天声人语(2015年3月)
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天声人语(2015年3月)
天声人語
2015年3月31日(火)付
心浮き立つ春は、省察に引き戻される季節でもある。
忘れられないこと、忘れてならないことの多い3月の言葉から▼渡辺英莉(えり)さん(22)の宮城県七ケ浜(しちがはま)町の家は津波に流された。
祖母と逃げる途中、波に足を取られ、手を離してしまった。
その悔いは今も残る。
「この痛み、一生消えてほしくないんです。
ばあちゃんとずっと一緒にいる感覚というか……」▼大阪市の應典院(おうてんいん)は、生きづらさを抱えた若者が集う寺。
オウム真理教の地下鉄サリン事件から20年を前に秋田光彦住職(59)が語った。
「若者がどう転化するかは、問いかけたり悩んだりできる『余白』の場が社会にあるかどうかで左右される」▼春成幸男(はるなりゆきお)さん(89)は、火柱の噴き上がる下町に消防車で向かった。
70年前の東京大空襲の日。
遺体を見ても「何も感じない。
空襲に慣れてしまって、もう、こういうもんだと。
ただ、この戦争には勝てない。
そうはっきり思っていました」▼ドアツはナチスの時代ときちんと向き合った――。
来日したメルケル首相は言い切った。
安倍首相と並んだ会見でも「過去の総括は和解のための前提になっている」▼6年生は1人だけ。
原発事故で一時、全村避難した福島県川内村で卒業式があった。
気詰まりな1対1の授業を先崎(せんざき)里美先生(38)のひと言が和らげてくれた。
「お互いがんばるの、もうやめっぺ」。
秋元千果(ちか)さん(12)は式で語った。
「1人だけど、1人ではない。
淋(さび)しいけれど、かわいそうではない」。
希望にあふれた旅立ちだ。
天声人語
2015年3月30日(月)付
月形半平太は実在の人ではなく、芝居に登場する幕末の志士である。
「月さま、雨が」「春雨じゃ、ぬれて行こう」。
これほど人口に膾炙(かいしゃ)した時代劇のせりふも珍しい。
しめやかな情緒をかもす春雨のアメージを、人々の脳裏に定着させた▼もっとも大正時代の初演だから、わりと新しい。
それ以前も、たとえば江戸期の俳人、与謝蕪村に〈春雨や小磯の小貝ぬるゝほど〉といった句がある。
傘を差しても差さなくてもいいような雨、濡(ぬ)れるともなく濡れる雨――すなわち上質の絹糸のようにこまやかな雨だ▼きのうの日曜は、低気圧が各地に雨をもたらした。
西日本から関東あたりでは桜の花を濡らしていった。
傘を差そうか、濡れて歩こうか、思案の花見もあったことだろう▼この季節、人は桜ばかりを仰ぎ見がちだが、屈(かが)んで見れば、路傍の野草も春到来を告げている。
赤みが艶(つや)めくホトケノザ、水色がぱちりと開くオオアヌノフグリ、スミレ、タンポポ、シロツメクサ。
春の絵の具箱は多彩である▼〈春の草音符(おんぷ)のやうにのびてくる〉岸本水府(すいふ)。
柔らかい雨が地面に吸われ、にぎやかな五線譜のような芽吹きをうながす。
言われてみれば、ツクシは逆立ちした4分音符に、カラスノエンドウはト音記号に見えてくる▼「ひと雨ごとに」の慣用句もうれしく、雨が降り、雨があがって季節の扉は開いていく。
とかく気ままな春の空だが、花に嵐の無粋な雨はしばし勘弁を願いたい。
半平太を気取れるような雨なら、いやではないが。
天声人語
2015年3月27日(金)付
フゟンとは一面、身びいきなものだ。
野球フゟンは「サッカーはなかなか点が入らない」とぼやき、サッカーフゟンは「野球の試合は間延びしている」などと不平を言う。
むろん口角泡を飛ばして争う話ではない▼とはいえ二つの球技の違いをあれこれ思い巡らすのは楽しい。
ピーター・ドラッカーは経営学者らしく、その違いを企業組織のあり方にあてはめて考察している。
野球型は守備位置や打順が固定された分業体制である。
選手は打席やマウンドで個人技を求められる▼サッカー型にもポジションはあるが、
状況に応じ変化する。
デァフェンスが前線の攻撃に参加するなど、機動性や協調性が大切だ。
どちらにも強みと弱みがあり、一方が正しいというわけではないとドラッカーは言う▼激変する環境に対応するにはサッカー型を。
日本の経営者がそう語るのを耳にすることがある。
上司の指示に黙々と従うのではなく、現場で臨機応変に判断して欲しいということだろうか▼作家の林信吾さんらは以前、「企業文化のプロ野球、地域文化のJリーグ」という興味深い見立てを示した。
確かに野球界では多くの球団が親会社の名を冠する。
ただ、最近は地元密着志向が強い。
楽天の活躍が東北の被災地の人々を励ましたのは記憶に新しい▼Jリーグに続き、きょうセ・パ両リーグが開幕する。
サッカー日本代表を率いるハリルホジッチ監督も、チュニジ゠との初陣に臨む。
競技の個性は違っても、フゟンの熱い視線は同じである。
天声人語
2015年3月26日(木)付
千葉県流山市議の松野豊さん(45)は驚いた。
定例会最終日の3月20日。
演壇の議会運営委員長
が突然、松野さんの名を挙げて「改革を長年にわたり牽引(けんいん)し……」と発言した。
議事の中
でこんな謝辞が飛び出すのは異例だ▼はなむけだったのだろう。
議員として実質最後の日だった。
29歳
で初当選し、4期務めた。
4月にある次の選挙には出ない。
「議会改革に明け暮れた16年でした」。
市
議会は全国の市区を比べた改革ランキングで2012年に日本一になった▼本会議に加え、委員会もネッ
トで生中継する。
採決にスマホを使い、全議員の賛否を公表する。
市民への報告会を開く。
議員同士の
自由討議や、議員に対する市長らの「反問権」を活用する。
情報公開、住民参加と議会の機能強化の三
本柱で進めてきた▼きょう統一地方選が始まる。
昨今、地方議員には逆風が吹く。
それでなくても何をし
ているか見えにくく、遠い存在と思われがち。
どう選べばいいのか、住民が困るのも当然だ▼松野さんは
「有権者改革」が今後は必要という。
議会や役所を変えるだけでは民主主義の質は高まらないと思うか
ら。
特に下がり続ける投票率を気にする▼投票先に迷ったら、何人かの候補者にメールなどで連絡してみ
ては、と松野さんは提案する。
例えば「なぜ立候補を?」と尋ねてみるのだ。
すぐ返信がくるか、音沙
汰なしか、反応ぶりにそれぞれの資質が見えるはずという。
議員経験者ならではの゠アデ゠か。
ちょっ
と試してみたくなる。
天声人語
2015年3月25日(水)付
ある患者が泣き出した。
まるで罪人扱いだ、もう絶対入院したくない――。
新潟市で長年、新潟水俣病
の診療を続けてきた医師の斎藤恒(ひさし)さんが旧著で紹介した話だ。
手に力が入らない、といった症状が本当なのか、病院で疑われ、憤慨したのだろう▼斎藤さんは書いている。
「水俣病ほど詐病を疑われた病気を私は知らない」。
患者への偏見や差別はいまも残る。
そのせいで、症状を自覚しても声を上げられない人も多いという▼どんな人を水俣病の患者と認定するか。
それは、広く救済するか、狭く救済するかの違いに直結する。
国は従来、手を針で突いても痛くないといった感覚障害や、視野が狭くなるなど、複数の症状がなければ患者と認めてこなかった▼最高裁は一昨年、基準を緩める判決を出した。
感覚障害だけでも患者と認める余地はある、と。
環境省は判決後、一つの症状だけでよいとする一方で、その場合の確認事項を細かく示した。
やはり患者は極力増やしたくないらしい▼この点で、新潟地裁がおととい出した判決は双方の間を取ったような内容だった。
原告のうち患者と認められた人とそうでない人に明暗が分かれた。
原因となった企業に賠償を命じつつ、国や新潟県の責任は認めなかった▼熊本で水俣病に取り組んだ医師の故原田正純(まさずみ)さんはかつて、同僚らに患者側に立ちすぎると批判されて、こう反論した。
「患者側に立たない医者って、あるんだろうか」。
その通り。
そんな目線が行政にも司法にも欲しい。
天声人語
2015年3月24日(火)付
その日の小欄はこう結んでいる。
「おもろい会社である」。
1977年1月、当時の松下電器産業、今のパナソニックが決めた異例の社長人事を評してのことだ▼経営の神様、松下幸之助氏が一代で築いた大企業を担うことになったのは山下俊彦氏。
たたき上げの技術者で、取締役26人中、序列25番目だったから、「山下跳び」といわれた。
当時の松下氏の談話がいい。
「重役会でもはっきりした発言をする人で、前から『おもろい人間や』と思っていた」▼あの頃に比べれば年功序列はだいぶ崩れた。
多少の抜擢(ばってき)人事も珍しくなくなった。
それでも驚いた人は多かろう。
4月1日、三井物産の社長に安永竜夫(やすながたつお)氏がなる。
序列が上の32人を飛び越えての昇格だ。
年も54歳と若い▼他社でも若返りが相次ぐ。
トヨタ系の部品大手デンソーでは「14人抜き」、味の素でも「7人抜き」の新社長が6月に誕生する。
実力本位ということか。
上司や先輩だった人々の上に立つのだから気苦労もあろうと、いらぬ心配をする▼松下の山下氏は抜擢された側のやりにくさを率直に認めていた。
同時に指摘していたのは「でも、だれにも遠慮なしにやれるとしたら、かえってあぶない」という点だ。
確かにトップの暴走がしばしば問題を起こす▼働いて「おもろい会社」とは、上下関係の中でも言うべきことが言える会社だろう。
とりわけトップには、耳に痛い直言も受け止める度量の広さが必要だ。
そんな人物を選び出すのがきっと一番難しいのだが。
天声人語
2015年3月23日(月)付
花を詠む歌は数あれど、この名高い作品の大胆な発想には舌を巻く。
〈世中(よのなか)に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし〉在原業平(ありわらのなりひら)。
この世に桜がまったくなかったら、春も穏やかな気持ちでいられるのに、と▼今か今かと咲くのを待つ。
咲けば咲いたで散るのを惜しむ。
桜はなにかと人の心をかき乱し、物思いに沈ませる。
なかりせば、と現実には起こりえないことを仮想しながら、桜へのあふれる愛を逆説的に吐露する仕掛けである▼心穏やかではいられない季節が今年もやってきた。
花の便りが各地から相次いでいる。
おとといは鹿児島や名古屋、きのうは高知や静岡などでソメアヨシノが開花した。
平年より少し早いところが多いようだ▼コートのいらない陽気だったきのうの都心を歩いてみた。
東京駅近くのソメアヨシノを観察すると、枝先の方から2輪、3輪と開き始めている。
早咲きだなと以前から感じていた霞が関の外務省に足を延ばすと、一部の木々がほぼ満開。
ただ、これは種類が違うらしい▼随分前に奈良の吉野山でヤマザクラを眺めたことがある。
花に加えて紅褐色の葉が目立った。
葉が出る前に花だけが咲き誇るソメアヨシノとの趣の違いが面白かった。
色々な種類を見比べるのも楽しそうだ▼伊勢物語では、先の業平の歌に続き別の人が詠む。
〈散ればこそいとゞ桜はめでたけれうき世になにか久しかるべき〉。
この世は無常、桜は散るからこそ素晴らしい、という称賛だ。
古今、ほめ方も色々である。
天声人語
2015年3月20日(金)付
「あの世」を信じている人はどれぐらいの割合か。
統計数理研究所が2013年の国民性調査で聞いたら、20歳代では45%が「信じる」と答えていた。
55年前に比べてずいぶん増えているという▼1958(昭和33)年にも同じ調査で同様の質問をした。
そのときは13%だったから、3倍を超える。
片や70歳以上は、37%だったのが31%とむしろ減っている▼数字一つから色んな想像がわく。
高度成長が始まる時代から、バブル散っての低迷期へ。
だれもが貧しかった時代には等しくドリームがあった。
しかし、時代は移り格差は開いて、若者の希望はかすれがちだ。
別の民間の調査では、占い・おみくじを信じる人も若い世代ほど多い▼オウム真理教による地下鉄サリン事件から20年になる。
あの事件のあと、若い信徒を訪ね歩いた。
もどかしい取材から見えてきたのは、悶々(もんもん)とした悩みを希望に変える錬金術師のような教団だった。
「居場所」や「生きる意味」を与えて膨らみ、未曽有の凶行に走った▼時は流れたが、被害に遭った人の心身の傷は今なお深い。
多くが目に不調を訴え、いまも地下鉄や事件現場に近づくことに恐怖感があるという。
「自分たちが忘れられているのでは」と風化を恐れる声も上がる▼事件を知らぬ世代が、当時の若い信徒の年齢に並びつつある。
様変わりしたネットの時代、事件の記憶を歳月から守ることで、カルト集団の差し伸べてくる手への警戒を伝えたい。
もちろん若い人に限った懸念ではなく。
天声人語
2015年3月18日(水)付
春めいてきた東京の国立公文書館で、「JFK―その生涯と遺産」展が開かれている。
ケネデァ元米大統領の軌跡をたどって興味深い展示のなかに、キューバ危機の一角がある。
のちに「人類が核戦争の瀬戸際に立った」とされる13日間である▼冷戦下、ソ連がキューバにミサアル基地を建設しているのが発覚し、極度に緊張が高まった。
展示されたメモから、基地への武力攻撃も選択肢だったとわかる。
もし核戦争が起きていたら――しかし危機はぎりぎりのところで回避された▼そんな展示を見てきたあと、ロシ゠のプーチン大統領の発言に驚かされた。
クリミ゠半島を併合する際に、核兵器を臨戦態勢に置く用意ができていたとテレビで語った。
米や欧州への牽制(けんせい)と見られるが、核をもてあそぶ脅しは、大国の指導者というより無頼の親分の了見だろう▼剛腕と強面(こわもて)を望まれている人のよう
だ。
力ずくの併合など、マッチョな言動がもたらす「強いロシ゠」によって国民の人気は高い。
そのぶん国際社会からは孤立して、欧米の警戒はますます深い▼プーチン氏の言葉を、「3度目の悲劇」を防ぐために核廃絶を叫んできた人は到底許容できまい。
広島と長崎で二重被爆した故・山口彊(つとむ)さんの痛切な一首を再び引く。
〈黒き雨また降るなかれにんげんがしあわせ祈るための蒼穹(あおぞら)〉▼ロシ゠のクリミ゠半島併合からきょうで1年。
冷戦というより第2次大戦前に時代が逆回しされた感さえある。
広岛、长崎の犠牲者は眠るに眠れない。
天声人語
2015年3月16日(月)付
1956年12月の゠サヒグラフに、踏切のそばで安全を見守る「警手(けいしゅ)」が当時の運輸大
臣から表彰されたという記事が載っている。
人命救助や事故防止、永年勤続の功績で賞品を贈られた8
人の紹介である。
全国各地での経験談が興味深い▼発煙筒で電車を止めたことが一度だけある、という男
性がいた。
自動車が線路上で動けなくなり、やむを得なかった。
「一分一秒に人の生命がかけられる仕事」
「機転と勘がきかなくてはできない商売」。
こもごも語られるプロの誇りがすがすがしい▼飛び出した子
らを間一髪で救うこと三度という男性もいた。
困るのは朝夕のラッシュ時と語っている。
長く待たされ
てアラアラした歩行者が、遮断機をくぐって線路に入ってしまうのだ▼60年近く前の話だが、今につな
がる問題に都会はもう直面していたとわかる。
「開かずの踏切」である。
東京都足立区の東武伊勢崎線竹
ノ塚駅近くの踏切は、その典型だ。
ここで女性4人が死傷した事故からきのうで10年。
警手ならぬ保
安係が誤って遮断機を上げた結果だった▼その後、手動式だった遮断機は自動化され、警備員も置かれた。
しかし、機械と人の力を合わせても万全とはいかない。
今月1日には、同じ場所で急行電車と軽乗用車
が衝突し、軽乗用車の男性が死亡した。
伊勢崎線は9時間にわたって止まった▼轟々(ごうごう)と行き
交う特急や急行を見ていると怖いほどだ。
この踏切に100%の安全はないと感じる。
高架化する工事
の完成が待ち遠しい。
天声人語
2015年3月12日(木)付
気はやさしくて力持ち。
そんなお相撲さんのしこ名にも聞こえる。
「命山」と書いて「いのちやま」
と読む。
土を盛り上げて人工の高台をつくり、津波からの避難場所にする取り組みが注目されている▼
静岡、愛知、三重など東海地方で目立つのは、南海トラフ地震への不安と備えだろう。
いずれは起きるとされる巨大地震の被害想定はすさまじい。
最悪に最悪を重ねてだが、この3県で犠牲者は計17万人にのぼる。
その多くは津波によるものだ▼命山は、江戸時代から伝わる。
今の静岡県袋井市で、台風による高潮で多くの死者が出た。
その教訓から、逃げ場となる小山を二つ築いたという。
山は歳月に耐えて残り、県の文化財になっている。
古人の知恵は素朴にして理にかなう▼東日本大震災は、逃げることの大切さを教訓に残した。
避難を迷ったり、ものを取りに戻ったり、もう10秒、あと10メートルで生を阻まれた人もあろう。
命山の名には、無念の涙を忘れまいとの誓いが、おのずとこもる思いがする▼古来の災害を調べている歴史学者の磯田道史(みちふみ)さんが、現在は「災後」ではなく「災間(さいかん)」だと言っていた。
有史以来この列島に地震は絶えず、阪神と東日本の間はわずかに16年。
言われて思えば「阪神から10年」は「東日本まで6年」だった▼きのう3月11日、各地は追悼の祈りに包まれた。
家も故郷の町並みも無論大事だが、一番は命につきると痛感させられる。
命山に限らない。
硬軟の策を織り交ぜ、人を守る備えが欠かせない。
が逆回しされた感さえある。
広島、長崎の犠牲者は眠るに眠れない。
天声人語
2015年3月6日(金)付
平安の昔、御所の梅が枯れたので、ある家に見事に咲く梅を見つけて移し植えた。
見るとその枝に、家の主(あるじ)の歌が結びつけてあった。
〈勅(ちょく)なればいともかしこし鶯(うぐいす)の宿はと問はばいかが答へむ〉▼天皇の仰せですから従いますが、毎年来るウグアスがやって来て、私の宿は?と聞いたら、何と答えましょうか――。
天皇は深く感じて木を返したという。
この「鶯宿梅(おうしゅくばい)」の故事にもあるように、梅とウグアスの取り合わせは古い▼しかし実際は、梅にウグアスではなく「梅にメジロ」のことが多い。
萌黄(もえぎ)色で目がくりくりしたメジロは、花蜜が好きで梅の枝に来る。
ウグアスは地味な茶系で警戒心がつよく、声は聞いてもなかなか姿を拝めない▼そういえば、北京五輪の開会式でこんなことがあった。
可憐(かれん)な少女が「天使の歌声」を披露して喝采されたが、実は舞台裏で別の子が歌っていた。
姿と声を「いいとこ取り」した演出が批判されたのを、ご記憶の方もあろう▼「梅にウグアス」もそのくちか。
ホーホケキョの美声をメジロの美形にかさねる「いいとこ取り」は、梅の色香と相まって、早春の心象として古来絶妙にブレンドされてきた。
この季節に和菓子屋さんに並ぶうぐいす餅も、メジロ色が多いように思われる▼きょうは虫たちが地中から這(は)い出すとされる啓蟄(けいちつ)。
弥生の空は寒暖入りまじるが、それでもひと雨ごとに半歩、一歩と春は近づく。
近所の公園でクロッカスが土を割って咲いていた。
梅の開花前線も、北上中である。
天声人語
2015年3月5日(木)付
舟の上から流れに剣を落とした者が、船縁(ふなべり)に目印を刻みつけた。
あとで目印を頼りに捜したが、舟はもう流されていて見つかるはずがない。
「舟に刻みて剣を求む」の故事は、時流の変化を受け入れず、古いやり方にこだわる例えに使われる▼そうしたニュ゠ンスをまとう言葉の一つに「大艦巨砲主義」がある。
先の戦争において、航空機の有用性が認識されながら、巨砲を積んだ大戦艦が勝負を決するという思想が日本海軍で墨守された▼戦艦武蔵とみられる沈没艦が、ファリピン近海で撮影されたという。
大和と同型、世界最大の戦艦は不沈といわれたが、米軍機の集中攻撃によって海深く没した。
写された場所は水深約1千メートルとされる▼「発見」を伝える昨日の本紙記事には、粛然とさせられた。
生還した水兵、故・渡辺清さんの『戦艦武蔵の最期』(朝日選書)はこう記している。
「武蔵は、もう精も根もつきはてたように、艦底を高々と空にさらして転覆した」▼渡辺さんは重油の海を泳ぎ抜いたが、多くの将兵が艦内に取り残されたという。
遺骨は今も海底に眠ったままであろう。
つくづくとあの戦争は、膨大な人命と物質と精神の浪費戦だったと思う▼大和と武蔵の主砲は砲弾を40キロ先まで飛ばしたという。
大艦巨砲主義の到達点は、しかし悲劇のどん底でもあった。
両艦とも為(な)す術(すべ)なく沈み、日本はむごく敗れた。
そうした諸々(もろもろ)を、戦後わずか70年で忘れるわけにはいかない。
沈没艦という「海の墓標」の存在とともに。
天声人語
2015年3月3日(火)付
人気者で、いつも笑っていたという。
「だから気づいてあげられなかったのかも。
本当に悔しい」と同じ学校の女子生徒は語る。
川崎市の中学1年、上村遼太(うえむらりょうた)さんが遺体で見つかった事件は、輪郭や背景が伝わるにつれて痛ましさが募る▼少年グループから抜けたいが抜けられない。
顔にあざができるような暴力や脅しに、笑顔の裏の恐怖はどれほどだったか。
不登校の中からのSOSを、大人の゠ンテナはとらえてやれなかった▼「糸脈(いとみゃく)」という言葉がある。
その昔、貴人を診察する際、体に触れるのを避けるため患者の手首に糸を巻いた。
医者は離れたところから糸に伝わる振動で脈を診たという。
これでは異変は分からなかったろう▼今回、担任の先生は度々電話をかけ、家も訪ねた。
だが本人とは1度電話で話せただけで、会えなかったという。
その経緯を理解しつつ、電話というかぼそい糸のような接触から、学校としてもう一歩踏み込めなかったかと思われてならない▼いじめ問題で取材をした小学校の先生が、クラスを「海」にたとえていたことを、かつての小欄で触れた。
教壇から毎日見下ろしていると、何でもわかるような気になる。
しかし子どもの世界という深い海の中で、何が起きているかをつかむのは本当に難しい、と▼ネットの時代、少年少女が漂う海はいよいよ深く見えにくい。
学校外はなおさらだ。
糸脈ではなく、きめ細かい感度のいい連携の糸を地域、学校、行政に張れないか。
救える命のためである。