综合日语教程第六册第五课
综合日语第六册 文章主旨
第一课日本人の心欲を出せばきりのない安んじて暮らし、和を保つため、己を抑制するやたらに主張・物事をあからさまにしない争いを好まず、自然の運行に任せる楽観的よりも悲観的な民族臆病であり、小心であるそこから満足が得られる日本人の精神の構えとは、己の楽観的な期待を、悲観的な観点から抑制し、何とか一応の満足を得ようとすることである第二课結論自然というものは、頑固に守らないと、歴史が崩れるような気がする。
そのためには、竹がためてきたことを聞いてやる時間が必要で、学知よりも、そっちの方に美しさがある、と思う。
全文の要旨竹を切って、紙に漉いたり、人形面にしたりして、二十年たつが、ものも言わぬ竹ながら、何やかや教わるものが多い。
手をかけないでほうっておくと、竹藪はジャングルになって竹が泣いているし、竹を切り殺して造成するので、竹が号泣している気がする。
自然というものは、頑固に守らないと、歴史が崩れるような気がする。
竹から教わるものは、学知世界よりも美しい。
たまには竹がためてきたことを聞いてやる時間が必要である。
第三课鹿おどしの特色とその効果①緊張の高まりと緊張からの解放②単純な、緩やかなリズムの無限の繰り返し③水の流れをせき止め、音に刻むことで返って流れ止まらないものの存在を強調する仕掛け日本で噴水が発達しなかった事情はいろいろあるが、その最大の理由は、日本人が水の自然に流れる姿を美しいと感じていたことにあると思われる日本人の水に対する独特の感性――東西文化の違い)*自然に流れる水の姿を美しいとする感性⇒形なきものを恐れない心の現われ*断続する音の間隙に流れるものを間接に心で味わうこと⇒「鹿おどし」は日本人が水を鑑賞する行為の極致を表す仕掛け日本人は形なきものを恐れない心をもっており、それゆえ音と音との間隙に流れるものを間接的に感じさせる「鹿おどし」は日本人の感性を最もよく表す仕掛けだといえる第五课私はいま、都心とは反対に向かう電車に乗って、或る人物に会いに行こうとしているが、その人物が、何故、これほど私をとらえてやまないのか、わからない。
日语综合教程第六册 第五课 読み物 翻译平静的生活
平静的生活池泽夏树在出现初春征兆的第二天,我向染色工厂了一天的假,乘上了沿着海岸向南行驶的电车。
电车好像因离心力的缘故使得车身倾斜得不得了,沿着狭窄的铁轨疾驰。
就像是一名骑着自行车的小学生。
三月初的时候乘坐这个电车,是几年来形成的习惯。
总是去同样的地方,这件事的开始是数年前,在地图上看到雨崎这样的地名,被它所吸引。
那个时候,和关系要好的女性朋友一起去过。
她看着地图说:“这里可能是经常下雨吧,地面肯定是不干燥的。
”“有这样的地方吗?”我回答道。
下了电车又乘上公交,下了公交车到了一个地方,沿着海边走,就是雨崎了。
那天,东京是阴天,而雨崎确实大晴天。
地面是非常干的。
一路拿着长伞的女朋友,不知为何显得很失望。
一直到岬角的海岸有操场一样宽阔的沙滩,相当陡峭的岸礁,绝不好走,却十分有趣。
我们在少有浪花拍过来的岩石上坐下,吃了她准备的三明治。
对岸可以看到火力发电站的烟囱,大型游轮的灰色的影子从海面上通过。
第二年,三月上旬,也是个星期日,想起来又去了同一个地方。
这次是一个人,三明治也没有了。
和前一年相比冷得多,海上也看不到船只。
像白色蒸汽一样的烟从火力发电厂的烟囱直直地升起。
那里的地形和住宅的布局都没有改变。
在那之后,虽然没有那么决定,但是每年都还是会去那里,变成了一个习惯。
到了三月份左右,一想到明天要做什么的时候就会想到雨崎那里。
每年都注定要去。
有些年份太阳很晒,仅仅是爬上岩礁就出汗了,有些年份风很大,我得把夹克的领子给立起来。
我到雨崎的时候,从来都没有下雨。
一个人去的时候比较多,也有两个人来的,也有六个人一起去的时候。
其中两个人拿着钓具钓鱼,一条小鱼毛都没有钓上来。
因为干看着他俩钓鱼却又钓不到鱼很无聊,所以剩下的四人吵吵闹闹,钓了仅仅一小时就不钓了。
坐巴士去前面的小渔港,进入一家料理店,从傍晚到半夜都在吃鱼喝酒。
很多人一起去雨崎也挺好的。
但那一年我一个人去了.考虑到周末可能有人,所以决定平日去。
那个时候没有能一起去的女朋友了。
日语综合教程第六册 单词表
一課間投詞かんとうし濃淡のうたん快晴かいせい宥めるなだめるややこしい飛んだとんだ理詰めりづめ追及ついきゅう暗黙あんもく景勝地けいしょうち背骨せぼねこぢんまり浜はま逆巻くさかまく打ち寄せるうちよせる見捨てるみすてる愛でるめでる同工異曲どうこういきょく荒海あらうみ入り江いりえ太古たいここの上ないこのうえない操るあやつる乗り切るのりきる辿り着くたどりつく取り巻くとりまく然るべきしかるべきバイキングVikingのし歩くのし歩く北欧人ほくおうじん民たみ制覇せいはならぬ住み心地良いすみごこちよい湿潤しつじゅん快適かいてき今更いまさら彼方かなた甘美かんび気質きしつ幾多いくた妥協だきょう探るさぐる言い分いいぶん己を抑制するおのれをよくせいするあからさま否応なくいやおうなく食い違いくいちがい成り立つなりたつ将棋しょうぎしばしば言下げんか意表をつくいひょうをつく落とし穴おとしあな欺くあざむくうんと一芸に秀でるいちげいにひいでる紛れもないまぎれもない構えかまえ見事にみごとに言い当てるいいあてる肥大ひだいともすれば折りに触れておりにふれて住処すみか二課芽吹きめぶき先駆けるさきがける根雪ねゆきうっすら(と)稜線りょうせん有るか無きかあるかなきかときめき心境しんきょう低木ていぼく摂理せつり下刈りしたがり凋落ちょうらく厳かおごそか佇まいたたずまい迫力はくりょく極致きょくち黒々くろぐろ静まり返るしずまりかえる奥深いおくぶかい愛着あいちゃく研ぎ澄ますとぎすます取り戻すとりもどす知れたしれた措くおく散策さんさく鼓動こどう触れ合いふれあい息づくいきづく魂胆こんたん笹ささ在所ざいしょ藪やぶジャングル工房こうぼう宅配便たくはいびん筍たけのこ手近てぢか細工さいく生家せいか閑寂かんじゃく尺八しゃくはち音色ねいろ日がなひがなせせらぐ子守唄こもりうた遊歩道ゆうほどうがっちり石垣いしがき雀すずめ紋様入りもんよういり乳母車うばぐるま根こそぎねこそぎ造成ぞうせいアプローチ殺風景さっぷうけい才覚さいかく化身けしん在り処ありか脂ぎるあぶらぎる邂逅かいこう三課愛嬌あいきょう気だるいけだるいシーソー水受けみずうけ筧かけひ溢すこぼす跳ね上がるはねあがるくぐもる音を立てるおとをたてる解けるほどける時を刻むときをきざむ静寂せいじゃく弥が上にいやがうえに引き立てるひきたてるせき止めるせきとめる待合室まちあいしつ素朴そぼく引き付けるひきつける華やかはなやか寛ぐくつろぐ趣向を凝らすしゅこうをこらす別荘べっそう草花くさばな添えるそえる轟くとどろく息を呑むいきをのむ迸るほとばしるせせらぎ間が抜けるまがぬける捻じ曲げるねじまげる粘土ねんど行雲流水こううんりゅうすい裏付けるうらづける間隙かんげき一昔ひとむかし猫背ねこぜジョーク言い古すいいふるす決まり文句決まり文句長らくながらく語り継ぐかたりつぐ先入見せんにゅうけんヒステリカルセッテル誇張こちょう独り歩きひとりあるき誰しもだれしもポーランドお人好しおひとよし正すただす枠わく嵌めるはめる頑なかたくな芽生えるめばえる誇らしいほこらしい蓋しけだしとらえどころ取り分けとりわけ飛びつくとびつく性癖せいへき安らぐやすらぐ身をもってみをもってヒーロー進路しんろ決断力けつだんりょく大まかおおまか拗れこじれ拘るこだわる繊細せんさい早飲込みはやのみこみ補強ほきょう増幅ぞうふく単なるたんなる枠組みわくぐみ格段かくだん恣意的しいてき慎重しんちょう五課猛暑もんしょ白茶けるしたちゃけるライト書き割りかきわり扉とびら咲き乱れるさきみだれる向日葵ひまわりパラソル明け方あけがた不整脈ふせいみゃく早朝そうちょう叩き起すたたきおこす通い詰めるかよいつめる興じるきょうじる萌葱色もえぎいろポロシャツ不義理ふぎり先頃さきごろミラノ連鎖反応れんさはんのう別棟べつむね司書ししょ華やぐはなやぐ無縁むえん老舗しにせ何やらなにやら焦るあせる駆り立てるかりたてる発送はっそう書店めぐりしょてんめぐり新刊書しんかんしょ文庫本ぶんこぼんささやか復刻版ふっこくばん癪しゃく値段が張るねだんがはるレジカウンターベテランきびきび輪郭りんかく定かさだか封印ふういん新米しんまいブックカバー折り目おりめ顔を赤らめるかおをあからめる栞しおりパンフレットタレント何の変哲もないなんのへんてつもない筆立てふでたてセロハンテープ剥ぐはぐ感叹词(味道,颜色)浓淡晴朗(用好话)抚慰,安抚复杂的,麻烦的与众不同,奇特的;严重的,以外的说理,以理服人追究不声不响景胜地背脊,脊梁骨小巧玲珑海滨,湖滨波浪翻卷,波涛汹涌涌来。
日语综合教程第六册课文翻译
我家现有三只猫。
最近的孩子都很现实,所以他们向父亲询问:“猫究竞有什么用?”我被问住了。
不错,这么说来,狗可以防賊,或把扔出去的球拾回来,多少为人干点事。
但是猫呢?由于现在老鼠也不太看得到丁,所以它就是吃、睡、出去走走,饿丁就回来,然后再吃丁逐,仅仅如此,对人什么贡献也没有。
“什么用也没有这一点不就挺好吗?因为仅仅呆在那里就挺有意思。
”一我只能这样回答,但这恐怕不能成为对孩于的回答吧。
这个暂且不说,就仅仅是看着动物的行动,就令我感到快乐。
每当看到它们沿着松树或刺槐的树干,垂直一气上窜奸几米,为扑捉飞着的虫于高高地跳跃在空中时,好像在这时才会发出感叹,“动物做的是多么淮确而毫无徒劳的动作啊。
“畜生的卑鄙”之类的话在人的言里是有的。
但不能说都是这样。
有些作为母亲的人甚至不愿生育、养育孩于,扔掉孩于或让孩于死掉,在这样的世界上,猫的育儿却充满细心的情爰和无限的耐心。
说是育儿,也并不是老猫让孩于吃点心,给孩子买玩具,而只不过是把自己在草地上扑捉到的四脚蛇叼来给小猫之类而巳。
用奇妙的叫声呼唤孩于,孩于过去后“啪”的一下把猎物放下来,然后自己不经意地看着孩于玩耍四脚蛇。
怡如我们人的母亲照看自己孩于时满足、安心的表情,呆呆地看着。
还有,老猫在小猫吃盘于里的食物时,远远地一宜尊待,等小猫吃完后,再去吃期盼已久的小猫剩下的东西。
责备小猫时,老猫是何等温柔地啃咬小猫的啊,用收起爪的前蹄又是何等有分寸地拍打小猫咧,而绝不会进行责打。
“连不会说话的兽类,父母也竟如此对于女爱怜,何况人乎?”实朝的这句诗,实在是千真万确。
还不仅如此,可怜的是它们还日夜受到人类文明的惊吓。
连听到吸尘器的声音也会吓得发抖,喷气式飞机在头上低空飞过的话,慌忙躲藏到隐蔽处。
那低眉俯首、无容身之地的样于,使它变得更小。
人如果活得不易,它们也活得很不容易。
猫的数星増加以后,、家中到处都可见到散乱的小动物的尸骸,从四脚蛇到蚌蟒、蝗虫、蝗螂、蜂、金龟于、蝴蝶、蛾于、蟋蟀,有时甚至还有矮虫古之类。
Gckdpo日语综合教程五六册部分课文中日对照
秋风清,秋月明,落叶聚还散,寒鸦栖复惊。
日语综合教程第五册第一课海の中に母がいる山好きの血が父方から流れているとすると、海好きは間違いなく母から伝わっている。
終戦間もなく、不忍池のほとりを通りかかると、池端に、ははがしゃがみこんで池の面をじっと見ている。
声をかけると、母は照れたような顔で立ち上げり「ちょっと海がみたくなって」と言って笑った。
当時、東大のそばに住んでいたので、買い物のついでに不忍池で休んでいたのだろうが、その時の母の言葉が妙に忘れられない。
小学六年の夏、母の故郷の鹿児島の辺鄙な漁村で一月暮らしたことがある。
母の父は背の高い、強い人で、そこでずっと医者をしていた。
家から五十メートルほどで海に出る。
桜島や開聞岳の見える美しい浜辺だった。
母が海を見たいと言ったのは、その故郷の浜辺のことを考えていたのかもしれない。
今なら二時間もかからない鹿児島は、その頃は夜行や連絡船で二日かかる遠い国だった。
望郷の思いに駆けられても当然だったような気がする。
海好きといっても、心ゆくまで海と親しんだのはその夏だけで、あとは学校から海水浴にゆく程度だった。
おそらく海と切り離された状態がかえって海への憧れを掻き立てたのだろう。
大学を出る年、なんとしても海に関係する職業につきたいと重い、日本郵船に入社できないか聞きに行った。
対応に出た人事課長は「うちも、ほかの会社と同じですよ。
文学出身では、どうもね」と気の毒がってくれた。
船会社だから、全員が船にのれるものと勘違いしていたわけだ。
それでも、船に乗って、海を思いのたけ味わいたいと言う気持ちは、いっこうに衰えなかった。
幸いフランスに行くことになり、留学生は船に乗るように、という指示があった。
マルセイユまで三十三日の船旅――考えただけでも嬉しさで気が遠くなりそうだった。
しかし仲間の留学生たちは、なんでそんな無駄なたびをさせるのか、と不満だった。
私は一人海の喜びを満喫するため、四等船室を選んだ。
上海外语教育出版社日语综合教程1~6课课文翻译
如果说喜欢大山是继承了父亲的血统,那么爱好大海一定是从母亲那里传承下来的。
那是战争结束后不久,恰好经过不忍池附近时,妈妈会在池塘边深深蹲下,两眼死死地盯着水面。
假如我喊她,她的脸上似乎显得很难为情,站了起来,笑着说:“想看一会儿海呀!”当时,因为住在东大附近,去买东西时就顺便在不忍池休息一下,不可思议的是,我一直没有忘记那时妈妈说的话。
小学六年级的暑假,我曾去母亲的故乡,鹿儿岛上一个边远的渔村住了一个月。
外公个子高高的,非常强壮,一直在那里行医。
距家大约五十米处便是大海,从那景色秀丽的海滨,看得见樱岛和开闻火山。
母亲说想看大海,我想也许就是那故乡的海滨吧。
如是在今天,去鹿儿岛用不了两个小时,而在那时,那里是一个遥远的地方,需要坐夜间火车和联运船才能到。
在思乡之情的驱使下,似乎妈妈那种举动是理所当然的。
虽说喜欢大海,但尽情与大海亲密相处也只有在那个暑假,后来仅达到了从学校去洗海水浴的程度。
也许是因为与海隔绝的状态,反而激发起我对大海的憧憬吧。
大学毕业的那年,不知为什么,想要寻找与大海有关系的职业,便去打听能不能在日本邮船公司工作。
出来接待我的人事课长非常遗憾地说:“本公司与其他公司一样,对文学出身的大学生,一概不受。
”我将船公司误认为全体职员都在船上工作了。
尽管如此,希望乘船,我对大海的痴情却有增无减。
幸运的是,我即将去法国,根据指示,留学生将乘船前往。
去马赛有三十三天的航程——想到这个,我高兴得几乎要晕过去,可是其他留学生们不知为什么对这样耗费时间的旅行却一脸的不高兴。
我为了一个人尽情玩味航海的喜悦,选择了四等舱的铺位,那是季节工人用的船舱,留学生从不靠近,不但如此,因为在船底,靠近大海,舷窗外蓝色的波涛近在咫尺,汹涌起伏。
海上起风浪时,船员将蒙上铁皮的舷窗关死。
所谓床位,是用铁管制成的两层架子上绑上帆布,室内什么装饰也没有,简直像牢狱一样。
但是,文明的舒适环境,常常隔断了我们与大自然的直接接触。
日语综合教程第六册教学大纲
日语综合教程第六册教学大纲
前言
在学习第六册之前,建议学生已经掌握了基本的日语单词、语法知识,并熟悉日语的声调和发音规则。
本教程将介绍更为复杂的语法结构、更丰富的词汇和更高级的会话技巧。
最终目标是让学生在日语交流中逐渐达到流利自如的水平。
课程安排
第一课:日语动词
本课程将介绍日语动词的基本形式、时态、活用和敬语用法。
学生将学习如何正确使用动词并掌握复杂的语境运用。
第二课:长句子和复合句
本课程将介绍长句子的构成、复杂句子和从句的结构和拼接。
学生将学会如何用正确的语法结构来描述更复杂的语境。
第三课:难以理解的短语和表达方式
本课程将介绍一些在日语中常见但难以理解的短语和表达方式,并提供适当的语境以帮助学生更好地理解其含义。
第四课:日语汉字和片假名
本课程将介绍日语汉字和片假名的基础知识,包括如何正确地使用和书写它们。
基础日语综合教程1. (高等教育出版社)第五课STEP1 文法+句型
学習目標
1. 交通機関の違いを調べましょう。 2. 交通の変化を話しましょう。 3. 道案内を聞きましょう。
4. 道順を説明しましょう。
1.
2. 3.
调查内容和报告,把握主要信息
表达方式与句型
比较F市和M市交通工具的使用情况
contents
1.
下面的调查内容和报告,把握主要信息
STEP1
(公共交通機関に○をつけた方に) 問2 そのルートを利用している理由は何ですか。最 も大きな理由を一つだけ選んで○をつけてください。 目的地までそのルートしかないから 早く目的地に着くから 37.7 20.2
停留所や駅が近いから
到着時刻が安定しているから 便数が多くて便利だから 運賃が安いから
→N1 しか ない 。
STEP1
(4)动词谓语句修饰名词
複数の交通手段を利用 する場合。
→ Vる N
STEP1
两个人一组比较F市和M市 交通工具的使用情况 (1)根据调查结果,归纳F市和M市交通工具的 异同点。
交通手段 例:自転車 自家用車 公共交通機 関 徒歩 日本F市
8.7%しかない、 利用する人は少ない 45.5%もある 利用する人が多い 79.0%、利用する人が一番 多い 5.6%だけ
全体
45.5 36.6 15.9
自家用車 Ⅰ __ 45.5%
JR 中央バス
JRバス 市電 上鉄バス その他のバス バイク自転車 徒歩のみ その他
9.4
7.2 3.4 1.8 1.7 0.3 5.7 3.3 0.4
9.2
12.0 5.4 3.1 2.0 0.8 12.6 8.6 1.4
9.3
基础日语综合教程2.第五课step1 文法+句型 大学日语教材(高等教育出版社)
STEP1(3)解释
(3) S と言われている 基本: 接在名词、形容词、动词等构成的短句后, 用来客观叙述外界的认识和说法,相当于汉语的 “据说”或“被称为”等意思。
STEP1(3)例句
(3) S と言われている .サプリメントは頭痛に効くと言われています。 (据说营养剂对治疗头疼有效。) . 東京は世界の大都市の中で物価が一番高いと言 われています。 (据说东京在世界大城市中物价最高。) . 中国で最もきれいだと言われている都市はどこか 知ってる? (你知道被称为中国最美的城市是哪里吗?)
STEP1(2)解释
(2) Vていく 基本:接在 动词接 「て」的 变 化形后,表示事 态变 化或动作进行的趋向,其趋向特点是从近 处向远 处、从现在向未来变化或持续。
STEP1(2)例句
( (2 2) )V Vていく ていく . .船はどんどん遠くに離れていきます。 船はどんどん遠くに離れていきます。 (船离我们越来越远了。) (船离我 们越来越远了。) (船离我们越来越远了。) . .毎日交通事故で多くの人が死んでいく。 毎日交通事故で多くの人が死んでいく。 (每天都有很多人因交通事故而死去。) (每天都有很多人因交通事故而死去。) (每天都有很多人因交通事故而死去。) . .古い伝統がだんだん忘れられていきます。 古い伝統がだんだん忘れられていきます。 (旧的传统渐渐地被遗忘了。) (旧的传统渐渐地被遗忘了。) (旧的传统渐渐地被遗忘了。)
STEP1(1)解释
(1) Vてくる
基本:接在 动词接 「て」的变化形后,表示事态变 化 或动作进行的趋向,其趋向特点是从 远处向 近处、从过去向现在变化或持续。
STEP1(1)例句
(1) Vてくる .二階から洗濯物が落ちてきた。 (晾的衣服从二楼掉了下来。) .春は過ぎ去り、夏もだんだん近づいてきました。 (春天过去了,夏天就快来临了。) .この伝統は200年も続いてきているのだ。 (这个传统已经持续了200年了。) .今まで一生懸命頑張ってきたんだから、絶対に大 丈夫だ。 (你一直很努力,绝对没问题。)
日语第五、六课
例 田中さんは来週日本へ帰ります。 昨日、どこへ行きましたか。 日曜日に、家へ遊びに来てください。
二、格助词で」
表示交通工具、方式、手段、材料等等。 例 家から学校までバスで行きます。
桂林へ 何で 来ましたか。
李さんは 歩いて 駅へ行きました。
三、体言 から 体言 まで
①から表示时间、空间的起点,まで表示终 点 ②から和まで可同时出现,也可单独使用
家から学校まで30分かかります。 授業は8時から始まります。 昨日の朝、11時まで寝ました。
第六課 吉田さんは 来月中国 へ行きます
一、格助词「へ」 读「e」,接在体言后面表示移动的方向, 具有离开原位置向另一地方移动的动态语 感。一般后续表示移动性的动词,如「行 く」「来る」「帰る」等。
勉強します 勉強しません 勉強しまし た
例句 1.太陽が東から昇ります。 2.田中さんは、あした休みます。 3.先週、私たちの学校には運動会があり ました。 4.森さんは、あした休みません。 5.今日、私は勉強しませんでした。
二、格助词「に」
接在某些时间名词后面,表示动作发生 的时间点 ▼不是所有时间名词后都可以后续「に」的
附属词
助动词——主要附在用言后面,有词尾变化 助词——主要附在独立词后面,无词尾变化
一、动词的几种形态 动词ます形:叙述现在的习惯性的 动作、状态或将来的动作、状态 否定形式为:「~ません」 过去式为:「~ました」 过去否定式:「~ませんでした」
动词
现在肯定 (~ます) 寝ます 休みます 働きます 起きます 现在否定 (~ません) 寝ません 休みません 働きません 起きません 过去时 过去否定 (~ました) (ませんでした) 寝ました 寝ません でした 休みました 休みませんでし た 働きました 働きませんでし た 起きました 起きませんでし た 勉強しませんで した
综合日语教程第六册课后翻译答案
1 东京大学に合格する可能性はわずかでもありませんか?そうとは言い切れませんが、よほど努力しない限り合格できないと思います。
2 敌に対抗する方法はたくさんあります。
しかし、敌が强すぎる场合は、最善策は逃げてしまうことです。
谚の三十六计逃げるに如かずというのもこの事を指しています。
3私は寝るともなしにベッドで横になっていましたが、いつの间にか眠ってしまいました。
目が覚めた时はすでに深夜2时を回っていました。
4 日本金融は空洞化し始め、海外の金融机関も日本拠点を引き上げ缩小を図っています。
日本で行われるはずだった取引もニューヨーク、ロンドン、シンガポール等、しかるべき国へ移されました。
日本では、欧米でできない取引のみを行っています。
5 今、勤めている会社の给料はともかく、仕事がとても疲れます。
最近はいろんな角度から今の仕事に向いていないんじゃないか考えています。
6 家族と友人の励ましがあったからこそどんな困难を前にしても臆病にならずにすみ、立ち向かうことができた。
これを武器にどんな峠でも�\り越えられるだろう。
7 高い评価をされたい訳ではありません。
実际の业务状况に见合った评価をしてもらいのです。
もちろん私自身も时々无駄な努力をしているように思いますが、ただ、まだ谛めたくないんです。
8 両国は社会制度を異にしているとはいえ、友好的につきあいながらそれぞれの発展を求めるという点については意見が一致しています。
9 父の病気はもう回復の可能性はないと知りつつも、奇跡が起こることを信じようとしている。
10彼は手纸の返事を书いていないんだろうね。
返事を书くような人じゃないし。
いや、书いたよ。
途中で手纸が行き方不明になったんだよ。
こういう可能性もないではない。
1 お世話にもレベルが高いとはいえない学校であるが、学生はかなり裕福な家庭の子共ばかりで、寄付金が多くて施設はどこもかしこも充実している。
2 素人の私は質については変わらないが、大きさからみて、このダイヤが一番高そうに思う。
第五课 单词语法
願ったりかなったり
こちらの望んでいることと、相手の条件がうまく合って、物事が 希望通りに実現すること。すっかり思い通りになることを表す。
へえ、ただでホームステイをさせてくれるのか、 これを願ったりかなったりの話じゃないか。 あんな立派なマンションを半値で売ってくれる のは願ったりかなったりの話だと思うが、ただ 一括現金では出せないので、諦めるしかない ねえ。 そうしていただければ、こちらとしては願ったり かなったりです。
牛乳は搾りたてが一番美味しいよ。 焼き芋、石焼き芋、焼きたてのほやほや。 ペンキ塗りたてですから、触らないでください。
~につき (Ⅰ)
名詞を受けて「その理由で」の意を表す。改まった手 紙などに用いられる。
改装中につきしばらくお休みさせていただきま す。 父は高齢につき参加をとりやめさせていただき ます。
つくづく
幸せな暮らしをつくづく有り難いと思って
います。 つくづく生きるのが嫌になった。
見詰める
鏡に映った顔をじっと見詰める。 子供が指をくわえてケーキを見詰めてい た。
飛び切り
飛び切り質のよい学生; 飛び切り安い品物; 飛び切り上等のワインを買った。
拵える
コートをこしらえさせた。 来週までに500万円こしらえなくてはなら
それからというもの
「その出来事をきっかけとして」「そのことがあってから は」という意味だが、事情がそれ以前に比べて180度変
化した場合に使ったりする表現である。
留学していたころ、病気でとても困っていた時見知ら ぬ外国人に助けられたことがある。それからというも の、私は困った人に会うと、どこの国の人間であろうと、 できるだけ助けてあげることにしたのだ。 子供のころ、蟹と柿を同時に食べたため、お腹を壊し てこりた経験がある。それからというもの、このおいし い蟹を二度と食べないことにしたのだ。
Ufrgzb日语综合教程五六册部分课文中日对比
Ufrgzb 日语综合教程五六册部分课文中日对比生命是永恒不断的创造,因为在它内部蕴含着过剩的精力,它不断流溢,越出时间和空间的界限,它不停地追求,以形形色色的自我表现的形式表现出来。
,, 泰戈尔日语综合教程第五册第一课海①中広母力X、召山好吉①血力N父方力、乙流、海好吉处間違、滋<母力、5伝袒oTV^。
終戦間t^<、不忍池通◎力、池端甘池O面^UoL見疋。
声总力M^^L、母处照顔左立±^^r^^oL海力族尢<肚。
疋」七言二疋笑o^o当時、東大住人左、尢、買、物OOVT^不忍池左休尢時O母O言葉力妙広忘n^n^v。
小学六年O夏、母O故郷O 鹿児島O辺鄙肚漁村左一月暮。
母O父处背O 高V、強v人左、^^TToL医者^bTV^ o家力、B五十只一卜丿海広出Eo桜島壬開聞岳O見元召美bV浜辺疋o尢。
母力海总見尢VL言o尢O^、乞O故郷O浜辺O 乙L总考元疋V尢O力、哲bn肚V。
今肚B二時間鹿児島^、乞O頃处夜行壬連絡船T二日^^^遠V国疋o尢。
望郷O思w駆^Bnrt当然疋o 気力海好^LVoTt、心^<^T海L親b^疋O处乞O夏疋疗T、feL^学校海水浴^^<程度疋oCo指乞B<海L切◎離^nc状態力说、元oT海" 憧n总搔吉立TCO^dd。
大学总出召年、肚^LbTt海広関係t召職業W 吉CVL重V、日本郵船広入社T吉肚V力、聞吉広行oC。
対応広出C人事課長处巧弐t、^^O会社L同UTti。
文学出身」七気①毒。
船会社吃応、全員,船勘違乞mt、船広乗二疋、海总思味言刁気持乙★ 衰狂於沁。
幸WH行<乙七広肚9、留学生处船広乗^vd指示三十三日o船旅一一考嬉X 左気力遠<^^^d^o^ob^b仲間O留学生尢^、肚^T乞人肚無駄肚尢不満疋o尢。
私处一人海o喜厂总満喫、四等船室总選人疋。
乙m季節労働者用O船室T、留学生力%近寄、船底肚oT、海忙近<、丸窓总:鉄兀彳7°o二段棚広力、八皿張o尢疋。
综合日语第15课
例: 李さんはきれいな花をくれました。 卒業するとき、両親は「就職案内」をくれました。 山田さんは弟に日本語のCDをくれました。
二、穴埋め
1 「ああ、かわいいおもちゃですね。」 「ええ、父(は )くれたのです。」 「前のはどうしましたか。」 「あれは弟(に )あげました。」 2 「きれいなアルバムですね。買ったのですか。」 「いいえ、友達が( くれた )のです。」 あげ )ます 3 「王さん、お兄さんの誕生日に何を( か。」 「レコードを(あげたい )と思っています。」
第15 課 クリスマス・コンパ
ユニット1 コンパの相談
単語 文法 会話 読解文 練習
动词的意志・建议形
基本形→意向形 ①一類動詞: ・把词尾的「う」段假名变成「お」段假名+う 読む→読も+う→読もう 書く→書こ+う→書こう ②二類動詞: ・去掉词尾「る」+よう 起きる→おき+よう→ 起きよう かける→かけ+よう→かけよう ③サ変動詞: する→し+よう→しよう ④カ変動詞: くる→こ+よう→こよう 練習: 歌う、帰る、する、飲む、受ける、やる、考える、出す、使 う、来る、見せる、寝る、散歩する
4、「すみません。解答用紙はどこで( もらう )んで すか。」 「田中さん( に )もらってください。」 5、これは去年の誕生日に李さんから( もらった ) 本です。
授受動詞の練習
○ ○ ○ ○ ○ 母の日に母にカネーションを(あげました )。 新年の時おじさんからお年玉を( もらいました )。 母は新しい腕時計を( くれました )。 私は弟に新しい腕時計を( )。 あげました 李さんは山田さんに中国語のレコードを( あげよう ) と思っています。 日本人の友達から何を( もらいました )か。 さっき家族から電話を( もらって )、嬉しかったです 入学したとき、先輩は「大学案内」を( くれました )。 牧野さんは弟に日本語のCDを( くれました )。
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综合日语教程第六册第五课东京回顾展小池真理子现在我正乘在与市中心方向相反的电车上,冷气强劲的车厢内,乘客寥寥无几。
没想到刚出了梅,就开始了将近三十五度的连续高温天气。
虽然看上去像是退了色的浑浊色彩,今天东京却是万里无云。
阳光强烈,可能是因为这个缘故,车窗外流动的景色鲜艳得不自然,看上去就像是强光灯照射下的舞台布景。
眼下要去见的人,为什么如此将我紧紧抓不放,不得而知。
见面后怎么办,我多次问自己。
说些什么,问些什么,又想让他对我说些什么?到了郊外的一个小站,有几个乘客下了车。
在打开的车门对面,沿铁道大批盛开的向日葵清晰可见。
一位走出月台的四十多岁的妇人,面向向日葵,用力打开了一把白色阳伞。
下一个车站重复着同样的情景,再下一个车站也是一样,再下下一个车站也是如此。
不过,新上车的乘客越来越少,乘客只是下车,当我察觉到时,车厢里连我在内只剩下几个人了。
尽管如此,电车仍在夏日的阳光中继续奔驰着。
这是发生在将近一个月前,一个星期四的事。
我工作的学校因校庆而休息。
虽然是雨天,到了下午我去了涉谷,因为我想,无论如何也要给关照过我们的医生送上一点略表心意的礼品。
那是黎明时分,丈夫突然感到胸闷,说不出话来,我们的私人医生毫不厌烦地替他诊断,说是因为太累而出现的脉搏紊乱,还说不用担心,给他开了安定剂的处方。
当我们为一大早就敲门将他叫起来而道歉时,医生说反正打高尔夫球也要早起的,说着爽朗地笑了起来。
与那位医生亲密起来,大约是在三年前。
本来身体就不太好的丈夫,在病情加重而频繁就医的过程中,因闲聊而变得说话投机起来,也许是彼此同样年纪,比较随便的缘故吧,从那以来一直受到优先就诊的待遇。
由于相当喜欢高尔夫,我拿在手里的只有两样东西——听诊器和高尔夫球。
他说了这些话就笑了起来。
礼品事前就决定了。
我走到百货商店的男子服装部,请服务员包了一件黄绿色的打高尔夫球用的短袖开领衫。
也许只有在这样的时候,平时反复欠下人情的熟人的脸才会一个个浮现出来。
想起了熟人曾送过新茶,虽然仅仅在电话上表示了感谢,但再没做什么;再一想,又连锁反应似的想起,不久以前因结婚而辞职了的年轻女同事,从旅行结婚的目的地米兰带回了漂亮的纱巾。
我在一所从初中到大专一贯制的女子中学任职,要说的话,并不是教师,学校里另外建有一栋很大的图书馆大楼,我是在那里工作的学校图书管理员。
由于平时过着与豪华无缘的生活,来到久违了的街上,就想买点什么喜欢的东西,但因为不知道买什么好而不知所措。
从百货商店的地下一层到地上六层,反复走了两次,当决定给熟人买老字号点心店的羊羹,给女同事送清澈晶莹的小花瓶时,时间已过了下午三点。
虽然这是在星期日以外得到的一个宝贵的休息日,但总觉得有一种被什么杂事追到底似的,近似焦虑的心情在催逼着。
付完款、办完送货手续后,我走出百货商店,朝着车站前的大型书店走去。
当图书管理员,早在二十年前就开始了。
每天过着整天被图书围绕着生活,那一天休息却去逛书店是大可不必的,谁都会这样说。
注视着新出版的书籍,将其中几本拿在手中,翻了翻书页,接着又走到以作家分类的书架上,大略看了看。
小说、纪实文学、袖珍本、评论集、诗歌集、全集……依次在书店转一圈,没有一个小时是完成不了的。
那是我的一个小小的、不可或缺的乐趣。
有时,也有长久寻找而不遇的书,这样的书不去旧书店是无法弄到手的,只能靠偶尔的巧遇。
这是由于,不知出版社是跟的什么风,旧书重印的出版物多了起来的缘故。
用嗜书的快乐一言以蔽之,也许会让人生气,可是与这样的书相遇,还是不能不让人感到快乐。
这一天也是一样,很久以前就想得到的,但不知什么时候就见不到了的厚厚的英国翻译小说的重印本,就在新版书书架的角落里放着。
一旦拿到手,就无论如何想要买下。
上下卷合计七千六百日元,如果将其归入学校图书馆待购目录中的话,我想毫无问题会被受理的,但是,图书馆的书,归根结底是图书馆的书,不是私人物品。
虽然觉得书价有点贵,可是我还是将书拿在手里,排起了队。
那时,如果收款处是个老手的话,就会麻利地应对一切,我的生涯中也许不会再有如此栩栩如生的记忆了。
即使作为偶然回想起来的事,记忆也一定会逐渐变得模糊不清,失去轮廓,肯定会变得无法区别,这是现实中存在的事情,还是只不过是梦中见到的事情。
而且不久就会变成与年轻时成千上万的冥思苦想一样,只应被封闭在小箱子里,贴上封条了事。
但是接待我的那位女店员,看来是一位新入职不太久的生手,啊,或许还是个打工的学生呢。
她不仅将书款算错,而且还在套上书皮时,弄出不少褶子,不得不重做。
女店员红着脸,对我说对不起,而且重复了好几遍,显得极为紧张的样子。
我对她看着,有点可怜她。
一边对她的失态装作毫无察觉,一边心不在焉地朝柜台上摆着的东西望去。
各种东西映入眼帘:书签、英语会话教材的广告小册子、明星签名的随笔集、刚发行的面向中老年的月刊杂志……摄影展的折扣入场券,被放在柜台的一角,我想是扎成一束,插在塑料的、没有什么与众不同的、圆筒形的笔筒那样的容器里。
容器上贴着“请随便取用”字样的纸条,贴纸条的透明胶带已经剥落了一半,剥落部分沾着不知是灰尘还是手汗的污垢。
也没有什么特别的理由,我抽出一张看了看,上面印着“东京回顾摄影展——过去的盛宴”。
摄影师的名字为小寺行秀,既没听说过,也没见过,是我所不知道的名字。
由全国连锁点主持,这家大型书店赞助,似乎要举行两周。
一看日期,这一天是最后一天。
“这个,我拿一张。
”我一边收下套上书皮的书,一边对年轻的女店员说。
她只说了声“请”,便早就从下一个顾客手里收下几册书,开始计算起书价来,一副高高在上的样子。
東京回顧写真展小池真理子私は今、都心とは反対方向かう電車にん乗っている。
冷房の効いた車内に、乗客は疎らである。
梅雨が明けたと思ったら、連日三十五度近くまで気温が上がる猛暑が始まった。
白茶けたような濁った色を見せているものの、今日も東京の空には雲ひとつない。
日差しは強く、そのせいが、窓の外を流れる景色は不自然に鮮やかで、強すぎるライトを浴びた舞台の書き割りのように見える。
これから会いに行こうとしている人物が、何故、これほど私をとらえてやまないのか、分からない。
会ってどうする、と何度も自問してみた。
何を話すのか。
何を聞いてもらいたいのか、何を言ってもらいたいのか。
答えは出なかった。
話したいことは何もなかった。
聞かせたいことも、言ってもらいことも何ひとつなかった。
私はただ、その人に会いたいと思っているだけだった。
郊外の小さな駅に着き、幾人かの乗客が降りて行った。
開いた扉の向こうに、線路に沿って咲き乱れる夥しい数の向日葵の花が見えた。
プラットホームを去って行く初老の婦人が、向日葵に向かって勢いよく白いパラソルを開いた。
次の駅でも似たような光景が繰り返された。
その次の駅でも。
またさらにその次の駅でも。
だが、新たに乗ってくる乗客は少なくなっていった。
客は降りていくだけで、気がつくと車両には、私を含め数人しか残っていない。
……それでも電車は夏の光の中を走り続けている。
一ヶ月ほど前の木曜日のことである。
勤め先の学校が創立記念日で休みになり、雨の日だったが、午後になってから私は渋谷まで出かけた。
世話になった医師に、どうしても心ばかりの礼の品物を贈っておきたかったからである。
明け方になって、夫が急に胸が苦しいといい出した時、その開業医がいやな顔ひとつせずに診てくれた。
疲れからくる不整脈だろう、心配いらないと言われ、精神安定剤を処方された。
早朝からたたき起こしてしまったから、と言って豪快に笑った。
その医師と親しくなったのは三年ほど前。
もとより身体があまり丈夫ではない夫が、具合が悪くなったといっては通いつめているうちに、世間話に興じるようになった。
同世代同士の気安いさが、以来、何かというと優先的に診てもらえるようになった。
七里のゴルフ好きで、僕が手にするものは二つしかない、聴診器かゴルフクラブだ、などと言っては笑わせてくれる。
贈るものはあらかじめ決めてあった。
私はデパートの紳士服売り場に行き、ゴルフウエア用の萌黄色のポロシャツを包んでもらった。
そういう時に限って、日頃、不義理を重ねている知人の顔が次々に頭に浮かぶものなのかもしれない。
知人から新茶を送ってもらい、電話で礼を言ったものの、そのままになっていたことを思い出したり、新婚旅行先のミラノで美しいスカーフを土産に買ってきてくれたことを連鎖反応式に思い出したりした。
私は、中学校から短大までそろった私立の女子校に勤めている。
と言っても、教師ではない。
学校に別棟になっている大きな図書館が建っていて、私はそこで働く学校司書である。
日頃、華やいだものとは無縁の生活を送っているせいか、久しぶりに町に出て、何か気のきいた物を買おうとすると、何にすればいいのかわからず、途方に暮れる。
デパートを地下一階から地上六階まで、二度も往復し、知人に老舗の和菓子屋の水羊羹、同僚の女性には涼しげな一輪差しを贈ることに決めた時、すでに時刻を回っていた。
日曜日以外で休みがとれた貴重な一日だというのに、何やら雑事瑣事に追われて終わってしまいそうな焦りにも似た気持ちにかりたてられた。
品物の支払いと発送手続きをすませると、私はデパートを出て、駅前にある大型書店へ向かった。
司書になってから、早くも二十年たっている。
毎日毎日、図書館で本をに困れた生活をしていながら、何も休みの日に書店めぐりをしなくてもよさそうなものだ、と誰もが言う。
新刊書を眺め、そのうちの何冊かを手に取ってはページをめくり、次に作家別に並べられた棚を一通り見て歩く。
小説、ノンフィクション、文庫書、評論、詩歌、全集……順番に店中を一巡するのに、一時間ですんだためしはない。
それは、私のささやかな、欠かすことのできない楽しみの一つであった。
時には、長い間探していた本、古書店を回る以外、手に入れる方法が見つからなくなってしまった本と不意にめぐり合いこともあった。
どういう風向きなのか、出版社が古い本を復刻版として出してくれることが多くなったせいである。
本好きの快楽、と一言で言い切るのも癪なのだが、そんな本と出会うとやはり、快楽を感じないではいられない。
その日も同じだった。
ずいぶん前からほしいと思っていて、いつのまにか見かけなくなってしまった厚手でのイギリスの翻訳小説が、復刻版として新刊コーナーの片隅に並んでいた。
少々、値段が張るのを気にしつつも、私は本を手にレジに並んだ。
あの時、レジカウンターにいた女店員がベテランで、きびきびした応対をしてくれていたら、私は生涯、二度と、あの記憶をこれほど生々しく甦らせることはなかったかもしれない。
たまに掘り返してみることはあっても、記憶は次第にぼんやりと輪郭を失って定かではなくなり、現実にあったことなのか、夢に見たことにすぎないのか、区別がつかなくなっていったいに違いのだ。