中日饮酒礼仪比较

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はじめに

一、酒の起源および日本への伝播

1.1中国お酒の起源

1.2日本お酒の起源

1.3中国お酒と醸造技術が日本への伝播

二、中日酒文化の相違点

2.1酒の種類について

2.2酒の国民性について

2.3適量と過量について

2.4酒の飲み方とマナーについて

三、中日の宴席における「乾杯」文化

3.1中日「乾杯」について

3.2中日「乾杯」文化の相違点についての考察

おわりに

注釈

参考文献

要旨

「古事記」の記載によると、日本古代の生産技術の多くが、渡来人たちによって朝鮮半

島からもたらされ、また渡来人たちによって国内に普及された。これらの渡来文化のな

かに、酒造技術もあったことが記録されている。

日本は,中国の近くに位置している。上の歴史に書かれたように両国は古代から交流し

てきた。日本は中国から技術を習うのと同時に、中国の文化もならってきた。それが故、各方面で,類似的な文化を持っている。しかし共通点がある反面,両国の間には大きな

相違点も見受けられる。それぞれの社会環境や歴史的境遇によって、日本人は和の精神

が強い。自分の意見や気持ちを相手に伝えたり、行動したりする時、相手の気持ちや立

場を考慮しようとし、集団の中で「和」を重んじ、他人との摩擦を避けよとする傾向が

強い。そして、酒を飲む時、一般に静かで、他人の邪魔をしないとか、中国人は、敬意

の表明として杯の酒を飲み干すが、日本人は含蓄に親しみの気持ちで飲み方などで、各

酒文化から反映した国民性とか読み方とかマナーには、微妙な差異がある。また、宴席

でお酒を乾杯する時、日本人はもっと含蓄であるが、中国のほうは、ずっと直接である

ように、中日の宴席における「乾杯」文化にもそれぞれの相違点が存在している。

本文を書く目的は、中日酒の起源、中日酒文化の相違点、宴席における「乾杯」文化の

相違点などで比較分析しながら、もっと両国の酒文化について了解するとともに、以後

の中日文化交流を促進するためだ。

本文は以上の目的で次の順番で展開するつもりである。第一章は酒の起源および日本へ

の伝播、第二章は中日酒文化の相違点、第三章は中日の宴席における「乾杯」文化、第

四章は終わりとして述べていこうと思う。

キーワ-ド:中日酒の起源中日酒文化の相違点宴席における「乾杯」文化

はじめに

5000年以上歴史を持っている中国と隣国の島国である日本は以前から交流してきたの故、各方面で類似的な文化を持っている。例えば、中日は一つ漢字文化圏である。つまり、日本文字中での漢字は中国の漢字を改造して自民族の文字として、今まで使っている。中国の儒家思想は日本に与える影響が多い。つまり、儒家思想の中では礼、仁、義、孝などと並ぶ、中日は全部礼を重んずる民族である。しかし、両国は共通点がある反面、大きな相違点もある。長年来、日本をよく理解するために、いろいろな面から研究した

文章が発表されている。例えば、彭広陸氏の『日本料理名の比較』、潘釣氏の『日本人

の漢字観の変化』、などの文章がある。言うまでもなく、中日の酒文化について研究し

た文章も多くある。中日は以前から交流してき、その中でも酒の醸造技術も日本へ伝播

した歴史資料も多くあるけれども、両国のお酒についての文化には多くの相違点がある。例えば、中国人はよく相手に多く飲んでもらいたいと思うことがあり、お客が多く飲めば、主人は喜び、自らを重く見ていることを示す。仮にお客が酒を飲まなければ、主人

は顔をつぶされたと感じる。日本人は、よく相手の気持ちや立場を察して、それも考慮

に入れて、発言したり、行動したりする傾向が強い。日本人は「乾杯」とは言うが、杯

の酒を飲み干すではなくて、お好きなだけ飲むことだ。

本稿では、もう研究した中日の酒文化についての研究内容を参考する基礎の上で、中日

のお酒起源の繋がりを述べ、中日を酒文化を比較しながら、その中でも両国酒の種類、

国民性、酒の飲むマナーなどの違うによって、宴席における中日の違う乾杯文化を分析

するつもりである。

一、酒の起源および日本への伝播

1.1 中国お酒の起源

中国における酒の歴史はかなり古い。酒の起源は、「戦国策」によると、紀元前220

0年(約四千年前の夏の時代)禹王の時代に儀狄(中国の酒の神と崇められる人)が穀

類の酒を造り、王に献上したのが始まりとされている。しかし、禹王はこの酒のうまさ

と酔い心地に驚き、後世のものは必ずこの美味のために家庭もしくは国家を滅ぼすに違

いないと案じ、酒をこの世間から覆い隠し、直ちに儀狄を追放してしまった。もう一説

によると、周の時代(紀元前1000年)に杜康という人が、今日我々が飲んでいるよ

うな酒を造ったとされている。さらに神農(三皇の一人で医学、農業などの神様)の時代、もうすでに酒が作られていたという伝説さえもある。しかし、世間では「杜康造酒」

という説が最も有力で広く伝えられている。また、「杜康」は酒の代名詞として今日も

使われてあり、日本では酒造りの職人を「杜康」と呼んでいる。

1.2 日本お酒の起源

揚子江起源説によると、日本列島に住む人々がいつ頃から米を原料とした酒を造るよう

になったのかは定かではないが、稲作、とりわけ水稲の耕作が定着し、安定して米が収

穫できるようになってからのことである。中国大陸揚子江流域に紀元前4800年ごろ稲

作が始まり、ここで造られた米酒が日本に輸出されたのが日本酒の起源とする。また、『魏志倭人伝』によると、日本に酒が存在することを示す最古の記録は、3世紀に成立

した『三国志』東夷伝倭人条(いわゆる魏志倭人伝)の記述に見られる。同書は倭人の

ことを「人性嗜酒(さけをたしなむ)」と評しており、喪に当たっては弔問客が「歌舞

飲酒」をする風習があることも述べている。

1.3 中国お酒と醸造技術が日本への伝播

「古事記」の記載によると、日本古代の手工業生産技術の多くが、渡来人たちによって

朝鮮半島からもたらされ、また渡来人たちによって国内に普及された。これらの渡来文

化のなかに、酒造技術もあった。また、縄文中期まで、貝や魚、鳥獣肉と雑穀を食べて

いた日本に、中国・揚子江下流域から北九州福岡県の板付や、佐賀県の菜畑に稲作が伝

えられたのは縄文後期のことだと記述されている。「戦国策」によると、2000年前秦

の始皇帝の秦の家族の子孫は先進技術などの酒を持って、江蘇省、浙江米や原材料の稲

の栽培技術の近くに醸造技術を日本に広めるために日本へ渡った。中国・揚子江下流域

から北九州福岡県の板付や、佐賀県の菜畑に稲作が伝えられた日本は、稲の実・米を主

食として定着すると、人びとはご飯からも酒を造ることを試みたと具体的に記述されて

いる。

歴史資料に基づいて見ると、日本酒の起源は中国の酒であり、中国お酒と醸造技術が日

本への伝播したのだ。しかし、中国の醸造技術とお酒文化が日本へ伝播する過程で、社

会環境や自然環境によって、各酒文化から反映した国民性とか読み方とかマナーには、

微妙な差異がある。各国経済の発展にしたがって、酒の種類も多くなり、飲み方にもい

ろんなルールとか、マナーがあり、宴席における「乾杯」文化にもそれぞれの相違点が

存在している。

二、中日酒文化の相違点

2.1 酒の種類

中国の酒は大きくいって白酒と老酒に分かれる。色で分類するのはいかにも即物的だが、「白」は白色ではなく無色透明の意で蒸留酒のことだ。有名なものには「マオタイ酒」

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