《天声人语》20(中日对照)

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棚田保存の活動に参加して、連休の一日、遠くに海を眺める房総半島の山あいで田植えをした。地元農家のお膳立(ぜんだ)てで、段をなす田の一枚一枚に、鏡のような水が張られている。

参加梯田保护活动,连休日一天在望得见大海的房总半岛山谷中种田。当地农家准备吃饭时,一层层阶梯状农田里已蓄满了如镜的河水。

〈田一枚植えて立去る柳かな〉。名高い芭蕉の句からは、慣れた身ごなしで、すいすい苗を植える姿が浮かぶ。だが日ごろ農作業と縁遠い弱卒は、そうはいかない。腰が定まらず右往左往し、田の中は足跡だらけに。植え付けにも難渋し、進まないことおびただしい。

“种一块田就离去的柳树啊”。从这句脍炙人口的芭蕉俳句,仿佛看见了以熟练的动作飞快插秧的身影。但平时与农活无缘的弱兵残将却没那么好的身手。腰部摇摆不定,忽左忽右,田地里到处是脚印。插秧也很吃力,进度非常慢。

(〈田一枚植えて立去る柳かな〉句意は「西行法師が『道の辺に清水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ』と詠んだ柳のそばに自分も立ちどま

っている。それは目の前で早乙女たちが一枚の田に早苗を植え終るほどの時間で、西行法師への深い思いを抱きながらこの柳のもとを立ち去ったことだ」

この「立ち去る」という言葉には単に遊行柳を立ち去るばかりでなく、いよいよ関東平野を踏破して未知なる国奥州路にふみ入る決意のようなものが込められているように思われます。

次号ではいよいよ白河の関越え、つまりみちのく入りです。)

古く、田植えは女性の仕事とされ、従事する人を早乙女と呼んだ。力のいる田打ちや代掻(しろか)きが男の仕事だった。〈生きかはり死にかはりして打つ田かな鬼城〉。土に生かされ、土を頼みに命をつなぐ。往時の労働の厳しさを思うと、粛然とさせられる。

古时耕田是女性的工作,称干农活的女性为农家女。力气活翻地和耙地是男性的工作。“死去又活来地翻地呀鬼城作”。以土地为生,信赖土地,视土地为生命。想到以前劳动的辛苦,不禁肃然起敬。

( 生きかはり死にかはりして打つ田かな(いきかわりしにかわりしてうつたかな)

村上鬼城(むらかみきじょう) <季語/田打・季節/春>

親から子へさらにその子へと、先祖代々受け継がれ、守り継がれてきた田を、

田植えが始まる前に鋤(す)き返しています。今は耕運機で行っているこの作業も、ひと昔前は、牛や馬の力を借りて人力でやっていました。

人は生き死にして代わっても、田を打ち続けなければならない…"生きる"ということの厳しさと苦しさ、悲しさはもちろんのこと、人が本来持つたくましさ、

生きる力を詠い上げています。)

〈粒粒皆辛苦(りふりふかいしんく)すなはち一つぶの一つぶの米のなかのか

なしさ〉と詠んだのは山形県出身の斎藤茂吉である。戦前は、小作制度や飢饉(ききん)が農家を痛めつけた。収穫しても自分たちの食べる分はない。白い

米粒が農民の「辛苦とかなしさ」を象徴した時代は長く続いた。

“粒粒皆辛苦,就是每一粒米都来之不易”,吟咏此诗的是山形县人斋藤茂吉。二次大战前的佃耕制度和饥荒令农民苦不堪言。即使丰收了也没有自己吃的粮食。白

色米饭象征着农民的“辛劳和辛酸”的时代持续很多年。

戦時中は妙な米の炊き方があった。一昼夜水に漬け、膨張しきったところで火

にかける。食糧不足を補うために政府が広めた。名付けて「国策炊き」。量は増えても、しょせん水膨れだから、腹はすぐに減ったそうだ。

战争期间有一种奇怪的做饭方法。将大米泡在水里一天一夜,令其充分膨胀后再放在火上煮。为弥补粮食不足,政府大力推广,并命名为“国策煮饭法”。据说量虽然增加了但毕竟是被水胀的,肚子很快就瘪下去了。

さまざまな時を経て、幸か不幸か、素人の米作りが歓迎される時代である。労働の厳しさにも、一粒のかなしさにもほど遠いけれど、参加者の数だけ、米に関心を持つ人は増えたことだろう。

经历各种时代,不知是幸运还是不幸,如今是业余人士种田受欢迎的时代。虽然辛苦的劳动和一粒米的辛酸已离我们很遥远,但从参加者人数来看,关心大米的人是越来越多了。

2

朝日歌壇賞と俳壇賞の二冠を持つオランダ在住の歌人、モーレンカンプふゆこさんの短歌に、〈窓口で法律用語を調べつつ日本国籍破棄を告げけり〉がある。33歳で異国に帰化した際の、凜(りん)とした決意だ。

获得朝日歌壇賞和俳壇賞2项桂冠,居住在荷兰的歌人モーレンカンプ冬子先生的短歌中,有一首是‘一直在窗口调查翻阅法律用语,被告知要放弃日本国籍’。这是33岁在得到荷兰国籍的时候,毅然所下的决心。

作者はしかし、森で拾った木の実にまで望郷の念を募らせもする。〈手の中に団栗(どんぐり)といふ故国あり〉。ふゆこさんが思い続ける日本は、いつまでも、海外の同胞が慕う国でいられるだろうか。

可是作者将思乡之情甚至寄予森林中捡到的树木的果实中。‘我的祖国也有现在手中拿的这种橡树果’。冬子先生一直思念的日本,是和其他海外同胞一样思慕的国家吧?

パリ駐在から帰国し、3年ぶりに住んだこの国は改めて新鮮だった。朝のホームに整然と並ぶ人たち、静かな満員電車。小ぎれいで安全な街、眠らぬコンビ

ニと自販機。このささやかな日常の安定こそ、守り伝えるべきものに見える。

从居住的巴黎回国,隔了3年对于这个国家又有了别样的新鲜感。早上的月台人们整然有序的排站着,挤满了人的静悄悄的电车。虽然小但安全的街道,24小时都开的便利店以及自动贩卖机。正是这些细微的日常的安定,需要继续守护并传承下去。

国籍を捨てて、なお残る祖国とは何だろう。山河や文化、同じ言葉を話す懐かしい人々。その一切がつつがなくあるために、国家の仕組みと約束事がある。軍事同盟が「傘」なら、平和憲法は「繭」のように、日本社会に寄り添って平安を包んできたのではないか。

舍弃了国籍,那么残留下来的祖国还是什么呢?怀念山河,文化,说着相同语言的人们。为了使这一切都能平安无事,所以才有国家的组织结构和规则。如果说军事同盟是‘伞’的话,和平宪法就好象是‘茧’,包裹着日本社会所需要的平安,不是吗?

窮屈な繭を抜け出し、傘の下で舞うチョウになりたいと欲する人もいる。だが、

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