姫君の舆入れ[补全版本]

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美人鱼中日互译

美人鱼中日互译

人魚姫にんぎょひめ(アンデルセン童話)青あおい海の底そこに、人魚のお城しろがありました。

お城には、王様おうさまと六人の人魚姫が住んでいました。

月の明あかるい夜、十五歳になった、人魚姫が、海の上に顔かおを出しました。

海には、たくさんの明あかりをつけた白い船が浮うかんでいました。

王子様おうじさまの船です。

その日は、王子様の誕生日たんじょうびでした。

賑にぎやかな音楽おんがくや笑い声が聞こえます。

突然とつぜん、嵐あらしが船を襲おそい、王子様は海に落おちてしまいました。

人魚姫は王子様を助たすけて、浜辺はまべまで運はこびました。

すると、女の人が近づいて王子様を抱だき上あげたのです。

人魚姫は人間にんげんになって、王子様の傍そばにいたいと思いました。

そこで、魔女まじょのところへ行って、人間にしてほしいと頼たのみました。

すると、魔女は言ったのです。

「お前まえの美しい声を、私におくれ。

それから、もし王子様がほかの女と結婚すると、お前は海の泡あわになってしまうんだ。

それでも、いいのかい?」人魚姫は頷うなずきました。

人魚姫は、浜辺で人間になる薬くすりを飲むと、ぐっすり眠ねむってしまいました。

暫しばらくして、目が覚さめると、傍に、あの王子様が立っていたのです。

でも、人魚姫はもう声が出でないのです。

「きっと、何かわけがあるんだね。

暫しばらく僕ぼくのお城で休やすんでいきなさい。

」王子様は、そう言って、人魚姫をお城に、連つれていきました。

ある日、王子様が嬉うれしそうに言ったのです。

「僕は、結婚するんだ。

僕が海で溺おぼれた時、助けてくれた女の人とね。

その人は、隣となりの国のお姫様ひめさまだったんだよ。

」人魚姫は、「助けたのは私です。

」と叫さけびたかったのです。

でも、声を出だすことができません。

人魚姫は、ただ悲かなしそうに笑っただけでした。

とうとう、王子様の結婚式けっこんしきの日が来ました。

その夜、海にお姉さんたちが浮うかんできました。

「処女作」より前の処女作

「処女作」より前の処女作
続いてソヴェト同盟へ行った。そこで、三年生活した。勝利したプロレタリアートの社会生活は、日本の一人の女に、どう生き、どう書き、働き、どう死ぬべきかということを、実践で教えた。「貧しき人々の群」という大したネウチもない作品を思い出すのは、今こそ自分は少しはホントにプロレタリア、農民の役に立つものとなったという喜びのためだ。
母親がお嫁に来るとき持って来た小さい黒い机がうちに一つある。子供の多いやりくり最中の家庭だから、母親が自分でその机の前に坐ってる時なんかまるでない。いつも室の隅っこに放り出してある。
真岡浴衣に兵児帯姿の自分は、こっそりその机をかかえこみ、二畳の妙な小室へ引っこんだ。ツルツルの西洋紙を、何枚も菊半截ぐらいの大さに切って木炭紙へケシの花を自分で描いて表紙とし、桃色の布でとじた。そこへ、筆で毎日何か書いて行った。
自分の公認処女作は「貧しき人々の群」というので大正五年に『中央公論』に発表された。
福島の田舎におばあさんが独りで暮していた。小学校の一年ぐらいから夏休みになると、海老茶の袴をはいて、その頃は一つ駅でも五分も十分も停る三等列車にのって、窓枠でハンカチに包んだ氷をかいてはしゃぶりながら、その田舎へ出かけて行った。
今こそ、武器は一本のペンであろうとも、自分はそれをもって守るべき味方と正義と、闘うべき敵を、階級として実感しているんだ。
悲しい兄弟よ、じゃあない。
勇敢な闘士、兄弟姉妹よ! 今日は、なんだ。
その小説のズッと前に、誰も知らない、ほんとの処女作というのがある。
多分、小学校の六年生か、女学校の一年ぐらいの時だ。例によって夏休みというものがやって来た。
その時分、若く元気で、唱歌をうたいながら洗濯なんかしていた母親は、白髪《しらが》になっている。自分がその桃色の布でとじたものの話をし、

あるべき温泉の姿を求めて ~温泉地をきっかけとした温泉本 …

あるべき温泉の姿を求めて ~温泉地をきっかけとした温泉本 …
この原因として
温泉の価値をどのように扱ったかで 大きな差が生まれたのではないだろうか!?
2014/9/15 12
衰退要因
(事例:熱海・鬼怒川温泉)
①職場の慰安旅行ブーム期 大型ホテル・団体客向け施設(宴会場など)を提供 ②東武鉄道の開発【鬼怒川】 →鬼怒川温泉を営利目的として扱う
BUT!! ・時代背景の変化:高度経済成長→バブル崩壊へ ・ニーズの変化:団体旅行→個人旅行へ ブームに便乗し、設備投資やレジャーを最優先 要因 にした対応 2014/9/15
2014/9/15
高まる温泉人気 二極化する温泉地 躍進する温浴施設 サービス業化した温泉地・温浴施設の大罪 温泉地の存在 温泉や温泉地の持つ価値 温泉地の現状分析 改善策の提案
2
第3章 温泉の価値観を取り戻すために
おわりに
はじめに

『温泉大国ニッポン』で代表されるように、 温泉=世界に誇る日本の文化・歴史 BUT!! その豊富さゆえ、温泉は多様な姿に変えられ… 現在 温泉の持つ価値の軽視化 信頼の低下 etc…
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本当の あるべき温泉の姿である !! 塩原温泉が持つ療養効果や、
文化・自然環境を、 視覚と体験から実感することが可能
2014/9/15 (http://www.mmjp.or.jp/sirakaba/news/yuppo.htm) 23
②温泉重視の 動力泉利用型温泉地

温泉中心だが、湯量不足を補う為に動力 化された温泉も使用している温泉地
・・・例)湯布院、奥飛騨温泉郷、指宿温泉
今後も温泉資源を中心に続いていく事は 困難な為、改善の余地あり
2014/9/5 24
改 善 策
ヨーロッパ型の温泉地 【環境・飲泉】

六の宫の姫君 芥川龙之介 日文原版

六の宫の姫君   芥川龙之介   日文原版

六の宮の姫君芥川龍之介一六の宮の姫君の父は、古い宮腹みやばらの生れだつた。

が、時勢にも遅れ勝ちな、昔気質むかしかたぎの人だつたから、官も兵部大輔ひやうぶのたいふより昇らなかつた。

姫君はさう云ふ父母ちちははと一しよに、六の宮のほとりにある、木高こだかい屋形やかたに住まつてゐた。

六の宮の姫君と云ふのは、その土地の名前に拠よつたのだつた。

父母は姫君を寵愛ちようあいした。

しかしやはり昔風に、進んでは誰にもめあはせなかつた。

誰か云ひ寄る人があればと、心待ちに待つばかりだつた。

姫君も父母の教へ通り、つつましい朝夕を送つてゐた。

それは悲しみも知らないと同時に、喜びも知らない生涯だつた。

が、世間見ずの姫君は、格別不満も感じなかつた。

「父母さへ達者でゐてくれれば好い。

」――姫君はさう思つてゐた。

古い池に枝垂しだれた桜は、年毎に乏しい花を開いた。

その内に姫君も何時いつの間にか、大人寂おとなさびた美しさを具へ出した。

が、頼みに思つた父は、年頃酒を過ごした為に、突然故人になつてしまつた。

のみならず母も半年ほどの内に、返らない歎きを重ねた揚句、とうとう父の跡を追つて行つた。

姫君は悲しいと云ふよりも、途方に暮れずにはゐられなかつた。

実際ふところ子の姫君にはたつた一人の乳母うばの外に、たよるものは何もないのだつた。

乳母はけなげにも姫君の為に、骨身を惜まず働き続けた。

が、家に持ち伝へた螺鈿らでんの手筥てばこや白がねの香炉は、何時か一つづつ失はれて行つた。

と同時に召使ひの男女も、誰からか暇をとり始めた。

姫君にも暮らしの辛い事は、だんだんはつきりわかるやうになつた。

しかしそれをどうする事も、姫君の力には及ばなかつた。

姫君は寂しい屋形の対たいに、やはり昔と少しも変らず、琴を引いたり歌を詠よんだり、単調な遊びを繰返してゐた。

すると或秋の夕ぐれ、乳母は姫君の前へ出ると、考へ考へこんな事を云つた。

「甥をひの法師の頼みますには、丹波たんばの前司ぜんじなにがしの殿が、あなた様に会はせて頂きたいとか申して居るさうでございます。

话剧プリンセス

话剧プリンセス

プリンセス・プリンセスキャスト○シンデレラ○白雪姫○おやゆび姫○かぐや姫○おと姫○人魚姫○あかずきん○旁白おとぎ話や童話の中には、たくさんのお姫様(プリンセス)が登場します。

この物語は、そのプリンセスたちが一つのお話に参加します。

彼女たちはそれぞれ物語の主人公です。

つまり、この劇は全員が主人公なのです。

さてさて、プリンセスたちが目をさましたようです。

そっとようすをごらんください。

*幕が開く、七人のプリンセスたちは思い思いのポーズで止まっている。

プリンセスたちは、自分の物語の本を持っている。

*柱時計の音がなる。

幕が上がりきって、まずシンデレラが動き出す。

シンデレラふう・・・。

やっとこの本からぬけだせたわ。

あ~あ、たくさんの人が読んだから、この絵本ボロボロになっちゃった。

白雪姫あ~よく眠ったわぁ。

魔法使いのおばあさんがくれた毒リンゴって最高の睡眠薬よね。

あら?シンデレラ。

あなたも絵本から抜け出してきたの?シンデレラおはよう白雪姫。

同じ物語の世界だけじゃ、なんだかあきちゃうんだもん。

*おやゆび姫動き出す。

おやゆび姫まぁ、お久しぶり。

どう?調子は?白雪姫そういうあなたは?・・・・・おやゆび姫さん?おやゆび姫そうよ。

かわいいかわいいおやゆび姫!シンデレラ白雪姫で・・・・でかすぎるわ!おやゆび姫!おやゆび姫気にしない気にしない!シンデレラ白雪姫そ・・・そうね。

気にしない気にしない。

*かぐや姫が動き出す。

三人に気がついて。

かぐや姫そちたちは、何者じゃ?わらわはかぐや姫・・・・。

おやゆび姫あら、かぐや姫さんね。

いらっしゃい。

あなたも絵本からぬけだしてきたの?かぐや姫そう。

竹取物語という日本の昔話からぬけでてきたのじゃ。

月の世界はたいくつでかなわん。

うさぎはもちばかりついて、ちっとも遊んでくれない。

シンデレラつ・・・月の世界って・・・・もしかして、白雪姫かぐや姫さんって・・・・おやゆび姫う・・・宇宙人・・・?かぐや姫なにをおっしゃいます。

《雨粒人鱼姫》Queen of Wand版歌词完整版下载打印

《雨粒人鱼姫》Queen of Wand版歌词完整版下载打印

雨粒人魚姫Arrangement:小狐丸Lyrics:睦鬼Vocal:睦鬼窓を叩く雨音でふと目を覚ましたら水の中にいるようなまだ明け方のブルーどこか噛み合わない歯車錆びた言い訳海の底でもがいてる重い鉛の鱗そうだあの日全てを捨てても欲しかった何を引き換えに差し出したって痛む足を引き摺り貴方に駆け寄ったきっと私は、まるで人魚姫分けて欲しいその愛しさを静かに寄り添うから海に浮かぶ月を揺らすように優しい歌を歌っていて青い傘は水槽みたい閉じ込められた魚たちは泳げない息も出来ずに浮かぶそうだあの日全てを失って気づいた何も叶えられないとしたなら貴方の血を浴びて海へと帰ればいいだけど私は、ここを動けない眩しくて目を逸らしたのはありふれた恋だから濡れた足は何処にも向かえずにただ震えているだけなのに分けて欲しいその愛しさを静かに寄り添うから海に浮かぶ船を沈めるように嗚呼、降り注げはいい涙はやがて泡に溶けて光の粒と成ってあの空へと昇って行けるからもう貴方を忘れられるの雨滴拍打窗户的声响唤醒了我看到的是仿佛置身水中并不清明的蓝色在某处尚未咬合的生锈齿轮尘封着辩白挣扎着掉落于海底的鳞片失去了光泽没错那一日我曾想放弃一切又是拿什么当做代价献出了呢带着双腿的疼痛向你跑过去我一定就像那人鱼公主一样想平淡的与你彼此依偎共享同一份爱月光倾泻在海上微微荡漾唱着柔和的歌碧色的伞像水槽一样被封了起来鱼儿们无法游动气息断绝浮上水面没错那一日我发现失去了全部落幕的曾经终是南柯一梦这样的话只要沐浴着你的血回到海里就好可是我却留在原地寸步难行一道闪耀的光芒刺痛了双眼便是这满载的恋情浸湿的双腿该去往何处唯有不断颤抖摇摇欲坠想平淡的与你彼此依偎共享同一份爱船漂浮在海面却像要沉入水中眼泪渐渐融化渗进光芒之中沦为尘粒朝着那片天空飞扬而去那样就可以忘掉你了吗。

姬狩end一览+迷宫进入条件

姬狩end一览+迷宫进入条件

END一覧8章までは一本道。

08-02クリア時点で以下の条件を満たしたルートへ入る。

次のいずれかの場合、イベント「終焉の始まりへ」が発生し、条件を満たしたルートおよびBADルートを選択できる。

∙2つ以上のルート条件を同時に満たしている∙使い魔ルートの条件のみを満たしており、かつ使い魔の現在の体型の育成1-3を見ているどのルートの条件も満たしていない場合は暫定的にハーレムルートに入るが、最後にBADENDとなる。

ルート条件使い魔成長25以上シルフィーヌ01-E2で「水鳥草」を渡す(合成で作成)02-06で「清浄草」を入手し、渡す03-05を占有率100%でクリアし、花を置く(花は任意)04-E1で「正直に話す」シルフィーヌ、エステル、ネリー、ティオファニアを捕獲せず解放性格0以上エステルエステルを捕獲せず解放ネリー、ティオファニアを捕獲(捕獲後洗脳・性魔術・生贄可)性格-20以下幼馴染01-04をクリア03-02でコレットを救出し、配下にする06-01でコレットが5ポイント以上で勝利か引き分け、もしくはブリジットが5ポイント以上で勝利※06-01で「手作りの髪飾り」「魔族姫の髪飾り」入手が必要かも(未確認)コレットとブリジットが配下ファム02-01でファムを配下にする02-05をクリアファムが配下ハーレムコレットとブリジットが配下シルフィーヌ、サスーヌ、ヴィダル、エステル、ネリー、ティオファニア、ファムが捕獲or洗脳状態(配下・性魔術・生贄・解放不可)性格-20以下ENDは以下の15種類。

使い魔・少女・CHAOS 使い魔ルートで使い魔が少女・CHAOS使い魔・少女・LAW 使い魔ルートで使い魔が少女・LAW使い魔・思春期・CHAOS 使い魔ルートで使い魔が思春期・CHAOS使い魔・思春期・LAW 使い魔ルートで使い魔が思春期・LAW使い魔・成人・CHAOS 使い魔ルートで使い魔が成人・CHAOS使い魔・成人・LAW 使い魔ルートで使い魔が成人・LAWコレット幼馴染ルート09-02クリア時に選択。

凉宫ハルヒの剧场

凉宫ハルヒの剧场

涼宮ハルヒの憂鬱ハルヒ劇場谷川流-------------------------------------------------------【テキスト中に現れる記号について】《》:ルビ(例)僭越《せんえつ》|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号(例)ある程度|目処《めど》を[#]:入力者注主に外字の説明や、傍点の位置の指定(例)[#改ページ]-------------------------------------------------------<img src="img/G1_002.jpg">ほとほと呆れかえることに俺には現状がさっぱり理解できなかった。

普通の感性を持っている人間ならば、きっと今の俺の立場と脱力感にシンパシーを覚えてくれることだろう。

そしてともにこう言ってくれるに違いない。

「なんだ、これ」「何か言った?」俺の隣でハルヒが場に似つかわしくないスマ゗ルを浮かべている。

凶悪なまでに嬉しそうな、常識を一切無視して突っ走ろうとしているときの笑みである。

こいつがこんな笑顔になったが最後、俺たちはどこまでもこの無軌道な女に付き合って行くところまで行ってしまわねばならないのである。

乗った電車の付き先が生徒指導室とか予備校の浪人生クラスとかになっていないことを祈るしか手だてはない。

だが、まあ今は祈っている場合でもなさそうで、「何も言ってねえよ。

というか、しばらく何も言いたくない」俺のコメントはこれだけだ。

「あっそ。

じゃ黙ってなさい。

ここはあたしに任せて、あんたは脇役になってればいいわ。

こういう交渉ごとにあんたは向いてないからね」こいつに俺の向き不向き及び進路を勝手に決定されたくはないが、とりあえず俺は口を貝にすることにした。

確かに誰に何を言えばいいのか解らんし、下手に適当なセリフを口にして事態を悪化させることだけは避けたいと思ったからで、しかし誰だっていきなりこんな所で突っ立っている自分を見つけれぱ、俺と岡じような心境に陥るだろう。

Sound Horizon-蔷薇の塔で眠る姫君

Sound Horizon-蔷薇の塔で眠る姫君
[04:32.86]部屋の中/在房內
[04:34.83]獨り/有一個
[04:36.88]老婆が麻を紡いでいた/老婆婆在紡麻線
[04:40.88]
[04:41.30]こんにちは/你好
[04:42.52]お婆さん。/老婆婆。
[04:44.39]ここで何してるの?/你在這里做什么呢?
[04:47.24]
[00:20.01]
[00:28.24]薔薇の塔/在薔薇塔里
[00:29.41]眠る姫君/沉睡的公主
[00:30.53]君は何故、この境界を越えてしまったのか。/你為何,越過了這個界限呢
[00:ห้องสมุดไป่ตู้3.73]
[00:34.06]さぁ、唄ってごらん。/…來,唱給我聽聽吧
[00:35.76]
[02:57.03]死ぬがいい!/然后死掉!
[02:58.49]
[02:58.98]いいえ―/不—!
[02:59.66]
[02:59.69]《十三人目の賢女》<アルテローゼ>よ/第十三個仙女<阿勒特 露絲=Alte Rose>
[03:00.55]不吉な言の葉。退けよう。/我要抵消你那不吉的預言。
[03:03.95]百年。死んだと見せて/此前她會看起來像死了一樣
[03:06.63]寢臺の上/躺在床上
[03:07.66]唯/但她只是
[03:08.88]眠るだけ!/沉睡!
[03:10.00]
[03:10.31]ならば、どちらの力が
[03:11.27]這樣的話,哪一邊的力量
[03:11.80]
[06:49.08]愛しい姫のもとへ/前往那可愛公主的身邊

処女はお姉さまに恋してる 樱の园のエトワール (青空文库txt形式

処女はお姉さまに恋してる 樱の园のエトワール (青空文库txt形式

処女《おとめ》は|お姉さま《ぼく》に恋してる櫻の園のエトワール嵩夜あや-------------------------------------------------------【テキスト中に現れる記号について】《》:ルビ|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号(例)処女《おとめ》は|お姉さま《ぼく》に恋してる[#]:入力者注主に外字の説明や、傍点の位置の指定(例)[#改ページ]-------------------------------------------------------少し控えめな日差しが桜並木を縫って湿った石畳を優しく照らしている。

昨夜の雨に濡れた桜の若葉が雫をきらきらと光らせながら、鮮やかな緑色を透かして揺れている…校舎までの短い桜並木に、少女達の黄色い笑い声と軽い靴音が弾むように響いている。

その光景は、とても清純で美しく、清々しい。

ここは、恵泉女学院――。

明治十九年に創設された由緒ある女学院。

日本の近代化にあわせ、女性にもふさわしい教養を学ぶ場が必要だ、という理念に基づいて創立される。

英国のパブリックスクールを原型として、基督教的なシステムを取り入れた教育様式は現在まで連綿と受け継がれている、いわゆる『お嬢さま学校』である。

戦後再建時に幼稚園から女子短期大学までの一貫教育施設となるが、その基本的なスタ゗ルは現在も変わらない。

モットーは慈悲と寛容。

年間行事には奉仕活動や基督《キリスト》教礼拝など、宗教色も色濃い。

それに加えて日本的な礼節.情緒教育も行われているため、普通の義務教育機関とはいささか趣が異なる点が多い。

生徒の自主性を尊重するため服装規定等校則もゆるいが、徹底した情操教育によるものか、生徒内自治がある程度効果を上げており、大幅な校則違反はほぼ見受けられることはない。

それだけに、若干世間から隔絶した感もある。

あの錚々《そうそう》たるメンバーを送り出した春から、早八ヶ月。

冬期湛水(ふゆみずたんぼ)による人と水鸟との共生Ⅰ: 宫 …

冬期湛水(ふゆみずたんぼ)による人と水鸟との共生Ⅰ: 宫 …

印旛沼流域水循環健全化調査研究報告1 : # #-# # . Nov. 2011冬期湛水(ふゆみずたんぼ)による人と水鳥との共生Ⅰ: 宮城県・大崎市田尻地区内「蕪栗沼の奇跡」荒尾 稔日本雁を保護する会・里山シンポジウム実行委員会 〒113-0021東京都文京区本駒込4-38-1冨士ビル2Fトータルメディア研究所要 旨1993年度の大冷害は宮城県・旧田尻町の米作農家でも収量が平年作の30%台という壊滅的な損害を被った.しかし不耕起移植栽培はその状況下でも平年作を保った.その農業手法に現場農業者が奮起し,その導入と研究を促進した.旧田尻町は蕪栗沼を中心にグリーンツーリズムや農業者との独自の「食害条例」の制定などにより農家や地域の方々とガン類との共生を果たした.増加するガン類の越冬地として環境に関心のある観光客誘致など,新たなまちづくり運動に発展した.1997年旧田尻町の蕪栗沼は約100haの遊水池として,1.5mの掘り下げが予定されたが,その計画は中止され,かわりに隣接し休耕されていた白鳥地区50haの水田を湿地に戻すことで蕪栗沼が150haに拡大され,保全策と市民による水位の責任管理体制の確立もあって大規模なガン類の越冬地が形成された.この施策が1998年に冬期湛水(ふゆみずたんぼ)の発見に結びついた.そこにハクチョウ類やガン類が渡来し,無施肥化の成果とともに抑草効果が見出された.このような状況の基に農家同士が競いあい,成果が共有され,さらに研究と評価実証や疑問点を農業者や市民や「日本雁を保護する会」,町も県も国も,専門研究機関も大学も一体となって活動した.毎年冬の勉強会で最新情報を参加者同士が共有し,稲作の現場での農家と研究者が情報を共有し技術向上に反映させた.2006年11月に蕪栗沼は大崎市田尻地区の水田とともに,国際的に重要な湿地の保全と賢明な利用を目指すラムサール条約湿地に登録をされた.蕪栗沼からはじまった冬期湛水(ふゆみずたんぼ)は,本質的な農法改善の先行事例となった.また農業者と市民・NPOや研究者は,先行した研究の強みと実績が社会貢献面で,また支援参加企業も生物多様性への貢献で共に高い評価を受けた.キーワード:蕪栗沼,冬期湛水(ふゆみずたんぼ),マガン,ハクチョウ,まちづくり,共生,ラムサール条約,不耕起移植栽培1.はじめに通常の慣行農法ではほとんどの場合冬の間は水の無い乾田となる.この乾田に冬水を張る「冬期湛水」の水田は「ふゆみずたんぼ」,さらに「たふゆみず」などとも呼ばれる.夏の中乾(なかぼし)をしない湛水を「なつみずたんぼ」と呼ぶこともある.「冬期湛水(ふゆみずたんぼ)」については,元禄時代の1684年会津幕内村の佐瀬与次右衛門によって「会津農書」に書かれ,江戸時代には,「田・冬・水」という名称で高く評価されてきた農業技術でもあった(岩渕,2007).しかし,農業の近代化は,この技術を忘れさせてしまっていた.現在,水田稲作農法の一つとして確立しつつある「冬期湛水(ふゆみずたんぼ)」であるが,その農法は,たまたま偶然の積み重ねで,宮城県大崎市田尻地区(旧田尻町)で見出された.このことは「田・冬・水」という江戸時代の農法が現代によみがえった経過でもある.「冬期湛水(ふゆみずたんぼ)」の水田は,原生動物からイトミミズ,メダカ,カエルなど多様な生物が爆発的に増加することが確認され,生物多様性を高める環境配慮型農法である.これは生物多様性が資源を生み出す力を最大限活かし,無肥料で米を栽培する方法であり,また雑草の抑制効果も知られている.農法としての冬期湛水(ふゆみずたんぼ)の展開は,生物多様性がもたらす環境が,あらためて活用するべき地域資源として再評価され,水鳥とイネと人とが共生する場とされる.(岩渕ほか,2007) 本報では,「冬期湛水(ふゆみずたんぼ)」を見出すまでの経過,そして人と水鳥とのかかわりに着目しながら,その生物多様性を高める機能と地域の活性化についてまとめた.2.きっかけは歴史的な1993年度の大冷害1993年は,日本中の稲作が記録的な大冷害に襲われた年であった.宮城県旧田尻町でも,稲作収量が平年作の3割を切る壊滅的な大冷害に遭遇した.しかし,その中でも不耕起移植栽培農法の稲作がほぼ平年作を保つことができた.冷害に強いという事実を知った当時の田尻町の町長の峯浦耘蔵さんは,日本不耕起栽培普及会の会長で,その開発者の岩澤信夫さんを旧田尻町に招き,1994年から1995年にかけ何度か地元の主だった自営水田耕作者の方々と,不耕起移植栽培に関する講習会を実施した.参加者にはその後のキーマンとなる千葉俊郎さんや小野寺實彦さんも参加された.この不耕起移植栽培普及のための講習会の過程で.当時の峯浦町長は岩澤信夫さんを町内くまなく案内した.町長は,当時話題であったグリーンツーリズムの事でも熱心であり,東北一の大音楽堂や「ロマン館」という交流施設づくりに町長として関わっていた.この地方は厳寒の地であり冬期には訪問客が絶えることへの対策から,たまたま「ロマン館」などへの集客手段をどうするかの話になった.その折に岩澤信夫さんは,10kmほど離れた伊豆沼から蕪栗沼周辺に飛来するマガンの大群が,田んぼに蝟集する風景を体験しそれに感銘し,「いっそ冬季は人よりもマガンを蕪栗沼にねぐらとして利用できるようにして招いたらどうか」と言った.さらに「蕪栗沼にねぐらができれば,マガンの“ねぐら入り”などを見るため都会からたくさん人が来るのではないか」とも話した.当時,蕪栗沼では少数のマガンしかねぐらとして使っていなかったという.この岩澤さんの「人より先にマガンの集客を行うべき」というまさに逆転の発想に,町長は目を丸くしながらも,その着眼に感銘し,本気になってその企画を展開したことが,ことの始まりであった.3.大型水田とマガン蕪栗沼周辺は,遠田,栗原,登米郡の三郡にまたがる800町歩の湿地環境で,長年干拓が進められていた.蕪栗沼はその最後に残された自然湿地である.そのことを承知していた町長は,当時からこの蕪栗沼の自然湿地の保全と多面的な活用策を考えていた.その背景として,米作農業一本の純農村として,米作りが町の第一の収入源であったことがあげられる.それと組み合わせる形で,交流施設やレストラン,宿泊もできる施設など観光産業への展開に強い関心を持ちグリーンツーリズムへのかかわりにもあたっていた.また当時は全国的にも,水田の圃場整備が盛んであった.しかし巨大な圃場はほとんど作られていなかったが,田尻地区では,1haもある四角な大型水田とする圃場整備が進行中であった.同時に農水省の予算を得て,江合川,成瀬川の上流域に2ヶ所に水田ダムを完成して,水資源が確保されていた.これは規模拡大による機械化農法のための圃場整備の推進基盤であった.マガンは,特に人との距離感が微妙とされ,水田の畔から一定の空間距離を求める.当時の圃場整備の0.3haのしかも細長い水田では整備規格が狭すぎるため,マガンは警戒して空から降りることはほとんどなかった.従って水田のような人工的な施設にねぐらを造るなどあり得ないとされていた.しかし偶然であったが,田尻町内にはそれより大きな1haもの水田が存在し,マガンでも餌場として利用できる人との距離が確保される環境が整備されつつあったのである.4.蕪栗沼周辺の湿地環境の危機1995年度は,蕪栗沼は国交省による北上川総合開発地域の遊水池として指定されていた.しかしこれはまた,その開発で最後まで工事が残された箇所でもあった.この開発の目的は,下流にある石巻市が県内で第2番目の規模を誇る都市であるが,河口が狭いこともあって,そのままだと,台風時に北上川が氾濫して,大洪水に襲われることが必至とされ,開発が施行されたという背景があった.1995年国交省によって最終的な北上川総合開発の説明会が開かれた.蕪栗沼全域が遊水池として指定されており,本来は深さ1.5mまで浚渫することで,その計画が終わることになっていた.町長も,これにより本州以南で最大級の自然湿地としての貴重な蕪栗沼も,開発によってだめになるのかと考えていた.しかし,洪水時の越流堤から流下する時間が不明のままとのことに気付き,そこから質問し,事業の進め方について正した.その結果,国交省側も調査データが十分でない状況で,町長の意向は無視できないと工事が延期された.1996年4月,結論が出ないままに,「年内にも工事完了」との,明らかに間違った新聞記事が出された.それに偶然気が付いた「日本雁を保護する会」の呉地正行会長が,蕪栗沼の底ざらいへの危惧と,増加するマガンのねぐら消滅を心配して,白鳥区長の千葉俊郎さんを初めて訪問し,地区の田んぼを水田に戻すことへの希望を伝えた.千葉さんは岩澤信夫さんから不耕起移植栽培に関しての指導を受けられた一人でもあり,峯浦さんからグリーンツーリズムの話も聞いておられたこともあって2人で相談し,申し出に賛同するとして協力を約束した.5.水田を自然の湿地に蕪栗沼に隣接した白鳥地区は,北上川の堤防の内側にあって,毎年のごとく大雨での水害に襲われ,損害を生じてきたためもあり,地域での減反政策地として,休耕されていた.蕪栗沼そのものは,遊水池として1.5m,100町歩の堀りさげ計画があったが,だんだんと陸地化しており,マガンの好む浅い水面の面積の減少を生じつつあった.この両面からの危機に対し,呉地正行さんが提案した案は蕪栗沼に隣接した休耕田約50haを蕪栗沼の湿地として復元するアイデアであった.白鳥地区の多くは国有地のまま農家に貸し出されている土地であった.その背景にあって,国交省はじめ関係する行政,町役場も,日本で始めての提案でありながらこれを受けとめ真摯に取り組んだ.それには遊水池機能に支障のない範囲で白鳥地区への常時湛水とその効果を市民側が独自調査で確認し,それを国交省側も認めたのであった.長い間の何度もの話し合いの結果,白鳥地区に関わる土地改良区,農業従事者,行政の方々と,日本雁を保護する会等が同一方向を見て,農家の方々も湿地の復元に同意した.1997年11月,大崎市・蕪栗沼に隣接する白鳥地区水田50haを浅い水を張った湿地に戻すことが決定した(呉地,2007).1998年春より遊水池機能に支障のない範囲で白鳥地区への常時湛水が行われ,その結果,蕪栗沼は100haから150haへと拡大し,マガンを始め蕪栗沼の水鳥の飛来はさらに増加した(表1,図1).この先進的取組は蕪栗沼を水鳥の一大飛来地として全国的に有名なものとした(図2).6.冬期湛水(ふゆみずたんぼ)を見出した経過蕪栗沼の白鳥地区の湿地復元と復元後のマガンの渡来激増という結果などから,水田を湛水し条件を整えることで,蕪栗沼だけでなく,全国各地へマガンの新たなねぐら箇所形成に結びつくだろうということを日本雁を保護する会は発案した.この発案を試行するため会員の岩渕成紀さんなどが,1998年秋にたまたま一番早く,圃場で1ha圃場工事の終った不耕起移植栽培農家の小野寺實彦さんに働きかけ,水を張ってもらった.その結果,その農家の田んぼには,翌日からは最大250羽以上のオオハクチョウが飛来し,1ヶ月後にはマガンまでその個所に飛来し始めた.そこで岩淵さんはこのことを「冬期湛水」と名付けた(岩渕ほか,2007) .蕪栗沼周辺の冬期湛水水田への水鳥飛来の発見で,特に大事なことはハクチョウ類がいち早く反応したことにある.不耕起移植栽培水田であっても,冬期間の乾田のままでは見向きもされなかった小野寺さんの田んぼにハクチョウ類が多数舞い降りる現象が生じたのである.ハクチョウ類は明らかに好んで「冬期湛水(ふゆみずたんぼ)」された田んぼを餌場として,休憩地とし,さらにねぐらとしても利用することがわかった.1998年5月,やはり偶然だろうが不耕起移植栽培表1.蕪栗沼での種別個体数変化(環境省「カンガモ類の生息調査」に基づく)図1.蕪栗沼のマガン個体数の変化.(環境省「カンガモ類の生息調査」に基づく)(羽)の指導で小野寺さんの農場を訪問した岩澤信夫さんは,「水張り水田には何故雑草が出ないのか」という小野寺實彦さんの質問を受け,その実態調査と原因究明が始まった.小野寺さんから同様の質問を受けた岩渕成紀さんとは「田んぼの生きもの調査」を介して意見交換し.岩澤さんは田んぼの底泥調査をすることになった.そこで全国の不耕起移植栽培会員に調査と協力を依頼すると同時に,大学や研究所などの今までの大量な論文を検索したがこれに関係する調査はほとんど見当たらなかった.しかし偶然にも,翌月の1998年6月刊行された本で,イトミミズの施肥効果及び抑草効果に深く関わっているらしいことをみいだした(栗原,1998).その結果,両者がともに一斉に調査と解析を始めたところ,冬の期間に田んぼに水を張った個所では10aあたり換算でイトミミズが多いところで2,000万匹を優に超す数がいるという事が分かり驚かされた.冬期に水を張ることとイトミミズとの関係が俄然注目された冬期湛水(ふゆみずたんぼ)である.生物の生産力の凄さと大切さを根底とする岩澤信夫さんの哲学を,真摯に,先駆的自営農業者の方々が受入れ学んだ.そのことと,冬の期間に水を張ってみるという,ガン類のねぐらを形成できるのでないかという,日本雁を保護する会のアイデアが,冬期湛水(ふゆみずたんぼ)の中でイトミミズの増大と同時に,抑草効果というという思わぬ結果を引出し,この2つの機能を連動させたらどうなるのかという観点が急浮上した.渡り鳥の保全活動が,結果として農業改善と地域おこし人づくりと新たな農業技術の可能性を引き出せる流れができ,それに関わる方々の純粋かつ真剣にチャレンジする姿があった.7.冬期湛水(ふゆみずたんぼ)は未知の世界1993年の大冷害を機会に純農村で,自営農家同士が,稲作技術に不耕起移植栽培技術を融合させ,さらに冬期湛水(ふゆみずたんぼ)農法として試行を開始した.また秋の刈り入れを待って,その成果を農図2.蕪栗沼の白鳥地区から湿地に戻された箇所業者同士,そして研究者や行政,市民団体が一緒になって多面的に共同学習し,1年単位で成果を競い合いあった.農業従事者の熱意と活動力に,新たな水田耕作の可能性を感じ取り,国や県,研究所や大学などの農業専門家集団も本気になって猛然に研究を始めた.またこの農法を,旧田尻町も県や国の行政担当者も,さらに地域の若者たちも触発され,多くの若者が地元で新たに水田耕作にチャレンジを始めるという成果を生んだ.水田耕作という観点だけでなく,並行してグリーンツーリズムの面からも日本雁を保護する会などからの呼びかけもあって,全国から多数の環境にかかわる研究者や大学,NPOの多様な経歴の人たちが蕪栗沼の保全にかかわり出していった.1995年に町長を退いていた峯浦さんも参加し,さらに旧田尻町役場の農水産課や県の研究機関の方々,土地改良区の方々も加わって,農家や研究家や学者の人たちとの連携による勉強会が始まった.この未知の分野の冬期湛水(ふゆみずたんぼ)に対して,それぞれの職域や学問的領域を超えて新たな自己の問題,さらに実業としても真剣に取り組む方々が増え,いろいろな角度からの挑戦が始まった.農家同士が競いあい,成果が共有され,さらに研究と評価実証や疑問点を農業者や市民や「日本雁を保護する会」,町も県も国も,専門研究機関も大学も一体となって活動した.毎年冬の勉強会で最新情報を参加者同士が共有した.稲作の水田現場での農家と研究者が情報を共有し技術向上に反映させた.日本雁を保護する会の呉地さんや岩淵さんが中心となって,真冬に開催されるシンポジウムなどでは,さらに一般町民やNPO団体や大学,行政や農業従事者や地域のレストランやハム製造会社など企業経営者も渾然一体となって.まさに融合した形で実施されるようになった.不耕起移植栽培農業の実践をはじめた現場の農家の方々までも,共同研究を繰り返しその成果を毎年共同して報告をしつつ技術と情報を積み重ねていった.この手法は,研究と実証が,いずれも農業の田んぼの中という現場で多様な方々が関わりあって行なわれ,各方面からの研究成果が,フオーラムやシンポジウムの形式で毎年1月,2月に田尻町で全町的な規模で2日間~3日間をかけてなされた.その中で恒例として,町内の「ロマン館」に宿泊しながら昼間フオーラムなどで報告したことなどをテーマにして遠慮や分け隔てのない議論が徹夜で行なわれ.その意見交換の中で,それぞれの方々が次年度の研究テーマを見出し,分担を決めて解散するという方法論を生み出した.私は,1999年より日本雁を保護する会の会員として参加して.ホームページ上で関連資料をデータベース構築として,かつアーカイブスとして保存を行いその経過を記録した.その経過で冬期湛水(ふゆみずたんぼ)を,産・官・学が一緒になって行われた施策例としては.12軒の農業者も参加しての共同調査が,蕪栗沼に隣接した田尻伸萠地区の農地を対象に行われた(伊藤,2006).さらに環境を大事に考える企業群までが加わり,冬期湛水(ふゆみずたんぼ)から発信する新たな社会への横断的な情報の発信とその情報を共有する集団が構築された.8.グり-ンツーリズムと水鳥の保全の観点から日本雁を保護する会のメンバーも加わり,各分野での意見発表を摺合せしながら,何度も地域の方々と語らって「マガンの蕪栗沼」を軸とする地域の活性化の動きがでてきた.峯浦さんは「国際田園研究所」を立ち上げられた直後でもあった.町長在任中に20年間,毎年町内の若者10名を選抜して,費用の半額補助をして,欧州に農業留学をさせてきた.その経験を積んだ地域の若手も蕪栗沼の保全再生活動と,冬期湛水(ふゆみずたんぼ)の調査や活動に,さらに自ら冬期湛水(ふゆみずたんぼ)での農業に参入など積極的に参加した.マガンという野生の水鳥を中心にして,そのねぐら造りを地域計画の中核に据えてみるという考え方が革新的で,色々な方々の智慧や協力,アイデアも広がり出した.毎年12月~2月には,「日本雁を保護する会」をはじめ,当初はグリーンツーリズムという観点での活動をしていた「蕪栗沼ぬまっこクラブ」をはじめ多様な市民活動団体が関わりだし,それらが毎年,フォーラムやシンポジウムを開催しながら相互に密接に連携をはじめた.そしてマガンの増加に伴う,稲作への加害などを心配する農家の方々とのやり取りなどを通じて,「蕪栗沼食害条例」も制定された.マガンを呼び寄せるという当初の企画が結果とし毎年毎年.日本全国からだけでなく各国からもたくさんのお客さんが研究目的,観光目的をもって田尻町を訪ねるというグリ-ンツーリズムの目的にもかない,一気に全国的も名前が知れ渡って訪問客が増加した.まさに冬期湛水(ふゆみずたんぼ)は多様な人と生命をつなぐ魔法のことばとなっていったのである.そうしてマガンをはじめとして蕪栗沼及びその周辺への水鳥の渡来は年々目に見えて増えていった.田尻町というコンパクトな町の単位を中心にして,総合的な施策積み上げの結果として,同時に水田耕作というこの町の仕事の根幹からの町の振興の再構築と連携が,長期的に冬期湛水(ふゆみずたんぼ)の具体的成果に結びついたといえる.何よりもグリーンツーリズムを機会に,マガンを人より先に招致しようという逆転の発想があって,蕪栗沼が地域にとって特別の存在になって,ねぐらとするガン類をも合わせ地域の誇りと思う心が芽生えている.その中心人物である農業生産の面,渡り鳥の保全の面,グリーンツーリズムからの面,さらに子供の教育の面からも,まさに当時,そして現在でも考えられないような冬期湛水(ふゆみずたんぼ)がもたらす可能性に関し,地域の方々の意識の中に蕪栗沼やガン類の存在が明るい輝きとして感じられていったと思う.9.人と水鳥とが共生するまち現在,蕪栗沼周辺には,冬の期間7万~10万羽に達する水鳥が飛来し,まさに市民と共生して生活している.この状況に関して市民がどのような感情を抱いているかが知りたいところである.総和として「何も気にしていない.お互いに無視しあって生活をしている」という事のようである.マガンが増えだす1998年ころに育った子供たちは,ある面でマガンがいるのが当たり前として育っていて,特別マガンを意識しないというまさに理想的な共生の状態になっていると思う.蕪栗沼や伊豆沼で越冬するマガンなどガン類は,早朝ねぐらから一斉に飛び出し午前中には一度ねぐらに戻って,その多くは午後に2回目の飛び立ちで10㌔県内の田んぼで小さな群れ単位で舞い降りて,落穂を食べつくす(図3).その群れの輪は段々と大きく広がって,11月中旬ごろには,伊豆沼をねぐらとする群れは新幹線の「くりこま高原駅」周辺まで拡大し,次いで栗原市若柳地区まで行く(図4).蕪栗沼をねぐらとする群れは大崎市田尻地区の町内にも広がる.秋10月に渡来した後,毎年毎年どんどん人々の生活圏に入り込み,丸い輪が街中を通り過ぎる.当然ながら,マガンと人との接近が頻発する.そこでは,お互いに干渉せず無視しあう関係も大事なこととなっている.新幹線の「くりこま高原」駅の上空を大群で飛び回り,駅の駐車所の前や公道沿いの水田にたくさんのマガンが降りて採餌している光景を身近に体験できる時期もある.ガン類は主要な餌として,10月半ばからシベリアなどからの渡来直後は,主として田んぼの落穂を食べているが,12月を過ぎるとほぼ食べつくしてしまう(図5).その後は,これも偶然というか,米の転作として奨励されている大豆の収穫が終わった田んぼで,落穂ならぬ落ち大豆を主食とする.高蛋白・高カロリーの餌が確保できて,田んぼに落ちた大豆は,マガンにとっては大事な餌資源となっている.10.農業技術の再構築と環境に配慮した農法冬期湛水(ふゆみずたんぼ)は,大冷害という自然からの厳しいメッセージを受けて,自営農業者の方々の取り組みが,農業の構造改善に結びついた先行事例となっている.さらに,これにより水田の生み出す価値を再認識する機会を得た研究者を中心にして環境省・農林水産省・国交省などの若手を中心にして行政組織でも勉強のためとして参加者が増えた.環境省だけでなく,農林水産省や国土交通省なども含めて,縦割りの垣根を超えて一緒の場で議論を交わしたことは,さらに大きな意味を持つ.そして,同時にこの運動が,根幹的な水田農業に図3.水田に舞い降り落穂を食すマガン(大崎市若柳町) おける構造改善の一つのモデルとして成立した意義はとても大きい.そこには,さらに環境を大事に考える企業群までが加わり,冬期湛水(ふゆみずたんぼ)から発信する新たな社会への横断的な情報の共有集団を構築した.それらの活動を環境重視の大手流通企業や食品チエーン店などが高く評価し,「ふゆみずたんぼ米」として一括して高価格での購入を推進し,ふゆみずたんぼ関連ブランドとして,当初より参加した農家グループを支援してきている.その結果として,大手図4.JR くりこま高原駅前の田んぼのマガン がまとまって集中発注による支援を開始した段階から,冒険的に積極的に参画した少数の自立農業者は,さらに地域の有力農家として着実に規模の拡大を果たしている.図5.蕪栗沼・伊豆周辺での人と水鳥の共生のイメージ(撮影:呉地正行)この取り組みが,農業での構造改善に直結し,結果として相対的に経営上での優位性をもたらしていると考えられる.従って冬期湛水(ふゆみずたんぼ)は企業経営の観点からも重視すべき要素となったと言えそうである.参画された方々が農業面で成功し,研究者や団体がそれぞれの分野の研究面で先行し,社会貢献面でも卓越した業績評価を受け,参加企業でも生物多様性への貢献により社会的優位性の確保に成功しているのである.11.ラムサール条約登録湿地2002年には,南米コスタリカで開催されたラムサール条約COP8において,蕪栗沼の登録に関して旧田尻町役場及び農家,そして市民などを交えて地域が一丸となってコスタリカにて意見発表を行った.2005年ウガンダで開催されたラムサール条約COP 9において,宮城県北部・大崎市田尻地区にある蕪栗沼はその周辺水田とともに,国際的に重要な湿地の保全と賢明な利用を目指すラムサール条約の1545番目の湿地に登録をされ,蕪栗沼とその周辺水田を従来の沼内だけでなく周辺の水田をもラムサール条約湿地の対象に加えることに成功した(呉地,2007) .2010年10月の生物多様性条約第10回締結国会議(CBD-COP10)で,蕪栗沼を登録モデルとして,さらに,生物多様性条約の中に,水田が人工的な湿地として重要な価値があるという事を「人工的な水田湿地」として,そのありようを条約に加えるように日本国政府を動かして提出し,その批准に成功をおさめた.現在はさらに次の段階へ進捗中である.12.冬期湛水(ふゆみずたんぼ)と不耕起移植栽培1)慣行農法慣行農法は,化学物質(農薬や肥料など)の大量な散布によって支えられる農法である.基本として,冬の期間は乾土効果を得るためとして乾田化をする.「冬期湛水(ふゆみずたんぼ)」と対比して,工業的な水田耕作手法として,国が推奨している農法でもある.従来の農薬や肥料等は,化学素材を基盤として開発された.それらは地球上で産み出された天然素材というより,化学合成によって人工的に産み出された素材である.その組成からして,企業が始めから終わりまで関わり,そこでは研究開発製造のために大量の雇用を生じ,かつ大量生産・大量販売と,その結果としてコストダウンで,日本に於いても化学製品の素材が農業の分野でも市場を独占する素地の一つとなった.さらに慣行農法は人の労働力を最小限にとどめ効率を上げるという考え方であり,国の1960年代後半からの高度経済成長路線で,農業から鉱工業へ人的移動を促す対策として化学肥料や農薬使用が奨励されはじめ,その流れで現代に至っている.従来型の慣行農法という工業的農法をひた走ってしまった日本の農業については,新たな生物資源による農法への誘導が必要となっている.これには技術体系の基幹部分の大きな変化も重要課題である(嶺田ほか,2008).稲作水田農業についても米の生産性だけを高める「工業化」農法では,安心安全な持続可能な食糧の供給は困難とされる.2)冬期湛水(ふゆみずたんぼ)冬期湛水(ふゆみずたんぼ)は,その水田からの生態系サービスとして,原生動物や植物の膨大な発生が,化学肥料にまけず劣らないだけの自然からの肥料を供給し得ることが分かった.(岩澤,2010).膨大な数のイトミミズは土内から植物が吸収しやすい形で栄養資源を排出する.また,田んぼの外部から飛来するハクチョウやガン類が,糞などでリンなどの栄養資源を供給する(小林ほか,2003).逆に,現状では毎年累積していく養分を,どのように制限するかの方法の研究が大きな課題となっている(岩澤,2010).「冬期湛水(ふゆみずたんぼ)」は,生物多様性のまさに生態系サービスによって,短時間で命をつなぐイトミミズやメダカ,さらに光合成作用に特に優れているとされる「サヤミドロ」,そして光合成細菌の大量発生が,大量の酸素を水田内に供給する仕組みを利用するまさに生物資源を農業基盤とする方式である.資源の基礎となる生物の素材としての生きものの大量発生と,それが資源として担保された結果として,水田の中の生物多様性が著しく活性化し,その基礎素材をベースにする生成物の蓄積が栄養源となって,無肥料・無施肥による完全循環型農法としての冬期湛水(ふゆみずたんぼ)を定着させる.「冬期湛水(ふゆみずたんぼ)」は,イトミミズだけで10a あたり2,000万匹という膨大な発生となる.3)冬期湛水・不耕起移植栽培不耕起移植栽培とは,岩澤信夫さんが普及活動を行っている究極的農法の一つである.耕起しない(土をひっくり返さない)農法として.主に水田稲作で広がってきている,稲の特性を肌身でとらえ生き様を観察し,その生態系を徹底的に理解したうえでその活性化を促すための仕組みを考える.同時に稲をぎりぎりまで追い込み生きる力を最大限に発揮させる方法を探る.この不耕起移植栽培と冬期湛水(ふゆみずたんぼ)との連動は,革新的に技術環境が様変わりして現在に至った.これは従来まで不耕起移植栽培だけの最も大変な問題点の解消になった.春まで田起こしをしないがため,がちがちに固まってトラックまで走れるような田んぼが,水張りをしたことでとても柔らかく,田植えが各段に楽になる.また抑草効果が高くその点が不耕起移植栽培に従事している水田農業者に歓迎されている.現在,冬期湛水・不耕起移植栽培は,主に米栽培技術を中心に普及しつつある.効果は無肥料及び無施肥を基本とし特に雑草の技術的なノウハウ蓄積がすすみ抑制効果も発揮されてきている.慣行農法の所でも格段に導入しやすくなった.現在,日本不耕起移植栽培普及会では,「冬期湛水・不耕起移植栽培」技術として,全国的な普及活動を行い,さらに2011年6月に「NPO法人未来農業研究センター」を設立し,普及活動にも拍車をかけた.いま、理論と実践を中心にして自然耕塾の名前で具体的に1年間の農法に関わる教育を塾の形式と,現場指導により全国規模で行っている.いまでは,毎年全国で「自然耕塾」として,全国各地で200人を超す生徒を塾形式で実践教育を行っており,その普及活動も全国的に加速している(岩澤,2010).4)冬期湛水とふゆみずたんぼ冬期湛水とふゆみずたんぼとは,冬期に湛水をすることと.用語上の内容にほぼ相違点はなく同じ意味としてどちらの言葉でも差支えないとされる.ただし日本不耕起栽培普及会側の解釈としては,ふゆみずたんぼでは代かきを許容するケースもあるとされるが,冬期湛水・不耕起移植栽培では,冬期湛水は不耕起移植栽培農法の要素の一部であることを前提にしているために,代かきを一切認めないことで分けられるとする.また秋の稲刈り直後に直ちに水を張ることが必須で、稲刈り直前1ヶ月の水切り以外は,稲刈り直後に直ちに水を張ることが原則となる.ほぼ永年湛水が原則なこともあって,水田農業に専業で取り組み、かつ5ha~30ha規模の集落単位での農法として広がっております.従って田んぼの耕起をしない事及びほぼ永年湛水をするという2点が相違点とされる.それ故に冬期湛水・不耕起移植栽農法は水田耕作専業者に向いた農法であることが異なるという.13.おわりに宮城県大崎市田尻地区での冬期湛水(ふゆみずたんぼ)及び冬期湛水・不耕起移植栽培農法の導入によって生じた地域の変化とその経緯を,時系列にまとめた.1993年の大冷害に遭遇し,冷害に強い水田農法の導入という,まさに農業経営上の必然的なテーマをもって,多様な人材が内外から多数参加し極めてギリギリの議論が積み重ねられ,各局面を一つ一つステップアップしながら切り開いていった.それは,何人かの特別な技術を有し,人間的にもしっかりとした哲学を持った方々がかかわり合って築いてくれた“偶然,また偶然”の長い物語である.その重なりが,蕪栗沼の数々の奇跡を招いた.その結果,本州でも有数の自然湿地である蕪栗沼の理想的な保全策がなされ,そこではガン類の大群がねぐらとして利用されるようになった.さらにコメ作りにおいて,その主体が化学的な素材を使用する農法から,生物資源を利用した農法への転換を伴っていたことも画期的である.大冷害から始まる蕪栗沼が背負った大きな運命の物語の中で,多くの方々の気付きが,その実証と評価と改善策との混然一体を,日本国内から世界へ情報発信し,限りなく広げていった.そしてこの過程で重要なことは,田尻町という純水田農業地帯からの発信であったことである.この冬期湛水の成果がしっかりと,農業から生物多様性を重視する社会にまで,うまく取り込まれていくことを切に願っている.謝辞冬期湛水(ふゆみずたんぼ)に関わる経過を,時系列にたどる上で様々な方々の協力,参画,助言をいただくことができた.特に中村俊彦さんにはこの論文発表の機会と,多大のご配慮とご支援をいただいた.深甚なる感謝を申し上げます.文献文献からの引用呉地正行.2007.水田の特性を活かした湿地環境と地域循環型社会の回復:宮城県・蕪栗沼周辺での水鳥と水田農業の共生を目指す取り組み.(社)国際環境研究協会.地球環境12-1:49-64p岩渕成紀.2007.ふゆみずたんぼを利用する環境と暮らしの再生プロジェクト.日本河川協会.環境大臣賞報告書41-48p嶺田拓也・小出水規行・石田憲治.2008.水田における冬期湛水(ふゆみずたんぼ)の導入による持続的な多面的機能の発揮.農村計画学会.農村計画学会誌27巻論文特集号小林久・佐合隆一・呉地正行・岩渕成紀.2003.鳥による物質輸送実態のδ15Nを用いた把握・分析試み.農村土木学会.論文集224:145-146.伊藤豊彰.2006.稲作に生物多様性を取り組む仕組み.科学.76:303-313.書籍岩澤信夫.2010.究極の田んぼ.日本経済新聞出版.59-94p栗原康.1998.エコロジーとテクノロジー.岩波新書同時代エッセー347.61-69p.WEB上からの引用蕪栗沼沼っこクラブ.2008.蕪栗沼とは?http://www5.famille.ne.jp/~kabukuri/荒尾稔(管理者).2000.冬の田んぼに水を張ろう.手をつなぐ環境共生型農業と.生物多様性豊かな水田.*wfrfは冬期湛水水田の略http://www.jgoose.jp/wfrf高奥満(管理者).2011.「ふゆみずたんぼ」とは-無農薬,無肥料稲作栽培の記録から,http://tarikidict.jugem.jp/?eid=40日本不耕起移植栽培普及会.2011,http://www.no-tillfarming.jp/(株)アレフ.2011.ふゆみずたんぼの歩み.http://www.aleph-inc.co.jp/fuyumizu/pg325.html。

尸姬玄最终话ED《Beginning》

尸姬玄最终话ED《Beginning》
尸姬玄最终话ED《Beginning》
[00:01.80]『Beginning』【启程】
[00:06.36]作词∶atsuko
[00:09.58]作曲∶atsuko/KATSU
[00:12.47]歌∶angela
[00:14.57]TV アニメ「尸姫 玄」Ending Theme 1
[03:42.31]どんな険しい道が待とうとも 【无论怎样艰险的旅途在前方等待】
[03:47.29]吹きすさぶ风に阻まれても 【即便被迎面吹来的风阻挡了步伐】
[03:52.90]巡る季节 待ってはくれない 【轮回的季节 不会停下脚步】
[03:58.01]ただ进む前へ 手をとって 【只需在出发以前 牵住你的手】
[02:33.00]追いかけて求め続けてく 【我将继续追随在你的身后】
[02:37.37]あなたの背中に 强さを感じて 【感受着你背影中的坚强】
[02:43.63]戻れない そう知ってるから 【我知道归途已经无法找寻】
[02:47.94]振り向かない 私达 【只是我们 不会回头】
[01:28.60]吹きすさぶ风に阻まれても 【即使被迎面吹来的风阻挡了步伐】
[01:34.23]巡る季节 待ってはくれない 【轮回的季节 不会停下脚步】
[01:39.25]ただ进む前へ 手をとって 【只需在出发以前 牵住你的手】
[01:44.39]行きましょう 恐くない あなたとなら 【一同前进吧 我无所畏惧 只要与你同行】
[00:35.37]
[00:41.00]偶然を积み重ねて 【偶然的交错重叠】
[00:46.31]人は出逢い缲り返し 【邂逅在不断上演】
[00:51.37]その心のよりどころを 【那颗心之所属】

もののけ姫 外文翻译

もののけ姫 外文翻译

「風の谷のナウシカ」から「もののけ姫」へ—宮崎駿とスタジオジブリの13年映画「もののけ姫」は、宮崎駿監督作品の集大成だと言う。

宮崎監督は各誌のインタビューに応えて「スタジオジブリの決算を目指した」とも語っている。

それは、二義的にはスタジオに蓄積された人材・技術水準・資金力など条件の利を指すと思われるが、一義的には思想的意味合いが大きいと思われる。

では、その「思想的決算」とは何のことだったのか。

宮崎監督の作品とスタジオジブリの遍歴を振り返りながら考えてみたい。

なお、スタジオ成立の経過・作品制作の経緯・スタッフ編成・技術的推移・興行的変遷などの制作データや裏話的エピソードなどは他誌で何度も語られているので一切省略した。

物語やキャラクターのくどい紹介も避けた。

本小論は、専ら宮崎駿監督の思想的変遷のみを追ったものと解されたい。

漫画版「風の谷のナウシカ」―再生と破壊の同居する凶暴な森「照葉樹林文化論」の影響を最初に反映させた作品が、一九八二年に連載を開始した漫画「風の谷のナウシカ」である。

この作品で宮崎氏のモチーフは大きな変転を遂げた。

曰く「自分でも結論の分からない領域に踏み込んだ」のである。

『ゲド戦記』や『砂の惑星』などに着想を得たこの物語の最大の特徴は、「腐海」と呼ばれる有害な毒を吐く森林を舞台としたことである。

文明消滅後に森林が生まれ、生命を再生させるという構想自体は「未来少年コナン」でも描かれた。

しかし、森が拡大すればするほど人間が生きられないという、森と人間の対立構造はこの作品で初めて描かれた観点である。

一方でこの森は、文明によって生じた毒を浄化し、生態系の再生を司るという「秘密の逆説」をはらんでいる。

人間には害悪だが、地球には有益なのだ。

西欧産のSFファンタジーでは、前述の作品を含めて「文明消滅後に環境が激変して砂漠となった星」が登場するケースが多い。

宮崎氏も当初は、砂漠を舞台として構想していたが、どうにも自分の中にある原初的イメージにそぐわず、ついに凶暴な森を舞台とすることを思い着く。

古今和歌集(日中对照版)

古今和歌集(日中对照版)

1093陸奧歌(みちのくうた)君(きみ)を置(お)きて徒(あだ)し心(こころ)を我(わ)が持(も)たば末(すゑ)の松山(まつやま)浪(なみ)も越(こ)えなむ陸奧歌吾心死不渝若置君不顧徒移情戀者浪必高越末松山願知吾永待汝歸1094相模歌(さがみうた)越搖(こよろぎ)の礒立馴(いそたちなら)し礒菜摘(いそなつ)む目刺(めざ)し濡(ぬ)らす勿(な)沖(おき)に折(を)れ浪(なみ)相模歌踏遍越搖礒娘子專念摘礒菜莫令其衣濕還願滔滔白浪者勿擊礒上折沖間1095常陸歌(ひたちうた)筑波嶺(つくばね)の此(この)も彼(かの)もに蔭(かげ)はあれど君(きみ)が御姿(みかげ)に增(ま)す影(かげ)は無(な)し常陸歌常陸筑波嶺嶺上草木繁且盛處處留木陰然而較與汝身影莫有可勝君姿者1096常陸歌(ひたちうた)筑波嶺(つくばね)の峯(みね)の紅葉(もみぢば)落積(おちつ)もり知(し)るも知(し)らぬも並(な)べて愛(かな)しも常陸歌崴峨筑波嶺峰上紅葉零且落飄舞積落葉不知是從何木來識人或否並惜愛1097甲斐歌(かひうた)甲斐(かひ)が嶺(ね)を清(さけ)にも見(み)しが心無(けけれな)く橫(よこ)ほり伏(ふ)せる佐夜(さや)の中山(なかやま)甲斐歌甲斐白根嶺願得清觀晰翫之佐夜中山矣汝今無心橫伏臥蔽吾視線礙觀瞻1098甲斐歌(かひうた)甲斐(かひ)が嶺(ね)を嶺越(ねこ)し山越(やまこ)し吹(ふ)く風(かぜ)を人(ひと)にもがもや言傳(ことつ)てやらむ甲斐歌甲斐白根嶺吹風越嶺亦越山風可易人乎願汝為人代傳言便送家書屆伊人1099伊勢歌(いせうた)生浦(をふのうら)に片枝刺(かたえさ)し覆(おほ)ひ成(な)る梨(なし)の成(な)りも成(な)らずも寢(ね)て語(かた)らはむ伊勢歌伊勢生浦邊孤枝伸刺覆岸濱梨木已成實我倆成能佳偶否相枕絮語共相眠1100冬(ふゆ)の賀茂祭(かものまつり)の歌(うた)千早振(ちはやぶ)る賀茂社(かものやしろ)の姬小松(ひめこまつ)萬世經(よろづよふ)とも色(いろ)は變(かは)らじ冬賀茂祭歌千早振稜威賀茂神社姬小松雖歷千萬代松葉長青色不褪歷久彌新耀神威藤原敏行朝臣11001101蜩(ひぐらし)杣人(そまびと)は宮木引(みやきひ)くらし足引(あひしき)の山(やま)の山彥(やまびこ)呼(よ)び響(とよ)む也(なり)蜩杣人樵夫者牽引精材作宮木呼聲合暮蜩迴盪足引峻山間響徹深山處處聞紀貫之1101在郭公下、空蟬上。

美人鱼(中日对照)

美人鱼(中日对照)

人魚姫にんぎょひめ(アンデルセン童話)青あおい海の底そこに、人魚のお城しろがありました。

お城には、王様おうさまと六人の人魚姫が住んでいました。

月の明あかるい夜、十五歳になった、人魚姫が、海の上に顔かおを出しました。

海には、たくさんの明あかりをつけた白い船が浮うかんでいました。

王子様おうじさまの船です。

その日は、王子様の誕生日たんじょうびでした。

賑にぎやかな音楽おんがくや笑い声が聞こえます。

突然とつぜん、嵐あらしが船を襲おそい、王子様は海に落おちてしまいました。

人魚姫は王子様を助たすけて、浜辺はまべまで運はこびました。

すると、女の人が近づいて王子様を抱だき上あげたのです。

人魚姫は人間にんげんになって、王子様の傍そばにいたいと思いました。

そこで、魔女まじょのところへ行って、人間にしてほしいと頼たのみました。

すると、魔女は言ったのです。

「お前まえの美しい声を、私におくれ。

それから、もし王子様がほかの女と結婚すると、お前は海の泡あわになってしまうんだ。

それでも、いいのかい?」人魚姫は頷うなずきました。

人魚姫は、浜辺で人間になる薬くすりを飲むと、ぐっすり眠ねむってしまいました。

暫しばらくして、目が覚さめると、傍に、あの王子様が立っていたのです。

でも、人魚姫はもう声が出でないのです。

「きっと、何かわけがあるんだね。

暫しばらく僕ぼくのお城で休やすんでいきなさい。

」王子様は、そう言って、人魚姫をお城に、連つれていきました。

ある日、王子様が嬉うれしそうに言ったのです。

「僕は、結婚するんだ。

僕が海で溺おぼれた時、助けてくれた女の人とね。

その人は、隣となりの国のお姫様ひめさまだったんだよ。

」人魚姫は、「助けたのは私です。

」と叫さけびたかったのです。

でも、声を出だすことができません。

人魚姫は、ただ悲かなしそうに笑っただけでした。

とうとう、王子様の結婚式けっこんしきの日が来ました。

その夜、海にお姉さんたちが浮うかんできました。

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玉鬘の話 第一話 初音 流離さすらいの姫君・玉鬘 (さすらいのテーマ曲)昔、京の都に玉鬘(たまかづら)というお姫様がおりました。

玉鬘が、まだ四つの頃のある日、おかあさまの夕顔様が行方不明となりました。

親族の者達は、京の町でお母様の隠れていそうな所は探しましたが、結局見つかりませんでした。

仕方なく、おばあさまや三人のいとこ達や乳母達と一緒に、京の都を離れ、玉鬘は泣きながら、はるか遠く筑紫の国に着きました。

筑紫の国で玉鬘は、大切に、人にも見せずに育てられました。

悪い男がついては大変と、おばあさまは、わざわざ嘘の噂まで流します。

「うちの孫娘は、かたわなので、尼にさせるつもりです」とやがて、玉鬘の姫は二十歳にもなりましたが、お母様がいる京の都へ戻る機会はまだありません。

そのうち、男どもから、手紙が来るようになりました。

中でも熱心なのが、肥後の国の武士、大夫監(たいふのげん)という、有力者です。

「たとえ、ひどか、かたわがあってん、大目に見るとです、ぜっひ妻に迎えたか」大夫監は三人のいとこを味方にしようとしました。

「思うごつ結婚でけたら、なんでんオイば頼りんすっとよか」三人のうち次男と三男は「有力者に逆らっては、この土地で生活していくことができない」と言います。

ですが、長男は反対しました。

乳母達も反対です「母君がどうなったか未だ分からないのに、せめて姫君の玉鬘様はまっとうに京の都で幸せになってもらいたい。

京にいる実のお父様も可愛がっておられたのは覚えているはず。

この田舎で埋もれてしまうなんてありえません」ですが、春になったある日、とうとう大夫監は次男と一緒に家までやってきました。

(恐ろしい熊が出てくる曲)この男は、背丈が高く、荒っぽい振る舞いで、女達は恐ろしく思います。

「都の高貴な姫君ですけん、玉鬘様ば、あがめ祭って神様のごつ大切にすっとです。

オイが妾(めかけ)ばたくさん抱えているとが、ご不快かもしれまっせんが、玉鬘様は特別扱いばすっとです。

不思议の国のアリスミュージカル版

不思议の国のアリスミュージカル版

不思議の国のゕリスミュージカル版ALICE IN WONDERLAND: DREAM-PLAYル゗ス・キャロル&ヘンリ・サヴゖル・クラークLewis Carroll & Henry Savile Clarke大久保ゆう訳【キャスト】(登場順)ゕリス妖精たち白ウサギ芋虫公爵夫人コックチェシゕ猫帽子屋弥生ウサギヤマネトランプの兵隊ハートのク゗ーンハートのキングハートのジャック処刑人グリフォンウミガメフーミ白のチェスのコマたち白のク゗ーン白のキングユリバラ赤のク゗ーンチードルダンチードルデーセ゗ウチ大工ハンプテゖダンプテゖ赤のチェスのコマたちと馬赤のキングラ゗オンユニコーン羊の肉ウェ゗ターたちプデゖング【台本】◆第一幕「不思議の国」時は秋、場所は森。

ゕリスがある木の根本で眠っていると、妖精が現れ、ゕリスの周りをひらひらと踊り出す。

〈うた:妖精たちのコーラス〉お眠りなさい、輪のなかで小鳥と蜂の子守歌こんな森でも大丈夫この木の下は、妖精たちのたまり場だからお眠りなさい、ゕリスちゃん小川と山の魔法歌寝てるあなたを守るから起きたらそこは、不思議の国の夢のなかだよ妖精たちはゕリスの左右に分かれ、コーラスの声は優しく遠のいてゆく。

場所は変わり、不思議の国のどこかの庭。

わきの方に大きなキノコがあり、その上で芋虫が煙管をふかしている。

ゕリスは目を開けると、何が何だか分からないというふうに、あたりをうろちょろする。

そこへ白いウサギがあわてたていで、前を横切ってゆく。

ゕリス あの、よろしくて?白ウサギは通りすぎ、その際に白手袋と扇を落としていく。

ゕリス もし! もし! 今日はへんてこなことばかり。

でも昨日はいつも通りうまくいっていたわ。

もしや夜のうちにあたくしの身に何かあったのかしら。

いえ、考えてもごらんなさい。

今朝起きたときのあたくしはやっぱりあたくし。

でも今あたくしがあたくしでないとすれば、いったいどなた? もう! まったく悩ましいことね。

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女童:真可爱呢。
狭霧:是啊,它是从哪里迷路进来的呢。
常盤:公主殿下!狹霧大人!您在哪里?
狹霧:啊!
女童:你是公主殿下?
狭霧:嘘……
女童:为什么要藏起来?
狭霧:因为我一直都要呆在别殿里,实在是太无聊了……
女童:那我帮你瞒着她。
狭霧:…谢谢!
[狗叫]
女童:不可以叫哦!安静点。
[常盤奔来]
常盤:哎呀,原来您躲在这里啊,狹霧大人。
狭霧:你看,常磐,这小狗很可爱吧。
常盤:这么乱跑可不行,谁知道哪里会有什么坏人呢。请快点来我这边。
狭霧:(我的自由时间就到此结束了……吗。)
常盤:公主殿下太没有自觉了。
狹霧:我明白自己必须自重。但是,天气那么好……
常盤:狭雾大人可是左大臣家最为骄傲的公主,为了见公主一面众多的贵族公子那可是挤破了头呢。要是不慎除了宅邸大门,被哪位大人看到了可就大事不好了,我会被老爷处罚的。
狭霧:……我在想要不要回他一首和歌。
藤原光則:你适当应付他一下就好。要是无视他,表现失礼的话,事情反而会变麻烦。比起这个,让我头疼的是,皇帝又提起那件事了。
狭霧:那件事是……?
藤原光則:当然是你入宫的事。
狭霧:……我无法进宫的理由,哥哥您应该也很清楚。我不可能一直这么骗人骗下去。
藤原光則:说骗人也也太难听了。
五条帝:你认为凭你这等软弱之人,能守得住国家吗?
源実親:为保护圣上,必须增加优秀的臣民。成亲便是其手段。
(虽然我并不想反驳兄长…圣上的挖苦,但从结果看,好像适得其反。)
藤原光則:要让你这样的男人退却,我还真是出息不少呢,中将殿下。
源実親:我不过是做了理所当然之事,中纳言殿下。
藤原光則:你不是还没吃够苦头在给狹霧写情信嘛。认不清抽身时机可是不知趣的表现。
源実親:大意的家伙。万一发生什么事我可不管。
小野朝家:你管我。话说起来,你不也一样大意吗?実親。今晚我也自由进来了。
源実親:你是我的朋友。朋友都不能自由进出的话,我就太无聊了。
小野朝家:那倒也不是。你的大方虽然是美德,但你可拥有宰相中将这一重要的职位。不说让你再增加些男仆了,多雇用些强壮的人怎么样?
源実親:我还会来拜访的。
友人1:実親,左大臣家公主的情形如何?
源実親:很遗憾,只是隔着竹帘谈过一次话。
友人2:真难对付啊。你薰衣君去也没法让她顺从吗?
源実親:嗯,就像月亮上的桂树一般,仅在身旁,却无法触及。(话虽如此,那时我并没有产生想要碰触她的想法。不过,听传言我还因为她有多么顽固,其实正确地说那应该是天真无邪吧。)
源実親:对于一心想着只要能与你相会,就算赔上这条性命也在所不辞的我,梅花也会同情我几分吧。
狭霧:明明是你不请自来的……
常盤:公主殿下,我们就让他进来吧。
狭霧:但是……
常盤:若是您把宰相中将赶回去的话,就会被人说心胸狭窄,从而败坏左大臣的名誉。您只要稍微和他说几句话就好。
狭霧:……我知道了。
源実親:现在的水平已经足以配得上我的身份了。我家又没有值得保护的美丽公主。
小野朝家:然后呢,怎么样?
源実親:什么怎么样?
小野朝家:我来之前,你们谈论左大臣家的一公主吧?我听闻圣上终于等的不耐烦了,频繁催促她入宫。
源実親:我不知道。
小野朝家:你通过亡妻的妹妹梅壶,给圣上灌输了什么不好的话了吧?
第二轨 莟紅梅
常盤:哎呀?
狭霧:哎?
常盤:院子里好像有人……
狭霧:……请问是哪位?
源実親:我被美妙的筝的音色所吸引,不由地走了过来。还是说,那只是梅花的妖精让我产生的幻听呢?
狭霧:请问您尊姓大名?
源実親:我叫源実親。
常盤:啊!哎呀……
狭霧:即便您是现在显赫一时的中将大人,但如此突然造访不觉得很失礼吗?
狹霧:对不起。
常盤:哎呀,看您头发都乱了。让我帮您梳理一下。果然左边的别殿还是得增加点人手啊。不过要是狭雾大人肯老老实实呆在殿里的话,就没有那个必要了。
狹霧:对不起。(为了保密,就必须尽可能地减少知情人。所以,这里的侍女只有最低限度的人数。)
常盤:看您绸缎一般的头发都纠缠在一起……有如此一头秀发,谁都会自豪的。真的,这京都里再没有比狭雾大人更惹人怜爱的公主了。并且作为现在显赫一时的左大臣的掌上明珠,除了您不会再有谁让皇帝如此迫切地等待她入宫了。贵族公子们寄来的情信也连接不断,连被喻为光源氏的熏衣君也来信了呢。
狭霧:还没有……
常盤:您也不能让大人们总就这么等下去啊。
狭霧:常磐你太夸张了。像宰相中将的情信,就是收到了也只是麻烦而已啊。(那位大人寄来的信总是让我很为难。宰相中将——源実親是出了名的花花公子,据说他的身上散发着难以形容的高雅香气,因此被称为“薰衣君”。中将大人的父亲是先帝,世道好一点的话,说不定早已做了东宫。但是担忧骨肉之争的先帝在退位之时,把他降为臣籍,之后就托付给了右大臣。中将大人正如先帝所愿,娶了右大臣家的一公主,不料招致恶果,加深了左大臣的父亲和右大臣的对立。一公主和先帝都已经过世,但中将大人至今仍与我父亲和兄长是敌对关系。给他的回复绝不能大意。我曾让常磐代我回过一封信,第二次的信中他就隐晦地责难我的冷淡……又不能不回信……)
狭霧:谢谢!
藤原光則:你又变漂亮了啊,狹霧。
狭霧:哥哥。(受到皇帝信任,年纪轻轻就当上中纳言的哥哥,如果我们出世的顺序相反的话,现在的处境是否会有所不同呢。)
藤原光則:我总有一天会让你……那我告辞了,抱歉打扰你了。
狭霧:没有的事。(到底是哪里搞错了呢……)
五条帝:宰相中将。
源実親:在!
狭霧:……
藤原光則:怎么?有什么好隐瞒的,那个男人好色早就出了名了,既然目前没有中意的对象,转向左大臣掌上明珠的你求爱,也一点不奇怪。
狭霧:是吗……
藤原光則:就算他脸长得漂亮,也是个不知道肚子里卖什么药的家伙。不必在意他。
狭霧:中将大人有那么美貌吗?
藤原光則:啊,那是当然。甚至有侍女说他美得足以魅惑鬼神。
源実親:(是指东云宫吗?绕这么大弯子的讽刺,真可爱呢。)您消息真灵通。不过,也不必如此顽固地拒绝我吧?我们应该加深相互了解。
狭霧:我了解了你又能怎么样?
源実親:又说这么冷淡的话。但我就是中意你这份冷淡。不会通过算计玩弄我于股掌之上,公主还非常天真无邪。公主还不知道男人的恐怖吧。区区一幅竹帘,男人的话可以很轻易就踢破它。要让你成为我的东西,简直不费吹灰之力。
狭霧:魅惑鬼神也太夸张了。我还听说他很有人望。
藤原光則:我听闻因为他和殿上人(注:指被允许上清凉殿(即天皇日常起居之所)的有一定地位的官员。)都处不好,就聚集了一群地位卑贱的可疑之人。八条宅邸里进出的全是些品行低劣之辈,早晚要变成风纪败坏的源头,为此保护京城的検非違使(注:相当于现在的警察+审判官)很是头疼。简直是岂有此理。
姫君の輿入れ
原作:和泉桂
発售:2008.08.30
狹霧:野島健児
源親:小野大輔
小野朝家:神谷浩史
五条帝:遊佐浩二
文秀:近藤隆
藤原光则:土田大
常盤:川崎恵理子
藤原正光:江川大輔
第一碟 第一轨 雪の下
旁白:平安时代,五条帝盛世。朝廷中最为得势的左大臣——藤原正光定居于左京六条四坊。仿佛是为了显示自己的权势一般,他的宅邸宏伟壮观,广为京人所知。并且,据说他华丽的宅邸中,住着一位在左大臣百般疼爱下长大的珠玉般美丽的公主,这让年轻的贵族公子们议论纷纷,骚然不安。
狭霧:!……若你只是想像折取梅花一般玩乐的话,就请会吧!
源実親:不是玩乐的话你就答应吗?我的心永远是坦诚的。
狭霧:连月亮都会每天发生变化,你又凭什么证明人心就能够永远不变呢?
源実親:我明白了。您这么说的话,我今晚就暂且回去。不过,我是不会死心的。
[起身离开]
狭霧:(啊!随着夜风,中将大人身上的香气……多么妖媚而又让人心怀悸动的香气啊。)
狹霧:我年过15岁却不出嫁,是出了名的怪人吧?
常盤:那是……因为左大臣太过宠爱您了。
狭霧:(既未下嫁于谁家,更不可能入宫。虽然父亲也说过,这幅不如人意的身子这么漂亮真是可惜了,但他绝对不会想让有着秘密的我到外面说起来,给薰衣君的回信,您已经写了吗?
小野朝家:真是的……左大臣有多么宠爱妹妹,你也不是不知道吧。狹霧公主极度怕生,还说与其出嫁宁愿去出家。你对她下手试试。那可不是罚禁闭就能了事的。
源実親:让他们想要如此隐藏的公主,不是极度美貌,就是极度丑陋吧。
小野朝家:就为了一位公主,你想让自己身陷危险中吗?我明白你想要追求比前一位夫人更胜一筹的理想女子的心情,但像那样女子实在少之又少。死心吧。
狭霧:可是……!我一直在欺骗旁人。
藤原光則:狹霧!
狭霧:对不起。但是在这么下去,我会长高,形貌也会发生变化,无法再欺瞒圣上了。
藤原光則:这我知道,入宫的事我会和父亲商量的。一定会找到好计策解决它的,你什么也不必想。
狭霧:……是。
藤原光則:对了,狹霧。我把算数书拿来了,愿意的话你就读读看。
常盤:说起中将大人,和出名的才女——东云宫二公主也有些传言。不管怎么样,您得赶快回信。
狭霧:……我知道。(明明尚不知恋情为何物,却不得不和未曾谋面之人进行恋情的斡旋……)
侍女:狹霧大人,光则大人来看您了。
狭霧:哥哥?
藤原光則:狹霧,好久不见了。你还好吧?
狭霧:哥哥也是,工作很忙吧?
藤原光則:今天是斋戒日,不可入宫。对了,听说你收到了宰相中将的情信?
源実親:不见上闻名京城的美人一眼,就无法散去笼罩在我心上的浓雾。
藤原光則:区区一个散去心头浓雾的对象,你要找多少有多少不是吗?
源実親:您认为其他的女人能代替得了公主吗?告辞。
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