日本文化の开放性と主体性について

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3.3
日本文化の主体性の三つ目は、その融合性が挙げられる。外来文化を吸収する中で、日本は機械的にそのまま外来文化を吸収しただけではなく、強い融合性を示した。日本は、外来の文化に対して改造と融合とを行なった上でそれを日本化した。日本は、漢字の改造を通して、日本の文字を作った。つまり、漢字の草書を基礎として平仮名を作り、楷書を基礎としてカタカナをつくった。また、大陸から伝来してきた仏教に対して改造を行い、日本の固有思想を中心に取り入れ、「現世仏教」を作った。また、中国から儒学思想を取り入れたが、本来は「仁」を中心とした儒学の思想を、「忠」を中心とした日本儒学に変え、天皇制に利用された。
キーワード:日本文化;開放性;主体性;継発性
摘要
中国文化是原生的、自创的文化,而日本文化则是继发性的、吸收性的文化。日本文化的继发性、吸收性带来了日本文化的开放性和主体性。而且,重视传统文化的日本文化有着很强的调和色彩和融合的特征。日本文化及其形成可以用融合二字来概括。日本文化并非只有一味的吸收先进的外来文化的开放性,同时有对外来文化的消化、改造使之日本化的主体性。日本文化对外来文化的吸收并非单纯模仿,而是在考虑现实需要及其可能性的基础上去选择性地学习的。可以说日本文化同时具有主体性特征。
关键词:日本文化;开放性;主体性;继发性
日本文化の開放性と主体性について
はじめに
東洋の文化は多く印度や中国にその源を持つものであるから、日本文化が東洋文化の一部である以上、印度や中国の文明と共通面の非常に多いことは申すまでもない。しかし、そういう共通面よりさらに進んで、日本だけに固有な文化の性質を観察することは極めて興味あり、かつ重要なことである。
内藤湖南(ないとうこなん)が「日本文化の根源を知るには、中国文化を理解しなければならない」というように、日本文化の起源は、中国から伝わったものにある。漢字·医·易·史書·律令·美術·建築などは中国から日本に伝わったのであり、仏教も中国を通って日本に入ったのである。
日本は、長い歴史の中で、中国やヨーロッパから入った文明を吸収しながら独特の日本文化を形成したのである。日本文化は、外国から取り入れたものを蓄えて、反映したのである.
おわりに
前述した通り、食物、服飾、住宅などの生活文化の方面において日本文化は強い混雑性を現していた。だから、このような混雑状態の日本文化は二重文化、混合文化、混血文化、雑種文化、合金文化などと呼ばれている。
1.望秀文《日本社会文化解读 》大连理工大学出版社2003
2.神戸大学経済学会『国民経済雑誌』神戸大学2003
1.
中国文化が原生的、創造的な文化であると考える場合、日本文化は継発的、摂取的な文化であるといえる。継発的、摂取的な特性が日本文化に開放性と主体性をもたらした。
周知の通り、東アジア文明圏或は「儒教」文明圏、西洋のキリスト教文明圏、西アジア——中東のイスラム文明圏と南アジア仏教——インド教文明圏とが世界四大文明圏と呼ばれている。その中で、歴史が悠久で、範囲が広大で、成果が輝かしく、影響の深い東アジア文明圏の核——「儒教」から観察してみると、この文明が中国から発生し、中国で形成されたことが分かる。中国は、東アジアの伝統文明の軸心として、その周囲の国々に対し影響を与えてきた。
1.1
東洋文化の源が中国にあるといわれる。内藤湖南(ないとうこなん)が「日本文化の根源を知るには、中国文化を理解しなければならない」というように、日本文化の起源は、中国から伝わったものにある。漢字·医·易·史書·律令·美術·建築などは中国から日本に伝わったのであり、仏教も中国を通って日本に入ったのである。
8.王晓秋《中日文化交流史话》商务印书馆1996
9.望秀文日本社会文化解读大连理工大学出版社2003
10.韩立红《日本文化概论》南开大学出版社2003
3.4
日本文化の主体性の四つ目は、固有の伝統文化に対する保守性であろう。中国に起源し、中国では戦争によって失われた東洋の優れた伝統文化、例えば、茶道、花道、宮廷音楽、舞踏などが、日本にそのまま保存され、発展してきた。
4
日本文化の開放性と主体性はまた日本文化に混雑性をもたらした。日本文化の中に古と今、和と洋、洋と洋との文化要素が統一された、体系の中に雑然と並存している。明治文化から見ると、神話伝説に基づいた「神の子孫」としての天皇が政治的又は宗教的な権威として存在する一方、近代的な範疇としての議会も同時に役割を果たしている。日本人の日常生活の中に洋室、洋服、洋食、洋楽などがある一方、和室、和服、和食、邦楽などがある。外来文化にしても各国の文化が日本文化の中に雑然と並存している。例えば、イギリスの功利主義、実証主義と進化論、フランスの天賦人権論、ドイツの国家イデオロギー、観念論などが同時に存在した。
参考文献
1.佐々き瑞枝 『日本事情』外语教育与研究出版社
2.大森和夫『日本』大连出版社2000
3.井上靖『天平の甍』新潮社1613
4.林陸郎など『日本史総合辞典』東京書籍1991
5.神戸大学経済学会『国民経済雑誌』神戸大学2003
6.崇利苑日本概况外文出版社1999
7.叶渭渠《日本文明》中国社会科学1999
日本が中国文化を取り入れたピークは、遣隋使、遣唐使の時代である。この時代、おもに文化を中心に行ったが、政治制度の取り入れも、日本の封建制度の形成に役割を果たした。その次、宋学といわれる儒教学説を受け入れたのち、明との貿易展開にしたがって、中国文明を吸収するかたわら、日中間の文化交流が盛んに行われていた。
2.
伝統文化を尊重する日本文化は、調和の色彩が濃く、融合の特徴が強い。、日本の文化及び日本文化の形成は「融合」で概括できる。
2.1
中国文明の原生性と継続性という特性と比べて見ると、日本文明の伝統は、開放性と周辺性が特徴となっていることが分かる。日本は古くから周辺文明として、長期にわたって孤立的に発展してきた。古代の日本は、アジアの東に位置している孤島として、独自的に自分の文化を発展させてきた。日本農業文明の発生はヨーロッパ、中東、インド、中国より何千年も後れている。外来文明がなかったとすれば、日本文明の発展は、また違う状況であっただろう。紀元前三世紀前まで、日本列島では土着文化の縄文文化が8000年ほど続き、原始の採集文化と旧石器時代の文化であった。しかし、「日本列島に閉じ込められた私達の祖先が長い間、石器文化の段階で足踏みしている間に、大陸の漢民族は早くも金属文化の時代を迎え、強大な国家を作っていた。漢民族の四週への発展はめざましく、その余勢は私が日本列島にも及んで、日本に金属文化と農耕技術をもたらすこととなった」2、大陸の稲作文化圏の民族が金属器を携えて日本列島に上陸してから、日本は急に原始の採集文化から水田農耕段階に入り、旧石器時代から急に鉄器と青銅器の併用時代に入り、輝かし弥生文化が現れるようになった。縄文文化と弥生文化の「混血」によって日本民族が形成された。日本文化の自然的な発展は、其の緩慢な形成過程において、弥生時代に至って自分よりはるかに先進的な大陸の外来文明の浸透によって中断させられた。日本の縄文文化と大陸文明との落差によって、日本は大陸からの外来先進文明に対して、垂直型の姿勢で自分よりはるかに先進的な外来文化に対して抵抗なく、次々と取り入れるようになった。
要旨
中国文化は原生的、創造的な文化であると考える場合、日本文化は継発的、摂取的な文化であるといえる。継発的、摂取的な特性は日本文化に開放性と主体性をもたらした。伝統文化を尊重する日本文化は、調和の色彩が濃く、融合の特徴が強い。日本の文化及び日本文化の形成は「融合」で概括できる。日本文化は単に外来先進文化を摂取する開放性をもつだけではなく、自国に取り入れた外来文化を消化し、改造し、日本化する主体性を同時に有している。日本の外来文化の摂取は単純な模倣ではなく、現実的な必要とその可能性を考慮した上で外来文化を選択し学ぶようにした。だから、日本文化は、また主体性という特質も持っていると言える。
3.1
日本文化の主体性としては、まず、外来文化を吸収する際の主導性を挙げることができる。外来文化を吸収する過程で、日本は当時の世界において最も先進的な文化だけを吸収した。紀元5-6世紀頃、中国は古代アジアにおける文明の中心地のみならず、世界の文明の中心地でもあった。日本は、中国の隋唐の先進的な生産方式と政治制度を移植した。第二次世界大戦後、アメリカは、世界現代文明のモデルとして、世界各国の憧れの国となり、日本も大幅なスピードでアメリカの議会民主主義制度と管理科学を取り入れ、アメリカの生活様式を普及させた。
1.2
日本は、長い歴史の中で、中国やヨーロッパから入った文明を吸収しながら独特の日本文化を形成したのである。日本文化は、外国から取り入れたものを蓄えて、反映したのである。漢字の場合、古代から中国から受け入れて使ってきた文字であるが、漢字で表した成語や単語を最も合理的に作り直した例が少なくはない。例えば、「粉身砕骨」という中国の成語を「粉骨砕身」に変え、最も物理的に漢字の意味を分析して合理的に組み合わせた。このほか、現実に応じて、ただの一文字の漢字を組み合わせて新しい単語を数多く作り出した。例えば「革命」「幹部」「科学」などがそれであり、またそれを中国に逆輸出したものも少なくはない。
日本は古くから周辺文明として、長期にわたって孤立的に発展してきた。古代の日本は、アジアの東に位置している孤島として、独自的に自分の文化を発展させてきた。「日本農業文明の発生はヨーロッパ、中東、インド、中国より何千年も後れている。」1外来文明がなかったとすれば、日本ห้องสมุดไป่ตู้明の発展は、また違う状況であっただろう。
3.2
日本文化の主体性のもう一つは、吸収過程での選択性が挙げられる。日本はいつも世界において最も先進的な文化を吸収してきた。しかも、自国に有益な文化、自国に適応できる文化だけを吸収してきた。古代において中国文化に対する吸収過程で、日本は、中国の隋唐の先進生産方式と政治制度を移植したが、日本人に受け入れ難い科挙制と宦官制を拒否した。中国の科挙制は、人材の選抜によかったが、日本固有の身分制と世襲制に適用できなかったので、日本は科挙制の輸入吸収を放棄した。
2.2
そして、外来文化の吸収によって、日本列島では飛躍的な変化が起き、日本は、外来文化を摂取する過程で開放性という特徴を備えるようになった。日本文化の開放性によって、日本は中国文化、朝鮮文化、インド文化、南蛮(ポルトガルを主として)文化、紅毛(オランダを主として)文化、西欧文化、アメリカ文化などを自国に取り入れた。なかでも、645年、大化改新前後における中国隋唐文化の摂取、1868年、明治維新時期における西欧文化の摂取、第二次世界大戦後のアメリカ文化の摂取が、日本の外来文化摂取史においての三大画期である。
3.
しかし、日本文化は単に外来先進文化を摂取する開放性をもつだけではなく、自国に取り入れた外来文化を消化し、改造し、日本化する主体を同時に有している。日本の外来文化の摂取は単純な模倣ではなく、現実的な必要とその可能性を考慮した上で外来文化を選択し学ぶようにした。だから、日本文化は、また主体性という特質も持っていると言える。
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