日本文学论争史
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日本文学論争史
淡中剛郎
明治以降の日本の文学史を見ると、实にさまざまな問題をめぐって論争がおこなわれてきた。そのなかで重要な論争は、文学の社会的な存在意義は何か、鑑賞に耐える文学はどのようなものでなければならないかということをめぐって生じてきたものであった。それは、何をいかに描くか、またそれをどのような思想のもとにとらえるのか、という題材と方法と思想の問題を中心にして、表現対象と作者の实生活、作者の思想と題材、個人と社会、政治と文学などの相互関係や文学の役割の問題などを含んでいた。これにどう答えたかということには、それぞれの文学論の階級的立場と当時の時代の反映を見ることができる。これから十二回(毎月一回)にわたって文学の性格と流れの方向を左右したと思われるような重要な論争を取り上げていきたい。最初は自然主義論争である。
1ロマン主義で潤色された自然主義――フランスほどの徹底性
自然主義は明治時代に入ってからの文学近代化運動の一つの結論であった。その萌芽は明治二〇年代の坪内逍遥らの写实の主張であったが、はっきりと形をとったのは日露戦争後であり、日本全体が資本主義に包摂されたことを背景としている。日露戦争を通じて資本主義体制が発展し国家機構が整備強化されたことを背景に、自由主義・合理主義・現实主義・個人主義などというブルジョ゠アデオロギーが新しい段階を迎え、文学では西欧文学の紹介などもあって、自然主義が主流を占めることになった。
自然主義の理論的指導者は島村抱月であった。彼の最初の文学論は『囚はれたる文芸』である。「我れは自然主義を呪阻し去らんとするものにあらず。十九世紀の大なる文芸は、大半此の主義の影響を蒙って生じたり。悪むところはたゞ其の極端のみ、知識に隷してより後の自然主義のみ。されば此の主義が更に一たび其の自然に遷りて、飾らず、矯めざる自然の感情の源を穿つに至らば、是れもまた情海の旅程に帄を並ぶる一同行たらん」「文芸の舟を知識の杭より解き放ち、情趣の海に浮んで宗教の岸に至らしめよ。取るべき針路は、哲理的、可なり、神秘的、可なり、標現的、可なり、はた自然的、可なり、写实的、可なり。要は目ざす所に一塊非凡のもの、人をして、胸躍らしむるものあるに止まる。是れ幻中のダンテが説法なり。我れおもへらく、情趣的よし、宗教的よし、されども尚此の外に、日本の現代といふ特殊の事情に応ずベき文芸観なかるべからず。其は、正しく日本的若しくは東洋的文芸の発揮といふことならんか。時は国興り、国民的自覚生ずるの秋なり」
かれの自然主義論は『文芸上の自然主義』と『自然主義の価値』で体系的に展開されている。その理論は構成論と価値論に大別され、価値論は「所詮真は美を完成する一材料に外ならぬ。最も美を有価値ならしむる範囲において、真は価値を有する」ということに絞られているが、構成論は「描写の方法態度」と「描写の目的題材」とに分けて論じられている。方法と態度については、純実観的な態度は写实的になり、これは「本来自然主義」とよばれるべきものであり、一方主観を挿入する方法は説明的になり、これは「印象派自然主義」といえる。ともに消極的態度と積極的態度とがあるが両者の目的は真の追求であるとする。また描写の目的、題材については、真の追求のための題材として、社会問題と科学と現实の三つがあり、社会問題としては個人の解放を目的として根本的な道徳問題を扱い、科学的な題材としては心理学、生理学、進化論にかかわる問題があり、また現实を扱うには、赤裸々な描写を通して人間の獣性を見つめ、その醜に目をそむけないこと、肉感的であること、卑近的・自然物的であることであると論じている。
そして抱月は「本来自然主義」と「印象派自然主義」との欠点を克服するものとして、第三の「純粋なる自然主義」を主張する。「第三は事象に物我の合体を見る、自然は茲に至って其の全円を事象の中に展開するのである。其の事象は冷かなる現实実観の事象に非ずして、霊の眼、開け、生命の機、覚めたる刹那の事象である。動き来った瞬間の自然である。吾人は仮りに之れを名づけて純粋なる自然主義と呼ばう」「然らば作家は何を心の標的として此の際に於ける自己の態度を定めんとするか。其の直接の答は消極的である。曰くたゞ無思念と。(中略)自然主義の三昧境は、この我意私心を削った、弱い、優しい、謙遜な感じの奥に存するのではないか。此の時自然の事象は始めて鏡中の影の如く、朗らかに其の全景を暴露して、我れと相感応するのではないか。我れは此の時始めて自然の真实の前に感応の涙をにじますのであらう」(『今の文壇と新自然主義』)というものである。ヨーロッパ、特にフランスの自然主義は知に囚われた文芸として、清新な情感の流露を要求し、「一境非凡のもの、人をして胸躍らしむるもの」があればどんな文学でもよいとし、ゾラに代表される一面的であるとはいえ唯物論的な自然主義から後退して、神秘的、宗教的な文学を期待しているように、抱月の自然主義ははじめからロマン主義、神秘主義と結びついていたのである。国家主義的なことはついでにちょっと言ってみたという程度のことである。この抱月がたちまちにして文壇ばかりか、社会的に反響をまきおこした自然主義の代表的理論家になったのである。それは、日露戦争前後から「自然」「自然主義」という言葉が、抑圧や搾取を強める社会、因習、形式、権威などに反対する真实、自由、反逆などを意味するものとみなされて社会に浸透し、青年たちをひきつけたからであった。抱月の理論はこのようなものであったが、实際に作品を評価するときには必ずしもかれの理論とは一致しない評価をしている。社会問題と自己告白とを結びつけた島崎藤村の『破戒』について、「欧羅巴に於ける近世自然派の問題的作品に伝はった生命は、此の作に依て始めて我が創作界に対等の発現を得た」と評し、田山花袋の『布団』に対しても「赤裸々なる人間の大胆なる懴悔録」「早く二葉亭風葉藤村等の諸家に端緒を見んとしたものを、この作に至って最も明白に且つ意識的に露呈した」と言い、抱月の権威からこの評価が定着し、二つの作品が自然主義文学の範とされるようになったのである。「要するに自然主義の強味は、その理論的根拠にあるのではない。否かくの如きものは殆ど論理的遊戯として排せられて居るくらゐである。その強味は主として今の人の現实感にある。その価値は問はざれ、その美醜は論ぜざれ、その善悪は分たざれ、兎にも角にもこれが人間現在の实状ではないか、現实ではないかといふのが、自然主義の振り回はす鉄棒であった。しかもこの鉄棒の打撃力の強いことは、いかにも認めざるを得ない」(「自己の問題として見たる自然主義思想」)と安倍能成が書いているが、そう言ってもいいだろう。
○自然主義に対する観念論からの批判
抱月に対して論戦を挑んだのは田中王堂であった。かれは、抱月が再び「囚はれたる文芸」にまで引返してしまったかのように見えたために、自然主義を囚われた文芸と見るのか、放たれた文芸と見るのかと問い正している。
「自分は、今でも猶ほ分明に想起する。氏が早稲田文学の初号に於て、氏が当時懐抱せられた意見のマニフェストとも見らるベき『囚はれたる文芸』と題する論文を公にされたことを。氏は古来の文芸の潮流を分って情を重んずるものと智を尊ぶものとの二つとなし、而して一般に近世の文芸を智に偏したものと見て、氏はこれを囚はれた文芸と名づけたのである。自分は古来の文芸を無雑作に情に偏するものと、智に馳するものとの二つに区別することにも不服であるし、又た近世の文芸を智に偏するものと見るにも不服であるが、兎に角氏が近世の文芸を囚はれたる文芸であるといったのは事实である。氏が彼の論文を発表されてから僅に二年有半である。氏は今頻りに自然主義を弁護し且つ鼓吹して居ら