关于日语惯用语_谚语误用的现状分析
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日语惯用语、谚语的误用一般表现在语义和 语形两个方面。本文着重从这两方面进行阐述。
1 语义的误用
语义的误用就是对某词的错误理解或错误使
用。首先我们看一看下面的调查数据。这些调查
数据来自于日本文化厅「 国語に関する世論調査
(2000 年~2007 年)」的调查结果。在调查时要求
被调查者从该词语的 a、b 两个释义之中选出正确
答:
释「:寒さや恐怖、また、興奮や感激などの強い刺
「 もとは「 気が許せる」だったのが、誤用され
激 に よ っ て 、皮 膚 に 鳥 肌 が で き る 」。 即 承 认 了
「気が許せない」意味にも使われるようになった 「 あまりのうれしさに鳥肌が立つ「」感動で肌が
ものです。間違っていますが仕方ありません。」
れしさに鳥肌が立つ「」感動で肌が立つ「」今日の
たのことを、ピンボールみたいで気が置けない
演奏には鳥肌が立った」。由此可以看出有许多
の」とありますが、「 気が置けない」の使い方が間
人把「 鳥肌が立つ」用在“兴奋”或“激动”的场合
違っていませんか?教えてください。」
了。在『日本国語大辞典』中率先出现了这样的解
2010 年 第 4 期 总 149 号
语中的「 檄」字误以为「 激」所造成的。而「 檄」并没 有「 激励」的含义。如果一定要承认这种误用的 话,除非另造出一个「 激を飛ばす」,否则是无论如 何都说不通的。
由 于 篇 幅 有 限 ,其 余 的 例 子 不 能 一 一 阐 述 。 但是有必要把「 犬も歩けば棒に当たる」在此说明 一下。在日本的国语辞典中一般出现两个义项:
てはいかん!」と叱られたんだよ』。这位体育教 师 对 学 生 要 求 严 格 ,精 神 可 嘉 ,但 是 在 这 里 显 然 是误用了这句谚语。由此可见误用这句谚语的 广泛程度。
「 気が置けない」本来的意思是「 遠慮したり 気をつかったりする必要がなく、心から打ち解
けることができる」(大辞泉)。译成中文是“可以 放心”、“没有隔阂”、“推心置腹”的意思。因此,只 能说「 気が置けない人なので、気楽に話せる」,而 不能说「 気が置けない人なので、気楽に話せな い」。当然,也不能把“亲密的朋友”说成「 気の置 け る 友 達 」。 可 是 ,当 前 在 日 本 流 行 的 意 思 却 是 「 気が許せない「」 油断できない」(不能放松警惕; 不可疏忽大意)。据日本文化厅 2006 年度「国語に 関する世論調査」的结果,能正确理解语义的只占 接受调查人数的 42.4%(2002 年度为 44.6%),而几 乎理解为相反意思的人却占被调查人数的 48.2% (2002 年度为 40.1%)[4]。也就是说「気が置けない 人なので、気楽に話せない」这样的误用成了多数 人承认的用法,而且,与 2002 年的调查结果相比, 在 2006 年的调查中选择正确的比例有所下降,选 择错误的比例有所上升。
在「YAHOO!JAPAN 知識袋(2006.1.1)」中有这 样一段网络对话:
2010 年 第 4 期 总 149 号
日语语言研究
问:
「 寒くて鳥肌が立つ「」恐怖のあまり鳥肌が立っ
「 ……石川優子&チャゲの「 ふたりの愛ラン
来自百度文库
た」。而现在却出现了这样的用法「: あまりのう
ド」の歌詞の中で、「 ♪夏がウワサしてるわ、あな
82
はない」,它相当于现代日语的「 他人のためでは ない」,而不是现代日语的「 人のためにならない」 或「他人のためになることはない」。
第二,可以说由于它正巧符合当代日本的国 情。随着日本国力的增强,国民生活逐步走向富 裕,而娇惯、溺爱也成为日本人家庭中的一种常见 的现象。所以这句谚语的误用也正好用于对这种 社会现象的抨击,越来越多的人开始使用这个词 语来批评对孩子溺爱的人。
在使用「 情けは人のためならず」进行网上 搜索时,发现了这样的一段话「: 高校時代の体育 の 時 間 、ク ラ ス メ イ ト が ラ ン ニ ン グ を し て い
て、あまりに辛そうだったから、『そんなに辛い
なら少し休めばいいよ。』と言ったら、体育の先
生がたまたま聞いていて、『こら、情けは人のた
めならずという言葉を知らんのか!甘やかし
てくる」(大辞泉)。译成中文是“好心必有好报”
(英语也有类似的谚语:A kindness is never lost)。
到了 2000 年,它的误用又重新成为世人的话题。
据日本文化厅 2000 年度「 国語に関する世論調
査 」的 结 果 ,选 择 正 确 的 人 数 占 接 受 调 查 总 人 数
的 47.2%,而选择误用的人数占 48.7% 。 [3] 为什么
2010 年 第 4 期 总 149 号
a.感動や共鳴を与えること
37.8%
b.怒りを買ってしまうこと
35.6%
8.「檄(げき)を飛ばす」
a.自分の主張や考えを、広く人々に知らせて
同意を求めること
19.3%
b.元気のない者に刺激を与えて活気付ける
こと
72.9%
9.「一姫二太郎」
a.一人目の子供は女、二人目の子供は男であ
a.相手に気配りや遠慮をしなくてよいこと
42.4%
b.相手に気配りや遠慮をしなくてはならな
いこと
48.2%
3.「役不足」
a.力量に比べて、役目が不相応に軽いこと
40.3%
b.本人の力量に対して役目が重すぎること
50.3%
4.「鳥肌が立つ」
a.寒い時や怖い思いなどをした時に使う
46.8%
b.喜びや衝撃的な事実を受けとめたときに
れる)这样比较容易理解的谚语也会有人误解为
称这类官文书为“檄”。现在用“檄文”表示声讨或
「 住むのだったら大都会が良い」。例如「 ×住め
揭发敌人罪行的文告。日语惯用语「 檄を飛ばす」
ば都というから、やっぱり大阪に住 みたい」。这种谚语与生活经验密切 相关,之所以出现这种误用,其原因也
辞书
源自古汉语的“飞檄”(飞送檄文,喻急迫)。
置けない」这两个比较常见的词语。
早在 20 世纪 60 年代后期,日本的媒体就曾
经报道「 情けは人のためならず」的误用问题。
因为人们把它错误地理解为「 他人にあまり親切
にするのはその人間の将来のためによくない」
(过分溺爱反而害人)。而它本来的意思则是「 人
に親切にすれば、その相手のためになるだけで
なく、やがてはよい報いとなって自分にもどっ
表 1 六部辞书对「檄を飛ばす」释义情况
释
义
承认与否
人々を急いで呼び集める。また、自分の主張や考えを、広く人々に知
许是与没有迁居、调转工作的经历,没 有亲身的感受有关。
「 役不足」原本的意思是“大材小 用”、“屈 才”,因 此 可 以 说「: そ の ポ ス トでは役不足の感がある「」こんな簡
1 日本国語大辞典 らせる。飛檄。また、誤って、がんばるよう激励するように用いられ ×
○△
例 如「: ×副 理 事 長 の ポ ス ト は、私 に
表 1 中的六部较权威的辞书对该词语都给出
は役不足でお引き受けできません「」×役不足で
了释义,各部辞书对误用的态度有较大分歧。由
すが、一所懸命努めます」。在这种场合应该说成
此似乎可见在上述的调查中选择误用的比例为何
「力不足」才对。据日本文化厅 2006 年度「国語に
[关键词] 惯用语 谚语 误用 语义变化
日语的误用即与规范的日语不同的表达方式 或使用方式。现代日语的语音、语形、语义、语法 等诸多方面经常出现误用或变化的现象 。 [1] 对语 言进行必要的规范有助于语言向健康的方向发 展,更有益于人们的语言交流。惯用语、谚语[2]是 语言中的精华,是民众在长期的语言文化生活中 逐渐创造并丰富起来的。与日语中的一般词语一 样,在日语的惯用语、谚语中也存在着相当多的误 用现象。如何理解和对待这种现象,是摆在日语 教学和研究人员面前的一个重要课题。
会出现这种误用呢?而且,这种误用为什么会被
如此广泛地认可?其原因应当从以下两个方面
来看。
第一,由于现代日语的普及,文语用法逐渐在
人 们 的 头 脑 中 淡 化 了「。 情 け は 人 の た め な ら ず」
中的「 人のためならず」是文语说法「, ならず」(断
定助动词「 なり」+否定助动词「 ず」)的意思是「 で
多发生在年轻人当中。
择 的 情 况 是 a 多 于 b,而 同 时 选 择 a、b 两 项 的 占
为 规 范 词 语 的 用 法 ,在『 日 本 国 語 大 辞 典 』、 『広辞苑』、『大辞林』、『大辞泉』、『新明解国語辞
17.8%。 げき 「 檄を飛ばす」的语义是“呼吁”或“号召”。但
典』等权威性国语辞典中都对「 情けは人のためな
是从调查结果来看,现在误用为“激励”的人数比
らず」和「気が置けない」错误的用法标明了误用。
例远远高于前者。汉字“檄”原为中国古代官方文
即使是人们经常使用的「 住めば都(」 住み慣
书用木简,长一尺二寸,多作征召、晓谕、申讨等
れればどんな環境でもそれなりに住み良く思わ
用。若有急事,则插上羽毛,称为“羽檄”。后来泛
立つ」这样的说法。而其他的国语辞典一般都认
往往人们知道这是一种误用现象,但是又很
为后一种意思属于不规范用法。而使用网上的搜
无奈。而歌手或大众媒体等的误用又加速了误用
索 引 擎 ,可 以 发 现 有 很 多 人 在 使 用 后 一 种 意 思 。
的传播。从调查结果来看,惯用语和谚语的误用
据 2000 年度「国語に関する世論調査」的结果,选
使う
22.8%
5.「枯れ木も山のにぎわい」
a.つまらないものでも無いよりはまし
38.6%
b.人が集まればにぎやかになる 35.5%
6.「流れに棹(さお)さす」
a.傾向に乗って、勢いを増す行為をすること
17.5%
b.傾向に逆らって、勢いを失わせる行為をす
ること
62.2%
7.「琴線に触れる」
81
日语语言研究
NIHONGO NO
2010 年 第 4 期 总 149 号
GAKUSHU TO KENKYU
日语语言研究
关于日语惯用语、谚语误用的现状分析
上海对外贸易学院 王 锐
[摘 要] 语言是表达思想和传递信息的工具,语言的误用理所当然会影响意思的表达和信息的传 递。现代日语的语音、语形、语义、语法等方面经常出现误用以至变化。惯用语、谚语是语言中的精 华,在日语惯用语、谚语中也存在着许许多多误用的现象。由于受到语义、语法等方面的制约,一般来 说,虽说惯用语、谚语也存在着许多误用,但是与一般的词汇、语音、语法相比,从误用过渡到变化的数 量相对较少。
ることもある。
考えや主張を広く人々に知らせて同意を求める。また、元気のない者
2 広辞苑
○
に刺激を与えて活気づける。
3 大 辞 林 檄を方々に急いで出す。
×
自分の主張や考えを広く人々に知らせる。また、それによって人々に
4 大辞泉
○
決起を促したりする。
単 な 仕 事 は 、彼 に は 役 不 足 で 失 礼
的选项。(为了方便阅读,在本文中将正确释义均
设为 a,错误的释义均设为 b。后面的百分比为选
择该项的人数比例。)
1.「情けは人のためならず」
a.人に情けをかけておくと、巡り巡って結局
は自分のためになる
47.2%
b.人に情けをかけて助けてやることは、結局
はその人のためにならない
48.7%
2.「気が置けない」
るのが理想的だ
60.9%
b.子供は女一人、男二人であるのが理想的だ
33.7%
10.「かわいい子には旅をさせよ」
a.子供は手元で甘やかさず、世間に出して苦
労をさせたほうがよい
90.8%
b.子供が旅することを望めば、希望どおりに
させてやるのがよい
7.8%
提到惯用语、谚语在语义上的误用或变化,总
是要首先提及「 情けは人のためならず」和「 気が
檄を書いて、決起を促したりする。俗に激励の意で用いるのは全くの
5 新明解国語辞典
×
誤り。
だ」。而最近出现了「 本人の力量に対
①決起を促すために、自分の主張を広く人々に知らせる。檄す。②
し て 役 目 が 重 す ぎ る こ と 」的 用 法 。
6 明鏡国語辞典 〔俗〕指導者が選手・部下などの奮起を促すために、叱咤激励の声を発 する。
如此之高。其中,『大辞林』只有本来的释义,并没
関する世論調査」的结果,选择正确的占 40.3%,错
有解释出作为惯用语的语义,这不能不说是一种
误的占 50.3%。
释义的缺陷。『明鏡国語辞典』把误用视为「 俗」,意
根据「 鳥肌が立つ」的原本的意思,可以说:
味着默认。显然,该词语误用是由于这些人把词
83
日语语言研究
1 语义的误用
语义的误用就是对某词的错误理解或错误使
用。首先我们看一看下面的调查数据。这些调查
数据来自于日本文化厅「 国語に関する世論調査
(2000 年~2007 年)」的调查结果。在调查时要求
被调查者从该词语的 a、b 两个释义之中选出正确
答:
释「:寒さや恐怖、また、興奮や感激などの強い刺
「 もとは「 気が許せる」だったのが、誤用され
激 に よ っ て 、皮 膚 に 鳥 肌 が で き る 」。 即 承 认 了
「気が許せない」意味にも使われるようになった 「 あまりのうれしさに鳥肌が立つ「」感動で肌が
ものです。間違っていますが仕方ありません。」
れしさに鳥肌が立つ「」感動で肌が立つ「」今日の
たのことを、ピンボールみたいで気が置けない
演奏には鳥肌が立った」。由此可以看出有许多
の」とありますが、「 気が置けない」の使い方が間
人把「 鳥肌が立つ」用在“兴奋”或“激动”的场合
違っていませんか?教えてください。」
了。在『日本国語大辞典』中率先出现了这样的解
2010 年 第 4 期 总 149 号
语中的「 檄」字误以为「 激」所造成的。而「 檄」并没 有「 激励」的含义。如果一定要承认这种误用的 话,除非另造出一个「 激を飛ばす」,否则是无论如 何都说不通的。
由 于 篇 幅 有 限 ,其 余 的 例 子 不 能 一 一 阐 述 。 但是有必要把「 犬も歩けば棒に当たる」在此说明 一下。在日本的国语辞典中一般出现两个义项:
てはいかん!」と叱られたんだよ』。这位体育教 师 对 学 生 要 求 严 格 ,精 神 可 嘉 ,但 是 在 这 里 显 然 是误用了这句谚语。由此可见误用这句谚语的 广泛程度。
「 気が置けない」本来的意思是「 遠慮したり 気をつかったりする必要がなく、心から打ち解
けることができる」(大辞泉)。译成中文是“可以 放心”、“没有隔阂”、“推心置腹”的意思。因此,只 能说「 気が置けない人なので、気楽に話せる」,而 不能说「 気が置けない人なので、気楽に話せな い」。当然,也不能把“亲密的朋友”说成「 気の置 け る 友 達 」。 可 是 ,当 前 在 日 本 流 行 的 意 思 却 是 「 気が許せない「」 油断できない」(不能放松警惕; 不可疏忽大意)。据日本文化厅 2006 年度「国語に 関する世論調査」的结果,能正确理解语义的只占 接受调查人数的 42.4%(2002 年度为 44.6%),而几 乎理解为相反意思的人却占被调查人数的 48.2% (2002 年度为 40.1%)[4]。也就是说「気が置けない 人なので、気楽に話せない」这样的误用成了多数 人承认的用法,而且,与 2002 年的调查结果相比, 在 2006 年的调查中选择正确的比例有所下降,选 择错误的比例有所上升。
在「YAHOO!JAPAN 知識袋(2006.1.1)」中有这 样一段网络对话:
2010 年 第 4 期 总 149 号
日语语言研究
问:
「 寒くて鳥肌が立つ「」恐怖のあまり鳥肌が立っ
「 ……石川優子&チャゲの「 ふたりの愛ラン
来自百度文库
た」。而现在却出现了这样的用法「: あまりのう
ド」の歌詞の中で、「 ♪夏がウワサしてるわ、あな
82
はない」,它相当于现代日语的「 他人のためでは ない」,而不是现代日语的「 人のためにならない」 或「他人のためになることはない」。
第二,可以说由于它正巧符合当代日本的国 情。随着日本国力的增强,国民生活逐步走向富 裕,而娇惯、溺爱也成为日本人家庭中的一种常见 的现象。所以这句谚语的误用也正好用于对这种 社会现象的抨击,越来越多的人开始使用这个词 语来批评对孩子溺爱的人。
在使用「 情けは人のためならず」进行网上 搜索时,发现了这样的一段话「: 高校時代の体育 の 時 間 、ク ラ ス メ イ ト が ラ ン ニ ン グ を し て い
て、あまりに辛そうだったから、『そんなに辛い
なら少し休めばいいよ。』と言ったら、体育の先
生がたまたま聞いていて、『こら、情けは人のた
めならずという言葉を知らんのか!甘やかし
てくる」(大辞泉)。译成中文是“好心必有好报”
(英语也有类似的谚语:A kindness is never lost)。
到了 2000 年,它的误用又重新成为世人的话题。
据日本文化厅 2000 年度「 国語に関する世論調
査 」的 结 果 ,选 择 正 确 的 人 数 占 接 受 调 查 总 人 数
的 47.2%,而选择误用的人数占 48.7% 。 [3] 为什么
2010 年 第 4 期 总 149 号
a.感動や共鳴を与えること
37.8%
b.怒りを買ってしまうこと
35.6%
8.「檄(げき)を飛ばす」
a.自分の主張や考えを、広く人々に知らせて
同意を求めること
19.3%
b.元気のない者に刺激を与えて活気付ける
こと
72.9%
9.「一姫二太郎」
a.一人目の子供は女、二人目の子供は男であ
a.相手に気配りや遠慮をしなくてよいこと
42.4%
b.相手に気配りや遠慮をしなくてはならな
いこと
48.2%
3.「役不足」
a.力量に比べて、役目が不相応に軽いこと
40.3%
b.本人の力量に対して役目が重すぎること
50.3%
4.「鳥肌が立つ」
a.寒い時や怖い思いなどをした時に使う
46.8%
b.喜びや衝撃的な事実を受けとめたときに
れる)这样比较容易理解的谚语也会有人误解为
称这类官文书为“檄”。现在用“檄文”表示声讨或
「 住むのだったら大都会が良い」。例如「 ×住め
揭发敌人罪行的文告。日语惯用语「 檄を飛ばす」
ば都というから、やっぱり大阪に住 みたい」。这种谚语与生活经验密切 相关,之所以出现这种误用,其原因也
辞书
源自古汉语的“飞檄”(飞送檄文,喻急迫)。
置けない」这两个比较常见的词语。
早在 20 世纪 60 年代后期,日本的媒体就曾
经报道「 情けは人のためならず」的误用问题。
因为人们把它错误地理解为「 他人にあまり親切
にするのはその人間の将来のためによくない」
(过分溺爱反而害人)。而它本来的意思则是「 人
に親切にすれば、その相手のためになるだけで
なく、やがてはよい報いとなって自分にもどっ
表 1 六部辞书对「檄を飛ばす」释义情况
释
义
承认与否
人々を急いで呼び集める。また、自分の主張や考えを、広く人々に知
许是与没有迁居、调转工作的经历,没 有亲身的感受有关。
「 役不足」原本的意思是“大材小 用”、“屈 才”,因 此 可 以 说「: そ の ポ ス トでは役不足の感がある「」こんな簡
1 日本国語大辞典 らせる。飛檄。また、誤って、がんばるよう激励するように用いられ ×
○△
例 如「: ×副 理 事 長 の ポ ス ト は、私 に
表 1 中的六部较权威的辞书对该词语都给出
は役不足でお引き受けできません「」×役不足で
了释义,各部辞书对误用的态度有较大分歧。由
すが、一所懸命努めます」。在这种场合应该说成
此似乎可见在上述的调查中选择误用的比例为何
「力不足」才对。据日本文化厅 2006 年度「国語に
[关键词] 惯用语 谚语 误用 语义变化
日语的误用即与规范的日语不同的表达方式 或使用方式。现代日语的语音、语形、语义、语法 等诸多方面经常出现误用或变化的现象 。 [1] 对语 言进行必要的规范有助于语言向健康的方向发 展,更有益于人们的语言交流。惯用语、谚语[2]是 语言中的精华,是民众在长期的语言文化生活中 逐渐创造并丰富起来的。与日语中的一般词语一 样,在日语的惯用语、谚语中也存在着相当多的误 用现象。如何理解和对待这种现象,是摆在日语 教学和研究人员面前的一个重要课题。
会出现这种误用呢?而且,这种误用为什么会被
如此广泛地认可?其原因应当从以下两个方面
来看。
第一,由于现代日语的普及,文语用法逐渐在
人 们 的 头 脑 中 淡 化 了「。 情 け は 人 の た め な ら ず」
中的「 人のためならず」是文语说法「, ならず」(断
定助动词「 なり」+否定助动词「 ず」)的意思是「 で
多发生在年轻人当中。
择 的 情 况 是 a 多 于 b,而 同 时 选 择 a、b 两 项 的 占
为 规 范 词 语 的 用 法 ,在『 日 本 国 語 大 辞 典 』、 『広辞苑』、『大辞林』、『大辞泉』、『新明解国語辞
17.8%。 げき 「 檄を飛ばす」的语义是“呼吁”或“号召”。但
典』等权威性国语辞典中都对「 情けは人のためな
是从调查结果来看,现在误用为“激励”的人数比
らず」和「気が置けない」错误的用法标明了误用。
例远远高于前者。汉字“檄”原为中国古代官方文
即使是人们经常使用的「 住めば都(」 住み慣
书用木简,长一尺二寸,多作征召、晓谕、申讨等
れればどんな環境でもそれなりに住み良く思わ
用。若有急事,则插上羽毛,称为“羽檄”。后来泛
立つ」这样的说法。而其他的国语辞典一般都认
往往人们知道这是一种误用现象,但是又很
为后一种意思属于不规范用法。而使用网上的搜
无奈。而歌手或大众媒体等的误用又加速了误用
索 引 擎 ,可 以 发 现 有 很 多 人 在 使 用 后 一 种 意 思 。
的传播。从调查结果来看,惯用语和谚语的误用
据 2000 年度「国語に関する世論調査」的结果,选
使う
22.8%
5.「枯れ木も山のにぎわい」
a.つまらないものでも無いよりはまし
38.6%
b.人が集まればにぎやかになる 35.5%
6.「流れに棹(さお)さす」
a.傾向に乗って、勢いを増す行為をすること
17.5%
b.傾向に逆らって、勢いを失わせる行為をす
ること
62.2%
7.「琴線に触れる」
81
日语语言研究
NIHONGO NO
2010 年 第 4 期 总 149 号
GAKUSHU TO KENKYU
日语语言研究
关于日语惯用语、谚语误用的现状分析
上海对外贸易学院 王 锐
[摘 要] 语言是表达思想和传递信息的工具,语言的误用理所当然会影响意思的表达和信息的传 递。现代日语的语音、语形、语义、语法等方面经常出现误用以至变化。惯用语、谚语是语言中的精 华,在日语惯用语、谚语中也存在着许许多多误用的现象。由于受到语义、语法等方面的制约,一般来 说,虽说惯用语、谚语也存在着许多误用,但是与一般的词汇、语音、语法相比,从误用过渡到变化的数 量相对较少。
ることもある。
考えや主張を広く人々に知らせて同意を求める。また、元気のない者
2 広辞苑
○
に刺激を与えて活気づける。
3 大 辞 林 檄を方々に急いで出す。
×
自分の主張や考えを広く人々に知らせる。また、それによって人々に
4 大辞泉
○
決起を促したりする。
単 な 仕 事 は 、彼 に は 役 不 足 で 失 礼
的选项。(为了方便阅读,在本文中将正确释义均
设为 a,错误的释义均设为 b。后面的百分比为选
择该项的人数比例。)
1.「情けは人のためならず」
a.人に情けをかけておくと、巡り巡って結局
は自分のためになる
47.2%
b.人に情けをかけて助けてやることは、結局
はその人のためにならない
48.7%
2.「気が置けない」
るのが理想的だ
60.9%
b.子供は女一人、男二人であるのが理想的だ
33.7%
10.「かわいい子には旅をさせよ」
a.子供は手元で甘やかさず、世間に出して苦
労をさせたほうがよい
90.8%
b.子供が旅することを望めば、希望どおりに
させてやるのがよい
7.8%
提到惯用语、谚语在语义上的误用或变化,总
是要首先提及「 情けは人のためならず」和「 気が
檄を書いて、決起を促したりする。俗に激励の意で用いるのは全くの
5 新明解国語辞典
×
誤り。
だ」。而最近出现了「 本人の力量に対
①決起を促すために、自分の主張を広く人々に知らせる。檄す。②
し て 役 目 が 重 す ぎ る こ と 」的 用 法 。
6 明鏡国語辞典 〔俗〕指導者が選手・部下などの奮起を促すために、叱咤激励の声を発 する。
如此之高。其中,『大辞林』只有本来的释义,并没
関する世論調査」的结果,选择正确的占 40.3%,错
有解释出作为惯用语的语义,这不能不说是一种
误的占 50.3%。
释义的缺陷。『明鏡国語辞典』把误用视为「 俗」,意
根据「 鳥肌が立つ」的原本的意思,可以说:
味着默认。显然,该词语误用是由于这些人把词
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日语语言研究