日语趣味阅读:日本文化中的“众道”

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日语趣味阅读:日本文化中的“众道”

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男色といえば、キリスト教文化圏においてはとかく白眼視され、変態であるとか性的倒錯であるとかいって、社会的迫害の対象とされてきた。だが歴史的にこれをみれば、男色に寛容な社会はいくらでもあった。日本もまたその例にもれない。

谈到男同性爱这种行为,在基督教文化圈往往人人忌避,它被视为是变态或性倒错,一直是社会所迫害的对象。不过,从历史上来看,也有一些对男同性爱比较宽容的社会,日本就正是其中之一。

歴史上男色で知られるのは古代ギリシャである。古代ギリシャの男色は少年愛という形をとった。あのソクラテスでさえ、少年愛をもっとも尊い愛の形としていたことは、プラトンの対話編にあるとおりで、「饗宴」の中では、若いアルキビアデスがソクラテスとの男色行為にそなえて、いろいろと仕草をする場面が描かれている。

历史上,古代希腊就以男同性爱而闻名。在古希腊,男同性爱一般呈现为少年爱这种形态。甚至就连希腊古哲苏格拉底也认为,少年爱是最为高贵的一种恋爱形式,这在柏拉图的对话集中就有相关记载,《会饮篇》中谈到了年轻的阿尔巴德斯和苏格拉底之间的男同性爱,描述了他们相互爱慕的诸多场景。

日本の男色はそう古いことではないらしい。「日本書紀」神功皇后摂政元年二月条に,小竹の祝と天野の祝との間に男色が行われていたことをうかがわせる記事があるが、これは例外で、古代日本に男色が行われていたとする記録はほとんどない。

日本的男同性爱却似乎没有如此悠久的历史。在《日本书纪》神功皇后摄政元年二月一节的记载中,透露了小竹之祝与天野之祝相互有同性爱慕关系,然而这却是个例外的事例,对于古代日本的男同性爱,记录可谓寥寥无几。

日本で男色が普及するのは、平安時代以降、それも寺院という特殊な社会の中でのことだったようだ。支配的な立場にある僧侶が、弱い立場の稚児を相手に男色行為を行った。これを彼らは仏教言葉を以て美化し、衆道といった。衆道は後に若衆道などといって、武士をはじめ社会の各層に伝わっていった。

男同性爱在日本得到普及还是在平安时代以后,而其也无外乎是寺院这种特殊社会中的行为。处在支配角度的僧侣以地位较弱的娈童发生男色关系。他们用佛教词语加以美化,称之为“众道”。众道后来称作“若众道”,扩展到了包括武士在内的社会各阶层。

寺院は女人禁制を旨とする男だけの社会であるから、このような行為が普及したのだと思われる。猿や一部の鳥の社会にも、メスの獲得に失敗したオスが、同姓同士で性的な代償行為を行う例が知られている。それと同じような意味合いなのだろう。

寺院的律制禁止女人出入,这是一个唯有男人存在的社会,因此男同性爱也就在此占得一片天地了。在猿和一部分鸟类的社会里,雄性在争夺雌性的斗争中失败时,会采取同性行为来完成性的补偿,这些例子已经为人周知。寺院的男同性爱或许也与此是同样的意义。

男色が趣味として普及するのは平安末期、院政時代である。保元の乱、平治の乱は、鳥羽上皇と藤原家成、後白河上皇と藤原信頼の男色関係を軸にして、互いの対立から起こったとされる。この時代、男色は出世の道具ともなり、まさに「事件の裏に男あり」の観を呈するに至った。

在平安末期的院政时代,男同性爱发展成一种趣味普及开来。保元之乱、平治之乱就是以鸟羽上皇与藤原家成、后白河上皇与藤原信赖之间的男色关系为中心,从他们的相互对立中爆发的。在这个时代,男色趣味也成为了上升的途径,正呈现出“某事件背后有男人”的景象。

保元の乱の当事者藤原頼長も男色の愛好家で、その日記「台記」には、さまざまな男たちとの男色行為が生々しく記録されている。

「亥の時ばかり、讃丸来る。気味甚だ切なり、つひに偕に精を漏らす、稀有のことなり、この人常にこのことあり、感嘆最も深し」

保元之乱的当事人藤原赖长也是一位爱好男色的人士,在其日记《台记》中,生动记载了他与各色男性之间的同性关系。

“亥时许,讃丸至。两情甚切,遂皆漏精,稀有之事也,此人常有此事,感叹尤深”

ここにある讃丸とは讃岐守藤原成親、頼長自身は左大臣である。いづれも栄華を極める貴族層で、正妻も妾もいる。女日照りには縁がないこの二人が男色行為に喜びを感ずる。それを頼長は感慨深く回想している。異様な妖気を感じざるをえない。

这里所提到的讃丸就是讃岐守藤原成亲,赖长自己也位居左大臣的高位。两人都是享尽荣华的贵族层,也有正妻和侧室。丝毫没有缺乏女人之虞的两人在男同关系中体验到喜悦。对此赖长做了一番感慨万千的回忆。让人感到一种异样的妖气。

室町時代以降戦国の世になると、男色は戦場の武士たちの間で大いに流行った。信長と森蘭丸、謙信や信玄の小姓相手の男色は戦国大名のもう一つの顔をうかがわせるものとして興味深い。

从室町时代以后一直到了战国时代,男同性爱在战场的武士中间十分盛行。信长与森兰丸、谦信、信玄与他们的小姓之间的男色关系,让人窥见战国大名的另一面,实在别有一番妙趣。

一般の庶民の間でも男色が流行したことは、能の番組などを通じて伺うことができる。「松虫」や「花月」は男色を描いた作品といわれているし、義経を主人公にした「鞍馬天狗」も男色の能とされている。三田村鳶魚翁などはこれを以て、能は変態の芸能だといっているほどだ。

而普通庶民之间也盛行男色行为则能通过能剧一窥一二。比如《松虫》和《花月》便是描写男同性爱的作品,以源义经为主人公的《鞍马天狗》也被视为是展现男同性爱的能剧。甚至连三田村鸢鱼翁等学者,也根据这些把能说成是变态的艺术。

徳川時代を通じても、男色は能楽と並んで武士のたしなみとされた。その気風は幕末まで衰えなかったようで、維新の志士と呼ばれる西国の田舎侍たちの間では、男の友情を固めるものとして衆道が大いにもてはやされたそうだ。

在整个德川时代,男同性爱与能乐都并称是武士的嗜好。这种风习直到幕末也未见式微,据说在当时被称为维新志士的西国武士们中间,男人的友情极受重视,众道大为流行。

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