和服とは

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和服とは
1.掛衿(かけえり)、共衿(ともえり)
2.本衿(ほんえり)、地衿(じえり)
3.右の前身頃(まえみごろ)
4.左の前身頃
5.袖(そで)
6.袂(たもと)
7.左の衽(おくみ)
8.右の衽
9.剣先(けんさき)
10.身丈(みたけ)
11.裄丈(ゆきたけ)
12.肩幅(かたはば)
13.袖幅(そではば)
14.袖丈(そでたけ)
15.袖口(そでぐち)
16.袖付(そでつけ)
1.身八つ口
2.振八つ口
男性用の和服では、次の図のように身八つ口と振八つ口は閉じられている(江戸初期までは女性も成長すると身八つ口、振八つ口を閉じていた)。

振八つ口を閉じた部分を人形と呼ぶ。

1.身八つ口がない
2.振八つ口がない(人形)
袖口(そでぐち)
袖のうち、手首を囲む部分となる、袖の端を縫いつけずに開けている部分。

袖刳り(そでぐり)
袖刳(そでぐり)ともいう。

腕を通すために、服のうち胸部を包む部分の左右に開けられた穴。

和服では、袖をつけるために服のうち胸部を包む部分の左右に開けられた穴。

日本語でいう「アームホール」。

英語の armhole とは少し意味が違う。

振八つ口(ふりやつくち)
袖の、脇の下に近い部分の、縫いつけずに開いている部分。

振り口(ふりくち)といわれることもある。

男性用の和服では縫いつけられており、縫いつけた部分を人形と呼ぶ。

身八つ口(みやつくち・みやつぐち)
身頃の、脇の下に近い部分の、縫いつけずに開いている部分。

男性用の和服では縫いつけられている。

[編集] 和服の一部分を指す名称
袂(たもと)
和服の袖の下に垂れ下がった袋のようになった部分。

1.肩山
2.脇線
肩山(かたやま)
和服の長着や羽織を着ないで平面の上に広げて置いたときに、服の肩の、前後に折り返してある折り目の部分。

剣先(けんさき)
衽の一番上の頂点。

剣先は、前身頃と襟(本衿または掛衿)と衽が交わるところである。

剣先には他の意味もあるが、和服の寸法の基準点としてはここに書いたような意味である。

下に述べる衽下がりの寸法、身幅の寸法によってその長さが決まる。

裾(すそ)
衣服の袖以外の部分における裾は、衣服の、地面に最も近い端を指す言葉
背中心(せちゅうしん)
一般的に、身体を右半身と左半身に分ける面を正中面(せいちゅうめん)という。

服を着たときに、身体の正中面と服の背中が交わる線を、背中心という。

和服の背中の布が右の後身頃(みぎのうしろみごろ)と、左の後身頃(ひだりのうしろみごろ)に分かれている場合は、左右の後身頃を縫った線が背中心になる。

このことから、背中心のことを背縫い(せぬい)ともいう。

褄先(つまさき)
和服の長着を着ないで平面の上に広げて置き、その長着の前をいっぱいに広げて、長着の裏ができるだけ見えるようにして眺めると、裾の線が折り畳まれずにほぼ直線になるはずである。

そのときの、裾の左右の頂点を褄先という。

身八つ口どまり(みやつくちどまり・みやつぐちどまり)
身八つ口の最下部の点。

脇線(わきせん)
和服の長着においては、後身頃が左右の前身頃とつながっている部分のうち、身体の脇の下あたりの位置から下へ向かう線。

脇線は、後身頃が左右の前身頃とつながっている部分のうち、肩の線は含まない。

和服の長着を帯を締めて着た状態においては、和服の脇線は、身体の脇の下から下へ伸びる線よりも前へ移動することが多いが、好みで後ろ幅を狭め、脇線に沿うように寸法を採ることも行なわれる。

[編集] 和服の種類
和服を着た祇園の芸者と舞妓
現在の和服には、大人の女性用・大人の男性用・子供用がある。

男性用と女性用の和服のそれぞれに、正装・普段着・その間の服がある。

基本的に男女両用の和服はない。

和服を構成する要素には、肌襦袢(はだじゅばん)、長襦袢(ながじゅばん)、長着(ながぎ)、羽織(はおり)、伊達締め(だてじめ)、腰紐(こしひも)、帯(おび)、帯板(おびいた)、帯締(おびじめ)、袴(はかま)、足袋(たび)、草履(ぞうり)、下駄(げた)などがあるが、省略できるものもある。

豪華な模様を持つものが多いのは、長着と帯である。

[編集] 女性用の和服
[編集] 女性用の正装の和服
結婚式で和服を着る日本人女性 (2004年6月)
雅楽の模様の黒留袖
現在の女性用の正装の和服の基本はワンピース型であるが、女性用の袴は女学生の和服の正装の一部とされる。

明治・大正時代に、学校で日常的に着る服として多くの女学生が女性用の袴を好んで着用し、女学生の袴姿が流行したことが、日本の文化として定着した。

そのため、現在でも入学式・卒業式などの学校の儀式で袴を正装の一部として好んで着用する女学生がいる。

現在の女性用の正装の和服には、黒留袖、色留袖、振袖、訪問着、喪服などがある。

これらの正装用の着物の特色は絵羽模様(えばもよう)によって柄付けがなされていることである。

黒・色共に原則として既婚女性用の第一礼装であるが、最近では色留袖が未婚の女性に着用されることも多くなった。

黒留袖
既婚女性の正装。

生地は地模様の無い縮緬が黒い地色で染められており、背・後ろ袖・前胸に五つの紋(染め抜き日向紋)がある、柄付けは腰よりも下の位置にのみ置かれている。

色留袖
既婚女性の正装。

上にも述べたが黒以外の地色で染められたものを指す。

黒留袖
は五つ紋であるが、色留袖の場合五つ紋だけではなく三つ紋や一つ紋の場合もあ
る。

宮中行事では色留袖が正式とされている。

黒留袖は民間の正装とされている。

振袖
为に未婚女性用の絵羽模様がある正装である。

正式には五つ紋をつけるが、現在
ではほとんど紋を入れることはない。

袖の長さにより、大振袖、中振袖、小振袖
があり、花嫁の衣装などにみられる袖丈の長いものは大振袖である。

近年の成人
式などで着用される振袖は中振袖となっている場合が多いので注意が必要である。

訪問着
女性用(未婚、既婚の区別なし)の絵羽模様がある礼装である。

紋を入れる場合
もある。

訪問着であっても正式な席には着用できないので注意が必要である。

喪服
五つ紋付き黒無地。

関東では羽二重、関西では一越縮緬を使用することが多い。

本来は白いものであった(現在でも白い喪服を用いる地方もある)が、明治以降黒=礼装の色と定められたことと、洋装の黒=喪という感覚の影響で現代では黒が一般的である。

[編集] 女性用の正装の和服を選ぶ基準
結婚式の披露宴で新婦が和服を着る場合は、たいてい振袖を着る。

結婚式で新婦以外の女性が和服を着用する場合においては、新郎・新婦の母親は紋付の黒留袖を着ることが望ましいとされる。

新婦以外の女性の既婚者の参加者が新婦と友達であった場合、和服を着用する場合は色留袖か訪問着が望ましいとされることが多い。

しかし、場面によってどんな和服が適しているかの判断は、実際には難しい場合もある。

母が離婚しても子の結婚式に出席するときの母の正装は黒留袖でよいとする意見があるが、反対意見があるかもしれない。

新郎・新婦の既婚の姉妹は色留袖・黒留袖のどちらが望ましいのかという点は、意見が分かれるようである。

[編集] 女性用の普段着の和服
女性用の普段着の和服には小紋・色無地・浴衣などが含まれる。

[編集] 男性用の和服
[編集] 男性用の正装の和服

岐阜県において神道形式の結婚式で和服を着る花婿と花嫁(左が男性)。

ただし、現在の結婚式の和装として一般的なこのような服装は、男性が商家の、女性が武家の礼装であり、
現在の男性用の正装の和服を特徴づけるのは、長着、羽織、および袴である。

アンサンブルは、和服の正式な用語としては、同じ布地で縫製した長着と羽織のセットを指す言葉だとされる。

[編集] 男性用の普段着の和服
男性用の普段着の和服には色無地・浴衣・作務衣・甚平・丹前・法被(はっぴ)などが含まれる。

男性用の普段着の和服では、羽織は着なくてもよい。

[編集] 和服は右前
男性用でも女性用でも、和服を着る際、手を袖に通した後、右の衽(おくみ)を体につけてから左の衽をそれに重ねる。

このことを、左よりも右を(空間的ではなく)時間的に前に体につけることから、右前という。

右前のことを、右衽(うじん)ともいう。

男女共に右前なのは、洋服と異なる点である。

死者を葬るときに死者に着せる和服は左前にする。

左前のことを左衽(さじん)ともいう。

左前を生前に行なうことは非常に縁起が悪いことであるとされる。

[編集] 着付けの準備
縮緬類は半紙を四つ折りにして三つ襟の中に挟み、針で留める。

重ね着の場合は下着の襟だけを入れ、上下の背縫いを合せて1針留め、襟先も重ねて襟の付け根を1針留める。

腰帯、下締類はモスリン並幅三つ割を芯無にくけたものが解けず最もよい。

[編集] 着付けの順番
[編集] 長襦袢
肌着の上に長襦袢を着て衣紋を抜き、下締を2回巻いて結ばずに前で潜らせておく。

盛装ではこのうえに伊達巻を巻く。

[編集] 着物
手を通して両手で襟先を持ち、上前襟先が右腰骨の上にくるまで前を合せ、座礼(茶の湯など)の場合、襟先が後に回るくらい深く合せる。

下帯は腰骨の上の辺に締め、右横で結び、手を入れて「おはしょり」をのばし、衣紋をつくり、襟はあまり広げずばち襟ほどにして、下締を締め、伊達巻を巻く。

[編集] 帯
帯のかけの長さは前に回して左腰骨に来るくらいがよい。

丸帯は縫目が外になるように二つ折りすれば模様が前に来る。

帯揚は盛装では大きめがよく、羽織下では低い方がよい。

若い人があまり低い帯揚はよくない。

[編集] 男性
襦袢は襦袢で合わせて胴着を合わせて上下着を重ねて着る。

袴をはくならば角帯がよい。

[編集] 子供
7、8歳以上の盛装は腰揚をせず、難しいがおはしょりをして腰揚のように見せる。

付紐を上着と下着と一所につけておくとらくである。

[編集] 紋
現在の正装の和服には、男性用・女性用ともに、紋(もん)が描かれている。

紋は通常自家の家紋を用いるが、これによらない「加賀紋」「洒落紋」というものもある。

和服の紋は、直径が2cmから4cmくらいの円の中に収まるくらいの大きさで表わされ通常白地で置かれる。

和服の紋の数は一つ・三つ・五つのいずれかであり、用いる着物の種類や目的によって使い分ける。

このうち五つの紋がついている「五つ紋(いつつもん)」が最も格が高い正式なものとなる。

紋が描かれる場所は、紋の数によって決まっている。

紋が5つある「五つ紋」背・後ろ袖・前胸
紋が3つある「三つ紋」背・後ろ袖
紋が1つある「一つ紋」背
身を覆う服と、下半身を覆う服の2つに分かれていたと推測されている。

しかし『古事記』と『日本書紀』に服の図は書かれていないし、現存する当時の資料が極めて少ないため、わからないことが多い。

603年に、聖徳太子が、すぐれた人を評価する冠位十二階を定めて、役人の位階によって冠の色を分けて、役人を区別した。

ただし、『日本書紀』に冠位十二階を定めたときの記述があるものの、その記述中には、それを定めたときにどの位階にどの色を使って区別したのかが書かれていない。

『日本書紀』に、服の図は書かれていない。

7世紀末ごろに、国号が日本と決められた。

7世紀末から8世紀初めに作られた高松塚古墳の壁画が1972年から研究された。

飛鳥時代の人々の姿が描かれたもので現在も残っているのは、高松塚古墳の壁画だけである。

その壁画の一部に描かれていた男子と女子の絵と、『日本書紀』の記述が、飛鳥時代の衣服の考古学上の資料である。

現在の研究者たちの報告によると、高松塚古墳の壁画の人物像では、男女ともに全ての衿の合わせ方が左衽(さじん)、つまり左前だったという。

その壁画では、上半身を覆う服の裾が、下半身を覆う服と体の間に入っていないで、外に出て垂れ下がっているという。

その壁画に描かれた服の帯は革でなく織物ではないかと推測されている。

[編集] 奈良時代
この時代の日本の衣服については、はっきりしたことはわかっていない。

令義解、令集義解、『続日本紀』(しょくにほんぎ)、『日本紀略』(にほんぎりゃく)などの書物と、正倉院などに現在残っている資料が、奈良時代の衣服について研究するための为要な資料である。

令義解・令集義解・『続日本紀』に、服の図は書かれていない。

701年に制定された大宝律令と、大宝律令を改めて718年に制定された養老律令には、衣服令が含まれていた。

大宝律令は現在残っていない。

養老律令も現在残っていないが、令義解と令集義解から養老律令の内容が推定されている。

大宝律令と養老律令の衣服令により、朝廷で着る服が定義され、礼服(らいふく)、朝服(ちょうふく)、制服が定められた。

現在、奈良時代の礼服は、「れいふく」ではなく「らいふく」と読む。

養老律令の衣服令によると、奈良時代の礼服は、重要な祭祀、大嘗祭(おおなめのまつり、だいじょうさい)、元旦のときに着る服である。

養老律令の衣服令によると、朝服は、毎月一回、当時朝庭と呼ばれた場所で朝会と呼ばれるまつりごとをするときと、当時公事と呼ばれたことを行なうときに着る服である。

奈良時代の朝会は現在の朝礼の意味ではない。

武官の朝服には、ウエストを固定するための革のベルトがあったと考えられている。

奈良時代の制服は、特別な地位にない官人が朝廷の公事を行なうときに着る服であるという説がある。

大宝律令と養老律令の衣服令は、朝廷と関わりのない庶民の衣服については定めていない。

養老律令の衣服令によると、礼服・朝服・制服の形式・色彩は、それぞれの地位や役職によって違うものだった。

養老律令の衣服令によると、武官の礼服と朝服の規定に、位襖(いおう)が含まれていた。

研究者達により、位襖は、地位によって違う色を使った襖(おう)であることがわかっている。

位襖の服の形状は、襖と同一である。

『古記』によると、襖とは、襴(らん)がなく、腋線の部分を縫わない服である。

後の時代に闕腋の袍(けってきのほう)と呼ばれる服とこの時代の襖は、襴がない点と、腋線の部分を縫わない点が、共通している。

といわれている。

庶民は、洋服がまだ高価だったことや、伝統への美意識やこだわりなどから江戸時代以来の生活の様式を保持し続けた。

西洋からの服飾の輸入がなされ、間もなく日本国内でも洋服がつくられるようになった。

以前は日本在来の衣服を「着物」と呼んでいたが、もともと着物には服という意味しかない。

そこで洋服と区別するために、以前「着物」と呼んでいた服を「和服」と呼ぶようになった。

明治・大正時代に学校の内外で女学生が日常的に着る服として、女性用の行灯袴を好んで着用し、女学生の袴姿が流行した。

袴は、和服である。

これが日本文化として定着し、現在でも、入学式・卒業式などで、袴を正装の一部として好んで着用する女学生がいる。

女性は華族や女子教育にあたる教員など一部を除きもっぱら和服であったが、大正時代後期から、女学校の制服にそれまでの袴に代えて洋服であるセーラー服が採用される例が増える。

[編集] 平成
日常的に和服を着る女性を見かける機会は少なくなったが、浴衣についてはイベント用の衣装として一定の浸透を見せており、柄・素材とも多彩になっている。

平成の浴衣は、かつての湯上がり着の延長だった時代とは見違えるほど鮮やかでファッション性も高く、「ギャル浴衣」なども登場している。

デパートなどは開放的な水着ファッションと、隠して魅せる浴衣という二本柱で夏の商戦を仕掛けている。

ファッションとしての浴衣は男性にもある程度着られているが、女性ほど一般的ではない。

また、日常的に和服を着る男性は、女性と比べて少なく、作務衣・甚平が宗教関係者・職人など少数の男性に好んで着られているほかは、ほとんど見かけなくなっている。

一方で、男性の和服着用を推進する運動も、インターネットなどを中心に一部で起こっている。

1990年代後期からアンティーク着物(昭和初期以前のもの)やリサイクル着物(昭和中期以降)の店が激増し、雑誌を火付け役として女性の間で徐々に着物ブームが起こっている。

これまでと異なるのは、従来の約束事にこだわらず洋服感覚で着る人が増えたことである。

洋服地で着物や帯を作ったり、洋服と重ね着したり、足下にパンプスやブーツを履いたり、帯揚げにレースを使うなど新鮮な着こなしが楽しまれている。

[編集] 種類
∙振袖
∙留袖
∙訪問着∙付け下

∙小紋(こ
もん)∙色無地∙紬(つむ
ぎ)
∙ウール
着物∙羽織(はお
り)
∙道行コート
(みちゆき
こーと)
∙被布(ひふ)
∙袴(はかま)
∙打掛(うち
かけ)
∙直垂(ひた
たれ)
∙大紋(だい
∙平安装束
o束帯(そくたい)
o直衣(のうし)
o狩衣(かりぎぬ)
o十二単(じゅうに
ひとえ)
o袿(うちき)
o細長(ほそなが)
∙割烹着
(かっぽ
うぎ)
∙もんぺ
∙甚平(じ
んべい)
∙作務衣
(さむ
え)
∙丹前(た
んぜん)
∙アンサ
ンブル
着物
∙浴衣(ゆ
かた)
もん)
∙素襖(すお
う)
∙裃(かみし
も)
∙和傘∙頭巾∙ショー

∙襦袢
∙ステテ

∙半衿
∙帯
o丸帯
o袋帯
o名古屋帯
o半幅帯
o角帯
o兵児帯(へこおび)
∙帯揚げ
∙帯板(おびいた)
∙帯締め
∙帯留
∙根付
∙簪(かんざ
し)
∙櫛(くし)
∙羽織ひも
∙扇子
∙ハンドバッ
グ。

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