新世纪日本语教程(中级)
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第1課大学生はやりくり上手
「本文」
ある新聞記事によれば、自宅を離れて生活する大学生の月平均の食費は2万6,720円で、大学生協が80年から行ってきた調査の中では最低額に落ち込んだそうだ。
日本の大学生は親からの仕送りやバイト代が減る中で、食費や電話代を切り詰め、不意の出費に備えて月一万円貯蓄に回しているという。
大方の予想に反し、この調査からは学生の意外に堅実な暮らしぶりがわかった。
貯蓄が増えて入るのは就職活動にも大学院に行くのにもお金がかかるので、それに備えているからだという。
学生たちはどんなやりくりをして生活しているのだろうか。
一人暮らしで自炊をしているAさんの食費は月1万だそうだ。
彼は大学には夕飯の残りを詰めた弁当を持参している。
新聞を購読している友達がいて、スーパーの安売りの情報を見つけるたびに携帯メールで知らせてくれる。
醤油などの調味料や油は大型サイズを安売りの際に買うようにしている。
一月の収入は仕送りの5万円と奨学金の5万円だが、就職活動中はアルバイトもなかなかできない。
毎月家計簿をつけて月末に収支を計算し、黒字の場合は銀行に貯金する。
そうして貯めたお金で就職活動用のスーツとバッグを買ったそうだ。
スーツは近くの量販店で9,000円だったそうだ。
就職したら親が払ってくれたお金は返したいとAさんは思っている。
節約は生活のためだが、計画的に、身の丈に合った生活を工夫している大学生たちに悲壮感はない。
金がないなら、ないなりに楽しく前向きに考えている。
「貧乏を楽しめるようになったら、一人暮らしも一人前」なのだそうだ。
「会話」アルバイトに応募
受付:こちら、中岛商事でございます。
木村:もしもし、私、木村真理子と申します。
アルバイト募集の件でお电话したんですが、こちらでよろしいでしょうか。
受付:アルバイトの件ですね。
少々お待ちください。
坂本:はい、こちら人事部の坂本でございます。
木村:私、『アルバイト』に载っていた求人広告を见てお电话しております。
木村と申します。
あのう、アルバイトの件なんですが
坂本:あ、アルバイトの件ですか。
申し訳ありませんが、今、担当者が席を外しておりまして。
木村:そうですか。
いつごろお戻りになりますか。
坂本:そうですね。
はっきりは、わかりかねますが。
多分、夕方ぐらいに戻ると思いますが。
木村:そうですか。
それではまたそのころお电话してもよろしいでしょうか。
坂本:担当者が戻り次第こちらからお电话しますので、お名前とご连络先をお愿いします。
木村:はい。
名前は木村真理子です。
连络先の电话番号は080-480-5937です。
坂本:木村真理子さんですね。
お电话番号は080-480-5937ですね。
それでは,担当者は佐藤と申しますが、本日の夕方には戻ってくると思いますので、お电话差し上げるようにいたします。
木村:わかりました。
どうぞよろしくお愿いします。
では、失礼いたします。
坂本:はい、失礼します。
第2課心の壁を越える勇気を
「本文」
ある新聞に、中国から一年前に来日して日本の大学で学んでいる留学生の話が載っていた。
彼女の専攻は情報処理であるが、日本語を学び、将来は日本で就職して日本とアジアを繋ぐような仕事をしたいと思っている。
彼女は大学から奨学金をもらってはいるが、それだけでは十分ではないので、生活費はアルバイトで賄っている。
今はお惣菜やさんで週3日から5日働いている。
そこには母親と同年代の「おばさん」がいて、日本の家庭料理の作り方を教えてくれるなど、とても親切にしてくれるだが、アルバイト先には同世代の友達がいないのが不満だった。
たまたま大学で女子大生と知り合いになり、わからなかったことをいろいろと親切に教えてくれたが、何回かお茶に誘ってみても、いろいろと理由をつけて断られてしまった。
せっかく留学したのに、日本人の友達が一人もいないどころか、どうすれば友達ができるのかさえわからない。
いったいどうすれば日本人の友達ができるのだろう。
彼女は悩んだあげく、新聞で相談することを思いついた。
そして思い切って新聞に投書してみたところ、驚いたことに年齢や性別にかかわりなく150通を超える励まし便りが届いたのだ。
彼女はこれらの手紙の束に大変勇気付けられた。
それだけではなかった。
彼女が通う大学でも、実は同じような悩みを持つ留学生が多いことがわかり、大学の学長は入学式の式辞で学生に対し、「異質なものを無意識に遠ざけてしまうのは日本人の抱える大きな問題ではないか。
」と問いかけた。
日本人学生も「内向き思考」を変える勇気を持たなければならないということだ。
彼女はこれからは年の差を考えず、機会があればいろいろな人に声を掛けようと思っている。
日本の文化についてもっと知りたいし、みんなに中国のことも知って欲しいと思うからだ。
心の壁を越える勇気がほんの少しだけあれば、新しい可能性に満ちた人生が開かれることを彼女は学んだのだった。
「会話」友達を誘う
陳:ああ、授業が終わりましたね。
鈴木:そうですね。
疲れましたか、陳さん。
陳:ええ、今週はまだまだたくさん授業があるので、準備が大変です。
鈴木:そうですか。
じゃあ、どうしようかな。
陳:え?なんですか。
鈴木:実は、私、踊りを習ってるんだけど。
あ、前、お話しましたよね。
陳:ええ、鈴木さん、練習は大変でけど、とても面白いって。
鈴木:そうなんですよ。
それで、今週末に発表会があるんですよ。
陳:はい。
鈴木:もし、興味があったら誰かお友達を誘って見に来てくれたいかなあって思って。
陳:ああ、踊りの発表会。
面白そうですね。
鈴木:ええ、お昼の3時から、区民会館なんですけどね。
陳:あ、3時からですか。
行けるものなら行きたいんですけど、4時からアルバイトがあるものですから……
鈴木:あ、やっぱり、無理ですか。
あるばいと、誰かに替わってもらえないの?
陳:そうですね。
う~ん。
誰かバイトを代わってくれるかな。
鈴木:ありがどう。
来てくれたらとても嬉しいですけど、でも、無理しないでね。
陳:わかりました。
じゃあ、後で連絡します。
第3課携帯電話
「本文」
日本の携帯電話の普及には目を見張るものがある。
「携帯電話」というものの、電話しかできない機種はほとんどなく、若い世代を中心に電子メールが主流となっている。
携帯電話はいろいろな機能を搭載して、進化をし続けた結果、使用者にとってなくては習い損座となっている。
携帯電話を忘れると不安でたまらなくなるような携帯電話依存症気味の人も少なくない。
それでは、携帯電話には電話やメール以外にどんな機能があるのだろうか。
まず、カメラ付きの携帯電話は2000年11月はじめて販売されて以来、若者を中心に人気を獲得した。
携帯電話で撮った写真は携帯メールに添付して遅れるばかりでなく、プリンターに接続すれば紙にも印刷できるのだ。
今では各社は内蔵カメラの画質をデジタルカメラ並みに高めた高機能型の携帯電話を続々と発売している。
ラジオを聞いたり、テレビを見たりする機能を搭載した携帯電話もある。
かつてのウォークマンのように記録カードに、お気に入りの曲を保存してイヤホーンで聴けるものが最近発売された。
辞書として使えるばかりでなく外国語会話を音声で読み上げる機能をつけたものもある。
お財布の代わりになる携帯電話も登場した。
電子マネーが使える昨日がついたこの携帯電話にはインターネットを使っていつでも御金をチャージできるし、残高や履歴確認もできる。
クレジットカードやキャッシュカードとしても使えるようになれば携帯電話はまさにお財布以上に大切な存在になるだろう。
玄関ドアの鍵やコンにロッカーの鍵になる形態も登場しており、携帯電話はますます便利になって行くと同時に、問題となるのは安全性である。
暗証番号や指紋認証などの昨日を持った携帯電話も現在発売されているが、携帯電話をなくしてしまったら、家にも入れないし買い物もできなくなるという日も遠からず来るかもしれない。
携帯電話に高機能をつければつけるほど値段が高くなり、重くなってしまう事は避けられ
ないが、一歩で、御年寄を中心に携帯電話に余計な昨日はいらないという声も聞かれ、こういう年配の方のニーズにこたえて、操作が簡単で、取扱説明書など読まなくてもいいような携帯開発されるようになってきた。
技術はニシン月歩だが、携帯電話はこれからどうなるのだろうか。
老若男女を問わずすでに携帯電話がなければ生活できない携帯電話依存症の人々も出現していると言うが、私たちは携帯電話とどう付き合っていくのだろうかと考えずにはいられない。
第4課商社
「本文」
商社は日本独特の企業体系だといわれ、日本経済の成長は商社を抜きにしては語れない。
しかし、商社とは何かを一言で説明知ることは難しい。
なぜなら、商社は時代とともに変化し続けているからである。
商社の機嫌は、日本の鎖国が終わり、明治時代が始まる事にまでさかのぼる事ができる。
この事、日本政府は近代化?工業化を目指し、欧米の先進国に追いつくために先進技術、物資、資本、設備などを海外から輸入し、鉱産資源、食品、繊維などを海外へ輸出しようとしていた。
この時代の商社は日本と海外を仲介する、いわば貿易会社として大きな役割を担っていた。
1945年、第二次世界大戦後、日本の産業は停滞し、財閥解体により商社も衰退するかと思われた。
しかし、1956年の経済白書は「もはや戦後ではない」と宣言し、1960年に池田内閣が所得倍増計画を発表してからは日本の高度経済成長が始まった。
商社は資源のない日本に石油、木材、鉄鉱石などの資源を齎し、鉄鋼、船舶、自動車などの日本の製品を海外の市場へと運ぶというトレーダー役を果たし、いわば「日本株式会社」の購買部? 販売部として日本の経済成長を促すという役割を果たしていた。
商社自身も同時に日本企業の海外活動を包括的にサポートしながら急速に発展していった。
このような商社の機能はこの時代の日本の企業にとって重要なものとなっていったのである。
しかし、世界市場で躍進を遂げた日本企業は、次第に海外との仲介役としての商社の機能を必要としなくなり、自前で世界と交流する力を持つようになった。
その結果、商社の収益も急激に落ち込み始め、1980年代のバブルが崩壊するや否や、内需も停滞し、日本長期不況時代が始まった。
大量生産、大量消費の時代の終焉とともに、商社の役割は後退し、「商社不要論」さえも唱えられるようになった。
商社には再生をかけた新たなコンセプトが必要になった。
21世紀を迎え、商社は旧来の貿易会社としての役割とは異なる新たな氏名を模索している。
従来通りの市場のニーズを探るというより、商社水羅が市場の潜在ニーズを発掘し、それに伴って発生する問題を改称し、充足して提供して行く事によって日本経済の発展を促すという使命である。
このように経済環境の変化に応じて、商社は常に時代に即したビジネススタイルを構築し、新しい価値を提供していくことで、その使命を果たしているのである。
第5課100円ショップ
「本文」
最近、町には100円ショップがあふれている。
100円ショップというのは原則として、店内の商品を1個100円で販売する形態の小売店であり、商品が100円均一であるところから「ひゃっきん」と呼ばれている。
もっとも5パーセントの消費税を払わなければいけないので実際には105円になるのだが、若者はもとより年配者から子供たち至る幅広い客層でにぎわっている。
100円ショップは登場以来、急速に成長して着た。
その成功の理由は、なんといっても一般200円をはるかに超えると思われる種類豊ふうな商品がすべて100円で買えるということに他ならない。
商品の半分近くが中国製で、マレーシア、韓国、タイなどアジア諸国を産地とする物も多い。
商品構成は食品、ファッション、アクセサリー、化粧品、健康用品、台所用品、食器類、プラスチック製品、大工用品、文具、おもちゃなど、日常生活に必要な品物ほとんどが100円ショップで賄えるのではないかと思うほどだ。
しかし100円ショップの躍進に非常に大きな影響を与えてきたのは商品の魅力だけではなく、その構造と接客方法なのである。
多くの100円ショップではとても100円では変えそうにない商品を入り口部分にたくさん陳列して客の目をひきつける。
店内は、買う?買わないに関係なく、初めて客でも自由に商品を見られるように商品が並べられている。
客は自由に店内を歩き回り、目に着いた商品を手に取り、もし気に入った商品があれば、かごに入れてレジに持って行き、生産をする。
店員は商品の整理や陳列を行うだけで、客から質問があったときにしか接客は行わない。
100円ショップはコンビニよりも規模が大きく自由に見たり、歩き回れたりする空間を提供している。
買い物だけではなく、待ち合わせや時間不武士、娯楽といった目的の為に100円ショップを利用する客もいるらしい。
つまり、100円ショップに行く客は、特に何かを買うという目手があるわけではなく、そこにあるたくさんの商品を見るためにやって来るのだろう。
そして、店内をぶらぶらしている間に、不足していた物、あれば便利な物、他で買うよりも安いもの、興味のある物などを見つけ、思わずかごに入れてしまうのだ。
高い物ならともかく100円ならば衝動買いしてもそんなに後悔しないという人も多いだろう。
デパートやコンビニとは違い、100円ショップは、客に見似てきてもらうことを目的に作られているのである。
第6課ロボットスーツ
「本文」
ロボットといえば、ドンナロボットを思い浮かべるだろうか。
これまで開発されて着たのは工業用ロボット化、鉄腕アトムのような人間に似たロボットが多かった。
接客ロボット、掃除ロボット、チャイルドケアロボット、警備ロボット、手術ロボットなど、人間
の代わりに働いてくれる実用ロボットばかりか、人の気持ちを慰めたり癒したりしてくれるエンターテインメント用ロボットや恋するロボットなども開発されている。
先日、テレビで新しい発想のロボットが開発されたという番組を見た。
これはロボットスーツという物で、人間の身体の昨日の一部を補完、または強化する技術だ。
現在、開発では交通事故で足にマヒが残ってしまった人にロボットスーツを装着してもらい、その高効果を検証していた。
足にセンサーと足を支えるモーターを装着し、パソコンを背負う。
センサーが足の筋肉から信号を広い、歩くのを支援するという仕組みである。
つえをついてもゆっくりしか歩けなかった人がロボットスーツを装着したとたん、しっかりと歩けるようになるのを見て驚いた。
足にはくのはブーツのような物で、パソコンも文庫本程度の大きさにできるだろうという。
もしこの技術が実用化されれば手足にショウガを持つ人やお年寄りも自立した生活ができるようになるだろう。
ロボットスーツは介護や医療用に限らず、様々な分野で適用できる広いビジネスとして広がる可能性を持っている。
センサーやカメラを装着すれば災害救助や原子炉解体などの危険な作業現場でも応用できるだろう。
SF映画やアニメの世界ではすでに、ロボットスーツを装着した主人公が縦横無尽の活躍をしているが、無限の可能性を持つ技術がいよいよ実用化される段階になったのである。
しかし、優れた技術だけに、戦争ロボットや泥棒ロボットなどに転用されれば、恐ろしい脅威にもなりかねない。
ロボットはいよいよ身ぢな存在なりつつあるが、そのためには安全性という厳しい約束が必要なのである。
第7課赤ちゃんと手話
「本文」
中国に限らず日本でも子供のしつけや教育に頭を悩ませる親が多い。
日本では幼児期から英語や水泳を習わせたりする教育熱心親もいる一方で、子育てに悩んだ親が子供を虐待してしまう事件も起こっている。
ある雑誌の記事によると、最近アメリカでは生まれた赤ちゃんと少しでも早くコミュニケーションを取りたいと願う親の間で「手話教育」がブームになっているという。
専門家は、赤ちゃんは本来ボディランゲージで要求を伝えようとするものなので、手話を教えるのは理にかなった教育法だと言っている。
一般的には親子教室で生後間もない意赤ちゃんと両親がともに手話で表現を学ぶ。
といっても、表現は正確でなくてもよく、その子なりの方法で自分の欲求、気持ちなどを表現できるようにするのが目的だ。
こうした手話教育を受けた赤ちゃんは多くが生後10ヶ月にもなると50程度の単語を覚え、「ミルクがほしい」、「抱っこして」などの要求を手話で表現できるようになる。
さらに、一切を過ぎるとかなり複雑なことも手話で表現できるようになり、乳幼児が物事をよく観察していることもわかってきた。
乳幼児期に手話を覚えた子供とそうでない子供を学
齢期になって比較した場合、手話を覚えた子供の方が平均15%もIQが高いという調査結果もあるという。
そのため、保育所や幼稚園、小学校でも手話を教育カリキュラムの一環に加えるところも増えているそうだ。
これまでも幼児期から複数の言語を話す事は脳の活性化につながる、と言われて着た。
それをボディランゲージと結びつけた手話教育は、ますます子育てに悩む親の心をひきつけつつある。
手話が、ただ泣くだけだった赤ちゃんに主張という手段を与えてくれるのだとしたら、子供とコミュニケーションがとれずに悩む親を救うことになり、結果的に子供の情緒安定にも役立つに相違ない。
第8課犬が取り戻した家族の笑顔
「本文」
一月初めの愛犬すみれ(ポメラニアン)の死で、暗くなってしまった我が家。
ペットロス症候群というらしいが、私も妻も末娘も何かにつけすみれを思い出し、悲しみのあまりまるでやる気がなくなっていた。
1年は人間の4年に当たるからと勝手な理由をつけ、2月初めに近くの犬の店に行った。
家族に見に行くだけといいながら、私は初めから子犬を購入するつもりでいた。
そこで、末娘が身に中ダックスフントに一目ぼれをした。
娘はアレルギー体質なのに顔中なめられ、痒がっていたが、満面の笑み。
もう話すことはできなかった。
ダックスフントが家族の一員となり、桜と名付けた。
おしっこも運子も散らし放題だが、妙に愛敬がある。
「胴長で足が短い。
腹が出ている。
顔が長い。
まるで、パパ見たい」と妻が言う。
ちょっとムカついたが、否定できない。
桜の出現で一挙に家が明るくなった。
それなら、もっと明るくしよう、それに、一匹の死であれほど悲しむのなら、たくさんになればそんな事態にはならないはずだ。
次の週に再び、犬の店にいった。
そこには兄弟に足蹴にされている雌の白いチワワがいた。
まだ、生まれて7週目。
今度は妻が気に入り、それを買い、名前はランになった。
スミレから続く花シリーズだ。
体重700グラムで、私のナイトガウンのポケットにすっぽり入ってしまう。
初めはおびえていたので、手でじかにペットフードを与えるとやっと口にした。
3日間は桜と別々に寝かせていたが、4日目から2匹を一緒にしたら、かみ合いじゃれつきながらも仲良く寝るようになった。
今、私は早起きをして、えさやりとトイレ掃除が朝の日課になり、夜2匹の出迎えが楽しみとなり、仕事にも張り合いが出てきた。
世はまさに空前のペットブーム。
ストレスの多い日常、証拠高齢化社会、デジタル化の波が押し寄せる。
色々な要因があろうが、そんな分析はどうでもいい。
無邪気な犬たちのおかげで我が家に笑顔が取り戻せた。
第9課日本の急速な少子高齢化社会にどう対応していくか
「本文」
出生率の低下と平均寿命の伸長から、日本では急速に少子高齢化社会が進みつつある。
出生率の低下そのものは日本に限らず多くの先進諸国に共通して見られる現象であり、近年はアジア諸国においても出生率の低下傾向が表れ始めた国もある。
また日本を含めた先進諸国では平均寿命が大幅に伸び、全人口に占める老人行の比率も高まっているのも、共通した現象である。
しかし、先進諸国の中でも、日本は平均寿命が最も高いグループに属すると同時に、出生率の低下が止まらないことから、他の先進諸国と比較しても日本の少子高齢化は急速に進んでいる。
その結果、楽観的な見通しに立つとしても2010年以降は日本の人口は減少に転じると推計されている。
一人の日本人女性が生涯に産む平均の子供の数、すなわち合計特殊出生率は2004年には過去最低の1.29となっており、出生率の低下が今後もこの流れに沿って進めば、日本の総人口は現在の予測をさらに下回り、老年人口の比率はさらに高まっていくことが予想される。
生産年齢人口(一般的に15歳から64歳までの年齢人口)はすでに1995年以降、減少傾向にある。
少子高齢化が加速していけば、年少人口?生産年齢人口の減少と老年人口の増加により、日本の人口構造は大きく変化する事となる。
その結果、社会保障の負担は膨れ上がり、そのあり方の根本的な見直しを行う事が必要とされる。
いかにして女性が子供を持ちやすく、また男女共同で子供を育てやすい社会を確立していくかは、日本が早急に取り組むべき課題の一つである。
出生率が回復傾向にある諸外国の事例なども参考にしつつ、少子化対策とあわせて男女共同社会参画を検討していくことが重要となるだろう。
少子化で若年人口が減れば、労働力が減ることになり、将来予想されるろうダウ力の需給ギャップの解決のためには、女性の労働力の活用や若年層の労働市場への参入促進と同時に、海外からの優秀な人材も日本にとって活用すべきチャンスとなることが期待される。
多くの外国人とともに日本人にとっても働きやすい社会を築くことができるのかどうか、これからの課題である。
第10課たばこに迷惑していますか
「本文」
たばこを吸えば、本人だけでなく周囲の人に迷惑をかける。
とりわけ路上で歩きたばこをすれば煙だけでなく、すれ違う人の服に穴をあけたり、走ってきた子供の顔にやけどを負わせたりということにもなりかねない。
その上、他人の前でたばこを吸えば、喫煙者本人だけではなくたばこを吸わない人の健康も脅かすことになる。
そこで、受動喫煙の被害防止を法律で定めた健康増進法が2003年志向され、たばこを吸う人と吸わない人を分けようという分煙の動きは確実に広がりつつある。
関東の私鉄大手が駅を全面禁煙にした際、これを「やりすぎだ」とひはんするひとはおどろくほどすくなかった。
また、たばこへの課税に対しても、増税を当然と思う人が半数近くを占めているという。
レストランや喫茶店などの飲食店に入るとき、大半の人が禁煙席の有無を気にしているそうだ。
最近では飲食点でも分煙が進んで着た。
しかし、喫煙席と禁煙席を分けても、すぐ隣の禁煙席にまで煙が回ってきたり、お客が禁煙席を希望すると長々と待たされたりするなど、まだまだ課題も多いようだ。
飲食店を利用する立場からは、完全禁煙にした方が店に人が入るという意見がある一方で、飲食店側にしてみれば、完全禁煙にしたいが喫煙する客もまだまだ多いという現実もあるようだ。
なぜ最近、分煙を求める動きが目立って着たのであろうか。
日とるには喫煙者側のモラルの欠如があげられるだろう。
悪いと知りつつも、近年の場所でも人目もかまわずたばこをふかすヘビースモーカーの姿も時々受けられる。
「歩きたばこ禁止条例」をつくった東京都千代田区によれば、すっもーカーに歩きたばこをしないように注意を呼び掛けても事態は改善されないので、やむなく罰則義務の導入になったそうだ。
喫煙派がルールを守らなかったせいで、対応が厳格化してしまったということだろう。
世界的に見ても、喫煙による健康被害の防止を目的として、公共の場で喫煙の禁止をする国は増加する一歩だ。
これらの国では愛煙家の肩身がますます狭くなることは想像に難くない。
第11課食の安全
「本文」
今、私たちの食生活は、安全性の問題をはじめとして大きく変わった。
戦後の貧しい時期に比べると、食べ物の種類や良が豊かになった反面実態がよくわからない。
一つには、身近にあるよく知っているものを食べる時代から、海外を含めてどこからともなく集めてきた出どころのわからないものを食べる時代になったという面がある。
もう一つは、家庭での食品の調理や加工が少なくなり、食品そのものを知る機会が少なくなった結果、食生活に関する知識が薄れて着たということである。
食品の種類や量、情報がどんどん増える一方で、食べる側の私たちは食品に関する知識や技術を失い、自分で判断できなくなり、不安だけが増大している。
そういう状況の中で、食品とはどうあるのが正しいのかを考え直さなければいけない。
つまり、どこまでも商品化されたものに追随していく生活を送るのか。
それとも、原材料や生産状況を含めて食をもう一度とらえなおそうとするのか。
私たちはどちらかの道を選択しなければいけないのではないだろうか。
この事は食生活だけではなく、生活の仕方にもかかわってくる。
食事に使う時間をどんどん減らして人生が豊かだと思うなら、食品に対してうるさいことは言わず、黙って餌として食べればいい。
しかし、心をこめて食事を用意したり、食べたりすることは生きていくうえで重要なのだとこだわるなら、それなりの時間と労力を惜しんではいけない。
食品が課硬度や商品度の非常高いものとして提供される現代は、原料となる農産物の姿や
形、その生産現場から消費者が非常に遠いところにおかれるようになっている。
戦後、いわゆる自由貿易体制の強化と価格競争の中で、食品の原料は遠い国から調達され、たくさんの加工工程を経て私たちの食卓に届くようになった。
消費者は食べる物の素性がわからなくなり、自分たちの健康が食べ物によって蝕まれていくという懸念を持つようになった。
狂牛病、遺伝子組み換え食品など、最近、世界で起きた食をめぐる問題は、こうしたグローバリゼーションに一因がある。
「食の安全」は一朝一夕には取り戻せない。
だから私たちにも確固たる石が必要になる。
あふれる食品と薄れる生活意識の中で、判断基準を失って増大する不安。
私たちはいつまで私たちの子供たちに安全な食物を与えることができるのだろうか。
食の安全が案じられてならない。
第12課フリーターとニート
「本文」
自分のやりたい仕事が見つかるまで定職につかない、フリーターと呼ばれる若者が増えてきた。
フリーターという言葉フリー?アルバイターの略で、1980年代から爆発的に増加して、今や200万人を突破していると言われる。
彼らの考えによれば「若いうちは仕事よりもやりたいことを優先させたい」、「好きな仕事なら正社員でなくてもかまわない」「やりたい仕事が見つかって初めて本気で働こうというものだ」ということだ。
しかし、実際にはフリーターの中には、やりたい仕事が見つからないからとりあえずアルバイトをしている者や、卒業した物の技能がないから正社員に雇ってもらえないものも多く、仕事よりもやりたいことを優先させるために積極的にフリーターになったものはごく一部にすぎない。
ところが、最近、失業者でもフリーターでもない、ニートと呼ばれる無業の若者たちが急増している。
ニートとは「Not in Education,Employment or Training」の頭の文字をとったもので、義務教育終了後、進学も就職もせず、職業訓練もうけていない若者を指し、その数は60万人とも80万人とも推計されている。
中卒や高校中退の結果ニートになる「非行型」の若者は世界各国に共通しているが、高学歴でもニートになるのが日本の若者の特徴だと言われている。
日本のニートは、自分らしい仕事が見つけられないまま立ちすくむ「自己実現追求型」、一度は就職しても早々と退職して次の職探しをちゅうちょする「自信喪失型」、社会との接点が極端に少ない「ひきこもり型」などに分類されている。
いずれも親が子供を養う余裕があることが前提で、日本ならではの問題といえるかもしれない。
白紙の状態で会社に入り、給料をもらいながらいろいろな仕事を覚えて定年まで同じ会社に勤め続けるというのが高度成長期の日本のシステムだった。
バブル崩壊の後の日本社会において、このような年功序列、終身雇用といったシステムが働かなくなったことがニート急増につながっていると指摘されている。
「やりたい仕事」をしなさいと言われて育てられた若者たちが、「やりたい仕事」を見つけられずに立ちすくんでいる。
現代の日本社会において急増するニートの存在は、私たちに働くことの意味を考えさせずにはおかない。
働く意味とは一体何なのだろうか。
働くこ
とは確かに楽しいことばかりではないだろう。
しかし、働いてみなければ本当に「やりたいこと」など見つかりはしないのではないだろうか。
第13課僕たちは何を大事にするのか
「本文」
今、日本という国は、一人一人の生活保障の大部分をボランティアにゆだねようとしているかのようだ。
たとえば障害者のホームヘルプサービスを、高齢者の介護保険に統合するという案が政府内で出ている。
この案がこのまま進むと、サービスに上限が設けられ、利用の仕方にも制限が多くなる。
そして不足の部分を家族やボランティアで補えということになってしまう。
このことに対して、ぼくたちは反対運動に取り組んでいるが。
それは、障害者だけでなく福祉事業を大きく削減していく。
この国(地域)の姿勢に待ったをかけるためでもある。
限りある時数の中で誤解を恐れずに言えば、僕の中ではボランティアは自分が好きでやることだから、美味しいものを食べる事や趣味やデートと同じ次元のことだと思っている。
だからだれもが、生活の中でそれをしているだろうし、肯定も否定もされない当たり前のことだと思う。
付き合いやしがらみも含めそこに人間関係や必要性があって自然に行うことである。
生活の少しの時間の中でやるからこそ価値があり、それが自然につながっていくから、時に威力を発揮するのだ。
しかし、人間の生活を永続的に保障していくのは、ボランティアの範囲ではない。
1日24時間介助が必要な重度障害者が地域の中で暮らしている。
寝たきりで呼吸や体温調整が自分ではできない人も、介助が確保されることで地域住民として暮らしている現実がある。
これは裏を返せば、介助者がいなければ生きられないということでもある。
仕事として介助を確保できるしづ手むでなければ、それを人の自発性に求めるのには無理がある。
重度障害者はごく一部かもしれないが、「その人たちの生活保障を行政がどう考えるか」という問いは、そこに暮らす一人一人への問いかけでもあるだろう。
活がもっと楽しく遅れるはずだし、待ちも盛り上がるのではあるまいか。
この運動は今が正念場である。
第14課结婚しない女性たち
「本文」
日本では最近、结婚しない女性が増加している。
女性の高学歴化と社会进出が主な理由として挙げられるだろう。
しかし、1986年に男女雇用机会均等法が施行されて以来、「何歳までに结婚しなくてはいけない」と言う社会の圧力が薄れたことも大きな理由として挙げられるだろう。
25~29歳の未婚率は2000年に54%と半数を超えており、1980年の24%の2倍以上である。
更に、30~34歳の未婚率は1980年には9.1%だったものが、2000年には26.6%と3倍近くなっている(グラフ1)。
25歳を过ぎると売れなくなる「クリスマスケーキ」と言われ、无言のプレッシャーを浴びた时代は远い昔だ。
コラムニストの酒井顺子はその著书『负け犬の远吠え』で「30代、独身、子なし」の自分を「负け犬」と称し、「30代、既婚、子あり」=「胜ち犬」との対比を痛快に宣言した。
仕事はできても独身である女性が実は「负けた」と思っていない微妙な心理を书いている。
共感と反感が入り交じり、当事者のみならず亲世代をも巻き込んで大反响を呼んだ。
それだけ「负け犬」の存在がごくありふれた状况になっている证拠だろう。
そんれでは结婚しない女性たちはどんな暮らしぶりをしているのだろうか。
ある调査によれば二十歳~34歳の未婚女性、773万人のうち、70%以上が亲と同居している。
この中には、「自分の収入が少ない」ために别居できないという「やむを得ず同居派」もいるが、「亲との同居のほうがラク」という「享受派」や、「亲と暮らしたい派」と少なくない。
亲との同居の二大メリットは、家赁など基本的な生活コストがかからない「経済的メリット」と、家事を母亲任せにできる「时间的余裕メリット」と言える。
自分自身のために(使おうと思えば)使えるお金、趣味やレジャーなど选択的支出可能额は月に5万円以上と既婚女性の1.5万円、既婚男性の2.4万円に比べかなりリッチだ。
仕事も面白い。
亲と同居の「お金と时间のゆとりのある暮らし」は居心地が良い。
その期间が长引くほど、仕事をやめれば自由に使えるお金が减り、たとえ仕事を続けても家事负担が大きく自由时间が减る「结婚」にはイマイチ意欲的になれない----そんな心理が未婚女性を増やし続けると言うことになるのではないだろうか。
政府が少子化対策に跃起になったとしても、「结婚しないほうかおトクかも」と言う未婚女性の心理を変えるのは难しいかもしれない。
さて、20年后にはどうなっているのだろうか。
第15課変わる音楽の聴き方
「本文」
街で、電車で、このところ再びヘッドホーンをしている人々の姿が目立ってきた。
その牽引車となったのはアメリカのアップルコンピュータが2001年に発売したiPodである。
発売以来、日欧米で爆発的な人気を誇っている。
このiPodと言うのはハードディスクを内蔵し、そこに音楽を記録持ち歩くことができると言う、いわゆる携帯型のデジタル?オーディオ?プレーヤーである。
最初は主に若者向きに開発されていたと聞いているが、今や若者のみならず中高年にも人気がある。
お洒落なデザインに加え、手のひらに隠れてしまうほどの小さなボディーながらiPodでは最高10,000曲も収まると言うのが人気の秘密である。
iPodよりも一回り小さいiPodのシリーズが続々と開発され、人気を誇っている。
1979年に発売されたのは携帯音楽プレーヤーの元祖SONYウォークマンであった。
その後、カセットテープに代わってCDが中心となり、1984年にSONYがCDウォークマンを発売した。
今も人気のMDウォールマンが登場したのは1992年だった。
今では当たり前になっている携帯音楽プレーヤーも、1979年発売開始になった当初は、このような再生機能しかないカセットプレーヤーが流行するとは誰も予想しなかったと言われている。
最初の製品は手のひらに載るとはいえ、分厚い文庫本ぐらい身につけるにはまだまだ抵抗があった。
それが技術発達のおかげでほぼカセットテープ大になり、更に個人が利用する録音媒体がカセットからMDになったことにより、カセットよりも一回りも小さくなった。
そして現在は3代目の音楽プレーヤーとも言えるポータブル?デジタル?オーディオ?プレーヤーの時代である。
日本でもブロードバンドの普及と共に、音楽を快適にパソコンにダウンロードする環境が整いつつある。
ネット上で配信される音楽の値段や著作権保護の問題などか解決されれば、若者達は自宅でパソコンに向かい、気に入った音楽をダウンロードして自分のお気に入りの音楽ライブラリーを作れるようになるだろう。