日语流行语
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1、你譲我滾,我滾了。你譲我回来,対不起、滾遠了。
△ あなたに「出ていけ!」と言われて、わたしは出ていった。あなたはまた「戻れ!」と言うが、残念ながら、わたしはすでに遠ざかってしまった。
注釈=「滾」は動詞で、球状のものがぐるぐる素早く転がっていくこと。叱ったり罵ったりするときの言葉で、非常に野蛮で侮辱的な表現。
2、没什麼事不要找我,有事更不用找我。
△ 用事がなければ、わたしに連絡しないで。用事があっても、なおさら私に連絡する必要がない。
3、再牛B的肖邦,也弾不出老子的悲傷。
△ いくら偉そうなショパンでも、おれの悲傷を弾くことはできない。
4、連広告也信,読書読儍了吧!
△ 広告さえも信じるのか?おまえは読書で阿呆になったのかい?
5、禿驢,敢跟貧道搶師太?
△ この坊主め!あえて道士のおれと比丘尼を奪いあえるのか?
注釈=「禿驢」は、坊主頭である坊さんを罵る言葉、「貧道」は道士の自称(謙譲語)。「師太」とは、道教の女性の修行者で、地位の高い者を指す。
6、就算是believe,中間也藏了一個lie。
△ たとえbelieveであっても、その中にlieが隠れている。
7、今天心情不好,我只有四句話想説。包括這句和前面的両句,我的話説完了。
△ 今日は機嫌が悪い。わたしはただ四句しか話したくない。この句と前の二句を含めれば、私の話は終わりだ。
8、人不能在一棵樹上吊死,要在附近幾棵樹上多死幾次試試。
△ 人間として、ただ一本の木で首を吊ってはならず、周辺の幾本の木で何回も首つり自殺を試みなければならない。
9、走別人的路,譲別人走投無路。
△ 他人の道を歩み、他人が歩める道をなくす。
10、思想有多遠,你就給我滾多遠。
△ 考えつく限りの最も遠い場所へ出て行け!
11、驢是的念来過倒。
△ 逆に読むものはロバだ。
12、上Google 百度一下。
△ Googleにアクセスして検索してみる。
13、你以為我会眼睜睜地見着你去送死?我会閉上眼睛的。
△ お前の死を、どうしようもせず見ると思うのか? 私は、眼を閉じる。
14、請你以後不要在我面前説英文了,OK?
△ 今後、私の前で英語をしゃべらないでくれ。OK?
15、好久没有人把牛皮吹的這麼清新脱俗了!
△ これほど新鮮で品のある法螺は、本当に久しぶりだ。
16、一睡醒来,天都黒了。
△ 一睡して目覚めたら、すでに暮れていた。
17、銭可以解決的問題都不是問題。
△ 金銭で解決できる問題はいずれも問題ではない。
18、不吃飽哪有力気減肥啊?
△ いっぱい食わないと、ダイエットする体力がないのではないか。
19、問君能有幾多愁,恰似一群太監上青楼。
△ 幾多の憂いがどれほどか尋ねたい。あたかも一群の太監が妓楼(遊女屋)に上るようだ。
20、鈔票不是万能的,有時還需要信用卡。
△ 金銭は万能的なものではなく、時にはクレジットカードも必要だ。
21、我充許你走進我的世界,但決不充許你在我的世界里走来走去。
△ 君が私の世界に入ってくることは許すが、私の世界の中で行ったり来たりすることは許さない。
22、工作的最高境界就是看着別人上班,領着別人的工資。
△ 最高の境地にある仕事とは、他人の勤務を監督しながら他人の給料をもらうことだ。
23、老子不打你,你不知道我文武双全。
△ 貴様を殴らなければ、俺様が文武両道に優れているのがわからないだろう。
24、我又不是人民幣,怎麼能譲人人都喜歓我?
△ わたしは一万円札ではないのだから、どうして皆から好かれるだろうか。
25、心里有座墳,葬着未亡人。
△ 心には墓があり、中には生きている人を葬っている。
26、要麼残、要麼残忍。
△ 身体障害がなければ、暴力を振るうべきだ。
27、雖然你身上噴了古龍水,但我還是能隠約聞到一股人渣味児。
△ 貴様の体に香水をふりかけても、人間のくずの匂いがかすかに残る。
注釈=人間のくずという言い方も流行している。
28、理想很豊満,現実很骨感。
△ 理想はグラマーだが、現実は痩せっぽちである。
注釈=痩身ブームの中、骨が感じられる「骨感」という新語が何年か前に誕生した。今はすでに痩身または痩身美人として定着している。
29、我們的目標是:向銭看,向厚賺。
△ 我々の目標は金を儲けること、または儲けることだ。
注釈=軍隊などで整列する際に、「立正」(きをつけ)「少憩」(休め)「向前看」(なおれ)「向後転」(回れ右)などの号令がある。これらの号令と音韻を掛け合わせものである。
30、西遊記告訴我們:凡是有後台的妖怪都被接走了,凡是没後台的都被一棒子打死了。
△ 『西遊記』は我々に次のことを教えてくれた。後ろ盾のある者はみな妖怪に救い出されたが、後ろ盾の無い者はみな棒で打たれて死んだ。
31、我那麼喜歓你,你喜歓我一次会死啊。
△ お
れはこんなに君が好きなのに、君はおれを一度でも好きになったら死ぬなんてできるのか。
注釈=片思いはつねに一人よがりになりがちである。
32、旋転木馬是這世上最残酷的遊劇,彼此追逐,却永遠隔着可悲的距離。
△ メリーゴーランドはこの世で一番切ない乗り物だ。なぜならば、お互いに同じ方向を向いているが、永遠に一定の距離で隔てられているのだから。
注釈=恋愛の悲しい一面を暗喩したものである。
33、純,属虚構,乱,是佳人。
△ 純粋な愛とは虚構に過ぎず、乱れるのは佳人である。
注釈=「純属虚構」(ただの虚構にすぎない)という熟語と、「乱世佳人」(映画『風と共に去りぬ』の中国語訳)の文字を切り分け、同音字を書き換えたものである。
34、愛情像鬼,相信的人多,遇見的人少。
△ 愛情は幽霊のようなもので、信じる人は多いが、遭遇する人は少ない。
注釈=真の愛にはなかなか巡り合えず、理想と現実のギャップを嘆くものである。
35、離開後,別説祝我幸福,你有什麼資格祝我幸福。
△ 別れた後に、幸福を祈るなどと言わないでくれ。私を祝福する資格などないではないか。
注釈=別れた後、祝福の言葉などはありがた迷惑。振られた恨みは深いのだ。
36老板,先来両斤真愛,拿回去喂狗!
△ 店長、とりあえず1キロの「真の愛」をください。家に帰って犬に食わせるから。
注釈=愛した人から裏切られた恨みの深さを言い表すもの。この店は肉屋か?
37、人生就像一個茶几,雖然不大,但是充満了杯具…
△ 人生はまるで茶托のようなもの。それほど大きくないが、茶道具(悲劇)をいっぱい載せている。
注釈=「杯具」(「悲劇」と同音)を巧みに引用した流行語。
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1、銭不是問題,問題是没銭。
△ お金は問題ではないが、問題はお金がないことだ。
注釈=金銭に困らないことを一般的に「銭不是問題」という。
2、喝酔了我誰也不服,我就扶墻。
△ 酔っぱらったら、おれは誰にも服従しないが、塀にはもたれる。
注釈=同音の「服」と「扶」を巧みに使ったユーモラスな一句。
3、我就像一只趴在玻璃上的蒼蝿,前途一片光明,但又找不到出路。
△ 自分はまるで窓ガラスに這いつくばっている一匹の蝿のよう。前途に希望はあるが、出口は見つからない。
4、大師兄,你知道嗎?二師兄的肉現在比師傅的都貴了。
△
兄貴(孫悟空のこと)、知ってるかい。今は猪八戒の兄貴の肉は、三蔵法師の肉より高価になったよ。
5、水至清則無魚,人至賤則無敵。
△ 水がきれい過ぎると、魚は住まない。だが、人は卑しすぎると無敵になる。
6、青春就像衛生紙,看着挺多的,用着用着就不够了。
△ 青春はあたかもトイレットペーパーのようなものである。見た目は多いようだが、使っていると足りなくなってくる。
注釈=青春をトイレットペーパーに喩えている。
7、懐才就像懐孕,時間久了才能譲人看出来。
△ 才能を伸ばすことはまるで子を孕むようなもの。一定の時を経なければ実らない。
注釈=熟語「懐才」(才能を伸ばす)と「懐孕」(妊娠する)の字、「懐」を併用し、才能を伸ばすことを妊娠に喩えている。
8、一女同学黒了些,她男友又太白了些,有天宿舎里的毒舌天後突然対她冒出一句:“你們這様不行,你們会生出斑馬来的。”
△ 色白のボーイフレンドを持つ肌の黒い女子学生がいた。ある日、同じ寮に住む、割とズバズバと喋る先輩がこう言った。「アンタたち、このままじゃまずいよ。何故って、このままだとシマウマが生まれるから…」
9、老娘一向視帥哥与金銭如糞土,而他們也一直是這様看我的。
△ あたいは以前からイケメンやお金を糞便と見なしていたが、あいつらもずっとあたいを同様に見ている。
10、不要和我比懶,我懶得和你比。
△ 私と怠けることを比べないでくれ。お前と比べるのがおっくうだから。
11、我不是個随便的人,我随便起来不是人。
△ わたしは軽率な人間ではないが、いざ勝手にし始めたら人間ではなくなるのだ。
12、做人就要做一個徘徊在牛A和牛C之間的人。
△ 人間として牛Aと牛Cの間に徘徊する者にならなければならない。
注釈=「牛Aと牛Cの間」は「牛B」のこと。傲慢でえらい立場にある人間を指す俗語。
13、樹不要皮,必死無疑;人不要臉,天下無敵。
△ 木は皮がなければ必ず死ぬが、人はメンツを気にしなければ天下無敵だ。
14、農夫三拳有点疼。
△ 農夫から拳骨3発を食らわされてちょっと痛い。
注釈=「農夫山泉」は中国のブランド天然水だが、品質の問題が指摘されている。その天然水を飲んで腹痛が起きたことを指し、「山泉」と「三拳」はほぼ同音である。
15、走別人的路,譲別人走投無道。
△ 他人の道を歩み、他人が歩む道を無くしてしまおう。
注釈=「走自己的
路,譲別人去説吧」(他人がどう言おうと、己の道を歩まなければならない)は、(魯迅など文人がよく言う)中国人なら誰もが知っている名文句。本文は、それを書き換えたものである。
16、思想有多遠,你就給我滾多遠。
△ 思考が至れる遠いところまで出て行け!
注釈=人間にとって、思考は非常に遠いところまで到達させることができると言われる。「給我滾」は、「出ていけ」という意味。
17、只有在火車站排長龍時,才能真正意識到自己是“龍的伝人”。
△ 駅で列を作っている時になってはじめて、自分は「龍の末裔」だと真に認識できる。
18、老鼠扛刀,満街找猫。
△ 鼠は刀を肩に担いで、街のいたるところで猫を探している。
19、有情人終成家属。
△ 愛する人はいずれ妻となる。
注釈=王実甫『西廂記』にある「願天下有情的都成了眷属」(世の愛し合う者たちはみな夫婦になることを願う)をもとに、いつしか「有情人終成眷属」として定着し、決まり文句となっている。この流行語は一字書き換えているが、意味はそのまま。しかし、「眷属」と聞きなれた中国人にとって、この「終成家属」はユニークな表現であり、つい笑ってしまう。
20、在哪里跌倒,就在哪里躺下。
△ つまずいて転んだら、すぐそこに倒れよ。
注釈=「在哪里跌倒,就在哪里爬起来。」(転んでも、すぐ立ち上がれ)ということわざをもじったもの。この流行語は、「爬起来」(立ち上がる)を「躺下」(倒れる)に書き換えた。
21、丟失……
△ ~を失ってしまう。
22、没有銭,没有権,再不対你好点,你能跟我?
△ 金もないし権力もないから、お前にやさしくしてやれないと、付き合ってももらえない?
23、拿份報紙上厠所,俺是読書人。
△ 新聞を手にしてトイレに入る。俺はインテリだ。
24、你的醜和你的臉没関係…
△ おまえの醜さはお前の顔と関係なし…
注釈=人間の醜さは顔立ちではなく、その心から出る。
25、爺爺都是従孫子走過来的……
△ お爺さんたちはいずれも孫の時代から歩んできたものだ…
注釈=中国で「爺爺」はおえらいさん、「孫子」はろくでなしという意味がある。この句は二者を重ねて使ったもの、つまり重ね言葉である。
26、老天,你譲夏天和冬天同居了嗎?!生出這種鬼天気!
△ 神様、夏と冬を同居させたのか?そうでなければ、これほど変な天気にはならないだろう!
注釈=異常気
象を表現した流行語。
27、鳥大了什麼林子都有!
△ 鳥が大きければ、どのような森もありうる。
注釈=「林子大了什麼鳥都有!」(森が深ければ、どんな奇怪な鳥も棲んでいる)という言葉をもじったもの。人
28、夏天就是不好,窮的時候我連西北風都没得喝。
△ 夏は本当によくない。なぜなら、お金に困ると西北の風も飲めないから。
注釈=「喝西北風」という熟語は、食べるものがないという意味。西北の風さえ飲むことができないという意。
29、随你大小便。
△ 大便にしろ小便にしろ、勝手にすればいい。
注釈= 熟語「随你便」(勝手にすればいい)に因んだ句。前に「大小」を入れたふざけた表現。
30、你以為我会眼睜睜地看着你死?我会閉上眼睛的。
△ お前が死ぬのを見殺しにすると思うか?おれは眼をつむるだけだ。
注釈=これも、大学生たちの新しい世渡り術だろうか。
31、天使之所以会飛,是因為她們把自己看得很軽。
△ 天使が飛べるのは、彼女たちが自分のことを軽く見ているからだ。
注釈=めったにない名言。人間は皆、自分を軽く見なすことができれば、誰もが飛べるようになるだろう。
32、我想早恋,可是已経晩了。
△ 私は早く男女交際したいが、もう乗り遅れてしまった。
33、生,容易;活,容易;生活,不容易。
△ 生まれてくるのは容易で、生きるのも容易だが、生活するのは容易ではない。
34、打死你我也不会説。
△ たとえ君が殺されても、私は口を開かない。
注釈=「打死我也不会説」(たとえ、殺されても絶対実情を言わない)という語に「你」を入れて、意味を変えたもの。いわば、文字遊びである。
35、早起的鳥児有虫吃,早起的虫虫被鳥吃。
△ 早起きの鳥は虫を食えるが、早起きの虫は鳥に食われるものだ。
36、我和你不一様,因為我是人。
△ わたしは君とは違う。なぜなら、わたしは人間だから。
注釈=自分の何かを強調する際に、よく「我和你不一様」と言うが、これをもって後半の文を導き出すのが見所である。しかし、このような差別用語も日常化し、ユーモアのひとつとされるのはいかがなものだろう。
37、上天賜予我們青春的同時也賜予了我們青春痘。
△ 神様はわれわれに青春とニキビを賜った。
38、老媽的規勧:閨女,要適当吃一点才有勁減肥啊。
△ 母親が娘を説得する。「娘よ、適切に食べて、はじめてダイエットの効果が出るものよ」
39、春天是感冒和感情高発的季節,有人不小心感冒了,有人不小心恋愛了,我属于後者。
△ 春は風邪と恋の流行る季節だ。ある人は不注意で風邪をひいてしまい、ある人は不注意で恋におちてしまう。自分は前者に属する。
注釈=恋愛がはじまりやすい時期でも、その縁にはほど遠い負け組の自嘲か。
40、我当年也是個痴情的種子,結果下了場雨―――淹死了。
△ わたしも昔、痴情の種だった。しかし、一度雨が降ったら溺れて死んだ。
注釈=「愛情の種」は、よく使われる中国語の表現。本当は、雨が降れば芽生え、果実が実るのが筋であるが、その雨に溺れて死んだという発想がユニーク。
41、人怕出名猪怕壮,男怕没銭女怕胖。
△ 人は名が出るのを恐れ、イノシシは太るのを恐れる。男は貧乏を恐れ、女は肥満を恐れる。
42、如果有銭也是一種錯,我情愿一錯再錯。
△ もし金があることが間違いだと言うならば、わたしはよろこんで間違いを重ねたい。
43、不要把銀行卡密码設成女朋友的生日,不然総要換,多麻煩。
△ キャッシュカードの暗証番号は、ガールフレンドの誕生日の日付で設定してはならない。なぜなら、それを頻繁に入れ替えるのは面倒くさいから。
44、最幸福的事:睡覚睡到自然醒,数銭数到手抽筋。最悲哀的事:睡覚睡到手抽筋,数銭数到自然醒。
△ 最高に幸福なことは、自然に目覚めるほど十分な睡眠をとることであり、手が疲れるほど札束を数えることだ。もっとも哀れなことは、手が疲れるほど寝ることであり、札束を数えているといつの間にか夢から覚めてしまうことだ。
45、銭可以買房子但買不到家,銭可以買婚姻但買不到愛情,銭可以買鐘表但買不到時間,銭不是一切,反而是痛苦的根源。把你的銭給我,譲我一個人承担痛苦吧!
△ 金で住宅は買えるが、家族は買えない。金で結婚は買えるが、愛情は買えない。金で時計は買えるが、時間は買えない。金がすべてではないどころか、不幸をもたらす原因にもなる。あなたの金を私にくれれば、私が一人でその不幸を肩代わりしてあげよう。
46、士為知己者装死,女為悦己者整容。
△ 男は親友が困っているときに死んだふりをし、女は自分を喜ばせる者のために整形手術を受ける。
注釈=本来、士は友のためなら死んでも辞さないが、今は親友が窮地に立たされても知らん顔をする。
47、命運負責洗牌,但是玩牌的是我們自己!
△ カードを切るのは
運命によるものだが、トランプ遊びをするのはわたしたち自身だ。
注釈=運命に逆らってでも、納得のいく人生を送ろうとする強い意志か。
48、爱人是種無奈,被爱是種姿態,等爱是種期待,无爱是種能耐。
△ 人を愛してしまうのは仕方のないことで、愛されるのは一種の見栄だ。愛を待つのは一種の期待で、愛さないのは一種の能力だ。
49、女人之美,在于蠢的無怨無悔;男人之美,在于説謊説的白日見鬼。
△ 女の美とはどんなに愚かなことをしても後悔しないことにあり、男の美とは真っ昼間に幽霊が現れるほどの嘘をつくこと。
50、武功再高,也怕菜刀。
△ 武功の達人でも、包丁を怖がる。
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1 原語= 打醤油
和訳= 醤油を買う
「醤油を買う」ことを標準中国語では「買醤油」というが、俗な言い方では、「打醤油」と言われる。「打」はここでは「買う」という意であるが、原義は「(水など液体のもの)を汲む」ことである。たとえば、「水を汲む」ことを「打水」と言う。
ひと昔前、醤油は瓶などの容器に入れて販売されるのではなく、甕など大きな容器にある醤油を柄杓形の計器で汲んで、お客さんの持参した瓶などに入れた。それゆえ、醤油を買うことを「打醤油」というわけである。
改革開放後は、こういった「打醤油」という風景は、都市部ではだんだん消えていき、貧しい田舎などを除いては、ほとんど見られなくなった。
それにもかかわらず、「打醤油」という言い方は、今日まで存続しており、しかも調味料など食料品を買うことも抽象化して「打醤油」と言う人や地区もある。さらに、以上の意味から演繹して、「孩子都能打醤油了」(俺の子は買い物もできるようになった)という言い方も生まれ、且つ普遍化して愛用されている。
2原語=很黄、很暴力。
和訳=とてもエッチで暴力的だ。
3 原語=三個俯臥撑。
和訳=腕立て伏せ三回。
4 原語= 你們算個屁!
和訳=お前らは屁にもならない!
5 原語= 正龍拍虎
和訳=周さんが虎を撮る
『水滸伝』には、武松が空手で虎を打ち殺した話があり、英雄談として代々伝えられている。武松が打ち殺した虎は、大型の東北虎かそれとも小型の華南虎か、未だに定まらない。
6 原語= 山寨
和訳=コピー商品
中国語の「山寨」とは、山中の砦(とりで)や周りを土塀や柵で囲まれた山村のことである
。
水滸伝の英雄好漢たちは、梁山泊を独占し自由奔放に楽しんでいたが、これも一種の「山寨」である。都に対する「山塞」は本来から、辺鄙、疎外、独立、自由などのほかに、野蛮という文化的含意も含まれているのである。
「時と共に進め」と鞭を入れられる中国人だが、この「山寨」も時代とともに進化、変容し、つい2008年10大流行語に選ばれた。
今の「山寨」とは、辺鄙な山村や梁山泊のようなものではなく、そのような野性をもつコピー商品、模倣品、盗作品の代名詞なのである。
「山寨」は、民間のIT産業の勃興に伴った産物であり、最も早く誕生したのは「山寨携帯」であり、その後「山寨家電」、「山寨俳優スター」、など、さまざまな「山寨」ものが誕生し、物質および文化の市場に満ち溢れている。
7 原語= 囧
和訳=うなだれた
文字遊びは、古から中国文人たちの好みである。インターネット時代に入ってから、この文字遊びにもさまざまな変化が現われ、その中で、漢字の意味に一切かまわずその外形のみをとって用いるのが流行っており、文字遊びの新風となっている。「囧」がそれの代表的なものである。
「囧」は象形文字で、明かりとりの窓の姿を描いたものであり、「光、光る、明るい」という意味である。現代以降、この「囧」は中国ではほとんど使われずだんだん非常用の古体字とされてきた。
しかし、長らく疎遠にされていたこの「囧」は、2008年にインターネット上でいきなり甦り、そしてあっという間に漢字の流行語第1位の座についた。
「囧」は、うなだれた人間の顔に酷似していることから、ネットユーザたちから「憂うつ、悲傷、無言、うなだれた、落胆、気持ち悪い」などの代名詞として使用され、今はもはや顔文字の寵児となっている。
「囧」は次のように使用される。
「我好囧啊!」=なんといううなだれた気分だろう!
「他要囧死了」=彼は落胆してしようがない。
「対此我只有囧」=このことに、わたしはただ無言でいるだけ。