日语新体诗

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明治十三年、森鴎外を中心とする新声 社の訳詩集「於母影」(おもかげ)は、 西洋の浪漫詩を美しい日本語に翻訳した もので、芸術性ゆたかな洗練された文学 を生み出した。文語自由詩も試みられて 若い文学青年たちに大きな影響を与えた。
浪漫詩
• 浪漫派の代表的なグループであった 「文学界」の北村透谷(きたむらとうこ く)は、長詩「楚囚之詩」(そしゅうの し)、劇詩「蓬莱曲」(ほうらいきょ く)などで青春の傷つきやすい心情をう たった。

同じころ活躍した詩人に土井晩翠(ど いばんすい)がいる。男性的で勇壮な詩 を好み、詩集「天地有情」(てんちう じょう)には歴史上の物語をうたったも のが多い。
象徴詩
• 明治三十二年、新詩社をおこした与謝 野鉄幹(よさのてっかん)は雑誌「明 星」を発行して詩歌における浪漫主義運 動の中心となった。その「明星」に参加 した薄田泣僅(すすきだ泣菫)· 蒲原有明 (かんばらありあけ)· 上田敏(うえだび ん)らはすぐれた象徴詩を作った。泣菫 の詩集「白羊宮」(はくようきゅう)の 中の「ああ大和にしあらましかば」は集 中の代表作である。有明は「春鳥集」「有 明集」で幻想的な象徴詩を完成させた。
上田敏の訳詩集「海潮音」(かいちょ うおん)はフランスの象徴詩の名訳とし て名高い。また、三木露風(みきろふ う)は「廃園」でみとめられ、「白き手 の猟人」(しろきてのかりゅうど)で象 徴詩ふうを確立した。北原白秋(きたは らはくしゅう)は「邪宗門」(じゃしゅ うもん)「思ひ出」で強烈な官能美と異 国情緒をうたい、すぐれた詩才を示した。 大正期には木下杢太郎(きのしたもくた ろう)らと共に耽美的傾向を示した。
• 萩原朔太郎(はぎわらさくたろう) 口語近代詩を完成したといわれている萩 原朔太郎は、詩集「月に吠える」で鋭く 繊細な叙情を生み出し、「青猫」では近 代人の暗い心理を病的な感覚で表現した。
大正期の詩
明治の末期から詩は自由詩が多くなる が、大正期になると口語の自由詩が主流 になってきた。 高村光太郎は白樺派の人々の影響を受 けて、人道主義· 理想主義的な詩を作った。 詩集「道程」の後半では新しい人間像を 口語でうたい、口語自由詩を広めた。ま た、「猛獣篇」では社会的真実を追究し た鋭い論理性を示した。のちに妻との愛 を歌った「智恵子抄」(ちえこしょう)、 戦後の「典型」がある。
源自文库
• 貧しい人々への愛など理想主義的な詩を 書いた室生犀星(むろいさいせい)には 「愛の詩集」「叙情小曲集」がある。千 家元麿(せんげまろ)は「自分は見た」 で、日常生活を明るくうたった。象徴詩 から人道主義的な詩に転じた山村暮鳥 (やまむらぼちょう)には「風は草木に ささやいた」がある。また、堀口大学の 訳詩集「月下の一群」(げっかのいちぐ ん)は詩壇に大きな影響を与えた。

新しい詩
• 日本の伝統的な詩といえば、和歌· 漢詩· 俳諧 であったが、明治になると、西洋文化の影響を 受けた人々が西洋の詩を翻訳したり、自分たち で創作したりする動きがあらわれた。スタイル はいずれも五、七音を基本にした文語の定型詩 であったが、そこに新しい精神を盛りこもうと している。この新しい詩を「新体詩」と呼び、 明治十五年、外山正一(とやままさかず)· 矢田 部良吉(やたべりょうきち)· 井上哲次郎(いの うえてつじろう)の三人によって刊行された 「新体詩抄」が近代詩のあけぼのを告げるもの になった。
島崎藤村
• 同じ「文学界」同人であった島崎藤村 は明治三十年に「若菜集」(わかなしゅ う)を刊行し、自我に目覚めた青年のあ こがれや悲しみの心情をロマンチックに うたった。藤村はつづいて「一葉舟」 (ひとはぶね)「夏草」「落梅集」を発 表し、以上の四詩集は明治三十七年に合 本して「藤村詩集」となった。ここに日 本の近代詩は新しい時代を迎えたといえ る。
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