苏州园林日语版

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苏州园林介绍(日语版)
蘇州の四大名園滄浪亭、獅子林、拙政園、留園との四つの庭園は、それぞれ宋、元、明、清の各時代の様式をもつ代表的なものです。

そのうち、拙政園と留園は中国の四大名園にも数えられています。

拙政園(せっせいえん)
蘇州四大名園の一つで中国四大名園の一つにもなっています。

拙政園は世界遺産としての「蘇州古典園林」の主格です。

中国庭園のモデルとして事実上中国No.1の庭園と言えましょう。

宮廷色の強い頤和園(ぎわえん)を代表とする北京の庭園をロイヤル・ガーデンと「royal·garden」すれば、蘇州の庭園のほとんどは昔地方の文人や官僚などが所有するプライベート・ガーデン「private·garden」です。

今は国の財産として一般公開になっています。

拙政園は、1509年(明王朝の正徳4年)に官僚の王献臣「おうこんしん」によって造営【ぞうえい】されました。

王献臣は官僚を追放され、故郷の蘇州に戻りました。

愚かなものが政をつかさどるという意味で「拙政」と名をつけたという説があります。

面積約5ヘクタールの拙政園は蘇州の庭園の中でもっとも広いものです。

8年の年月を費やして造られたそうです。

拙政園は、東園【ひがしぞの】、中園【なかその】、西園【にしぞの】の三つの部分に大きく分けられます。

園内で中心的な存在は水で、全体の約5分の3を大小の蓮池【はすいけ】が占めています。

蓮池の周りに東屋【あずまや】、橋、回廊【かいろう】、緑が水面に映って美しい景観を構成します。

その極まりがまさしく「遠香堂」を主体とする中園で、夢のような空間を感じさせます。

中国古典文学名作の「紅楼夢」【こうろうむ】の舞台がここをモデルとしたらしいです。

西園には盆「景園」があります。

そこには蘇州流盆栽の優秀な作品が集められています。

50以上の種類で、約1万の盆栽があります。

獅子林
獅子林とは、文字通りに解釈すればライオンが出没する林です。

林のように密に広がるものはよく「XX林」と言います。

雲南省【うんなんしょう】には石林【いしばやし】という観光名所がありますが、西安には有名な碑林[ひりん]があります(書道【しょどう】に興味[興味]ある方はご存知でしょう)。

では、獅子林という林とは何の林でしょうか。

それは石の林です。

ただし、その石は普通の石ではなく、太湖という大きい湖の周辺で採った所謂「太湖石」です。

また、その林とは、太湖石で造られた築山です。

端的に言えば、獅子林は築山の公園です。

それにプラス伝統的な蘇州庭園の水、東屋、回廊、小さい橋、木やお花など。

獅子林は趣があるだけでなく、遊び心もあります。

いろいろな形をする太湖石は、他の庭園でも使われますが、獅子林では主役となっています。

太湖石で造られた築山は、世の中のもっとも小さい山ですが、うねうねした洞窟があったり、狭い山道があったり、頂上もあったり、とても想像力豊かで楽しいところです。

築山がそこまで芸術的にできあがったのは、他はどこにもないでしょう。

それも築山だけではなく、庭園の他の要素と結合してはじめて達したものと考えます。

というわけで、獅子林は子供でも楽しく遊べるところです。

大人以上に喜ぶでしょう。

お子さん連れの方にはぜひ勧めです。

ちなみに、獅子林は蘇州の四大名園の一つで元王朝の時代に造営されたものです。

元王朝は、明王朝の前で約700年くらい前です。

留園
蘇州四大名園の一つである留園は、拙政園と並ぶ蘇州庭園の最高傑作です。

留園は拙政園より小さいですが、構成が緻密で景観が変化に富んでいます。

さまざまな要素の間にバランスよく取れており、気品も高いと非常に高く評価されます。

留園は400年も前の明の時代に最初に造られましたが、後に改築され清の時代の代表的な庭園とされます。

一説には、かつて東京?芝にあった「留園」の先祖が造ったともいわれ、日本人観光客に人気だそうです。

園内は、中、東、西と北の四つに分けられます。

中部は池と築山がメインで、東部は建築物が中心になっています。

園内の楼閣は長い回廊で結ばれ、「花窓」という透かし彫りの窓から見える景色が一つ一つ異なり、それぞれが一枚の絵のように見えます。

また、とても面白い形をしている太湖石である「冠雲峰」も巧みに配され、蘇州ならではの景観を創り上げています。

滄浪亭
滄浪亭は人民路滄浪亭街通り3号に位置し、1963年に蘇州市の文化財保護指定を受け、1982年に江蘇省文化財保護指定を受けた。

滄浪亭はもともと五代中呉軍の節度使孫承右の池館であったが、その後荒れはててしまった。

北宋の慶歴4年(1044年)、詩人の蘇舜欽が弾劾されて罷免され、呉中に寓居し、4万の銭で孫氏の庭園を買い取り、北側に滄浪亭を築造し、みずから滄浪翁と号し、「滄浪亭記」を書き残している。

南宋昭興の初期、滄浪亭は金王朝に抵抗した名将韓世忠のものとなり、「韓園」と改名されたた。

韓氏は二つの山の間に橋を架け、「飛虹」と名づけた。

山の上には連理木、寒光堂、冷風亭のほか、梅亭「瑤華境界」、竹亭「翠玲瓏」、桂亭「清香館」などの名所があり、慶元年間にも残っていた。

元の時代に、滄浪亭は僧房となり、僧侶の宗敬は滄浪亭の跡に妙隠庵を建立した。

至正の年間になって、僧侶の善慶はその東側に大雲庵(結草庵とも称される)を建立し、南禅集雲寺の別院でもある。

明の洪武24年(1391年)に、南禅集雲寺に住んでいた僧侶
の宝曇は妙隠庵、大雲庵をそれに合併させた。

嘉靖13年(1534年)に、知府の胡缵宗は妙隠庵を韓蕲王祠に変えた。

25年、結草庵の僧侶文瑛が滄浪亭を再建した。

清の康煕の頃に巡撫の職にあった王新はここに蘇公祠を築造することを命じた。

34年(1695年)に、巡撫の宋犖が滄浪亭を再建した。

乾隆皇帝が中国南部を巡幸した際ここに泊まったことがあり、滄浪亭の南側に拱門と御道をつくったことがある。

道光8年(1828年)に、巡撫の陶澍が滄浪亭の南西側に「五百名賢祠」を築造したが、太平天国の戦争の時に破壊された。

同治12年(1873年)に、巡撫の張樹声、布政使の応宝時が滄浪亭を再建し、その南側に「明道堂」を建てた。

「明道堂」の裏の西側には五百名賢祠があり、祠の南側には翠玲瓏がある。

滄浪亭の北側には水軒、静吟亭、藕花水?がある。

また、聞妙香室、見心書屋、印心石屋、看山楼、仰止亭もある。

光緒の初め頃には、庭園の中にまだ僧房があった。

光緒の末期に、洋務局に借用された。

民国期の初め、修志局に使われたことがある。

1927年に、蘇州美術専科学校の顔文梁校長が滄浪亭の保管係として招聘された。

再建後に、蘇州美術専科学校が転入した。

蘇州が日本軍に占領された時、日本軍が滄浪亭を占拠したため、ひどい破壊をこうむった。

1954年に、蘇州市園林管理処が修繕工事をおこない、1955年に一般公開された。

何回もの盛衰を経た滄浪亭は、面積は1万1000平方メートルで、門の前の水面は4862平方メートルである。

五百名賢祠は周の時代から清の時代までの2400年間の呉郡の著名な賢者594人の石像を集め、後世に模範として伝えられるようになった。

季礼、伍子胥、白居易(白楽天)、範仲淹、文天祥、韓世忠、唐伯虎、文徴明、況鐘、林則徐らの石像があり、高い文献的価値がある。

蘇州 寒山寺
「妙利普明塔院」の名で517年に完成したが、几度も焼失し、现存する建物は清代末のもの。

唐代贞観年间(627~649年)に高僧寒山が住んだことから寒山寺と呼ばれるようになった。

唐代の诗人张継の「枫桥夜泊」にこの寺のことが咏まれ、一跃有名になった。

明代に建てられた张継の诗碑も度重なる盗难で复元され、清代光绪(1875~1908年)のものが残されている。

诗に咏まれた钟はすでになく、これも清代に新しく造られた。

苏州虎丘.アジア版「ピサの斜塔」
虎丘は、既に2000年程の歴史を持つ「呉名第一の名胜」と称されている。

宋代の诗人苏东坡によって「苏州に到りて虎丘を游ばずんば憾事なりけり」とうたわれている。

春秋戦国时代、ここに呉王の夫差が父亲を剣池に葬った。

その3日后、白い虎が现われ、墓の上にうずくまっていたと言われるのがその名の由来である。

以来人々から「虎丘」と呼ばれるようになった。

ここのみどころは、なんといっても丘にそびえている「虎丘塔」。

苏州一の
古さを夸る高さ47m八角七层の塔だが、なんと塔身が北に15度倾いている。

400年ほど前から地盘沈下のため倾きだしたという。

门を入ったところに运河が流れ、そこで船に乗る事もできる。

おすすめは船头が舟をこいでくれる「小木船」だ。

4人乗りで、15分ほどの船旅を楽しむ事ができる。

苏州北寺塔寺院内の塔があまりにも有名なため日本のガイドブックに「北寺塔」と记されるこの寺の正式名は「报恩寺」という。

三国赤乌年间に、呉の孙権が母の邸宅として建立したのが始まりである。

その歴史は古く、苏州で最も长い歴史を持つ。

现存の塔の塔身は瓦造りで、1层~6层までは南宋时代のもので7层から上は明代に作られた。

各层の木造の部分は清代のものである。

塔は八角形九层で、上は金盘、下は重楼という中国楼阁式の仏塔である。

苏州駅のすぐ南侧に位置し、塔の上からは市内を一望する事ができる。

木の细い阶段が设置してあり、薄暗い塔内を登ることができる。

上り下りするのに、同じ阶段を使うことになるので、上る人、下りる人がお互いに目配せしながら道を譲りあう。

最上阶の八阶では、外に出てぐるっと一回りすることができる。

そこから见る町并は格别だ。

江南のいにしえを彷佛とさせる白い壁に黒い屋根瓦屋をもつ家々は、遥か昔から豊かな自然の恵みに囲まれ発展してきた。

天気が良ければ郊外に広がる田园风景を眺めることもできる。

また、この塔の隣には明代に作られた楠木作りの観音殿がある。

苏州市内で唯一、明代に建设されそのままの様子を保っている建筑物である。

観音堂の南には长廊があり、国内最大の大きさを夸る漆雕刻「姑苏繁华図」が陈列されている。

これは全长32メートル、高さ2メートルもあり、清代<乾隆盛世>と呼ばれた苏州の街の繁栄を题材にしている。

蘇州 呉门桥
「盘门风景名胜区」はこの桥から始まる。

桥を越えたところが「盘门」と「瑞光塔」のある公园の入り口になる。

1872年清代に造られた。

一つの穴を持つアーチ型の桥としては、苏州市内で最も高さが高く、倾斜もきつい。

阶段があるものの、この桥を登っていくのは一苦労である。

自転车を引っ张っていくためのレールがついている。

この桥は生活に密着しており渡っていく人は意外と多い。

桥の前に続く石畳の道からその様子を眺めるのも一兴である。

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