日本文学B 口头発表编
日本文学史
好きな主義:
私は大好きな主義が自然主義文学だ。
自然主義文学(しぜんしゅぎぶんがく)は、19世紀末にフランスで提唱された文学理論に基づく作品、およびそこから影響を受けた日本の20世紀前半の文学のこと。
ゾラの作品は、日本の1900年代の文学界に大きな影響を与えた。
坪内逍遥らによる写実主義を経て、小杉天外は『はつ姿』、永井荷風は『地獄の花』などを書いた。
そして島崎藤村の『破戒』や田山花袋の『蒲団』が自然主義文学の支柱を成した。
花袋は、『露骨なる描写』を発表し、自分の作品を貫く論理を明らかにしようとした。
また、「早稲田文学」を本拠に評論活動を行った島村抱月や長谷川天渓も、自然主義文学の可能性を広げようとした。
花袋も『一兵卒』のような作品では、客観描写による小説のふくらみを試みてはいた。
好きな作者:
私は好きな作者が田山花袋(たやまかたい)だ。
田山花袋は日本の自然主義文学の小説家だ。
田山花袋は広島市に森鴎外を訪ねており、帰国するまでの間、鴎外と頻繁に会っていた。
その頃から自然主義文学の分野を自覚し、評論『露骨なる描写』や小説『少女病』を発表し、新しい文学の担い手として活躍することになる。
明治40年に、中年作家の女弟子への複雑な感情を描いた『蒲団』を発表。
女弟子に去られた男が、彼女の使用していた夜着に顔をうずめて匂いを嗅ぎ、涙するという描写は、読者、さらに文壇に衝撃を与えた。
この作品によって、日本の自然主義文学の方向が決まった。
さらに『生』『妻』『縁』の長編3部作、書き下ろし長編小説『田舎教師』を書き、藤村と並んで代表的な自然主義作家となった。
ひとすじの道-日本文学
ひとすじの道東山魁夷ひとすじの道が、私の心に在った。
夏の早朝の、野の道である。
青森県種差海岸の、牧場でのスケッチを見ているとき、その道が浮かんできたのてある。
正面の丘に灯台の見える牧場のスケッチ。
その柵や、放牧の馬や、灯台を取り去って、道だけを描いてみたら——と思いついた時から、ひとすじの道の姿が心から離れなくなった。
道だけの構図で描けるものだろうとかと不安であった。
しかし、道のほかに何も描き入れたくなかった。
現実の道のある風景でなく、象徴の世界が描きたかった。
したがって、どこの道を描くといるわけではないのだが、いろんな条件を考えてみると、やはり、種差牧場の道を手がかりにして構成するのが、まとまりがよさそうに思えるのだった。
しかし、その牧場をスケッチしたのは戦前のことで、十数年も前のことである。
はたして、あの道が、あのままの姿で、今でも在るのだろうか。
心細いことであった。
行っても無駄ではないか、何も、あの未知にこだわることはないとも考えられた。
昭和二十五年のことであるから、旅行事情もあまり良いとは云えない頃だったが、私の懸念は、そのことではなかった。
最初の拠り処となった現実の風景が、すっかり変ってしまっていた場合、せっかく心の中に形成されかかっている道の影が、薄れてしまうのではないかと心配であった。
それでも、どうしても行ってみたくなった。
東北本線が水害で不通になっていた時なので、奥羽線で青森を廻って八戸に着いた。
種差海岸の牧場へ行くと、その道は荒れてはいるが、以前のまま牧場の中を通って、灯台の丘へと、ゆるやかに続いていた。
「着てよかった」と、ひとりごとを言って、私はその場に立ちつくした。
海へ傾斜している芝のスロープの中に、その道は両側を雑草にふちどられて、まっすぐに、ゆるやかに上ってゆき、やや、右へ曲がろうとして、視界から消えている。
そして、遠く向うの丘を、その続きと思える一線が横切っているのが見える。
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江苏省自考 日本文学复习大纲
上代文学第1章古事記作者太安万侶(おおのやすまろ)帝紀、本辞を筆録して、712年に「古事記」の編纂を終えた。
古事記の性格・価値:●天地開闢、英雄物語、悲恋物語などの神話、伝説、歌謡。
●現存する日本最古の典籍として価値が高い。
●『古事記』は神代の物語が三分の一を占め、文学性が強い。
系譜けいふ家谱舎人とねり(日皇,皇族的)近侍者説話せつわ童话,神话,传说天地開闢(てんちかいびゃく)帝紀(ていき)・・・・・・皇室の系譜を記した文献。
本辞(ほんじ)・・・・・・皇室や民間に伝わる神話を記した文献。
第2章日本書紀(にほんしょき)作者:舎人親王(とねりしんのう)720年に日本書紀は成立した、編年体で記す。
日本最初の勅撰(ちょくせん)の歴史書である。
内容仏教の伝来や白村江(はくそんこう)の戦いなど国内外の史実(しじつ)を含む。
『日本書紀』は客観的な史書としての体裁を強く出している。
古事記と日本書紀は合わせて記紀(きき)と称される。
第3章風土記(ふどき)成立●713年、元明天皇が六十余の諸国に地誌の編纂を命じた。
これが『風土記』である。
●国家統一を目指す天皇が、諸国の状況を把握しよう意図したからである。
●記すべき項目として、天皇から次の亓つが提示された。
1.郡郷の名前(良い意味の漢字2字を使って表わすこと)。
2.郡内の産物の名品。
3.土地(とち)が肥(こ)えているかどうか。
4.山、川、原野(げんや)の名前、およびその由来。
5.老人らが語り伝える旧聞異事(きゅうぶんいじ)(伝説)。
成立●各国の役人が各地方の民間説話、習俗(しゅうぞく)、歌謡(かよう)等を『風土記』に記したが、内容・文体ともに文学性が濃い。
出雲の『風土記』の正式名称は「出雲国風土記」(いずもこくふどき)である第4章懐風藻(かいふうそう)編者選者は淡海三船(おうみのみふね)とする説が有力である。
成立●751年成立。
●現存最古の漢詩集で、約80年間にわたる64人の作品、約120編を作者別、年代順に収録する。
日本文学选读作者介绍和文学常识
日本文学选读第一章古代前期の文学(奈良時代)第一節古代前期の文学概観一.文学背景1.古代前期おおかた五世紀ごろから八世紀まで、すなわち文学の発生から794年の平安遷都までの間を指す。
日本史で古代前期とは大和、飛鳥、奈良時代とも呼ぶ。
その中でも、奈良時代を中心にしている。
この時期を上代とも言う。
2.国家の成立紀元前3世紀に、集団による農耕生活が始まり、各地でだんだん小国家が出てきた。
4世紀に、大和朝廷が統一国家成立を成し遂げた。
3.律令制の確立7世紀に、聖徳太子の改革によって、「憲法17条」が決められた。
和を尊び、仏教を信じ、天皇に服従すべきことなどを強調して、すべてが国家の統治に有利である。
しかも、これまでの大王の称にかわって、天皇の称号が用いられるようになった。
4.遣隋使と遣唐使7世紀から遣隋使と遣唐使が大陸に頻繁に派遣されて、中日両国の交流がとても盛んである。
聖徳太子の時、小野妹子が何度も隋に派遣された。
奈良朝に入ってから、朝廷がさらに頻繁に遣唐使や留学生を中国に派遣して、日本はどんどん中国大陸から中国文化を吸収した。
また、日本の留学生も帰国するに際して、唐から大量の書籍を持って帰る。
だから、奈良文化の特徴と言えば、貴族的文化、「唐風」であると言えよう。
二、口承文学の時代から記載文学時代へずっと昔、日本の祖先は祭りを通して、共同体を結んでいった.その当時、文字がなくて、祭りの場で、神々や祖先に対して語られ歌われる神聖な言葉は、口々相伝得るより仕方がなく、長い間、子々孫々に言い継ぎ、歌い継いで、伝承されていった。
このように誕生した神話、伝説、歌謡、祝詞などを口承文学と言う。
大和朝廷は国家を統一すると、朝鮮、中国との交流が盛んになった。
4世紀ごろに、大陸から漢字が伝わってきた。
そして、だんだん実用化され、6世紀ごろに、漢字で表記できるようになり、文学作品も漢字によって、記載されるようになった。
これは記載文学の始まりである。
プロレタリア文学论
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こゝではプロレタリア文学の悪口をいふのではない。これを弁護しやうと思ふ。しかし私は一般にブルヂヨア作家と目されてゐる所より、お前などが弁護する必要がないといはれるかも知れない。
さてプロレタリアの精神に味方したものに大体二通りあると思ふ。第一は宣伝を目的としたものと、第二に文芸を造る傍《かたはら》宣伝するものとがある。第二の部類にはシヨオの作など這入《はい》ると思ふ。しからばその宣伝とはなんであるかといふに多くの人は、第一に階級闘争の精神を眼目にし、戦ひに向かつて進むといふ力が宣伝の内容であり目的であるといふ。しかし実社会は非常に複雑してゐるのであつて、大まかに資本家とプロレタリアといふ風に画然と別れてゐない。一例を揚げていふにAといふ菓子屋はBといふ得意先きとの関係は資本家と労働者の対立に近いが、そのAなる菓子屋はCなる職人(菓子を造る)とは又自分が資本家になる関係におかれる。斯の如く所謂宣伝の対照もはつきりせずその宣伝のために迷惑を蒙る資本家でない人もある。それは兎に角としてプロレタリア文学は矢張りうまいものでなければならない。まづいものはいけない、なぜかといふに譬へプロレタリア文学は宣伝を陰に陽に主張してゐることによつて想像出来る如く、彼等の目的はプロレタリアの天下を将来させるための一つの啓蒙的な一時的なものであるといつても、将来は文学として立派なプロレタリア文学が出来るが、現在ではその踏み台だ。それでいゝ、それだからまずくてもいゝといふ論は立たないと思ふ。又あらゆる文芸は死滅せざるを得ない。伝統は滅びる。しかし過去の死滅した文学もその当時にあつては立派に生きてゐたやうに、将来はいゝものが必ず出来るからといつて現在のプロレタリア文学の不完全を是認出来ないのである。現在でもいゝプロレタリア文学を造らなければならない。それは私といふ人間が早晚死ぬだらうが、現在はこの通り生きてゐる。それは非常に見識の高い人間から見れば私は生きてゐるやうでその実中味は死んでゐるといはれるかも知れないが、ともあれなんといつても私はこの通り生きてゐるやうに、一つの過渡期における産物、将来の足場同様のプロレタリア文学といつても、現在われわれの胸を打つ力のあるものでなければならない。相当芸術作品としてものになつてゐるものでなければならない。佐藤春夫君がプロレタリア文学には生々しい実感がなければならないといつたのも要するにいゝものを、すぐれたプロレタリア文学を求めんとする所の叫びに外ならないと思ふ。
中世文学発表
新古今
幽玄 有心
感覚的 本歌取 物語的 り 絵画的 体言止 め
七五調 初句切れ 三句切れ
短歌
三大随筆の比較
随筆 作者 成立 内容 枕草子 清少 1001年 約三百段 ごろ 納言
方丈記 鴨長 明
1212年
序段(無常観による命題 提示) 前段(五大災厄) 後段(自己省察)
文体 和文 (雅文)
和漢混 交文
狂言
喜劇 的
室町時代 作者は多数
民間説話 など(創 作も多 い)
室町時代の世 相を笑いの面 から捉えた現 実的性格の文 学
口 語 体
台詞と 仕草
ቤተ መጻሕፍቲ ባይዱ
能と狂言の比較
主題 能 悲劇 的 成立 室町初期 観阿弥、世 阿弥の父子 素材 内容 文 体 演技 謡と舞 美的理念 印象 古典文学 代表作は『花伝 文 書』 語 体 (世阿弥) 「幽玄』(花) 貴族 を理念とし 的 て、象徴的、 荘重 夢幻的に 演出する 『をかし』を 主とし、写 実的要素 が強い 庶民 的 軽妙
特色
をかしとい う知的美 的感覚 洗練 格調が高 い
徒然草 兼好 法師
1330年 ごろ
243段からな 擬古文 る 和漢混 交文
無常の美 を確立
五大災厄
• 京都の三分の一を焼いた安元の大火 • 治承の旋風 • 平清盛によって突如決行された福原への遷 都 • 死者四万二千人以上といわれた養和の大飢 饉 • 元暦の大地震
中世文学のいろいろな比較
2009312 田珍
三大歌集の比較
歌集 万葉 歌風
雄大 素朴 男性的(ま すらおぶり) 優美 雅 典雅 女性的(た をやめぶり)
表現
修辞
調子
广外日语本科自考_日本文学选读(近世及近代部分)
广外日语本科自考日本文学选读近世及近代部分近世部分小説一、概観1、近世文学は二つの時期に分けられ、一つは上方文学期と呼び、元禄文学期ともいう、も一つの時期を江戸文学期と呼ぶ、また、江戸文学期に前半を天明文学といい、後半を化政文学と呼ぶ2、江戸時代を代表する文学者は俳諧の松尾芭蕉、小説の井原西鶴、演劇の近松門左衛門である3、江戸時代に、代表的な作家は浮世草子の井原西鶴、読本の滝沢馬琴、上田秋成、滑稽本の式亭三馬、洒落本の山東京伝、草双紙の柳亭種彦、黄表紙の恋川春町、人情本の為永春水などである二、浮世草子1、井原西鶴〔1642-1693〕は談林派作者で、彼の作品を分類すると、〔好色物〕〔武家物〕〔町人物〕〔雑話集〕に分けられる。
〔好色物〕と〔町人物〕は彼の得意な作品である。
まず、〔1682-好色一代男〕を発表し、その後、〔好色二代男〕を発表した。
1686に、〔好色五人女〕や〔好色一代女〕を書いた。
さらに、1688に〔日本永代蔵〕や〔1692-世間胸算用〕を書いた。
また、〔1687-武道伝来記〕〔1685-西鶴諸国話〕〔1687-武家義理物語〕〔1693-西鶴置土産〕〔1696-万の文反古〕なども見られる。
2、西鶴が没後、京都の江島其績の浮世草子〔1715-世間息子気質〕は当時の浮世草子に新風を吹き込んだ、他にも〔世間娘気質〕〔浮世親仁気質〕〔けいせい色三味線〕などある、彼の作品は京都の八文字屋から出版されたので、八文字屋本とも言われる。
三、読本1、18世紀中ごろ、最初の読本〔英草子〕、その後編〔繁野話〕が読本始祖といわれ、大阪の儒医都賀庭鐘によって、著される。
2、建部綾足は〔1768-西山物語〕〔1773-本朝水滸伝〕を、上田秋成の〔1776-雨月物語〕〔春雨物語〕を著して、前期読本の完成に導いた。
3、上田秋成〔1734-1809〕は歌人、国学者、読本作家で、都賀の影響を受け、流麗な雅文体で〔1776-雨月物語〕を書いた、全部で九話からなる。
日本文学概述
日本文学概述吕元明著(今川樱一录入)日本文学的基本特征日本经历了漫长的史前发展,于公元初进入文明阶段。
中国《后汉书》记载,公元57年倭国王入贡后汉,得光武帝“汉委奴国王”印缓。
《魏志·侯人传》记载公元146——188年间倭国动乱。
邪马台女王卑弥呼统一国家,公元239年派使臣至中国带方郡。
公元645年,经大化改新开始确立以古代豪族为基础的天皇专制主义。
公元1192年源赖朝创立镰仓幕府,使日本走上封建社会道路,一直延续至1868年明治维新。
在第二次世界大战失败之.前,日本天皇号称“万世一系”,从未受到异国异民族的统治。
日本是亚洲第一个走上民族独立的资本主义道路的国家。
日本的地理条件、社会条件和历史条件,决定了它的文学特征。
第一,日本文学形式在近代前大都是短小的,结构单纯。
从古代开始,短歌形式的文学最为发达,后来发展为连歌、俳谐、俳句等,迄今不衰。
日语音节、古调单纯,诗的形式不具备押韵的条件,因而日本诗歌极易与散文混同,形成散文诗化。
日本随笔、日记文学,都很讲求文体的优美。
散文的发展促进了短篇小说形式的物语的发达。
十一世纪初出现的长篇小说《源氏物语》,其结构是由短篇小说连贯而成的,前后衔接松散,叙述简单,时间推移与人物性格变化没有必然的联系。
在日本,即使长篇小说,其结构也是由短小形式组成的。
这一特点贯穿于整部日本文学史,成为一种传统。
江户时期井原西鹤的浮世草子《好色一代男》等长篇小说,也都是由短篇故事组合而成的。
现代作家川端康成的长篇小说《雪国》,明显地具有《源氏物语》的那种结构和描写方法。
日本作家在短小、单纯的结构中追求精炼的艺术表现手法。
短短三两句的短歌或俳句,往往能准确地表达日本歌人、俳人的感情世界。
随笔和物语中的情节描写,也极少有长段落。
第二,文学性格纤细、含蓄。
自古以来日本自上而下的改革,对文学产生深刻的影响。
明治维新以前,在日本文学中几乎听不到强烈的社会抗议的呼声。
古希腊悲剧的那种雄伟崇高的观念,也不是日本作家追求的对象。
日本文学概论
中世文学
军记物语: 《平家物语》 作者不详 。原称《平曲》,又称《平家琵琶曲》,为 盲艺人以琵琶伴奏演唱的台本,只有3卷,后经说书艺 人传唱、补充,加之一些文人校勘 、改造,在12011221年初步形成今传的13卷本。 《平家物语》主要叙述以平清盛为首的平氏家族的故事。 按内容可分为两大部分。前6卷描写了平氏家族的荣华 鼎盛和骄奢霸道;后7卷着重描述了源平两大武士集团 大战的经过,渲染了平氏家族终被消灭的悲惨结局。
中古文学
日语假名 假名的形成大约是在9 世纪末、10世纪初。日 本人依据汉字草书创造 出平假名,柔软圆润; 依据汉字楷书的偏旁部 首创造出片假名,有棱 有角。因为它们是用来 替代正式汉字“真名” 衣 → 於 →
あ い う え お
片假名 阿 → ア 伊 → イ 宇 → ウ 江 → エ 於 → オ
中古文学
说话文学 : 《今昔物语集》: 诞生于公元12世纪初,作者不祥。总计31卷 (其中欠缺3卷),收录1040则故事。第1卷 至第5卷的内容是印度故事,第6卷至第10卷 是中国故事,第11卷至第31卷是日本故事。 内容包括佛教故事与世俗故事。
中世文学
中世文学
时代背景
镰仓幕府成立,到室町幕府成立,至江户幕府成立 (1192-1603) *天皇、贵族统治的没落 *武士阶级登上政治舞台 *王朝传统文化与新兴的、地域性的、带有庶民 特征的文化产生碰撞
闲寂风雅静寂古池旁青蛙跳进水中央扑通一声响近代文学时代背景从明治维新到日本战败18681945文明开化富国强兵脱亚入欧走上资本主义制度实现成为世界一流大国梦想走上军国主义道路最终战败成为世界上第一个原子弹受害国日本近代文学以半个世纪的时间高速度完成了西欧经历几百年的文艺史迎来日本文学的鼎盛时期出现了文学的各种流派各种要素和文学创作的各种可能性东西方文化产生激烈碰撞近代文学发展阶段一明治初年明治二十年二明治二三十年代三明治末期大正末期四昭和前期明治时代1868981912730大正时代191273019261225昭和时代19261225198917近代文学代表流派团体与作品一明治初年明治二十年文明开化与文学功利化时代启蒙思潮福泽谕吉劝学篇文明论之概略等翻译文学鲁滨逊漂流记伊索寓言等政治小说矢野龙溪经国美谈东海散士佳人奇遇等写实主义的萌芽坪内逍遥小说神髓等近代文学小说神髓作者坪内逍遥1885年出版否定了明治维新之前小说劝善惩恶的功利主义以及小说游乐娱乐的两个趋向
东南大学自考 日本文学 作者介绍
第一課ひとすじ道東山魁夷「作者紹介」東山魁夷(1908~)。
日本画家、随筆家。
横浜市生まれ。
本名新吉。
東京美術館学校日本画科に在学中、二回帝展に出品し、1931年同校を卒業。
1933年~35年渡欧し、第一回日独交換留学生としてベルリン大学哲学部美術史科に学ぶ。
帰国後、官展を中心に活躍。
常に風景画に取り組み、純度の高い澄んだ近代画境を追及している。
日本芸術院会員。
1969年文化勋章授章。
代表作「残照」「道」「朝明けの潮」ほか。
随笔に「わが遍歴の山河」「風景との対話」などがある。
第二課月夜(つきよ)瀬戸内晴美(せとうちはるみ)「作者紹介」瀬戸内晴美(1922~)。
女流小説家。
法名寂聴。
徳島市生まれ。
東京女子大学国語専攻部卒業。
在学中に結婚して中国に渡り、1女を設ける。
北京から引き揚げ後、恋愛のため離婚し、創作活動に入る。
昭和31年「女子大学、曲爱玲」で新潮同人雑誌賞を受賞し、32年「新潮」に発表した「花芯」がポルノと評され、一時文壇を遠ざかり、35年、伝記文学に新局面を開いた「田村俊子」(第一回田村俊子賞)で再起、才能が花開く。
38年、「夏の終わり」で第二回女流文学賞を受賞し、作家としての地位を築く。
以後、「かの子繚乱」、「美は乱調にあり」など強烈な女たちの伝記的小説や私小説系の作品「みれん」、「不惑妬心」などを多数執筆。
昭和48年11月、中尊寺で得度受戒、仏子号は寂聴。
53年大律師となる。
54年、京都の嵯峨野に「寂庵」を建て、60年には在家のための道場「サガノサンガ」を開く。
56年より徳島県で文化講座「寂聴塾」を開くなど多彩に活躍。
62年岩手県静法寺町の天台寺住職に就任。
また63年4月には敦賀女子短期大学長に就任。
日本文芸協会、日本ペンクラブ会員。
第三課砂漠への旅森本哲郎「作者紹介」森本哲郎(1925~)。
評論家。
東京都に生まれた。
東京大学卒業。
大学では哲学、社会学を専攻。
朝日新聞記者を経て、現在は文明論から言語のほか、紀行、文芸評論など、枠にとらわれない評論活動続けている。
日本文学选读教案
讨论
练习
作业
1当堂讨论作品,发表感想。
2.预习下一次课作家作品,准备提问问题。
教研室
主任
审批意见
教学
后记
通过摸底排查和个别谈话,发现大部分同学对文学尤其是日本文学并无兴趣,所看过的文学作品也屈指可数,正是本课程要着力努力改变的地方。
教学内容要点
一 導入 (10分)
1.文学がすきですか。
伍 次回のチームワークの説明 (5分)
周次
第8周
授课时间
周二3,4节
章节
名称
安部公房
授课
方式
理论课实践课
教学
时数
2学时
教学目的
和要求
通过本课的学习,要求了解作家的文学创作经历,了解其创作风格,流派。了解其代表作的内容概要,主题思想及创作特点。
教学
重点
难点
重点:作家的文学创作经历 创作特点
难点:从代表作看出作家的创作风格,了解作家作品的语言特色
第二節主な文学作品
〈四〉中世の文学(鎌倉、室町時代)
三 まとめ (10分)
四 次回のチームワークの説明 (5分)
周次
第2周
授课时间
周二3,4节
章节
名称
日本近现代文学史
授课
方式
理论课
教学
时数
2学时
教学目的
和要求
1、比较系统地讲授现当代日本小说发展的基本脉络以及各个时期的文学思潮,帮助学生了解日本文学发展历史,掌握重要的作家及其代表性作品,培养和提高学生分析、鉴赏日本文学作品的能力。2、批判继承日本文学遗产,领略丰富多彩的异域文化,提高学生的综合素质和对社会的适应能力。3、结合学生实际,力求既讲述基本知识,又把握重点。加强文学经典著作的分析,使之举一反三,让学生初步掌握中日文学与文化的各自特点。
日本文学发表
谷崎潤一郎作为长子出生在东京府东京市日本桥区。 弟弟谷崎精二后来成为了作家,英文学者。 母亲的祖父谷崎久右衛門在那一代是有财富的人。父 亲是从江泽家来的养子,担任了家业的一部分。但是 祖父死后,家族事业不怎么顺利,谷崎从阪本普通高 小四年毕业后??继续进修也很困难。听从爱惜谷崎 才能的老师的建议。谷崎能够一边住在家庭教师家一 边在府立一中上学。他的散文和汉诗写得很好,一年 级时写的《评厌世主义》震惊了周围2年(明治35年)9月、16歳の時、その秀才ぶりに勝浦鞆雄校 長から一旦退学をし第二学年から第三学年への編入試験を受け るように勧められる。すると合格し、さらに学年トップの成績 をとった。本人が「文章を書くことは余技であった」と回顧し ているように、その他の学科の勉強でも優秀な成績を修めた[1]。 卒業後、旧制一高に合格。一高入学後、校友会雑誌に小説を発 表した。 1908年(明治41年)、一高卒業後東京帝国大学文科大学国文科 に進むが後に学費未納により中退。在学中に和辻哲郎らと第2次 『新思潮』を創刊し、処女作の戯曲『誕生』や小説『刺青』 (1909年)を発表。早くから永井荷風によって『三田文学』誌 上で激賞され、谷崎は文壇において新進作家としての地歩を固 めた。以後『少年』、『秘密』などの諸作を書きつぎ、自然主 義文学全盛時代にあって物語の筋を重視した反自然主義的な作 風を貫いた。
1910《刺青》、《麒麟》 1925 《痴人之爱》 1933《春琴抄》 1945《细雪》
1928《卐》 1928《各有所好》 1931《吉野葛》、《盲人物语》 1932《刈芦》。。。。。
谷崎 潤一郎(たにざき じゅんいちろう、1886年(明治19年)7 月24日 - 1965年(昭和40年)7月30日)は、日本の小説家。明治 末期から第二次世界大戦後の昭和中期まで、戦中・戦後の一時 期を除き終生旺盛な執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術 性が高い評価を得た。現在においても近代日本文学を代表する 小説家の一人として、評価は非常に高い。 初期は耽美主義の一派とされ、過剰なほどの女性愛やマゾヒズ ムなどのスキャンダラスな文脈で語られることが少なくないが、 その作風や題材、文体・表現は生涯にわたって様々に変遷した。 漢語や雅語から俗語や方言までを使いこなす端麗な文章と、作 品ごとにがらりと変わる巧みな語り口が特徴。今日のミステリ ー・サスペンスの先駆的作品、活劇的な歴史小説、口伝・説話 調の幻想譚、果てはグロテスクなブラックユーモアなど、娯楽 的なジャンルにおいても多く佳作を残している。 『痴人の愛』『春琴抄』『細雪』など、情痴や時代風俗などの テーマを扱う通俗性と、文体や形式における芸術性を高いレベ ルで融和させた純文学の秀作によって世評高く、「文豪」「大 谷崎」と称された。
日本文学摘要
1.张玲这一名称同这些作家最初在创作实践上、随后在理论主张上所追求的一种新的艺术倾向有直接关系,同以德国为中心的表现派、以英美为中心的意识流文学、以意大利为中心的未来派、以法国为中心的超实派一样,都属于02 世纪西方现代派文学的范畴。
引用:川端康成说过: “表现主义的认识论,达达主义的思想表达方法,就是新感觉派表现的理论根据。
摘录:新感觉派坚决要追求新的感觉和新的生活方式,以及对事物的新的感受方法。
他们不愿意单纯描写外部现实.而是强调直觉,强调主观感受,力图把主观的感觉印象投入到客体中去,以创造对事物的新感觉.创造所谓由智力构成的“新现实”。
横光利一的短篇《头与腹》、长篇《上海》和川端康成的《伊豆的舞女》,便代表了这种风格。
因此,有人把这种主张叫做“主客观合一主义”。
记忆:张玲论文中关于川端康成创作的评论横光利一提倡新的文学要以快速的节奏和特殊的表现为基础,从理想的感觉出发进行创作,把自然主义或现实主义作为过时的墓碑加以抛弃。
所谓“特殊的表现”就是从直觉、主观感觉出发来革新小说的技巧,包括新表达方式和语言辞藻等等。
中国新感觉派刘。
幕,时中日新感觉派的比较异同中日两国新感觉派的不同点,一是中国新感觉派在快速的节奏中表现半殖民地都市的病态生活,而日本新感觉派中大多是描写现代主义的城市文学,表现城市的享乐的倾向较强.这与两国的国情有关.二是中国新感觉派把日本这个流派起先提倡的新感觉主义与后来提倡的新心理主义两个阶段结合起来了。
施蛰存的小说主要是新心理主义的产物.也可以说是典型的心理分析派作品。
在这方面.日本新心理主义的代表主要是伊藤正和阿部知二等人,和新感觉派有所不同2.中日新感觉派比较论闫振宇不同:a.首先表现在两者选材的差别:中国新感觉派热衷于对现代都市文明的展现;而日本新感觉派则侧重于传统题材的发掘。
比如刘呐鸥的《都市风景线》、施蛰存的《夜总会的五个人》都可以看出其中的现代都是的奢靡、麻醉的生活。
日本文学的特点
日本文学的特点1、日本文学的许多特点都来自日语本身。
从诗体来说, 基于日语多以元音结尾的特性,日本诗歌有其独特的形式,散文与韵文的区别与其他民族不同。
以文体而论, 日文也有自己的特点。
譬如句子, 日语典型的句式都是动词在后。
这种来自语言的特点是难于改变的。
一些作家试图改变它, 往往行不. 通。
日本文学的一个突出的特点是富于余情。
话不说尽, 留有余地, 让读者去想像, 余韵无穷。
暖昧、委婉而又意味深。
2、日本文学形式在近代前大都是短小的,结构单纯。
从古代开始,短歌形式的文学最为发达,后来发展为连歌、俳谐、俳句等,迄今不衰。
日语音节、古调单纯,诗的形式不具备押韵的条件,因而日本诗歌极易与散文混同,形成散文诗化3、日本文学性格纤细、含蓄。
自古以来日本自上而下的改革,对文学产生深刻的影响。
明治维新以前,在日本文学中几乎听不到强烈的社会抗议的呼声。
4、日本的文艺观是以真、哀、艳、寂为基础的。
从真事始,平安时期的物哀,镰仓、室町时期的幽玄,江户时期的闲寂,主要是在和歌的基础上发展和提炼出来的。
日本文学简介日本文学指的是以日本语写作的文学作品,横跨的时间大约有两千年。
早期的文学作品受到中国文学一些的影响,但在后来日本也渐渐形成自有的文学风格和特色。
19 世纪日本重启港口与西方国家贸易及展开外交关系之后,西方文学也开始影响日本的作家,直到今天仍然得见其影响力。
在日本,也有因为考虑到近来非日本籍的日裔作家,而采用日语文学称呼的情形。
日本古典文学中最初的作品上代文学篇1.『古事記』(U吉)处現存丁召日本最古①書物。
和銅五年(712年)広成立—太安万侶(H尢編者r 稗田阿礼(誦習『古事記』編纂o最大o目的处諸氏族o持二伝承总統一—、天皇支配o正統性总示—疋天皇总中心七—尢国家統一总進^feo^o『古事記』处上、中、下o三巻力>5^9、上巻0口止天地創造広始求召神話力人収、物語性、文学性o富住。
中、下巻处天皇一代e^o系譜总中心、皇族壬英雄o伝説力述^^nrv^o《古事记》是日本现存最古老的书籍。
フェミニズムと言语差别
フェミニズムと言語差別-中村桃子(1994)『ことばとフェミニズム』(勁草書房)を中心に-1糸魚川美樹1はじめに本稿は、中村(1994)『ことばとフェミニズム』を中心に取上げ、日本における「ことばの性差別」研究を、「言語差別」という視点から検討することを目的としている。
日本では70年代後半から「ことばと性」という研究、中でも「表され方における女・男の違い」への関心が高くなり、多くの関連図書が出版されてきた2。
そして、単に表され方における性差を考察するのではなく、女性差別という社会問題を視野に入れた画期的な研究が盛んになっていく。
2日本における「ことばと性差」研究「表され方における性差」という視点からの言語研究は、合州国のフェミニズム運動が盛んになり始めた1960年代後半からの英語における性差別的性質に関する研究により、その関心が世界のさまざまな言語研究に広がっていく。
日本では、1979年に寿岳(1979)『日本語と女』(岩波新書)が出版され、表現する側・される側の両面から「女」と日本語について論じられている。
また85年には、ことばと女を考える会(1985)『国語辞典にみる女性差別』(三一新書)が出版され、国語学・日本語学研究者により、「女性語」研究だけでなく「女の表され方」も注目されるようになる。
さらに80年代後半から、英語研究者が英語における女性差別に関する文献を翻訳することで、ことばと女性差別というテーマの展開をうながした。
主要図書をあげる。
1985年:レコフ『言語と性』(秋葉訳、有信堂)1987年:スペンダー『ことばは男が支配する』(秋葉訳、勁草書房)1990年:カメロン『フェミニズムと言語理論』(中村訳、勁草書房)1995年:フランク他『英語にみる性とことば』(吉村・中村訳、関西大学出版部)また、90年代に入ると、それまでこうした翻訳に携わってきた英語研究者たちが、自ら「ことばの性差別」の考察をすすめるようになる。
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「和泉式部日記」(中古・平安) 吴琳娜さんたち
発表
• 夢よりもはかなき世の中を歎きわびつつ明か し暮らすほどに、四月十余日にもなりぬれば、 木の下くらがりもてゆく。・・・・(冒頭)
• 日記。一巻。和泉式部作とされるが、後人説 もある。1008年ごろ成立か。敦道親王との恋 愛生活を大胆に綴る。別書名として『和泉式 部物語』がある。
「枕草子」(中古・平安) 张晓敏さんたち 発表
• 随筆。一巻。清少納言作。一条天皇の中宮 定子のもとに出仕した作者の宮廷生活の回 想、見聞、また自然・人生などに関する随想 などを約三百の章段に綴ったもの。感覚鋭く、 文章軽快で、源氏物語と共に、王朝女流文学 の最高峰と言われる。
• 「春は曙、夏は・・・。秋は・・・。冬はつとめて」
孟欣さんたち 10/31「浮世床」(近世・江戸)発表
• 滑稽本。三篇。初・二篇は式亭三馬。三篇は 滝亭鯉丈作。1813年~23年刊。髪結床に出 入りする人物の会話を通じて、当時の江戸の 風俗・気風を滑稽に描いたもの。
「浮世床」について(原文を読むには)
• 浮世床 四十八癖 新潮日本古典集成 第52 回 [単行本] • 式亭 三馬 (著), 本田 康雄 (著) • 価格:¥ 3,780 在庫状況について この商品は、Amazon.co.jp が販売、発送 します。
「土佐日記」(中古)
庄李涵 さんたち発表
• 日記。一巻。紀貫之作。935年ごろ成立。 • 任国土佐から京都まで五五日間の旅を記し たもの。 • 作者を女性に仮託する。 • 仮名日記の最初の作品として重要な位置を 占める。 • 藤原定家/為家の写本が著名。 「男もすなる日記を女もしてみんとてするなり」
日本文学B 口頭発表編
2013.10.31~
発表日程の変更
11月14日分(運動会の為)
11月12日午後 5・6限 21日午後 5・6限
枕草子 和泉式部日記
日本文学B 11月7日
• 『浮世床』(10/31)について 追加情報 質問「庶民の文学が生まれた背景は?」 模範解答「江戸時代は武士の闘争が終了し て安定した政権が続いた。安定した社会は文 化が繁栄する。また出版文化が生まれ、印刷 で本が一部の上層階級だけではなく、庶民に も広く行きわたったから。 • 基本情報は、必ず最初に発表すること
追加 韓国で説話等Байду номын сангаас典研究が進み にくい理由。
• 半島は戦禍の影響で資料があまり残ってい ない。 • 研究の傾向として、“起源探し”にこだわる傾 向がある。(アジアの文化の起源は中国であ りこの事実は動かず意味が無い) 追加 ↓ • 既に多くの韓国の大学で漢字教育の廃止が 始まるなどの傾向があり、昔の漢字史料が 読みにくくなり、研究が進展しにくい。
「源氏物語」(中古・物語)陈婷婷さんたち 発表
• 教員の質問は最も厳しい。覚悟すること。 • 長い物語(三部作)で登場人物も500人を超 える。整理して発表すること。 • 54帖。1001年ごろ、起筆か。紫式部作。 • 構成・心理描写・物語描写に優れ、物語文学 の最高峰と呼ばれる。 • 古くは、「源氏の物語」「光源氏物語」「紫の物 語」などと呼ばれた。
「徒然草」(中世)
罗琦さんたち 発表
• 二巻。兼好法師著。1330~31年ごろ成立か。 随想・見聞などを、著者の感興の赴くままに まとめたもの。( )観に基づく、著者の人 生観・美意識などがうかがえ、「 」と並ぶ 日本の随筆文学の傑作とされる。
「刈萱」(中世~)
张昊さんたち
発表
• 伝説上の人物・刈萱道心を主人公に、能・説 教節・浄瑠璃に脚色した作品。出家して刈萱 と名乗り、探し訊ねてきた子供に会いながら も名を明かさなかったという逸話。
• 多彩な形に変形していったことについて。 • 他の作品と異なり、知名度は高くない。それ だけに、この作品を選択した理由等、