日语n1阅读训练(推荐)

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日本語能力試験の読解文法の部分は、大量な練習を通じて語彙などの基本的な知識を身に付け、言語の実践力レベルを高め、日本語に対する全体的に把握し、日本各方面の状況と日本式の考え方を理解し?正確的に日本語を身につける目的に達するのである。

読解は能力試験としての綜合反映で?受験生が?習った語彙の量?言語の表現能力?論理的に推理能力?知識の広さなどと深い関係がある。

ここ数年その内容にも?数量にも?難しくなる勢いがある。

読解部分は常に二篇の長い文章と六篇の短い文章からなっている。

長い文章の後に六至七個の問題があり、短い文章の後に一至三個の問題がある。

形式は正しい答えを四つから一つ選んでくださいというような形である。

1999年と2000年の新しい変化は表と図の形式で問題を出すのである。

文章の内容を正しく理解する上で一番ふさわしい答えを選ぶ。

文法の部分は読解の後で現れ?受験生の文法知識を検査するのである。

毎年少し違ったのですが大体の範囲は変わらない。

?<語能力考試語法精解>1,2級(上海外語教育出版社)という本には1,2級の文法範囲がある。

形式も四つから一つ選ぶのである。

次例を見てみましょう
日语能力考试的阅读理解和语法部分猪只在于通过大量阅读,加强对词语基础知识的掌握,提高语言的实际运用能力,培养对日语的整体感性认识,加深对日本各方面状况及日本人思维方式的理解,已达到真正掌握日语的目的。

阅读是能力的综合反映,与考生掌握的词汇量,语言综合表达能力,逻辑推理能力,知识面等均有很大关系。

日语能力考试的阅读和语法部分近几年来有容量扩大难度增加的趋势。

阅读的文章数量增多,信息量大,文章长度减少,无疑增加了考试的难度。

阅读部分通常由2篇较长的文章与6篇较短的文章构成。

常文章一般每篇后有6至7个问题,端文章后一般有1至3个问题,形式均为选择答案式。

从给出的4个大案中选择1个符合题干的答案。

最近两年的考试中一个较新的变化就是配合题干出现了图表式问答。

要求考生在正确理解文章内容的基础上识图,根据原文选择符合题意的图表。

语法部分是在阅读理解部分之后,主要考察考生的语法知识。

考点虽然年年有所不同,但基本范围是不变的。

在《日语能力考试语法精解》1,2级(何文晔,徐旻编著)(上海外语教育出版社)上列出了1,2级的语法范围。

其形式也为四选一。

下面我们看例题
車の運転をしている人なら理解できるように、自分の前方や後方でププッとクラクションが鳴ると気になるものです。

たとえば、交差点の信号が青になったのに気がつかずに、後ろから『プププープー』と長いクラクションを鳴らさ
れたら、人によっては驚きたり、『うるさいなあ』と不快に感じるでしょう。

社会心理者の木下富雄先生の書かれた『クラクションランゲージ』という論文の中に、クラクションのエピソードがあります。

ある教授が道を歩いていたとき、後ろからきた車からクラクションを鳴らされた。

教授は車を通すために道を譲った。

ところがすれ違ったときに車はもう一度クラクションを鳴らした。

人がどいてやったのにまたクラクションを鳴らすとは失礼な奴だ、と教授は怒っている。

木下先生はそこで最初のクラクションは『A』という意味だが、後のクラクションは、『B』という感謝の意味のクラクションですよ、と説明をされたという話です。

木下先生はこの体験から、日本では車を運転する人と運転しない人との間にマイカー文化とノーカー文化という異なる文化圏が成立しており、このエピソードは一種の文化摩擦ではないかと述べています。

筆者は実験で交通状況を設定してクラクション反応を求め、状況の違いによりどのようなクラクションが存在するかを分析しました。

刺激場面を実験室でスてライドプロジェクターにっよ提示させ、実験教示を聞いた後に被験者はスイッチを押してクラクションを鳴らします。

細部は省きますが、分析の結果、クラクションには社会的エチッケト、安全確保、感情表現の三つのパターンがあると推定できました。

非常に短い社会的エチケットのクラクション、中程度の長さの安全確保のクラクション、最も長い(0.5秒を越える長さ)感情表現のクラクションです。

初心者は長さの違いがはっきりせず、安全確保や社会的エチケットと感情表現のクラクションが重なっています。

また、いかなる交通状況でも、平均して0.5秒を越えるクラクションを鳴らすドライバーが一定の比率で存在しています。

しかし、こういう何気ないクラクションが(中略)『この馬鹿野郎!』という挑戦的で攻撃的な意味と受け止められる恐れがあります。

(注)クラクション:自動車の警告ベル
(注)マイカー:自分の車
(注)ノーカー:車を持っていないこと
(注)刺激場面:実験で反応を導き出すための場面
(注)スライドプロジェクター:スライドを映すための機械
(注)被験者:実験を受けるひと
問1『人』とあるが、ここでは誰のことか。

1、木下先生
2、ある教授
3、車を運転していた人
4、筆者
問2『教授は怒っている』とあるが、なぜ教授は怒ったのか。

クラクションの
1、音がうるさかったから
2、音に驚いたから
3、意味を誤解したから
4、意味が間違っていたから
問3『A』と『B』に入る組み合わせを選べ。

1、A:ありがとう B:ご苦労さま
2、A:こんにちは B:しみません
3、A:あぶないぞ B:お先にどうぞ
4、A:どいてくれ B:どいてくれてありがとう
問4『説明をされた』とあるが、誰が説明したのか。

1、木下先生
2、ある教授
3、車を運転していた人
4、筆者
問5『一種の文化摩擦』とあるが、かかではどのような意味か。

1、国や文化が異なると、同じクラクションの意味が異なる
2、いつ鳴らすかによって、同じクラクションでも意味が異なる
3、クラクションの長さが異なると、クラクションの意味、も異なる
4、運転する人と運転しない人では、同じクラクションの意味が異なる
問6『クラクション反応』とは、ここではどのようなものか。

1、クラクションがどのような意味を持つか
2、クラクションにどのような反応をするか
3、クラクションをどのように鳴らすか
4、クラクションについてどう思うか
『悪魔』は日本にも存在するのだろうか。

日本人にとっての悪魔の概念を、国際日本文化センターの山折哲雄教授(宗教学)に本誌、羽賀神朋子が聞いた。

善悪の感覚について、日本には、ユダヤ教やキリスト教の悪魔に相当するものは存在しない。

日本にも鬼というものはあるが、これには『悪』の側面と同時に『神』の側面もあり、
神はときに鬼の面をかぶって他界からやって来たりする。

つまり善とは悪に対立せず、ダブルイメージとしてお互いに融合し互換可能な関係にある。

これが日本人の善悪に関する考え方の一つのメルクマールだ。

仏教の思想について、仏教では、地獄に堕ちた者でも仏の慈悲により直ち往生できるようにさまざまな救済措置が用意されている。

地獄に堕ちた悪魔的な人間が永久に閉じ込められているキリスト教的な考え方とは、この点が大きく異なる。

こうした仏教の考えを背景としているため、善悪にあまりこだわるべきでないという考え方が日本人にはある。

宗教の極地は善悪を越えたかなたに存在し、善悪はむしろ世俗的な問題だ、というわけだ。

善悪にこだわるのは、生き方の本質ではないと考えられてきたのである。

そのため日本人には絶対的な悪の観念がなく、根源的に悪を掘り下げ突き詰めていくという思考形態も培われていない。

それで子どもに悪魔という名前をつけるような、悪の『遊び化』といった現象も起こる。

オウム事件について、オウム真理教のような事件はある意味で、キリスト教やユダヤ教で問題にされてきた『悪』が眼前に現れてきたような出来事だった。

事件を機に、日本人は初めて『根源悪』ともいうべきものに直面し、人間の悪の姿に気づきはじめたといえるのではないか。

だから今回の事件でも、非常にヒステリックに反応するばかりで、オウム抹殺論のような極端で幼稚な議論しかできない。

逆の言い方をすれば日本人はこれまで、そのくらい幸福だったともいえる。

そういう人生観を今後ももっていけるなら、それはそれで必ずしも悪いことでない。

さらにこうした楽観的な考え方が世界のものになれば、世界全体は平和になるのかもしれない。

そうはいないのが現実なのだが。

難しい言葉
悪魔:あくま/恶魔,魔鬼
ユダイ:犹太
懲らしめる:こらしめる/制裁を加えて懲りるようにさせる/惩罚,教训ダブルイメージ:二重の印象/双重印象慈悲:じひ/慈悲往生:おうじょうこの世を去って他の世界に生まれ変わること。

特に死後、極楽に生まれること。

(佛)极乐掘り下げる:ほりさげる /突っ込んで考える。

深く究明する。

/深挖,深入思考培う:つちかう /能力や性質を養い育てる。

育成する。

/培养,培育ヒステリック:ヒステリーを起こしているさま。

また、興奮して、極度に感情の高まっているさま。

/歇斯底里抹殺:まっさつ /人や事実などの存在を否定し、消し去ること。

/抹杀,勾消
【読解練習】
前の文章を読んで、後の問いに答えなさい。

下線のある部分にどれを入れるか、1、2、3、4から最も適当なものを一つ選びなさい。

1、日本人の感覚からいえば、____________。

1)鬼は『悪』である
2)鬼は『善』である
3)悪魔はかならずしも悪いものではない
4)『鬼』は『神』と同じものである
2、日本人の善悪に関する考え方と合っているものはどれなのか。

1)善と悪をはっきり区別するのは無意味である
2)善と悪は対立している
3)善と悪は一つになることはできない
4)善と悪は同じものである
3、山折哲雄教授からみれば、日本人の善悪に関する考え方はどれなのか。

1)世界平和につながるかもしれない
2)幼稚なものである
3)積極的な面がある
4)世界のものになれる
4、日本人はオウム事件を___________。

1)冷静にとらえている
2)きっかけに反省しはじめている
3)いろいろ議論してきた
4)『鬼』の代表と見ている
5、『ユダヤ教やキリスト教の悪魔に相当するものは存在しない』にある『相当』の意味と合っているものはどれなのか。

1)お互いに向きあうこと
2)相対する関係にあること
3)両者の関係がつりあうこと
4)両者が『ほぼ』同等の資格や働きを持つこと
6、『そうはいかないのが現実なのだが』にある『そはいかない』と一番意味の近いものはどれなのか。

1)日本人はこれから幸福になれない。

2)これまでの善悪の考え方がこれからもっていけない
3)世界のものになれない
4)世界全体は平和になれない
【読解練習の参考答案】
1(3)2(1) 3(3)4(2) 5(4) 6(2)
本期读解1的翻译
本杂志的宇贺神朋子采访了国际日本文化研究中心的山折哲雄教授:在日本是否真的存在恶魔。

(山折哲雄教授作了如下回答)
关于恶魔的感觉--在日本是不存在相当于犹太教或基督教中的恶魔的。

在日本虽然有鬼一说,但是在鬼的一说中存在邪恶的一面的同时也存在神的一面,在对人类实行惩罚的同时也会保护人类。

比如,在传统艺能或宗教的仪式中,神有的时候就会戴着鬼的面具从他界而来。

简言之,善与恶并不是对立的,而是作为双重的身份相互融合,并存于可能转换的关系之中。

这是日本人关于善恶的一种思维方式的印记。

关于佛教的思想--在佛教中,即使是深陷地狱的人,由于佛的大慈大悲,为使其能够超脱,会有各种各样的拯救方法。

在这一点上,其思想与深陷地狱的罪恶之人永世也不得超脱的基督教思想是截然不同的。

由于以这样的佛教思想为背景,日本人认为并不应该局限于善与恶,在宗教之极尽处存在着超脱于善恶的彼地,而善恶则只不过是世俗的一种观点。

日本人认为仅受限于善恶这种想法并不是生存的本质。

正是由于这个原因,在日本人的思维中,并不存在绝对的恶的观念,也并没有追究恶的根源这种思考形态。

所以就出现了像给孩子起恶魔名字那样的恶魔游戏这样的现像。

关于奥姆事件--像奥姆真理教那样的事件,在某种意义上,出现了犹太教和基督教中的恶魔。

以这件事为契机,可以说日本人开始直面应该称之为“根源恶”的事实,开始意识到人类邪恶的一面。

所以对于这次事件,全是一些歇斯底里的反应或像奥姆抹杀论那样的极端幼稚的论调。

如果换一种说法,也可以说日本人至今都是非常幸福的。

如果他们今后也怀有那样的人生观生活下去的话,也未必是件坏事。

甚而如果这种乐观的思维方式如果可以成为世界的一种思维方式的话,也许全世界都会和平。

但这是不可能的却也是一种现实。

野薔薇
小川未明
大きな国と、それよりすこし小さな国とが、となり合っていました。

当時、その二つの国の間には、何事も起こらず、平和でありました。

ここは、都から国境であります。

そこには、両方の国から、ただ一人ずつの兵隊が派遣されて、国境を定めた石碑を守っていました。

大きな国の兵士は、老人でありました。

そうして、小さな国の兵士は青年でありました。

二人は、石碑の建っている右と左に、番をしていました。

いたってさびしい山でありました。

そして、まれにしか、その辺を旅する人影は、見られなかったのです。

初め、たがいに顔を知り合わない間は、二人は、敵か味方かというような感じがして、ろくろくものも言いませんでしたけれど、いつしか二人は、仲良しになってしまいました。

二人は、ほかに話をする相手もなく、たいくつであったからであります。

そして、春の日は長く、うららかに頭の上に照りかがやいているからでありました。

ちょうど国境の所には、だれが植えたということもなく、一株の野薔薇が茂っていました。

その花には、朝早くからみつばちが飛んできて集まっていました。

その速い羽音が、まだ二人のねむっているうちから、夢心地に耳に聞こえました。

『どれ、もう起きようか。

あんなに蜜蜂がきている。

』と、二人は、申し合わせたように起きました。

そして、外へでると、果して、太陽は、木の梢の上に元気よくかがやいていました。

二人は、岩間から湧き出る清水で口をすすぎ、顔をあらいにまいりますと、顔を合わせました。

『やあ、おはよう。

いい天気でございますな。


『本当にいい天気です。

天気がいいと、気持ちが清々します。


二人は、そこで、こんな立ち話をしました。

互いに頭をあげて、辺りの景色をながめました。

毎日見ている景色でも、新しい感じを、見るたびに心にあたえるものです。

青年は、最初、将棋の歩み方をしりませんでした。

けれど、老人についてそれを教わりましてから、このごろは、のどかな昼ごろには、二人は、毎日向かい合って、将棋を指していました。

初めのうちは、老人のほうがずっと強くて、こまを落として指していましたが、しまいには、当たり前に指して、老人が負かされることもありました。

この青年も老人も、いたっていい人々でありました。

二人とも正直で、親切でありました。

二人は、一生懸命で将棋盤の上で争っても、心は打ち解けていました。

『やあ、これはおれの負けかいな。

こう逃げ続けては、苦しくてかなわない。

本当の戦争だったら、どんなだかしれん。

』と、老人は言って、大きな口を開けてわらいました。

青年はまた、勝ち味があるので、うれしそうな顔つきをして、一生懸命に目をかがやかしながら、相手の王様を追っていました。

小鳥は、梢の上でおもしろそうに歌っていました。

白い薔薇の花からは、よいかおりを送ってきました。

冬は、やはりその国にもあったのです。

寒くなると、老人は、南の方をこいしがりました。

その方には、せがれや孫が住んでいました。

『早く、ひまをもらって帰りたいものだ。

』と、老人は言いました。

『あなたがお帰りになれば、知らぬ人がかわりに来るでしょう。

やはり親切なやさしい人ならいいが、敵、味方というような考えを持った人だとこまります。

どうか、もうしばらくいてください。

そのうちには、春がきます。

』と、青年は言いました。

やがて、冬が去って、また春となりました。

ちょうどそのころ、この二つの国は、何かの利益問題から戦争を始めました。

そうしますと、これまで、毎日なかむつまじくくらしていた二人は、敵、味方の間がらになったのです。

それが、いかにも不思議なことに思われました。

『さあ、お前さんとわたしは、今日からかたきどうしになったのだ。

わたしは、こんなに老いぼれていても少佐だから、わたしの首を持っていけば、あなたは出世ができる。

だから、殺してください。

』老人は言いました。

これを聞くと、青年はあきれた顔をして、『何を言われますか。

どうして、わたしとあなたとが敵どうしでしょう。

わたしの敵は、ほかになければなりません。

戦争は、ずっと北の方で開かれています。

わたしは、そこへ行って戦います。

』と、青年は言い残して、去ってしまいました。

国境には、ただ一人、老人だけが残されました。

青年のいなくなった日から、老人は、呆然として日を送りました。

野薔薇の花がさいて、蜜蜂は、日が上がってからくれるまで群がっています。

今、戦争はずっと遠くでしているので、たとえ耳をすましても、空をながめても、鉄砲の音も聞こえなければ、黒いけむりのかげすらみられなかったのであります。

老人は、その日から、青年の身の上を案じていました。

日はこうして経ちました。

ある日のこと、そこを旅人が通りました。

老人は、戦争について、どうなったかとたずねました。

すると。

旅人は、小さな国が負けて、その国の兵士はみな殺しになって、戦争は終わったということを告げました。

老人は、そんなら青年も死んだのではないかと思いました。

そんなことを気にかけながら、石碑の礎にこしをかけてうつむいていますと、いつかしらず、うとうとと居眠りをしました。

かなたから、大勢の人の来る気配がしました。

見ると。

一列の軍隊でありました。

その軍体はきわめて静粛で、声一つ立てません。

やがて、老人の前を通るときに、青年は、黙礼をして、薔薇の花をかいだのでありました。

老人は、何かものを言おうとすると、目が覚めました。

それは、全く夢であったのです。

それから一月ばかりしますと、野薔薇がかれてしまいました。

その年の秋、老人は、南の方へひまをもらって帰りました。

言葉の解説
番をする/ 見張りをする
ろくろくものも言いません/ まともなものも言いません。

十分にお話もしません。

当たり前に指す/ こまを落さないで指す
どんなだかしれん/ どんな様子だか知れません
青年の身の上を案じていました/ 青年の運命を心配していました
かの青年でありました/ あの青年でありました
手引き
1 二人の心の結び付きがよく表れているところを、ぬきだしてみましょう
2 野薔薇がかれたことから、どんなことが想像されますか。

また『野薔薇』という題がなぜ付けられたのか、考えてみましょう。

3 二人の兵士が仲良になった理由はどのように書かれているでしょうか。

その理由を、さらにほり下げて考えてみましょう
读解译文
野蔷薇
[小川未明]
一个大国和一个比其小的国家接壤相邻。

当时,两国之间无任何纠纷,和平相处。

这是一处远离首都的边境所在。

在这里,两国都只派遣一个士兵守护着国境线上的界碑。

大国的士兵是一位老者,小国的士兵则是一位青年。

二人在界碑的一左一右值班。

此处是一个十分寂寞的深山,很少能见到游客的身影。

最初,当两个人还不认识时都有一种敌我双方的感觉,很少跟对方讲话,可是不知何时,两个人却成了好朋友。

这是由于除两个人外再没有任何说话的伙伴,同时也是由于春天的太阳长时间地暖洋洋的照在头上的缘故。

正好在国境线处,自然的生长着一株茂密的野蔷薇。

蜜蜂一大早就飞来聚集到蔷薇花上(采蜜)。

蜜蜂那悦耳的振翅声,当两个人还在睡梦中就传入了耳底。

于是,
两个人就会不约而同的说道:“啊,该起床了。

蜜蜂都来这么多了。

”起床后来到外边一看,果然太阳已经照在了树梢上。

当两个人准备用岩石缝里涌出的泉水漱口洗脸时就碰了面。

于是两个人就会站在那里交谈几句:“啊,早上好,今天真实个好天啊。

”“的确是个好天啊。

天气一好,心情也格外舒畅。


说完,两个人还会抬头眺望四周的景色。

虽然是每天都见惯了的景色,可是每看一次都会给你一种新的感受。

那位青年最初不会下象棋,可是在跟老者学了一段时间之后,近来两个人便可在和暖的中午时分每天对坐而弈。

最初,老者棋艺高超,下棋时要让子给青年,可是到了后来,两个人就可以平下,有时青年甚至还能让老者输上几盘。

这位青年和老者都是十分好的人,两个人既正值又热诚,虽然两个人在棋盘上互不相让,可是内心深处却十分融洽。

“哎呀,这次又是我输了。

这么逃来逃去真是难受死了。

要是真的战争,真不知会是什么样子?”
老者说着又张开大嘴笑了起来。

青年由于又有了取胜的希望,因此他一副笑逐颜开的样子,两眼泛着兴奋的光彩拼命的追杀着对方的老帅。

小鸟在枝头快乐的歌唱,白色的蔷薇花送来了诱人的芳香。

这个国家仍然也有冬季。

天一冷起来,老者便开始怀念起南方,那里住着他的儿子和孙子。

老者说:“真想请个假早点回去。

”于是青年人则回答说:“如果您回去了,就会来一个不认识的人吧。

如果同样是一位和蔼可亲的人还算罢了,要是一个持有敌我意识的人就难办了。

请您无论如何再坚持一阵子。

不久,春天就会来的。


不久,冬去春来。

正在这时,两国之间由于某种利益问题爆发了战争。

这样一来,每天和睦相处的两人(一下子)便成了敌我关系。

这的确令人感到费解。

“今天起你和我就成了敌对关系。

我虽然已经这么老了,总还是个少佐,把我的人头拿去的话,你就可以出人头地了。

所以,你把我杀了吧!”
老者如是说道。

听了这些话,青年大吃一惊。

“您怎么能这么讲。

为什么我和您是敌对关系呢?我的敌人必须是其他人。

战争
正在大北方进行,我到那儿打仗去。


青年留下了这句话便离开了。

国境线上只留下了老者一个人。

当青年人不在的日子里,老者便茫然度日了。

野蔷薇开了,蜜蜂从早到晚聚集在花丛上。

目前,战争在很远的地方进行,因此侧耳倾听或是遥望天空,既听不到枪炮声,也看不见硝烟。

老者从青年离开的那天起便担心着青年的命运,日子便这样过了下来。

一天,一位游人从此经过。

老者便向其询问战争的进展如何。

于是,那位游人告诉他,小国被打败了,该国的士兵都被杀死了,战争(已经)结束了。

老者想,那样的话,青年也肯定死去了吧。

当他心里想着这件事,坐在界碑的石基上低头沉思时,不知什么时候便迷迷糊糊的打了个盹儿——他觉得从远处好像来了很多人。

仔细一看是一队士兵。

并且骑马指挥这些士兵的便是那位青年。

这队士兵非常肃静,不发一丝声响。

过了一会儿,当青年通过老者面前时,向他默默的敬了个礼,并嗅了嗅蔷薇的花香。

当老者想要说什么时,就醒了。

这原来是一个梦。

打那之后,仅过了一个月,野蔷薇便枯萎了。

那年秋天,老人请假回到了南方。

同じ一つの事柄でも、表現のしかたで大いに印象が異なってくる。

学生たちに、「私たちの人生はたかだか100年、短いものだ」と言っても同意の反応はない。

100は小さい数だが、「年」は長いと感じているから、100年は短くないのだ。

しかし、「私たちの人生はたかだか30億秒、短いものだ」と言い換えると「おや!そうだなあ」という顔つきになる。

目の前を刻々と流れる「秒」という時間は極めて短いから、30秒という大きな数でも相殺できないからだろう。

(中略)
どんな話題でも、数字を挙げると正確そうに見えるが、その数と単位の組み合わせによって、わかりやすくも、わかりにくくもなる。

その使い分けに十分注意する必要がある。

数字が出された根処とともに、数の単位に注意しておかないとごまかされることがあるからだ。

実感を伴わない巨大な数か、いかにも大したことがなさそうな小さな数字で煙に巻いてしまう手口が、よく使われている。

交通事故数を例にとってみよう。

日本では、1年で約1万人が交通事故で亡くなっている。

好調阪神で満員になった甲子園の観客5人に1人が(つまり、あなたの前後左右の誰かが、いやあなた自身かもしれない)1年のうちに亡くなり、5年で観客がゼロになるくらいの多い数である。

しかし、1日にするとほぼ30
人で、それを1つの都市にするとゼロか1人だから、「今日の交通事故数」が警察署前に掲示されても人々は大きな数とは思わない。

つまり、あの掲示は、交通事故の恐ろしさを伝えているのではない、逆に交通事故は少ないのだと安心させており、かえって事故を増やす効果になっていると言えるだろう。

去年、戦後の交通事故の死者総数が50万人を超えたという報道があった。

日本は、事故から24時間以内の死者しかこの総計に入れないが、国際的に主流となっている30日以内の死者数とすると60万人を超えるだろう。

この数は静岡市や新潟市のような地方中核都市の人口に匹敵し、それだけの数の人々がすべて交通事故で姿を消してしまったことを意味する。

このように積分すると「交通戦争」という言葉が実感できる。

警察署の前には、せめてこの累積死者数が掲示されてしかるべきだと思う。

クルマ社会の異常さを感じている私だから交通事故数を話題にしたのだが、このような数字のトリックはどこにでもころがっている。

なぜそのような数字としては発表してのかを考え、発表者の意図を見抜くことが大事だと思う。

問1「大いに印象が異なってくる」とあるが、たとえばどのように異なるのか。

1)100年と30億秒は同じ長さなのに、30億秒と言うと長く感じる。

2)100年と30億秒は同じ長かなのに、30億秒と言うと短く感じる。

3)100年と30億秒は異なる長かなので、30億秒と言うと長く感じる。

4)100年と30億秒は異なる長さなので、30億秒と言うと短く感じる。

問2「いかにも大したことがなさそうな小さな数字」の例は、次のどれか。

1)一年間に交通事故で死亡した人の数。

2)甲子園に野球を見に来た観客の数。

3)自分か自分のとなりにいる人が死ね確率。

4)警察署の前にある「今日の交通事故数」。

問3「あの掲示」とあるが、それにはどのような問題があると筆者は考えているのか。

1)警察署がある地域では交通事故が少ないから、心配しなくてもよさそうだと思わせていること。

2)掲示されている交通事故の数があまりにも大きいので、かえってその現実が実感で。

きないこと。

3)掲示は交通事故が少ないという印象を与え、事故を減らす効果を上げていないと思われること。

4)交通事故の恐ろしさよりむしろ、自分が事故にあわなかったという安心感を与えてしまうこと。

問4「このような数字のトリック」とあるが、どのようなごまかしか。

1)人生の長さを述べてから交通事故の問題に論を展開すること。

2)部分的な数字だけを見せて、全体の数をわかりにくくすること。

3)野球の観客数を使って、交通事故の死者数を説明すること。

4)国内の数字だけ見せて、国際的に比較した数字を見せないこと。

問5 交通事故の死者数の示し方について、筆者はどうすれば最もよいと考えているか。

1)警察署の前に掲示してある交通事故数には真実を書いた方がよい。

2)警察署の前の交通事故数は役に立っていないので掲示しない方がよい。

3)警察署の前には戦後の交通事故による死者数の合計を出した方がよい。

4)警察署の前の交通事故数には、事故から30日以内の死者数を出す方がよい。

問6 戦後の日本の交通事故による死者数について、筆者はどのように感じているのか。

1)「戦争」と言ってもいいほど死者が多い。

2)一都市では1日ゼロか1人だから、少ない。

3)50万人では多くないが、60万人は多い。

4)国際的に比べても、人口の割りには少ない。

問7 筆者は数字を使った説明について、どのように考えているか。

1)数字を使った説明にはごまかされやすいので、信用してはならない。

2)数字は単位によって受け取り方が異なるので、説明には使わない方がよい。

3)たとえ正確にみえる数字でも、それの持つ意味を注意深く読みとるべきである。

4)けいさつが発表した数字でも、ごまかしもあるので、資料としては使わない方がよい。

問題2 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。

答えは、1、2、3、4から最も適当なものを一つ選びなさい。

変わった趣味をいくつももっている人に会ったので、いろいろ質問して教えられたことがある。

ある単調な趣味について、そんなことが面白いのですか、と聞くと「何でもそうだが、一生懸命やれば面白い」という答えだったのて感心した。

この人は趣味についてよくわかっている人だと思ったのだが、それは、趣味のみならず仕事でも同じであり、結局、人生全体についても同じなのだろうと思う。

何か面白い趣味はないかという人がいるが、一生懸命やらないのなら趣味はみんなくだらなくてつまらないのにちがいない。

ゴルフでも、碁でも、釣りでも、テニスでも、何でもそうだが、下手でも一生懸命やる人と一緒になったときは、気持がよいのはだれしも経験があるところである。

ボヤイたり、批評したりしながらやるのでは、本当の面白さはその人から逃げていってしまう。

面白さや幸福は自分の内部から湧いてくるものであって、外部に存在するものではないからである。

(中略)
そういう点からいうと、仲間の目をいつも意識している日本人は、なかなか一つのことに熱中できない。

周囲から何かいわれるのが恐いので、それへのいいわけを考えたり、逃げ道をあらかじめ作ったりするので、熱中する幸福は知らないまま一生を終わってしまうのが普通になっている。

それだけならまだよいが、時には他人にも同じことを要求して何かに熱中している人がいると、いろいろそのアラ探しをする。

アラとして出る理由は、仲間への交際が粗略になっているというのがいつも第一で、仕事をしていないのではないかというのが第二である。

そういう空気のなかで生活すると、人はだれでも知らずなうちに、
(1)弱者演出
(2)被害者演出
(3)不器用演出
をいつも心がけるようになる。

日本人社会で暮らすのに忘れてはならない三種の神器はこれで、人と話をするときは「私なんかグノですよ」とか、「いつもいいようにやられてばっかり」とか、「失敗ばかりでそんな余裕はありません」とかを必ず三分間に一回ぐらいはいわないとうまくいかない。

栄進のお祝いをいわれたときでも「三流社会ですから部長になったといっても実態はヒラと同じですよ」とか、「ムリヤリ引っぱり出されて委員になっただけで、五里霧中です」とかの返事をしないといけないことになっている。

これはもう礼儀の一種であり、たくさんの人が反復使用するので磨きぬかれて、ほとんど芸術作品になったようないいまわし方ろある。

これは、対人関係円滑化の技術としては確かに有効だし、アメリカ人でもときどきはそういう会話そする。

しかし決してホンキでそう思っているのでないところは、日本人として学ばねばならない。

多くの日本人は演出を重ねているうちに、それが本当の自分になってしまっている。

問1「人生全体についても同じなのだろう」とあるが、ここで筆者の言いたいことは何か。

1)この人は趣味をたくさんもっているから人生を楽しんでいることだろう。

2)一生懸命やれば何でも面白いということは人生についても言えるだろう。

3)この人は変わった趣味をもっているから生き方も変わった人なのだろう。

4)人生についてもこの人から教えてもえば面白くなることがあるだろう。

問2「本当の面白さ」とあるが、趣味の「本当の面白さ」について筆者がどう考えているか。

1)趣味というのは、熱心にやればやるほど本当に面白くなるものだ。

2)趣味を本当に面白く感じるのは、上手な人といっしょにやるときだ。

3)他人から勧められてやり始めた趣味は本当に面白くなることはない。

4)趣味というのは、批評しながらやらなければ本当の面白さがわからない。

問3「他人にも同じことを要求して」とあるが、どのようなことを要求するのか。

1)趣味でも仕事でも一生懸命にやること。

2)周囲の幸福そうな人のアラ探しをすること。

3)何かに熱中したりしないようにすること。

4)現在の趣味の面白さについて話すこと。

問4「そういう空気」とあるが、どのような空気か。

1)弱い人を周囲の人が助けてあげるような空気。

2)仲間とな交際をいいかげんにするような空気。

3)熱心に仕事をしない人が批評されるような空気。

4)何かに熱中している人が嫌がられるような空気。

問5「弱者演出」とあるが、どのように振す舞うことか。

1)自分の弱いところや欠点を人に隠そうとすること。

2)人の欠点を探し出してそれを他の人に伝えること。

3)体が弱いことが人にもわかるように工夫すること。

4)自分が弱くてだめな人間だというふりをすること。

問6「これ」とあるが、何を指しているか。

1)芸術的な美しい言葉を使うこと。

2)けんそんする言葉を口にすること。

3)お祝いを言われたら礼を言うこと。

4)自分の欠点を隠すようにすること。

問7 筆者がこの文章で最も言いたいのはどのようなことか。

1)対人関係を円滑にする言葉は有効なものであり、日本人は自信を持って使うべきだ。

2)弱くてやられてばかりいる不器用な人の方が、日本人の社会では暮らしやすい。

3)人目を気にしてだめな自分を演じるより、何かに熱中して生きる方が人生は面白い。

4)仲間との交際や仕事をしっかりやっていれば、人にアラ探しされないで幸せになれる。

問題3 次の(1)から(5)の文章を読んで、それぞれの問いに対する答えとして最も適当なものを1、2、3、4から一つ選びなさい。

(1)アメリカのコラムニスト、ボブグリーンは、結婚後かなりたってから始めて父親となりました。

彼はほとんど一昼夜にわたった難産にずっと立ち合ったあと、「この24時間で自分がまったく別の人間になったみたいだ」と記しています。

グリーンが「別人のよう」になったという変化は、どのようなものなのでしょうか。

グリーンは長い出産への立ち合いを終いて病院から帰宅する道で、乳母車を押して歩いている女性に出合い、「お子さんはおいくつですか。

」と尋ね、「15カ月になります」とその女性と親しく会話を交わしたことを述べ、これまで見ず知らずの女性に声をかけたり、子どものことを進んで話題にしたことなどなかった、それを思わずそうしていた自分をかえりみて、「こんなことははじめてだ!」と自らの変化に驚いてこのエピソードをしめくくっています。

【問い】「自らの変化に驚いて」とあるが、具体的にどのような変化に驚いたのか。

1)出産を経験した妻に対してやさしい態度になったこと。

2)自分の子どもが一番かわいいと思うようになったこと。

3)他人の子どもに対しても関心を持つようになったこと。

4)知らない人にも自分の子どもを自慢したくなったこと。

(2)「おじさん、いい年しているのに案内、気がおけないわネ」
ある初老の紳士、若あい女性にそう言われて、年甲斐もなく、いい気になっていたら、若い世代の間では、気のおけない、が気を許せない、危険な、という意味だと知って、がく然とし、がっくりきたという、ウソのような本当の話がある。

遠慮のいらない、の意味の気のおけないに、安心のならない、という新しい用法が発生したことをはじめて報告したのは、見坊秀紀氏である。

私はもちろん、それを読んで知っていたが、まだ、それはごく一部の俗語であろうと思っていた。

まさか、胸をはって、こちらの方が正しいのだ、と主張する人が出てこようとは夢にも思っていなかった。

【問い】「こちらの方が正しい」とあるが、「こちら」とは何か。

1)「気のおけない」は「気を許せない」という意味であること。

2)「気のおけない」は「遠慮のいらない」という意味であること。

3)「気のおけない」は「いい気になる」という意味であること。

4)「気のおけない」は「がっくりくる」という意味であること。

(3)「新電池の基本性能が確認でき、実用化のメドが立ちました」----(中略)
この電池は人工衛星の姿勢制御などに使っている一種のこまのようなもので、半経20センチほどの円筒形。

高速で回転運動することによってエネルギーを蓄え、必要な時あに電気エネルギーとして放出する。

従来の電池が化学反応で電気エネルギーを放出していたのとは仕組みが根本的に異なり、「物理電池」と呼ばれる。

電池は携帯電話から宇宙船まで、産業の動力源として応用範囲が極めて広い。

しかも、最近は地球環境保護の視点からも猛烈な勢いで開発戦争が進んでいる。

【問い】「物理電池」と呼ばれるのはなぜか。

1)化学反応をおこして電気エネルギーをつくりだすから。

2)回転エネルギーを電気エネルギーに変えて使えるから。

3)姿勢を制御させるためにこまのような形に作ったから。

4)半経20センチほどの円筒形の物体を動力源とするから。

(4)辞書は、言葉の学習になくてはならないものである。

自らの言葉であっても、外国語であっても、辞書を引いた経験のない者はいまい。

辞書には使用されている言葉のあるがままの姿が載せられていると同時に、言葉の使用を規制する働きもある。

つまり、「辞書に載っていない使い方は正しくない」とか「使ってはならない」という考え方である。

しかし、実際問題として、辞書に言語活動の表現すべてを記述することは不可能である。

辞書を活用することは大切だが、辞書に書いてあることを重視するあまり、言葉の自由な使用が規制される方向に向かうことは、好ましいことではない。

【問い】この文章の内容とあっているものはどれか。

1)辞書を引いた経験がない者まいるが、辞書は多くの人に使われていて特に外国語の学習には必要なものである。

2)辞書には言葉の使用を規制する働きもあるから、辞書に載っている使い方から外れないようにした方がよい。

3)辞書には言語の表現すべてが載っているわけではないから、むしろ辞書にない自由な表現を求めるのがない。

4)辞書に書いてあることを必要以上に重視して、辞書に載っていない使い方を規制しすぎることは望ましくない。

(5)日本では、2001年4月から、「家電リサイクル法」という法律が実施される。

これはゴミを減らすために、家庭で不用になった家電の処理方法について決めたものである。

この法律では、メーカーは販売店などを通じて集められたテレビ、エアロン、冷蔵庫、洗濯機の4種類の家電から鉄、銅、アルミ、ガラスなどを回収し、再び原材料や部品として利用することが義務つけられている。

同時に、それぞれの製品について重量の何%ぐらいを再利用しなければならないかというリサイクル率の目標も表のように決められている。

表からわかるように、リサイクル率の目標はあまり高くない。

その原因は、家電製品に多く使われているプラスチックがリダイクル法の対象外になったためといわれている。

図のとおり、プラスチックが製品の重量のおよそ3分の1以上を占める(A)と(B)は、リサイクル率の目標が50%となっている。

特に(B)は4種類の家電製品の中でプラスチックの使われている割合が最も高い。

それに対して、再利用しやすいガラスが全重量の半分以上を占めている(C)は、上記の2種類に比べ、リサイクル率の目標が少し高くなっている。

また、(D)の目標の数字が最も高くなっているのは、再利用の方法が決まっている金属類が多く使われているからである。

表製品ごとのリサイクル率の目標
製品名リサイクル率
エアコン60%
テレビ55%
冷蔵庫50%
洗濯機50%
【問1】家電リサイクル法によってメーカーがしなければならないことは何か。

1)4種類の家電から指定された原材料を回収して再利用すること。

2)4種類の家電に使われている金属類の50--60%を再利用すること。

3)4種類の家電は、再利用できる原材料だけを使って製造すること。

4)4種類の家電に使われているプラスチックを回収して再利用すること。

【問2】文中の(A)(B)(C)(D)に入る製品の組み合わせはどれか。

1)A:冷蔵庫 B:洗濯機 C:テレビ D:エアコン
2)A:冷蔵庫 B:洗濯機 C:エアコン D:テレビ
3)A:洗濯機 B:冷蔵庫 C:テレビ D:エアコン
4)A:洗濯機 B:冷蔵庫 C:エアコン D:テレビ
死体ははたしてだれのものか。

自分のものだとしても、死んだ後では、所有権を実際に自分で主張することはできない。

法的には、そこはどうなっているのか.それを私は、実は知らないのである。

職業柄、年中扱っている「もの」の、所有権が不明である。

そんなことで、よく仕事が勤まる。

そう怒られそうだが、無論常識的には、死体は、遺族のものである。

しかし、ちょっとご想像いただくと分かるはずだが、遺族というのは、しばしば単数ではない。

遺産相続の場合なら、子供にはすべて、平等の権利がある
はずであるか。

そんな議論は、聞いたこともない。

こういう議論自体が不謹慎だ.ひょっとすると、そうお考えになる方があるのではないか。

もしそうなら、私としては、たいへん我が意を得たことになる。

不謹慎であるとか、世の中乱れるとか、人心に与える影響を恐れる。

こういった、かならずしも明確に定義できない常識が、死体にかかわる多くの問題の背景となっているからである。

こうした常識を考え、それと戦うことは?決して容易ではない?私は死体を扱うのが仕事だから?そうはいっても、それを考えざるをえない。

したいをめぐって、しばしばトラブルが生じるからである。

こうした漠然とした常識.それの背景をしるためには、じつは日本の文化そのものを追究せざるを得ない.私の仕事は、いつの間にか、そういう方向を向かいてしまった。

遺族だって、決して明瞭ではない。

しばしば複数の遺族が出現することがあるからである.東京に住んでいる遺族が親の解剖を承諾したが、田舎から出てきた遺族がそれに反対する.こういう例も多い。

すでに解剖が始まっているときに、「私は解剖するとは聞いてなかった、実は反対だ」という親族が現れる.これは、われわれがいちばん困惑するケースである。

事前に十分に調べろといったって、よその家族の事情だから、それは困難である.解剖を承諾しますといっていただくだけで、当方としてたいへん感謝している。

そこを押して、「お疑いするようでもうしわけないが、もしかしたら、田舎のご親族で、解剖に反対の方がおられませんか」。

そんなことを、きけるはずがないではないか。

遺族に私が殴られたりするのは、こうしたケースである.仕事の上だから、別にどうということはないが、250年の歴史を持つ解剖ですら、この国では、必ずしもきちんとした市民権を得ていないことが、よくわかる。

注1遺族:死んだ人の家族や親類
注2遺産:死んだ人が残した財産
問い1文中の1~7の問いに対する最も適当な答えはどれか.1,2,3,4から一つ選びなさい。

1、「自分」とはだれか。

1)死んだ人
2)死んだ人の親
3)死んだ人の子供
4)解剖する医者
2、「もの」とは何か。

1)法律2)権利3)死体4)職業
3、「怒られそうだが」とあるが、だれが怒られるのか。

1)死体2)筆者3)遺族4)子供
4、「そんな議論」とは、何についての議論か。

1)死体を分けること
2)子供を分けること
3)遺族を分けること
4)家族を分けること
5、「それ」に含まれる内容として適当なものは、次のどれか。

1)明確に定義できない常識
2)自分の仕事のやり方
3)死体をめぐるトラブル
4)死ぬことの意味
6、「こうしたケース」とは、どんな場合か。

1)解剖を承諾した遺族に、感謝の言葉を言わなかったような場合2)解剖が始まってから、解剖に反対の遺族が現れるような場合
3)「田舎のご親族で、解剖に反対の方がおられませんか」と聞いた場合
4)遺族全員が解剖に反対している場合
「必ずしもきちんとした市民権を得ていないことが、よくわかる」とあるが、7、
文章中の何によって、それが「よくわかる」のか。

1)いぞくがしばしばたんすうでないこと
2)常識と日本文化には関係があること
3)遺族の意見を十分に調べるのが無理なこと
4)遺族に筆者が殴られたりすること
問い2この筆者の職業として、最も可能性の高いものは何か。

1)作家2)弁護士3)日本文化研究家4)医者
問い3最近筆者は主にどんなことに関心を持っていると考えられるか。

1)死ぬ権利をめぐるさまざまな議論
2)遺産相続に関する常識
3)死体にかかわる常識の文化的背景
4)解剖技術の発展の歴史
問題2次の文章を読んで、後の問いに答えなさい.答えは、1,2,3,4から最も適当なものを一つ選びなさい
私の知っている寿司屋の若い主人は、なくなった彼の父親を、いまだに尊敬している.死んだ肉親のことは多くの場合、美化されるのが普通だから、彼の父親追憶もそれではないかと聞いていたが、そのうち考えが変わっていた。

高校を出たときから彼は父親にすしの握り方、飯の炊き方ーー寿司屋になるすべてを習った.父親は彼の飯の炊き方が下手だとそれをひっくりかえすぐらい厳しかったが、何といっても腕に差があるから文句は言えない。

だがある日、
たまりかねて「なぜぼくだけに辛く当たるんだ」ときくと、「おれの子供だから辛く当たるんだ」と言い返されたという。

父親が死に、一人前になって店をついで見ると、その辛く当たられた技術が役に立ち、なるほど、なるほどと彼は分かったそうである。

私はこの若い主人の話を聞くたびに羨ましいと心の底から思う。

そこにはわれわれがある意味で理想とする父親と子供の関係があるからである。

子供はその時、技術だけではなく父親の生き方も学んでいく.自分の作る寿司に妥協しない父親、飯の炊き方一つにも誠意を持ってやる父親の生き方を技術と同時に習っていく。

それが本来、父親というものだ。

私がこの若主人を羨ましいと思ったのは、私には、自分の息子にそのような技術が教えられぬからだ。

私は小説家だが、息子は別の道に進むに違いない.私が今日まで習得した小説を書く技術を彼に教えることはできない.今の多くの父親も私と同じ酔うな悲しみをこどもにもっているにちがいない。

自分が習得した技術を子供に教えられぬ悲しみ、あるいは教えるべき技術を持たない悲しみが心のどこかにあるに違いない.そして子供にとっても父親はそれによって、自分が将来を生きる知恵を伝えてくれる師ではなく、ただけむったい存在か、友人のようなパパにすぎないのであろう。

せめてそれなら子供に自分の趣味を吹き込もう.ツリノ好きな父親は子供にツリを、レコードの好きな父親は子供にクラシックを、薔薇作りの好きな父親は花の作り方を子供に教えようと私は思うことがあるが。

問い11「それ」が指す内容として最も適当なものはどれか。

1)死んだ肉親の追憶
2)死んだ肉親の美化
3)死んだ肉親への尊敬
4)死んだ肉親厳しさ
問い22「そのうち考えが変わってきた」のは、だれの考えか
1)筆者
2)寿司屋の若主人。

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