近现代文学-诗歌

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道程
高村光太郎
僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る ああ、自然よ 父よ 僕を一人立ちさせたくれた広大な父よ 僕から目を離さないで守る事をせよ 常に父の気魄を僕に充たせよ この遠い道程のため この遠い 道程のため

悲しい月夜
ぬすつと犬めが、 萩原朔太郎
くさつた波止場の月に吠えてゐる。
たましひが耳をすますと、 陰氣くさい聲をして、

日清戦争(1894~1895)(下関条約)・日露戦 争(1904~1905)→日本の国力が伸長→資 本主義の発展が遂げる→社会問題も発生 大正期:第一次世界大戦(1914年~1918年) →経済的繁栄をもたらす→デモクラシ―が発 達→政党内閣(せいとうないかく)の樹立(じゅ りつ) →普通選挙法の公布(こうふ) →労働者、 農民などの生活が圧迫され→社会運動や労 働運動が台頭(たいとう) するようになる。
森鴎外の影響を受けて→北村透谷は『楚(そ) 囚之詩(しゅうのし)』、島崎藤村は、伝統的なも のと新しい内容とを融合して『若菜集』などの 作品を発表し、土井晩翠(つちいばんすい)は 『天地有情(てんちうじょう)』で、民族の理想を 漢文調でうたった。 明治三十年代→上田敏の訳詩集『海潮音』や 永井荷風の訳詩集『珊瑚集』によってフランス 象徴詩が紹介され→蒲原有明(かばはらあり あけ)は『春鳥集(しゅんちょうしゅう)』『有明集 (ありあけしゅう)』によって象徴詩を確立し→ 薄田泣菫(すすきだきゅうきん)の浪漫詩集『暮 笛集(ぼてきしゅう)』も、若い人たちに愛唱され た。

明治四十年代→北原白秋・三木露風らの耽 美派の詩が現れ→明治末年から大正にかけ ては、自然主義の影響を受けて川路柳虹(か わじりゅうこう)・相馬御風(そうまぎょふう)らに よって生活実感を自由に表現する口語自由 詩が起こった。 大正期に入る→高村光太郎・千家元麿(せん けもとまろ)・室生犀星(むろうさいせい)らの理 想主義の詩→大正デモクラシーを背景にし て、白鳥省吾(しらとりしょうご)らの民衆派の 詩が起こった→また萩原朔太郎は、文語詩 にかわる口語自由詩を完成し、ここに近代詩 が確立した。

翻訳文学→西洋の文学理念などが紹介され →新体詩(しんたいし)の運動 →坪内逍遥・二 葉亭四迷の写実主義の提唱 →近代文学へ の動きが見られる 。 二葉亭四迷や山田美妙の言文一致運動→ 近代文学発展上大きな力となり→森鴎外の 創作や翻訳 →文学啓蒙運動がなされ→浪漫 主義の誕生をみる→極端な欧化主義への反 省として国粋主義の傾向が現れてくる。

昭和十年代には、雑誌『四季』を中心とした詩人た ち、三好達治(みよしたつじ)・丸山薫(まるやまかお る)・中原中也(なかはらちゅうや)・立原道造(たちは らみちぞう)・伊東静雄(いとうしずお)らが、知性と感 情の調和による新しい叙情の回復を目指した。そ の他、雑誌『歴程(れきてい)』により『蛙(かえる)』な どの詩で生命力をたたえた草野心平(くさのしんぺ い)、詩集『春(はる)と修羅(しゅら)』の宮沢賢治(み やざわけんじ)、『鮫(さめ)』の金子光春(かねこみつ はる)、『体操詩集』の村野四郎(むらのしろう)らがい る。

戦後は、戦後の荒廃(こうはい)した精神風土 をうたい、文明批を持ち、考える詩を主張した 鮎川信夫(あゆかわのぶお)・田村隆一(たむら りゅういち)ら『荒地(あれち)』の同人たちの詩 活動が、一つの主流となった。三十年代以降 は、『櫂(かい)』の谷川俊太郎(たにがわしゅん たろう)・大岡信(おおおかまこと)らが個性的な 作品を発表している。


日露戦争により、資本主義の急速な成長を遂 げた日本→反面、深刻な社会矛盾が生まれ る→十九世紀末、ヨーロッパに起こった、近代 科学精神と結びついた自然主義運動→小杉 天外・永井荷風により日本に紹介され→明治 四十年代、現実の暗黒面を描くとともに、赤 裸々な自我の告白を通して、個人の解放を目 指すという、日本独自の自然主義文学運動へ と展開→さらに詩もその影響を受け、口語自 由詩が盛んになり、近代詩の基盤が完成した。

国粋主義の現れに伴って→明治二十年代に は尾崎紅葉、幸田露伴を中心とする擬古典 主義の時代が訪れる →一方、北村透谷を中 心とした『文学界』の人たちは、尾崎紅葉を中 心とする硯友社の文学を否定し、浪漫主義の 高揚のもとに、浪漫詩の全盛を謳歌し、宗教 への関心も深めていった。 日清戦争後、資本主義の発展とともに→半封 建的な社会の矛盾を指摘する観念小説・深 刻小説の出現をみる。


春夏秋冬 此詩ハ句尾ノ二字ヲ以テ二句ヅヽ韻ヲ踏ミタルモノナリ 例ヘバ「よろこばし」「暖かし」ノ如シ 尚今居士 春ハ物事よろこばし 吹く風とても暖かし 庭の桜や桃のはな よに美しく見ゆるかな 野辺の雲雀ハいと高く 雲井はるかに舞ひて鳴く 夏ハ木草の葉も茂り 百日紅も咲きにけり 夕暮かけて飛ぶ虫は 集ま来たる軒のきハ 人ハ我家を立出でゝ なほ涼むらんさよふけて 秋ハ尾花にをみなへし 桔梗の花も開くべし 晴れて雲なき青空に 照らす月影明かに されど何処も同じこと 寂しく見ゆる家の外 冬ハ雪霜いと深く 冷ゆる手足を暖く なさん為とて炉火に 近く団居をする時に 風ハ吹き入る戸のあはい 外の方見れバ銀世界
黄いろい娘たちが合唱してゐる、
合唱してゐる。 波止場のくらい石垣で。 いつも、 なぜおれはこれなんだ、
犬よ、
靑白いふしあはせの犬よ。ቤተ መጻሕፍቲ ባይዱ
②現代詩 *大正末期から昭和にかけてプロレタリア文学運動の 展開とともに、従来の叙情・浪漫性を否定し、農村や工 場の労働者の生活をうたうプロレタリア詩が起こった。 代表的な詩人に中野重治(なかのしげはる)・壺井繫治 (つぼいしげじ)・小熊秀雄(おぐまひでお)らがいる。 *第一次世界大戦後、フランスに起こったシュールレ アリズム(超現実主義)の詩は日本にも紹介され、堀口 大学(ほりぐちだいがく)の訳詩集『月下(げっか)の一群 (いちぐん)』などが大きな影響を与えた。
太平洋戦争→日本の連合国への無条件降伏 (こうふく) →天皇の人間宣言(にんげんせん げん) →戦争放棄を掲(かか)げた日本国憲法 の制定 →教育基本法の制定(1947年)→戦 後日本は、民主的体制を整え→国際社会へ 復帰(ふっき) する。 文学背景:明治の近代化→新しい文学を生 み出さず→江戸末期以来の戯作文学、伝統 文学、歌舞伎の流れを継ぐ作品ばかり→文 明開化の推進→西洋の翻訳文学→民権運動 と呼応した政治小説の流行 →文学の芽生え を見せ始め
③近代短歌 明治になっても旧派和歌が盛んに行われていたが、 明治二十六年(1893)、落合直文(おちあいなおぶみ) が浅香社(あさかしゃ)を結成して短歌革新を志した。 明治三十年代、与謝野鉄幹(よさのてっかん)は新詩社 を結成し『明星(みょうじょう)』を創刊、晶子(あきこ)らの 活躍もあって、浪漫主義詩歌の全盛期を迎えた。一方、 写生を唱えた正岡子規(まさおかしき)は、『歌よみに与 ふる書』を発表し、根岸短歌会(ねぎしたんかかい)を結 成して、明星派(みょうじょうは)に対立した。


高橋新吉(たかはししんきち)らのタダイズム の詩に続いて、昭和三年(1928)創刊の『詩と 詩論』によって、春山行夫(はるやまゆきお)・ 北川冬彦(きたがわふゆひこ)・三好達治(みよ したつじ)・西脇順三郎(にしわきじゅんさぶろ う)らが超現実主義の詩を展開した。そこでは、 従来の詩の叙情性・音楽性を排(はい)し、知 的なイメージによる意識的な構成を目指した。
近現代文学
時代区分:1868年の明治元年から現在にいた るまでの期間を近現代と呼ぶ。時代名で いえば、明治(めいじ)・大正(たいしょう)・昭和 (しょうわ)・平成(へいせい)の四代をいう。 時代背景:明治新政府の発足→身分制度の 廃止(1872年10月)→廃藩置県(はいはんち けん) (1871年7月)→学制の発布(はっぷ) (1872年)→太陽暦(たいようれき)の採用 (1872年)など新体制を確立。 欧化政策と富国強兵政策→国粋主義と自由 民権運動が生じる。


オフェリアの歌
いずれを君が恋人と わきて知るべきすべやある 貝の冠とつく杖と はける靴とぞしるしなる かれは死にけりわが姫よ 渠(かれ)はよみじへ立ちにけり かしらのほうの苔を見よ あしのほうには石立てり
柩をおほふきぬの色は 高ねの雪と見まがいぬ 涙やどせる花の環は ぬれたるままに葬りぬ (森 鴎外訳)


シャール、ドレアン氏春の詩
尚今居士 春の景色のゝどけさを いかで好まぬ人あらん 冬ハ物事さぴしきも 春ハ心のをのづから とけて楽み限りなし 雪もみぞれにふる雨も 人をなやますことぞなき のどけき春の来る時ハ 北風強く吹く冬ハ 野辺に深雪木ハつらゝ 雨もこほりていと寒く 障子ふすまを建廻ハし 炉火近く団居して ねぐらの鳥にことならず されど嵐も雪も歇む のどけき春の来る時ハ ふ一ハりがちかる冬の本 日影心う4く1くらて 曇りがちなる冬の空 日影もうすく昼くらし されど春にもなりぬれバ 喜ハしくも雲ハれて 光りのどけき天を見る いぶせく降りし雪霜ハ 跡も残らず消えうせぬ のどけき春の来る時ハ

明治四十年代、子規(しき)の門人伊藤左千夫 (いとうさちお)・長塚節(ながつかたかし)は、 『アララギ』を創刊し、写生を発展させた。一方、 自然主義短歌の若山牧水(わかやまぼくす い)・石川啄木(いしかわたくぼく)、耽美派(たん びは)の吉井勇(よしいいさむ)・北原白秋(きた はらはくしゅう)、白樺派(しらかばは)の木下利 玄(きのしたとしはる)も活躍した。 大正期以降は、アララギ派が歌壇の主流と なった。島木赤彦(しまぎあかひこ)がこの派の 地位を固め、斎藤茂吉(さいとうもきち)が発展 させ、土屋文明(つちやぶんめい)らがそれを 受け継いだ。

初恋 島崎藤村 まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは 薄紅の秋の実に 人こひ初めしはじめなり わがこゝろなきためいきの その髪の毛にかゝるとき たのしき恋の盃を 君が情に酌みしかな 林檎畑の樹の下に おのづからなる細道は 誰が踏みそめしかたみぞと 問ひたまふこそこひしけれ




大正中期、アララギ派とは別の立場で、窪田空穂(く ぼたうつぼ)・木下利玄(きのしたとしはる)・太田水穂 (おおたみずほ)らが活躍した。また反アララギの『日 光(にっこう)』が創刊され、白秋(はくしゅう)・利玄(と しはる)・釈迢空(しゃくちょうくう)らが集まった。 昭和初期、口語短歌やプロレタリア短歌も試みられ たが、アララギ派が歌壇の中心であった。この時期 に、会津八一(あいづやいち)や白秋の門から出た木 俣修(きまたおさむ)・宮柊二(みやしゅうじ)らが登場 した。 戦争で短歌は荒廃し、戦後は批判にさらされたが、 それを乗り越えて、近藤(こんどう)芳美(よしみ)・岡 井隆(おかいたかし)・寺山修司(てらやましゅうじ)ら が現れ、現代の短歌を追求している。


昭和期:第一次世界大戦後の恐慌(きょうこ う)と関東大震災(1923年9月1日)→金融恐 慌(きんゆうきょうこう)が日本を襲う→五・一 五事件(1932年5月15日、海軍の急進派青 年将校が中心となり、クーデターを起こそうと した事件)、二・二六事件(1936年2月26日早 朝、武力による国内改革を企図した皇道派 青年将校らが起こした事件)→ファッショ的な 軍国主義が支配的となり→日華事変(にっか じへん)(1937年)を経て →太平洋戦争 (1941年12月8日~1945年8月15日)へと突 入
近現代文学の主な文学様式:詩歌、小説・評論、劇 曲(げききょく) 詩歌:近代詩、現代詩、近代短歌、俳句 ①近代詩 明治十五年(1882)『新体詩抄』 →伝統的な詩か ら近代詩への改革が行われる→新しい詩に、新しい 内容、叙情の芽生えが見え始める→森鴎外の訳詩 集『於母影(おもかげ)』 『新体詩抄』 :1882年、外山正一(とやままさかず)・ 矢田部良吉(やたべりょうきち)・井上哲次郎(いのう えてつじろう)が共著した詩集。中には、翻訳詩十四 編、創作詩五編を集めている。新しい思想にふさわ しい詩形を作ろうと提唱した。
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