授受动词について

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日语论文:授受動詞について
あらすじ:
今まで、授受動詞に関するさまざまな角度から書いた論述がすでにいっぱい発表されたが、本論では日本人がよく使う授受動詞の基本的な使い方を述べたうえに、それと密接に結ばれている日本の文化——「内外意識•恩恵意識」も例で詳しく分析したい。

文中の分析を通して、異文化に対する理解は言葉(本文では授受動詞)の運用にとても重要であり、日本語を勉強している外国人には、「内外意識•恩恵意識」を深く把握しないと、授受動詞を正しく使うこともできないのが明らかにしたい。

だから、文化に対する理解の重要性を強調するために、文の最後になって、授受動詞についてのよくある誤用現象も分析しようと思っている。

授受動詞は日本語の一つの難しいところとして、学習者はそれが生まれた社会環境をよく理解してこそ、日本人との付き合いがうまくできるという結論を出そうと思っている。

キーワード:授受動詞;使い方;内外意識;恩恵意識;文化
摘要:
迄今为止,从各个角度写的关于授受动词的论文已不计其数。

本文中,笔者不仅对日本人常用的授受动词的基本用法作了介绍,还想通过举
例分析与此用法密切相关的内外意识和恩惠意识。

通过全文的分析,笔者想明确指出:对于异文化的理解在语言的运用中非常重要,而对于学习日语的外国人来说,只有深刻地把握好内外意识和恩惠意识,才能正确地使用授受动词。

基于此,在文末为了进一步强调对文化理解的重要性,笔者还想分析关于授受动词常见的误用现象,有助于学习者更好地学习授受动词。

透过全文,笔者想得出这样一个结论:授受动词作为日语学习中的一个难点,学习者只有了解了其产生的社会环境,才能更好地与日本人交流。

关键词:授受动词;基本用法;内外意识;恩惠意识;文化
0.はじめに
日本語の勉強を始めた人が、最初に難しいと感じる項目の一つは、「あげる」、「もらう」、「くれる」などの授受動詞の使い方ではないだろうか。

日本語のレベルがかなり高い学習者でも、授受動詞の使い方がよくわからないことがある。

本研究を通して、学習者に授受動詞の使い方と日本人の独有の心理意識(内外意識と恩恵意識)をきちんと理解させようと思う。

そして授受動詞と日本人の独有の心理意識(内外意識と恩恵意識)とのかかわりを明らかにしたいのである。

1.授受動詞の使い方
1.1 「~あげる」、「~くれる」、「~もらう」
授受動詞は、使い方や意味の違いによって、三組に分かれている。

即ち:「ヤル•アゲル•サシアゲル」、「クレル•クダサル」、「モラウ•イタダク」である。

下記の文の中で、アゲル、クレル、モラウを代表として、それぞれをアゲル組、クレル組、モラウ組と言う。

単なる動詞として、「あげる」と「くれる」は「与える」という意味で、「もらう」は「受け取る」という意味である。

みんな他動詞であるから、述語となると、その前に客語をつけるのは当然だろう。

例えば:
(1)AがBに本をくれた。

(2)AがBに本をあげた。

(3)B がAに(或いは:Aから)本をもらった。

この三つの文も同じ意味を表している。

即ち:「AはBに本を与える。

」である。

ただ違ったところは、「くれる」と「あげる」が与え手の動作で、例文(1)と例文(2)の主語は与え手のAになり、「もらう」が受け手の動作で、例文(3)の主語は受け手のBになる。

1.1.1「あげる」と「もらう」の特別な性質
授受動詞は、ほかの動詞とは違い、ちょっと特別な性質を持っている。

まず、「もらう」と「あげる」について考えてみよう。

例文(4)a、bを比較してみてください。

(4)a.本田さんが、柳さんに、プレゼントをもらいました。

b.柳さんが、本田さんに、プレゼントをあげました。

例文(4)aとbの文はどちらも、プレゼントが、柳さんから本田さんに移動したことを表している。

この二つの文が表す「事実」は同じであるが、表す「中心」は同じではない。

つまり、例文(4a)の話し手は、本田さんを文の中心にして、「本田さんがもらった」ということを強調したい。

それに対して、例文(4b)の話し手は柳さんを文の中心にして、「柳さんがあげた」ということを強調したい。

このように「もらう」と「あげる」という動詞には、主語を文の中心にする働きがある。

次に、例文(5)a、bを見てください。

(5)a.私が、柳さんに、プレゼントをもらいました。

b.柳さんが、私に、プレゼントをあげました。

(☓)
この二つの文にも「私」という話し手が、登場している。

話し手が文中にある時、話し手が文の中心になる。

つまり、「私」が文の中心になるのである。

ところで、上に述べたように、「もらう」とい
う動詞には、主語を文の中心にする働きがある。

例文(5a)では、話し手の「私」が主語なので、文の中心は一つである。

ところが、例文(5b)では文の中心が、話し手の「私」と、文の主語の「柳さん」の二つになってしまう。

だから、この例文(5b)は日本語として、不自然で正しくない文になってしまう。

このような性質は、「もらう」と「あげる」しか持っていない。

例えば、「渡す」という動詞は、「物」の移動を表すという点で授受動詞に似ているが、主語を文の中心にする働きはない。

だから、次に挙げる例文(6)a、bは、どちらも正しい文である。

(6)a.私が、安さんに、プレゼントを渡しました。

b.安さんが、私に、プレゼントを渡しました。

1.1.2「くれる」の意味
日本語では、例文(5b)のような場合、「あげる」が使えない。

それでは、ほかの人を主語にして、その人から私への、物の移動を表したい時、どの動詞を使ったらいいかが問題になった。

この時、「あげる」の代わりに使う授受動詞がある。

それが、「くれる」である。

(5)b’ 柳さんが、私に、プレゼントをくれました。

「くれる」は、助詞「に」の前の言葉が「私」或いは「私」に近い関係の人(子供や兄弟など)である時にだけ使える動詞である。

1.2 「~てあげる」、「~てくれる」、「~てもらう」
前回は「あげる」、「もらう」、「くれる」などの授受動詞の使い方を詳しく説明したが、今回は補助動詞としての使い方、「動詞テ形(連用形)+あげる/もらう/くれる」という表現を説明する。

この表現は、会話の中でよく使われている。

主語Aさんと動詞「読む」との関係に注意しながら、下の例文を見てみよう。

(7)a.Aさんが本を読む。

b.AさんがBさんに本を読んであげる。

c.AさんがBさんに本を読んでくれる。

d.BさんがAさんに本を読んでもらう。

例文(7a)では主語「Aさん」が「読む」という動作をしている。

例文(7b)でも例文(7a)と同じように、「Aさん」が「読む」という動作をしている。

しかし、Aさんは自分のために読むのではなく、Bさんのために読んでいる。

例文(7c)でも「読む」という動作をするのはAさんである。

同じように「Bさん」のために「読む」という動作をしている。

ところが、例文(7d)では、本を「読
む」のは主語のBさんではなく、補語のAさんである。

「Aさん」が「Bさん」のために本を読んでいるのである。

「あげる」、「もらう」を物の移動に使う時、「あげる」は「主語」から「対象語」への物の移動を表しているが、これと反対に「もらう」は「対象語」から「主語」への物の移動を表している。

これと同じように、「~てあげる」と「~てもらう」を使う文では、動作をする人が正反対になる。

つまり、「~てもらう」は主語が動作をするのではなく、「主語が他人を頼んで、他人は主語のために動作をする」という意味になる。

1.2.1「~てあげる」、「~てくれる」、「~てもらう」の動作主授受動詞を習ったばかりの方にとって、「~てもらう」の動作主を見つけるのは難しい。

次の文を見て、誰が動作をするか考えてみよう。

(8)a.田中さんが先生に中国語を教えてもらう。

b.劉さんが先生に本を貸してもらう。

c.楊さんが先生にスピ-チをしてもらう。

d.金さんが先生に餃子を食べてもらう。

例文(8a)では、先生が(主語=田中さんのために)教える。

田中さんが習う人である。

例文(8b)では、先生が(主語=劉さんのために)本を貸す。

劉さんは借りる人である。

例文(8c)では、先生がスピ-チをする。

それは、楊さんが「先生、私たちのためにスピ-チをしてください」と頼んだから、先生が(主語=楊さんのために) スピ-チをするのである。

例文(8d)では、先生が餃子を食べる。

それは、金さんが「先生、餃子をどうぞ」と勧めたから、先生が(金さんの好意に応えるために)食べるのである。

「BさんがAさんに~てもらう」という文は、「BさんがAさんに頼んで、BさんのためにAさんがなにかをする」という意味になる。

「AさんがBさんに~てあげる」、「AさんがBさんに~てくれる」という文では動作主はみんな主語Aで動作の移動はみんな主語Aから受け手Bへとなるので、わりに理解しやすい。

1.2.2「~てもらう」、「~てくれる」を使った「依頼」表現
以上で授受動詞の特質と基本的な使い方について説明した。

今回は「~てもらう」、「~てくれる」を使った「依頼」表現を見てみよう。

(9)a.この本を借りたいです。

b.この本を貸してください。

c.この本を貸してくれますか。

d.この本を貸してもらえますか。

例文(9a~d)はいずれも、主語が「本を借りたい」と思っている。

しかし、例文(9a)の「~たいです」は、自分の要求を伝えているだけである。

また、例文(9b)の「~てください」は直接な依頼である。

例文(9c)は質問の形で相手の意向を聞いている。

例文(9d)の「~てもらえますか」は自分の要求を伝えると同時に、質問の形で相手の意向を聞いている。

この時、「~てもらう」は、「~てもらえる」という可能の形になったことに注意してください。

例文(9c、d)は、本を貸すかどうかの判断を相手に委ねているので、丁寧な依頼になる。

更に、「くれる」の尊敬語「下さる」、「もらう」の尊敬語「いただく」を使うと、もっと丁寧になる。

(10)a.先生、この本を貸してくださいますか。

b.先生、この本を貸していただけますか。

例文(10a)の「~てくださいますか」と例文(10b)の「~ていただけますか」は、人に何かを依頼する時の丁寧な表現としてよく使われている。

特に、目上の人に頼む時には、「~たいです」や「~てください」は失礼な表現になるので、この時に「~てくださいますか」「~ていただけますか」を使う。

「~ていただけますか」は、「いただく」の可能形「いただける」を疑問形にした表現である。

さて、「~てくださいますか」「~ていただけますか」は、肯定の疑問形で、これに対して「~てくださいませんか」「~ていただけませんか」という表現がある。

例えば:
(11)a.先生、この本を貸してくださいませんか。

b.先生、この本を貸していただけませんか。

これらは否定の疑問形であるが、否定の意味を含んでいるのではない。

いずれも丁寧な表現である。

例文(10a)と例文(11a)、例文(10b)と例文(11b)をそれぞれ比べてみると、否定な疑問形を使った例文(11a 、b)のほうが、より丁寧な表現だと言える。

しかし、実際の会話の中では、ほとんど同じように使われているので、使い分けをあまり気にしなくてもいいと思う。

以上の説明を通して、授受動詞が単に「物の移動」を表すだけではなく、敬語を含んだ依頼の表現としてもよく使われている重要な動詞であることがわかる。

2.授受動詞と日本人の特有の心理意識
言語と文化はいつも密接に結ばれている。

それに、お互いに影響を与えている。

それでは、授受動詞と日本文化はどのような関わりを持っているのかを考えてみよう。

2.1 授受動詞と内外意識
まず、以下の例文を見てみよう。

(12)a.母は私に時計をくれました。

b.先生は私の妹に時計をくださいました。

確かに、例文(12a、b)では「母」と「先生」は目上の方であるので、「私」に物をくれる時に「くださる」を使うべきである。

それでは、例文(12a)で使った「くれました」は間違っているのではないか。

実は例文(12a、b)の二つの文も正しい。

「母」は目上の方でありながら、ウチの者なので、ソトの者に話す時、敬語を使う必要はない。

下の文も正しい。

(13)a.父は新しい靴を買ってくれた。

b.私は父に辞書を買ってもらいました。

c.うちの課長に見てもらいましょうか。

文の中で、「父」と「うちの課長」は「私」の目上の方であるものの、ソトの者に話す時は、敬語を使うことはない。

以上の分析と例文を見て分かるように、これはいわゆる「内外意識」である。

(林璋1998p.18)「簡単に言ってしまえば、『ウチ』とは話し手を中心として、話し手に非常に近い関係の人(子供、兄弟など)、或いは話し手に近い関係とされる人なのである。

『ソト』とは、聞き手を中心に、聞き手に非常に近い関係の人、或いは聞き手に近い関係とされた人なのである。


(姚莉萍2002p.78)「しかし、人と人との親疎、遠近、内外関係はいつも一定しているのではなくて、外国人にとって、とても判断しにくい。

だから、授受動詞を使う時は、間違えやすいのである。

」以下の例文を通して、詳しく説明しよう。

(14)a.花子は太郎に花束をあげた。

b.花子は太郎に花束をくれた。

二つの文の区別は、話し手と太郎との心理的な距離にある。

「内外意識」から分析すると、例文(14a)では、太郎は話し手の「ウチの者」とされていない。

太郎との関係はちょっと疎い。

でも、例文(14b)は例文(14a)とは明らかに違っている。

例文(14b)では、太郎は話し手の「ウチの者」とされている。

話し手と太郎との心理的な距離が近いのである。

もう一つ複雑な例文を見てみよう。

(15)a.あなたの誕生日に、ご両親はあなたに何をくださいましたか。

b.父はスイス製の腕時計を、母は自分で編んだ黄色のセ-タ-をくれました。

例文(15)には、「話し手」、「あなた」、「あなたの父母」四人が登場した。

「私」は話し手として、授受動詞を使った時、ウチとソトを分けなければならない。

一般的には、「あなた」にとって、「あなたの父母」はウチの者で、「私」はソトの者である(例えば:例文(15b)である)。

でも、例文(15a)では「あなた」をウチの者とし、「あなたの父母」をソトの者としている。

「あなた」は私の友達であり、「あなたの父母」より、「あなた」の方が「私」にもっと近いからである。

だから、「あなた」は「私」にとって、ウチのものである。

以上の例文を見て分かるように、授受動詞の中で、ウチとソトの分け方は固定的ではなく、人や場面によって、ウチとソトの関係が変わる。

だから、真剣に判断しないと、間違えやすいのである。

2.2授受動詞と恩恵意識
内外意識の他に、もう一つの意識も授受動詞の運用に重要である。

それは恩恵意識である。

2.2.1 恩恵意識の提出
授受動詞・授受補助動詞は、他の動詞・補助動詞とはどういう違いを持っているのか。

一体どんな特別な働きがあるのか。

このような質問を考えながら、例文(16)、(17)を見てみよう。

(16)a.私は友達の誕生日にプレゼントをあげました。

b.山田さんは妹に帽子をくれまた。

c.友達に歌舞伎の切符をもらいました。

(17)a.グラフさんの自転車のタイヤがパンクしたので、タイヤを直してあげました。

b.せっかく迎えに来てくれたのに、すれ違いになってしまって、ごめんなさい。

例文(16)は、単純的な授受動詞で、例文(17)は授受補助動詞である。

下の例文(18)は例文(17)とは形式的に大体同じであるが、文中での働きはちょっと違う。

下の分析を通して、この違いが分かるだろう。

(18)a.友達が病気で入院したので、お見舞いに行ってあげなくちゃ。

b.先生は私の意見が面白いと言ってくれた。

以下の文は例文(17a、b)と例文(18a、b)の授受動詞を取り消した後の文である。

(17)a’.グラフさんの自転車のタイヤがパンクしたので、タイヤを直した。

b’.せっかく迎えに来たのに、すれ違いになってしまって、ごめんなさい。

(18)a’.友達が病気で入院したので、お見舞いに行かなくちゃ。

b’.先生は私の意見が面白いと言った。

授受補助動詞を取り消した例文(17a’、b’)は、わけの分からない文になってしまった。

例文(17a’)では、タイヤを直した人は誰かが明らかにされていない。

例文(17b’)では、「迎える人」の動作主は話し手の本人と見なせるが、前件は愚痴をこぼすようで、後件は詫びを言うようである。

文の意味が通じなくなる。

授受補助動詞を取り消した例文(18a’、b’)では、文の意味がなお通じる。

ただ「恩恵の与え手」と「恩恵の受け手」がなくなった。

上の文から、授受動詞は動作の授受関係が表せるだけではなく、多くの時に恩恵意識も表せることがわかる。

更に、もう二組の例文を見てください。

(19)a.良子が遅れて来ても分かるように、伝言板に地図を書いておいた。

b.あの車は売ってしまったので、もうここにはない。

c.遅くなって、ごめんなさい。

途中で本屋に寄ってきたものだから。

(20)a.せっかくみんなの写真を撮ってあげようと思ったのに、カメラを忘れてきてしまった。

b.鈴木さんが自転車を修理してくれた。

c.せっかく迎えに来てくれたのに、すれ違いになってごめんなさい。

例文(19)、(20)二組の共通点は補助動詞を使うことである(線をかいたところ)。

でも、二組の補助動詞それぞれの働きは同じではない。

この点を証明するために、例文(19)、(20)の補助動詞を取り消した後の例文を、比べて見てみよう。

(19)a’.良子が遅れて来ても分かるように、伝言板に地図を書いた。

b’.あの車は売ったので、もうここにはない。

c’.遅くなって、ごめんなさい。

途中で本屋に寄ったものだから。

(20)a’.せっかくみんなの写真を撮ろうと思ったのに、カメラを忘れてきてしまった。

b’.鈴木さんが自転車を修理した。

c’.せっかく迎えに来たのに、すれ違いになってごめんなさい。

例文(19)、(19’)では、補助動詞を取り消した前後の意味は同じである。

でも例文(20)は、補助動詞を取り消した後、例文(20a’、b’)では動作の受益者がなくなった。

例文(20c’)での話し手が「迎えられる人」から「迎える人」に変わった。

例文(19)、(20)と例文(19’)、(20’)の対照を通して、授受補助動詞と一般の補助動詞との違いも分かるだろう。

実は、対照しなくても、授受補助動詞の特別な性質も分かる。

有名な学者の宮地裕先生はこう述べた:①「~テやる」:主語で表される主体が他人のためにすることを表す。

②「~テくれる」:主語で表される主体が話し手や話の中心人物のためにすることを表す。

③「~テもらう」:主語で表される主体のために他人がすることを表す。

総じて言えば、授受文の中に欠けない要素は恩恵の受け手(受益者)である。

これから、具体的な例を引いて、授受動詞の恩恵性を説明しよう。

2.2.2授受動詞の恩恵性
2.2.2.1単純的な授受動詞の恩恵性
日本語では、単純的な授受動詞は例文(16)のように、具体的な「物」の授受が表せるほかに、以下の例文のように、抽象的な「物」の授受も表せる。

(21)a.今年はスキ-に行かないですか。

b.行けるもんなら、もう行っているわよ。

忙しくてどうしても休みがもらえないの。

(22)a.留守中お電話をいただいたそうで……
b.実はご相談したいことがありまして……
(23)a.先生、お聞きしたいことがあるんですが、すこしお時間をいただいてもよろしいでしょうか。

b.いいですよ。

(24)もう一度チャンスをいただけませんか。

例文(16)と例文(21)~(24)で示したように、授受の物は手で触れる具体的なプレゼント•帽子•切符であろうと、抽象的な電話•時間•チャンスであろうと、受け手にとって、みんな「おめでたい物」である。

これは単純的な授受動詞と「与える•受け取る」のような他動詞との根本的な区別である。

即ち:単純的な授受動詞は恩恵性を持っている。

授受の対象は受け手にとって「おめでたい物」だから、与え手と受け手の間で恩恵の与え手と恩恵の受け手の関係になる。

2.2.2.2授受補助動詞の恩恵性
この問題を説明するために、一つの複雑な例文を見てみよう。

(陈生保.胡国伟.陈华浩1986p.174)「例えば、私がみなさんに写真屋を紹介しようとする時に、この写真屋なら皆さんに紹介しても悪くないだろうなと考える。

こうした場合、『この写真屋がうまいんですが、一度彼のところへ行って写真を撮ってもらってやってくださいませんか。

』こう言います。

『とってもらって』というと皆さんがこの写真から恩を受けること、『やって』というと写真屋へ恩を施すこと、『くださいませんか』というと私が皆さんから恩を受けることを表すわけでありまして、恩の関係はこのように移動するのであります。


上の段落は金田一先生は「日本語の特質」を論説した時に挙げられた例である。

私達外国人にとって、日本人と付き合う時、このような恩恵関係をちゃんと理解してからこそ、うまく交流ができるのである。

もう一つ簡単な例を引いて説明する。

ある学生が先生をコンパに招こうとする時、「先生もコンパに来たいですか」と言ったら、先生は必ず怒って出席しないだろう。

たとえ「先生もコンパにいらっしゃいたいですか」と言い換えても、とっても失礼な言い方である。

それでは、どう言ったら丁寧な言い方になるだろう。

授受動詞を使うと、丁寧な言い方になるということはみんなが知っているだろう。

しかし、三種類の授受動詞があって、どれを選んだらいいか。

較べながら考えてみよう。

(25)a.先生がコンパに来てくれる。

b.先生にコンパに来てもらう。

c.先生をコンパに呼んであげる。

補助動詞「~てくれる」「~てもらう」は「受ける」という意味を表す。

だから、例文(25a、b)では、先生がいらっしゃることは学生にとって恩恵である。

でも例文(25c)では「~てあげる」を使ったことによって、学生が先生に恩を施す意味になってしまっ
た。

即ち、恩恵の移動から言えば、(25a、b)と(25c)はちょうど反対の意味になる。

菊地先生はこう話した。

「実状は必ずしもそうでなくても、相手から自分に恩恵が与えられるという捉え方をするほうが、相手を立てることになるという発想が日本語にあるのです」。

だから、先生を招くのはたとえ先生に恩を施すことでも、例文(25c)の言い方を使ってはいけない。

それでは、例文(25a)と例文(25b)の違いはなんであろう。

例文(25a)では、主語は先生で、「来てくれる」も先生の動作で、例文(25b)では、「来る」の動作主が同じような先生であっても、「先生」は補語になり、主語は話し手(第一人称)になり、「もらう」という動作も話し手がする。

このように「先生がいらっしゃる」のに対する「期待な気持ち」が伝えられる。

そうすると、例文(25a)では先生が直接に恩を施すことになり、例文(25b)では話し手が先生に頼んで、先生から恩恵を受けるのである。

このように、先生の位置はもっと「上」になる。

当然、例文(25b)のほうは例文(25a)よりなおいい。

3.よく間違えた使い方
第二部分では、授受動詞にかかわる日本人の二種類の心理意識を詳しく分析した。

「内外意識」はより理解しやすいが、「恩恵意識」
はちょっと把握しがたい。

その心理意識を把握しないと、誤解を招く恐れもある。

下の例文を見てみよう。

(26)先生、お荷物、私が持って差し上げましょうか。

例文(26)では「~差し上げる」という敬意が非常に高い授受動詞を使って、先生に対する好意を表したい。

しかし、先生に恩を施す意味になってしまって、失礼な言い方になるのである。

もっといい言い方は「先生、お荷物、私がお持ちしましょうか。

」なのである。

例文(26)と同じ原理で、「助けてあげましょう」と言ったら、他人の気持ちを悪くさせることになる。

それから、中国語に訳して「给•帮」の字がない文に更に注意する必要がある。

例えば:
(27)a.先生は私の意見がとても面白いと言ってくれました。

b.先生は私の意見がとても面白いと言いました。

例文(27a)と例文(27b)は中国語に訳したら、意味がまったく同じである。

つまり、「老师说我的意见很有意思」である。

それなら、二つの文の区別は何であろう。

例文(27a)は「先生にそういうふうに言われて、うれしい」という気持ちが伝えられる。

例文(27b)はただ客観的な記述である。

先生に対する感激な気持ちが表せない。

文法から言えば二つの文も正しいが、例文(27b)のほ
うが日本語らしい日本語であり、日本人の考え方にももっと相応しい。

4.終わりに
21世紀の社会は情報化され、国際化になってきて、言語や文化背景の違う人たちも頻繁に接触するようになった。

日本は中国の一衣帯水の隣国として、わが国と(特に経済の面で)密接に結ばれている。

日本語は両国の交流の手段であり、特定の社会環境から出たものである。

日本語の生まれた文化が分からないと日本人の考え方も納得できない。

そして文化摩擦や誤解が起こる恐れもある。

本論では授受動詞の基本的な使い方から、その使い方に密接に関わる内外意識と恩恵意識まで、いろいろな例を引いて、詳しく説明した。

日本語の学習者は内外意識と恩恵意識をちゃんと覚えて、授受動詞を使ったほうがいいと思う。

今のところ、授受動詞を研究した文章がもういっぱい発表された。

本論はただ簡単な使い方を説明した。

中身は浅く触れており、成熟の見解とは言いかね、まだ不足である。

これから、もっと深くて難しい問題(例えば:使役形+授受動詞/多重授受の受益者など)について研究したいと思っている。

参考文献
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沪江日语> 实用日语> /new/p27081。

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