日语综合教程第六册第二课_自然との出会い
(完整版)《高级日语》课程教学大纲资料
《高级日语》课程教学大纲课程编号:D20662B0课程属性:必修学时:146学时学分:7先修课程:中级日语、日本文学史、日本概况、日语实用语法考核方式:考试使用教材:陆静华主编,《日语综合教程》(第五册),上海外语教育出版社,2006年陈小芬主编,《日语综合教程》(第六册),上海外语教育出版社,2006年季林根主编,《日语综合教程》(第七册),上海外语教育出版社,2011年主要参考书:陆静华、陈小芬主编,《日语综合教程第五、六册课文翻译与练习答案》,上海外语教育出版社,2007年皮细庚主编,《日语综合教程》(第八册),上海外语教育出版社,2008年季林根、皮细庚主编,《日语综合教程第七、八册课文翻译与练习答案》,上海外语教育出版社,2009年周炎辉主编,《日语语法词法·句法》,湖南大学出版社,2000年一、课程的性质和任务高级日语是一门综合技能的课程,它涉及日语的听、说、写、读、译等多种实践能力的培养,是本科日语专业的专业必修课。
该课程旨在培养学生更进一步熟练掌握日语知识;提高学生实际应用语言的能力;丰富学生的日本社会文化知识,培养文化理解能力,熟练地掌握日语语法体系,使学生达到日本国际交流基金和日本国际交流协会设立的“国际日本语能力考试”的2级水平。
本课程是“中级日语”课程的继续,教学重点从一、二年级的讲解词汇、语法、句型逐渐过渡到分析文章、理解语言背后的社会心理文化,从而掌握地道的日语。
通过灵活多样的教学方法,充分调动学生的主观能动性,使学生积极参与课程教学。
教师不仅要分析文章、句子结构,还要介绍大量的语言文化背景知识,避免“中国式日语”的出现,为学生在今后的工作中使用日语打下坚实的基础。
二、教学目标与要求高级日语教学的目标是:培养学生具有较强的阅读能力和较高的听、说、写、读、译的能力,使他们能用日语交流信息。
培养学生良好学习作风,正确掌握良好的语言学习方法。
培养学生逻辑思维能力,丰富社会文化知识,以适应社会发展和建设的需要。
综合日语第六册 文章主旨
第一课日本人の心欲を出せばきりのない安んじて暮らし、和を保つため、己を抑制するやたらに主張・物事をあからさまにしない争いを好まず、自然の運行に任せる楽観的よりも悲観的な民族臆病であり、小心であるそこから満足が得られる日本人の精神の構えとは、己の楽観的な期待を、悲観的な観点から抑制し、何とか一応の満足を得ようとすることである第二课結論自然というものは、頑固に守らないと、歴史が崩れるような気がする。
そのためには、竹がためてきたことを聞いてやる時間が必要で、学知よりも、そっちの方に美しさがある、と思う。
全文の要旨竹を切って、紙に漉いたり、人形面にしたりして、二十年たつが、ものも言わぬ竹ながら、何やかや教わるものが多い。
手をかけないでほうっておくと、竹藪はジャングルになって竹が泣いているし、竹を切り殺して造成するので、竹が号泣している気がする。
自然というものは、頑固に守らないと、歴史が崩れるような気がする。
竹から教わるものは、学知世界よりも美しい。
たまには竹がためてきたことを聞いてやる時間が必要である。
第三课鹿おどしの特色とその効果①緊張の高まりと緊張からの解放②単純な、緩やかなリズムの無限の繰り返し③水の流れをせき止め、音に刻むことで返って流れ止まらないものの存在を強調する仕掛け日本で噴水が発達しなかった事情はいろいろあるが、その最大の理由は、日本人が水の自然に流れる姿を美しいと感じていたことにあると思われる日本人の水に対する独特の感性――東西文化の違い)*自然に流れる水の姿を美しいとする感性⇒形なきものを恐れない心の現われ*断続する音の間隙に流れるものを間接に心で味わうこと⇒「鹿おどし」は日本人が水を鑑賞する行為の極致を表す仕掛け日本人は形なきものを恐れない心をもっており、それゆえ音と音との間隙に流れるものを間接的に感じさせる「鹿おどし」は日本人の感性を最もよく表す仕掛けだといえる第五课私はいま、都心とは反対に向かう電車に乗って、或る人物に会いに行こうとしているが、その人物が、何故、これほど私をとらえてやまないのか、わからない。
日语综合教程第六册 单词表
一課間投詞かんとうし濃淡のうたん快晴かいせい宥めるなだめるややこしい飛んだとんだ理詰めりづめ追及ついきゅう暗黙あんもく景勝地けいしょうち背骨せぼねこぢんまり浜はま逆巻くさかまく打ち寄せるうちよせる見捨てるみすてる愛でるめでる同工異曲どうこういきょく荒海あらうみ入り江いりえ太古たいここの上ないこのうえない操るあやつる乗り切るのりきる辿り着くたどりつく取り巻くとりまく然るべきしかるべきバイキングVikingのし歩くのし歩く北欧人ほくおうじん民たみ制覇せいはならぬ住み心地良いすみごこちよい湿潤しつじゅん快適かいてき今更いまさら彼方かなた甘美かんび気質きしつ幾多いくた妥協だきょう探るさぐる言い分いいぶん己を抑制するおのれをよくせいするあからさま否応なくいやおうなく食い違いくいちがい成り立つなりたつ将棋しょうぎしばしば言下げんか意表をつくいひょうをつく落とし穴おとしあな欺くあざむくうんと一芸に秀でるいちげいにひいでる紛れもないまぎれもない構えかまえ見事にみごとに言い当てるいいあてる肥大ひだいともすれば折りに触れておりにふれて住処すみか二課芽吹きめぶき先駆けるさきがける根雪ねゆきうっすら(と)稜線りょうせん有るか無きかあるかなきかときめき心境しんきょう低木ていぼく摂理せつり下刈りしたがり凋落ちょうらく厳かおごそか佇まいたたずまい迫力はくりょく極致きょくち黒々くろぐろ静まり返るしずまりかえる奥深いおくぶかい愛着あいちゃく研ぎ澄ますとぎすます取り戻すとりもどす知れたしれた措くおく散策さんさく鼓動こどう触れ合いふれあい息づくいきづく魂胆こんたん笹ささ在所ざいしょ藪やぶジャングル工房こうぼう宅配便たくはいびん筍たけのこ手近てぢか細工さいく生家せいか閑寂かんじゃく尺八しゃくはち音色ねいろ日がなひがなせせらぐ子守唄こもりうた遊歩道ゆうほどうがっちり石垣いしがき雀すずめ紋様入りもんよういり乳母車うばぐるま根こそぎねこそぎ造成ぞうせいアプローチ殺風景さっぷうけい才覚さいかく化身けしん在り処ありか脂ぎるあぶらぎる邂逅かいこう三課愛嬌あいきょう気だるいけだるいシーソー水受けみずうけ筧かけひ溢すこぼす跳ね上がるはねあがるくぐもる音を立てるおとをたてる解けるほどける時を刻むときをきざむ静寂せいじゃく弥が上にいやがうえに引き立てるひきたてるせき止めるせきとめる待合室まちあいしつ素朴そぼく引き付けるひきつける華やかはなやか寛ぐくつろぐ趣向を凝らすしゅこうをこらす別荘べっそう草花くさばな添えるそえる轟くとどろく息を呑むいきをのむ迸るほとばしるせせらぎ間が抜けるまがぬける捻じ曲げるねじまげる粘土ねんど行雲流水こううんりゅうすい裏付けるうらづける間隙かんげき一昔ひとむかし猫背ねこぜジョーク言い古すいいふるす決まり文句決まり文句長らくながらく語り継ぐかたりつぐ先入見せんにゅうけんヒステリカルセッテル誇張こちょう独り歩きひとりあるき誰しもだれしもポーランドお人好しおひとよし正すただす枠わく嵌めるはめる頑なかたくな芽生えるめばえる誇らしいほこらしい蓋しけだしとらえどころ取り分けとりわけ飛びつくとびつく性癖せいへき安らぐやすらぐ身をもってみをもってヒーロー進路しんろ決断力けつだんりょく大まかおおまか拗れこじれ拘るこだわる繊細せんさい早飲込みはやのみこみ補強ほきょう増幅ぞうふく単なるたんなる枠組みわくぐみ格段かくだん恣意的しいてき慎重しんちょう五課猛暑もんしょ白茶けるしたちゃけるライト書き割りかきわり扉とびら咲き乱れるさきみだれる向日葵ひまわりパラソル明け方あけがた不整脈ふせいみゃく早朝そうちょう叩き起すたたきおこす通い詰めるかよいつめる興じるきょうじる萌葱色もえぎいろポロシャツ不義理ふぎり先頃さきごろミラノ連鎖反応れんさはんのう別棟べつむね司書ししょ華やぐはなやぐ無縁むえん老舗しにせ何やらなにやら焦るあせる駆り立てるかりたてる発送はっそう書店めぐりしょてんめぐり新刊書しんかんしょ文庫本ぶんこぼんささやか復刻版ふっこくばん癪しゃく値段が張るねだんがはるレジカウンターベテランきびきび輪郭りんかく定かさだか封印ふういん新米しんまいブックカバー折り目おりめ顔を赤らめるかおをあからめる栞しおりパンフレットタレント何の変哲もないなんのへんてつもない筆立てふでたてセロハンテープ剥ぐはぐ感叹词(味道,颜色)浓淡晴朗(用好话)抚慰,安抚复杂的,麻烦的与众不同,奇特的;严重的,以外的说理,以理服人追究不声不响景胜地背脊,脊梁骨小巧玲珑海滨,湖滨波浪翻卷,波涛汹涌涌来。
日本语初级综合教程第二课
文法のポイント
• 动词「ます」形的变法 • 存在句型 • 助词「から」「まで」
会話Ⅰ
• 単語
• 1「こそあど」系列词语
• • • • • 连体词(后紧跟名词) 代词 この これ その それ あの あれ どの どれ
物
こちら そちら あちら どちら
人、物、地
ここ そこ あそこ どこ
• 「です」和「ます」都是助动词,「です」接在名词后, 「ます」接在动词「ます」形后。
助动词 です
肯定 否定 肯定
助动词 ます
否定
现在时
过去时ですFra bibliotekではありません
ます
ません
ませんでした
でした ではありませんでした ました
• 3 存在句型
• • ~は ~に ある/いる。 ~に ~が ある/いる。
• 注意: • (1)存在句的动词有2个,「ある」表示没有生命的东西 的存在,有生命的人、动物要用「いる」。 • (2)在地点后加助词「に」,表示人、物存在的场所。 • (3)人、物放在地点之前,要用助词「は」;在地点之 后要用助词「が」。 • (4)口语中也用「~は ~です」来表示存在句型。
• 3 「に」的第二种用法:表频率
• 具体的时间段后加「に」,可以表示在一段时间内进 行若干次动作。
地
• 根据后面名词而定
• 2 「後ろ」
• 只能表示方位“~后”,不能表示时间上的“~之后”
• 文法Ⅰ • 1 动词的分类
• • • • • 五段動詞
一段動詞 サ変動詞 カ変動詞
不以「る」接尾的 あ・う・え段+る い・え段+る する・~する 来る
• 2 动词的「ます」变形
日语综合教程第六册课文翻译
我家现有三只猫。
最近的孩子都很现实,所以他们向父亲询问:“猫究竞有什么用?”我被问住了。
不错,这么说来,狗可以防賊,或把扔出去的球拾回来,多少为人干点事。
但是猫呢?由于现在老鼠也不太看得到丁,所以它就是吃、睡、出去走走,饿丁就回来,然后再吃丁逐,仅仅如此,对人什么贡献也没有。
“什么用也没有这一点不就挺好吗?因为仅仅呆在那里就挺有意思。
”一我只能这样回答,但这恐怕不能成为对孩于的回答吧。
这个暂且不说,就仅仅是看着动物的行动,就令我感到快乐。
每当看到它们沿着松树或刺槐的树干,垂直一气上窜奸几米,为扑捉飞着的虫于高高地跳跃在空中时,好像在这时才会发出感叹,“动物做的是多么淮确而毫无徒劳的动作啊。
“畜生的卑鄙”之类的话在人的言里是有的。
但不能说都是这样。
有些作为母亲的人甚至不愿生育、养育孩于,扔掉孩于或让孩于死掉,在这样的世界上,猫的育儿却充满细心的情爰和无限的耐心。
说是育儿,也并不是老猫让孩于吃点心,给孩子买玩具,而只不过是把自己在草地上扑捉到的四脚蛇叼来给小猫之类而巳。
用奇妙的叫声呼唤孩于,孩于过去后“啪”的一下把猎物放下来,然后自己不经意地看着孩于玩耍四脚蛇。
怡如我们人的母亲照看自己孩于时满足、安心的表情,呆呆地看着。
还有,老猫在小猫吃盘于里的食物时,远远地一宜尊待,等小猫吃完后,再去吃期盼已久的小猫剩下的东西。
责备小猫时,老猫是何等温柔地啃咬小猫的啊,用收起爪的前蹄又是何等有分寸地拍打小猫咧,而绝不会进行责打。
“连不会说话的兽类,父母也竟如此对于女爱怜,何况人乎?”实朝的这句诗,实在是千真万确。
还不仅如此,可怜的是它们还日夜受到人类文明的惊吓。
连听到吸尘器的声音也会吓得发抖,喷气式飞机在头上低空飞过的话,慌忙躲藏到隐蔽处。
那低眉俯首、无容身之地的样于,使它变得更小。
人如果活得不易,它们也活得很不容易。
猫的数星増加以后,、家中到处都可见到散乱的小动物的尸骸,从四脚蛇到蚌蟒、蝗虫、蝗螂、蜂、金龟于、蝴蝶、蛾于、蟋蟀,有时甚至还有矮虫古之类。
《自然との出会い》课件
减轻压力
自然可以让身心放松,减轻心理压力和应激反 应,缓解抑郁和焦虑症状。
增强社交能力
参加自然活动可以增强人际沟通和合作意识。 在自然中与他人互动可以提高社交能力,增进 友谊。
如何保护自然
保护方式 不随意破坏自然环境 不随意捕杀野生动物
不随意砍伐大树
合理利用自然资源
教育他人保护自然
具体措施 不乱扔垃圾,不随便在自然景区内采摘花草,不登 临禁止的悬崖。 不随意打伤和捕杀野生动物,不购买走私野生动物 和植物,关注野生动物保护主题,提高保护意识。
2 提高幸福感
与大自然接触可以让人感觉更快乐、更幸福。在自然景观中散步、感受大自然景象,可 以有效提高人们的幸福感。
3 增强自我意识
与自然接触可以帮助人们放松大脑压力,平衡情绪,从而增强自我意识和意志力。
接触自然的方式
1
徒步旅行
徒步旅行是与自然接触的好方式,因为它可以让你更深入地了解自然环境,并享受到与大自 然亲密接触的感觉。
合理利用林木资源,不到处乱砍乱伐,加强森林防 火、防风抗旱,防止森林层枯死等造成严重后果。
根据不同的供求关系合理利用自然资源,从根本上 保护生态环境,改变传统生产方式,建立循环经济。
传播自然保护知识,培养公民环保意识,组织环保 志愿者,共同保护美丽的地球家园。
结论
与自然的联系,无论是个人还是整个社会,都非常重要。保护自然责任重大,但是,得到自然馈赠的回报也是 巨大的。让我们一起行动起来,保护自然、保护地球,让人类与自然和谐共存,从而建设美好未来。
自然与人类的相遇
自然不仅是我们生存不可或缺的资源,还是我们探索和享受的来源。在这个 课程中,我们将探讨自然和人的相互作用,以及自然对我们生活的深远影响。
高级日语ppt
~にいたる(1)~に至る にいたる
①研究に研究を重ねて、その技術が独自の境地に至っ ている。 ②仕事をやめて留学するに至った動機は、人生の目標 というものを見つけてみたいと思ったことであった。 ③さんざん悩んだ結果、仕事をやめて田舎で自給自足 の生活をするという結論に至った。 ④網膜色素変性症という病気は、次第に視力を失い、 徐々に失明にいたる不治の病だ。
語句の 語句の学習
なにやかや (あれやこれや)
①何やかやと苦労の多い人生だが、ここまできたら、も う何も心配が残らない。 ②何やかやでお金をだいぶ使ったが、肝心のことは一 向に進まなかった。 ③当時の彼女は、娘の嫁入りや何やかやでひどく生活 が苦しかった。 ④一度ご挨拶にうかがわなければと思いながら、なに やかやと、とりまぎれておりまして……。
– –
– –
春の訪れ、ブナ林の新緑が全山を覆うと同時に、天の摂理のよ うに、他の植物たちも動き出す。 夏から秋は、実りと収穫の季節。人間との立場の違いこそあれ、 最も生命感にあふれているのが夏であり、収穫するのが秋と人 間と自然は認め合っている。 冬は凋落の時である。葉を落ち尽くし、樹木(じゅもく)全体で冬 に備えた厳しい表情にブナは変わっていく。 冬芽(ふゆめ)には巡りくる春の準備があり、ここでも、自然の偉 大さに驚かされる。
言葉の 言葉の学習
~といい~といい といい~
①AといいBといい、XはYだ。 ②XはAといいBといい ①すきやきといい、すしといい日本料理なら、何でも食べるよ。 ②デザインといい値段といい、若者の要求に合った車だ。 ③葉子は女子高校生の二年生だが、体つきといい、背の高さとい い、もう一人前の女だ。 ④日本がヨーロッパ化しきれないのは、主として、思想の分野に集 約される。キリスト教といい、個人の主体性といい、広い意味で は思想の中に含まれる。
自然との出会い
雀◎【すずめ】 (1)麻雀,家雀儿。△雀が飛びまわっている。/麻雀在各 处飞。 (2)喋喋不休的人。(おしゃべりな人。) (3)知道内情的人。(ある所によく出入りして事情にくわしい人。) △楽屋雀。/戏剧界消息灵通人士。 器用【きよう】【kiyou】① 1. 巧,灵巧;精巧。(細かい仕事を巧みにやり遂げること。)
キーワード 断面:だんめん 断面,截面,剖面。(切り口の面。物事をある視点から見たときに 表れてくる姿・形。) 例:現代社会の一断面。现代社会的一个缩影〔剖面〕 取り戻す:とりもどす 【他动词・五段/一类】 1. 收回。(いったん与えたり、失ったりしたものを再び自分の物と する。) 例:貸した本を取り戻す。收回借出的书。
P46
「小さな単位AでもBなのだから、ほかは当然全てBだ」という 意味を表す。「にしても」は「さえ」と同じ働きをして極端な例 を示している。「名詞一つにも」とも言える。 例:彼女は本当に物持ちがいい人だ。ハンカチ一つにしても、大 切に何年も使っている。 她是一个非常爱惜东西的人,哪怕是一块手绢也十分珍惜的要用上 好几年。
いかなる存在にも凋落の時が来ることを見て、一年 という短い間にも示してれる。自然の中に身を置い てみて人は初め自然の大きさにふれることができる のである。同時に、大自然の一員として、その中に 包み込まれて自分をもの認識できるであろう。
第三部分:五~七
五、
もっと現実の自然との一体感を取り戻し、自然を 友とし、自然の心に迫ることが大切なのである。
这封信无非是表达了我真实的感受。
2、この仕事が成功したには皆さんのご協力の結果にほかなりません。 这件工作之所以成功正是大家努力的结果。
六~七、
日本人がどちらかといえば、情感という側面ばかり で自然と付き吅ってきた。実際に大自然の中に身を置 き、そこに新たな楽しみを見い出し、自然界の生の鼓 動に耳を傾けることが必要である。
Gckdpo日语综合教程五六册部分课文中日对照
秋风清,秋月明,落叶聚还散,寒鸦栖复惊。
日语综合教程第五册第一课海の中に母がいる山好きの血が父方から流れているとすると、海好きは間違いなく母から伝わっている。
終戦間もなく、不忍池のほとりを通りかかると、池端に、ははがしゃがみこんで池の面をじっと見ている。
声をかけると、母は照れたような顔で立ち上げり「ちょっと海がみたくなって」と言って笑った。
当時、東大のそばに住んでいたので、買い物のついでに不忍池で休んでいたのだろうが、その時の母の言葉が妙に忘れられない。
小学六年の夏、母の故郷の鹿児島の辺鄙な漁村で一月暮らしたことがある。
母の父は背の高い、強い人で、そこでずっと医者をしていた。
家から五十メートルほどで海に出る。
桜島や開聞岳の見える美しい浜辺だった。
母が海を見たいと言ったのは、その故郷の浜辺のことを考えていたのかもしれない。
今なら二時間もかからない鹿児島は、その頃は夜行や連絡船で二日かかる遠い国だった。
望郷の思いに駆けられても当然だったような気がする。
海好きといっても、心ゆくまで海と親しんだのはその夏だけで、あとは学校から海水浴にゆく程度だった。
おそらく海と切り離された状態がかえって海への憧れを掻き立てたのだろう。
大学を出る年、なんとしても海に関係する職業につきたいと重い、日本郵船に入社できないか聞きに行った。
対応に出た人事課長は「うちも、ほかの会社と同じですよ。
文学出身では、どうもね」と気の毒がってくれた。
船会社だから、全員が船にのれるものと勘違いしていたわけだ。
それでも、船に乗って、海を思いのたけ味わいたいと言う気持ちは、いっこうに衰えなかった。
幸いフランスに行くことになり、留学生は船に乗るように、という指示があった。
マルセイユまで三十三日の船旅――考えただけでも嬉しさで気が遠くなりそうだった。
しかし仲間の留学生たちは、なんでそんな無駄なたびをさせるのか、と不満だった。
私は一人海の喜びを満喫するため、四等船室を選んだ。
第六册答案
c.(その他)③野球 ⑧大雪(おおゆき)(だいせつ)
六、文章の段落を整理する練習
①?④の文章を正しい順序に並べかえるために、どの段落とどの段落を入れ替えればよいか、番号で答えなさい。ただし、①は第一番目とする。
①②④③
七、次の日本語を中国語に訳しなさい。
(8)長期にわたる江戸時代の鎖国政策によって、日本はもう少しで、西洋列強の植民地になるところだった。明治維新は、日本の鎖国状態に終止符を打ち、対外開放政策を実行させ、西洋の先進的なものを大量に導入させて、日本を一躍してアジア一の工業国に導いて。
九、実力テスト
次の文章を読んで、後の問に答えなさい。(100点満点)
二、次の語句の片仮名の部分を漢字に直しなさい。
(1)人にサキダ(先立)って会場に行った
(2)話のタネ(種)がつきない
(3)昔皇帝が私有した庭園を一般にコウカイ(公開)する
(4)それは波一つもない平穏なコウカイ(航海)だった
(5)貧しい村から豊かな村へとダッピ(脱皮)しつつある
(6)べースキャンプとの連絡がトダ(途絶)えた
(おかす)———危険を冒す。罪を犯す。領土を侵す。
さて、次の各組の文の( )に、カタカナで記した語を入れたいと思う。( )の中に入る漢字を正しく書きなさい。
①アウ(会 合) ② ノゾム(望 臨) ③ ハヤイ(速 早)
④ススメル(勧 進) ⑤ ホル(彫 掘) ⑥ オサメル(治 収)
当然,我们应该在日本人当中大力提倡尊重创造的风气。日本在过去曾经两次不得不通过吸收高度发达的外国文化来充实和丰富本国的文化,一次是从中国,另一次是从欧美。努力吸收外来文化,在当时也许打击了人们创造、发现的信心。但是,从以后长时间的发展来看,它也为我国的创新工作奠定了基础。然而,不可否认的是这种视外国文化为至宝,毫无节制的引进策略是养成我国轻视创造这种不良风气的主要原因。
日语综合教程第六册第二课 自然との出会い
日语综合教程第六册第二課自然との出会いブナ林の四季雪国の春はブナ林の芽吹きから始まると言ってよい。
もちろん細かく見ればブナの緑に先駆けてマルバマンサクが咲き、タムシバ(ニオイコブシ)が咲く。
しかし人の心にしみじみと春の喜びを感じさせてくれるのは、このブナの芽吹きであろう。
まだ風も冷たく、根雪が林地に残っているうちに、ブナの新緑はうっすらと稜線を染める。
あるかなきかのこの新緑に、長く厳しい冬に耐えてきた雪国の人は心のときめきを抑えることができない。
しかし、まだはっきりと春が訪れたわけではないから、このときめきをあからさまにするのはもう少し待とう、そういった心境だと言えばいいだろうか。
この時こそが雪国に暮らす人々にとって最高に幸せな時なのである。
やがて、誰の目にも明らかに新緑は稜線を染めながら登り、全山を緑で覆っていく。
そのころには林内の根雪もほとんど消えて、つつじ類をはじめ、低木類が林床を飾るのである。
しかし、いつもながらの春の訪れとは言いながら、どうしてこうも順序を間違えず、次から次へと植物たちは動き出すのであろうか。
その移り変りは、恰も生き物たちの成長していくように、森林全体もまた時節とともに変化を遂げていく。
天の摂理とは、まさにこのようなことを言うのではなかろうか。
夏から秋にかけては実りと収穫の時節である。
最も収穫というのは人間をはじめ動物側のことだから、植物にとって最も生命感にあぶれる時期こそが夏のだといったもうがいいかもしれない。
林業にとってはやっかいな真夏の下刈りという作業も、雑草や小低木かれ見れば、とんでもない迷惑なことである。
ここには人それぞれの自然がある。
自然保護と林業振興との、いずれの立場が優れているというのでもない。
ひとはそれぞれの立場で自然に接するのだということを、我々は心の底で認め合いながら生きでいるのである。
いかなる存在にも凋落の時が来ることを、自然はその長い年月の移ろいの中でも、また一年という短い間にも示してくる。
日语综合教程第六册第二课 自然との出会い
日语综合教程第六册第二課自然との出会い語句の学習~にさきがけて(他のものより先にすること)(率先)①梅は春に先駆けて花を咲く。
梅花春天率先开放。
②相続税に先駆けて中国は預金実名制を導入した。
中国率先在相继税中引入预付金实名制。
③ドツが世界に先駆けてマルチメデゖゕ法を整備した。
德国率先在世界上配备了多媒体法。
④日本は各国に一歩先駆けて景気回復への道を踏み出した。
日本比各国率先迈入景气回复的道路。
うっすら(うすく?かすかに)(隐约,稍微)①駅の外はうっすらと雪化粧していた。
车站外面被薄雪装点着。
②真理子の眼にうっすらと涙が滲んだ。
真理子的眼睛隐隐流出了泪水。
③霞の向こうに島影がうっすらとこの写真写っている。
将面对朝霞的隐隐约约的小岛的照片拍了下来。
④うっすら化粧した彼女は、いつもよりきれいに見える。
略施淡妆的她比任何时候都显得漂亮。
あるかなきか(ないといっていいほど、ほんのすこし。
)(或有或无,似有似无)①先ほどからあるかなきかの微風が、葉をゆすってた。
刚才似有似无的微风将树叶摇曳。
②その星のあるかなきかの明りで、やっと道を見つけた。
在那星星或有或无的照耀下,终于找到了道路。
③あるかなきかの敵意が現れたのを見て取った私は、尻込みした。
看穿了他表现出来的似有似无的敌意,我将屁股转向他。
④あれは、ぼくのあるかなきかのお金をはたいて購入しただけだから、ほしかったら持って行っていいよ。
那是我花光了自己微薄的积蓄买来的,你要的话就拿去吧。
ときめき(喜び?期待?不安などで胸がどきどきする)(心跳,心情激动)①雪国育ちの私は、雪にはときめきはしても驚きはしない。
在雪国中长大的我,看到雪再怎么激动也不至于感到惊讶。
②彼女とともに過ごした日々は、なんと輝きやときめきに満ちていたことか。
与她一起度过的日子,是多么充满光荣和激动的时候啊。
③憧れの高校に入れて、今日はいよいよ喜びに心がときめく入学式です。
考入向往中的高中,今天终于到了心情愉快而激动的入学仪式的日子。
《高级日语》课程教学大纲
《高级日语》课程教学大纲课程编号:D20662B0课程属性:必修学时:146学时学分:7先修课程:中级日语、日本文学史、日本概况、日语实用语法考核方式:考试使用教材:陆静华主编,《日语综合教程》(第五册),上海外语教育出版社,2006年陈小芬主编,《日语综合教程》(第六册),上海外语教育出版社,2006年季林根主编,《日语综合教程》(第七册),上海外语教育出版社,2011年主要参考书:陆静华、陈小芬主编,《日语综合教程第五、六册课文翻译与练习答案》,上海外语教育出版社,2007年皮细庚主编,《日语综合教程》(第八册),上海外语教育出版社,2008年季林根、皮细庚主编,《日语综合教程第七、八册课文翻译与练习答案》,上海外语教育出版社,2009年周炎辉主编,《日语语法词法·句法》,湖南大学出版社,2000年一、课程的性质和任务高级日语是一门综合技能的课程,它涉及日语的听、说、写、读、译等多种实践能力的培养,是本科日语专业的专业必修课。
该课程旨在培养学生更进一步熟练掌握日语知识;提高学生实际应用语言的能力;丰富学生的日本社会文化知识,培养文化理解能力,熟练地掌握日语语法体系,使学生达到日本国际交流基金和日本国际交流协会设立的“国际日本语能力考试”的2级水平。
本课程是“中级日语”课程的继续,教学重点从一、二年级的讲解词汇、语法、句型逐渐过渡到分析文章、理解语言背后的社会心理文化,从而掌握地道的日语。
通过灵活多样的教学方法,充分调动学生的主观能动性,使学生积极参与课程教学。
教师不仅要分析文章、句子结构,还要介绍大量的语言文化背景知识,避免“中国式日语”的出现,为学生在今后的工作中使用日语打下坚实的基础。
二、教学目标与要求高级日语教学的目标是:培养学生具有较强的阅读能力和较高的听、说、写、读、译的能力,使他们能用日语交流信息。
培养学生良好学习作风,正确掌握良好的语言学习方法。
培养学生逻辑思维能力,丰富社会文化知识,以适应社会发展和建设的需要。
日语综合教程第六册 第二课 読み物 自然との触れ合い
与大自然的接触我们人类为了能在严酷的自然中生存下去,想尽办法。
正是得益于此(先人的努力)我们现在过上了多彩而便捷且舒适的生活。
然而,作为舒适生活的代价,我们已经失去了很多(与)自然(接触的机会)。
现代都市确实将人们从严酷的自然环境中解救出来,虽然全年提供舒适的生活环境,但是在这样的条件下生活的人们是否身心都健康呢?不知是谁曾说过,动物之中凭自己的意志自我驯化的只有人类。
生活环境越是畅快舒适,越有必要恢复自然中的人性。
我通过登山来培养自己的自然观。
我的自然观并不是要记住景、物的名字,记住动物和鸟类的名字,通过知道它们的生态来认识自然。
虽然这些可能也是了解大自然的重要途径,但是我更希望用自己的五感和心灵,通过登山这种方式来感知自然。
自然有两副面孔——严酷的自然和柔和的自然——我希望能通过与自然接触,亲近大自然,(在自然的怀抱中)生活下去。
温和的自然,就是我第一次登山的时候感受到的,那种宛如母亲般优雅而深沉的自然,被这种大自然包围着的世界令人心神安宁。
我有时会去丹泽和奥多摩的小型滑雪场去攀岩。
最近,虽然极少去徒步旅行了,但是去攀岩的滑雪场大部分都是在徒步的路线上,我去的就是那个攀岩的地方。
在阳光明媚的日子里,垂直攀岩,躺在草地上的时候,就会陶醉在无法言喻的畅快中。
或者是随意躺在大块的石头上,就能尽情感受到温暖的石头的温度。
望着天空中云卷云舒,尽情呼吸新鲜空气。
刺眼的绿色将这一带包围起来。
我一边享受着轻松愉快的运动,一边对于自己能够在这样温和恬静的大自然中放松身心而感到格外幸福美好。
然而,仅仅是这样并没有让我完全满足。
一想起出门去爬冬天的谷川岳和穗高岳,安第斯山脉或是喜马拉雅山,即便是在连眼睛都睁不开的暴雪中也要拼死爬山的情景,真的感到很怀念,总觉得这种行为很值得怀念。
自然环境越是严酷,人们越觉得在自然环境中的人就越是值得尊敬。
一个人去巴基斯坦高8000米的南迦帕尔巴特峰的时候,在7500米出挖了个雪洞,在那里面过了一夜。
自然との出会い
自然との出会い(二)与自然的邂逅(日译中)?雪国的春天应该说是从山毛榉树林初绽新芽开始的。
当然,如仔细看的话,在山毛榉泛绿之前,圆叶金缕花已经开放,柳叶木兰也已经开放。
不过使人内心深刻地感受到春天的喜悦之情的,还是这山毛榉的新芽吧。
当北风尚寒,林地中残雪犹存之际,山毛榉的新绿已悄悄披上了山脊。
正是这似有似无的新绿,使长期忍受着严冬的雪国人的心中,有一种按捺不住的喜悦。
但是,由于还没有清楚的春天来到的迹象,想要直率地表达这种喜悦,恐怕还尚待时日,应该说是这样一种心情为好吧。
正是在这个时候,对生活在雪国的人们来说,才是最幸福的时刻。
用不了多久,谁都可以清楚地看到,新绿一边将山脊浸染,一边向上攀升,终于让满山都披上了绿装。
这个时候林子里的残雪也几乎化尽,由映山红打头阵,低矮的灌木将林子的植被装点起来。
虽说是永恒不变的春天到来,为什么植物们会按照永远不变的顺序,一批又一批地轮番出动呢?这样的变化,恰如生物本身的生长状态,从幼年到少年,再到青年,渐渐成长起来那样,森林中的全体成员也与季节一起完成了这种变化。
所谓天意如此,说的不正是这样的事情吗?夏去秋来,是收获果实的时候。
不过所谓收获是以人类为首的动物方面的事情,对于植物来说,最为生机勃勃的时期也许是夏天了。
对林业来说,麻烦的是盛夏的除草工作,如果从杂草和低矮灌木方面的立场来看,是出乎意料的麻烦事。
在这里有人们各自认可的自然。
自然保护和振兴林业,从各自的立场来说并不都是好的。
在我们的内心深处,对于人们站在各自的立场上接触自然这件事,我们一边对此加以认可,一边生存着。
任何事物都有凋零的时候,自然在这漫长岁月的迁移中,还以一年的短暂期间向我们展示。
没过多久,山毛榉的叶子有了归宿,林子里的全体成员都在为准备过冬的严重情况转变。
说是庄重的样子也好,说是经受风雪的坚强姿态也好,显示山毛榉扣人心弦的力量,则再也没有比冬季更好的季节了。
也许有人会说这种样子很可怕,也许有人会评论说唯有这才是美的极致。
综合日语教程第六册课后翻译答案
1 东京大学に合格する可能性はわずかでもありませんか?そうとは言い切れませんが、よほど努力しない限り合格できないと思います。
2 敌に対抗する方法はたくさんあります。
しかし、敌が强すぎる场合は、最善策は逃げてしまうことです。
谚の三十六计逃げるに如かずというのもこの事を指しています。
3私は寝るともなしにベッドで横になっていましたが、いつの间にか眠ってしまいました。
目が覚めた时はすでに深夜2时を回っていました。
4 日本金融は空洞化し始め、海外の金融机関も日本拠点を引き上げ缩小を図っています。
日本で行われるはずだった取引もニューヨーク、ロンドン、シンガポール等、しかるべき国へ移されました。
日本では、欧米でできない取引のみを行っています。
5 今、勤めている会社の给料はともかく、仕事がとても疲れます。
最近はいろんな角度から今の仕事に向いていないんじゃないか考えています。
6 家族と友人の励ましがあったからこそどんな困难を前にしても臆病にならずにすみ、立ち向かうことができた。
これを武器にどんな峠でも�\り越えられるだろう。
7 高い评価をされたい訳ではありません。
実际の业务状况に见合った评価をしてもらいのです。
もちろん私自身も时々无駄な努力をしているように思いますが、ただ、まだ谛めたくないんです。
8 両国は社会制度を異にしているとはいえ、友好的につきあいながらそれぞれの発展を求めるという点については意見が一致しています。
9 父の病気はもう回復の可能性はないと知りつつも、奇跡が起こることを信じようとしている。
10彼は手纸の返事を书いていないんだろうね。
返事を书くような人じゃないし。
いや、书いたよ。
途中で手纸が行き方不明になったんだよ。
こういう可能性もないではない。
1 お世話にもレベルが高いとはいえない学校であるが、学生はかなり裕福な家庭の子共ばかりで、寄付金が多くて施設はどこもかしこも充実している。
2 素人の私は質については変わらないが、大きさからみて、このダイヤが一番高そうに思う。
日语综合教程第六册 第二课 読み物 自然との触れ合い
与大自然的接触我们人类为了能在严酷的自然中生存下去,想尽办法。
正是得益于此(先人的努力)我们现在过上了多彩而便捷且舒适的生活。
然而,作为舒适生活的代价,我们已经失去了很多(与)自然(接触的机会)。
现代都市确实将人们从严酷的自然环境中解救出来,虽然全年提供舒适的生活环境,但是在这样的条件下生活的人们是否身心都健康呢?不知是谁曾说过,动物之中凭自己的意志自我驯化的只有人类。
生活环境越是畅快舒适,越有必要恢复自然中的人性。
我通过登山来培养自己的自然观。
我的自然观并不是要记住景、物的名字,记住动物和鸟类的名字,通过知道它们的生态来认识自然。
虽然这些可能也是了解大自然的重要途径,但是我更希望用自己的五感和心灵,通过登山这种方式来感知自然。
自然有两副面孔——严酷的自然和柔和的自然——我希望能通过与自然接触,亲近大自然,(在自然的怀抱中)生活下去。
温和的自然,就是我第一次登山的时候感受到的,那种宛如母亲般优雅而深沉的自然,被这种大自然包围着的世界令人心神安宁。
我有时会去丹泽和奥多摩的小型滑雪场去攀岩。
最近,虽然极少去徒步旅行了,但是去攀岩的滑雪场大部分都是在徒步的路线上,我去的就是那个攀岩的地方。
在阳光明媚的日子里,垂直攀岩,躺在草地上的时候,就会陶醉在无法言喻的畅快中。
或者是随意躺在大块的石头上,就能尽情感受到温暖的石头的温度。
望着天空中云卷云舒,尽情呼吸新鲜空气。
刺眼的绿色将这一带包围起来。
我一边享受着轻松愉快的运动,一边对于自己能够在这样温和恬静的大自然中放松身心而感到格外幸福美好。
然而,仅仅是这样并没有让我完全满足。
一想起出门去爬冬天的谷川岳和穗高岳,安第斯山脉或是喜马拉雅山,即便是在连眼睛都睁不开的暴雪中也要拼死爬山的情景,真的感到很怀念,总觉得这种行为很值得怀念。
自然环境越是严酷,人们越觉得在自然环境中的人就越是值得尊敬。
一个人去巴基斯坦高8000米的南迦帕尔巴特峰的时候,在7500米出挖了个雪洞,在那里面过了一夜。
谭晶华《日语综合教程(第六册)》学习指南(诗四编)【圣才出品】
第四課詩四編◆课文重点1.よしや(縦や)2.みやこ(都)3.ゆうし(遊子)4.ライブラリー◆词汇例解1.はなびら(花弁)③【名】【词义】花瓣【例句】△さくらは5枚の花弁をもつ。
/樱花有五个花瓣。
2.よしや(縦や)①【副】【词义】纵然,即使,【例句】△縦や命を失おうとも悔いはしない。
/即使丢掉性命也不后悔。
3.いど(異土)⓪【名】【词义】异乡,异国,外国【例句】△異土にいた時、常に故郷のことを思い出した。
/在异乡时,常常想起故乡的种种。
4.みやこ(都)⓪【名】【词义】首都,京城【例句】△明治2年に日本政府は都を京都から東京に移した。
/明治2年日本政府将首都从京都迁到东京。
5.ゆうし(遊子)⓪【名】【词义】游子,旅游者,漫游者【搭配】△遊子の心/游子之心6.にごりざけ(濁り酒)③【名】【词义】浊酒、粗酒。
未经过滤的、浑浊发白的酒。
7.ライブラリー①【名】【词义】图书馆,图书室【例句】△この夏はライブラリーに過ごすつもりだ。
/这个夏天打算在图书馆度过。
◆参考翻译诗四首1.石板路上三好达治可怜落花流下落花流到少女身上少女娴静地私语走过清脆木屐声在晴空里流淌不时举目仰望从明亮的寺院的春天里穿过寺院屋顶被春光染绿屋檐下风铃沉寂不语一个人的孤影走在石板路上【赏析】这是三好达治的全部作品中最广为人知,在日本语文课本中很多被采用、很多被吟唱,知名度极高的名作之一。
稍微一读,那带有柔美声音的词语便会像流淌着似的把读者带进晩春那娴静晴朗的情景中去。
那词语的声音的典雅,那情景中充满青春气息及高雅氛围的美,足以使它成为被称作名诗也好绝句也罢的近代抒情诗的杰作。
首先,诗是以「あはれ」(可怜)一词开头的,可以说这个开头是很有胆魄的。
在日本文学的抒情作品中,「あはれ」是句老生常谈,是被用滥的话了。
换句话说,就是因它所表达的范围较宽,所以便于使用,不过也是容易陷入表意模糊的词。
像佐藤春夫的名作《秋刀鱼之歌》那样以「あはれ/秋風よ」(啊,凄凉的秋风)开头的有是有,但昭和时期的抒情诗人们不如说是避开这个「あはれ」来开篇的。
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日语综合教程第六册第二課
自然との出会い
ブナ林の四季
雪国の春はブナ林の芽吹きから始まると言ってよい。
もちろん細かく見ればブナの緑に先駆けてマルバマンサクが咲き、タムシバ(ニオイコブシ)が咲く。
しかし人の心にしみじみと春の喜びを感じさせてくれるのは、このブナの芽吹きであろう。
まだ風も冷たく、根雪が林地に残っているうちに、ブナの新緑はうっすらと稜線を染める。
あるかなきかのこの新緑に、長く厳しい冬に耐えてきた雪国の人は心のときめきを抑えることができない。
しかし、まだはっきりと春が訪れたわけではないから、このときめきをあからさまにするのはもう少し待とう、そういった心境だと言えばいいだろうか。
この時こそが雪国に暮らす人々にとって最高に幸せな時なのである。
やがて、誰の目にも明らかに新緑は稜線を染めながら登り、全山を緑で覆っていく。
そのころには林内の根雪もほとんど消えて、つつじ類をはじめ、低木類が林床を飾るのである。
しかし、いつもながらの春の訪れとは言いながら、どうしてこうも順序を間違えず、次から次へと植物たちは動き出すのであろうか。
その移り変りは、恰も生き物たちの成長していくように、森林全体もまた時節とともに変化を遂げていく。
天の摂理とは、まさにこのようなことを言うのではなかろうか。
夏から秋にかけては実りと収穫の時節である。
最も収穫というのは人間をはじめ動物側のことだから、植物にとって最も生命感にあぶれる時期こそが夏のだといったもうがいいかもしれない。
林業にとってはやっかいな真夏の下刈りという作業も、雑草や小低木かれ見れば、とんでもない迷惑なことである。
ここには人それぞれの自然がある。
自然保護と林業振興との、いずれの立場が優れているというのでもない。
ひとはそれぞれの立場で自然に接するのだということを、我々は心の底で認め合いながら生きでいるのである。
いかなる存在にも凋落の時が来ることを、自然はその長い年月の移ろいの中でも、また一年という短い間にも示してくる。
やがてブナの葉は落ち着くし、樹木全体が冬に備えた厳しい表情に変っていく。
その厳かなたたずまいといい、また風雪に耐えるけなげな姿といい、ブナ林が真の迫力を見せるのに、冬に勝る季節はないであろう。
或る人はその姿をおそろしいというまもしれない。
またある人はそれこそ美の極致と評価するかもしれない。
評価はどうあれ、黒々と静まり返った冬のブナ林の中では、もう既に何かが動き始めている。
巡り来る春に、再び山をおおいつくす葉が、早くも必要な枚数だ冬芽の中に準備されているのである。
ここでもまた、わたしたちは自然の偉大さに驚かずにはいられない。
自然の中に身を置いてみて、人間は初めて自然の大きさにふれることができるのである。
同時に、大自然の一員ちして、その中に包み込まれた自分をも認識できるであろう。
ブナ林という自然界の片隅のしかもその移り変りの一断面をのぞいてみただけでも、自然は、いかに多彩で奥行きが深いものであるかを知ることができる。
その奥深さが実感できるのは、そこに人間がかかわっているからにほかならない。
確かに日本人は自然に極めて強い愛着を抱いている。
また自然に対して研ぎ澄まされた感性を持っているの事実である。
それは日本文化のさまざまな領域にも反映されていよう。
しかし、それはあくまでも抽象的な、観念的な自然でしかないのではなかろうか。
自然を人間から切り離して眺めるのではなく、むしろ自然を友とし、自然のこころに迫ることが大切なのである。
これまで日本では、植物の名前一つにしても、もしろヨーロッパの文学作品から多くを学んだような気がすてならない。
実際にみたこともない植物なのに、スグリとカアラセイトウという名前はよく目にしたものである。
しかもそれらの植物は、物語の背景としてかなり大切な役割を果たしていた。
それに比べれば、詩や歌はともかくとして、日本の物語に登場する森の植物は、その種類も数もしれたものである。
ブナなども、今でこそ、名前を知らない人たちは少ないが、ほとんど日本の物語の中に現れていない。
こういう、ちょっとした例からみても、日本人がどちらかといえば、感情という側面ばかりで自然と付き合
ってきたことを、改めて思わずにはいられないにである。
これから必要なのは、実際に大自然の中に身を置き、そこに新たな楽しみを見出していくことであろう。
何はおいても、まず山を散策し、自然界の生の鼓動に耳を傾けよう。
こうした自然との触れ合いの中で、自分自身の心も再び息づいてくるに違いない。
与自然的邂逅(日译中)
雪国的春天应该说是从山毛榉树林初绽新芽开始的。
当然,如仔细看的话,在山毛榉泛绿之前,圆叶金缕花已经开放,柳叶木兰也已经开放。
不过使人内心深刻地感受到春天的喜悦之情的,还是这山毛榉的新芽吧。
当北风尚寒,林地中残雪犹存之际,山毛榉的新绿已悄悄披上了山脊。
正是这似有似无的新绿,使长期忍受着严冬的雪国人的心中,有一种按捺不住的喜悦。
但是,由于还没有清楚的春天来到的迹象,想要直率地表达这种喜悦,恐怕还尚待时日,应该说是这样一种心情为好吧。
正是在这个时候,对生活在雪国的人们来说,才是最幸福的时刻。
用不了多久,谁都可以清楚地看到,新绿一边将山脊浸染,一边向上攀升,终于让满山都披上了绿装。
这个时候林子里的残雪也几乎化尽,由映山红打头阵,低矮的灌木将林子的植被装点起来。
虽说是永恒不变的春天到来,为什么植物们会按照永远不变的顺序,一批又一批地轮番出动呢?这样的变化,恰如生物本身的生长状态,从幼年到少年,再到青年,渐渐成长起来那样,森林中的全体成员也与季节一起完成了这种变化。
所谓天意如此,说的不正是这样的事情吗?
夏去秋来,是收获果实的时候。
不过所谓收获是以人类为首的动物方面的事情,对于植物来说,最为生机勃勃的时期也许是夏天了。
对林业来说,麻烦的是盛夏的除草工作,如果从杂草和低矮灌木方面的立场来看,是出乎意料的麻烦事。
在这里有人们各自认可的自然。
自然保护和振兴林业,从各自的立场来说并不都是
好的。
在我们的内心深处,对于人们站在各自的立场上接触自然这件事,我们一边对此加以认可,一边生存着。
任何事物都有凋零的时候,自然在这漫长岁月的迁移中,还以一年的短暂期间向我们展示。
没过多久,山毛榉的叶子有了归宿,林子里的全体成员都在为准备过冬的严重情况转变。
说是庄重的样子也好,说是经受风雪的坚强姿态也好,显示山毛榉扣人心弦的力量,则再也没有比冬季更好的季节了。
也许有人会说这种样子很可怕,也许有人会评论说唯有这才是美的极致。
不管如何评价,在漆黑的重新变得寂静的冬天的山毛榉林中,已经有某种东西在开始萌动。
而在循环而至的春天,再次覆盖山峦的山毛榉的叶子,早就按照需要的叶片数在冬芽中作好准备了。
在此我们还是要情不自禁地感叹自然的伟大。
将自己置身于自然之中来观察,人类才能开始感触到自然之博大,同时作为大自然的一员,方才能够认识到包含在其中的自己吧?
只要略微看一下山毛榉林这个自然界的角落,看一下它变迁中的一个横断面,我们就可以知道自然是多么丰富多彩,博大精深。
对其深奥的内涵能够切身感受,无非是因为它与人类切切相关。
确实,日本人对自然抱着极强的爱恋,还对自然持有变得尖锐起来的感性认识,正如日本文化的各个领域所反映的那样。
但是,说到底那也不过是抽象的,观念的自然而已,我们必须找回更加现实的与自然的一体感,不是将自然与人类世界分割开来观察,而是将自然作为朋友,接近自然的精神,这才是最重要的。
日本直到现在,即使是一个植物名称,也给人以一种大多是从欧洲的文学作品中学来的感觉。
虽然是实际上未见过的植物,但是醋栗,洋紫罗兰等名称却经常见到。
而且这些植物作为故事背景,果然起着相当重要的作用。
与此相比,暂且不论诗与歌,在日本故事中出现的森林植物,其种类和数量都十分有限。
山毛榉也是如此,如今不知道它的名称的人很少,但它却几乎从未在日本的故事中出现过。
从这些微不足道的例子看来,人们不得不作这样的考虑,即日本人无论从哪一方面来说,只有情感这个侧面能与自然交往。
今后要做的,就是将自己置身于实际的大自然中,从那里也许能发现新的乐趣吧。
将任何事情都放下,先去山中走一走,在森林中散散步,听一听自然界的生命的搏动。
在这样与自然的互相接触中,一定能让自己的身心再次得到喘息。