中国文化と日本文化の比较
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中国文化と日本文化の比較
中国から日本にきて、宮崎産業経営大学で学ばれ、非常に優秀な成績で卒業。
卒業式の答辞を読まれた女性、沈景華さん(仮名)の卒業論文を掲載させていただけることになりました。
この論文「中国文化と日本文化の比較」は、われわれ日本人が日ごろ気づかない、日本的文化の特徴や、われわれの知らない中国での習慣や文化の違いについてとても示唆に富んだ内容のすばらしい論文です。
うちの会社内でも回し読みをしているのですが、掲載許可をいただきましたので、長文ですがプリントアウトをして是非じっくり読んでみてください。
(プリントアウトする際は、ブラウザーのページ設定から「文字を黒色にする」を選択してください)
沈さんは、現在宮崎市内で貿易関係のお仕事をされ、ビジネス面でもすばらしい才能を発揮されています。
この論文に対するご意見・ご感想等を、掲示板やメールでお寄せください。
なお、ご本人の希望により仮名で掲載しております。
中国文化と日本文化の比較
宮崎産業経営大学経営学部経営学科
氏名沈景華(仮名)
目次
序論
第一章言語
第一節丁寧語の表現法
第二節ボカシの表現法
第三節漢字と中国文化
第四節漢字文化とカナ文化
第二章慣習
第一節食文化について
第二節飲酒文化について
第三章風俗
第一節生活習慣
第二節義理人情
結論
序論
私は五年前に中国の西安市より日本に来た留学生です。
来日したとき日本語についての知識は全然なく、勿論一言も喋る事は出来ませんでした。
ただ、その時思ったのは、同じ漢字を使う民族だし「同文同種」の間柄であろうとの親近感はありました。
たしかに日中両民族は歴史的にも民族的にも「同文同種」であることには違いないのですが、来日して色々なことを学び、見たり聞いたりする度に今日の日中両民族は「同文同種」というには少し違っているのではないかと考えるようになりました。
私の育った西安の慈恩寺の大雁塔は、石と泥で固めた重量美であるのに対して、日本の寺の五重の塔や三重の塔は、木造建築の空間的な軽量美を庭園との調和において見事に生かした創造であって、けっして中国の模倣文化ではない、日本寺院の建築美を見ることが出来ました。
中国の寺と日本の寺の景観は、同じ大乗仏教の系列にありながら、どうしてこうも違うのだろうかと思いました。
日本は中国文化の粘液質的な重厚美から、日本的に理想化された部分を上手に料理して取り出すことに成功したのでしょう。
日本の寺に見られる枯淡、繊細、優美、それに静寂は、やはり日本独自の創造であろうと思いました。
そしてそれは単なる建築美学上の相違だけでなく、文化の違いに大きく起因しているのではないかと考えました。
そこで中国文化と日本文化を比較して見ることで両国の文化の違いを考えて見ようと思いました。
しかし、まだ経験の浅い私の知識でのことですから、難しい文化論などとてもできませんので私が体験したものに基づいての文化比較論とさせていただきます。
第一章言語
第一節丁寧語の表現法
顔を見ただけで、中国人と日本人をうまく見分けられる人がほんとにいるだろうか。
男も女も同じような服装になって、とりわけ若い人になると男も女も背が高く大根足どころか女でも外股で歩くこの時代に、中国人と日本人の区別がはっきりつく人は少ないでしょう。
日本人の中には、誰が見てもこれは日本人だという風貌の人もいますが、中国人と全く区別のつかない顔立ちの人もたくさんいます。
同じ事が中国人についても言えます。
見るからに日本的な風貌の中国人もいれば、いかにも中国的な顔立ちの日本人も山ほどいます。
だが、それは顔を見た限りのことです。
その人に二言、三言、何か喋らせたら、たちまち何国人かはすぐにわかってしてしまいます。
なぜならアクセントと表現法が違うからです。
最初、日本も中国も同じ漢字を使用する国であるので、私は大きいな違いはないと思っていました。
しかし、実際日本に来てみると中国の場合は漢字の一つ一つに意味があり、その字を見るとどう言うことかすぐに判ります。
それに比べて日本の場合はそうではないものが多々あります。
ひらがな文字の意味についてはなかなかわかりにくく、特にカタカナ、それも外国語をカタカナで表現するものに至っては、全然何の法則もないので、私共にとっては一番難解な文字です。
しかし、これは
考えようによっては日本人はよそからの色々な外来文化を自分流にカタカナに変えることでいつの間にか自分のものにしてしまうと言う日本独特の外来文化吸収法の一つとも言えるのでしょう。
この点が中国と大きく違うところでしょう。
中国にも丁寧語はありますが、中国の丁寧語には一定の法則があり覚えるのには別段苦労しません。
私が日本に来て一番最初に苦労したのは「お」を付ける言葉と付けない言葉の違いでした。
丁寧語(敬語)には「お」を付けなさいとまず教えられましたので、アルバイトをしている店でお客様に「お三階へどうぞ」と言いましたところ、皆が笑い出しました。
私は二階を他人が「お二階」と言うので当然三階もお三階でいいと思いました。
そこで「お」を付ける場合と付けない場合を教えて貰いました。
「お野菜」「おねぎ」「おいも」「おなす」はありますが、「おほうれん草」「おかぼちゃ」「おトマト」「おキャベツ」「おもやし」とはいわない。
短い音節のものに「お」を付け、長いものには付けないのかと思うと必ずしもそうでなく、「おだいこん」という同じ根菜でも大根には「お」をつけるが、ニンジンやごぼうには付けない。
なんらかの法則があるのだろうと思い色々考えて見たが、ますますわからなくなりました。
海産物で言えば「お魚」「お刺身」とは言うが「お鯛」「おマグロ」など個々の魚に「お」を付けることはない。
調味料は「お醤油」「お味噌」「お酢」「お塩」「お砂糖」とは言うが「お胡椒」「お唐辛子」「おスパイス」とは言わない。
料理は「おにしめ」「おすまし」などは言うが「お茶わん蒸し」「お焼き物」とは言わない。
「おそば」とは言うが「おラーメン」とは言わない。
このように法則性がまるでないため結局丸暗記で一つ一つ記憶するしかないと悟りました。
丁寧語の失敗では「君」「きみ」という言葉であります。
中国語で「君」は相手を尊敬する言葉ですので「君」「君」と言われたので、わたしに気を遣って丁寧に言ってもらったんだと思い、お客さんに「君は何を食べますか」と言ったら店の主人から「何を言うのか」と注意され、また先の「お」を付けると丁寧と思っていたので、料理をお客さんの前に出すときに私は丁寧にと思って「お前にすみません」と言いましたらお客さんがふきだしビックリして私の顔を見ますので私も不思議な顔をして相手を見ました。
また、こんな事も経験しました。
「すみません」または「ごめんなさい」もひとつの丁寧語なのだと言うことに気付きましたが、最初に言われたときはビックリしました。
よく日本人は「すみません」「ごめんなさい」と言います。
何でもないような時に相手が「ごめんなさい」と言います。
私はビックリして「えっ、この人はどんな悪いことを私にしたんだろう何?何?」とビックリして考え込んでしまいましたけれども、それは単なる挨拶のようなもので丁寧に言われたとの事でしたが、私には悪くないのにすぐ「すみません」とか「ごめんなさい」と言う言葉を出すことが理解できませんでした。
しばらくすると、そういう言葉は、私たちが日常生活をして行く上での一つの潤滑油としてお互いがスムーズに生活して行く上の生活の知恵とも言うべき言葉なのだと分かりました。
あやまることは自分が悪いからであって、あやまれば賠償間題がからんでくるので、欧米社会ではなかなかあやまらないのが通常ですが、日本の「ごめんなさい」「すみません」という丁寧語は自分を一歩下げてものを言うやり方でお互いの関係をより良くするのに役立っていると考えられます。
本当に日本の丁寧語は難しいと思います。
第二節ボカシの表現法
漢字が共通だと言っても、それを用いた表現のしかたは日本人と中国人では大きく違います。
中国人の大袈裟な表現の例として「白髪三千丈」がよくあげられます。
この李白の詩は、愁いの深さを表現するために白髪が三千丈にもなってしまったと言っているわけですが、日本にはこういう表現法があまりないようです。
しかし、日本語でも「暑くて死にそうだ」と言うような言い方もあるにはあるようです。
中国語にはこうした言い方が沢山あります。
「累死了」(ひどく疲れた)「高興死了」(大変嬉しい)「急死了」(ひどくあせる)といったように。
これでは何回も死ななければなりません。
中国人はほめるときは天まで持ち上げますし、非難するとなると徹底的に悪口を言います。
どちらにしてもそれをそのまま受け取るようなことはありません。
日本の弔辞は中国人から見ると悲しみの気持ちがもうひとつこもっていないように思われますが、考えてみると中国の弔辞はあまりに美辞農句過ぎてこれもまた気持ちがこもっていないのかなと考えるようになりました。
中国人から見て違和感を感じるのは日本人の曖昧な「ボカシ表現法」です。
「結構です」といわれるのは「サンキュー」なのか「ノーサンキュー」なのか非常にわかりにくい。
先日ある先生が講
義の中で「この説は正しい」といわれ、続いて「と言ってもいい」と付け加えられましたが、その次に先生は「のではなかろう」と言い、次に力強く「か」と言い添えられました。
そして最後に「と思われる」とさらに付け加えられました。
私は頭の中が真っ白になって一体これは何なのだと、呆然としました。
「ボカシの表現法」では断言しない言い方が沢山出て来ます。
この断定しない言い方を好むのも日本人独特のものではないでしょうか。
例えば「あなたはどちらにお住いですか」との問いに「はい宮崎の方です」と答えます。
宮崎に住んでいるのに「宮崎の方に」と方角で答えます。
質問する方も「どこにお住いですか」と聞くべきなのに「どちらに」とはっきり言わない。
あるいは「コーヒーでも飲みませんか」という言い方も日本人にとってはごく普通の言い方です。
この「でも」を付けることによって言い方がたいへん柔らかくなると思います。
「コーヒーを飲みませんか」と言うと飲み物はコーヒーに限られてしまいますが「コーヒーでも」と言われると「紅茶を飲んでもいいんだな」と言う具合に幅が出て来ます。
日本人の論文を読んでいますと「こうなのではなかろうか」とか「こうなんじゃないかと思われる」と言う文章がたいへん多く目に付きます。
欧米や中国ではこう言う方はあまりしません。
「こうだ」とはっきり言います。
このようにはっきり言わない「ボカシの表現法」が日本人には多くあります。
「遊びに来てくださいね」日本人は心からそう思ってなくても平気で人をさそいます。
私ははじめて会って一寸話をしただけの人から「じゃあまた遊びに来てね」と言われてビックリしました。
名前だけで住所も全然わかりませんし、また相手も自分の住所を説明しません。
「何だこれは?」と思いました。
しかし、これも「ごめんなさい」の発想と同じ挨拶程度の「ボカシの表現法」なのだと判りました。
同じように近所のおばさんに「こんにちは」と挨拶したら「どちらまで」と言われてビックリしました。
どうして私がそのおばさんに私の行くところを説明しなげればならないのだろうと不思議に思いましたが、これも日本人のくせで、挨拶がわりの「ボカシの表現法」で相手は別にこちらの行く先を本当に知りたいと思っている訳ではなく、こちらも「はい一寸とそこまで」と言っておけばいいのだと言う事を教えてもらいました。
このように日本人にとってお互いの生活がスムーズに流れるためにはこのような「ボカシの表現法」が大きな役に立っている事を勉強する事が出来ました。
第三節漢字と中国文化
いま日本ではカタカナ文化が氾濫していますが、これはいわば第二次の外来文化であって、第一次の外来文化は古代朝鮮を経由したか、あるいは直接に日本に渡ってきた中国文化でしょう。
早い話が毎日飲むお茶も中国が原産です。
中国南方では「茶」を「テ」と発音します。
これが南まわりでヨーロッパにいって「ティー」となったと勉強しました。
また、中国の北方では「チャ」と発音します。
これが北からロシアや中央アジアに渡り「チャイ」となりました。
そして日本はそのまま「チャ」「茶」になりました。
食品で「胡」がつくのは西域から中国を経由して日本に入って来たものです。
「胡椒」「胡麻」「胡瓜」などは皆そうです。
また、草花の名前で中国伝来のものは非常に多くあります。
桃、栗、柿、梅などはいうにおよばず、百日紅、合歓などもそのまま同じ文字です。
目で見、手でさわれるものだけではない、精神の世界でも中国の文化は日本に大きな影響を与えていると思います。
「論語」「老子」「史記」など中国の古典の影響は大きなものがあると思います。
日本の元号の「平成」も史記のなかの五帝本紀に「内平らにして天成る」を参考にして作られたと聞いています。
中国の古典から出て、いまは日常語になっているものも沢山あるようです。
例えば「自己啓発」の「啓発」は「論語」の「啓せずんば発せず」をちぢめたものです。
「完璧」や「四面楚歌」は「史紀」に出て来ます。
習慣のなかにも中国伝来のものは少なくありません。
「端午の節句」七夕、立春、冬至等々沢山あります。
漢字は日本のカナと違い文字自身一つの完成された文化ではないでしょうか。
一字一字の意味があり、その成り立ちにも理屈があります。
男と言う字は田の中で力一杯働く姿を表したものであり、「嫋」と言う字は弱々しそうな女が美しく見えるようを表現しています。
水の中で弱ってしまったのが「溺」で、日本人は更に弱る魚に鰯(いわし)という字を作ってあてました。
このように、その一字一字に物や現象の本質をとらえて作られたものが漢字であり、それ自身完成度の高い文化であると考えます。
中国人は漢字のもつ文化を非常に高く評価していると思います。
中国人は何千年の歴史の中で自分達こそが世界の文明の中心に位置しているという「中華思想」を、私は意識はしませんが、受けついで来ているのではないでしょうか。
中国を歴史的に見れは、塞外から攻め込んでくる蛮族に繰り返し統治を受けながらも、それらをことごとく同化していった文化の歴史があるだけに、近代に至ってもいかに武力的に強力な相手であろうとも、自分達よりすぐれた文化の持ち主であるとはなかなか認めようとしないのです。
第四節漢字文化とカナ文化
漢字の国とカナの国の違いを前に漢字は一字一字に意味があり、その成りたちにも理屈があり、漢字はそれ自身一つの完成した文化を意味すると書きましたが、こうした文字の文化が日本にやってきて思想を表現する道具として日本語化しました。
しかし、漢字が入って来る前から日本にはすでにヤマト言葉がありましたが、それを記録する字がなかったそうです。
日本人は新しく入って来た漢字を略字化して、あ、い、う、え、お、と言うカナを作り出しました。
「あ」は安、「う」は宇、「え」は衣、「お」於とルーツははっきりしていますが、それぞれの字に特別の意味はないそうです。
カナはヤマト言葉を表現するための字として利用され、かつ漢字を読む時の音標文字として使われるようになったそうです。
本来の漢字は、呉音も漢音もすべて今日の日本語の発音とは異なるものであったようですが、日本人はそれらの発音をすべて五十一字のなかにおさめてしまったのだそうです。
どうしてそういうことができたかというと、ヤマト言葉のあいうえおは、日本人の音標文字であって、それ自身に意味がなかったからです。
日本人は漢字を思想表現の道具として受け入れたけれども、それはヤマト言葉の素地の上に新しい表現が加わっただけのことであって、日本語が中国語に置き換えられた訳ではありません。
だから日本人が自分達の師を中国文化から西洋文化に乗り換えると日本語は英語でもドイツ語でもフランス語でも、ローマ字で表現される言葉を何の苦もなく取り入れる事が出来たのではないでしょうか。
たまたま、ひらがなのあとにカタカナが生まれ、新しい外来語はカタカナで表現されるようになったので、日本人はかつて漢字を自分達の新しい思想表現の道具として取り入れたように、新しい外来語を新しい思想や新しい生活感情を表現する道具として、何のためらいもなく取り入れるようになったのだと考えられます。
もともと音標文字にすぎないカタカナだから、どんな外国語もカタカナにあてはじめると日本語に変わってしまいました。
ただし日本語にない音をそのまま発音することは日本人には難しくて出来ません。
日本語で書き表わす事の出来ない、「T」とか、「L」とか、「R」とか、「Ⅴ」とかの音は、そのままでは日本語にならないので、日本語になった途端に本来の外国語とは似つかぬものにかわってしまいます。
私達が一番困るのがこのカタカナの外来語です。
特にカタカナとカタカナを日本語の接続詞でつないだ新しい日本語は、日本語を学ぶ外国人にとっては誠に難解な言葉です。
ただ歴史的に考えて見ると、日本語は漢字が入って来た大昔から、日本語は外来語を取り入れる事によって新しい言葉に次々と変化して来たのです。
ヤマト言葉がもともとそうした変化を可能とする構造の言葉だったようで、日本人のあらゆる事に対する対応のうまさにも繋がっているのではないかと思われます。
これに比べて漢字そのものは残念ながらそういう具合には出来ていません。
漢字の一字一字がすでに完成した意味をもっていて、しかも一つの音で成り立っていますので、変化の仕様がありません。
「ボー」、「ポー」、「モー」、「フォー」と言った音の分解はできますが、それを繋ぎ合わせて出来た文字を分解して別の意味に変える事は出来ません。
だから文字の一字一字を繋ぎ合わせて意味のある言葉にすることは出来ても、ローマ字やカタカナのような音標文字でありませんから、ドンドン語尾が変化して似ても似つかぬ言葉になってゆく事はありません。
従ってヨーロッパ諸国のように同じローマ字を使いながらドイツ語やフランス語や英語がお互いに通じない言葉に変わっていったのに対して、北京語と広東語や上海語は発音するとまるでチンプンカンプンの言語でありますが、字に書くと皆同じ字になるのは象形文字がそれ自体完成した構造になっていて、容易に壊す事の出来ない性質を持っているからでしょう。
またそれだからこそ、歴史上たびたびの分裂さわぎに見舞われながら、漢字があの大きな中国全体を統一へ戻す絆の役目をはたしたと見ることが出来ます。
漢字は象形文字であると同時に象徴文字でもあります。
例えば「貝」と言う字は貝殻の形が省略されて出来たものですが、貝殻をお金として使用した歴史があるので、お金を意味する「貨」と言う文字が出来ました。
もともと貝と言う字にはお金と言う意味がありますから、お金を集める才能は「財」であり、お金と玉器を家の中に集めた物は「寶」であると言った具合に、現象や動作や思想や物の本質を字そのもので象徴しているのです。
そう言った意味ではよく考えて作られた文字ではありますが、漢字が作られた当時の人智をこえる新しい事象を説明しようとすると、字そのものが不充分であろうと思われます。
そ
の点カナは漢字及び漢字文化を取り入れることもできれば、ローマ字及びローマ字文化を何の抵抗もなしに受け入れることもできました。
中国人はローマ字文化の内容をいちいち漢字になおさないと、現象そのものすら理解できないところがありますが、日本人は漢字にカナをふって受け入れたように、ローマ字にカナをふって受け入れることがいとも簡単にできます。
とりわけ西洋文化を取り入れるにあたって制度だけではなく、それを表現する言葉にフリガナをして、そのまま取り入れることにほとんど何のためらいも感じないようです。
と言うわけで外国語の名詞と名詞を繋ぎ合わせるだけで新しい日本語になり、日本人同士で意思の伝達をするのに何の支障も感じないようになったようです。
もともとそういう具合に出来た言葉であり、また精神構造だから外国語文化にフリガナをすることによってあたらな文化を作ってゆくのが、日本文化であると言えるのかもしれません。
第二章慣習
第一節食文化について
中国で「ご飯食べました?」は挨拶言葉です。
親しい者同士が食事時に顔を会わせれば「ご飯食べました?」と言う言葉がごく自然に出て来ます。
ある意味では、日本人の「いいお天気ですね」と同じです。
しかし、この挨拶言葉というものはその社会に入って見ないとなかなかわかりにくいと思われます。
日本語の「こんにちは」にあたる中国語は相手と時と所によっていろいろな言い方があります。
だから「ご飯食べました?」イコール「こんにちは」でもないし「ニーハオ」がイコールすべて「こんにちは」でもありません。
「ニーハオ」がれっきとした中国人同士の挨拶言葉であることは間違いありませんが、ただどちらかといえば少し「よそゆき」の言葉であって、親しい者同士ではあまり日常的には口にしません。
これは日本語の「こんにちは」にしても同じ事ではないでしょうか。
例えば、同居している家族同士が顔を会わせたとき「こんにちは」とは言わないでしょう。
中国でも色々な言い方がありますが、この「ご飯食べました?」というのも、ごく自然な挨拶の一つなのです。
そして、こういう挨拶がすんなりと出てくるところに、中国人の「食」に対する関心の深さがあらわれていると思います。
関心と言うよりはもっと強い、品よく言えば「食願望」であり、下品に言えば「食への執念」でしょう。
そこからごく自然に生まれてきた言葉ではないでしょうか。
勿論食へのこだわりは中国人だけのものではないでしょう。
日本でもこのごろは「グルメ」ばやりで、テレビでも料理番組がしょっちゅう流れています。
でも日本人の「グルメ」なるものはきわめて趣味的であり、どこかひ弱な感じがします。
舌先だけの事であり、口先だけのことではないでしょうか。
そこへいくと中国人の食意識はもっと根強く、生活であり、全身全霊がかかっていると言ってもいいのではないでしょうか。
中国人のそのものさしを理解するためには、その「食願望」を知っで貰わなければならないと思います。
なにしろそれは昨日や今日のことではなく、ラーメンの広告ではありませんが、大袈裟に言えば四千年の歴史を背負っているからです。
良かれ悪しかれ中国は伝統の力がことのほか強いと思います。
とくにこの「食願望」は遺伝因子がかなりのウェイトを占めていると思われます。
「酒池肉林」と言う言葉は日本でもよく使われるようですが「酒の池」「肉の林」といった発想がすさまじい「食願望」を示しています。
「酒の池」というのは日本にも「養老の滝伝説」があるようですが、皮を剥いたままの肉塊がズラリとぶら下っている「肉の林」が願望であるという事になると日本とは執念の度合いが違うのではないかと思われます。
中国の「美味追求」はあまりにも有名です。
なかには文献や話の上だけのものありますが、「熊の掌」、「ラクダのこぶ」、「蛭のスープ」と発想自体が飽くなき食願望の産物です。
勿論、だれもがゲテモノを好むわけではありませんが、広州の蛇料理などは日本の鰻以上の市民権を持っていると言ってもよいでしょう。
「四つ足のものは机以外、飛ぶものは飛行機以外、水中のものは潜水艦以外なら何でも食べる」と言われるほど材料が多彩なこともさることながら、徹底的に凝った料理法も中国料理の特徴でしょう。
例えば、前記の「熊の掌」は熊の右手を粘土で包んで焼き、毛をむしる、そして三日三晩、薬草を加え湯を変えては煮上げます。
日本料理も凝っていると言われますが、それはむしろ食べるより目で眺めて楽しむと言う芸術品の世界ではないでしょうか。
そこにいくと中国料理はタップリ感いっぱいの御馳走なのです。
日本でも魚の活き造りは頭ごと食卓に出てきますが、動物は出てきません。
だが中国の場合、例えば、北京ダッタは、はじめに頑の部分を主賓にささげます。
これは最大の敬意をあらわしています。
ブタ
の頭も御馳走です。
まるごとというのは材料を無駄にしないという経済牲だけでなくタップリ感、コッテリ感とも関連があると考えられます。
「満漢全席」と言う名前のついたコース料理がありますが、これは王室の宮廷料理から民間に広がったものです。
満州族と漢民族の料理の粋をあわせて作ったもので、その品目の多い事まさにタップリ感の粋であろうと思います。
これに対して日本料理はよい素材を選ぶ事と、素材の味をうまく生かすところにあるのではないでしょうか。
だから新鮮さとかどこでとれた素材であるとかどんな季節にとれるものであるとかといった事が非常に問題になるようです。
例えば、「今日向かいの海からあがったばかりの鯛」だとか「さっき裏山で掘ってきた筍」といった具合に材料の持っている味をそのままいかして使うことが大切な事とされているようです。
あとは包丁さばきのよさとか、目を楽しまさせてくれる器や配色のよさなどで料理人の腕の違いのみせどころという事でしょう。
一般に中国料理は素材30腕70と言われますが、日本料理は一寸といいすぎかもしれませんが、そのちょうど逆なのではないでしょうか。
では、その料理を食べるときですが、この食事のときの礼儀作法が日本と中国では違うようです。
日本では床の間を背にした席が上席で、出入口に近いほど下座だとの事で食事をする場合の食卓も四角に作られています。
そして四角に並んだ座席の一番奥の床の間を背にした真ん中の席が上席で日本の場合上席に誰が坐るかはほとんど決まっているようです。
来客がお互いに席を譲り合うという光景はあまりみません。
中国ではその日のホストすなわち勘定を払う人が奥の中央の一番上席に坐り主人の左が主賓、右がその次に大事なお客と言う順序になり、以下代わる代わる左右に席次が下がって行きます。
主賓にサービスするのがホストの役目であってみれば、ホストが主賓の隣に坐るのは理屈にかなっていると思います。
ところが、こうした座席の上下があるばっかりに譲り合いが始まります。
それもちょっとやそっとの譲り合いではありません。
五分も十分もかけてお互いに謙譲の美徳を発揮します。
やっと席に着いて食卓の上を見ると中国人と日本人では箸やスプーンの置き方が違います。
箸を使うという点では中国人と日本人は共通しています。
日本人は箸を横に並べますが中国人は縦に並べます。
スプーンも同じく縦です。
また箸の形が違います。
中国人の使う物は日本人が普段使っている物よりずっと長い。
どうして中国の箸の方が長いかというと中国料理は円卓を囲んで卓上一杯に料理が並ぶので、遠い皿にも手が届くように配慮されているというのが一つ。
もう一つは隣りとそのまた隣りくらいまでは料理を挟んで皿に入れてあげるのが礼儀なので、そのために自然に箸が長くなったのでしょう。
日本の場合ははじめから一人前ずっに分けられて出てきますから、自分の口まで届けば事足りるので、中国箸のように長い必要はないのでしょう。
また日本の箸は先に行くほど細くなっています。
中国箸が先の方までズンドウになっているのに比べると鋭い感じがします。
これは日本人が海に囲まれた島国に住んでいて基本的には魚を食べる海洋民族であるのに対して、中国人は内陸部に住み肉食を主とする牧畜もしくは農耕民族だからではないでしょうか。
魚を食べておれば魚の骨をかさわけなければなりません。
だから箸はどうしても先の尖った形になるのでしょう。
「酒の肴」という日本語に対して「酒池肉林」という中国語を対比させれば日本人と中国人の御馳走の中身がわかり箸の形についても納得がいくのではないでしょうか。
第二節酒文化について
中国人は食べ物の味についてはあれほどうるさいにもかかわらず、酒の味についてはおおざっぱなのではないでしょうか。
中華料理の奥の深さに比べると中国の酒は種類も少ないし製造法についての研究も行き届いていません。
参考までに中国の洒は大きくいって白洒と老酒に分かれます。
色で分類するのはいかにも即物的ですが「白」は白色ではなく無色透明の意で蒸留酒のことです。
有名なものには「マオタイ酒」(53度)をはじめ「五粮液」(60度)「汾酒」(50~60度)などが有名です。
黄酒は醸造酒でコハクいろからきた名前でしょう。
これは老酒とも言います。
よく熟成したという意味から来たものでしょう。
なんといっても紹興酒(13~18度)が有名です。
黄酒は地域的には長江以南が多いようです。
しかし、その味については実に大ざっぱです。
そこに行くと日本料理では「酒の肴」として魚をナマとか、塩焼きとか、煮て食べるとなると、味は淡白ですから肴の相棒をつとめる洒となるとどうしてもソフトな日本洒となります。
それも甘口、辛口といった分け方のほかに、デリケートな味の違いのある地酒が色々とあるようです。
酒の味わい方はフランス料理に対するワインの関係と
大変似ているのではないでしょうか。
中国人は料理についてはグルメだとしても酒の味に関する限り日本人やフランス人の足元にも遠く及ばないのではないでしょうか。
味については今まで述べたとおりですが、この酒の飲み方と言うか飲む礼儀が中国と日本では違う様です。
中国の宴会には大きく言って三のタブーがあります。
第一のタブーは「マイ・ペースで飲んではいけない」ということです。
手酌などはご法度です。
飲む場合には必ず誰かと乾杯をしなければなりません。
目と目を見交わせながら飲むのが中国流の宴会の基本です。
日本人の乾杯は宴会の始まるときだけで、あとは皆自分勝手に飲むようです。
ところが中国人は必ず誰かを誘って一緒に飲みます。
例えば、十二人でテーブルを囲んだ場合、その日のホストが杯をあげて「さあ、皆さん、今日は本当によくいらっしゃいました。
乾杯」とやります。
「乾杯」とは日本人のように杯をあげて適量飲むことではなく、文字通り杯を乾かしてしまう事を言います。
だから一滴も残らないように全部乾かしてしまわなければなりません。
最も理想的なのは全員と乾杯するという方法です。
自分の右隣の人から一人ずつ乾杯して全員と酌み交すことです。
当然のことながら、全員が「人数分マイナス1」の回数だけ乾杯することになります。
なるべく全員が同量の洒を飲むと言うのが中国流の宴会の重要な作法です。
しかし、こうやって酒を酌み交わしていても、絶対にやってはいけないことがあります。
それが第二のタブー「絶対に酔っ払ってはいけません」です。
中国人の宴会では、とにかくありとあらゆる口実を使って酒を飲まされます。
しかし、どれだけ酒を飲まされても酔った様子を表に出してはなりません。
宴会が終わるまでシャンとしてはなりません。
すなわち、たとえ酒の場であっても絶対に緊張をくずさず、最後まで崩れない人こそが、中国の社会では尊敬されるのです。
だから、うっかり気を緩めて泥酔でもしようものなら二度と宴会に呼ばれないようなります。
日本人からすれば信じられないことかもしれませんが、宴会の場に於いて酔うような人間は信頼出来ないと思われます。
日本人の場合は、どうもこれと正反対のようです。
飲んでも羽目を外さない人は「腹を割って話合ってくれない」とか「つき合いが悪い」「薄気味悪い」などという理由で評価が下がるようです。
そして醜態をさらした人間の方が何となく信頼出来ると評価されるようです。
第三のタブーは「宴会でまじめな話をしてはならない」ということです。
特に政治向きの話などはもってのほかです。
同じようなことは欧米のパーティーでも言われるようですが、中国の場合とかなりニュアンスが違います。
欧米の場合は思想信条が違う人がいると議論になってしまい、白けるから政治の話や宗教の話はしない方が良いという意味のようです。
だが中国の場合、もし政治批判の話が飛び出した場合、それを聞かれた方は窮地に陥ってしまいます。
中国人は言質を取られるのを極端に怖れます。
他人から攻撃されたとき、言質を取られていると逃げ道がなくなるからです。
だから中国人はなるべく面倒なことになりそうな話は避けたがります。
ところが宴会の場で、酔った勢いで政治批判の発言をした人間は勿論弱みを握られるわけですが、それを黙って聞いていたと言うのも同罪と見なされるのが中国社会の常識なのです。
黙っているのは賛成の証拠だろうと言われるからです。
かと言って反論を仕掛けるのもおろかしいことで反論をすればその発音によってまた言質を取られることになります。
だから宴会の席に置いては絶対に政治の話をしてはいけないのです。
小声で隣りの人と話をするのは何にか企みごとをしているのではないかと疑われるし、無礼なことだと思われます。
馬鹿話を大きな声でしなければなりません。
日本人からすればこんな宴会のどこが楽しいのかと思うでしょう。
中国人だって楽しくて飲んでいるのではありません。
宴会とは娯楽ではなく自分がいかにしっかりした立派な人間であるかを証明するための、ある意味に於いては「戦の場」なのです。
ですから絶対に酔ってはならない、我慢競争に勝ち続けることが、中国社会では尊敬される条件なのです。
つまり中国人にとっての宴会とは、もう一つのビジネスなのです。
来る日も来る日もパーティーに出つづけ、そこで酔いを見せることなく帰ることによって、他人の信頼を勝ち得ていく。
これが中国社会の付き合い方なのです。
何度も同じ人に宴会で会いその人物が酔わずにしかもいつもたわいのない話をしている姿を見て「なるはど、この人は一緒に仕事をしても安心だ」と判断するのです。
だから中国人の社会において宴会に呼ばれなくなるというのは社会的な死を意味することです。
あいつは羽目を外す、だらしのない奴だという烙印が押されると言うことなのです。
まとめてみますと、中国人にとって宴会には重大な機能があると言うことです。
第一に誰が信頼でき
ないかを見分けるという機能、第二に常にパーティーに出席することによって、自分に寄せられている信頼感を他人にアピールする機能、そして第三に中国人社会で力を失った人間を見極めることができるという機能です。
どこの宴会へ行っても見かけなくなった人は、まず失脚したと考えて良いでしょう。
そして最後は有力者とコネを付けるという機能です。
余談になりますが、この宴会と似たメカズムで成り立っているものに会議があります。
この会議で一番大事なのは議事ではなく開会式です。
開会式に誰が出席し、誰が演説をしたかということによって、その会議の意味が決まるといってもいいでしょう。
なぜならばそれが時の勢力図を示しているからです。
会議の開会式に呼ばれるか呼ばれないかということは、生きるか死ぬかの問題です。
会議はしばしばあるが呼ばれなくなったらもうその人は失脚したという事なのです。
本論にもどりますが中国人の酒文化は日本人のように日本料理を楽しむ或いは引き立てるために飲むものではなく、宴会を通じて自分を信頼させるために飲むものです。
中国料理を楽しむ或いは生かすためのものではないという事なのです。
第三章風俗
第一節生活習慣
中国人と日本人は顔つきもあまり変わらないし、漢字を共有してもいます。
日本の文化は中国から多くのものを得てきています。
それだけにお互いに中身も簡単にわかるように思いますが、そうはいかない。
とくに表にあらわれない中身や意識や考え方など、日本と中国の間にはかなりの違いがあるようです。
風俗習慣でも形は同じだが、中身は違うというものが多い。
例えば、十二支は中国から渡って来たもので、動物に結びつけるのも十二支と同じです。
だが、違うのが一つあります。
猪年は日本ではイノシシ年だが、同じ「猪」でも中国の「猪」は「ブタ」、つまり「ブタ」年という意味です。
日本で女性に「あなたはブタ年ですね」などと言ったら怒られるが、逆にイノシシは中国では「野猪」の意味です。
「あなたは野猪年ですね」と言ったら失礼と思われるでしょう。
中国人は日本人もお正月には餃子を食べるのだろうと思っています。
また日本人の「おじぎ」をする習慣も珍しい。
言うまでもありませんがマナーは形だけでなく心の問題です。
それだけに目に見えない微妙なものがあります。
日本ではレストランなどで勘定書をテーブルの上に必ず裏返して置く、これは「さり気なく請求することであり、またお金を払う人以外に金額がわからないように配慮する」という事だそうですが、どうしてわかってはいけないのでしょうか。
中国では親しい人と飲食したときなど、おごられた方が「いくらでした」と聞くのはいっこうにさしつかえない。
そして「安かったですね」という。
それはお金の使い方が上手であると言うほめ言葉なのです。
「高かったですね」では値段に比べて、まずかったという事になってしまいます。
日本人の「ワリカン」の習慣が中国にはありません。
私は日本に来て最初に年上の同僚から「ご飯を食べに行きませんか」と開かれたので、当然その人が御馳走してくれるのだと思い喜んでついていきました、しかし、食事が終わったら「あなたはいくらですよ」と言われてビックリしました。
自分の分は自分で払うのだそうです。
そんなことなら一人で自分の食べたいものを食べるんだったと腹が立ちました。
中国には「ワリカン」と言う習慣はありません。
目上、年長者、上司が勘定を持ち又同じ仲間であってもその日誘った人が払うというのが普通です。
「すみません」に対する中国語は「対不起」(トイフチ)と言いますが、これがどうも分かりにくいのです。
日本ではすぐ「すみません」と言います。
道を聞くときに「すみません」。
これはまあ相手の足を止めさせて申し訳ないという気持ちの表れとしてまあよしとしますか。
レストランでの「すみませんお水を下さい」もお手数をかけるのであるからわからないでもない。
しかし「すみません勘定して下さい」は変です。
御馳走して貰うならすみませんでしょうが、代金を払うのになぜ謝る必要があるのでしょうか。
などというのは野暮な話のようですね。
今の日本語の「すみません」は陳謝語と言うより呼びかけ謙譲語と言ったほうがいいようです。
ところが自動車接触事故を起こした場合などは「すみません」と言わないほうがいいと教えて貰いました。
謙譲語のつもりで言ってもこちらの非を認めたことになり、示談の時に条件が不利になるのだそうです。
味気ない話ですが、これが社会の現実でしょう。
さらに「すみません」には政治上の大きな問題があるとして戦争関係のことで時々新聞紙上をにぎわしているようです、犠牲を与えた相手に対して明確な謝辞の「すみません」ではなく「遺憾であった」等
です。
このように日本人の「すみません」には「謝罪」と「呼びかけ」の二つの意味があるようです。
一方、中国の「対不起」ですが、「対不起」には呼びかけ語としての役割はありません。
中国のサービスについては問題がありますが、サービス部門であまり「対不起」が聞かれないのは、それを口にすると責任を追及される事を恐れるからだという説もあります。
また文化大革命の後遺症も少しはあるでしょうが、実際は社会主義的市場経済がまだまだ未成熟なのではないでしょうか。
しかし、実際に悪いと思ったときは素直に「対不起」と言います。
贈り物などのとき、日本では奇数をよしとするようですが、中国では全て偶数を喜びます。
これは対になっていることを好む習慣とも関連があるのかもしれません。
北京の故宮博物院は建物が整然とした左右対象に配置されています。
対になっていないと安定感が得られないと中国人は考えます。
偶数好みは、その延長線にあると思われます。
酒の贈り物も一本ではなく二本であることが望ましいのです。
結婚祝いのジャーなどを一つしか贈らなかったら常識を疑われるか、わざと嫌がらせをしたとしか思われません。
二個が常識なのです。
招待されてつぎに会ったとき、日本人は「先日はどうも御馳走さまでした」と言います。
これが日本の常識のようです。
しかし、中国人はあまりこれをやりません。
招待を受けたときに感謝の言葉はすでに述べており、日を変えてそれをまた繰り返すのは、「また御馳走をして下さい」と言う謎をかけたことになるからです。
手土産の習慣は中国にもあります。
日本人は「手ぶらでは悪いから」と何か持って行くことが多いようですが、中国人の場合はそんな曖昧なプレゼントはしません。
感謝とか依願とか目的が明確な場合に手土産を持って行きます。
第二節義理人情
中国人はお金に敏感な国民だとよく言われます。
まず第一に、節約をし無駄なお金は絶対に使わない。
長い歴史のなかでお金しか頼りにならないことが身に染みて判っているからです。
ですから、貯金率は非常に高い、貯金とは毎月の収入の中から使い残したお金を残しておくといったノンキなことではありません。
使いたいお金を我慢して優先的に残しておくことです。
またお金の使い方についても大変厳しく節約できそうなお金は一切使わないし、使わなければならない場合でも安くすませる方法はないかと智恵をしぼります。
ですから、買い物に行っても必ず値切ります。
中国人は人前でも平気でお金の話しをします。
それが日本人と一番違うところでしょう。
この違いはお金に対する中国人と日本人の哲学の違いから生じたものではないでしょうか。
お金が必要なことは子供でも知っています。
だからお金の話しをすることは恥ずかしいことでも何でもなく、お金がないからといって人に隠すことはないと中国人は思っています。
しかし、どうも日本人はお金を「必要悪」の一つとしてとらえており、お金のことを口にすることも、ましてお金がないことを口にするのは恥ずかしいことだと思い込んでいるようです。
昔から日本の支配階級であった「サムライ」たちは一般的に経済知識に乏しく、いつも貧乏していたようです。
それでも人の上に立つ以上物乞いしたり、お金が欲しいと口に出しては言えないそういった気風が、日本人全体の気風となって上から下までお金のことは口にしないようになったのではないでしょうか。
ではなぜこれほど経済観念の発達した中国人が義理人情を大切にするのでしょうか。
それは中国人と比べて一番違うところは中国人の行動原理が利己主義(家族を含めた)ものを中心としているに対して、日本人はグループの利益もしくは公益を優先させているためではないでしょうか。
とくに戦後の日本で法人優遇の税制が導入され個人で店を経営したり個人で財産を所有しているよりも会社で経営した方が有利ということになれば小さな商店も会社に変わり、会社が儲けたお金も資産として大半が会社に蓄えられるようなシステムが日本人は社会を一つのユニットとしてチームワークをとり、そしてそれを強くさせる事に成功したのでしょう。
そして会社という組織が普通化すると日本人は社会をトリデとして社会生活を営むようになり、お金の流れも交際費の支払も文化活動のスポンサーも全部会社中心に変わってしまい、サラリーマンは会社に忠誠を誓い公益もしくは団体の利益を優先させなければ生きて行くことができなくなったのではないでしょうか。
これに対して中国人は結局あてにできるのは家族の延長線上にある人間関係が一番であると考えます。
ただ社会を乗り切ることはできません。
だから自分らを守るためには各方面にネットワークを築いておく必要があります。
子供たちの結婚を通じて姻戚関係をつくるのもその一つだし、官界で派閥に加盟するのもその一つです。
「袖すり合うも他生の縁」と言われますが、中国人が一番大切にするのはそう
した「人縁」です。
友達に紹介されて知り合いになったばかりの人でも中国人は大切にします。
友人の紹介状を持って訪ねてきた人に初対面でも下にもおかぬ扱いをした上に御馳走までしてくれると言う例も少なくありません。
これは紹介状を持参した人を大事に扱うのは紹介状を書いた人に対する礼儀であって、紹介状を持参した人を最初から尊重している訳ではありません。
中国人は人間関係を最も重要視します。
ですから、自分が親しくしている人からの紹介であれば真っ先に考えることはその友人の顔を立てることです。
そうした丁寧な扱いを受けた人が帰って「本当に親切していただきました、とても助かりました」とお礼を言ってくれればその友人もこちらに対して色々と面倒を見てくれるようになり、その絆がますます大きくなる、そしてそうやって新しくできた友人も勿論大切にします、そうゆう新しい人間関係をつくることを非常に大切に思っています。
この厳しい社会にあって一番頼りになるのは血のつながりのある家族だし次が味方になってくれる友人です。
本当の友人なんてそんなに沢山いるものではありませんから、縁あって友人になってくれた人を中国人はことのほか大切にします。
こういう面の中国人の礼儀正しさと利害をこえた親切さは、グループ主義の日本人には一寸とわからないところでしょう。
結論
今まで色々と言語、慣習、風俗について日中の差を見て来ました。
そして同じような文化でありながらその内容はかなり違うのだと言う事も判りました。
日本と中国は末長く仲良く付き合っていかなければならない隣り同士です。
そして仲良く付き合って行くためには二つの側面があると思います。
一つは共通点を見出すことです。
それによって親近感が生まれます。
もう一つは相違点を知る事だと思います。
それによって理解が生まれ、認め合う前提となります。
共通点は見出しやすいのですが、違いを知って理解をすると言うことはなかなか難しいことだと思います。
この相互理解を深めるためには、まず今まで述べたように少なからぬ誤解があることに気づく必要があるのではないでしょうか。
目や肌の色のちがっている者同士だったら、はじめから違うという認識があるからかえっていいのではないでしょうか。
ところが同じような顔で、同じ漢字文化圏でお互いに、分かっていたようなつもりになっているところに問題があるのではないでしょうか。
古来日本人は中国を文化のルーツであり、理解的な「孔孟の国」であるとのあまりにも尊敬的誤解をしていたのではないでしょうか。
それが明治以降全く逆の誤解が始まったと思われます。
日本人の中国観は良きにつけ悪しきにつけ、あまりにも色眼鏡をかけて見がちなのではないでしょうか。
「中国大好き人間」は、その眼鏡でアバタもエクボに見ますし、また「中国大嫌い人間」は、その眼鏡でエクボもアバタとして見るのではないでしょうか。
だから日本だけのものさしで中国を見るのではなく、中国には中国のものさしがあるのだと言う事を理解してもらって中国を見て貰いたいと思います。
既存のイデオロギーでなく、実際を基準にして見て貰いたいし、また局部的現象を見て全体だと判断して欲しくないと思います。
相互誤解を解きほぐすのは簡単ではないと思います。
ある程度の時間がかかることでしょう。
そのためには文化、言語、慣習、風俗にもお互いに違うものさしをもっているのだと言うことを認めあいながら、同一の漢字文化の発展にお互い務めたいものだと思います。
参考文献:村山孚「中国人のものさし日本人のものさし」
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