小仓百人一首汉译版本 网友版

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小仓百人一首

小仓百人一首

小倉百人一首001 秋田(あきのた)の假廬(かりほ)の庵(いほ)の苫(とま)を荒(あら)み我(わ)が衣手(ころもて)は露(つゆ)に濡(ぬ)れつつ秋日田圃間心穗假廬粗庵內苫蓆陋且荒吾人衣袖霑夜露濡濕不乾龍田秋天智天皇002 春過(はるす)ぎて夏來(なつき)にけらし白妙(しろたへ)の衣乾(ころもほ)すて(云)ふ天香具山(あまのかぐやま)佐保春已過今觀夏概既來兮白妙素織服晾曬乾衣披山間典雅天之香具山持統天皇003 足引(あしびき)の山鳥(やまどり)の尾(を)の垂尾(しだりのを) 長長(ながなが)し夜(よ)を獨(ひとり)かも寢(ね)む足引山險峻雉子山鳥尾醒目垂尾長綿延漫漫長夜映尾長孤眠獨寢恨夜長柿本人麻呂(柿本人麿)004 田子浦(たごのうら)に打出(うちいで)て見(み)れば白妙(しろたへ)の富士(ふじのたかね)に雪(ゆき)は降(ふ)りつつ駿河田子浦至此出步覽觀者白妙浩皚皚不死富士高嶺上白雪零落降紛紛山部赤人(山邊赤人)005 奧山(おくやま)に紅葉踏分(もみぢふみわ)け鳴鹿(なくしか)の聲聞(こゑき)く時(とき)ぞ秋(あき)は悲(かな)しき寂寥深山中腳踏紅葉獨步行不知自何方鳴鹿哀啼聲可聞秋日懷悲沁身心猿丸大夫006 鵲(かささぎ)の渡(わた)せる橋(はし)に置霜(おくしも)の白(しろ)きを見(み)れば夜(よ)ぞ更(ふ)けにける七夕喜相逢烏鵲成橋渡銀漢宮苑霜已降夜更鵲啼霜滿天鵲橋皓白映夜深中納言家持(大伴家持)007 天原(あまのはら) 振離(ふりさ)け見(み)れば春日(かすが)なる三笠山(みかさのやま)に出(いで)し月(つき)かも久方高天原翹首遙望思東天於此所眺月可與奈良春日間三笠山出皎月同安倍仲麿(安倍仲麻呂)008 我庵(わがいほ)は都(みやこ)の辰巳(たつみ) 然(しか)ぞ棲(す)む世(よ)を宇治山(うぢやま)と人(ひと)は云也(いふなり)入道屏山庵吾居位京辰巳方誠然棲此地宇治山悠閒自得豈信人稱其憂山喜撰法師009 花色(はなのいろ)は移(うつ)りにけりな徒(いたづら)に我身世(わがみよ)に經(ふ)る長雨(ながめ)せし間(ま)に花色雖多彩時節遞嬗本無常徒有空悲感此身形貌隨年老虛眺長雨摧花落小野小町010 是(これ)や此(こ)の行(ゆ)くも歸(かへ)るも別(わかれ)ては知(し)るも知(し)らぬも逢坂關(あふさかのせき)是耶此地矣往返絡繹常不絕別離踐遠行無論相識不相識俱在相會逢坂關蟬丸011 海原(わたのはら) 八十島驅(やそしまか)けて漕出(こぎい)でぬと人(ひと)には告(つ)げよ海人(あま)の釣舟(つりふね)綿津大海原航往八十千千島漕楫出滄海還請海人釣舟上白水郎兒告家人參議篁小野篁012 天風(あまつかぜ) 雲(くも)の通路(かよひぢ) 吹閉(ふきと)ぢよ乙女(をとめ)の姿(すがた) 暫留(しばしとど)めむ蒼窮天風矣願阻天界凡世間相通天雲路吹閉雲路滯天女暫留妍姿在人世僧正遍昭良岑宗貞013 筑波嶺(つくばね)の峰(みね)より落(お)つる男女川(みなのかは) 戀(こひ)ぞ積(つもり)て淵(ふち)と成(な)りぬる常陸筑波嶺流自嶺上綿延落涓涓男女川日積月累納情戀匯作深潭永彌堅陽成院陽成天皇014 陸奧(みちのく)の信夫捩摺(しのぶもぢずり) 誰故(たれゆゑ)に亂初(みだれそ)めにし我(われ)なら無(な)くに陸奧信夫郡忍草捩摺因誰故紋染凌不整吾心初亂如紊麻究竟當為誰之過河原左大臣源融015 君(きみ)が為(ため) 春野(はるのの)に出(い)でて若菜摘(わかなつ)む我衣手(わがころもで)に雪(ゆき)は降(ふ)りつつ一心全為君罷身春野田原間俯拾摘若菜早春若菜生雪間袖上細雪紛紛降光孝天皇仁和帝016 立別(たちわか)れ因幡山(いなばのやま)の峯(みね)に生(お)ふる松(まつ)とし聞(き)かば今歸來(いまかへりこ)む送君別千里今立因幡稻羽山如其峰上松若知吾人苦待君還冀今朝歸來兮中納言行平在原行平017 千早振(ちはやぶ)る神世(かみよ)も聞(き)かず龍田川(たつたがは) 韓紅(からくれなゐ)に水絞(みづくく)るとは縱在千早振稜威神代未有聞秋日龍田河紅葉織水染韓紅奇景絢麗勝古今在原業平朝臣018 住江(すみのえ)の岸(きし)に寄(よ)る波(なみ) 夜(よる)さへや夢(ゆめ)の通路(かよひぢ) 人目避(ひとめよ)くらむ住吉住之江江邊波濤寄岸來猶如夜中寢夢間通路竊相晤汝避人目來相逢藤原敏行朝臣019 難波潟(なにはがた) 短(みじ)かき蘆(あし)の節間(ふしのま)も逢(あ)はで此世(このよ)を過(す)ぐしてよとや浪速難波潟難波蘆葦節間短人生促須臾豈稱未逢過此世何以心安不念君伊勢020 侘(わび)ぬれば今(いま)はた同(おな)じ難波(なには)なる身(み)を盡(つ)くしても逢(あ)はむとぞ思(おも)ふ事泄心緒亂吾暮君心仍無易難波澪標矣縱令身毀永不復仍願再與君相會元良親王021 今來(いまこ)むと言(い)ひし許(ばかり)に長月(ながつき)の有明月(ありあけのつき)を待出(まちいづ)つる哉(かな)君稱今將至豈知口諾無其實久月秋夜長吾人苦待不得逢下旬有明月已出素性法師良岑玄利022 吹(ふ)くからに秋(あき)の草木(くさき)の萎(しを)るれば宜山風(むべやまかぜ)を嵐(あらし)と云(い)ふらむ風吹野邊者秋日草木為所折搖曳狀荒亂殘摧傾倒甚將枯是以山風謂之嵐文屋康秀023 月見(つきみ)れば千千(ちぢ)に物(もの)こそ悲(かな)しけれ我身一(わがみひと)つの秋(あき)には有(あ)らねど舉頭望秋月千千萬物令吾悲何其物哀者雖秋非為吾一人吾身孑然獨愁愴大江千里024 此旅(このたび)は幣(ぬさ)も取合(とりあ)へず手向山(たむけやま) 紅葉(もみぢ)の錦(にしき) 神(かみ)の隨(まにま)に此旅行急促未得備妥獻御幣此是手向山當以紅葉零似錦奉神隨意納誠情菅家菅原道真025 名(な)にし負(お)はば逢坂山(あふさかやま)の真葛(さねかづら) 人(ひと)に知(し)られで來由(くるよし)もがな若不負此名逢坂山上真葛矣小寢繰彼葛如何不為人所知竊來相會全慕情三條右大臣藤原定方026 小倉山(をぐらやま) 峰(みね)の紅葉葉(もみぢば) 心有(こころあ)らば今一度(いまひとたび)の行幸待(みゆきま)たなむ嵯峨小倉山峰上楓葉盡火紅紅葉若有心還妄且暫勿凋零更待吾君再幸臨貞信公藤原忠平027 甕原(みかのはら) 分(わ)きて流(なが)るる泉川(いづみがは) 何時見(いつみ)きとてか戀(こひ)しかるらむ三香瓶甕原水分泉湧流而下木津川泉河究竟何時曾見君令吾戀慕至於今中納言兼輔藤原兼輔028 山里(やまさと)は冬(ふゆ)ぞ寂(さび)しさ增(ま)さりける人目(ひとめ)も草(くさ)も枯(か)れぬと思(おも)へば獨居深山里時值冬日倍寂寥沒落冷清者人目離兮草木枯方寸滿溢死寂情源宗于朝臣029 心當(こころあ)てに折(を)らばや折(を)らむ初霜(はつしも)の置(お)き惑(まど)はせる白菊花(しらぎくのはな)心量計其辰何時當枝菊花折孰知初霜降一面置白惑吾人白菊花兮可怜矣凡河內躬恒030 有明(ありあけ)の由緣無(つれな)く見(み)えし別(わかれ)より曉許(あかつきばか)り憂物(うきもの)は無(な)し晨曦有明月徒留空中迎朝曉伊人甚無情相別不予再相會以故憂莫勝曉許壬生忠岑031 朝(あさ)ぼらけ有明(ありあけ)の月(つき)と見(み)る迄(まで)に吉野(よしの)の里(さと)に降(ふ)れる白雪(しらゆき)朝辰仄將明薄明之際月掛天雪降吉野里還誤有明月曜地方圓一望盡白皙坂上是則032 山川(やまがは)に風(かぜ)の架(か)けたる柵(しがらみ)は流(なが)れも飽(あ)へぬ紅葉(もみぢ)なりけり山間細清川秋風架柵阻其流細觀其柵者留滯難移不得流紅葉積水為溪柵春道列樹033 久方(ひさかた)の光長閑(ひかりのど)けき春日(はるのひ)に靜心無(しづこころな)く花(はな)の散(ち)るらむ朝陽懸虛空閑日高照暖世間此時雖春日櫻花俄遷心無靜愁帶哀思散儚華紀友則034 誰(たれ)をかも知(し)る人(ひと)に為(せ)む高砂(たかさご)の松(まつ)も昔(むかし)の友(とも)なら無(な)くに吾當以孰人交好相知為故友高砂松久常然彼為松不為人何以作友常相伴藤原興風035 人(ひと)はいさ心(こころ)も知(し)らず故里(ふるさと)は花(はな)ぞ昔(むかし)の香(か)に匂(にほ)ひける人心每浮動變化無常不知衷今日訪故地不知人心依舊否惟有花香猶往昔紀貫之036 夏夜(なつのよ)は未(ま)だ宵(よひ)ながら明(あ)けぬるを雲(くも)の何處(いづこ)に月宿(つきやど)るらむ夏夜也苦短方覺夜至夜已盡東方天將明明月無暇沉西天叢雲何處可蔽身清原深養父037 白露(しらつゆ)に風(かぜ)の吹(ふ)きしく秋野(あきのの)は貫(つらぬ)き留(と)めぬ玉(たま)ぞ散(ちり)ける瑩瑩白露者頻為風吹拂大氣寂寥秋野間猶絲無以貫繫止緒斷真珠散飛空文屋朝康038 忘(わす)らるる身(み)をば思(おも)はず誓(ちか)ひてし人命(ひとのいのち)の惜(を)しくも有哉(あるかな)不恨為君忘此身雖悲無所怨所惜為君命想君當年誓不渝今日背信命危哉右近039 淺茅生(あさぢふ)の小野篠原(をののしのはら) 忍(しの)ぶれど餘(あま)りて何(な)どか人(ひと)の戀(こひ)しき叢叢淺茅生小野篠原忍草生吾隱吾慕心不為人知至今日何以情溢戀不止參議等源等040 忍(しの)ぶれど色(いろ)に出(い)でにけり我戀(わがこひ)は物(もの)や思(おも)ふと人(いと)の問(と)ふ迄(まで)情不願人知雖隱卻仍現於色色現程如何雖隱既為人所察來問吾戀何惱哉平兼盛041 戀(こひ)す云(て)ふ我名(わがな)は未(ま)だき立(た)ちにけり人知(ひとし)れずこそ思初(おもひそめ)しか人云吾戀汝浮名已傳天下聞唯吾不識噂以為此情方萌芽竊思戀慕無人知壬生忠見042 契(ちぎり)きな互(かたみ)に袖(そで)を絞(しぼ)りつつ末(すゑ)の松山(まつやま) 波越(なみこ)さじとは嚮日契山盟互濕衣襟誓不渝揮淚絞袖乾駭浪無越末松山何以今日毀昔約清原元輔043 逢見(あひみ)ての後(のち)の心(こころ)に較(くら)ぶれば昔(むかし)は物(もの)を思(おも)はざりけり逢見相契後慕情更甚烈於前相較於今者往昔曩日所憂惱未能堪稱相思苦權中納言敦忠藤原敦忠044 逢事(あふこと)の絕(た)えてし無(な)くば中中(なかなか)に人(ひと)をも身(み)をも恨(うらみ)ざらまし今懟相思苦茍令自初無逢事反致心自得若使往日未相識於人於身不留恨中納言朝忠藤原朝忠045 哀(あはれ)とも云(い)ふべき人(ひと)は思(おも)ほえで身(み)の徒(いたづら)に成(なり)ぬべき哉(かな)今顧我身者可有孰人哀憐乎無人憐吾身縱令馬齒徒增長此亦枉然苟活哉謙德公藤原伊尹046 由良(ゆら)の門(と)を渡(わた)る舟人(ふなびと) 梶(かぢ)を絕(た)え行方(ゆくへ)も知(し)らぬ戀道哉(こひのみちかな)由良川海門渡子舟人失槳梶無術漂泛海吾人情路亦如是何去何從無所寄曾禰好忠047 八重葎(やへむぐら) 繁(しげ)れる宿(やど)の寂(さび)しきに人(ひと)こそ見(み)えね秋(あき)は來(き)にけり荒蕪雜草生八重葎茂家門間其景何其寂不見人影無人跡唯有秋來惨戚戚惠慶法師048 風(かぜ)を疾(いた)み岩打波(いはうつなみ)の己(おのれ)のみ碎(くだ)けて物(もの)を思(おも)ふ頃哉(ころかな)疾風速且勁拂揚巨浪拍岸岩汝固身如岩吾今思己如彼濤身碎心裂徒愴然源重之049 御垣守(みかきもり) 衛士(ゑじ)の炊火(たくひ)の夜(よる)は燃(も)え晝(ひる)は消(き)えつつ物(もの)をこそ思(おも)へ警固御垣守衛士炊火若吾情夜燃而晝滅吾人思火亦如是時燃時消屢煎熬大中臣能宣朝臣050 君(きみ)が為(ため) 惜(を)しからざりし命(いのち)さへ長(なが)くもがなと思(おもひ)ける哉(かな)若為與君會往日無顧不惜生然與君契後只願此命能長久廝守偕老至石爛051 斯(か)くとだにえやは伊吹(いぶき)の蓬草(さしもぐさ) さしも知(し)らじな燃(も)ゆる思火(おもひ)を雖思君如此藏於方寸不能言伊吹山蓬萌汝或不知我心思思火熾烈燃身心藤原實方朝臣052 明(あ)けぬれば暮(く)るる物(もの)とは知(し)りながら猶恨(なほうら)めしき朝(あさ)ぼらけ哉(かな)一旦天明後雖之日必終將暮猶恨不能止心怨春宵夜短促憾恨黎明散佳偶藤原道信朝臣053 嘆(なげき)つつ獨寢(ひとりぬ)る夜(よ)の明(あく)る間(ま)は如何(いか)に久(ひさ)しき物(もの)とかは知(し)る悲嘆復悲嘆獨守空閨孤寢夜問君誠可知夜長漫漫天難明待曉之間何苦久右大將道綱母054 忘(わす)れじの行末迄(ゆくすえまで)は難(かた)ければ今日(けふ)を限(かぎり)の命(いのち)ともがな君稱不忘卿誓情海枯盟石爛吾知世無常但願命隕在今宵得君愛擁死無憾儀同三司母高階貴子055 瀧音(たきのおと)は絕(た)えて久(ひさ)しく成(なり)ぬれど名(な)こそ流(なが)れて猶聞(なほきこ)えけれ瀧音絕已久昔日名瀧今水涸其形雖不再盛名流傳亙萬代至今猶聞無絕日大納言公任藤原公任056 在(あ)らざらむ此世(このよ)の外(ほか)の思出(おもひで)に今一度(いまひとたび)の逢事(あふこと)もがな此命在旦夕今思將來在他界願得追憶者只願吾身殞命前還緣再見君一面和泉式部057 巡逢(めぐりあ)ひて見(み)しや其(それ)とも判(わか)ぬ間(ま)に雲(くも)が隱(くれ)にし夜半(よは)の月哉(つきかな)邂逅巡相逢還未得細觀其形遁隱雲霧間一猶夜半月牙哉忽隱雲間難辨明紫式部058 有馬山(ありまやま) 豬名笹原(ゐなのささはら) 風吹(かぜふ)けばいで其(そ)よ人(ひと)を忘(わす)れやはする攝津有馬山豬名笹原風吹者草木為風拂嗚呼是矣其音者何得忘汝釋慕懷大貳三位藤原賢子059 休(やす)らはで寢(ね)な益物(ましもの)を小夜更(さよふ)けて傾(かたぶ)く迄(まで)の月(つき)を見(み)し哉(かな)早知君不臨不若率先入寢眠時至小夜更月傾西山天將曙望月終夜苛孤苦赤染衛門060 大江山(おほえやま) 生野(いくの)の道(みち)の遠(とほ)ければ未(ま)だ踏(ふ)みも見(み)ず天橋立(あまのはしだて)巍峨大江山生野道遠難以行母在山之端吾未得踏探母路未獲家書天橋立小式部內侍061 古(いにしへ)の奈良都(ならのみやこ)の八重櫻(やへさくら) 今日九重(けふここのへ)に匂(にほ)ひぬる哉(かな)曩古奈良都平城京中八重櫻故其昔盛日還願今日化九重綻放內裏絢繽紛伊勢大輔062 夜(よ)を籠(こ)めて鳥(とり)の空音(そらね)は計(はか)るとも世(よ)に逢坂(あふさか)の關(せき)は赦(ゆる)さじ夜暗天未明偽庭鳥鳴空音聞偽計假雞啼縱令得過函谷關豈赦輒越逢坂關清少納言063 今(いま)は唯(ただ) 思絕(おもひた)えなむとばかりを人傳(ひとづ)て成(な)らで言由(いふよし)もがな事既至如此縱今須與君絕情斷此相思者唯欲不願借人傳只願親述話事由左京大夫道雅藤原道雅064 朝(あさ)ぼらけ宇治川霧(うぢのかはぎり) 絕絕(たえだえ)に現渡(あらはれわた)る瀨瀨(せぜ)の網代木(あじろぎ)黎明早朝時宇治川霧漸見晴斷續且斷續漸而現出顯分明瀨瀨之間網代木權中納言定賴藤原定賴065 恨(うら)み侘(わび) 乾(ほ)さぬ袖(そで)だに有物(あるもの)を戀(こひ)に朽(く)ちなむ名(な)こそ惜(をし)けれ悲憤復悲憤至今既已無氣力濡袖永不乾吾名已因此戀朽惋惜難堪嘆狼藉相模066 諸共(もろとも)に悲(あは)れと思(おも)へ山櫻(やまざくら) 花(はな)より外(ほか)に知人(しるひと)も無(な)し諸共山櫻等當能悲憐感我哉除山櫻花外孰能知我解吾身孰能憐我悲吾遇前大僧正行尊067 春夜(はるのよ)の夢許(ゆめばかり)なる手枕(たまくら)に甲斐無(かひな)く立(た)たむ名(な)こそ惜(をし)けれ春夜夢無常好景虛幻易俄逝君願借手枕然其表麗卻無實只懼浮名徒立矣周防內侍平仲子068 心(こころ)にも在(あ)らで憂世(うきよ)に長(なが)らへば戀(こひ)しかるべき夜半(とは)の月哉(つきかな)不能如所願若致苟活憂世間莫得脫苦海今顧此世可戀者唯有夜半清月哉三條院三條天皇069 嵐吹(あらしふ)く三室山(みむろのやま)の紅葉葉(もみぢば)は龍田川(たつたのかは)の錦也(にしきなり)けり嵐吹三諸岳三室山上紅葉葉飄落龍田川川間紅葉朱似錦絢爛如畫映眼簾能因法師橘永愷070 寂(さび)しさに宿(やど)を立出(たちいで)て眺(なが)むれば何處(いづこ)も同(おな)じ秋夕暮(あきのゆふぐれ)獨居山庵間不耐寂寞出居步信步眺望者處處之景咸皆同誰彼時分秋夕暮良選法師071 夕去(ゆふさ)れば門田稻葉(かどたのいなば) 訪(おとづ)れて蘆丸屋(あしのまろや)に秋風(あきかぜ)ぞ吹(ふ)く夕暮黃昏刻門田稻葉聲作響一猶人來訪秋風吹拂蘆丸屋稻葉作響猶喚人大納言經信藤原經信072 音(おと)に聞(き)く高師濱(たかしのはま)の徒波(あだなみ)は掛(か)けじや袖(そで)の濡(ぬ)れもこそすれ浪搏音可聞著名難波高師濱君意勿掛心徒波莫擊濕吾袖還恐薄情君不實祐子內親王家紀伊073 高砂(たかさご)の尾上(をのへ)の櫻(さくら) 咲(さ)きにけり外山(とやま)の霞(かすみ) 立(た)たずも有(あ)らなむ高砂尾上峰頂上山櫻咲美哉今見此勝景還願外山霞莫起勿遮遠山艷櫻姿前權中納言匡房大江匡房074 憂(う)かりける人(ひと)を初瀨(はつせ)の山下(やまおろ)しよ激(はげ)しかれとは祈(いの)らぬ物(もの)を致憂復致惱薄情之人甚冷漠初瀨長谷山山下之嵐淒冷冽吾可曾祈漠如此源俊賴朝臣075 契置(ちぎりお)きし蓬艾(させも)が露(つゆ)を命(いのち)にて憐(あは)れ今年(ことし)の秋(あき)も行(い)ぬめり相諾曾相許吾命薄幸如朝露見蓬艾上露可惜今年秋又至方知此歲復背信藤原基俊076 海原(わたのはら) 漕出(こぎいで)て見(み)れば久方(ひさかた)の雲居(くもゐ)に紛(まが)ふ沖(おき)つ白波(しらなみ)綿津見海原漕出滄海一望者沖浪似皓雲海上遙空水天線誤作久方天雲居法性寺入道前關白太政大臣藤原忠通077 瀨(せ)を早(はや)み岩(いは)に塞(せ)かるる瀧川(たきがは)の割(わ)れても末(すゑ)に合(あ)はむとぞ思(おも)ふ其流疾且速川瀨遇岩遭阻絕瀧川割二分吾度彼川今雖離其末必將再相逢崇德院崇德天皇078 淡路島(あはぢしま) 通(かよ)ふ千鳥(ちどり)の鳴聲(なくこゑ)に幾夜寢覺(いくよねざ)めぬ須磨關守(すまのせきもり)近畿淡路島千鳥飛渡畫大空鳥鳴聲淒厲幾度令吾夜寢覺須磨關守甚難眠源兼昌079 秋風(あきかぜ)に棚引(たなび)く雲(くも)の絕間(たえま)より漏出(もれいづ)る月(つき)の影(かげ)の清(さや)けさ秋風曳雲長棚引綿延亙虛空雲間月光漏洩出月影誠皎潔月清朗朗今流泄左京大夫顯輔藤原顯輔080 長(なが)からむ心(こころ)も知(し)らず黑髮(くろかみ)の亂(みだれ)て今朝(けさ)は物(もの)をこそ思(おも)へ君心實如何不知可否亙長久黑髮長紊亂昨夜雲雨今朝別吾心若髮亂如麻待賢門院堀河081 郭公(ほととぎす) 鳴(な)きつる方(かた)を眺(なが)むれば唯有明(ただありあけ)の月(つき)ぞ殘(のこ)れる郭公不如歸今尋聞聲處眺去不見啼鳥蹤唯見有明天將曙殘月掛空懸太虛後德大寺左大臣藤原實定082 思侘(おもひわ)び然(さ)ても命(いのち)は有物(あるもの)を憂(う)きに耐(た)へぬは淚也(なみだなり)けり心惱徒嘆息此命今日雖仍在無非虛度矣憂愁難耐徒苟活熱淚盈眶涕泣下道因法師藤原敦賴083 世中(よのなか)よ道(みち)こそ無(な)けれ思入(おもひい)る山奥(やまのおく)にも鹿(しか)ぞ鳴(な)くなる悠悠此世間世間雖大無寄道身仍無容處深覺縱隱深山奧仍聞鳴鹿淒切聲皇太后宮大夫俊成藤原俊成084 長(なが)らへば復此頃(またこのころ)や偲(しの)ばれむ憂(う)しと見(み)し世(よ)ぞ今(いま)は戀(こひ)しき若得長壽者他日復憶此憂世可將念懷否往昔苦痛回首顧是否反致人戀惜藤原清輔朝臣085 夜(よ)も徹(すがら) 物思頃(ものおもふころ)は明(あ)けやらで閨(ねや)の隙(ひま)さへ由緣無(つれな)かりけり終夜悲不眠沉浸物思陷憂情夜長天不明豈知幽暗閨中隙亦感無情甚冷漠俊惠法師086 嘆(なげ)けとて月(つき)やは物(もの)を思(おも)はする託顏(かこちがほ)なる我淚(わがなみだかな)月云嘆息乎似令人作徒物思雖知非如此不覺託顏作慍色我淚涕下竊怨月西行法師佐藤義清087 村雨(むらさめ)の露(つゆ)も未(ま)だ乾(ひ)ぬ真木葉(まきのは)に霧立昇(きりたちのぼ)る秋夕暮(あきのゆふぐれ)村雨叢陣雨雨露未乾置木葉真木杉檜間霧氣冉冉昇瀰漫秋日蕭條夕暮時寂蓮法師藤原定長088 難波江(なにはえ)の蘆苅根(あしのかりね)の一節故(ひとよゆゑ) 澪標(みをつくし)てや戀渡(こひわた)るべき難波江蘆茂蘆葦苅根一節短假眠一夜故當顧澪標汎江海宜盡此生為戀慕皇嘉門院別當089 玉緒(たまのお)よ絕(た)えなば絕(た)えね長(なが)らへば忍(しの)ぶる事(こと)の弱(よわ)りもぞする珠絲玉緒者汝若將絕實當絕吾命亦如思若徒長生茍存世只畏難忍竊慕情式子內親王090 見(み)せばやな雄島海人(をじまのあま)の袖(そで)だにも濡(ぬ)れにぞ濡(ぬ)れし色(いろ)は變(かは)らず欲使君觀之雄島海人濡袖濕常濡色不變然吾衣袖血淚沾染作朱紅見斑斑殷富門院大輔091 蟋蟀(きりぎりす) 鳴(な)くや霜夜(しもよ)の狹蓆(さむしろ)に衣片敷(ころもかたし)き一人(ひとり)かも寢(ね)む秋節蟋蟀鳴霜夜孤眠窄蓆寒敷衣草蓆上不能成雙唯孤枕獨寢難眠甚悽悽後京極攝政前太政大臣藤原良經092 我袖(わがそで)は潮乾(しほひ)に見(み)えぬ沖石(おきのいし)の人(ひと)こそ知(し)らね乾(かわ)く間(ま)も無(な)し吾袖如沖石縱在潮退深不出沖石未嘗乾不為人知久浸潤濕袖未有俄乾時二條院讚岐093 世中(よのなか)は常(つね)にもがもな渚漕(なぎさこ)ぐ天小舟(あまのこぶね)の綱手悲(つなでかな)しも世事總無常若願何者能長久漕渚天小舟願彼綱手永不絕令人難忘甚愛憐鎌倉右大臣源實朝094 御吉野(みよしの)の山秋風(やまのあきかぜ) 小夜更(さよふ)けて舊里寒(ふるさとさむ)く衣打(ころもう)つ也(なり)大和御吉野吉野山秋風蕭瑟夜更吹故里冽氣更令舊里寒猶聞戶戶擣衣聲參議雅經藤原雅經095 おほけ無(な)く憂世(うきよ)の民(たみ)に覆(おほ)ふ哉(かな) 我(わ)が立杣(たつそま)に墨染袖(すみぞめのそで)吾身力不逮今在比叡杣山上身著墨染袖不知今借三寶力可否覆澤憂世民前大僧正慈円096 花誘(はなさそ)ふ嵐(あらし)の庭(には)の雪(ゆき)ならで降行(ふりゆ)く物(もの)は我身也(わがみなり)けり山嵐誘花至庭間落花紛似雪花零吾身者還憂己身日益衰年歲老去猶花落入道前太政大臣藤原公經097 來(こ)ぬ人(ひと)を松帆浦(まつほのうら)の夕凪(ゆふなぎ)に燒(き)くや藻鹽(もしほ)の身(み)も焦(こが)れつつ身居松帆浦江畔待人人不至黃昏夕凪間一猶海人燒藻鹽吾人心焚身亦焦權中納言定家藤原定家098 風(かぜ)そよぐ楢(なら)の小川(をがは)の夕暮(ゆふぐ)れは禊(みそぎ)ぞ夏(なつ)の徵也(しるしなり)ける風吹楢樹響賀茂御手洗川上晚夏初秋時唯有夕暮祓禊事稍留六月夏日徵從二位家隆藤原家隆099 人(ひと)も惜(を)し人(ひと)も恨(うら)めし味色無(あぢきな)く世(よ)を思故(おもふゆえ)に物思(ものおも)ふ身(み)は時惜憐他者時憎他人常反覆無奈俗世間我心不由陷物悲心亂如麻不自己後鳥羽院後鳥羽天皇100 百敷(ももしき)や古(ふる)き軒端(のきば)の偲(しの)ぶにも猶餘有(なほあまりあ)る昔也(むかしなり)けり百敷大宮闈今日忍草荒叢生偲懷古軒簷已是大昔歲有餘唯得永憶在心中順德院順德天皇。

小仓百人一首

小仓百人一首

<小倉百人一首>藤原定家ふじわらのていか:鎌倉前期の歌人。

京極中納言などとよばれた。

新古今集(共撰)・新勅撰集ちょくせんしゅうを撰。

歌風は絢爛けんらん・巧緻こうちで、新古今調の代表。

家集「拾遺愚草」のほか歌論書「近代秀歌」「毎月抄」「詠歌之大概」など。

源氏物語げんじものがたり・古今集こきんしゅう・土佐日記とさにっきなどの古典校勘の業に従い、日記に「明月記めいげつき」がある。

書風は、後世、定家流と呼ばれ、江戸の茶人に珍重ちんちょうされた。

小倉百人一首おぐらひゃくにんいっしゅ: 宇都宮蓮生うつのみやれんしょう(宇都宮頼綱よりつな)が京都嵯峨さが野のに建築した別荘、小倉山荘の襖色紙の装飾の為に、蓮生より色紙の依頼を受けた鎌倉時代の歌人藤原定家が、上代の天智てんじ天皇てんのうから、鎌倉かまくら時代の順徳天皇まで、百人の歌人の優れた和歌を年代順に一首ずつ百首選んだものが小倉百人一首の原型と言われている。

男性79人(僧侶15人)、女性21人(天皇1人、内親王1人、女房(今で言う執事兼家政婦)17人、母2人)の歌が入っている。

成立当時まだ百人一首に一定の呼び名はなく、「小倉山荘色紙和歌」や「嵯峨山荘色紙和歌」などと称された。

なお、現在「小倉百人一首」と呼ばれるのは、定家がこれを編纂した地が小倉山であったと伝えられているためである。

いずれも『古今集』『新古今集』などの勅撰和歌集から選ばれている。

歌道の入門書として読み継がれた。

江戸時代に入り、木版画の技術が普及すると、絵入りの歌がるたの形態で広く庶民に広まった。

より人々が楽しめる遊戯として普及した。

関連書に、やはり藤原定家の撰に成る『百人秀歌』があり、『百人秀歌』と『百人一首』との主な相違点は「後鳥羽院・順徳院の歌が無く、代わりに一条院皇后宮・権中納言国信・権中納言長方の3名が入っている」「源俊頼朝臣の歌が『うかりける』でなく別の歌である」2点である。

現在、この『百人秀歌』は『百人一首』の原撰本(プロトタイプ)と考えられている。

自己翻译的百人一首部分

自己翻译的百人一首部分

自己没事翻译着玩儿的日本的百人一首,感觉超好玩,嘿嘿~~ 百人一首を我流で訳してみようかなぁ~1、きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む霜夜秋虫鸣寒衾孤枕独入眠秋虫鸣霜夜冷凉衾一袭寂梦寒2、花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに花零落红颜衰冷雨入心别样寒残红零落朱颜换独倚冷雨夜微寒3,白露に風の吹きしく秋の野はつらぬき留めぬ玉ぞ散りける一瞬清风秋野彻珠露乱语逐丝散珠露垂草冉冉秋风送丝断无凭4,有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし云淡霜月曙画角声残谁知离别苦皓月冷照离人路断肠晨光处5、ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ紀友則(33番)『古今集』春下・84日和春光暖心渐乱花落无踪春日暖心难平落红应满径6、逢ふことの絶えてしなくはなかなかに人をも身をも恨みざらまし思绵绵,夜永对景,何必曾相逢7、御垣守衛士の焚く火の夜は燃え昼は消えつつものをこそ思へ夜已三更宫中篝火冷若将心事付先成泪御垣守夜夜篝火明怎照尽离人情8、誰をかもしる人にせむ高砂の松もむかしの友ならなくに时光荏苒高砂松伴斜阳远故人何处星霜屡变寂颜空对高砂松盼遣伤情知与谁同9、君がため春の野に出でて若菜摘む我が衣手に雪は降りつつ新绿寻踪春野中长袖落白只为佳人顾衣衫春雪覆只撷新绿一抹相思情付10、陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにしわれならなくに陆奥衣纹乱伤怀何处寻芳踪衣纹乱如心中波碎相思尽头何处11、住の江の岸による波よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ住之江畔晚波声冷素手梦中仍难携住之江波那堪夜色怎若孤寂梦中路难寻朱颜影12、千早ぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは千里唐红尽付龙田川遍问古今上下知者几何?龙田川上枫红遍染古今几人知。

小仓百人一首中日对照诗文解析

小仓百人一首中日对照诗文解析

小仓百人一首中日对照诗文解析指南车轻;
(比喻指引事物的客观的方法)
人迹稀。

(指在这片土地上几乎看不到人的踪影)
牆头草色新;
(墙头的青草看上去特别新鲜)
红杏垂丝尘。

(红杏枝头那细长的枝条上有着充斥空气中落叶细尘)
萧萧黄莺催;
(清晨寂寥寥寒风中有着黄莺报岁的声音)
静听杜鹃啼。

(可以用耳静静地聆听着杜鹃欢快的鸣叫声)
三十六祁里;
(这里面一共有三十六个祁令)
九泉当中垂。

(九泉在里面,这里是最低处)
野苑迟日暮;
(野苑里的夕阳正在西斜)
独把闲愁分。

(独自静享闲愁,把心中的难受把握在自己的心里)
江边石块上;
(在江边的石头上)
何计出江湖。

(想着该如何能出走江湖之间的梦乡?)
日暮西山空;
(夕阳已落,但西山间仍是寂静)
天心觉月昏。

(因为月也依旧是朦胧的,所以整个天地显得晦暗)。

小仓百人一首

小仓百人一首

序歌難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今を春べと 咲くやこの花番号歌1秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ2春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山3あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を 独りかも寝む4田子の浦に うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ5奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき6鵲の 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける7天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも8わが庵は 都の辰巳 しかぞすむ 世をうぢ山と 人はいふなり9花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに10これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関11わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣り舟12天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ13筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋ぞ積もりて 淵となりぬる14陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに15君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ16立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとしきかば 今帰り来む17ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは18住の江の 岸による波 よるさへや 夢の通ひ路 人目よくらむ19難波潟 短き蘆の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや20わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ21今来むと いひしばかりに 長月の 有明けの月を 待ち出でつるかな22吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ23月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど24このたびは 幣も取りあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに25名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな26小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ27みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか 恋しかるらむ28山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば29心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花30ありあけの つれなく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし31朝ぼらけ ありあけの月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪32山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへぬ もみぢなりけり33ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ34誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに35人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける36夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿るらむ37白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける38忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな39浅茅生の 小野の篠原 忍ぶれど あまりてなどか 人の恋しき40忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふど 人の問ふまで41恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか42契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは43逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり44逢ふことの 絶へてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし45あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな46由良のとを 渡る舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かな47八重むぐら 茂れる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり48風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけて物を 思ふころかな49みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ 物をこそ思へ50君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな51かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな もゆる思ひを52明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほうらめしき 朝ぼらけかな53嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くるまは いかに久しき ものとかは知る54忘れじの 行く末までは かたければ 今日をかぎりの 命ともがな55滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ56あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな57めぐりあひて 見しやそれとも 分かぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな58ありま山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする59やすらはで 寝なましものを さ夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな60大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立61いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな62夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関は許さじ63今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな64朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木65恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ66もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし67春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ68心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな69あらし吹く 三室の山の もみじ葉は 竜田の川の 錦なりけり70さびしさに 宿を立ち出でて ながむれば いづこも同じ 秋の夕暮れ71夕されば 門田の稲葉 おとづれて 葦のまろやに 秋風ぞ吹く72音にきく たかしの浜の あだ波は かけじや袖の ぬれもこそすれ73高砂の 尾上の桜 咲きにけり 外山の霞 立たずもあらなむ74憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを75契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり76わたの原 こぎいでて見れば 久方の 雲ゐにまがふ 沖つ白波77瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ78淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に いく夜寝ざめぬ 須磨の関守79秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ80長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れてけさは 物をこそ思へ81ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただありあけの 月ぞ残れる82思いわび さても命は あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり83世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる84ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき85夜もすがら 物思ふころは 明けやらで 閨のひまさへ つれなかりけり86嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな87村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧たちのぼる 秋の夕暮れ88難波江の 葦のかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき89玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする90見せばやな 雄島のあまの 袖だにも ぬれにぞぬれし 色はかはらず91きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む92わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 石こそ知らね かわく間もなし93世の中は 常にもがもな 渚こぐ あまの小舟の 綱手かなしも94み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて ふるさと寒く 衣うつなり95おほけなく うき世の民に おほふかな わが立つ杣に すみぞめの袖96花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり97来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ98風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける99人もをし 人もうらめし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は100ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり鉴赏①②③全日本かるた協会かるた詠み人属性要約天智天皇男露の漏る庵持統天皇女洗濯日和だ柿本人麻呂男孤独な夜長山部赤人男遥か銀世界猿丸大夫男ああ秋だな中納言家持男夜は寒いな阿部仲麻呂男故郷の月だ喜撰法師坊主住めば都よ小野小町女短い花の命蝉丸坊主旅はいいな参議篁男旅に出ます僧正遍昭坊主アンコール陽成院男深くなる恋河原左大臣男君は幻術師光孝天皇男君に春の便中納言行平男すぐ帰るさ在原業平朝臣男空前の紅葉藤原敏行朝臣男密かに交際伊勢女逢いたいな元良親王男絶対逢うぞ素性法師坊主この嘘つき文屋康秀男嵐は荒らす大江千里男孤独な月見菅家男紅葉の供物三条右大臣男密会したい貞信公男散るな紅葉中納言兼輔男まず見たい源宗于朝臣男何も無い冬凡河内躬恒男霜も菊も白壬生忠岑男薄情な人だ坂上是則男月か否雪だ春道列樹男紅葉のダム紀友則男桜散るの早藤原興風男死に遅れた紀貫之男昔の君かい清原深養父男月隠す東雲文屋朝康男風に舞う露右近女貴方死ぬよ参議等男実は大好き平兼盛男顔に出た恋壬生忠見男恋が即バレ清原元輔男婚約破棄か権中納言敦忠男更に好きに中納言朝忠男元凶は愛だ謙徳公男もう死のう曾禰好忠男恋の遭難者恵慶法師坊主人来ない秋源重之男俺だけ消沈大中臣能宣朝臣男夜行性の俺藤原義孝男死ぬの中止藤原実方朝臣男言えない恋藤原道信朝臣男夜が恋しい右大将道綱母女夜は長いね儀同三司母女今一番幸せ大納言公任男伝説の滝だ和泉式部女また来てね紫式部女もう帰るの大弐三位女忘れないよ赤染衛門女来んのかよ小式部内侍女見てないよ伊勢大輔女きょう最高清少納言女逢うの無理左京大夫道雅男もう諦めた権中納言定頼男霧が晴れた相模女噂が一番嫌前大僧正行尊坊主桜だけが友周防内侍女噂は嫌だし三条院男逆境も人生能因法師坊主紅葉運ぶ川良暹法師坊主他も寂しい大納言経信男夕方の秋風裕子内親王家紀伊女お断りする前中納言匡房男霞が邪魔だ源俊頼朝臣男祈りが仇に藤原基俊男約束が違う法性寺入道前関白太政大臣男雲的な白波祟徳院男また逢おう源兼昌男関守の哀調左京大夫顕輔男雲と月明り待賢門院堀河女浮気すんな後徳大寺左大臣男鳥見逃した道因法師坊主なぜか涙が皇太后宮大夫俊成男鹿も大変だ藤原清輔朝臣男昔のがいい俊恵法師坊主皆薄情だな西行法師坊主月のせいさ寂蓮法師坊主湿っぽい秋皇嘉門院別当女今や君の虜式子内親王女つらい死ぬ殷富門院大輔女涙で服変色後京極摂政前太政大臣男独りで寒い二条院讃岐女泣きどおし鎌倉右大臣男のどかだね参議雅経男寂しい古里前大僧正慈円坊主俺が救世主入道前太政大臣男老けたなあ権中納言定家男来ないなあ従二位家隆男秋が近い夏後鳥羽院男色々悩むよ順徳院男朝廷が凋落。

《百人一首》译本(搬运)

《百人一首》译本(搬运)

《百人一首》译本(搬运)01、秋来田野上,且宿陋茅庵。

夜半湿衣袖,滴滴冷露沾。

【天智天皇】02、春尽夏已到,翠微香久山。

满眼白光耀,闻说晒衣衫。

【持统天皇】03、野雉深山里,尾垂与地连。

漫漫秋夜冷,只恐又独眠。

【柿本人麻吕】04、我到田子浦,远瞻富士山。

纷纷扬大雪,纨素罩峰颜。

【山部赤人】05、有鹿踏红叶,深山独自游。

呦呦鸣不止,此刻最悲秋。

【猿丸大夫】06、渺渺天河阔,皎皎鹊翅长。

夜阑一片白,已是满桥霜。

【大伴家持】07、长空极目处,万里一婵娟。

故国春日野,月出三笠山。

【阿部仲麻吕】08、我住皇都外,东南结草庵。

幽深人不解,反谓忧愁山。

【喜撰法师】09、忧思逢苦雨,人世叹徒然。

春色无暇赏,奈何花已残。

【小野小町】10、远去与相送,离情此地同。

亲朋萍水客,逢坂关前逢。

【蝉丸】11、大海迷茫处,船行百岛间。

乡关告父老,拜请钓鱼船。

【参议篁】12、浩荡天风起,云中路莫开。

仙姬留碧落,倩影暂徘徊。

【僧正遍昭】13、仰望筑波岭,飞泉落九天。

相思积岁月,早已化深潭。

【阳成院】14、纷纷心绪乱,皱似信夫绢。

若不与卿识,为谁泪珠潸。

【河源左大臣】15、原上采春芽,只为献君尝。

犹见白双袖,飘飘大雪扬。

【光孝天皇】16、我下因幡道,松涛闻满山。

诸君劳久候,几欲再回还。

【中纳言行平】17、悠悠神代事,黯黯不曾闻。

枫染龙田川,潺潺流水深。

【在原业平】18、浪涌住江岸,更深夜静时。

相逢唯梦里,犹恐被人知。

【藤原敏行】19、短短芦苇节,难波满海滩。

相逢无片刻,只叹命将残。

【伊势】20、两处相思苦,风雨早满城。

舍身终不悔,犹盼与君逢。

【元良君王】21、夜夜盼君到,不知秋已深。

相约定不忘,又待月西沉。

【素性法师】22、枯焦怜草木,落叶逐飞蓬。

瑟瑟山风起,世人谓槁风。

【文屋康秀】23、举目望明月,千愁萦我心。

秋光来万里,岂独照一人。

【大江千里】24、币帛未曾带,匆匆羁旅程。

满山枫似锦,权可献神灵。

【菅家】25、绵绵真葛草,远侵动相思。

小仓百人一首1

小仓百人一首1

●『小倉百人一首』の成立事情『百人一首』は数百種類あるといわれるが、それらの模範となったのは『小倉山荘色紙和歌』などと題される藤原定家の私撰歌集である。

後に選定された多くの百人一首と区別して、定家が晩年を過ごした別荘があった小倉山の地名をとり、『小倉百人一首』とよばれることが多い。●内容百人は、万葉時代の天智天皇から選定時の順徳院まで(奈良・平安・鎌倉時代)の古今の歌人から選ばれている。

四季歌32、恋歌46、雑18、その他4で恋歌が著しく多く、叙情的で余情味の豊かな作が多い。すべて勅撰和歌集に入集している歌から採っており、それぞれの時代の代表作というわけではなく、定家好みの撰集といえる。

藤原定家(ふじわらのさだいえ)1162~1241年。

鎌倉時代初期の公家・歌人。

諱は「ていか」と有識読みされることが多い。

藤原北家御子左流で藤原俊成の二男。

後鳥羽院に認められ和歌所寄人、『新古今集』選者となる。

承久の乱直前には後鳥羽院から退けられるが、『新勅撰和歌集』を編纂。

古典を校訂し後世に伝えた人でもあり、本居宣長が歌人の中で最も尊んだ。

なお、分家の冷泉家は現在に続いている。

(柿本人麻呂)(大伴家持)(在原業平)(小野小町)7天の原ふりさけ見れば春日(かすが)なる三笠の山にいでし月かも阿倍仲麻呂【歌意】この唐土にあり、大空を遠く眺めれば中天に月が上っている。

ああ、あの月は、故郷の春日の三笠山に出ていた懐かしい月と同じなのだなあ。

【作者】(あべのなかまろ)698~770年遣唐留学生として唐に渡り、帰国できないまま没した。

【説明】「天の原」は大空。

「春日」は現在の奈良公園から春日神社の辺り。

作者が中国での長年の留学生活を終えて帰国しようとする惜別の折に、美しくのぼった月を見て詠んだ歌。

9花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに小野小町【歌意】春の長雨を眺めているうちに、桜も色あせてしまった。

そしてむなしく物思いにふけて過ごしているうちに、私の美貌も衰えてしまった・・・。

论汉译本《小仓百人一首》的中国古典诗风

论汉译本《小仓百人一首》的中国古典诗风

论汉译本《小仓百人一首》的中国古典诗风王米娜【摘要】在日本古典文学中,和歌占据着重要地位.日本和歌诗风清新,意境简隽优美.若将日本和歌与中国唐诗宋词相比较的话,可以看出日本和歌既有唐诗的意境,也有宋词清丽的文风.《小仓百人一首》是和歌的精粹,善于用具有简洁意象的平淡语言表现出细微的视觉、听觉等微观空间.刘德润先生的译文巧妙使用了中国古诗中的常见词汇,将其翻译为五言四句的古体诗形式,给具体的客观物象赋予了浓浓的诗意,并将日本和歌与中国诗歌之美有效融合在了一起.译文赋予其中国古典诗风,更易使读者达到符合原作的审美体验.【期刊名称】《郑州航空工业管理学院学报(社会科学版)》【年(卷),期】2015(034)005【总页数】4页(P145-148)【关键词】日本古典文学;和歌;小仓百人一首;诗歌翻译【作者】王米娜【作者单位】四川旅游学院,四川成都610100【正文语种】中文【中图分类】I313《小仓百人一首》是日本广为流传的和歌诗集,汇集了100位和歌作家的作品,从7世纪到13世纪,时间跨度600余年。

日本民族极少经历内乱,因此,文学作品也极少描写战争,和歌中所咏唱的大多是男女相思之情、四季交替之美,与中国古诗题材有一定不同。

然而,就诗歌技巧与风格而言,日本和歌与汉诗有诸多相通之处,如和歌与汉诗相同,采用“赋比兴”的表现手法,善于借助自然风物来表达个人情绪。

《小仓百人一首》中恋歌居多,共43首,其次为描写四季景色的作品。

隋唐时期,中日两国往来密切,汉唐诗风对日本和歌也有深远影响。

刘德润先生将《小仓百人一首》以五言四句的唐诗形式译出,使日本和歌与中国古典诗风融为一体。

本文选取了部分译诗,通过分析译文中的意象词语探讨译文所蕴含的中国古典诗风。

诗歌将作者的所见所思所闻以生动的文字形式表达出来,具有丰富的艺术美感。

意象是诗歌艺术的美学概念。

关于意象的定义,古今中外都有相应的阐述。

黑格尔认为:“诗人必须把他的意象(腹稿)体现于文字而且用语言表达出来。

小仓百人一首中译文

小仓百人一首中译文

小仓百人一首中译文小仓百人一首是一部日本古典文学作品,收录了100首歌词,每首都以古代的和歌形式呈现。

这些歌词涵盖了各种主题,如爱情、自然、友谊、人生等,通过简洁而深刻的词句表达了人们对于生活的感悟和情感。

小仓百人一首的中译文精美而生动,将原作的内涵传递到了中文读者中。

以下是其中的一些例子:1. “春风吹来,让花朵绽放;思念升腾,如樱花烟火。

”这首诗表达了对春季的热切期待和对远方亲人的思念之情。

2. “巍峨的山峰,似乎触摸天空的边缘;明亮的月光,照耀着幽静的湖泊。

”这首诗描绘了大自然的宏伟壮丽和宁静美丽。

3. “无论风雨如何,友情永不散去;岁月变迁,心灵仍相依。

”这首诗表达了对友谊坚固不变的珍视和对时光的感慨。

小仓百人一首的翻译不仅在表达上舒适流畅,同时也使中文读者能够领略到原作中蕴含的深厚情感和哲思。

通过阅读这些诗歌,我们可以更好地理解和感悟生活的真谛。

这部作品不仅仅是一本文学作品,更是一部具有指导意义的读物。

它教导我们向往自然的美丽,传递友情的温暖,感受爱情的深刻,思考人生的意义。

同时,小仓百人一首也是一本带有文化传承作用的书。

通过阅读这些古老的歌词,我们可以了解日本古代文化的独特之处,体味他们对自然和人性的理解和欣赏。

正因为小仓百人一首具有如此丰富而广泛的意义,它一直受到读者的喜爱和推崇。

不仅在日本,它也在全球范围内被翻译和传播,成为世界文化遗产的一部分。

无论是从美学角度,还是文化传承的角度,小仓百人一首都是一部珍贵而有价值的作品。

通过读它,我们可以收获知识和情感上的满足,丰富我们的人生体验。

它告诉我们,诗歌不仅是一种艺术形式,更是一种生活的真实写照,它的力量足以引发我们内心的共鸣和启迪。

百人一首

百人一首

百人一首☆一覧1~50首クリックすると、その歌の詳しい内容が見られます!『百人一首』秋の田のかりほの庵のとまをあらみ我が衣手は露にぬれつつ 1 天智天皇春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山 2 持統天皇あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかもねむ 3 柿本人丸田子の浦にうち出てみれば白妙の富士のたかねに雪は降りつつ 4 山辺赤人奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋はかなしき 5 猿丸大夫かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける 6 中納言家持天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも 7 阿倍仲麻呂我が庵は都のたつみしかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり 8 喜撰法師花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに 9 小野小町これやこの行くも帰るも別れつつ知るも知らぬも逢坂の関10 蝉丸和田の原八十島かけて漕ぎ出ぬと人にはつげよあまのつりぶね11 参議篁あまつ風雲の通ひ路吹きとぢよ乙女の姿しばしとどめむ12 僧正遍昭つくばねの峰より落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりける13 陽成院陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに14 河原左大臣君がため春の野に出て若菜つむ我が衣手に雪はふりつつ15 光孝天皇立ち別れいなばの山の峰におふるまつとしきかば今帰りこむ16 中納言行平ちはやぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くぐるとは17 在原業平朝臣住の江の岸による波よるさへや夢の通ひ路人めよくらむ18 藤原敏行朝臣難波がた短き葦のふしの間も逢はでこの世を過してよとや19 伊勢わびぬれば今はた同じ難波なる身をつくしても逢はむとぞ思ふ20 元良親王今こむといひしばかりに長月の有明の月を待ちいでつるかな21 素性法師吹くからに秋の草木のしほるればむべ山風を嵐といふらむ22 文屋康秀月みれば千々に物こそ悲しけれ我が身ひとつの秋にはあらねど23 大江千里このたびは幣もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに24 菅家名にしおはば逢坂山のさねかづら人に知られでくるよしもがな25 三条右大臣小倉山峰の紅葉ば心あらば今ひとたびのみゆきまたなむ26 貞信公みかの原わきて流るる泉河いつ見きとてか恋しかるらむ27 中納言兼輔山里は冬ぞ寂しさまさりける人めも草もかれぬと思へば28 源宗干朝臣心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花29 凡河内躬恒有明のつれなく見えし別れより暁ばかりうきものはなし30 壬生忠岑朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪31 坂上是則山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり32 春道列樹ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ33 紀友則誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに34 藤原興風人はいさ心も知らず故郷は花ぞ昔のかに匂ひける35 紀貫之夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづくに月宿るらむ36 清原深養父白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける37 文屋朝康忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな38 右近浅茅生の小野の篠原忍ぶれどあまりてなどか人の恋しき39 参議等忍ぶれど色に出にけりわが恋は物や思ふと人の問ふまで40 平兼盛恋すてふ我が名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひ初めしか41 壬生忠見契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは42 清原元輔あひ見ての後の心にくらぶれば昔は物も思はざりけり43 権中納言敦忠逢ふ事の絶えてしなくは中々に人をも身をも恨みざらまし44 中納言朝忠あはれともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな45 謙徳公由良の戸を渡る舟人かぢを絶え行くへも知らぬ恋の道かな46 曾禰好忠八重葎しげれる宿の寂しきに人こそ見えね秋は来にけり47 恵慶法師風をいたみ岩うつ波のをのれのみくだけて物を思ふころかな48 源重之みかきもり衛士のたく火の夜は燃え昼は消えつつ物をこそ思へ49 大中臣能宣君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひぬるかな50 藤原義孝かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを51 藤原実方朝臣明けぬればくるるものとは知りながらなほうらめしき朝ぼらけかな52 藤原道信朝臣嘆きつつひとりぬる夜の明くるまいかに久しきものとかはしる53 右大将道綱母わすれじの行末まではかたければけふをかぎりの命ともがな54 儀同三司母滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ55 大納言公任あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふ事もがな56 和泉式部めぐり逢ひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月影57 紫式部有馬山いなのささ原風吹けばいでそよ人を忘れやはする58 大弐三位やすらはでねなまし物をさよ更けてかたぶくまでの月を見しかな59 赤染衛門大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天の橋立60 小式部内侍いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重に匂ひぬるかな61 伊勢大輔夜をこめて鳥の空音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ62 清少納言今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならでいふよしもがな63 左京大夫道雅朝ぼらけ宇治の川ぎり絶えだえにあらはれわたる瀬々の網代木64 権中納言定頼恨みわびほさぬ袖だにある物を恋にくちなん名こそ惜しけれ65 相模もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし66 大僧正行尊春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなくたたむ名こそ惜しけれ67 周防内侍心にもあらでうき世ににながらへば恋しかるべき夜半の月かな68 三条院嵐吹く三室の山の紅葉ばは龍田の川の錦なりけり69 能因法師寂しさに宿を立ち出てながむればいづくも同じ秋の夕暮れ70 良暹法師夕されば門田の稲葉おとづれてあしのまろやに秋風ぞ吹く71 大納言経信音に聞くたかしの浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ72 祐子内親王家紀伊高砂の尾上の桜咲きにけりとやまの霞たたずもあらなむ73 前中納言匡房うかりける人をはつせの山おろしよはげしかれとは祈らぬ物を74 源俊頼朝臣契りおきしさせもが露を命にてあはれことしの秋もいぬめり75 藤原基俊和田の原漕ぎ出てみればひさかたの雲ゐにまがふ沖つ白波76 法性寺入道前関白太政大臣瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれてもすゑに逢はむとぞ思ふ77 崇徳院淡路島かよふ千鳥の鳴く声にいく夜ねざめぬ須磨の関守78 源兼昌秋風にたなびく雲の絶え間よりもれいづる月のかげのさやけさ79 左京大夫顕輔長からむ心も知らず黒髪の乱れてけさは物をこそ思へ80 待賢門院堀河ほととぎす鳴きつるかたをながむればただ有明の月ぞ残れる81 後徳大寺左大臣思ひわびさても命はある物をうきにたへぬは涙なりけり82 道因法師世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる83 皇太后宮大夫俊成ながらへばまたこのごろやしのばれむうしと見し世ぞいまは恋しき84 藤原清輔朝臣よもすがら物思ふころは明けやらぬ閨のひまさへつれなかりけり85 俊恵法師嘆けとて月やは物を思はするかこちがほなる我が涙かな86 西行法師村雨の露もまだひぬまきの葉に霧立ちのぼる秋の夕暮れ87 寂蓮法師難波江の葦のかりねのひとよゆゑ身をつくしてや恋わたるべき88 皇嘉門院別当玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする89 式子内親王見せばやな雄島のあまの袖だにもぬれにぞぬれし色はかはらず90 殷富門院大輔きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかもねむ91 後京極摂政太政大臣我が袖はしほひに見えぬ沖の石の人こそしらねかわくまもなし92 二条院讃岐世の中は常にもがもななぎさ漕ぐあまのをぶねの綱手かなしも93 鎌倉右大臣み吉野の山の秋風さよ更けて故郷寒く衣うつなり94 参議雅経おほけなくうき世の民におほふかな我が立つ杣に墨染めの袖95 前大僧正慈円花さそふ嵐の庭の雪ならでふり行くものは我が身なりけり96 入道前大政大臣こぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くやもしほの身もこがれつつ97 権中納言定家風そよぐならの小川の夕暮れはみそぎぞ夏のしるしなりける98 従二位家隆人もをし人も恨めしあぢきなく世を思ふゆゑに物思ふ身は99 後鳥羽院百敷や古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり 100 順徳院。

日语百人一首

日语百人一首
僧正遍昭
(そうじょうへんじょう)
13
つくばねの 峰(みね)よりおつる みなの川 恋い(こい)ぞつもりて 淵(ふち)となりぬる
陽成院
(ようぜいいん)
14
みちのくの しのぶもぢ(じ)ずり 誰(たれ)ゆえに みだれそめにし われならなくに
河原左大臣
(かわらのさだいじん)
15
君がため 春の野にいでて 若菜(わかな)つむ わが衣手(ころもで)に 雪はふりつつ
藤原実方朝臣
(ふじわらのさねかたあそん)
52
あけぬれば 暮(く)るるものとは しりながら なほ(お)うらめしき 朝ぼらけかな
藤原道信朝臣
(ふじわらのみちのぶあそん)
53
なげきつつ ひとりぬる夜の あくるまは いかに久しき ものとかはしる
右大将道綱母
(うだいしょうみちつなのはは)
54
忘れじの ゆくすえまでは かたければ 今日をかぎりの いのちともがな
紀友則
(きのとものり)
34
誰(たれ)をかも しる人にせむ(ん) 高砂(たかさご)の 松(まつ)も昔(むかし)の 友ならなくに
藤原興風
(ふじわらのおきかぜ)
35
人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞ昔(むかし)の 香(か)ににほ(お)ひ(い)ける
紀貫之
(きのつらゆき)
36
夏の夜は まだ宵(よい)ながら あけぬるを 雲のいづ(ず)こに 月やどるらむ(ん)
小野小町
(おののこまち)
10
これやこの 行くも帰るも わかれては しるもしらぬも あふ(おう)さかの関(せき)
蝉丸
(せみまる)
11
わたの原 八十島(やそしま)かけて こぎいでぬと 人にはつげよ あまのつり舟(ぶね)

《小仓百人一首》1-10首

《小仓百人一首》1-10首

(之一)秋田又黄稻谷熟,小憩农家看秋篷,苫草粗编寒露透,悄然打湿吾衣袖。

(之二)秋田稻谷熟,小憩看秋篷,苫草寒露透,打湿吾衣袖。

第 2 首:作者:持統天皇(女) /中文原译:安四洋(之一)又是春去夏日来,远眺天降香具山,古风悠悠今尚在,白衣璨璨挂山前。

(之二)春去夏复来,远眺香具山,古风今犹在,白衣晾山前。

第 3 首:作者:柿本人麻呂 /中文原译:安四洋(之一)深山野雉尾长长,晚秋风寒夜茫茫,不堪夜长胜尾长,孤寂独眠黯神伤。

(之二)野雉尾长长,秋夜晚风凉,不堪夜更长,孤眠黯神伤。

第 4 首:作者:山部赤人 /中文原译:安四洋(之一)信步踱出田子浦,悠然抬首望远方,富士山峰白茫茫,大雪纷飞漫天舞。

(之二)步出田子浦,悠然望远方,富士山高岭,降雪白茫茫。

第 5 首:作者:猿丸大夫 /中文原译:安四洋(之一)深山茂林何所觅,霜打红叶乱铺地,忽闻呦呦踏鹿鸣,更觉瑟瑟悲秋意。

(之二)深山林更密,霜枫乱铺地,呦呦踏鹿鸣,瑟瑟悲秋意。

第 6 首作者:中纳言家持 /中文原译:安四洋(之一)宫院桥栏霜露白,更觉夜深星河璨,牛郎织女今相见?宫桥鹊桥遥相连。

(之二)宫桥霜露白,夜深星河璨,牛郎织女见?宫鹊桥相连。

第 7 首:作者:阿倍仲麿 /中文原译:安四洋(之一)抬眼望夜空,海天一色月明中,遥想春日野,三笠山上月更明,归心悠悠似云行。

(之二)极目远眺夜长天,碧空衔海月高悬,遥想故乡春日野,三笠山上月儿圆。

(之三)举目望长天,皓月当空悬,遥想春日野,三笠共婵娟。

(之一)结庵隐居城东南,清心度日自悠闲,却闻坊间流言转,失恋逃遁宇治山。

(之二)结庵城东南,静处自悠闲,却闻流言转,逃遁宇治山。

第 9 首:作者:小野小町(女) /中文原译:安四洋(之一)春风又起雨绵绵,遍打落花色败残,往事迷惘沉思中,不觉红颜尽逝然。

(之二)春风雨绵绵,花落色败残,往事沉思中,红颜渐逝然。

第 10 首:作者:蝉丸 /中文原译:安四洋(之一)眼前闻名逢坂关,往来人流互摩肩,何论相识不相识,重逢还在此山关。

小仓百人一首

小仓百人一首

八 重 む き や し も
も の 緒 よ 絶 し な 忍 き ほ ぶ 軒 あ る 場 ま こ の り と ね あ の し る の 弱 ぶ 昔 に な き も
子 式

古 げ な ば 絶 え れ

こ そ 寝 え の ね
な が り ら も へ ぞ

須 来 の
源 慶
に に け
法 徳 師 順
り け
親 院
ば す
藤 小
花 の 色 わ が う 身 つ 世 り に に ふ け る り な が い め た せ づ し ら ま
小 野




忠 平
に に


こ の た び み は を つ 幣 く も 紅 と 葉 り の あ 錦 へ 逢 ず 神 の 手 な と 向 る
元 菅
わ び ぬ れ ば 今 は し た て 同 も じ 難 は 波 む



く は
興 風 朝
け に




な げ き と て ほ び わ み
恨 ぐ り あ ひ て さ 恋 や に は 袖 朽 が も だ や く ち の に そ れ な を れ む に あ と し ぬ 雲 し 見 月
め り お き し さ せ あ も は が れ 露 今 を 年 の も も に 夜 の わ 半 を か の ぬ
ま に

ぞ 山
の さ 光 い は
人 を こ め て の 心 ど も け 花 知 ぞ き ら 昔 ず の 春 の ふ 日 香 る に に さ 匂 と


し づ 心 な く 花 の 散 る

世 鳥 に の 逢 空 坂 音 の は 関 は は か ゆ る る は

试译小仓百人一首(5)

试译小仓百人一首(5)

试译小仓百人一首(5)
甄文康
【期刊名称】《日语知识》
【年(卷),期】2007(000)005
【摘要】@@ 11. わたの原八十岛かけてこぎ出でぬと人には告げよあまの釣船rn参議篁rn作者:「参議篁」(802~853),即小野篁,平安初期汉诗人、歌人.作为杰出的官员和诗人曾活跃于嵯峨·仁明两朝,三十七岁时曾被流放,两年后被赦免.【总页数】1页(P33)
【作者】甄文康
【作者单位】四川大学
【正文语种】中文
【中图分类】H
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清凉作品——小仓百人一首汉诗翻译全集1、秋の田のかりほの庵の苫を荒みわが衣手は露に濡れつつあきのたのかりほのいほのとまをあらみわがころもてはつゆにぬれつつ(1)秋の田の:「秋の」中的「の」是格助词,表示所属,相当于「のうちの」。

「田の」「の」则表示所在,相当于「にある」。

「秋の田の」意即「秋のうちの田にある」。

(2)かりほ:「かりほ」是挂词(谐音双关),可以理解为「刈り穂」,也可以理解为「仮庵(かりほ)」是「仮庵(かりいほ)」的省略读法,指在秋天为了方便收割稻谷而在田边搭建的临时茅屋(草庵)。

「ほ」是历史假名,相当于口语的「お」。

因此「かりほ」应读为「かりお」,「いほ」应读为「いお」。

(3)苫を荒み:『体言+間投助詞「を」+形容詞詞幹+接尾詞「み」』是文语惯用型,表示原因和理由。

相当于口语的「…が…ので」、「…が…のために」。

「苫を荒み」意即「苫(の編み目)が粗いので」。

(4)わが衣手は:「わ」即「我」,第一人称代词。

「が」表示所有,相当于「の」。

「衣手」意为衣袖。

「は」是提示助词,用法与口语相同。

(5)露に濡れつつ:「濡れ」是「濡る」(ラ下二)的连用形。

「つつ」是接续助词,接动词、助动词连用形后表示动作或状态继续进行,意为不断。

「つつ」在此用于句末,表示感叹的心情。

译为:秋收稻岸宿,过夜搭茅屋。

露浸湿衣袖,原来苫太疏。

哈哈有点打油的五绝有点白2、春過ぎて夏きにけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山はるすぎてなつきにけらししろたへのころもほすてふあまのかぐやま——持统天皇(1)春過ぎて:「春」是主语,下面省略了主格助词「が」。

「過ぎて」是「過ぐ」(ガ上二)的连用形。

「春すぎて」意即「春が過ぎて(それから…)」。

(2)夏きにけらし:「き」是カ变动词「来」的连用形。

「にけ」是「にける」的简缩。

「にける」是连语,由完了助动词「ぬ」的连用形「に」+过去回想助动词「けり」的连体形「ける」组成。

「にける」意即「てしまった」。

「らし」是推量助动词,相当于「らしい」。

「にけるらし」简缩为「にけらし」。

「夏きにけらし」意即「夏がきてしまったらしい」。

「らし」是终止形,所以此歌应在此断句。

(3)白妙の:「白妙」是和歌中常用的枕词,表示象征,多冠于「雲・雪」等白色景物之前。

但此歌中的「白妙」不是枕词,而是用其原意,即白衣、白布。

(4)衣ほすてふ:「ほす」是「干す」(サ四)的终止形。

「てふ」是连语,即「という」之变音,但要注意「てふ」是历史假名,在朗诵时应读作「ちょう」。

「衣ほすてふ」意即「衣をほすと言い伝えられている」。

(5)天の香具山:「の」表示所在,即「にある」之意。

「香具山」位于奈良县橿原市东部,据传是神话时代从天上降下的神山。

故称为「天の香具山」。

译为:香具山光好,谁家晾素衣。

夏风吹袖满,不必唤春归。

(五绝)3、あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝むあしびきのやまどりのおのしだりおのながながしよをひとりかもねむ——柿本人麻吕(1)あしびきの:「あしびきの」是枕词,冠于特定词之前,用以修饰或调整语调,增添文雅优美之感。

视其含义,可译可不译。

「あしびきの」意为「足引きの」,即“拖着双腿”。

《万叶集》写为「あしひきの」,但平安时代后演变为「あしびきの」。

(2)山鳥の尾のしだり尾の:本句有三个「の」。

第一个「の」是连体格助词,表示所有,与口语同。

第二个「の」是表示同格的格助词,可以理解为口语的「で」。

第三个「の」是连用格助词,表示比喻,相当于「のように」。

「しだり尾」即“垂下的尾巴”。

「山鳥」是一种雉科鸟类,也可以理解为就是雉。

「山鳥の尾のしだり尾の」意即“雉鸡垂下的(长长的)尾巴”。

此歌前三句「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の」是第四句「ながながし」的序词。

序词是指在构成和歌中心的某一词之前,添加一段较长的定语,用以描述背景、制造气氛,或调整音节。

这是和歌中常用的一种修辞手法。

(3)ながながし夜を:「ながながし」是形容词「ながながしき」的简缩,为了达成七音节,而省略了末尾一个音节。

「ながながし」是叠词,表示程度之甚,即「非常に長い」。

(4)ひとりかも寝む:「か」是系助词,表示不确定。

「も」也是系助词,表示感动和咏叹。

「かも」也可看做一个词,即「だろうかな」的意思。

「寝む」中的「む」是推量助动词,相当于「だろう」。

「ねむ」也可以认为是挂词,即谐音双关,有「合歓(ねむ)」、「眠(ねむ)」之意。

系助词「か」,要求与之相应「寝む」以连体形结尾,这在日语文言中称为系结规则,即系助词「ぞ」、「なむ」、「や」、「か」添加于句中时,相应的活用词要以连体形结尾。

译为:空房唯孤影,相伴数流光。

多少未眠夜,谁怜更漏长?(五绝)4、田子の浦にうちいでてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつたごのうらうちいでてみればしろたへのふじのたかねにゆきはふりつつ——山部赤人(1)田子の浦に:「田子の浦」是地名,也可写为「田児の浦」,古代的「田子の浦」在富士川西岸蒲原等地的海边,即本歌所咏之地。

而现在的「田子の浦」则在富士川东岸的富士市,与本歌所咏之地不同。

(2)うち出でて見れば:「うち」是接头词,强调「出でて」的动作。

「出でて」是ダ行下二段动词「出づ」的连用形。

「見れば」是マ行上一段动词「見る」的已然形+接续助词「ば」,含义与现代语相同。

(3)白妙の:「白妙」在和歌中常用作枕词,但在这里应该不是枕词。

因为「白妙」不能冠于「富士」之前。

这里应解释为原意「白い色の」。

(4)降りつつ:「降り」是ラ行四段动词「降る」的连用形。

「つつ」是接续助词,表示动作反复进行,在和歌中往往用于句末表示感叹。

译为:田子浦前抬望眼且看富士雪纷纷看(平韵)5、奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋はかなしき /猿丸大夫(おくやまにもみじふみわけなくしかのこえきくときぞあきはかなしき)译为:(七绝)奥山秋意染红林,鸣鹿声声悲不禁。

我自驻足空感慨,凭谁安慰寂寥心?6、かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞふけにける(中納言家持)译为:(五绝)飞桥渡鹊影,霜白楚天高。

夜尽山腰处,明夕拟再招。

7、わが庵は、都の辰巳、しかぞ住む、世をうぢ山と、人はいふなりわがいほは、みやこのたつみ、しかぞすむ、よをうぢやまと、ひとはいふなり——喜撰法师(1)わが庵は:这句比较容易理解。

其中「庵」是对自己住处的谦称。

(2)都の辰巳:「都」指京都。

在古代的阴阳学中,常用天干地支来表示方位,其中「辰巳」表示东南。

「都の辰巳」即京都东南。

(3)しかぞ住む:「しか」即「然」,相当于口语的「そのように」,与汉语文言文中的“然”同义。

也有人认为「しか」是「鹿」,这样虽然也可以解释得通,但终究与后面的「世をうぢ山」有不协调之感。

「ぞ」是系助词,「住む」是连体形,两者是系结关系。

关于系结规则,前面的《(三)柿本人麻吕》中已经介绍过,是指出现「ぞ」、「や」等系助词时,后接的用言要变为连体形与之照应,表示强调。

(4)世をうぢ山と:此歌后两句历来号称“难解”,自古以来无数注释者为此争论不休。

通行的解释认为,「世をうぢ山と」是挂词,即谐音双关,其中的「うぢ」既表示「憂じ」,又表示「宇治」,所以此句完整的含义应为「世を憂しとして、宇治山に住む」。

宇治山位于今天京都府宇治市东部,是日本名山。

「と」表示引用,是后句「いふ」的内容。

(5)人はいふなり:「いふ」是历史假名,实际上是「いう」。

「なり」是表示传闻、推定的助动词。

这一句的意思是“我听别人都这样说”,言外暗含了一句“我却不这样认为”。

译为:结庵自在京东南,何必云云宇治山。

(暗含“结庐在人境,而无车马喧。

问君何能尔?心远地自偏。

”之意)8、あまの原、ふりさけ見れば、春日なる、三笠の山に、いでし月かもあまのはら、ふりさけみれば、かすがなる、みかさのやまに、いでしつきかも——安倍仲麻吕(1)天の原:「原」表示广阔之意,「天の原」即“广阔的天空”。

(2)ふりさけ見れば:「ふり」是具有强调含义的接头词,也写为「振り」,现代日语中也还有很多以「振り」开头的词汇。

「さけ見れば」意为抬头远望,「さけ」即「放け」。

(3)春日なる:「春日」是指奈良的春日神社,其读法较为特殊,读为「かすが」,而非「はるひ」或「しゅんじつ」,如果读为「しゅんじつ」,则表示春天的太阳。

「なる」是表示判断的助动词「なり」的连体形,意为“所在”。

(4)三笠の山に:「三笠の山」奈良市东部的名山,也称若草山。

(5)いでし月かも:「いで」是ダ行下二段动词「いづ」的连用形。

「し」是表示回想的助动词「き」的连体形,修饰「月」。

「いでし月かも」意即口语的「出た月」。

「かも」是表示咏叹的终助词。

译为:心驰千万里,身在异国边。

今日长安月,犹如三笠山。

9、花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに /小野小町譯為:易褪花容人易老,綿綿苦雨吾身抛。

10、これやこの、行くも帰るも、別れては、知るも知らぬも、あふ坂の関これやこの、ゆくもかえるも、わかれては、しるもしらぬも、あふさかのせき(1)これやこの:「これ」是指逢坂关。

「や」是间投助词,表示感叹,相当于汉语的语气助词“啊”、“呀”之类,以楚辞喻之,就是“兮”。

「この」修饰最后的「逢う坂の関」。

这首和歌使用了「体言止め」的手法,全歌的架构是「これや、この××××逢う坂の関」,中间三句都是最后的「逢う坂の関」的定语。

(2)行くも帰るも:「行く」、「帰る」都是动词连体形,后面省略了要修饰的中心词「人」。

「行く」指从京都出关往东,「帰る」指从东方过关回到京都。

(3)別れては:「別れ」与「逢う坂の関」中的「逢う」相对,在这种相对的关系之下,表达出对希望与现实之间巨大反差的无奈。

(4)知るも知らぬも:「知る」、「知らぬ」都是动词连体形,后面省略了「人」,句式和第二句一样。

(5)あふ坂の関:即「逢う坂の関」,是逢坂山上的关隘。

逢坂山又名手向山,因山腰上有两条坂道交叉会合,故名“逢坂”。

逢坂关位于现在京都府与滋贺县的交界处,是从京都往东国的必经之地。

壬申之乱时,大友皇子与大海人皇子曾在逢坂关展开激烈决战。

在古代,近江逢坂关、伊势铃鹿关、美浓不破关合称为“三关”。

译为:古今多少悲欢事,逢坂关前知不知?11、わたの原、八十島かけて、漕ぎ出でぬと、人には告げよ、あまの釣り船わたのはら、やそしまかけて、こぎいでぬと、ひとにはつげよ、あまのつりぶね(1)わたの原:即大海之意。

是海的文学化说法。

(2)八十島かけて:「八十島」指很多的岛屿。

濑户内海有部分航段岛屿众多,暗礁潜伏,十分险恶。

「八十」当然是虚指。

「かけて」下二段活用动词「掛く」的连用形。

「掛く」是个多义词,在这首和歌中是“向某地出发”的意思。

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