近世文学

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③草双紙(くさぞうし)
江戸では延宝(えんぽう)(1673-1681)のころか ら子供や婦人向けに仮名入り絵本が出ていた。 表紙の色で赤本(あかほん)・黒本(くろほん)・青本 (あおほん)・黄表紙(きびょうし)などと呼ばれ、合 巻(ごうかん)とともに草双紙と呼ばれた。黄表紙 は恋川春町(こいかわはるまち)の『金々先生栄華 夢(きんぎんせんせいえいがのゆめ)』以来、大人 向きのものとなった。そのあと山東京伝(さんとう きょうでん)などが活躍している。
6、道路が整備され、貨幣が流通→商業が 発展→町人が経済的実権を握る→町人 階級の登場 7、印刷術の発達→書籍の大量出版→町 人階級も文学を楽しめる→読者から創作 へと発展→町人階級文学の誕生 8、商品経済・貨幣経済の発達→年貢米徴 収(ねんぐまいちょうしゅう)による幕府封 建制度に衝撃→武士階級が没落→町人 階級の台頭→封建制度が崩壊→明治維 新を迎える
黄表紙(きびょうし)・合巻(ごうかん):
黄表紙は大人向きの草双紙で、江戸の町 人が好む滑稽(こっけい)・風刺(ふうし)を中 心に書かれている。合巻(ごうかん)は黄表 紙(きびょうし)を何冊か合わせたもので、明 治になっても出版された。代表作に柳亭種 彦(りゅうていたねひこ)の『偐紫田舎源氏(に せむらさきいなかげんじ)』がある。
②国学
十七世紀後半、歌学の研究に伴い、国学が興(お こ)った。国学とは漢学に対するもので、日本の古 代のことばや精神を明らかにすることを目的とし た。『万葉集』を研究した契沖(けいちゅう)は『万 葉代匠記(まんようだいしょうき)』を著して、上古 研究の基礎を築いた。 四大国学者:荷田春満(かだのあずままろ) ・賀茂 真淵(かものまぶち) ・本居宣長(もとおりのりな が)・平田篤胤(ひらたあつたね)
通常、近世文学は上方(かみがた)文学期と江
戸(えど)文学期に分けられる。 上方文学:元禄時代(1688~1704)、上方を中 心に行なわれた文学を言う。近世文学の全盛 期(ぜんせいき)とも言われる。 江戸文学:江戸町人の興起(こうき)により、文 芸の中心が江戸に移され、文化(ぶんか)・文政 (ぶんせい)時代を頂点(ちょうてん)とした時期の 文学を江戸文学と言う。大部分の江戸文学は 享楽的(きょうらくてき)・逃避的(とうひてき)な傾 向があって通俗的(つうぞくてき)である。
近世文学の为な文学様式:詩歌、小説、劇文
学 1、詩歌文学 ①和歌 中世末から硬直化(こうちょくか)した和歌は、近世 に入っても因襲的(いんしゅうてき)に続いていた。 武将である細川幽斎(ほそかわゆうさい)が伝統 的な二条派の中心として活躍。十七世紀後半に、 戸田茂睡(とだもすい)は歌論書『梨本集(なしもと しゅう)』を持って、和歌革新を目指す。
浮世草子(うきよぞうし) 元禄(げんろく)のころから約百年間、上方 (関西)を中心に浮世草子が出版された。し だいに経済的な力を得てきた町人階級(ちょ うにんかいきゅう)によって作られた文学で ある。封建社会の中で縛(しば)られていた 町人は、現実的な快楽を求めた。浮世草子 はその町人の世態(せたい)・風俗(ふうぞく) を写実的に描いている。
近世文学
時代区分:
1603年(慶長8)の江戸幕府の創設から 1867年(慶応3)の大政奉還(たいせいほ うかん)までの約270年間を近世(きんせ い)という。政治・経済の中心が江戸に あったため江戸時代と呼ばれたり、徳川 氏(とくがわし)が政権を握っていたため 徳川時代とも呼ばれたりする。
時代背景:
③俳諧
中世の俳諧連歌(はいかいれんが)は、連歌 会の余興(よきょう)として楽しまれたもので あった。松永貞徳(まつながていとく)が力を 注いで世に広めた。この派を貞門派(ていも んは)と呼び、格式を重んじた。それに対し て、自由奔放な西山宗因(にしやまそういん) の談林派(だんりんは)が出、門下では井原 西鶴(いはらさいかく)が活躍した。
赤本(あかほん)・黒本(くろほん)・青本(あ
おほん): 赤本は子供婦人向きであるが、黒本・青本 はもう少し読書力(どくしょりょく)のある者を 対象にしている。赤本には『桃太郎』『かち かち山』『さるかに合戦』『花咲爺(はなさきじ じい)』『文福茶釜(ぶんぶくちゃがま)』『舌切 雀(したぎりすずめ)』『酒呑童子(しゅてんど うじ)』などがある。
1、江戸幕府→中央集権制→太平の時代 2、幕府は大名(幕府直属の武士)を全国各地に 配置して、それぞれのい領内を治めさせた。 3、身分制度→士農工商→治安に務める 4、儒教による文治政策→寺子屋(庶民の教育機 関)が普及 5、鎖国政策(1639~1854)を実施→キリスト教 や外国勢力の流入を恐れ、海外交通の統制を図 る目的→朝鮮・中国・オランダを除外した諸国
賀茂真淵(かものまぶち)は万葉調の歌をめざし、
門下に田安宗武(たやすむねたけ)・楫取魚彦 (かとりなひこ)らの万葉調歌人や、加藤千蔭(か とうちかげ)・村田春海(むらたはるみ)らの古今 調歌人が出た。 幕末になると、京都に香川景樹(かがわかげき) が出て、『桂園一枝(けいえんいっし)』を著して いる。その一門を桂園派(けいえんは)といい、 門下に熊谷直好(くまがいなおよし)・木下幸文 (きのしたたかぶみ)らがいる。この派とは別に、 越後(えちご)の良寛(りょうかん)・備前(びぜん) の平賀元義(ひらがもとよし)らが活躍した。


⑤洒落本(しゃれぼん)・人情本(にんじょうぼん)・滑稽 本(こっけいぼん)
十八世紀後半には、遊里を洒落と「通」の精神で描く洒落本が現 れた。田舎老人多田爺(ただのじじい)の『遊子方言(ゆうしほうげ ん)』、山東京伝『通言総籬(つうげんそうまがき)』などがある。しか し、寛政の禁令(1790)で洒落本が禁じられると、心理描写を为と した人情本に移った。人情本は庶民の人情・恋愛を中心にした風 俗小説で、為永春水(ためながしゅんすい)の『春色梅児誉美(しゅ んしょくうめごよみ)』が代表作である。1842年の風俗取締以後衰 退した。洒落本が衰えた後、会話・行動の面白さで、当時の庶民 の生活をユーモラスに描いた滑稽本が現れる。十九世紀初めか ら幕末にかけ盛んに書かれ、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の 『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』、式亭三馬(しき ていさんば)の『浮世床(うきよどこ)』などが有名である。

井原西鶴(いはらさいかく):(1642-1693)。大阪の裕 福(ゆうふく)な町人。俳諧人としてデビューするが、小 説家に変身。第一作は『好色一代男(こうしょくいちだ いおとこ)』で、その後浮世草子作家として多くの作品 を残した。西鶴の作品は、遊里(ゆうり)に遊ぶ町人の 姿を描いた好色物(こうしょくもの)、武士道を扱った武 家物(ぶけもの)、町人社会の生活・風俗を描いた町人 物(ちょうにんもの)、その他、諸国の説話などに材を とった雑話物(ざつわもの)の四つに分けられる。中で も『日本永代蔵(にっぽんえいたいくら)』『世間胸算用 (せけんむねさんよう)』などの町人物は、当時の町人 の生活が鋭い観察(かんさつ)のもとに、生き生きと描 かれている。彼は俳諧の松尾芭蕉(まつおばしょう)、 浄瑠璃(じょうるり)の近松門左衛門(ちかまつもんざえ もん)と並んで元禄(げんろく)の三大文豪(さんだいぶ んごう)と称されている。
山東京伝(さんとうきょうでん):(1761-
1816)。浮世絵師(うきよえし)。黄表紙・洒 落本(しゃれぼん)の作家として活躍、寛政 の洒落本取締まり以後は読本作家となる。 黄表紙に『江戸生艶色樺焼(えどうまれう わきのかばやき)』、洒落本に『通言総籬 (つうげんそうまがき)』、読本に『桜姫全伝 曙草紙(さくらひめぜんでんあけぼのぞう し)』『昔語稲妻表紙(むかしがたりいなず源自文库まびょうし)』などがある。
蕉風(しょうふう)の俳諧理論(はいかいりろ
ん)は、芭蕉の死後、向井去来(むかいきょ らい)・服部土芳(はっとりとほう)などの弟 子がまとめた。芭蕉の死後、蕉風(しょうふ う)は弟子によって継がれたが、次第に低 俗化(ていぞくか)していった。しかし、天明 期(てんめいき)になると与謝蕪村(よさぶ そん)が出て、絵画的(かいがてき)・浪漫 的(ろうまんてき)な作品をつくり、文化・文 政期(ぶんせいき)には生活感情をよんだ 小林一茶(こばやしいっさ)が現れた。
④川柳(せんりゅう)・狂歌(きょうか)
川柳:江戸中期に柄井川柳(からいせんりゅ う)の選んだ句が『誹風柳多留(はいふうや なぎだる)』として呉陵軒可有(ごりゅうけんあ るべし)によって刊行され、川柳と呼ばれた。 狂歌:江戸中期、江戸に唐衣橘洲(からごろ もきっしゅう)・四方赤良(よものあから)らが 現れて狂歌を盛んに作り、天明調狂歌(てん めいちょうきょうか)と言われるほどになった。

元禄初期、井原西鶴(いはらさいかく)は当時の
町人の享楽的な生活を为題にした『好色一代 男(こうしょくいちだいおとこ)』を書いて好評を得 ると、『日本永代蔵(にっぽんえいたいくら)』『世 間胸算用(せけんむねさんよう)』など、浮世草 子(うきよぞうし)の傑作(けっさく)を次々と著した。 西鶴(さいかく)の死後、彼の作品を真似た浮世 草子が現れ、江島其磧(えじまきせき)は京の八 文字屋(はちもんじや)から『世間息子気質(せけ んむすこかたぎ)』などを出した。それらは八文 字屋本(はちもんじやぼん)とも呼ばれ、十八世 紀半ばまで上方(かみがた)で栄(さか)えた。
元禄期に入ると、松尾芭蕉(まつおばしょ
う)が、蕉門(しょうもん)を打ち立て、幽玄 (ゆうげん)・閑寂(かんじゃく)の句をよみ俳 諧を高雅(こうが)な芸術に高めた。「わび」 「さび」「しをり」などで表される句風(くふう) は蕉風(しょうふう)と呼ばれ、芭蕉七部集 (ばしょうしちぶしゅう)がある。また、芭蕉 の紀行文『野(の)ざらし紀行(きこう)』『奥 (おく)の細道(ほそみち)』なども芸術性(げ いじゅつせい)の高い俳文である。
2、小説
仮名草子(かなぞうし)、浮世草子(うきよぞうし)、草双紙 (くさぞうし)、読本(よみほん)、洒落本(しゃれぼん)・人情 本(にんじょうぼん)・滑稽本(こっけいぼん)などがある。 仮名草子(かなぞうし) 江戸初期、中世の御伽草子(おとぎぞうし)の流れを受け 継いだ小説に仮名草子がある。それは民衆の読み物で、 啓蒙(けいもう)・教訓(きょうくん)・娯楽(ごらく)などを目的 とし、公卿(くぎょう)・僧侶(そうりょ)・武士(ぶし)などがか なを使って書いた。印刷技術(いんさつぎじゅつ)の発達 とともに広く大衆に広がり、浮世草子への橋渡(はしわ た)しとなった。
読本(よみほん) 浮世草子(八文字屋本)が衰え十八世紀の中期、上方で は読本が現れた。読本は、絵を中心にした草双紙(くさぞ うし)に対し、文章を中心にしている。前期の読本は上方 を中心に、中国の小説や説話に強く影響を受けた、都賀 庭鐘(つがていしょう)の『古今奇談英草紙(ここんきだん はなぶさぞうし)』、上田秋成(うえだあきなり)の『雨月(う げつ)物語』などがある。後期の読本は十八世紀末ごろ から始まった。黄表紙から読本へ移った山東京伝(さんと うきょうでん)の『桜姫全伝曙草紙(さくらひめぜんでんあ けぼのぞうし)』、その門下の滝沢馬琴(たきざわばきん) の『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』が有 名である。これらの作品には、勧善懲悪(かんぜんちょう あく)、因果応報(いんがおうほう)の思想が貫かれている。
⑤漢学(かんがく)・漢詩文
幕府は朱子学(しゅしがく)を官学(か んがく)とし林羅山(はやしらざん)らに 官立昌平校(かんりつしょうへいこう) を建てさせた。朱子学の新井白石(あ らいはくせき)、陽明学(ようめいがく) の中江藤樹(なかえとうじゅ)、古文辞 学(こぶんじがく)の荻生徂徠(おぎゅう そらい)らが有名である。
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