日语论文
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日语论文
目次
Ⅰ。序論
Ⅱ。流通企業
1 企業とそのラバル関係
2 セゾングループ
3 オングループ
4 トーヨーカ堂グループ
Ⅲ。流通企業の二十一世紀
Ⅳ。不况景気に対しての建て直す
Ⅰ。序論衣食住、人間が生活するには品物が必要だ。私達はこれらを、ほとんどの場合、外側に門扉を開いた「店」で購入する。
会社訪問に必要なスーツは百貨店で手に入れる。休日になるとスーパーに出かけて一週間分の食料を買う。よる遅くには近くのコンビニエンスストゕで夜食を買う。新鮮な魚は魚屋で、果物は近所の八百屋で、時々はレストランで夕食を食べる。誰でも毎日1度は、こうして百貨店やスーパー、コンビニエンスストゕや一般の小売り店を訪れることだろう。われわれの生活への影響が大きく、関係が深まるにつれて、企業の構造の複雑な、大規模な仕組みを理解することがわれわれの生活そのものの理解につながっている。
これが、日本の流通業が第二次世界大戦後の焦土の中からおよそ半世紀をかけてつくり上げたいわぱ一つの金字塔なのである。この売上高の推移から、日本が戦後たどってきた歴史、つまり流通業が客と共に存在し、成長してきたドラマを窺い知ることができる。今、われわれは二一世紀に存在している。どうも私の見るところ、二〇世紀と二一世紀の問には一種の見えざる溝みたいなものがあるように思えてならない。この見えざる溝は簡単に渡れるかもしれないし、あるいは超えがたい断崖があるかもしれない。パラダムの大転換を必要とする事態が、この二つの世紀の間に存在すると主張する向きもある。事実二一世紀の冒頭から、二〇世紀には経験したこともない事象が経営の中心課題になる可能性は大いにある。
Ⅱ。流通企業
1 企業とそのラバル関係
ビジネス社会に於いてのラバルとは、相互に拮抗するカを持って競い合い、並び称せられる企業を指す。例を挙げると、「トヨタと日産」「キャノンのニコン」などである。
しかし、現在の流通業界に於いては、ラバルに関係もいささか複雑になてきた。
例えば、超臣大グループ経営として、ほぼ同じような体質を持つセゾングループとダェーグループは、誰が見てもラバル関係にある。この両者は小売業を核としつつも「生活総合産業化」とい、つことで、生活者をとりまくあらゆる分野に事業進出をしている。最近は「小売業を核とする」という言葉もあやしいといえるくらい多角的な展開をしている。だからラバルなのである。
しかしながら、このセゾンとダェーは、グループトータルの規模で見ればたしかにラバルだろうが、その個々の巾身については必ずしもラバル関係にあるとは限らない。
かつてセゾングループの中核企業であったの西武百貨店から見れば、百貨店営業の中身でいうなら「伊勢丹」あたりがラバルということになるだろう。同様に、同グループの本体であるビッグストゕで見れば、ダェーの売上は西友のほぼ二??五倍強である。
むしろ、ことビッグストゕ同士に関していえば、ダェーはトーヨーカ堂のほうがラバルとしてふさわしい。売上高ではダノェーだが、利益ではトーヨーカ堂の圧勝といってよいほどの差がでてきているが、それでもこの両者はラバル関係にあると考えられよう。なぜならば、まったく経営の基本理念からして、この両者は異なっており、ダエーにいわせれば、利益の差は戦略の差であると言い切っている。これはある程度うなずけるところもある。
ラバル関係は、すぐれて相互の経営者(特に創業経営者)のラバル意識が激しく存在することによって成立することを考えれば、まさに「ダエーvs.トーヨー力堂」なのである。
このように、ラバル関係は多重化かつ複合化しており、かつてのような単純なものではなくなりつつある。
次に流通業界の大手二社を取り上げ、比較してみたい。セゾンとダェーは、グループにおいてはラバルであり、いわば似たもの同士だからラバル関係にある企業は、他グループに較べて圧倒的に多い。表に掲げたように、様々な分野で激しくしのぎを削っている企業がある。特に前述の百貨店、ビッグストゕ以外では、「西洋フードシステムズ」と「ダェー外食事業グループ」、「クレデゖセゾン」と「ダェーオーエムシー」、主婦向け雑誌出版の「オレンジページ」と「レタスクラブ」、クレジットカードの「オレンジカード」と「セゾンカード」、通販の「リッカーメッセ」と「快遭生活大研究」、「オリエンタルホテル」と「ホテル西洋銀座」「ホテルエドモント」……という具合。
この両者、トータルに見ても、紙一重という関係の企業が多い。ダエーが初めて三宮に大型店第一号をオープンしたのが昭和三三年。一方、セゾングループの中核をなす西武百貨店は、昭和三五年には、池袋店を増築拡充し、本格百貨店へ歩みだしていた。関連会社
などを発足させ、堤清二氏の下で積極的に第一次多角化戦略が展開されていたのである。
このスタートの差が若干残っているものの、両者の急拡大振りはやはり大きな驚異である。ただし、この急拡大の成果が、そのまま二一世紀ヘスムーズに移行できるとは限らないところに、巨大ラバル双方の悩みがある。
2 セゾングループ
セゾングループについてもうすこし詳しくのべてみることにする。セゾングループの連合艦隊の旗艦(フラッグシップ)は、これまで心郡我恢陇工毪趣长怼肝魑浒儇浀辍工扦ⅳ盲俊J聦gその通りで、この全社は「西友」、「西洋フードシステム」(レストラン)、「クレデゖセゾン」(フゔゖナンス)、「パルコ」、「朝日工業」(食品製造)、「西洋環境開発」(不動産??デゖベロッパー)、朝日航洋(航空測量)など、主だったグループ企業の大株主であった。同時に、実数はどれだけあるかわからない関係各社の資金拠出先であり、担保(借入)保証の胴元でもあった。
しかも西武百貨店は上場しておらず、その経菅の実態は霧の中の存在であった。実態が不明瞭であればなおさらそれを知りたいと思うのが常であり、一九八〇年頃からしきりとその秘密の決算内容が雑誌などにリークされた。その結果、この会杜が驚くほどの低収益であり、その原因が三〇〇〇億円を超える借入金の金利負担であることがわかった。
つまり、西武百貨店はいわば一種のブラックボックスで、あらゆる「ごみ」「あくた」がこの非上場の会社に埋没する形で投入されていたといえる。事実、かつては四〇〇〇億円前後の売上に二五〇億円前後の経常利益が店段階では出ているので、セゾン独特の多角化のしわ寄せが集中しなければ、それほど低収益でもないはずであった。
かくてセゾングループは、堤グループ代表の引退宣言に続き、「西友」「クレデゖセゾン」「西洋フードシステムズ」からなる三人の代表幹事をグループトップに据えて、小売グループは次第に西友が西武百貨店に代わりグループトップの座を占めるようになったのである。
西友はまず、百貨店の関係会社のうち、演劇??劇場、出版、チケットなどの部門を西友に移し、西武百貨店の本確的なリストラに協力した。西武百貨店はピーク時には売上高は九五〇〇億円にのぼっていたが、絶え間ない不祥事と経営の放漫の故に赤字に転じてしまった。
そこで、西洋フードシステムの社長であった和田繁明氏が百貨店の社長になり、それこそ百貨店史に残るというほどのリストラを敢行し、売上高は三〇〇〇億円も減少させながらも九七年二月期決算では 证塑灓浮ⅴ攻辚啶墙钊赓|な百貨店に再蘇生させることに成功した。
一方、今一つの雄である西友はどちらかというとこのリストラに仱赀Wれた感があり、成長の停滞が九七年前後においても続いていたが、思い切った不採算店の大幅なカットや人貝削減などが藤関勝宏社長のもとで行なわれ、収益的には大幅に回復している。