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人間は考える生き物だと言われていますが、考える生き物は人間だけではないと思います。我が家の犬のポチも小さい頭でいっしょうけんめい考えているようです。

ある日、私と妻がけんかをしました。けんかの原因はあまりたいしたことではなかったのですが、意見を言い合っているうちにけんかになってしまったのです。そのとき、ポチが私たちの間に入って、なんと、私たちの顔をなめはじめたのです。そして、私たちはいつの間にか仲直りしていました。犬の習性かもしれませんが、ポチは私たちを仲良くさせようと、いっしょうけんめい考えたのだと思います。

注釈:

生き物(いきもの) [名] 生物,动物

なめる(舐める) [他下一] 舔

仲直り(なかなおり)[名?自サ] 和好,言归于好

習性(しゅうせい) [名] 习性,习惯成性

問題:

「私たち」とはだれたちのことですか。

1、私と妻と犬のポチ

2、私と妻

3、私と犬のポチ

4、妻と犬のポチ

文の内容と合うものは次のどれですか。

1、考える生き物は人間だけだと思います

2、けんかの原因は犬のポチです

3、人間の顔をなめるのは犬の習性です

4、犬も考える生き物だと思います

答案:2,4

参考译文:

我家的狗

人类被称为会思考的生物,而我想能思考的生物不仅仅是人类,我家的狗“波奇”好像小小的脑袋也努力地思考着。

有一天,我和妻子吵架了。虽吵架的原因不是什么大不了的事,但互相诉说意见的期间争吵起来了。这个时候,“波奇”走进我们之间,哎呀,开始舐我们的脸,我们不知不觉中就和好了。或许是狗的习性吧。我想“波奇”为了使我们关系好起来,努力地思考着。

日本に来てしばらくの間、日本語学校に通いながら、居酒屋で皿洗いのアルバイトをしていました。大学の入学金を貯金していたので、最初は時給ばか

りが気になり、10円でも高いところへとアルバイト先を変えていました。しかし、その差額は新しい職場を探すときの交通費に消えてしまうくらい、わずかな金額でした。また、いくつかの職場を見てみると、場所によってかなり雰囲気が違うことに気づきました。それからは、働きやすい雰囲気かどうかを第一に考えて、仕事を探すようになりました。

注釈:

居酒屋(いざかや)[名] 小酒店,酒铺

アルバイト [名?自サ] 工读,学生打工

貯金(ちょきん) [自他サ] 存款,储蓄

時給(じきゅう)[名] 按时计酬,计时工资,时薪

気になる(きになる) [惯用] 担心,挂念,惦记

問題:

最初、アルバイトをしたとき、何がいちばんだと思いましたか。

1、職場

2、雰囲気

3、交通

4、お金

アルバイトをしたのは何のためですか。

1、日本語学校の入学金のためです

2、大学の入学金のためです

3、大学の授業料のためです

4、交通费のためです

答案:4,2

参考译文:

打工

来到日本的这么长的时间,去日语学校上课的同时,去小酒馆洗盘子打工。因为正为大学入学金而储蓄,对按时计酬总是很担心。哪怕多给10日元,也会改变打工地方换到那里去。但是,这个差额基本消除了寻找新工作时的交通费用,就那仅有的一点金额。另外,从试过的几个岗位看,发觉由于地方的不同气氛相当的不同,从那以后,找工作转变成第一考虑的是能否有工作轻松的气氛。

雪がやって消えて、春が訪れると、いろいろな木がいっぺんに芽を吹き出します。生けがきのから松も小さな丸い芽を出します。から松の芽をつまんでかいでみると、きついにおいが発散して、鼻の穴の奥をくすぐります。わたしは春を確かめるような気持ちでいくつも芽を摘み取ったり、手のひらにこすり

付けたりしました。そして木の芽のにおいをかいで、季節を感じるなんて、わたしひとりだろうと思っていました。

单词注释

1、いっぺんに:一起

2、生けがき:篱笆,树篱笆

3、から松:落叶松

4、くすぐる:逗人发笑

译文

春天的感觉

冬雪消融,春天的脚步渐渐近了。各种各样的树争先恐后的发出了芽。用做篱笆的落叶松不知何时也发出了嫩绿的小圆芽,我摘下一片闻了一下,一股强烈的春天的味道扑鼻而来,直沁心脾。我一起摘了好几片叶子,想要确认一下春天是否真的来了似的,在手掌中翻来覆去地把玩。我想通过树的芽的味道来感觉季节的气息的人,只有我一个吧。

ある書物を読んでいて、それはかなり長いもので、これを読み終わるのはいったいいつのことだろうと思う。

けっして早く読んでしまわなくてはいけない本ではなくて、一年かかろうが二年かかろうが、誰でもせかされることはない。休みたくなれば、途中でいくらでも休んで、また続きを読めばいい。

来る日も来る日も、同じ地平線が見えている。まあ、そういった気持ちがする。

それでも、読むのをやめてしまわないかぎりは、少しずつ先へ進んでいく。そして、いつになったらそこまで来るだろうと思っていたおしまいのページに、とうとう、ある日、きてしまっていて、感慨無量といった気持ちになる。

もうそこから先は、開くべきページは一枚も残っていないのである。

私はまだ実際にいつ終りになるかわからないような大旅行はしたことは

ない。しかし、たぶんそれは、長い本を読みだした時の感じに似ているだろうという気がする。

長い短いということは別にして、好きな書物のことを考えると、私は縁があってその本をてにしたのだというふうに考える。一生のうちにほんとうに好きになる本は、そう多くはないのかもしれない。多くなくてもいいのだ。

私たちは、自分と縁のあったと思う本を、これだけは手元から話さずに置こうと思って、何十年もなくさずに持っている。しかし、どうしてあの本を古本屋に持って行ったんだろう、バカなことをしたものだ、と昔のことを悔やむこともある。

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