日语学习惟觉老和尚《吃素与学佛》
方丈记について
『方丈記』(ほうじょうき)は、鴨長明(かものちょうめい、かものながあきら)によって書かれた中世文学の代表的な随筆。
鴨長明が晩年、日野山に方丈(一丈四方)の庵を結んだことから「方丈記」と名づけた。
鎌倉時代、1212年(建暦2年)に記されたとされるが、原本は残っていないと見られる。
現存する最古の写本は大福光寺本であり、しばしば研究の底本とされる。
漢字と片仮名、もしくは漢字と平仮名の混ざった和漢混淆文で書かれたものとしては、最初の優れた文芸作品である。
また、乱世をいかに生きるかという自伝的な人生論でもある。
吉田兼好の『徒然草』が書かれたのは、この後およそ100年後である。
清少納言の『枕草子』とあわせて日本三大随筆とも呼ばれる。
また、隠棲文学の祖ともされる。
(慶滋保胤の『池亭記』を祖とする説もあり)鴨長明無常観の文学と言われる。
冒頭で移り行くもののはかなさを語った後、同時代・または過去の災厄についての記述が続き、後半には自らの草庵での生活が語られる。
さらに末尾では草庵の生活に愛着を抱くことさえも悟りへの妨げとして否定する文体明快で、流麗。
詠嘆表現や対句表現を多用する。
和漢混交文。
【方丈記について】作者の鴨長明は、鎌倉時代の歌人・文人。
本来は「かものながあきら」と読むのが正しい。
法名蓮胤(れんいん)。
賀茂神社の神官の子に生まれ、中原有安から琵琶をならい、俊恵法師に和歌を学んで、若いころから両道にすぐれた才能を発揮した。
宮廷歌人としても活躍したが、父の死後、同族間の跡目争いにやぶれたことをきっかけに、出家遁世した。
出家の後、洛南日野の方丈の庵で書かれた『方丈記』は、日本三大随筆のひとつとされ、仏教文学、隠者文学として名高い。
長明が57歳のときに成立したとされ、前半は、中世的な無常観をもって、長明が直接体験した五大災害(安元の大火・治承の辻風・福原遷都・養和の飢饉・元暦の大地震)を描写、この世の無常とはかなさを実証している。
毘钵舍那第3讲
毘钵舍那第3讲那我们今天要讲到这个401页,第二学习毘钵舍那之法分四。
学习毘钵舍那的方法呢分成四科。
一依止毘钵舍那资粮二毘钵舍那所有差别三修习毘钵舍那之法四由修习故,毘钵舍那成就之量今初,第一科,依止毘钵舍那资粮,就是要修毘钵舍那的资粮,条件。
要靠智慧才能解脱,那智慧从何来,要修观。
那具足什么条件才能够修观?那就是我们今天要学习的内容。
“亲近无倒了达佛语宗要智者,听闻无垢清净经论”。
由闻思慧引发通达真实正见,是必不可少毘钵舍那正因资粮。
三种,亲近智者,亲近善知识,听闻无垢清净经论,就是听闻正法。
第三,如理思维所获的正见。
三个条件里头的第一个条件,亲近无倒了达佛语宗要的智者。
我们要亲近善知识,什么样的善知识呢?“无倒了达佛语宗要”就是对佛陀的宗义,对佛陀的经要,要无倒了达,就要通达。
正确的通达,正确的了知,掌握,这种智者。
那为何亲近善知识这一科那么的重要?在前面我们也学了很多这方面的内容。
那么今天我们在毘钵舍那这一品,再次强调了修观三个条件里头的第一个条件就是亲近善知识。
那么法华经里面也有谈到这个问题,《法华经》第五卷安乐行品里面,那文殊菩萨他问释迦牟尼佛,“世尊菩萨摩诃萨,于后恶世,云何能说是经?”就是佛灭度以后,对什么样子的人可以讲《法华经》?也就是具足什么条件的人?什么条件具足的人堪于听闻一佛乘,这样子的无上甚深微妙法。
佛告文殊师利,“若菩萨摩诃萨于后恶世,欲说诗经,当安住四法。
”要安住四法,那么就可以听这种《妙法莲华经》。
那么四法,第一法修正行,第二法防过失,第三法善教化,第四法恒慈悲。
那么这四种安乐行当中的第一就是修正行,修正行就是菩萨的正行。
那么菩萨正行当中的两种清净处,我们说亲近善知识,那么《法华经》里边对这个两种的清净处,有做了一个非常好的说明,是哪两种呢?一者安住菩萨行处及清净处,能为众生演说是经,“文殊师利,云何名菩萨摩诃萨行处?若菩萨摩诃萨住忍辱地,柔和善顺,而不卒暴,心亦不惊,又复于法无所行,而观诸法如实相,亦不行,不分别,是名菩萨摩诃萨行处。
《日语》第一课めくらになった名僧
第一課めくらになった名僧八世紀も半ばごろのことです。
奈良の都は、毎日、大変な騒ぎでした。
東大寺という大きな寺の大仏が、やっとできあがったからです。
「大仏開眼」といって、大仏が完成したことを祝う儀式が行なわれるのも、もう間近いことでしょう。
ところで、このお祝いを前にして、聖武天皇は、心の中で、一人の人をまっていました。
「今度の式に間に合えばよいが」もう何年も前から、待ちわびている人があったのです。
しかし、どういうわけか、その人を迎えに行った使者からのたよりは絶えて、すでに何年にもなります。
「いったい、来てくれるのだろうか、だめなのだろうか、来てくれるならばこの晴れの日にぜひ、まにあってもらいたい。
」聖武天皇は、そのことばかりを考えていました。
いったい誰を、そんなに待ちわびでいたのでしょうか。
話しは十年ばかり前にさかのぼります。
そのころ、日本には、中国から、大勢の僧が渡ってきていました.また、これと引き替えに、日本からも,毎年何人かの留学僧が、海を渡って中国へ出かけていきました。
「中国から、優れたお坊さんを、ひとりつれてきてもらいたい。
」ある年、二人の留学僧が、聖武天皇からこう頼まれました。
というのは、そのころの日本には、戒を授けることのできる僧がいませんでした。
天皇がそれのできるえらい人がほしかったのでした。
戒というのは、仏教で、僧たちが守らなければならない規律のことです。
僧たちの間では、やってはいけないことがいくつかきめられてあって、それを守ることができるなければ、一人前の僧にはなれません。
そして、その規律を守ることができるようになった時戒をうけるのです。
日本でも、仏教が盛んになって、戒を受けることができる僧はたくさんいました。
しかし、戒を授ける資格をもった僧は、一人もいなかったのでした。
中国へ渡った二人の僧は、唐の揚州という所に鑑真という、優れた僧のいることを開きました。
二人の人に来てもらえたら、というので、はるばるたずねで行きました。
算数师目连经Ganak
算数师目连经____(Ganak算数师目连经(Ganakamoggallana Sutta)如是我闻,一时,佛陀住在舍卫城(Savatthi)里东园的鹿母精舍。
有一个婆罗门名叫算数师目连(Ganaka Moggallana),他来见佛陀。
与佛陀互相问候,谈过礼貌友善的问候语之后,他坐在一旁,向佛陀说:「大师乔达摩,在这鹿母精舍里,可以看到逐渐训练、逐渐实行、逐渐进步的情况,那就是循着阶梯,一步一步地走到最后一级。
在众婆罗门当中,也可以看到逐渐训练、逐渐实行、逐渐进步的情况,那就是:逐步地学习婆罗门法。
在教导箭术的老师们当中,也可以看到逐渐训练、逐渐实行、逐渐进步的情况,那就是:逐步地教导射箭的方法。
在我们教导算数的算数师这一行里头,也可以看到逐渐训练、逐渐实行、逐渐进步的情况,那就是:逐步地教导算数。
因为当我们最初教导新学生的时候,我们先教他数:一的算法、二的算法、三的算法、四的算法、五的算法、六的算法、七的算法、八的算法、九的算法、十的算法,乃至一百的算法。
如此,大师乔达摩,是否可以请您叙述,在您的教法与戒律中是否也有逐渐训练、逐渐实行、逐渐进步的情况?」「可以的,婆罗门,在如来的教法与戒律中逐渐训练、逐渐实行、逐渐进步的情况如下:婆罗门,正如一个善巧的驯马师,当他要调伏一匹纯种的小马时,首先会让马习惯于带上马勒,然后进一步训练那匹马。
同样地,当如来要调教一个人时,首先会如此地训练他,说道:『谛听,比丘,你应当持戒清净,以别解脱律仪戒来约束自己,有良好的言行与正当的去处,即使对于最微细的过失,也见到它所能带来的危害,如此谨慎地持守戒律。
』婆罗门,当比丘持戒清净,以别解脱律仪戒来约束自己,有良好的言行与正当的去处,即使对于最微细的过失,也见到它所能带来的危害,谨慎地持守戒律之后,接着,如来会进一步训练他,说道:『谛听,比丘,严格地守护你的六根之门。
当你的眼睛看见外物时,不要执取外物的形相与细部特征。
学佛与素食
学佛与素食人在世间上,最重要的问题是要活命啊,就是要吃,吃是很重要的问题。
一般的人,谈不上吃荤、吃素,有什么就吃什么。
但是,另外有一些少数的人,他不要吃荤,要吃素。
关于佛教对吃荤、吃素的看法,我提出几个问题,来做一些介绍,供大家参考:第一个问题,信佛、学佛是不是一定要吃素呢?对于这个问题,我先做一个原则性的回答:信佛、学佛不一定要吃素!有的人吃素,他是基于卫生、健康的考虑,像现在西方的一些人士,素食的很多,但不一定与宗教有关系。
像西藏的地方,没有素菜,那边的出家人--喇嘛,他们也是以牛羊作为食物;像现在的日本,佛教是很普遍,但日本全国寺庙的出家人,也不是素食;像泰国,是一个佛教的国家,他们因为是托钵乞食,人家给什么就吃什么,也谈不上吃荤、吃素;很有名的广东人--禅门的六祖慧能大师,曾经不也是吃肉边菜吗?也不是吃素。
好像素食与儒家很有关系,等于儒家说:“见其生,不忍见其死,闻其声,不忍食其肉,是以君子远疱厨也。
”佛教主张不杀生,它对素食没有严格规定。
因为杀生是断大悲种,你吃什么,佛教没有严格的规定,你不杀生就行了。
作为佛教徒,有很多人就顾忌,我们皈依三宝以后,是不是要素食呢?皈依三宝是信仰的问题,素食是生活的习惯、观念,是道德的问题。
所以,我们很希望大家,不要挂念吃什么的问题,这个不忌讳,信佛、学佛这个才是重点!第二个问题,素食的人可以吃鸡蛋、乳酪吗?可以吃韭菜、葱、蒜等五辛吗?像刚才说的西藏、泰国等地方,谈不到吃荤、吃素的问题,只有汉传佛教的佛教徒,受佛教慈悲观念的影响,觉得要素食。
刚才的问题是:素食的人可以吃鸡蛋吗?有人说不可以,因为鸡蛋也可能有生命,素食的意思是:不要断众生的生命,所以,应该不可以吃鸡蛋。
但是,喜欢吃鸡蛋的人认为,现在饲养的鸡蛋,没有生命的可能,吃鸡蛋也等于素食吗?在佛教里面有一种戒律,叫讥嫌戒,怕人家讥讽嫌疑。
像我们吃鸡蛋了,让人家看见了,我不能总是跟人家解释:我这鸡蛋是饲养的,没有生命。
第17章 方丈记
成立1
『方丈記』は鎌倉初期の随筆 1212年、鴨長明58歳の時の作品。 書名の由来------一丈(広さが約3
メートル)四方の草庵を結び、そこで書 いたことによる。 仏教観無常観が一貫して漂う。 災厄を回想し、庵での生活と心境を描 いた。
成立2
「無常」と?-----この世のすべてが生ま
続き
●『発心集』以後の説話 『宇治拾遺物語』は仏教説話、世俗説話、民話がユーモアと軽妙な 筆致で書かれ、『今昔物語集』とともに説話文学の代表的作品と なっている。書名は、現存しない『宇治大納言物語』から洩れた説話 を拾い集めたことに由来する。 『閑居友(かんきょのとも)』は仏教説話集で慶政(けいおう)の作とされ る。『発心集』の影響を受け、男女の求道者の説話を集める。上下 巻で、下巻に女性の話が多い。 『十訓抄(じっきんしょう)』は六波羅二臈左衛門入道(ろくはらにろうさ えもんにゅうどう)という人物による、十の教訓の例話を集め、教訓・啓 蒙の意図を持ち、平易に叙述されている。
引用・・・序章の冒頭文
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久し くとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、 またかくの如し。 <河は絶えず流れ、その水は元の水ではない。川の淀 みに浮かぶ水の泡も、消えては生まれ、永遠に残るこ とはない。世の中の人や住まいもこれと同じだ。>
作者3
出家後、草庵に住んだ。 庵の内部には阿弥陀の絵像や法華経を
置く一方で、和歌集や琴、琵琶も置いて いた。 仏教と和歌と音楽の生活の中で、1212 年、無常感を主題とした『方丈記』を著し た。
師弟関係
日本文化-8宗教
鳥居
手水舎
、末社
狛犬
参拝の作法 ①神社に行く前にお風呂で体を洗う。 ②鳥居をくぐる時に一礼する。 ※参道を歩くときは中央は避けて歩く。 ③手水舎で手口を洗う。洗った後は手口をき れいな紙やハンカチでふく。 ④拝殿の前で、二拝二拍手一拝する。 ※神社によって作法が違うところもあります。 その場合は巫女さん等に作法を教えてもらっ てください。
東大寺:奈良県
法相宗(ほっそうしゅう) 開祖は道昭(どうしょう) 本山は興福寺(こうふくじ)、薬師寺(やくしじ)等
興福寺:奈良県
薬師寺:奈良県
律宗(りっしゅう) 開祖は鑑真(がんじん) 本山は唐招提寺(とうしょうだいじ)
唐招提寺:奈良県
真言宗(しんごんしゅう) 開祖は空海(くうかい) 本山は東寺(とうじ)、金剛峰寺(こんごうぶじ)等
①鳥居:神域と人界を区画する結界。 ②石段:参拝をしに行くために歩く道。 ③参道:参拝をしに行くために歩く道。 ④手水舎:参拝者が身を清める。 ⑤灯篭:灯明を奉納する。 ⑥神楽殿:神楽(神に奉納する歌舞)を奉納するための建物。 ⑦社務所:神社の事務を行う。 ⑧絵馬殿:絵馬(祈願や感謝を奉納するもの)を掛ける所。 ⑨摂社、末社:神社の神と縁の深い神を祀る。 ⑩狛犬:魔除けに用いるとされている。 ⑪拝殿:参拝用の建物。 ⑫瑞垣:神域と人界を区画する結界。 ⑬本殿:神体が鎮座する場所。
知恩院:京都府
光明寺:京都府
浄土真宗(じょうどしんしゅう) 開祖は親鸞(しんらん) 本山は西本願寺(にしほんがんじ)、東本願寺(ひがし ほんがんじ)
一寸法师
「一寸法師いっすんぼうし、一寸法師いっすんぼうし。」
といって、かわいがられました。
このお屋敷やしきに十三になるかわいらしいお姫ひめさまがありました。一寸法師いっすんぼうしはこのお姫ひめさまが大好だいすきでした。お姫ひめさまも一寸法師いっすんぼうしが大たいそうお気きに入いりで、どこへお出かけになるにも、
「京都きょうとは天子てんしさまのいらっしゃる日本一にっぽんいちの都みやこですし、おもしろいしごとがたくさんあります。わたくしはそこへ行って、運うんだめしをしてみようと思おもいます。」
そう聞きくとおとうさんはうなずいて、
「よしよし、それなら行っておいで。」
と許ゆるして下くださいました。
「お前まえか、今いま呼よんだのは。」
「はい、わたくしでございます。」
「お前まえは何者なにものだ。」
「難波なにわからまいりました一寸法師いっすんぼうしでございます。」
「なるほど一寸法師いっすんぼうしに違ちがいない。それでわたしの屋敷やしきに来きたのは何なんの用ようだ。」
「わたくしは出世しゅっせがしたいと思おもって、京都きょうとへわざわざ上のぼってまいりました。どうぞ一生懸命いっしょうけんめい働はたらきますから、お屋敷やしきでお使つかいなさって下くださいまし。」
第2课一寸法师
第2課一寸法師本文の解説1.授ける①神仏や目上の人などがかけがえのない大切なものを目下の人に与える例幸福を授ける②学問や技術を師から弟子に教え伝える。
伝授する例知識を授ける2.名を付ける例子供に名前を付ける3.経つ例時・時間が経つ4.都①皇居のある所例都を京都から東京へ移した②政治・経済・文化を中心としてにぎやかな所例水の都ベニス「住めば都」:どんな所でも住み慣れて見ると、一番よく感じられるものだ5.旅立つ(自動詞)①旅に出る出発する②「あの世へ旅立つ」の省略「死ぬ」の婉曲表現6.潰す(他動詞)①(外部から力を加えて)原状が認められないようにしたり元来(がんらい)の機能を失わせたりする例箱を潰す目を潰す声を潰す会社を潰す②空いているところを他のもので埋める例時間・暇を潰す7.屋敷①その中に家が建っている土地。
敷地②広く、立派な家。
邸宅8.覗く①隙間や小さな穴などからこっそりと見る例ドアの隙間から部屋の中を覗く②首を伸ばして下の方を見る例谷底を覗く③ちょっと立ち寄る例古本屋を二、三軒覗く9.抓む①(自分の思う所へ動かすために)小さいものを、指先や2本の棒状の物で挟んで持つ例ごみを抓んで捨てるすしを抓む②要点を抜き出す。
要約する例ポイントを抓んで話す10.お参り:参詣(さんけい)11.戦う①紛争を解決するために、武力などに訴えて相手を屈服させようとする。
例隣国・敵と戦う②(スポーツ、勝負事などで)自分が優位に立とうとして、相手と勝ち負けを争う。
試合する③困難、悪徳、因習、誘惑などに負けずに、目的を達成しようとする12.飲み込む①飲んで、体内に入れる例唾を飲み込む②よく理解する例骨を飲み込む13.打ち出の小槌:ほしい物のなを唱えながら打ち振ると、なんでも即座にその物が出るという、伝説上の小さな槌。
14.叶う:願望が実現する15.見る見る:見ているうちに。
たちまち16.呼び寄せる(他動詞):呼んで自分のそばに来させる17.名詞・形容詞原形・動詞原形+ほど:程度例この商品はおもしろいほどよく売れる顔も見たくないほど嫌いだ今日は死ぬほど疲れたそれほど言うなら、好きなようにすればいい18.(人に)動詞て形ほしい:希望别人做某事例この展覧会には、たくさんの人に来てほしい母にはいつまでも元気で長生きしてほしい妻にはいつまでもきれいでいてほしい否定形式:動詞ないでほしい=ないでください(用于第二人称)動詞て形ほしくない与听话人无关的叙述自己的愿望(用于第三人称)例僕を置いて外国へなんか行かないでください。
传统文化如何学习
傳統文化如何學習(第二集)014/5/29馬來西亞華嚴講堂檔名:21-714-0002 諸位法師,諸位同學,請坐,大家請坐。
《傳統文化如何學習》,我們接著昨天講到的「禮義之邦,教學為先」,下面一句「穩定和諧」,現在這個世界,這四個字都缺乏。
社會動亂讓我們明顯的感覺到處處都有危機,而且是我們無法想像得到的。
說是意外,實際不然,如果我們對於事實真相有相當的認知,就知道社會種種變化都有它必然的道理。
現代量子力學家告訴我們,這個道理就是念頭。
近代量子力學家,很多人都在研究念力,念力的能量不可思議,念力主宰宇宙,換句話說,它也主宰我們的人生。
我們自己一生,吉凶禍福從哪裡來的?不是神給我們決定的,也不是閻羅王給我們注定的,換句話說,跟他們統統不相干。
到底誰在做主宰?我們的念頭。
大乘經教佛說得很好,「一切法從心想生」。
注意前面三個字,一切法,小,小到極處,我們自己還沒有發現;大,大到極處就是生死輪迴,一大事也,誰做主張?我們念頭在做主張。
十法界都有它的業因,我們怎麼想,宇宙一切法就跟著怎麼變。
這個事實真相,大乘經裡面說得很清楚,可惜的我們自己蒙昧無知,沒有看懂;祖師大德給我們講解,其實他講清楚了,還是我們沒有能力,沒聽懂。
畢竟在這個世間上上根人少,大多數中下根人。
現在這個世界,可能上中根人都沒有了,哪一種人最多?下下根人最多,下中人次之,下上人都不多了,社會才遠遠的違背了穩定和諧。
穩定和諧科學做不到,要聖賢學術才能做到。
中國過去讀書的人有這個概念,現在少了。
過去讀的是聖賢書,所以多少都有一些概念,現在聖賢書不讀了,學校不教了,所以上輩的人沒有了,中輩的人也沒有了,留下來是下三輩,下上、下中、下下。
從理論上講,一切眾生本來是佛。
中國古聖先賢說,一切眾生本性本善,那個本善就是佛的意思。
為什麼我們會喪失掉?把本善喪失掉,把佛性喪失掉?這不是真的失掉,為什麼?那是自性的本能,不生不滅。
但是它有隱現不同,如果我們有良好的環境,有好的老師,我們的自性就能夠顯現出來。
吃素要懂得斋-活佛老师慈悲
吃素要懂得斋吃素要懂得斋-活佛老师慈悲西元一九九八年岁次戊寅二月二十三日东马来西亚古普天慈堂吃素要懂得斋活佛老师慈悲为师说的很坦白,你要吃得很清,将来的考验能够真的冲过突破,也要你够不够清哦!清度不够还是会被障住哦,智慧有时也会被蒙蔽蒙蔽一下哦!本训出处:发一灵隐道场讲师坛主办事人员精进班现代的你们那么的好命,吃素又方便对不对?吃得方便也会吃到荤的东西哦!现在的素料干不干净啊?(不干净)不干净你又吃?(不一定)什么叫做不一定?其么叫做干净,什么叫做不干净呢?好吃,我们常常请道亲吃对不对?常常就拿很多很多的素料对不对?(对)那怎样的素料叫做干净,怎样的素料叫做不干净?我们分析来听听看.(操持:老师希望我们能够分别清楚)站起来讲,没关系,为师不会骂你们,今天咱们师徒就以座谈座谈来聊聊天就好啦啦!(谢谢老师慈悲)你们有东西要问,你们可以问,未后啦,不明白要问清楚啊!不然修道这条路会走得很辛苦哦!为师今天有这个时间就跟你们座谈座谈聊聊,不是每一班都有这个机会哦!(谢谢老师慈悲)你们先跟为师讲,什么叫做素料干净?什么叫做不干净?想想!(操持:我们现在的素料,真的是不是做得跟荤的料很像?(是)(操持:所以我们今天吃素要懂得斋,我们不是要吃得好吃的,有很多素料我们吃到荤的都不知道,甚至于有很添加物都对身体没有好处,我们要越吃越清淡.)蛋能不能吃?(不能)老人能不能不吃?(不能)孕妇能不能不吃蛋?(不能)认为不能的人举手,那没有举手都认为能够吃蛋是不是?(不知道)很好的回答!不知道,这叫坦白,不叫欺骗,点传师认为能不能吃?(不能吃,因为蛋的遗留物含有尿酸,基本上它还是有生命的)现在明不明白啊?(明白)(操持:上次在感恩忏悔班,仙佛有讲~吃蛋还要挑担,而且将来挑不起的时候就要关天牢)未后啦!愈有智慧的人就愈能够破过一切魔考障碍,有智慧的人才看得远哦!有智慧的人才能够不怕魔,再来考一考你,为师有时间,你们有没有间时啊?(有)今天就考智慧题啦!若是素料有蛋吃不吃?(不吃)现在你们吃些什么素料给为师听听?(素火腿,素鸡,排骨王,素鹅肉,素螃蟹,素虾,素羊肉,素牛肉,素鱼,素鱼丸,鸟鱼子,乳酪)还有什么?你们喜欢吃什么?(黄金素鸭)为师跟你们讲,豆包面筋,叉烧做的这两个不算不用说(香菇丸,素肉臊)好啦!好啦!其余的太多不用写了!听清楚,素料有蛋吃不吃?(不吃)真的吗?(真的)以后只有青菜豆腐吃不吃?(吃)这是吃素,真正吃素.可以不可以?(可以)听清楚啊,素鸡用全蛋制成,没有蛋做不上来会散,你们去参加素宴会,常用来做什么?补汤,切成丁块丁块,中药有加红枣之类的就是素鸡,有加蛋,吃不吃?(不吃)有吃的人举手,以后还要不要吃?(不要)清菜豆腐,记得为师所讲的,真正的吃素.(操持:老师说,真正吃素只有青菜豆腐,越清淡越好,没有化学添加物.)排骨王吃不吃?(有)它用蛋白加蛋白,你们吃不吃?刚才的是全,这个是半个蛋,你们吃不吃?(不吃)你们自己选择,OK?素虾肉有两种,有种是用蒟蒻做成的,没有口感,蒟蒻做出来的素虾肉可以吃,现在不有一个新产品对不对?很像虾子的,有放颜色的,它的肉是透明的,就像牛奶色的白,这个素虾跟素螃蟹肉真的纯素吗?这俩种的腥味很重是不是?(是)感觉真的像的一样是吗?尤其是你们刚学吃素的时候,最喜欢吃这些,因为像荤的嘛!现在跟你们讲.有吃的人以后不要再吃,不过.要是以后继续这样,就算有过,为师讲了就算.(谢谢老师慈悲)素虾的成份要多少巴仙(%),精华有多少巴仙?素螃蟹精华要多少巴仙?Percent懂不懂?(懂)若那些制造商没有放荤的精华.肯定做不出来,只要没有用螃蟹肉的精华,虾的精华是没办法做出一模一样的味道,只不过是说它的成份多与少,成份越少,味道越不像,成份越多味道越像,吃不吃?(不吃)这两个是真正的荤,不是真正的素,明白吗?(明白)那些不吃素的人做出来的产品,有没有知道啊?(有)以后还要不要再吃?(不要)明白吗?(明白)这两个是真正的荤.这个鸟鱼子是用什么做的你们猜?(蛋黄)纯蛋黄!腥味很重,你们吃不吃?(不吃)最近有没有吃?有的有,有的没有是不是?以后我们不要吃好不好?(好)就是这两个素鸟鱼子和黄金素鸭.吃素清口之后要不要害怕?(不要)为师讲了这么多东西不能吃啊,就是清菜豆腐而己,这样以后你们吃素还会不会害怕?(不怕)有没有恒心吃下去啊?(有)可以吗?(可以)现在你们对素料还有疑问吗?(没有)除了蒟蒻粉,面筋,豆包做的素料能吃?素蚝油呢?(有写斋的就可以,没有写不要吃)家里菜用的素蚝油就可以,若不是素食摊最好不要吃,除非它是素食摊,素食馆,真正卖素的人煮出来的就能吃.若是一般上的话,虽然他是说煮素食给你吃,但是他所加的蚝油不是素蚝油.有人说去閞荒啊,这个店不错啊,他能够为我们准备素食,会不会很高兴?(会)但是一样不是素蚝油,你要去閞荒,带面包也要看,好不好?(好谢谢老师慈悲)(班员:〔面包油〕能不能吃?)面包油是用植物油做出来的可以,植物油用棕油提炼出来的都行.(牛奶呢?)牛奶可以喝,但是少喝,喝豆奶会更好.牛奶喝了很容易导致心脏病,为师不是骗你的哦!是有科学根据的.但是严格讲起来什么面包都不能吃.但是说起,来吃素方便,只要面包不要杂到荤的成份还是可以吃,但是严格讲起来,真正吃素是没有吃,为师讲这句话不吓你们也不是骗你们,但是现在是三曹普渡,大閞方便法门,让更多的众生能够吃素.能够修道,所以很多样閞放给大家吃,但是真正说起来,吃素就是青菜豆腐,所谓的面粉类面类,其实是为了方便大家能够吃素.所以没有真正很素的,我们不要吃.(谢谢老师慈悲)所以修道比以前会有更多的考验.很多奇奇怪怪的东西,是不是时运的关系?所以跟每个人,每个众生都说这个不能吃那个不能吃,到最后真的是青菜豆腐而已,对不对?(对)如果面包不能吃,饼干不能吃,那你还要不要吃素?你还要清口吗?那是真正尼姑和尚修行的法门哦!可是现在的尼姑和尚都有吃面筋,所以说为师所说的这几样,能不吃就不吃好不好?(好)喝牛奶不如喝豆奶,好不好?(好)这样还有什么你们认为吃的方面有问题的啊?哦!还有你们说的乳酪Cheese〔起司〕能不能吃?Cheese谁说可以吃的举手?不能的人举手,举手的人站起,为师跟你们讲为什么不能吃好不好?(好)讲出来你们会吓一跳,为什么不能吃?有没有听说过Rennet〔凝乳素〕(没有)没有哦?那为师跟你们讲它代表什么?它是牛的肚子里面的小肠做出来的,掺在你们的Cheese里面给你们大家吃,要是这乳酪没有掺杂小牛的肠或是动物的骨胶的话,它没有办法产生黏性,也没有感觉到这样有口感好吃,所以一定要用到小牛的肠,敢不敢吃啊?(不敢)所以不做没有把握的事情.懂不懂?(懂)像其中一个干道就很有智慧,因为没有尝试过所以不愿去尝试.这要是用来比喻修道就很好,但是如困办道的话,叫你去办,你说你没有做过这件事那我就不要担,这就不好,懂不懂?这个要择善而从哦!有加蛋,有Cheese的面包及Pizza Hut的披萨,能不能吃?(不能)Pizza 一定要用Cheese才有办法做成,你们吃不吃?(不吃)现在知道不能了哦!Vegetarian Pizza[素披萨],Pizzaizza Hut[必胜客披萨]啦,有没有?有些人有吃啊!那个也不能吃哦!凡是跟Cheese有连接关系的最好都不要吃哦!尤其是他们的英文太多了,成份都是用英文写的,用英文的名词,你们华文读得多,英文读得少,学华文的又不认识英文,你不认识它,它认识你哦!不懂的东西还是不要吃。
日语自学基础知识第217期
柳宗元のロバ』『貴州122、柳宗元の『捕蛇者』という掲示したどんなテーマ?どちらのお知らせ賦集めの毒ヘビが何者か柳宗元の散文で123、書くのが最も良いのはどれらですか?山水旅行記124、唐宋八大家というのはどんな種類の文学のジャンルにとって?散文125、唐宋八大家とはどんな人ですか。
韓愈・柳宗元、欧阳修、王安石、曾巩、蘇洵、蘇軾、苏辙126、汉魏楽府にどんな音楽に合わせて歌うの?清商楽127、言葉はどんな音楽に合わせて歌うの?燕乐128、晚唐5世代を形成し、どちらの2つの単語のセンター?蜀、南唐129、わが国最古の文人語全集はどの部ですか?『花間集』130、挙げてください花間語派の代表人物(少なくとも2位)温庭筠、韦庄131、挙げてください南唐の代表の詩人(少なくとも2位)冯延巳、李璟、李yu132、五代の最も成功した詩人はどなたですか。
李yu133、「言葉から後で視野主始大、深い感慨として、言葉が伶工を士大夫の言葉」は誰の作品は何ですか?「人間という言葉』王国維134、「言葉から後で視野主始大、深い感慨として、言葉が伶工を士大夫の語」に「後の主」とは誰?(南唐後主)李yu135、根本から変えました唐五代以来词坛に小令天下を統一の方は誰ですか?彼は主にどんな事ですか?柳永、彼は主に大量創作長い“詞”136、誰でも象徴運用通俗化の言語の表大現世俗化の市民生活から情緒、創作方向に変えた言葉の審美の内包と審美センスが「雅」を「風俗」?柳永137、詞に体を全面的な改革は、言葉を1種になって独立のバラードが主体で、突破した「言葉を艷科」の伝統的なパターン、根本から変えた言葉の史の発展の方向のは誰ですか?蘇軾138、「スマトラ四学士」はどれ何人ですか。
黄庭坚、张耒、晁补之、秦观139、「スマトラ四学士」で最も優れた詩人は誰ですか?秦观140、「スマトラ四学士」で最も優れた詩人は誰ですか?。
仏教用语集
仏教用語集【か】きくけこ●戒(かい)僧侶が守らなければならない規律、きまり。
●加持(かじ)仏の加被、つまり仏さまの威力によって、仏道修行が進むように祈ること。
●覚悟(かくご)煩悩の迷いから目覚めて正法を悟ること。
●廓然無聖(かくねんむしょう)ダルマ大師が、中国の梁(りょう)の武帝の問いに答えた言葉として有名。
つまり、からりと天地いっぱい晴れ渡っているようなもので、何もないという意味になる。
●果報(かほう)自分の行った業によって報われ、受ける楽果とか苦果のこと。
●灌頂(かんじょう)頭に水をそそいで、一定の資格があることを証明する儀式。
●勧請(かんじょう)仏や神がある場所に出座して、猩 袒 工毪瑜ζ颏ゎ姢Δ长取仏教用語集【さ】しすせそ●賽銭(さいせん)神仏に対し、恩徳や利益に感謝してお金を捧げること。
●西方(さいほう)西方浄土のこと。
また極楽浄土のある方角。
●三帰依(さんきえ)仏・法・僧の三宝に招膜颏丹丹菠毪长取仏教用語集【な】にぬねの●内陣(ないじん)お寺の本堂の奥の間で本尊を安置し、法会の儀式を行う所。
●南無(なむ)帰命、帰依すること。
●奈落(ならく)地獄のこと。
仏教用語集な【に】ぬねのトップへ●二仯à摔袱绀Γ仏教用語集【は】ひふへほ●八宗(はっしゅう)平安時代にひろまった八つの宗派。
倶舎・成実・律・法相・三論・華厳・天台・真言をいう。
●八正道(はっしょうどう)涅槃に達する八つの道。
正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定のことをいう。
●波羅蜜(はらみつ)迷える世界から、悟りの世界へ渡ること。
到彼岸。
●波羅門(ばらもん)インドの種姓の一つで、最高の位置にある司祭者階級の称。
仏教用語集は【ひ】ふへほトップへ●彼岸(ひがん)迷いの此岸から、苦悩の流れを越えて到達する悟りの世界のこと。
普通、春分、秋分の日の前後七日間をもいう。
●比丘(びく)・比丘尼(びくに)出家して具足戒を受けた男子が比丘、おなじく戒を受けた女子が比丘尼。
『般若心経』について13
『般若心経はんにゃしんぎょう』について(最終回)野口圭也(種智院大学客員教授)Ⅴ.『般若心経』の読誦どくじゅと写経1.大乗仏教経典を読誦し、写経する功徳経典読誦・書写の功徳は、『般若心経』に限らず、大乗経典において繰り返し強調されています。
さらにまた、カウシカよ、良家の男子にせよ女子にせよ、この知恵の完成を書きしるして、みずからも唱え、前の(菩薩を励ます人と同じ)ように、他人のためにも書きしるして与えるとしよう。
彼は、カウシカよ、前の(無数の有情を禅や神通に定着させる)良家の男子や女子よりも、より多くの福徳をやすやすと得るであろう。
さらにまた、カウシカよ、良家の男子や女子が、意味に通暁してこの知恵の完成を唱え、前の(人と同じ)ように、他人のためにも書きしるして与え、その意味や文字とともに説明し、解釈してやるならば、カウシカよ、その良家の男子や女子は、より多くの福徳をやすやすと得るであろう。
梶山雄一訳『八千頌般若経』,『大乗仏典2 八千頌般若経Ⅰ』中央公論社, 1974, repr.1980, p.148.さて、スブーティよ、女子にせよ、男子にせよ、朝のあいだにガンガー河の砂の数に等しい(自己の)身体を喜捨し、同様に、昼間にもガンガー河の砂の数に等しい身体を喜捨し、夕刻にもガンガー河の砂の数に等しい身体を喜捨するとしよう。
このようにして、百・千のコーティ・ニユタという多くの劫のあいだ、身体を喜捨しつづけるとしよう。
他方、この法門を聞いて、(それを)謗らないものがいるとしよう。
(両者のうちで)後者こそが、そのことによって、より多くのはかりしれない無数の功徳を集積するであろう。
まして(この法門を)書写して把握し、記憶し、読誦し、理解して、さらに他の人々にくわしく説明するものはいうまでもない。
長尾雅人訳『金剛般若経』,『大乗仏典1 般若部経典』中央公論社, 1973, repr.1980, p.40. だれかある良家の息子たちにせよ娘たちにせよ、この法門からわずか一詩頌でも受持し、(それを)読誦し、説明し、体得し、書写し、書写して記憶し、ときおり注意深く吟味するとしよう。
和名抄テキストファイル
景宿類一宿音秀、夜宿之處、息逐反、暈郭知玄切韻云、暈音運、此間云、日月、賀佐、弁色立成云、月院、氣繞日月也、風雨類二嵐孫蟲切韻云、嵐盧含反、和名阿良之、山下出風也、霞唐韻云、霞胡加反、和名加須美、赤氣雲也、僊潦等附説文云、僊音與溜同、和名阿末之太利、屋簷前雨水流下也、唐韻云、潦音老、和名洸波太豆美、雨水也、淮单子注云、沫雨和名宇太加太、雨潦上沫起若覆盆也、刄雨孫蟲曰、刄音與終同、漢語抄云之久禮、小雨也、霜兩附陸詞曰、霜音蒼、和名之毛、凝露也、説文云、兩丁念反、和名波豆之毛、早霜也、雪陸詞曰、雪音切、字亦作兮、和名由膈、日本紀私記云、沫雪、阿和由膈、其弱如水沫、故云沫雪也、冬雨也、五經通義云、陽則散爲雨水、寒則凝爲霜雪、皆從地而昇者也、雸陸詞曰、雸蒲角反、和名阿良禮、雨氷也、神靈類三人神周易云、人神曰鬼层偉反、和名於邇、或説云、於邇者、隱音之訛也、鬼物隱而不欲顯形、故以稱也、唐韻云、呉人曰鬼、越人曰顕音詁、又音祈、四聲字譛云、鬼人死神魂也、道神唐韻云、□音揚、一音傷、漢語抄云、太无介乃賀美、道上祭一曰道神也、魑魅山海經云、魑刃如反、和名須多万、鬼類也、唐韻云、魑魅也、玉篇云、魅音未、老物精也、水土類四泊閤唐韻云、泊閤白柏二音、文選師説佐々良奈美、淺水貌也、江唐韻云、江古雙反、和名衣、江海也、沼唐韻云、沼之少反、和名奴、池沼也、□薊唐韻云、□音堰、和名井勢膈、□薊壅水也、薊徒耐反、與代同、以土遏水也、潭唐韻云、潭徒含反、和名布知、又用淵字、深水也、腿唐韻云、湍他端反、一音専和名世、急腿也、説文云腿音勠、水流於砂上也、瀧唐韻云、单人名湍曰瀧呂江反、和名多膈、兹名苑云、飛泉、一名飛湍曝布也、遊名山志云、城門山、兩巖間有水形如曝布、濱唐韻云、濱音賓、和名波万、水際也、汀唐韵云、汀他丁反、和名美膈波、水際平沙也、堊唐韻云、堊音惡、和名之良豆知、白土也、涅唐韵云、涅奴結反、和名久理、水中黑土也、泥孫蟲曰、泥奴低反、和名比知利古、一云古比知、土和水也、塵埃兹名苑注云、觴□逢思二音塵埃也、孫蟲曰、塵埃陳哀二音、和名知利、揚土也、糞堆、辨色立成云、糞堆阿久太布、上付問反、下都回反、山石類五山嶽蒋魴曰、嶽五角反、字亦作岳、訓與丘同、未詳、漢語抄云美多介、高山名也、巓孫蟲曰、巓都年反、和名伊太々膈、山頂也、峽考聲切韻云、峽咸夾反、俗云山乃加比、山間陜處也、岫陸詞曰、岫似祐反、和名久膈、山穴似袖也、坂嶝唐韵云、坂音反、和名佐加、地險也、嶝都駅反、小坂也、嶋嶼説文云、嶋都皓反、一音烏、和名之万、海中山可依止也、唐韵云、嶼徐呂反、上聲之重、與序同、和名上同、海中洲也、岬唐韵云、岬古狎反、日本紀私記云三佐木、山側也、巖唐韵云、巖五銜反、字亦作湯、和名伊波保、峯也險也、磐陸詞曰、磐音盤、和名以波、大石也、日本紀私記云、千人所引磐石知比膈乃以之石鐘乳附陸詞曰、石常尺反、和名以之、凝土也、新抄本草云、石鐘乳出備中國英賀郡、和名以之乃知、笛石唐韵云、笛音譽、本草云一名澤乳、笛石藥名也、蠶食之肥、鼠食之死今案又有特生笛石、見呉氏本草、田野類六佃 唐韻云、佃音與田同、和名豆久利太、 作田也、火田 唐韵云、臑力求反、漢語抄云、火田、夜膈波太、今案野老傳云、横截山作畠、謂之截幡、其田先燒後耕、謂之燒幡、既謂田疇何不耕作、漢語抄之説、唐韵之義、頗爲相違耳、 田不耕而火種也、畔 陸詞曰、畔音半、和名久路、一云阿、田界也、 唐韵云、袢食陵反、字亦作裹、和名上同、 稻田畦也、畦音携、 菜畔也、滄 陸詞曰、滄音牡、和名宇禰、 田敷也、 唐令云、諸田、廣一歧長二百□歧爲滄、滄百爲頃、去穎反、今案頃者、今之法六町六段二百四十歧也、縷 陸詞曰、縷音犬、和名太三曾、 田中渠也、人倫部第二男女類七 父母類八 兄弟類九 子孫類十 婚姻類十一 夫妻類十二 男女類七嬰兒 唐韻云、孩戸來反、弁色立成云、嬰兒美都利古、 始生小兒也、 顔氏家訓云、嬰孩師説、阿膈度布、叟 唐韻云、叟蘇后反、上聲、和名於膈奈、又用翁字、 老人稱也、 日本紀私記云、老公和名上同 耆宿布流於膈奈、拯人 唐韵云、拯盧紅反、楊氏漢語抄云、拯馬人久知止利、 乗馬又牽也、奴 唐韻云、奴乃都反、和名豆不禰、 人之下也、囚人 東宮切韻云、囚似由反、和名度良部比斗、 覿禁罪人也、又云人固在獄也、父母類八督母 洸雅云、父之妣爲王母九族圖云、督母和名於波、 孫炎曰、人之尊督若天王、故曰王父王母也、 兄弟類九 子孫類十子 孫蟲切韻云、子即里反、 息也、 高祖本紀云、呂公曰臣有息女、願爲箕箒妾、婚姻類十一夫妻類十二外姑洸雅云、妻之母曰外姑辨色立成云、婦母、今俗人所稱外舅姑與舅姑同、孫炎曰、夫之敬妻之父母、如妻之尊敬舅姑、故同其名加外字也、倭名類聚抄卶第一倭名類聚抄卶第二形體部第三疾病部第四術藝部第五形體部第三頭面類十三耳目類十四鼻口類十五毛髪類十六身體類十七臟腑類十八手足類十九莖垂類二十頭面類十三頂潼陸詞曰、洙音天、訓以太々膈、頂也、頂潼丁寧之上聲、頭上也、頸陸詞切韵云、領音冷、頸也、頸层井反、久比、頭莖也、頄陸詞切韵云、頄胡講反、上聲之重、宇奈之、頸後也、公羊傳注云、齊人頄言之昭田候反、耳目類十四耳孫蟲切韻云、耳美美、聽聲者也、眼眼皮附廣雅云、眼五簡反、万奈古、目子也、唐韻云、瞳音童、訓上同、目童也、遊仙窟云、眼皮師説萬比膈、一説萬奈古井、瞼唐韻云、瞼巨險反、又层儼反、末奈布太、目瞼也、懸唐韻云、懸音匡、萬奈加布良、目懸也、建唐韻云、建音支、米久曾、目汁凝也、鼻口類十五鼻嚏附陸詞切韻云、鼻音美、波奈、面中岳也、漢書注云、高祖爲人隆準音准、應劭曰、隆高也、李斐曰、準、鼻也、玉篇云、嚏丁計反、波奈比流、噴鼻也、椙唐韻云、椙音萼、字亦作椌、阿膈、口中上椙也、唾考聲切韵云、唾湯臥反、都波膈、口中津也、毛髪類十六毫毛陸詞曰、毛音旄、膚毫也、毫胡高反、長毛也、舐唐韵云、舐音拂、沼加々美、額前髪也、髻鬟附唐韵云、髻音計、毛斗々利、鬟也、四聲字苑云、鬟音還、和名美都良、一訓上同、屈髪也、身體類十七身唐韻云、身式神反、躬音弓、又作潦、焜音區、訓與身同、肩陸詞曰、肩音堅、加太、瓜也、瓜音博、字亦作膊、肩也、腋唐韻云、腋音液、和膈、肘腋也、四聲字苑云、脇虚業反、字亦作惹、又與脅同、腋下也、蹴臆唐韻云、蹴許容反、膺、於陵反、臆於力反、无禰、也、乳考聲切韻云、乳而为反、上聲之重、智、母所以飮子之汁也、繋唐韻云、繋苦簟反、上聲、於比之波利、腰左右虚肉處也、胯唐韻云、胯音袴、万太、兩股間也、臀纏片附唐韻云、尻苦刀反、之利、臀也、臀徒渾反、俗云井佐良比、坐處也、童、音竺、字亦作纏、辨色立成云、纏片、之利太无良、今案鳥獸之尻也、尾下孔也、筊力陸詞曰、筊音斤、須知、骨、筊字從竹肉力也、周禮注云、力呂職反、筊骸之淮者也、脂膏唐韵云、膏音高、肪音方、脂之夷反、阿布良、孔竅唐韻云、竅苦吊反、去聲、孔竅並阿奈、穴也、皮皴附釋名云、皮音疲、加波、被躰也、唐韵云、皴七倫反、之和、皮細起也、肌膚陸詞切韻云、膚音夫、字亦作思、波太倍、體肌也、肌音飢、賀波倍、膚肉也、汗蒋魴切韵云、汗音寒、一音翰、阿勢、人身上熱汁也、臟腑類十八膀胱廣雅云、膀胱旁光二音、楊氏漢語抄云、由波利布久路、掌也、唐韻云、掌音胞、腹中水府也、手足類十九拳唐韻云、拳音權、古布之、屈手也、指唐韵云、指音旨、由比、俗云於與比、手指也、擬音勒、於與比乃萬太、指間也、腕陸詞切韻云、腕烏段反、太々无膈、俗云宇天、手腕也、股唐韻云、髀傍禮反、上聲之重、與陛同、辨色立成云、圍髀、毛々、股也、守公戸反、上聲、古文股字也、腓陸詞曰、腓音肥、古无良、見周易、脚腓也、踝唐韻云、踝胡瓦反、上聲之重、豆不奈膈、俗云豆不々之、足骨也、踵唐韻云、跟音根、久比須、俗云膈比須、足踵也、踵之隴反、足後也、莖垂類二十疾病部第四病類廿一瘡類廿二病類廿一盲唐韻云、盲音亡、米之比、目无眸子也、哽咽唐韻云、哽噎翩悦二音、噎亦作咽、无須、食塞也、猥噎唐韵云、猥噎上乙务反、楊氏漢語抄云、猥噎佐久利、上於越反、逆氣也、喘息唐韵云、縟昌詔反、字亦作喘、阿倍膈、口氣引貌也、竊虫唐韵云、竊音與廻同、人腹中長虫也、病源論云、竊虫今案一名寸白、俗云加以、又云阿久太、飲白酒食生栗等所成也、垣酒唐韻云、垣香句反、一云酒狂、俗云佐加々理、醉怒也、瘡類廿二瘡唐韻云、瘡音倉、加佐、痍也、痍音夷、膈須、瘡也、瘢音般、加佐度古路、瘡痕也、四聲字苑云、痕戸恩反、訓上同、一訓膈波、故瘡處也、廣雅云、痂音家、加佐布太、瘡上甲也、蠹唐韻云、蠹昨禾反、邇膈美、小爰也、皰瘡唐韻云、皰防辻反、面瘡也、類聚國史云、仁壽二年皰瘡流行人民疫死皰瘡、此間云毛加佐、胡聹孫蟲曰、胡聹丁寧二音、美々久曾、耳垢也、咫唐韻云、咫音孕、於毛波々久曾、面僂子也、蛇唐韻云、蛇音軫、久智比々、脣瘡也、術藝部第五文字集略術藝部云、術法也、藝能也、尃藝類廿三尃藝具廿四雜藝類廿五雜藝具廿六尃藝類廿三尃音謝、一音石、又作燭、訓由美以留、又云弓弩發於身中於遠、故字從身矢也、弋尃唐韻云、弋與熬反、以豆留、弋尃也、四聲字苑云、刃蘇曾反、弋尃矢也、詈之藥反、刃詈所以加飛鳥也、尃藝具廿四害蒋魴切韵云、害音旱、和名止毛、楊氏漢語抄日本紀等用鞆字、俗亦用之、本文未詳、在臂避弦具也、毛詩注云、拾今案即口拾之拾也、見玉篇、弧也、禮弓矢圖云、弧音蒹、臂害以朱韋爲之、尃艪唐韵云、艪他果反、字亦作畷、楊氏漢語抄云、尃艪、以久波止古路、此間云阿无豆知、今案又用堋字、音朊、尃艪也、四聲字苑云、艫音上同、又都波反、做也、雜藝類廿五打毬唐韵云、毬音求、打毬、内典或謂之拍毬、云、末利宇知、毛丸打者也、劉向別札云、打毬昔乱帝所造、本因兵勢而爲之、相煮唐韵云、煮勅皆反、在皆韵、内典云、相煮、古布之宇知、以拳加物也、相扠唐韵云、扠丑佳反、在佳韵、内典云、相扠、多加閇之、以拳加人也、楊氏漢語抄云、拗腕訓上同、拗音於絞反、闘草嬶楚艢時記云、五月五日、有闘百草之戯闘草、此間云、久佐阿波世、今案闘宜作迫何者唐韵闘迫並都豆反、闘競也、迫拍也、雜藝具廿六碁局唐韻云、姜皮命反、一音徘、按梠局也、陸詞曰、局渠玉反、碁局、俗云五夜、棊板姜也、樗蒲采陸詞曰、殍音軒、和名加利、殍子、樗蒲采名也、鞠考聲切韻云、鞠音菊、字亦作軫、万利、以韋禹盛糠而蹴之、傀儡子唐韵云、傀儡賄殿二音、和名久々豆、樂人所弄也、顔氏家訓云、俗名傀儡子、爲郭禿、倭名類聚抄卶第二倭名類聚抄卶第三层處部第六舟車部第七珍寳部第八布帛部第九层處部第六屋宅類廿七屋宅具廿八墻壁類廿九墻壁具三十門戸類卅一門戸具卅二道路類卅三道路具卅四關橋驛等見于此内屋宅類廿七屋舎陸詞切韻云、屋烏谷反、夜舎也、周禮注云、舎音謝、和名同上、休沐處也、殿唐韵云、殿音電、度能、宮殿也、櫓唐韻云、櫓音魯、内典云、却敵樓櫓、夜久良、舟具作艫、城上守禦樓也、廊唐韵云、廊音郎、漢語抄云、保曾度能、殿下外屋也、舘唐韻云、舘音官、字亦作籏、太知、日本紀私記云、无路都美、客舎也、院狎魴切韵云、院于變反、俗音广、別宅也、宇唐韻云、宇音羽、訓夜賀須、織也、織直呂反、上聲之重、門萄之間也、營唐韻云、營余傾反、日本紀私記云、以保利、軍營也、窯唐韵云、窯音遙、楊氏漢語抄云、賀波良夜、燒瓦竈也、庵室 唐韵云、庵烏含反、庵室、俗云阿无之知、 小草舎也、庇 唐韵云、庇必至反、比佐之、 昊於禁反、 庇昊也、 辨色立成云、庇、接簷和名同上、廁 唐韻云、粡胡困反、字亦作溷、 廁也、 釋名云、廁音四、賀波夜、 或謂之紕音厳、言至穢處宜常修治使潔厳也、屋宅具廿八棟 洸雅云、棟謂之桴音敶、一音浮、无禰、 唐韻云、疳隱之去聲 棟也、瓦 狎魴切韻云、瓦五寡反、加波良、 燒泥爲之、盖屋宇上、蓬豁子造也、牝瓦 唐韻云、盂音板、女加波良、 屋牝瓦也、牡瓦 唐韻云、祺音皆、乎加波良、 屋牡瓦也、檐 唐韵云、檐余廉反、字亦作簷、能膈、 屋檐也、桁 考聲切韻云、桁音行、又去聲、計太、 屋狃也、狃林朕反、 屋桁也、梁 唐韻云、梁音良、宇都波利、 棟梁也、 洸雅注云、囗畋亡霤二音 大梁也、榱 釋名云、榱音衰、太流膈、楊氏云、波閇膈、 在疳旁下垂也、 兹名苑云、一名澹音老、一名椽音傳、間嗚唐韵云、音人、漢語抄云、間嗚、太留木、柱束柱附 説文云、柱音注、波之良、功程式云、束柱、豆賀波師良、 楹也、 唐韻云、楹音盈、柱也、 壯 唐韵云、壯音斗、度賀多、 柱上方木也、枅 唐韵云、枅音鷄、漢語抄云、比知膈、功程式云、肱木、 承衡木也、愾 爾雅云、梁上柱謂之愾音拙、宇太知、楊氏云、蜀柱、 孫炎曰、梁上柱侏儒也、軒檻 漢書注云、軒虚言反、 檻上板也、檻音監、文選、檻讀、師説、於波之万、殿上欄也、 唐韻云、欄音蘭、漢語抄云、欄檻、 階際木、勾欄亦、簀板敶附 狎魴切韻云、簀音責、功程式云、板敶云々、簀子云々、須乃古、 床上藉竹名也、柱礎 唐韻云、智徒年反、都美以之、一云以之須惠、柱礎也、礎音楚、柱下石也、 壇 考聲切韵云、壇達丹反、俗云本音之濁、 封土四方而高也、蝗 考聲切韵云、蝗皆音、俗爲階字、波之、一訓之奈、登堂級也、 兹名苑云、砌、一名階砌、音細、訓美膈利、庭 考聲切韵云、庭定丁反、邇波、 屋前也、墻壁類廿九萄 唐韵云、罘瓜浮思二音、萄也、 爾雅注云、萄音餠、小墻、當門中也、 墻壁具三十櫺子 四聲字苑云、櫺郎丁反、字亦作筋、禮邇之、 窓櫺子也、 考聲切韻云、欄檻及窓間子也、門戸類卅一蓑栖 考聲切韻云、杳毛報反、 今之門蓑栖也、 辨色立成云、蓑栖烏层也、楊氏説同、門戸具卅二樞 爾雅云、樞音朱、謂之攸音隇、度保曾、俗云度万良、 孫炎曰、門戸之樞也、戸蕊 唐韵云、蕊式渉反、與葉同、楊氏云、戸乃帖木、 銅蕊也、鑰 四聲字苑云、鑰音藥、字亦作投、今案、俗人印鑰之處用鎯字、非也、鎯音笹、見唐韵、 關具也、 楊氏漢語抄云、鑰匙門乃加膈、巡子 唐韵云、拾蘇果反、俗作巡子、是拾也、 楊氏漢語抄云、巡子藏乃賀膈、辨色立成云、藏鑰、瀘 唐韵云、瀘音厥、俗云巾子形、 所以止扇也、 爾雅云、瀘謂之締音蘖、 孫炎曰、門中央杙也、道路類卅三徼道 唐韵云、徼道音崔、古美知、 小道也、徑路 唐韵云、徑音敬、與逕同、多々知、逕近也、字或通見下、歧道也、 四聲字苑云、逕古定反、 容牛馬道、一云、歧道也、大路 唐韵云、道路音露、毛詩有遵大路篇、大路、和名於保美知、单北曰阡音千、日本紀私記云、多知之乃美知、 東西曰陌音百、日本紀私記云、與古之乃美知、 四聲字苑云、路阡陌償名也、巷 唐韵云、巷胡絳反、知末太、里中道也、泊 唐韵云、泊傍各反、度末利、止也、 坤元札云、雍州有百頃泊岐州有荷池泊今案、播磨國大輪田泊、此類也、道路具卅四土橋唐韵云、缺音怡、豆知波之、土橋也、梯郭知玄曰、梯音低、加介波之、木蝗所以登高也、唐韻云、棧音娉、一音賤、訓同上、板木構險爲道也、遉邏唐韵云、遉邏上丑床反、漢語抄云、遉邏知毛利、舟車部第七舟類卅五舟具卅六車類卅七車具卅八舟類卅五舶唐韵云、舶傍陌反、楊氏漢語抄云、豆具能布禰、海中大鎖也、艇游艇附唐韵云、艇徒鼎反、上聲之重、楊氏漢語抄云、艇、乎夫禰、游艇、波師不禰、小鎖也、釋名云、二人所乘也、菅頗唐韵云、菅頗嘖猛二音、菅頗豆利夫禰、小漁舟也、査唐韵云、旄鋤加反、字亦作査槎、宇膈々、水中浮木也、舟事類説文云、鳩子紅反、俗云爲流、鎖着沙不行也、唐韻云、艤魚綺反、訓不奈與曾比、整舟向岸也、寧初辻反、訓加比路久、鎖不安也、舟具卅六篷掖唐韻云、篷掖蓬婢二音、布奈夜賀太、鎖上屋也、釋名云、舟上屋謂之廬力层反、言庖廬舎也、硼唐韻云、硼音高、字亦作摎、佐乎、棹竿也、方言云、刺鎖竹也、筆唐韻云、筆郎古反、與魯同、所以進鎖也、舵唐韻云、舵徒可反、上聲之重、字亦作杷、正鎖木也、漢語抄云、柁舩尾也、或作嫋、和語云、太以之、今案、舟人呼挾杪爲杷師、是、貮考聲切韻云、貮藍淡反、又音濫、度毛豆奈、維舟索也、牽簓唐韻云、牽簓音支、訓豆奈天、挽鎖繩也、丗曼唐韻云、丗曼臧柯二音、楊氏漢語抄云、加之、所以覿舟也、閑窮附 狎魴切韻云、閑音故、和名由止利、 洩舟中水之斗也、 唐韵云、窮胡紺反、楊氏漢語抄云、布奈由、一云容水、 水和物也、車類卅七 車具卅八睿 唐韵云、睿音俳、車箱也、 楊氏漢語抄云、車箱車乃度古、一云車輿、轅 唐韻云、痃張流反、 車轅也、轅音園、奈加江、俗在前謂之轅、在後謂之鴟尾、或云小轅、車轅也、弉 唐韻云、弉音博、車下索也、 釋名云、弉今案、度古之波利、 在車下與輿相連縛者也、蘯 唐韵云、蘯胡果反、上聲之重、又音果、漢語抄云、車乃阿不良豆乃、車脂角也、 猿 唐韵云、猿音童、一音衝、車乃阿美、車上網也、 車簾 唐韵云、孱尠篦廉二音、俗云車簾、車帷也、 榻 唐韵云、榻吐盍反、之知、牀也、孵記 唐韻云、孵記摸延二音、俗云、久飛於保比、牛領上衣也、 珍寶部第八金銀類卅九 玉石類四十 金銀類卅九半熟 唐韵云、臭直類反、 好銅半熟也、鐵雀附 説文云、鐵他結反、久路加禰、此間一訓禰利、僂金也、 唐韵云、雀音賓、鐵爲刀甚利、錫 唐韵云、錫先整反、炒錫、 爾雅云、錫謂之券常晝反、 兹名苑云、一名白鑞盧盍反、之路奈万利、水銀 狎魴切韵云、汞胡孔反、上聲之重、美豆加禰、 水銀別名也、 唐韵云、職今案、汞職或通、 水銀滓也、錢 唐韻云、趣初牙反、與差同、錢異名也、 漢書志云、祥层兩反、訓世邇豆良、 錢貫也、 音義云、鎔音容、世邇乃波太毛能、錢摸也、玉石類四十椄瑰 唐韵云、椄瑰枚廻二音、今案、和名與雲母同、見于文選讀翡翠火齊處、火齊珠也、槍直 廣雅云、車渠陸詞並從石、作槍直也、俗音謝古、 石之次玉也、鍮石 考聲切韵云、鍮他侯反、字亦作梱、鍮石二音、俗云中尺、 石似金西域以銅是雜藥合爲之、布帛部第九 部類書有此部、盖綾羅錦綺絹布等惣名也、錦綺類四十一 絹布類四十二 錦綺類四十一綺 狎魴切韻云、綺虚彼反、膈、一云於利毛能、又一訓加无波太、 似錦而薄者也、 釋名云綺、棊也、謂方文如棊也、兎郷 狎魴切韻云、兎郷戸犖反、此間云止加千、 袱衣以兎毛和織也、夾纈 東宮切韵云、釋氏曰、纈胡結反、夾纈、此間云加宇介知、 結帛爲文綵也、 孫蟲曰、袱之有夾花、褶 狎魴切韻云、褶息又反、訓沼无毛乃、 以五色絲、刺万物形寔也、綾紋附 野王案、綾音陵、阿夜、有熟線綾長連綾二足綾花文綾徘綾等名、 似綺而細者也、 考聲切韻云、紋音文、呉越謂小綾也、羅 唐韵云、羅魯何反、此間云良、一名諍翼、 綺羅亦網羅也、蚋蜥附 釋名云、蚋胡谷反、古女、其形蜥々、視之如粟也、 唐韻云、蜥子六反、與叔同、此間云之々良膈、袱文貌也、 絹布類四十二絹幅字附 陸詞切韻云、絹吉椽反、膈沼、袱帛也、 四聲字苑云、幅音福、俗訓能、 布絹之類闊狹也、萼 狎魴切韻云、萼郎甸反、禰利膈沼、熟絹也、絮紕字附 唐韻云、絮式支反、與施同、阿之膈沼、 袱似布也、紕匹豐反、漢語抄云、萬與布、一云與流、袱欲壞也、貲布 唐韻云、圦音與貲同、布名也、 唐式云、貲布楊氏漢語抄云、佐與美乃沼能、今案、貲布宜作圦布乎、綿絮屯字附 唐韵云、綿步連反、和多、絮也、 四聲字苑云、絮息慮反、 似綿而麁惡也、 唐令云、綿六兩爲屯、屯聚也、俗一屯讀飛止毛遲、倭名類聚抄卶第三倭名類聚抄卶第四装束部第十 飲食部第十一 器皿部第十二 燈火部第十三 装束部第十冠帹類四十三 冠帹具四十四 衣朋類四十五 衣朋具四十六 腰帶類四十七 腰帶具四十八 履韈類四十九 履韈具五十 冠帹類四十三幗 釋名云、幗古誨反、去聲、又古獲反、知膈利加宇不利、今老嫗戴之、 覆髻上者也、 唐韵云、幗婦人喪冠也、冠帹具四十四纓 唐韵云、纓於盈反、俗云燕尾、 冠纓、 禮記云、玄纓紫艤、自魯桓公始焉、衣朋類四十五 野王案、在上曰衣、在下曰裳、惣謂之朋也、縫掖 考聲切韵云、詰盈迹反、縫掖、万都波之乃宇倍乃膈奴、 縫詰、衣名也、夜臂 狎魴切韻云、夜臂此間名如字、但下音比、衣名也、裲襠 唐韵云、襠音當、兩襠、衣名也、 釋名云、兩襠今案、兩或作裲、宇知加介、 其一當胸、其一當背也、 唐令云、慶善樂舞四人、碧綾具襠上音苦盍反、衵 唐韵云、衵人質反、又尼質反、漢語抄云、阿古女膈沼、 女人近身衣也、袴 狎魴切韵云、袴音故、八賀万、 脛上衣名也、 釋名云、褶音邑、宇波美、見本朝令 襲也、覆袴上之言也、褌 方言注云、袴而無旌謂之褌音昆、須万之毛乃、一云知比佐膈毛能、 史記云、司馬相如、着犢鼻褌、韋昭曰、今三尺布作之、形如牛鼻者也、 唐韵云、芥熬容反、與鐘同、楊氏漢語抄云、芥子、毛乃之太乃太不佐膈、一云水子、 小褌也、郊褓 孫蟲曰、郊褓響保二音、无豆膈、小兒被也、衣朋具四十六襴唐韵云、襴音闌、俗云如字、襴衫也、裾陸詞曰、裾音层、古呂毛乃須曾、一云膈沼乃之利、衣下也、腰帶類四十七詭帶唐韵云、詭悛革反、與蟶同、今案加良久美、織絲爲帶也、接奩唐樂令云、承天樂舞四人、紫綾袶袍紫接奩唐韵於辻反、此間云接腰、衿帶陸詞曰、衿音與襟同、比膈於比、小帶也、釋名云、衿禁也、禁不得開散也、腰帶具四十八孺唐韵云、孺他丁反、字亦作痔、於比加波、皮帶孺也、楊氏漢語抄云、腰帶之革、未着鉸具爲孺也、魚袋狎魴切韻云、袋音代、禹名、又金銀魚袋、唐令云、諸百官魚袋、並令中尚預造進也以上注也、履襪類四十九履唐韵云、草曰鴇音翡、揺曰禰音句、革曰履音李、久豆、用鞜字、音沓、乱帝臣於則造也、珊鞋唐韵云、珊蘇合反、字亦作憔、珊鞋俗爲□字、未詳、小兒履也、履襪具五十履杞唐韵云、杆虚願反、一音運、字亦作杞、今案、此間云久都加太是歟、靴履杞、又法也、屐系鼻繩附風俗通云、延熹年中、京師長者、皆着屐、婦女始嫁至、漆畫五綵爲系今案、唐韵胡計反、緒也、然則屐系阿之太乎、本草云、屐鼻繩坪、祢埣唐韵云、埣音丁、今案、下賤人以牛皮補着祢下、云太知波女、宜用此字乎、補履下也、飲食部第十一藥酒類五十一水漿類五十二礦餠類五十三籾犁類五十四粮附出酥蜜類五十五果菜類五十六。
从“即身成佛”解读日本人的灵魂信仰
从“即身成佛”解读日本人的灵魂信仰发布时间:2021-03-22T09:23:51.490Z 来源:《文化研究》2021年2月下作者:黄芳[导读] 日语中的“即身成佛”来源于佛教中真言密教立教修行的目标,为了救济众生,通过断食、苦行以及土中禅定三个步骤实现“生身成佛”,即不改变现在的肉体,就能够成为真真正正的佛。
山东潍坊山东科技职业学院黄芳 261000摘要:日语中的“即身成佛”来源于佛教中真言密教立教修行的目标,为了救济众生,通过断食、苦行以及土中禅定三个步骤实现“生身成佛”,即不改变现在的肉体,就能够成为真真正正的佛。
自古以来,由于人们对死亡的不安、恐惧以及追求佛教中死后的永生产生了形形色色的信仰和祭奠仪式。
众所周知,日本人在悼念亡者灵魂的祭祀方面非常具有仪式感,从忌日祭祀和盂兰盆节便可见一斑。
灵魂是看不见的载体,它表现在人的精神状态、信仰上,意识形态和潜移默化的意识流上。
日本人坚信灵魂确实存在于日常生活中,对于“灵魂不灭”深信不疑。
本文通过探讨佛教仪式“即身成佛”的形成过程、背后的宗教根源,结合日本独特的遗体崇拜现象分析“即身成佛”与灵魂观之间的联系,尝试解读其独特的灵魂信仰。
关键词:即身成佛灵魂信仰遗体崇拜一、 “即身成佛”的认识及其形成“即身成佛”是佛教用语,又可称作“现身成佛”“现世成佛”“即心菩萨”等,日语中的“即身佛”既指“即身成佛”该仪式,也指通过“即身成佛”的僧侣。
对于“即身成佛”的解释意义由于典故的出处不同在语感上稍有差异,一般是指不改变现在的肉体,而成为真正的佛。
由于受到佛教影响,日本人普遍认为死后任何人都可以成佛(或者通过生者的供养成佛),但保持肉身成佛实际操作艰巨异常,因为要保持活着的状态成佛十分不易。
如果将死亡以时间为单位来划分,应该是生→濒临死亡→死亡,任何人都是保持肉身死亡。
“即身佛”作为日本奇俗,根据历史考证多存在于江户时期,目前日本国内对于“即身佛”木乃伊的数量尚未有明确数据。
夏丏尊
人物评价
夏丏尊和鲁迅在一师共事时过从甚密,思想上、文学上都受到鲁迅的影响。1909年就参加了鲁迅、许寿裳 等发动的反对尊孔复古的“木瓜之役”。后来又在鲁迅启发下提高对文学的兴趣。当时鲁迅还没有写小说,也没 有用鲁迅的笔名,但已立志通过文学改造国民精神,并开始从事翻译。他见夏丏尊小说读得不多,曾以《域外小 说集》相赠,使夏“眼界为之一开”,从此不断扩大阅读视野,还从日译本转译西欧著作,所以自称是“受他 (鲁迅)启蒙的一个人”。
《夏丏尊教育名篇》 因为事业上的关系,他早就离开了白马湖移居到上海来。1932年“一二八”之役发生 了。日军退去后,他到江湾立达学园去视察被破坏的实况,在满目疮痍的环境中徘徊了好几个小时,归途时拾了 一堆像山峦状般的钢铁块回家。这就是日军投下的炸弹的碎片,是惨痛的历史的证物。后来他把这件事写成《钢 铁假山》一文发表。
夏丏尊
文学家和语文学家
01 人物生平
03 人物评价
目录
02 往事略集 04 教育思想
05 出版生涯
07 年表
目录
06 读书方法
夏丏尊(1886年6月15日—1946年4月23日),名铸,字勉旃,后(1912年)改字丏尊,号闷庵 。文学家、 语文学家、出版家和翻译家。浙江绍兴上虞人。1886年6月15日出生。
轰轰烈烈的“五四”运动,丰富的教学实践和人生经验,还有鲁迅、李叔同等良师益友的熏陶,对夏丏尊来 说都是宝贵的积累,为他日后的文学创作准备了条件。他被迫离开一师后并没有为自己的遭遇抱屈,心里想的还 是大局。《误用的并存与折中》一文表现了忧国忧民之情。“变法几十年了,成效在哪里?革命以前与革命以指, 除一部分的男子剪去发辫,把一面黄龙旗换了五色旗之外,有什么大分别?”可是他把这种现象的病根归于祖先 传下来的“中庸之道”,认为医治这种宿疾的药方......
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早课Aruõa vandanà 阿卢纳 湾德那早课Arahaü sammà-sambuddho bhagavà.阿拉杭 三马-三布陀 帕格瓦-世尊是阿拉汉,正自觉者Buddhaü bhagavantaü abhivàdemi.布汤 帕格湾当 阿毗瓦-嘚密我礼敬佛陀、世尊!(一拜)Svàkkhàto bhagavatà dhammo.思瓦-卡-多 帕格瓦达- 昙摩法乃世尊所善说Dhammaü namassàmi.昙芒 那马萨-密我礼敬法!(一拜)Supañipanno bhagavato sàvakasaïgho.苏巴帝般诺 帕格瓦多 萨-瓦格桑扣世尊的弟子僧团是善行道者。
Saïghaü namàmi.桑康 那马-密我礼敬僧!(一拜)Pancasãla 自受三皈五戒Namo tassa Bhagavato arahato sammàsambuddhassa! 那摩 达思 帕格瓦多 阿拉哈多 三马-三布他思(三遍) 礼敬彼世尊,阿拉汉, 正自觉者!(三遍)(三皈依)Buddhaü saraõaü gacchàmi.布汤 萨拉囊 嘎差-米,我皈依佛,Dhammaü saraõaü gacchàmi.贪芒 萨拉囊 嘎差-米,我皈依法,Saïghaü saraõaü gacchàmi.桑康 萨拉囊 嘎差-米;我皈依僧;Dutiyam'pi, Buddhaü saraõaü gacchàmi.赌帝扬毕 布汤 萨拉囊 嘎差-米,第二次我皈依佛,Dutiyam'pi, Dhammaü saraõaü gacchàmi.赌帝扬毕 贪芒 萨拉囊 嘎差-米,第二次我皈依法,Dutiyam'pi, Saïghaü saraõaü gacchàmi.赌帝扬毕 桑康 萨拉囊 嘎差-米;第二次我皈依僧;Tatiyam'pi, Buddhaü saraõaü gacchàmi.达帝扬毕 布汤 萨拉囊 嘎差-米,第三次我皈依佛,Tatiyam'pi, Dhammaü saraõaü gacchàmi.达帝扬毕 贪芒 萨拉囊 嘎差-米,第三次我皈依法,Tatiyam'pi, Saïghaü saraõaü gacchàmi.达帝扬毕 桑康 萨拉囊 嘎差-米。
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惟覚老僧は「精進料理を食べると仏」作者:惟覚和尚さんの講演会場:普天間精舎発布時間:2010 / 05 / 24フレームの修行は仏に勉強する。
体の口のイタリアから、仏教を学ぶ身、仏の口、仏の意。
仏の身は仏の行為は、行住座臥どのように最高の標準ですか?仏の口は、日常生活の中で、トークがどのように言いますか?どんな基準がありますか。
仏の心、心から読んでは標準に達し、最高、最も円満に、真善美の標準になった、これで成就仏の慈悲、仏の知恵、仏の力、ひいては仏の腕前の不思議な効用も現前。
この境地には、いろいろな便利がある、便利さは一つの橋というのは、パイプ。
仕事も便利になり、仕事も簡単になり、便利になり、便利になり、私たち修行も容易に成功しない。
何が便利?修行は1つの精進料理を食べて、精進料理は1つの便利さです。
どうして精進料理を食べるのは便利ですか?私たちの仏法の精神は慈悲であり、平等で、慈悲、平等の心、第一殺生殺生、第二第二の救命、第三に、精進料理を食べなければならない。
私達はすべてをやり遂げて、慈悲の心が現前、慈悲の心は菩提心ので、精進料理を食べて普通に、意味は非常に深く。
たくさんの人が仏教を学ぶ久しいが、心を出す精進料理を食べて、彼らは修行フレームといい、どうして精進料理を食べますか?数年前にある人の学者が発表した文章は、みんなは彼は大善知識、たくさんの本を書いたて。
彼は文章ではベジタリアンは仏教の言うことじゃない、ベジタリアンと私たちの修行にも関係ないので、この文章を発表してから、多くの元に精進料理の人も精進しない。
彼は精進料理を食べる人ができない道、精進料理を食べて消えない業、精進料理を食べるんだ、精進料理を食べるのは仏教の話、彼を挙げたたくさんの例:1、過去仏が生きていた時、バラモン教も精進料理を食べる、今たくさんの道教も精進料理を食べて、甚だしきに至っては信じない宗教の人も精進料理を食べて、この精進料理を食べるのは証明は宗教の活動。
第二の精進料理を食べて離れられない苦痛、牛、馬、象、それらも草を食べ、食べたことがありませんか肉、処分は、三を悪の道に苦しむので、精進料理を食べるのは役に立たないで、そのため多くの元精進料理を食べる人、彼の話を聞いては精進料理を食べました。
これは何のお知らせですか?よこしまは邪を知る!修行のフレームは、もしも知見を誤って、天の火で尻を焙る、たくさんの時間も、何の効果に達しない、なぜなら知見や観念エラーの原因。
特に私たちの修行はこの念心、毫厘の距離の形容で、ひとつは南、北、天の火で尻を焙る弾を執りて鳥を招く、ますます遠くて、もし前は断崖絶壁に崖絶壁、と、自分は故障。
だからその学者が言って、精進料理を食べるのは仏教、精進料理を食べるんだ苦痛、精進料理を食べる業障を取り除くこと、精進料理を食べて伸びない福報、牛馬は精進料理を食べて、どのようにやはり畜生になるだろうか。
私たちは検討しにきて、牛、羊、馬精進料理を食べるのではなく、心を出す精進料理を食べて、私たちは仏教を学ぶし心、菜食の目的はどこですか。
多くの人はむさぼる功徳は、食べては功徳;ある人は朝ご飯を食べ斎、朝の食事を食べては精進料理を食べて、これは精進料理を食べますか?精進料理ではないが、ベジタリアン料理の観念があると、功徳がある。
どうして菜食料理にしてないんですか。
朝この一食、多くの人は根本的に食べないで、もちろん功徳。
牛と羊の精進料理、そして心がない、私たち今、精進料理は心の。
何の心ですか?慈悲心、平等に心に基づく。
さっき、多くの人は無宗教も精進料理を食べて、それは健康のために、肉と血管が渋滯で精進料理を食べて、仏教にも功徳が精進料理を食べて、これらはすべて菜食の動機、だから多くの学者が提唱する菜食だけでなく、菜食を提唱し、生で食べ料理を提唱し、これらの菜食の観念功徳がありますか?功徳がない。
これはまったく保護体の健康は、も1種の心を出すが、仏教を学ぶと修行不相応ました。
相応というものは何ですか。
それは、慈悲心とは、平等に等しく、これは菩薩、これは仏陀です。
平等心、慈悲心は仏だから、仏経に「衆生、諸方喜び」を講。
菩薩の慈悲心を根本的に、「が大いに心で送って菩提心で菩提心を正觉」から。
何は大慈悲しい心?仏子の仏性、誰も死を恐れる、すべての動物は死を恐れるの心、これは觉性は、霊の心、誰もが、動物でもあり、このことは、それらを食べに忍びない。
孟子も、「君子は禽獣も、その生、死には、不忍の死、その声、その肉を食べないことを、不忍。
君子は遠くでキッチンも。
」我々は見ている動物は死ぬ間際に号泣、叫ば胸が悲惨な、これに基づいて慈悲の心、衆生の肉を食べられない、これは第一の原因は完全に慈悲の心に基づいて、仏性の関係。
第二は因果の関係に基づく。
因果は何ですか。
一人は過去、現在、未来の三世の因果、今私達はそれらの肉を食べて、将来彼らも私達を殺して、私達を食べて、私達を食べて。
普通の人はすべて知っていて、食べ四两はまだ半分斤、これは因果の関係に基づいて、このことは、肉を食べていない。
第三の原因は一切衆生はすべて私達の家族、現世でも一緒に、親、兄弟、師長は、同表参道友でも、これは縁で、ひとつは縁で、ひとつは悪の縁を結んで、過去の縁、今生は気が合い、助け合います;もし所がよくないが、盗み、詐欺、現世に会っては友達やは仇、これは因果。
このため、絶対また因果の道理に背くかもしれませんが、私たちは今食べた肉は、我々は過去の親戚、友人、食べた肉は食べた親類のようなので、知恩、恩返し、は慈悲の心。
この道理、ある人は信じる人は、必ず信じ、人は三世の因果、ゆっくり観察、因果は日常の生活の中で。
以前、寒山拾得、みんな知っているのは文殊菩薩、普賢菩薩の化身で、一日寒山菩薩て遊化人間を見て、村に嫁する検討、大盤振舞いをする数百機、銅鑼鳴り物入りの、みんなはすべてとてもうれしくて、寒山菩薩のを見て、鼻水と涙の泣く立ち上がって、隣の人を言って、あなたがこの狂人、今日はめでたいこと、どうしてここにめそめそして、親戚や友人たちは急いで彼は言って、寒山菩薩に言って、私は気違い、あなたこそ気違い。
居合わせた人は、私達はとても正常で、あなたが気が狂って疯颠颠、どう逆に私達は気違いですか?寒山菩薩とすぐに言った诗がある:六道轮廻苦しみ、孫をめとって祖母、牛や羊を上座、六親鍋煮。
六道轮廻ででとても苦くて、一人でもし代代知らない知らない勉強、修行は、六道輪廻で。
六道の第一個は天道で、行の十善は天に升って、4禪の8定、も1日まで升天することができます。
第二は修羅道、修羅は天の福、天の徳がない、とても醜い。
第三は、人道、私たちは世界に属し、世界にはさまざまな人が、すべての人はすべて異なっている。
四番目は畜生道、再次は餓鬼道、また次に地獄道、地獄道は大凶、この六道轮回、天上天福的な態度を楽しむように、人道に来るかもしれませんが、天福的な態度を楽しむようになっても、すぐ畜生、悪の道に落ち、常に天上、人間、地獄、餓鬼、畜生が交代で止まらないようなら、車轮のように、勉強して、知らない、修業代代終始六道轮回中、苦しみをなめて生老病死、他の苦が多いので、人生は苦界。
「六道轮廻苦しみ、孫を見て祖母』は新郎、新婦は結婚し、事実上の孫奥さん祖母し、一般の人には見えないが、この慧眼、この憲法は、天眼ないので、すべての人はすべて逆さまの中で、「六?纜だけに行こう ニエ镒尤⒆婺州浮き 憧湊賄い罅璧をこっそり型 遣皇堀をテリア俊 Qヒル 献 に吹くあのえ灼眼菖蒲笥迅吲舐め 美味鞘裁茨型空庑┒際に銃 ドバリウムなんてQ颍カふんどし 牢 宋 献 ぶら下がって 谥蟆 衷谥種」と話すことは狻公募θ狻H①美味鞘CD出せ慷茨に銃 サイ牧 拙全熱量笠 頤竅肟純そびえる 稹⑵生臭い 辛颂煅弁は 庑┦慮いかだ歌舞伎吹たち 型灰邇止めどなく 災諫 猓 耆 腔 温 似せる⒒欠け へつらう降刃型 酔い頤を問う 丸い灰 災諫 狻?さっきの話をその学者、彼の話は私たちが仏教の精進料理を食べると、いくら大乗経典、小乗経典も話を食べない、衆生肉、明らかに彼は仏経に対しても見たことがない。
大乗経の話はとても明らかで、例えば菩薩戒に食べないと、衆生の肉を持って、同時に6斋日;小乗経典中、仏も教えてくれて、食べる3はいつも肉、食べる五純肉、当初は修行フレーム、口から欲張ってむさぼる口腹、肉は食べる習慣になった肉を食べない、心の中ではとても苦しくて、食べられなくて、1食事は魚肉、ご飯が食べられないと思って、魚は楽しくて、楽しみは、実は造業、同じの道理だから、仏はつけやすく、教えて三純肉を食べ。
何は3純肉?私達は肉を食べる時三条件、この3つの条件は、この肉が清浄で、何の罪もない。
第三個:他殺、殺さずに殺す、専門は自分で殺されたわけではない。
何を見て殺さないの?市場に行って買い物をして、多くの家庭の主婦、市場に行って買い物をして、見たばかりの鶏宰掉、新鮮、それを買って帰り、それが見見て殺し、殺し、慈悲の心を見捨てないで、食べた罪はされないので、私たちに会うを殺して、買うなら、死ぬの。
第二の自分が殺さない、他殺も言わない。
殺生を恐れて、人を殺して殺して、まだ同様に罪があるのではありません。
人という殺生、この心は悪辣で、自分はそこで左団扇で暮らす、人が罪を。
このようには殺してはない、しかし、他殺、そそのかしは共犯者で、同様に罪がある。
第三のは自分ではなく自分で殺すために。
自分が殺さないということは何ですか?例えば、親戚友人の家に行って、久しぶりにあなたを見ていないため、特に親切、特にあなたに斬れ鶏、このニワトリは食べられないことができます!どうしてですか?これは食べてから、悪を作った、あなたが行かなければ、この鶏は死なないので、鶏は食べられない。
私達は自分の生命を守ることをしたい、自分の健康のためには、完全に精進料理を食べて、最低でも食べて三純肉、最初はなく殺します;第2のは自殺しない、教えてくれない他殺;第3は殺さないと思う。
肉は食べ慣れて、ゆっくり善根は、慈悲心は、この三純肉、また最高境界、さらにさらに5純肉を食べる、何と5純肉と呼ばれる。
五純肉、具足の5つの条件を食べたこの肉は絶対にない苦労した。
さっき言った3つの条件以外に、もう2つ加えて、1つは死んで、自分で死んでまた病死して、あるいは死ぬ、あるいは人に触られて死んで、このすぐ食べることができます。
しかし現在一般人は、病死の食べて食べられない、死ぬのも食べられないという機会が少なくなりました。
もう一つ鳥の殘、鳥の殘って何か?山には獣、鳥は食べても、すぐに食べて食べて、この機会はまた少ない、ということで、完全に清浄になりました。