无常と日本人の美意识
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紫式部の『源氏物語』を始めとする文学の 世界にも、色濃く反映された。『源氏物語』 全体で、「もののあはれ」は14個所出てく るが、「紫の上」の晩年の述懐を描いたそ の一例として、同書の「夕霧」中の一文を とりあげて見よう。
「女ばかり、身をもてなすさまも、所せ う、あはれなるべきものはなし。物のあ はれ、をりをかしき事をも、見しらぬさ まに引き入り、沈みなどすれば、何に つけてか、世に経るはえばえしさも、 常なき世のつれづれをも、なぐさむべ きぞは。」と。含蓄(がんちく)で、女性 特有のデリケートな心情
好凄凉、勇士铁盔下、蟋蟀声
「幽玄」を最も大切な美 幽玄」 大切な つと説 世阿弥らの の一つと説く世阿弥らの では、「 すれば、 、「秘 能では、「秘すれば、花 なり。 せずは花 なり。秘せずは花なるべ からず」 からず」と説く。ここで とは、客観に 「花」とは、客観に与える しさ、感動をたと 能の美しさ、感動をたと えるものであるが、 えるものであるが、それ はすべてをあからさまに 表現するところではなく するところではなく、 表現するところではなく、 められた表現 表現、 切り詰められた表現、秘 められた表現こそ咲 表現こそ められた表現こそ咲くと いうのである。 いうのである。
「無常」と日本人の美意識 無常」 日本人の
日本人美意識の底:自然との一体感と、仏教の 「諸行無常」の考え方が流れている。
美的思考即所谓美意识,是指人们的审美心理、审美情感以及判断美的基准和思考。作 为日本古代重要文艺理念的“物哀”、“侘”、“寂”等概念,就是古代日本人美意识的结晶。美 意识当它作为判断美的基准而发生作用时,也可以说它是一种价值观。不过,“物哀”、“幽玄 ”“侘”、“寂”等概念,已远远超出日本文学的范畴而随着历史的推移渐渐沉淀于日本人的自然 观、生命观、生活情趣等各个方面,是我们当今言及日本文化时不可避免要涉及的词语。
寂寞的颜色/是无色 寂寞的颜色 是无色/ 是无色 长满桧树的山峦/在 长满桧树的山峦 在 寂静的秋日/映着夕 寂静的秋日 映着夕 阳 虽云不解情/也怦然心 虽云不解情 也怦然心 当水鸟勃然飞起/ 动/当水鸟勃然飞起 当水鸟勃然飞起 在寂静的秋日/在夕阳 在寂静的秋日 在夕阳 中 放眼四边望/找不到花 放眼四边望 找不到花 儿缤纷/和红叶满林 和红叶满林/伴 儿缤纷/和红叶满林/伴 着海边的草屋/只有那 着海边的草屋 只有那 秋日黄昏
2.「幽玄」と「わび」、「寂」 2.「幽玄」 わび」、「寂 」、「
中世文学、芸術、芸能の美意識は、「幽玄」である。 中世文学、芸術、芸能の美意識は、「幽玄」である。 幽玄 和歌の世界で 幽玄」 確立したのは藤原俊成( したのは藤原俊成 和歌の世界で「幽玄」を確立したのは藤原俊成(ふじ わらのとしなり) 和歌に表面的な ではなく、 わらのとしなり)、彼は、和歌に表面的な美ではなく、 神秘的な奥深さを言外に じさせるような静寂 さを言外 静寂な 神秘的な奥深さを言外に感じさせるような静寂な美し 繊細美と静寂美の調和した した深 とした余情 余情を さ、繊細美と静寂美の調和した深々とした余情を求め た。 鴨長明、「 、「詞 れぬ余情 余情、 えぬ景気 説明、 景気」 鴨長明、「詞に現れぬ余情、姿に見えぬ景気」と説明、 この美意識 根底に仏教的な 美意識の この美意識の根底に仏教的な考え。 連歌論に 飛花落葉」、自然の 」、自然 きるものの、 連歌論に「飛花落葉」、自然の中に生きるものの、は かなさを説 仏教の無常観が 幽玄」 美意識を かなさを説く仏教の無常観が「幽玄」の美意識を形 った。この「幽玄」 和歌から連歌へと から連歌へと受 作った。この「幽玄」の美は、和歌から連歌へと受け継 がれ、さらに能楽 茶道などに浸透し 江戸俳諧の 能楽. などに浸透 がれ、さらに能楽.茶道などに浸透し、江戸俳諧の として継承されていく。 継承されていく 「寂」として継承されていく。
茶道
「幽玄」の理念から、安土桃 幽玄」 理念から、 から 山時代の わび」「 」。茶道 」「寂 山時代の「わび」「寂」。茶道 一輪の は、一輪の野の花や日常雑 のなかに美 見出した した。 器のなかに美を見出した。 わび」 茶道の世界で 「わび」は、茶道の世界で、千 利休に理想として んじられ、 として重 利休に理想として重んじられ、 らず質素のなかに、 質素のなかに 奢らず質素のなかに、豊かさ かな心 めた「 と静かな心を秘めた「侘び」 美意識を わび茶 美意識を求め、わび茶として 大成。きわめて狭小 簡素な 狭小. 大成。きわめて狭小.簡素な 茶室空間、しかも限定 限定された 茶室空間、しかも限定された 時間に かえって無限 無限に 時間に、かえって無限に豊か 見出すことができる すことができる。 な美を見出すことができる。 茶会は一期一会(いちごいち枕草子』 にも、「折節の移りか はるこそ、ものごとに 哀なれ。「もののあは れは秋こそまされ」と、 人事に言ふめれど、そ れもさるものにて、今 ひときは心も浮きたつ ものは、春の景色にこ そあはれ。」と、(第十 九段)「もののあはれ」 にふれたくだりがある。
「もののあわれ」の「もの」が、自然であっても、人間であっても、人工物 であってもよい。対象を眺めることによってもたらされる哀歓が、すべて 「もののあはれ」ということになる。 このように、人間性の自然のあらわれ、すなわち美しいものを見て素直 に美しいと感じる心の動き、情によって直観的に事物をとらえること、無 限定な対象を眺めることによって触発される感動、それが「もののあは れ」である。 デリケートで無目的、それは日本文学の特質。
俳句
「幽玄」の美意識から、江戸時 幽玄」 美意識から、 から 松尾芭蕉によって俳諧の によって俳諧 代の松尾芭蕉によって俳諧の 世界で確立。芭蕉の 枯枝に 世界で確立。芭蕉の「枯枝に のくれ」 烏のとまりけり 秋のくれ」という 一句には、「寂 には、「 精神にもとづ 一句には、「寂」の精神にもとづ 寂静.枯淡の情感があらわれ く寂静.枯淡の情感があらわれ ている。 ている。 芭蕉は わび」「 」「寂 芭蕉は「わび」「寂」のほかに しおり」とは、「しおれる」「 、「しおれる」「しぼ 「しおり」とは、「しおれる」「しぼ 」「枯れる」ことであり、 む」「枯れる」ことであり、 、「繊細 繊細な しさ」 「細み」は、「繊細な美しさ」を意 しているが、 味しているが、 いずれも無常観 無常観とかかわりがあ いずれも無常観とかかわりがあ このように、日本人の る。このように、日本人の美意 には、仏教的な思想に 識には、仏教的な思想に源を発 する一つの大きな流れが、 する一つの大きな流れが、今日 までずっと続いている。 までずっと続いている。
1.もののあはれ 1.もののあはれ
平安時代の美意識が もののあはれ」 平安時代の美意識が「もののあはれ」 本居宣長の著作『紫文要領』 源氏物語玉の小櫛( 本居宣長の著作『紫文要領』や、『源氏物語玉の小櫛(たま のおぐし) 主張された文学論。 された文学論 のおぐし)』主張された文学論。 紫文要領』:「人のおもきうれへにあひて、 『紫文要領』:「人のおもきうれへにあひて、いたくかな しむを見聞きて、さこそかなしからめとをしはかるは、 見聞きて しむを見聞きて、さこそかなしからめとをしはかるは、か なしかるへき事をするゆへ也 是事の をしる也 なしかるへき事をするゆへ也。是事の心をしる也。そのか なしかるへき事事のこころをしりて、さこそかなしからむ なしかるへき事事のこころをしりて、 事事のこころをしりて わが心にもをしはかりて感するが物 哀也。」、「 。」、「四 と、わが心にもをしはかりて感するが物の哀也。」、「四 季折々 景色は にもののあはれを感ずる物なり」 季折々の景色は、殊にもののあはれを感ずる物なり」 もののあはれ」とは、本来「 るものきくものふるる事 「もののあはれ」とは、本来「見るものきくものふるる事 じて出 嘆息の であり、自然の に、心の感じて出る嘆息の声」であり、自然の月や花を見 、「ああみごとな ぢゃ」「はれよい月かな」 ああみごとな花 」「はれよい て、「ああみごとな花ぢゃ」「はれよい月かな」と感じる もの 感情主観の一致するところに生ずる美意識として、優美、 感情主観の一致するところに生ずる美意識として、優美、 するところに 美意識として 繊細、沈静、観照的理念である である。 繊細、沈静、観照的理念である。