万葉仮名(ま
んようがな)」とよばれ る漢字で表記。この時代、 まだ仮名文字(ひらが な・カタカナ)は発明さ れていなかったから、文 字としては中国から伝 わった漢字があるだけ
万葉集(近衛文庫) 巻1から。
特徴・主な歌人
万葉集に特徴的な和歌として、感情や自然
の雄大さを素朴に表現したもの、庶民のこ ころを描いたもの、関東・東北地方を舞台 にして詠まれた「東歌」や、筑紫・九州北 岸地方での軍備・警護のために連れてこら れた人々の哀しい「防人歌」などがありま す。 主な歌人:額田王・柿本人麻呂・山上憶 良・大伴旅人・大伴家持など。
冬の歌
例解
昨日といひ
けふとくらして あすか川 流
れて速き 月日なりけり
春道列樹(はるみちのつらき) 昨日と言ってたらもう今日が来て、すぐに明
日か。
ホント、「あすか川」の流れみたいに月日が
たつのは早いもんだ。
「あすか川」という言葉に「明日」を引っか
ける「掛詞」という技法
伊勢物語
竹取物語
・日本中の誰もが知っている「かぐや姫」
の原作が『竹取物語』 ・冒頭の文:「今は昔竹取の翁といふも
のありけり。野山にまじりて、竹をとり
つゝ、萬の事につかひけり。名をば讃岐 造麿となんいひける。その竹の中に、本 光る竹ひとすぢありけり。怪しがりて寄 りて見るに、筒の中ひかりたり。それを 見れば、三寸ばかりなる人いと美しうて 居たり。」
家种韩蓝草,虽枯我无悔,来
年春发日,再种亦不迟。
2278
恋ふる日の日長くしあれ
ば我が園の韓藍の花の色 に出でにけり 恋日之 気長有者 吾苑 圃能 辛藍花之 色出尔 来 意味: 恋する日々が長く 続いたものだから、私の 庭の韓藍(からあゐ)の花 のように、顔色にでてし まいました。 相思日日夜,恋汝情亦长, 如我庭中花,日久紫逾浓
2784
原文: 隠庭 戀而死鞆 三苑原
之 鶏冠草花乃 色二出目八方
よみ: 隠(こも)りには、恋ひ
て死ぬとも、み園生(そのふ) の、韓藍(からあゐ)の花の、 色に出でめやも
意味:隠りには恋ひて死ぬとも
み園生の韓藍の花の色に出で めやも
暗恋相思苦,虽死无悔时,如
我庭中草,鸡头冠紫徽。
古今和歌集序
真名 夫和歌者,其託根於心地,而發華於詞林也。人生在世,不能無為。 或為人、事、業之所感。以其心思所至,諭於見聞萬物,而吟形於言也。 夫古今和歌集序聞花上鶯鳴、水棲蛙聲,生息之人,孰不賦歌。 不假外力,即可動天地、感鬼神、和夫婦、慰武士者,和歌也。 仮名
和歌は,人の心を種として,萬の辭とぞなれりける。
日本古典文学概论
暨南大学外国语学院日语系 王琢
文学とは何か
文学史とは何か
それぞれの概念の把握
古事記
古事記は712年の成立。古事記は、稗田阿 礼(ひえだのあれ)というたいへん記憶力 のよい人がよみならわした「帝紀(てい き)」と「旧辞(きゅうじ)」を太安万侶 (おおのやすまろ)が記録し、元明天皇 (げんめいてんのう)の時代に完成した歴 史書。三巻。 古事記は漢字の音訓を用いて日本語で記さ れており、上つ巻・中つ巻・下つ巻の全3 巻からなる。現存する日本最古の歴史書。
短歌・長歌・反歌
歌の種類:5・7・5・7・7の短歌がほとんど
ですが、5・7・5・7・・・がずっと続く 「長歌」や、その長歌のあとに詠まれる 「反歌」など、特徴あるスタイルの歌が多 く収録されています。「古事記」「日本書 紀」のように5と7の組み合わせがはっきり していなかった時代と、「古今集」のよう に5・7・5・7・7の短歌中心の時代、その間 に位置します。
渉信濃坂 積石千重峻,危途九折分。 人迷邊地雪,馬踢半天雲。 岩冷花難笑,渓深景易曛。 郷関何処在,客思転紛紛。
かな文字の発明
仮名文字の発明⇔漢字(真名)
平仮名―漢字の草体=草仮名
片仮名―漢字の偏や画を省略
仮名文字の発明→日本人独特の思考・感情
や言葉が自由に表現できる
漢字の日本化→和漢混交文・侯文など
日本書紀
日本書紀は720年の成立。天
武天皇の皇子である舎人親王 (とねりしんのう)が中心とな り、太安万侶をはじめとする多 くの歴史家によって編纂(へん さん)された。古事記とちがっ て漢文で記されている。
第一・二巻は神代、第三巻以下
は神武天皇の代から持統天皇の 終わりまでを編年体で記す。文 章は、歌謡以外は純粋な漢文体 で記されている。中国史書の影 響が著しい。略称『書紀』。
六朝・初唐詩の影響が大きく、詩作としては稚拙なものも
散見されるが、大陸文化受容における過渡期の作品として たいへん興味深い内容となっている。
述懐臨終
述懐(懐ひを述ぶ)丹墀広成 少無蛍雪志 長無錦綺工 適逢文酒会 終恧不才風 少(わか)くして蛍雪の志なく ひととなりて錦綺(きんき)の工なし たまたま文酒の会(つどひ)に逢ひて ついに不才の風を恧(は)づ
0488
原文: 君待跡 吾戀居
万葉集古歌
者 我屋戸乃 簾令動 秋之風吹
よみ: 君待つと我が
恋ひをれば、我が宿
の、簾(すだれ)動か
し、秋の風吹く
意味: あなた様を恋
しく待っていますと、 家の簾(すだれ)を動 かして秋の風が吹い てきます。
0090 原文: 君之行 氣長久成
奴 山多豆乃 迎乎将徃 待尓者不待 よみ: 君が行き、日(け) 長くなりぬ、山たづの、 迎へを行かむ、待つには 待たじ 意味:あなたがいらっし ゃってから、ずいぶんと 日が過ぎてしまいました。 山たづのように、あなた を迎えに行きましょう、 待ってなんかいられない わ。
紀友則、紀貫之、凡河内み恒、壬生忠みねらを撰者として、9
05年以降作られた。 ・紀貫之:(~945頃)古今集撰者の一人であり、仮名序(日 本人が仮名を用いて書いた最初の日本語文のひとつ)の筆者と して、後世に多大の影響を与えた。官位には恵まれなかったが、 「土佐日記」「貫之集」を残し、仮名文学の可能性を示し、歌 壇の指導的役割を演じた。
懐風藻(かいふうそう)
日本最古の漢詩集。一巻。撰者未詳。天平勝宝三年
(751)成立。
「懐風」とは「古い詠風を懐かしむ」という意味。「藻」
は美しい詩文のこと。
近江朝(七世紀後半)以後約80年間における64名の漢詩約
120首を作者別、年代順に配列している。作者は、大友皇 子(おおとものみこ)、大津皇子(おおつのみこ)、長屋 王(ながやのおおきみ)などが代表的。五言詩が多く、対 句が重視されている。
・タイトル:「この子いと大になりぬれば、
名をば三室戸齋部秋田を呼びてつけさす。 秋田なよ竹のかぐや姫とつけつ」
古今和歌集
・「古今集」、「古今」とも。20巻、約1100首を収める最
初の勅撰和歌集で、近世に至るまで和歌の手本とされる。
「春」「夏」「秋」「冬」「離別」「恋」などの部に別れ(部 立)、仮名と真名(漢文)の序文がつく。醍醐天皇の勅命で、
臨終 大津皇子
金烏臨西舎 鼓声催短命 泉路無賓主
金烏(きんう) 西舎(せい しゃ)に臨み 鼓声(こせい) 短命を催(うなが)す 泉路(せんろ) 賓主なし
此夕離家向
この夕(ゆうべ) 家を離(さか)りて向う
漢詩文
平安時代の初め、貴族たちは一族の出世を願って子弟のために、学寮 を建てて学問をさせ中国風の文化を身につけることに熱中するが、朝 廷でも漢詩を作る会が開かれ、「凌雲集」などの漢詩集ができた。
古事記「冒頭」
伊邪那岐命と伊邪那美命
ここにその妹(いも)伊邪
那美命(いざなみのみこと)
に問ひて、「汝(な)が身は 如何(いか)にか成れる」と 曰(の)りたまへば、「吾 (あ)が身は、成り成りて、 成り合はざる処一処(ひとと ころ)あり」と答へたまひき。
ここに伊邪那岐命(いざなき
のみこと)詔(の)りたまは く、「我(あ)が身は成り成 りて、成り余れる処一処あり。 かれ、この吾が身の成り余れ る処をもちて、汝(な)が身 の成り合はざる処にさし塞 (ふた)ぎて、国土(くに) を生み成さむとおもふ。生む こといかに」とのりたまへば、 伊邪那美命、「然善(しかよ) けむ」と答へたまひき。
日本書紀
巻第一
神代上 故曰、開闢之初、洲壤浮漂、 譬猶游魚之浮水上也。于時、 天地之中生一物。状如葦牙。 便化爲神。號國常立尊。至 貴曰尊。自餘曰命。並訓美 擧等也。下皆效此。次國狹 槌尊。次豐斟渟尊。凡三神 矣。乾道獨化。所以、成此 純男。
万葉集
万葉集(萬葉集)は、現存す
る最古の和歌集です。760年前 後に編集されたといわれてい ます。全20巻、約4500首、天 皇・皇后から庶民まで、また 仁徳天皇の代(4世紀)から奈 良時代まで、あらゆる身分の 人の、あらゆる時代の歌が収 録されています。誰の手によ って成立したのかは不明です が、大伴家持(717?-785)が 最終的な編集に大きな役割を 果たしたと考えられています。
世中に或る人、事、業,刺激物なれば,心に思ふ事を,見る物、聞く物 につけて,言ひ出せる也。花に鳴く鶯,水に棲む蛙の聲を聞けば,息と し生ける者,孰れか歌を詠まざりける。 力をも要れずして,天地を動かし,目に見えぬ鬼神をも哀れと思はせ, 男女の仲をも和らげ,彪き武士の心をも慰むるは,歌也。
古今和歌集