日本近代史 写实主义部分 翻译
日本近现代文学概论
现代文学的走向
战前(1927-1945) ◆无产阶级文学: 小林多喜二《蟹工船》 ◆新感觉派: 横光利一《旅愁》
(新奇华丽的词语、虚无颓废的色彩、破坏性的思想)
川端康成《伊豆的舞女》、《雪国》
(日本古典的幽雅纤细加西方新心里主义、意识流的影响)
◆新兴艺术派: 梶井基次郎《柠檬》
战后(1945-) ◆无赖派(新戏作派): 太宰治《斜阳》 坂口安吾《白痴》 ◆战后派:
◆唯美派(后期浪漫主义):
小说: 永井荷风《法兰西物语》、《比试》(腕くら べ) 谷崎润一郎《纹身》(刺青)、《痴人之爱》、 《细雪》 诗歌: 北原白秋《邪宗门》 佐藤春夫《殉情诗集》 萩原朔太郎《吼月》(月に吠える)
◆白桦派(理想主义):
武者小路实笃《友情》 有岛武郎《某女》(或る女) 志贺直哉《于城崎》(城の崎にて) 《暗夜行路》 长与善郎《青铜的基督》 ◆新现实主义(新思潮派、技巧主义): 芥川龙之芥《鼻》、《罗生门》、 《地狱变》、《河童》 菊池宽《远离恩仇的地方》 佐藤春夫《田园的忧郁》
日本近现代文学概述
日本近现代文学史断代
近代(近代前期): 明治时代(1868-1912) 大正时代(1912-1925) 现代(近代后期): 昭和时代(1925-19868-1884)
◆启蒙主义: 中村正直译《西国立志篇》 福泽谕吉《劝学》(『学問ノス丶メ』) ◆翻译小说: 《花柳春话》、《八十天环游地球》 ◆自由民权运动与政治小说: 矢野龙溪《经国美谈》 东海散士《佳人之奇遇》 末广铁肠《雪中梅》
野间宏《阴郁的画》、《真空地带》
(注重社会性和自我意识)
三岛由纪夫《假面的告白》、《金阁寺》
(性异常和自我陶醉;古典主义和现代主义的对立统 一;肉体的重要→文武两道→ 国粹主义)
《日本近代文学家名著导读》笔记
日本近代文学家名著导读第1讲日本近代文学的概况与特色近代文学的概念:通常日本把明治(1868-1912)、大正(1912-1926)、昭和(1926-1989)的时代称为“近代”,本公开课使用的“近代”的概念指1868-1989的时间段。
1.为何要学日本文学1)语言与文学密不可分日本近代人的生活习惯、生存状态、生存意义追求、价值取向等等。
2)日本文学从古典名作《源氏物语》到诺贝尔文学奖获奖作品(川端康成、大江健三郎),都是世界文学鲜艳的花朵3)学习日本文学,可以使读者学人生、习教养、长知识、拓视野4)日本文学在思想意识、人生理想、处世方法、道德观念、行为准则、文化风俗方面,影响过几代人。
(鲁迅、周作人、郁达夫等等)5)日本文学是一门致知的学问,可以通过对它的学习提高思辨力、审美鉴赏能力等。
2.年号。
明治元年 1868年大正元年 1912年昭和元年 1926年平成元年 1989年3.日本近代文学发展概况前期:1868(苏维埃政府成立)-1918(第一次世界大战结束)后期:1918~1970s1)明治元年-明治18年:明治初年代和十年代文学戏作文学/通俗文学(江户时代的通俗文学)启蒙文学、2)明治19年-明治39年:明治的二、三十年代文学3)明治39年-45年-大正末年:明治40年代、大正文学写实主义文学古典主义文学(砚友社:红露时代)翻译文学、政治小说浪漫主义文学(森鸥外)自然主义文学(强调真实、强调告白)、反自然主义文学(耽美主义/唯美主义、理想主义(森鸥外、夏目漱石)、白桦派(武者小路实笃、志贺直哉、有岛武郎)、新思潮派/新现实主义(芥川龙之介、菊池宽))日本最早的国粹主义者提出的口号:和魂洋才4)昭和元年-昭和20年(第二次世界大战结束):战前、战中文学【文学史角度,并未留下太多好作品】既成文学、无产阶级文学、战后派文学、新感觉派、艺术派文学(如果我们把无产阶级文学说成是革命的文学,艺术派就是文学的革命)、新心理主义5)昭和21年-昭和40年:战后文学太宰治《斜阳》,“斜阳族”、“无赖派”生:哪一个年代的文学最为辉煌?前20年,从封建主义(江户时代)到近代:摸索阶段(新生儿-儿童时代)第二个时代:开始走向青年时代第三个时代:壮年时代(优秀作家最多、优秀作品流传最多)第四个时代:甚至是“不毛时代”第五个时代:最容易体现多元化4.近代文学有什么特点?明治维新是指19世纪日本所进行的由上而下具有资本主义性质的全面西化与现代化改革运动。
翻訳の理论をどう学ぶか
翻訳論講義山岡洋一翻訳の理論をどう学ぶか最近、翻訳について講義する機会があった。
以下はそのときに準備した資料に大幅な改定をくわえたものである。
翻訳の理論についてこれからお話しするわけですが、翻訳と理論というのはあまり相性が良くないように感じています。
翻訳に関心がある人のなかで、翻訳の理論に関心をもつ人はかなり少なく、理論の話というと敬遠する人が多いのです。
なぜ敬遠するのかというと、難しい話になるからということが多いようです。
そこで、以下ではまず難しさについて、そして理論について、いくつか指摘したいと思います。
第1は、翻訳に興味をもつのであれば、難しい話を敬遠するべきでないという点です。
第2は、理論とは本来、難しい点をやさしく理解できるようにするものであることです。
第3は、ものごとを抽象的に考えるとはどういうことなのかです。
以上を前提にして、翻訳の理論を学ぶときにどういう点に注意すべきかを説明し、翻訳の実務という観点から役立つと思われる本物の理論、そういう理論を学ぶ手掛かりになる本を3点紹介します。
難しいものはやさしく、やさしいものは難しいまず指摘しておきたいのは、翻訳に興味をもつのであれば、難しい話を敬遠するべきでないという点です。
なぜかというと、翻訳という観点から見れば、「難しいものはやさしく、やさしいものは難しい」といえるからです。
翻訳をしたいが、難しいものはとてもできないから、やさしいものがいいという人が少なくないようです。
ところが、実際に翻訳に取り組んでみると、やさしいものほど難しいという現実にぶつかります。
翻訳は、原文が難しいほどやさしいといえるのです。
その理由は2つあります。
ひとつには、原文がやさしいほど、翻訳にあたって表現の選択の余地が大きく、原文が難しいほど、選択の幅が狭いのです。
たとえば原文のひとつの語にどのような訳語を使うのかという点でいうと、原文が難しい文章であれば、専門用語が多数使われているのが普通です。
日本近现代文学概说
《蟹工船》 小林多喜二发表于1929年的长篇小说。 描写失业工人、破产农民、贫苦学生和十 四、五岁的儿童被骗受雇于蟹工船“博光 丸”号后,长期漂流海上,从事原始、落 后和繁重的捕蟹劳动。因不堪监工的残酷 迫害,终于团结起来,痛打船长和工头, 并举行罢工。虽然由于日本海军的出面镇 压而使这场斗争归于失败,但蟹工们并不 气馁,在总结教训后,又暗中酝酿着第二 次罢工。小说真实地接露了渔业资本家和 反动军队剥削、压迫渔工的凶残本质,正 确地表现了日本工人阶级从自发反抗到自 觉斗争的发展过程 。
《小说神髓》 作者坪内逍遥,1885年出 版,否定了明治维新之前小 说“劝善惩恶”的功利主义 以及小说“游乐娱乐”的两 个趋向。主张小说应描写人 情世态,并以写人情为主; 主张现实主义文学的表现方 法,着重心理的观察与持客 观的态度,是日本现代文学 中一部重要理论著作。
《浮云》 1887年二叶亭四迷所著长篇小说。 描写了一个知识青年内海文三的命运, 他由于不屈从日本封建官僚的压迫, 不愿采取与现实妥协的处世哲学,终 于被关在幸福大门之外。作品批判了 日本官僚社会的腐朽、卖身求荣的知 识分子的卑鄙无耻以及小市民贪财附 势的庸俗心理。在主人公文三身上, 反映了自由民权运动失败以后,知识 分子的苦闷、迷惘,也体现了作者对 日本近代社会的憎恶和失望。作品的 典型形象的塑造、真实细腻的心理刻 画以及深刻有力的社会批判,都为日 本近代现实主义文学开辟了道路,使 它成为日本近代文学中第一部批判现 实主义著作,标志着日本近代文学的 启动。
现代文学
• 代表流派、团体与作品 既成大家的再出发—谷崎润一郎《细雪》、 川端康成《千羽鹤》等 民主主义文学—宫本百合子《播州平野》、 中野重治的《五勺酒》等 无赖派 —坂口安吾《堕落论》、 太宰治《人间失格》等 战后派—第一次战后派 :野间宏 《真空地带》 等 第二次战后派:三岛由纪夫《金阁寺》 等 第三次战后派:安冈章太郎 《海边的景色》 等
日本史B
(2)評価の方法
①定期考査
②課題プリント、授業プリントの提出(バインダーとかファイルブックに綴じて 提出。袋状のものにまとめて入れるだけは不可)
6 第3学期学習計画及び評価方法 (1) 学習計画
月 学習内容
学習のねらい
1 ア ジ ア 太 満州事変から日中全面戦争に向か 月 平洋戦争 っていく過程を理解する。
的なものの特徴をつかむ
月
様々な形態の一揆によって、決定 一揆の動きを通して、国
的に分権化が進み、戦国時代に向か 人、地侍、農民の意識と力
戦国時代 うこと、その中で新たな支配を工夫 の変化を探る。
できたものが戦国大名として権力を 強めることができたことを理解す
代表的な戦国大名の支配 の工夫を比較してみる。
定期
考査
9 近 代 国 家 諸藩の天保改革を確認し、これに 改革の中で頭角を現
月 の成立
成功した藩が幕末の動きをリードし す重要人物を確認する。
ていくことを理解する。
誰がどの時期にどう
幕府の天保改革の内容を確認し、それ い う 運 動 を し て い た の
がなぜ失敗に終わったかを考える。
かを整理する。
江戸時代
関が原の戦いの意味を考える
大名配置、幕閣の組織、
家康・秀忠・家光3代の政治のど 農民組織などの工夫をつ
初期
ういう点が江戸幕府260年の支配 かむ
につながったのかを考える。
秀吉と家康の外交政策の比較。
キリスト教政策と外交
鎖国はなぜ、どのように行われた 政策、農民対策を結び付け
のかを理解する
てつかむ
る。
(2)評価の方法 ①定期考査
② 課 題 プ リ ン ト 、授 業 プ リ ン ト の 提 出( バ イ ン ダ ー と か フ ァ イ ル ブ ッ ク に 綴 じ て 提 出 。 袋状のものにまとめて入れるだけは不可)
日本近代文学史升级版
流派时间代表人物作品写実主義1885年坪つぼ内うち逍しょう遥よう1885--「小説神髄しょうせつしんずい」小説「当世書生気質」1887年二葉亭四迷ふたばていしめい1887--「浮雲うきぐも」擬古典主義(紅・露の時代)明治20年尾お崎ざき紅こう葉よう1903--「金色夜叉こんじゃやしゃ」幸田露伴こうだろはん1891-1892「五重塔ごじゅうのとう」、「運命」ロマン主義明治32年森鴎外もりおうがい浪漫三部作:「舞姫」、「うたかたの記」、「文ずがみ」北村透谷きたむらとうこく1889--「楚囚そしゅうの詩」、1891--「蓬ほう莱らい曲きょく」1892---「厭えん世せい詩家と女性」、「内部生命論」樋口一葉ひぐちいちよう「うもれ木」、「大つごもり」、1895---「たけくらべ」最大の傑作である泉鏡花いずみきょうか1900--「高野聖こうやひじり」1910--「歌行燈うたあんどん」自然主義明治40年島崎藤村しまざきとうそん1906--「破戒」1908--「春」1910--「家」1916--「新生」田た山やま花か袋たい「瓜畑」「田舎教師」1907--「蒲団ふとん」国くに木き田だ独どっ歩ぼ「武む蔵さし野の」「牛肉と馬ば鈴れい薯しょ」「春の鳥」「竹の木戸」耽美派たんびは大正永なが井い荷か風ふう「地獄の花」「アメリカ物語」「ふらんす物語」谷や崎ざき潤じゅん一いち郎ろう「痴人の愛」「春しゅん琴きん抄しょう」「細ささめ雪ゆき」「誕生」「刺し青せい」白しら樺かば派は大正武む者しゃ小のこう路じ実さね篤あつ「お目出たき人」「世間知らず」「幸福者」「友情」 志し賀が直なお哉や「暗夜行路」「和解」「城の崎にて」有あり島しま武たけ郎お「かんかん虫」「カインの末裔」「或る女」新思潮派 大正芥川龍之介あくたがわりゅうのすけ「戯げ作さく三ざん昧まい」「鼻」「羅ら生しょう門もん」「地獄変」「秋」「河童かっぱ」菊池寛きくちかん「無名作家の日記」「恩おん讐しゅうの彼か方なたに」久く米め正まさ雄お1914--「牛乳屋の兄弟」 1922--「受験生の手記」 余裕派、高こう踏とう派は大正夏なつ目め漱そう石せき1905--「吾輩わ猫である」 1906--「坊ちゃん」「草くさ枕まくら」森もり鴎おう外がい「雁かり」「妄想もうそう」「灰燼かいじん」三部作:「三四郎」 「それから」 「門」新感覚派 大正川端康成かわばたやすなり「伊豆の踊り子」「雪国」「千せん羽ば鶴づる」横よこ光みつ利り一いち「蝿はえ」「日輪にちりん」 片かた岡おか鉄てっ平ぺい「綱の上の少女」「苦い話」「若き読者に問う」近代詩ロマン主義詩 北村透谷きたむらとうこく「楚そ囚しゅうの詩」 島崎藤村しまざきとうそん「若わか菜な集しゅう」 理想主義詩高たか村むら光こう太た郎ろう「道程」荻おぎ原わら朔さく太た郎ろう1886-1942、「日本近代詩の父」と称された。
日本近代文学史
近代の文学一、写実主義1、坪つぼ内うち逍しょう遥よう(1859-1953)「小説神髄しょうせつしんずい」(1885)近代的文学像と写実主義を強調した。
2.二葉亭四迷ふたばていしめい (1864-1909)「浮雲うきぐも」(1887)当時の社会に生きる人間の苦悩を描いたが、時代に先んじ過ぎだ。
二、擬古典主義(紅露の時代)1.尾お崎ざき紅こう葉よう (1867-1903) ---写実主義硯友けんゆう社を創立(日本最初の文学社)代表作「金色夜叉こんじゃやしゃ」(1903) 2.幸田露伴こうだろはん(1867-1947)---理想主義「五重塔ごじゅうのとう」(1891~1892) 「運命」この二人は1887年の「紅露の時代」が築かれた。
三、ロマン主義1、森鴎外もりおうがい「舞姫まいひめ」(明治23年--1890)浪漫三部作:「舞姫」、「うたかたの記」、「文ずがみ」2、北村透谷きたむらとうこく1889--「楚囚そしゅうの詩」、1891--「蓬ほう莱らい曲きょく」1892---「厭えん世せい詩家と女性」、「内部生命論」3、樋口一葉ひぐちいちよう(1872-1896)1895---「たけくらべ」最大の傑作である4、泉鏡花いずみきょうか(1873-1939)1900---「高野聖こうやひじり」1910--「歌行燈うたあんどん」四、自然主義(人間と現実社会的環境の暗黒を分析する)1.島崎藤村しまざきとうそん小説:「破戒はかい」(1906)1908--「春」、「新生」、1910--「家」詩集:1893--「若菜集」、「夏草」2.田た山やま花か袋たい「蒲団ふとん」(1907)1908--「生」、「妻」、「縁」3、国くに木き田だ独どっ歩ぼ(1871-1908) 「武む蔵さし野の」、「牛肉と馬ば鈴れい薯しょ」、「春の鳥」「竹の木戸」4、徳とく田だ秋しゅう声せい五、耽美派たんびは1.永なが井い荷か風ふう(1879-1959)(別号は断腸亭主人と石南居士である) 「野心」、「地獄の花」「夢の女」2.谷や崎ざき潤じゅん一いち郎ろう(1886-1965)「痴人の愛」「春しゅん琴きん抄しょう」「細ささめ雪ゆき」「誕生」「刺し青せい」「三人法師」 世人に「文豪」と「大谷崎」と称された。
日本文学史ー近现代文学
志賀直哉 太宰治
余裕派・高踏派(反自然主義)
夏目漱石 「我輩は猫である」 森鴎外
•「雁」「青年」
三四郎 漱石の 三部作 彼岸過 ぎまで
それか ら 行人
門
こころ
鴎外の道
前期ロマ ン主義
高踏派
歴史小説
三近代文学の成熟ー大正の文学
民主主義 の風潮 明治天皇 の崩御 空前の好 景気 大衆文化 の成立
経験的事 実と自己告 白 合理主義と 自然科学 の影響
人間の醜 悪な面だけ に限られる 社会性と科 学性に欠 ける
日本の 自然主 義文学
私小説
散文文学 の発達(随 筆など) 日記文学 の伝統(心 境) 自然主義 の影響 自分の経 験を素材 に・告白性
私小 説
調和型 私小説(平野 謙によって) 破滅型
政治小説
坪内逍遥の 「小説神髄」 二葉亭四迷 の「浮雲」
翻訳小説
福沢諭吉(ふくざわゆきち)ー
勧善懲悪を 勧善懲悪を否 定
フランスのゾラの 影響を 影響を受け
写 実 主 義
心理的写実主 義
写実主義
擬古典主義
女性的・写実 尾崎紅葉 金色夜叉
男性的・浪漫 幸田露伴 五重塔
前期ロマン主義ー北村透谷
日本文学史ー近現代文学
一、近代文学の出発
近世文學のまとめ
啓蒙思潮期(戯作文學・政治小説)
文學改良運動(言文一致・西欧に学ぶ近代小説)
擬古典主義(国粋主義・硯友社・紅露時代)
前期ロマン主義(樋口一葉・泉鏡花)
啓蒙思潮
戯作文學
文學改良
写実主義
擬古典主義
硯友社と紅 露時代 写実主義の 尾崎紅葉 理想主義の 幸田露伴
日本文学史考试重点(近代-现代)
日本文学史考试重点(近代-现代)一、近代文学(一)明治时期1、概说(1)“明六社”思想启蒙活动:福泽谕吉【西洋事情】【穷理图解】【劝学篇】【文明论之概略】、加藤弘之、西周、中村正直【西国立志编】(2)戏作文学:假名垣鲁文【西洋道中膝栗毛】【安愚乐锅】(3)翻译小说:“空想科学小说”【海底旅行】、“恋爱小说”【花柳春话】(4)政治小说:矢野龙溪【经国美谈】、东海散士【佳人之奇遇】、未广铁肠【雪中梅】(5)近代文学开端:坪内逍遥的文学论【小说神髓】(6)近代文学开山之作:二叶亭四迷【浮云】,近代现实主义文学初露端倪(7)森鸥外【舞姬】,早期作品带有浪漫主义色彩(8)近代文学两座高峰:森鸥外、夏目漱石(9)“砚友社”:尾崎红叶、山田美妙,【我乐多文库】,日本近代文坛开始形成A、尾崎红叶:【二人比丘尼色忏悔】【伽罗枕】【金色夜叉】,强调“美文意识”B、山田美妙:言文一致C、砚友社时期=“红露时代”→尾崎红叶+幸田露伴【露团团】【风流佛】【一口剑】【五重塔】(10)【文学界】:浪漫主义文学→北村透谷、岛崎藤村【若菜集(近代抒情诗确立)】、户川秋骨、马场孤蝶、上田敏、樋口一叶【大年三十】【青梅竹马】【十三夜】(11)自然主义文学(明治时期文学最高峰)A、前期自然主义:左拉自然主义B、岛崎藤村【破戒】,标志日本近代文学进入新的发展时期C、田山花袋【棉被】,自然主义文学奠基之作D、德田秋生、正宗白鸟、岩野泡鸣E、反自然主义:唯美派、白桦派开始形成2、【小说神髓】与坪内逍遥(1)明治维新→启蒙思潮、“自由民权运动”→翻译小说、政治小说(2)坪内逍遥【小说神髓】:日本近代文学的“破晓晨钟”(3)日本近代文学史上第一次文学论争“没理想论争”(坪内逍遥VS森鸥外)3、【浮云】与二叶亭四迷(1)【浮云】:日本第一部现实主义作品,标志日本近代文学的开始(2)【小说总论】4、森鸥外:“不平家”与“旁观者”之间(1)启蒙和浪漫主义时期A、“没理想论争”B、浪漫主义三部曲:文言体短篇小说【舞姬】【信使】【泡沫记】C、“谛观”(2)观潮楼时期【青年】【雁】(3)历史小说与史传时期:“歴史其の儘”【阿部一族】、“歴史離れ”【山椒大夫】【高濑舟】5、自然主义文学与岛崎藤村(1)前期自然主义A、小杉天外、小栗风叶、永井荷风B、日本最早自然主义文学宣言:【《流行歌》序】(小杉天外)、【地狱之花】(永井荷风)(2)自然主义文学成为思潮和运动A、岛崎藤村【破戒】B、田山花袋【棉被】:“露骨描写”,自然主义文学奠基之作(3)代表作家:岛崎藤村、田山花袋、德田秋声、岩野泡鸣、正宗白鸟、国木田独步A、岛崎藤村a、【文学界】:岛崎藤村、北村透谷创办,致力于浪漫主义诗歌创作b、【若菜集】【一叶舟】【夏草】【落梅集】c、散文集【千曲川素描】d、小说【旧主人】【破戒(“明治时代第一部小说”)】e、“自传体”小说【春】【家】【新生】B、田山花袋a、【露骨的描写】:“平面描写”b、【棉被】:自然主义文学先驱之作c、三部曲:【生】【妻】【缘】d、【一个士兵】【田舍教师】6、夏目漱石(1)早期作品A、【我是猫】【哥儿】:批判现实主义倾向B、【旅宿】【草枕】:“旁观者”美学观点C、“余裕派”“高踏派”作家(2)中期三部曲【三四郎】【后来的事】【门】(3)后期三部曲【彼岸过迄】【行人】【心】(4)“则天去私”:【道草】【明暗】(二)大正时期1、概说(1)口语体的完善(2)“大逆事件”→“闭塞的时代”“寒冬的时代”(3)文学流派:【昴星】【白桦】【三田文学】【新思潮】→白桦派、唯美派、新思潮派(4)芥川龙之介(5)菊池宽2、“耽美派”与谷崎润一郎(1)新浪漫主义“耽美派”(2)代表作家:永井荷风【三田文学】、谷崎润一郎【新思潮】【春琴抄】、上田敏、佐藤春夫【田园的忧郁】3、“白桦派”与志贺直哉(1)【白桦】(2)代表作家:武者小路实笃【天真的人】【不谙世事】【其妹】【幸福者】【友情】、有岛武郎【一个女人】、志贺直哉(“小说之神”,战斗的人→和解的人→观望外部世界的人→回忆的人)【和解】【在城崎】【暗夜行路(长篇)】(3)心境小说:“自我调和型”的私小说4、芥川龙之介与“新思潮派”(1)新思潮派=新技巧派=新理知派=新现实主义文学(2)【新思潮】:芥川龙之介、菊池宽、松冈让、山本有三、久米正雄(3)芥川龙之介【鼻】【罗生门】【竹林中】5、私小说(1)破灭型私小说:岩野泡鸣、近松秋江、葛西善藏(2)调和型私小说:心境小说,志贺直哉6、文学大众化与菊池宽(1)【大众文艺】:口头文学“讲述”、由“新讲谈”派生出的“历史小说”、侦探小说、通俗小说(德富芦花【不如归】、尾崎红叶【金色夜叉】、菊池宽【珍珠夫人】、久米正雄)(2)菊池宽:【文艺春秋】→芥川奖、直木奖二、现代文学(二战前时期)1、【文艺战线】标志无产阶级文学运动的兴起,“革命的文学”出现2、【文艺时代】意味着“文学的革命”成立,形成“新感觉派”3、“新感觉派”与横光利一、川端康成(1)【文艺时代】:横光利一、川端康成、片冈铁兵、中河与一、佐佐木茂索、今东光(2)横光利一A、【日轮】【蝇】B、【头与腹(新感觉派问题典范)】【拿破仑和顽癣(卓越讽刺小说)】C、【上海】“新感觉派文学手法集大成”(3)川端康成A、“主客一如主义”B、【伊豆的舞女】【雪国】4、无产阶级文学与小林喜多二(1)【播种人】:小牧近江、金子洋文、今野贤三、青野季吉(2)【文艺战线】:叶山嘉树、黑岛传治、平林泰子(3)日本无产阶级文学运动:藏原惟人、叶山嘉树、黑岛传治、德永直【没有太阳的街】、小林喜多二【蟹工船】【党生活者】、宫本百合子A、日本无产阶级文艺联盟:青野季吉、平林初之辅、前田河广一郎、叶山嘉树B、工农艺术家联盟(劳艺)C、全日本无产阶级艺术联盟(纳普)D、无产阶级作家同盟:小林喜多二、中野重治、藏原惟人、德永直、佐多稻子(4)“转向文学”5、现代派文学(1)新兴艺术派:十三人俱乐部(龙胆寺雄、吉行荣助、浅原六朗、久野丰彦)(2)形式主义文学:中河与一(3)新心理主义文学:伊藤整“内心独白”“意识流”、堀辰雄、阿部知二(4)行动主义文学:舟桥圣一6、文艺复兴与新作家群体(1)文艺复兴(2)新人:石川达三、石川淳、石坂洋次郎、高见顺、太宰治(3)“笔部队”“国策文学”“御用文学”(二)二战后文学1、战后派文学(1)第一次战后派:埴谷雄高、野间宏、椎名麟三、梅崎春生、武田泰淳、中村真一郎(2)第二次战后派:三岛由纪夫、大冈升平、堀田善卫、岛尾敏雄、安部公房(3)【近代文学】:荒正人、平野谦、本多秋五、山室静、佐佐木基一、小田切秀雄、埴谷雄高(4)特点:文体变革、存在主义倾向、反政治主义2、“第三新人”:安冈章太郎、吉行淳之介、小岛信夫、庄野润三、远藤周作3、“中间小说”:井上靖、石川达三、石坂洋次郎、丹羽文雄、松本清张、水上勉4、“新作家群体”:石原慎太郎、开高健、大江健三郎、江藤淳、深泽七郎、“才女时代”(有吉佐和子、曾野绫子、圆地文子、仓桥由美子、濑户内晴美、河野多惠子、大宛富枝、田边圣子)三、当代文学(1960~1980)1、安部公房【砂女】【他人的脸】【燃烧的地图】【箱男】2、“作为人”派(1)“挫折的一代”“犹豫的一代”“容易衰老的一代”(2)高桥和巳、柴田翔、真继伸彦、小田实3、“内向的一代”:古井由吉、后藤明生、黑井千次、阿部昭、柏原兵三、小川国夫4、村上春树(1)“都市小说的代表”(2)青春三部曲【且听风吟】【1973年的弹子球】【寻羊冒险记】(3)中期代表作【舞舞舞】【挪威的森林】【国境以南、太阳以西】【世界尽头与冷酷仙境】(4)【奇鸟行状录】【神的孩子全跳舞】【海边的卡夫卡】【天黑以后】5、1980年代(1)“双村上”:后现代主义时代A、村上春树B、村上龙【无限近似于透明的蓝】(2)吉本芭娜娜【厨房】【蜥蜴】。
石田一良《日本文化史》部分段落翻译
水稻农耕时代的“日本文化”这样想的话,所谓“日本的文化、文明”就是在两次产业革命之间,即日本人用水稻农耕这种生产方法作用于日本风土,产生出社会生产力的时代产物,因此将那个时代的产物认为好像是日本人宿命中注定有的东西是错误的。
但是,水稻农耕文化形成于水稻农耕时代初期(弥生时代),之后作为历史传统被继承下来这种看法是不正确的。
应该认为水稻农耕文化是水稻农耕时代两千几百年间,作为同时代传统在水稻农耕生活中不断经过再生产后形成的。
过去哲学家和追随他们的大多数历史学家认为历史无论怎样都可以进行时代划分。
但是,我不这么认为。
历史上时代的划分是作为超越研究者意志、愿望和恣意设想的客观事实被铭刻在历史中的。
只不过它们被我们隐藏起来了。
因此我认为我们站在某个观点上,就能看到某种时代划分,站在别的观点上,就会看到另一种时代划分。
关于“文化”,如果这时站在自然生产力和人类的劳动力、更彻底地说就是自然和人类关系方式如何的观点上展望日本文化史、文明史的话,就能在日本历史中看到以上三个时代划分。
这种宏观的时代划分决定性地形成了我关于日本文化和文明性质的看法。
即我认为今天国内外人们或自夸或鄙视或褒或贬着的、所谓的“日本式”文化、文明实际上是在水稻农耕时代这个日本文化、文明史上特定的一个时期内,作为同时代传统被再生产持续下来的,即使在下一个机械工业时代作为历史传统对它文化文明的形成有所帮助,也已经无法进行再生产了。
我觉得水稻农耕时代已经完成了历史使命,现在到了将贯穿这个时代的文化、文明特征清楚地展示给我们的时候了。
第二章日本因地理位置的关系,在其文化发展的过程中充分接受了诸多国家,特别是中国和欧美文明文化的影响。
换言之,在水稻农耕时代充分地接受了中国文明文化,在水稻农耕时代到机械工业时代的过渡期接受了欧美文明文化的影响。
因此水稻农耕时代的日本文化可以认为是中国的附属文化。
然而,必须更加拓展视野,以乘坐宇宙飞船环绕地球的眼光来展望日中文化的关系。
近代文学5
• 北村透谷(1868-1943)、島崎藤村 (1872-1943)、樋口一葉(1872- 1896)、上田敏が参加した「文学界」 では、透谷が『内部生命論』(明26) などの評論を発表、明治20年代の 自我の成熟と内的観照を問題にした 姿勢は、多くの人々に影響を与えた。
写実主義と浪漫主義文学
• 明治文学の構造上の特色は、リアリ ズムとロマンティシズムの二潮流が 重層し、並行しながら展開していっ たところに認められる。小説では総じ て写実主義の傾向がつよく、ことに 硯友社の風俗リアリズムは全文壇を 席巻する観がある。
「文学界」
• 明治26年創刊された「文学界」はひ そかな系譜をうけて、硯友社系の文 学に対抗しながら、初期浪漫主義思 潮を主導したグループである。
近代文学必携・p13-14、学燈社
• 「文学界」同人の多くはキリスト教や 西欧浪漫主義の洗礼を受けて近代 に目覚め、詩と評論の形式に託して 青春の情熱を表現し、自我の主情 的な解放を志した。初期の指導理論 家と目されたのは透谷である。
• しかし、観念と現実との落差はあまり にも大きく、時代の壁にはばまれ、孤 立と絶望の思いを深めて自殺した。 透谷のはやすぎた死は、明治浪漫 主義の強いられた宿命を象徴してい る。透谷の死後、「文学界」自体が上 田敏の主導する芸術至上主義へ傾 斜していったゆえんである。
注:「国民之友」
• 総合雑誌。徳富蘇峰設立の民友社 が創刊(明20年)。急激な平民主義 の立場により、明治20年代の思想界 を風靡。文芸欄にも力を入れ、文壇 への登竜門であった。明治32まで存 続していた。
北村透谷
• 没落士族の家に生まれた。本名は 北村門太郎。 • 1883年、東京専門学校(現在の早稲 田大学)政治科に入学したが、卒業 はしていない。自由民権運動に参加 したが、同志から活動資金を得るた め強盗をするという計画を打ち明け られ勧誘され絶望し、運動を離れた。
2写实主义
『浮雲』の近代文学に与える影響
1、文体:始めて小説に口語体を使い、言文一致の 文体を開創した。 2、描写手法が上達 3、人物造形が鮮やかで、心理描写が優れる 4、当時の社会問題を如実にとらえる。
総じていえば、この作は新しい人物像の造形と言文一 致による自由 な表現の創始は、近代文学の行方 を示す近代文学の出発点、画期的な作品だといえ る
目的:日本の文学を改良する 主張:①功利主義的文学観を捨て、文学が文 化の一分野で芸術として存在して価値がある。 ②登場人物や事件を真実に描写する。
代表作家と作品
坪内逍遥(つぼうちしょうよう):『小説神髄』 (理論書)と『当世書生気質』(小説)(とうせい 書生かたぎ) 二葉亭四迷(ふたばていしめい):『小説総 論』(理論書)と『浮雲』(うきぐも)
坪内逍遥に関して
坪内逍遥(1859年6 月22日-1935年2月 28日) 主に明治時代に活躍 した日本の小説家、 評論家、翻訳家、劇 作家である 代表作は『小説神髄』 『当世書生気質』
『小説神髄』
坪内逍遥(1859~1935) 1885年、『小説神髄』を発表した 主な内容(逍遥の主張):①近世小説に見ら れる「勧善懲悪」の功利的な文学観を排する。 (功利性からの解放)②客観的に人の性格や 心理を描くべしとする写実主義文学論を主張 した。(写実の必要)
二葉亭四迷に関して
二葉亭四迷(1864~190 9) 日本の小説家、翻訳家 代表作:『小説総論』、 『浮雲』 坪内逍遥の影響を受けた 四迷は逍遥の理論を一歩 進め、徹底的に写実主義を 追求した
『小説総論』
日本近代史
57大正14年の貴族院改革西尾 林太郎大正14(1925)年、護憲3派内閣の下で実現をみた「貴革」は、一部有爵(華族)議員による清浦貴族院内閣成立への政友会総裁派や憲政会など政党勢力の強い反発によるものであった。
従って護憲3派内閣すなわち第1次加藤高明内閣は、有爵議員中心の貴族院から非有爵議員=勅任議員中心の貴族院への転換を改革の主な目的とした。
こうして多額納税者議員制の廃止とそれに替わる公選議員制の設立と官職議員、学士院議員の新設が図られた。
しかし、学士院議員以外は貴族院で認められることはなかった。
加藤首相は江木内閣書記官長らを通じて貴族院最大会派の研究会の領袖・水野直らとの意思疎通をはかりつつ、貴族院令改正案の第50議会における貴族院通過を目指したが、改正案上程後は水野に代わってもう一人の研究会の領袖・青木信光と交友倶楽部の岡野敬次郎とが江木ら政府側との協議に応じ、審議をリードした。
はじめに原敬横死を受けて成立した高橋内閣の倒壊以来、加藤友三郎内閣、第2次山本権兵衛内閣と超然内閣が続き、清浦内閣成立によってさらにまた政権が政党を素通りしたことは政友会を始めとする政党勢力を失望させた。
第2次護憲運動はその政友会総裁派=非改革派の指導者・横田千之助の主導で計画され、展開された1)。
政友会は清浦内閣への対応をめぐって分裂し、反総裁派=改革派は脱党して政友本党を立ち上げたが、清浦擁立に動いた研究会幹部に対する横田ら政友会幹部の反発は強く、政友会は憲政会や革新倶楽部とともに反研究会・反貴族院のスローガンの下に第2次護憲運動を展開したのである。
従って、第2次護憲運動の勝利は、「普選」とともに貴族院改革すなわち「貴革」を護憲3派内閣である第1次加藤高明内閣の最重要課題とさせた。
ちなみに『萬朝報』編集局長の坂口二郎は、普選と貴革に関する関連法案が政府により議会に提出された第50議会の最中に小冊子『国民常識としての貴族院改革』(B6版、全94ページ、帝都書院、1925年2月刊)を上梓し、その中で次のように述べる。
日本文学译文
第一课一条路原作:东山魁夷在我心里有一条路。
那是条夏日清晨田野中的路。
看到青森县种差海岸牧场的时候,这条路就在眼前浮现了出来。
这是张从正面山丘可以望见灯塔的牧场速写。
我想到要去掉那些栅栏,放牧着的马什么的,只画这条路,又会如何?这么想着的时候,这条路的样子便萦绕心间,挥之不去。
虽然有些怀疑只画这条路能否构图,但是除了路,我不想画任何其他东西。
而且我想画的并不是现实世界里这条路的风景,而是想象中的一条路。
因此虽然所要画的不是哪个地方确实存在着的路,但考虑了一下各种因素考虑的话,觉得还是把种差牧场的路作为依据来构图似乎比较完整些。
不过这张牧场速写是第二次世界大战以前画的,距今也有十多年了。
那条路现在果真还是那样子吗?我毫无把握。
想来,去了也是白去吧。
也不要那么在乎那条路了吧。
那时是昭和25年,所以旅行条件也不好。
不过,我所担心的并非这个。
我担心的是,成为最初创作依据的这现实中的风景,假如完完全全地改变了,那么特意在心中形成的这条路的幻影不是就要黯淡下去吗。
虽说如此,但无论怎样还是想去一次。
东北线铁路受水灾所以停开了。
我就坐了奥羽线绕过青森,到达八户。
来到种差海岸的牧场,发现这条路还是荒凉着,它穿过保持着昔日模样的牧场,朝矗立着灯塔的山丘舒展开去。
“太好了,我来对了。
”我站在那里自言自语着。
倾向海边的草坪斜坡中,这条路笔直而悠缓地向上伸展,两边杂生野草,然后只稍稍向右拐了个弯,便从视野中消失了。
我能看见一条线横穿远处的山丘,其实是这条路的延伸。
毕竟是十年前的速写了,在我心中呈现的路和这现实中的路,还是有相当的差距的。
我想作为概括扼要的构图,把这山丘和路结合起来会显得较为完美。
然而眼下这条路在夏日骄阳的灼晒下,土干草枯。
怀抱泥土的路给人以朴实感。
两旁的草点缀于其中,那交界处便充满细微的趣味。
凡此种种现却荡然无存。
对面山丘的天际线,从前是舒展而自然,如今却岩石露顶。
也许是历经十年风雨的洗练吧。
尽头的牧场之路也昭显着战争带来的荒废痕迹。
报告书日本が急速に近代化を実现した原动力
報告書日本が急速に近代化を実現した原動力報告者学生番号20101008氏名顔洪梅一、最も重要な文ないし部分1、明治政府の基本的な政策は、国を開いて世界各国と交渉を持ち、国を富まし軍事力を強化して国の独立を維持することであった。
2、日本の近代化の原動力は、すでに鎖国による平和な封建時代に、その基盤が形成されていたと考えられる。
二、要旨日本近代化の原動力となったと思われる諸要因を列挙する。
(1)、藩制を廃止し、県を置き、中央集権体制を整備した。
(2)、士農工商の階級制度を廃止し、全国民に機会均等の教育制度を設置した。
(3)、経済(土地、産業、鉄道や郵便など)に対する政策が出した。
(4)、外国人顧問を招き、外国の技術や制度の導入・吸収に努めた。
(5)、国民が『文明開化』を旗印に、西洋の文明を進んで摂取した。
三、調査研究日本は、明治政府の成立から200年余りの鎖国を解いてスタートした。
新政府はまず次のような改革を進めた。
1、1868年4月6日に、明治政府は『五箇条の誓文』布告した。
翌日、『五榜の掲示』が出した。
2、藩から県へ(1871年)目的:全国を直接治める中央集権国家を作り上げる内容:太政官と呼ばれる制度が作った;1869年に、明治政府は版籍奉還を行い、土地と人民の支配権を朝廷に返させたが、封建的な関係が残っていた。
;1871年に地方制度を改め、藩を廃止して県を置き、廃藩置県を断行した。
結果:倒幕の中心勢力であった尐数の公家や薩摩、長州、土佐、肥前の4藩の出身者たちが政治の実権を握った。
藩閥政治と呼ばれるようになる。
3、身分制度の廃止(1871年)えた身分、ひにん身分などの呼び名を廃止し、平民と同じようにする布告(いわゆる『解放令』)が出された。
内容:ちょんまげを切る;武士は、刀をさすのをやめる;平民も苗字を名乗ってよい;自由に職業を選んでよい;別の身分の人とも、自由に結婚してよい。
結果:四民平等が実現した。
近代日本哲学(节译)
,
皇 制 国 家 的 知 识技 术 官 僚 的 讲坛
”
讲坛
”
哲学
那 种兴 旺也 就未必 是 什 么 值得 可 喜 的 现 象
。
哲 学 和哲学 家 的
。 ,
那 和 日本 民众 应 有 愿 望 的 论 理的 形 成
。
这 种存 在形 态 由于 战 败 虽 然 受 过 若 夏 千修 改 但 是 基 本上 一直 维持 到 现在
,
这
他对 哲学
,
在近 些 年 来 是 很 明 显 的
的 么
情 况 不 就 是 这样
特 别要 求有 世 界 观 的 性格 这 一点
不看 到 的
。
是不 能
总之
,
学 问 不 能 只作 为 学 问 来
、
哲 学 是 应 有 的 时 代和 民 众 愿 望 的 论 理 的 形成
。
专 门 研究 来研 究 时
质
。
,
把 它 同政 治
哲 实
把 当 时西 欧 的 主 导
A
学 的 世 界 观 的性 格也 就 迅 速 消 失和衰 退 下 去
。
穆 勒 的 功 利 主 义 哲 学和
哲 学 失 去 世 界 观 性格 的 这 种 过 程
“
,
孔 德 的实 证 主 义 哲 学 带 回 我 国 R 才开 始
际是 我 国
讲坛
”
折 学形 成的过 科
,
同时
》 ( 尚 白苔 J 己 l i )
。
讲坛
”
哲学 家 为 主 要 承担者 的 我 国 哲
“
在 这 里 我 们 虽 然 能够 指 出
孔 德实
,
在大学
近代文学4
• 同じ時期、幸田露伴(こうだろはん、1867 -1947)も漢学の教養を元に、『風流 仏』(ふうりゅうぶつ、明22)、『五重塔』(ご じゅうのとう、明24)など伝統的な精神や 恋の美しさを描いた作品を発表し、 人気を博した。紅葉と露伴の二人が 活躍したこの時期を「紅露時代」(明 治20年代)という。
金色夜叉
• 一高の学生の間貫一(はざま かんいち) の許婚であるお宮(鴫沢宮、しぎさわ み や)は、結婚を間近にして、富豪の富 山唯継のところへ嫁ぐ。それに激怒 した貫一は、熱海で宮を問い詰める が、宮は本心を明かさない。貫一は 宮を蹴り飛ばし、復讐のために、高 利貸しになる。お宮も幸せに暮らせ ずにいた。
近代文学4
過渡期の文学(3)
二、偽古典主義
• 維新以後の極端な欧化主義の反動 で、維新以前の日本文化を懐かしむ 復古主義の風潮が生まれた。日本 で始めての文学結社である硯友社 を、尾崎紅葉(1876-1903)、山田美 妙、広津柳浪、川上眉山、巌谷小波 (いわや・さざなみ)らにより、1885年(明 治18)2月に結成された。
我楽多文庫
• 彼らは、写実的な人間描写の中にも、 西鶴や近松など江戸文学の影響を 感じさせる作品を発表した。 • 硯友社は機関誌『我楽多文庫』(が らくたぶんこ、明18・5-22・10)を発 行し、広く読者を獲得した。
尾崎紅葉
• 中でも紅葉は雅俗折衷体(地の文を、 擬古文とよばれる平安時代の和歌 や仮名文を基調とする雅文[文語体] で書き、会話の部分を江戸時代以 降の日常的・実用的な俗文[口語体] で書く)を用いて『二人比丘尼色懺 悔』(ににんびくにいろざんげ、明22)を著し た。
五重塔
日本近代史 写实主义部分 翻译
写实主义写实主义文学理论的提倡翻译小说、政治小说虽然是从未见过的流行的新题材小说,但是说他们是当时一种过渡现象也不为过。
新时代要求新文学的出现,特别是在明治时期的前20年间,全面接受西欧的影响,各个领域都在策划进行近代化和西洋化,文学领域也不例外。
喜欢读近世末期的戏剧作品的人在学习了外语、接触了英佛路文学之后,留意到了日本和西欧的巨大差距,感到改良是必要的。
深感传统文学的缺点、虚假的空想和极度的夸张很明显,出场人物也十分老套、没有一点生气,文学作品所展现出来的思想也无法超脱恶人必死、善人必昌这样一个常识性道理。
与此相比,西欧文学中出场人物和事件本身都能让人确实的感受到那就如事实一般那个思想也被深刻的人生观所印证,并触摸到人生的微妙处。
但是我们应该知道文学并非是处于政治和道德的下位而存在的而是作为堂堂文化中的一个领域而独立存在的,而且整合了西洋文学的长处而形成的写实文学便自然而然地被理解。
为了改良日本文学,写实主义文学理论逐渐被提倡,写实主义文学理论便自然成为时代的大趋势。
这一类的写实文学理论的提倡者是对近世末期的戏剧作品和西洋文学都很了解,其本人也以西洋流的写实小说为基础写过小说,并且将理论和实践相结合的一类人。
近代文学的特征就在于写实主义,它展现了新的人生解释,另一方面否定了旧时代文学理念的戏剧作品的态度和把文学立足于劝善惩恶的看法。
而这种东西正是从对外国文学的研究所得到的知识。
这种写实主义理论可以说是近代文学的基础理论,但是这个理论不应该是只是理论的东西,实际上应该被认可为和小说创作者的提倡、创作息息相关的一种特色小说神髓明治18年到明治19年间,坪内逍遥所著的《小说神髓》的刊行,实质上就如同晓钟发出了近代文学的黎明到来的钟声。
这是从小说的本质和写作方法系统性的展开来,探明引导新时代文学的理论的一部作品。
关于作为新时代小说方向的写实主义的规则做了如下的论述。
(小说的核心是人情,世态风俗其次。
石田一良《日本文化史》部分段落翻译
Ⅲ封建制度和近代化东北欧和东南亚可是,罗马帝国很快就灭亡了,此后,在罗马帝国的统治下,农业和商业发达的西欧农耕地区产生了封建制度,形成了领土国家。
但是,在中国,古代帝国一直持续到清朝末期,在北方设置都城统治南方。
南中国在这个世界帝国的统治下被开发,水稻农耕发达,虽然用剩余生产发展商业,但由于一直被限定在古代帝国的政治框架下,同西欧地区一样,没能形成封建制度。
(增田氏认为,在东北欧地区,由于古罗马的后续帝国拜占庭因袭古代政治,没能形成像西欧那样的封建制度,同理,中国也一样)松田氏认为,在东南亚,虽然以港口城镇为中心开拓腹地,形成国家,但是这个南海的港口国家和前面的绿洲国家相比较,有海上和沙上之分,历史意义却是相同的,海洋商业国家即使扩大其所属的水稻农耕区域,也无法发展封建制度。
レイ・タン・コイ氏也是相同的意见,他在《东南亚史》中提到:在东南来的岛屿部,最早各王国出现在主要的海路(通商路)要地,在半岛部,从北向南,强有力的各民族建立了国家,但是,那些国家是专制王国,并没有作为封臣,多少具有一点独立性,可以同国王进行对抗的领主。
我认为,在欧亚地区,这样的国家存在方式同前面叙述的宗教的存在方式有密切的联系。
日本和英国,中国和欧洲日本在南中国的东北方向,西区的西北部是英国。
英国的中央集权封建制度十分发达,日本经历室町封建时代,到德川时代时完成了中央集权封建制度。
封建制度发达的地区更早完成资本主义近代化,这是公认的历史事实。
即,在欧洲英国最早进行产业革命,完成近代化,然后是欧洲各国的近代化。
在亚洲,日本最早进行产业革命,实现近代化。
南中国(梁启超氏认为,中国的近代化从南方开始,这对我有很大的启发)虽然和日本一样是水稻农耕地区,但封建制度却没能发达起来,这是国为古代帝国在北中国设立首都,一直到清朝末期都统治着整个中国,南中国被限定在“古代”的框架下。
因此,中国的近代化比较迟。
东南来的近代化较晚,也同样可以得到解释。
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写实主义写实主义文学理论的提倡翻译小说、政治小说虽然是从未见过的流行的新题材小说,但是说他们是当时一种过渡现象也不为过。
新时代要求新文学的出现,特别是在明治时期的前20年间,全面接受西欧的影响,各个领域都在策划进行近代化和西洋化,文学领域也不例外。
喜欢读近世末期的戏剧作品的人在学习了外语、接触了英佛路文学之后,留意到了日本和西欧的巨大差距,感到改良是必要的。
深感传统文学的缺点、虚假的空想和极度的夸张很明显,出场人物也十分老套、没有一点生气,文学作品所展现出来的思想也无法超脱恶人必死、善人必昌这样一个常识性道理。
与此相比,西欧文学中出场人物和事件本身都能让人确实的感受到那就如事实一般那个思想也被深刻的人生观所印证,并触摸到人生的微妙处。
但是我们应该知道文学并非是处于政治和道德的下位而存在的而是作为堂堂文化中的一个领域而独立存在的,而且整合了西洋文学的长处而形成的写实文学便自然而然地被理解。
为了改良日本文学,写实主义文学理论逐渐被提倡,写实主义文学理论便自然成为时代的大趋势。
这一类的写实文学理论的提倡者是对近世末期的戏剧作品和西洋文学都很了解,其本人也以西洋流的写实小说为基础写过小说,并且将理论和实践相结合的一类人。
近代文学的特征就在于写实主义,它展现了新的人生解释,另一方面否定了旧时代文学理念的戏剧作品的态度和把文学立足于劝善惩恶的看法。
而这种东西正是从对外国文学的研究所得到的知识。
这种写实主义理论可以说是近代文学的基础理论,但是这个理论不应该是只是理论的东西,实际上应该被认可为和小说创作者的提倡、创作息息相关的一种特色小说神髓明治18年到明治19年间,坪内逍遥所著的《小说神髓》的刊行,实质上就如同晓钟发出了近代文学的黎明到来的钟声。
这是从小说的本质和写作方法系统性的展开来,探明引导新时代文学的理论的一部作品。
关于作为新时代小说方向的写实主义的规则做了如下的论述。
(小说的核心是人情,世态风俗其次。
若问人情是什么,答曰:人情就是因为人们的七情六欲引起的所谓“百八烦恼”,)。
“百八烦恼”,换言之就是分析、如实描写人们心理的小说。
并且,这不是描写事物的外在,而是主张应该洞察事物的骨髓内里。
而且,作者还应该像心理学家那样,必须深入观察人物的外在和内心,甚至不能提及写实文学方面的作家的态度。
还有另一方面,好像历来奉行“劝善主义”的功力的文学也被谴责成封建残留。
逍遥的主张的重点就是第一,小说的写实是必须的,第二就是从功利而来的解放。
小说是艺术的一个领域,而且是专门描写人情和世态风俗的东西。
因此,小说家应该以心理学原理为基础,深挖人情的真髓。
而且,近世的戏剧作品不拘泥于儒教道德,否定劝善惩恶的说教手段,认可小说自身的价值,和宗教、道德、政治相独立存在。
其他方面,虽然戏剧创作者中,不把小说看成民众排遣解闷的东西、而是认为这是社会最低端的东西、最卑贱的东西的也大有人在,但是逍遥也倡导人们要尊重作为描写人生的艺术的小说。
这种理论主张全部来源于逍遥在英语文学的造诣和知识积累,同时也受到了本居宣长的《源氏物语玉的小节》的影响。
逍遥就这样一方面发表文学理论,同时因为实践了其他方面而公开了《当世书生气质》。
这部小说以一个书生作为主人公,围绕着他让许多其他书生相继登场,描述他们的生活、境遇和性格刻画出所谓的当时的书生气质所应有的样子。
但是小说本身也没能真正成为《小说神髓》所说的理论所描述的样子,人物类型化,用语多受旧文学影响。
这部作品作为新小说的先驱,向越来越多的人传递着影响,在文学史上占有重要地位。
小说总论继逍遥的【小说神髓】之后出现的更进一步地贯彻其立场的是二叶亭四迷的【小说总论】。
【小说总论】于明治十四年四月在【中央学术杂志】登载,逍遥的【序言】也附在上面,正像其中“这篇评论,由我的友人,擅长于俄罗斯文学的冷冷亭主人所做以评论书生气质,写在评论开头以示说明”所写的那样,二叶亭对逍遥的【书生气质】乃至【小说神髓】发表了自己的见解。
而且,正因为与【小说神髓】相比时期比较靠后而肩负起了超越【小说神髓】的宿命这件事也就显而易见了。
二叶亭将现实是由现象和本质生成的,从现象当中通过情感把握真相是一种艺术,从这样的立场出发作为小说方法之一临摹就成为必然的理由作出了说明。
其中所包含的理论以俄罗斯的别林斯基的理论为基础,作为核心的地方与【小说神髓】相同,是排斥劝诫小说,主张写实小说的现实主义。
然而主张的方式比起【小说神髓】来却及其彻底。
总体来看,比起【小说神髓】虽然及其简短,但在凝缩而成的表达之中不管是小说的体系还是实际操作的方针都蕴含其中,内容非常丰富。
作为近代小说理论的先驱,在文学史上可以说与【小说神髓】共同享有极高的地位。
二叶亭为了将此理论付诸于实践而创作了【浮云】。
【浮云】【幽会】的言文一致从东京外国语学校退学立志成为作家的二叶亭,就坪内逍遥的【当世书生气质】与【小说神髓】的主张并不一定相吻合一事询问了作者逍遥,互相之间围绕文学论的问题发生了争论。
于是以其为契机为了与【小说神髓】和【当世书生气质】针锋相对而发表了【小说总论】和【浮云】。
小说【浮云】是前篇假借坪内逍遥的名义于明治二十年发刊的,同时正当要用自己的名字于明治二十一年到二十二年间发表第二篇第三篇的时候,由于对自己的资质及文学本身产生了怀疑,小说没能完成便弃稿了。
说起这篇小说的特色,无疑是它并没有以往小说那样的人为做作的脉络。
并没有刻意地制造出好人坏人,也没有选择所谓的金童玉女做主人公。
而是采取了着眼于当时随处可见的市井人物,单纯地观察普通人的生活并用淡淡的笔调刻画出来的方式。
描绘了忠厚老实又缺乏处世才能的官吏内海文三和他的叔母阿政,表妹阿势以及轻浮又善于奉承的才子本田昇四个登场人物,描述了有精神洁癖且循规蹈矩的文三逐渐由于昇的卑贱的行为而导致了人生的败北正苦恼不已,而一直被自己寄予感情的阿势也被昇夺走的经过。
然而这部作品的主题并非存在于对那件事情的变化的描述当中,对主人公文三自我觉醒,虽然想要和封建的事物作斗争,然而终因意志软弱被周围击垮而苦不堪言的心灵纠葛的描写才是主题所在。
这可以解释为作者二叶亭对曾经赌上了青春年华也要换求的生存方式的座右铭——【仰不愧于天俯不愧于地的正直】在现实生活的嘲弄中逐渐败北的怀疑的表现。
【浮云】作为近代最初的正式的现实主义小说,保持了永不磨灭的名声。
第一,在小说的文体方面首次采用口语形式,原封不动地加进俗语,用语及其随便和自由。
这种言文一致体裁的文章创造了与近代人对思想感情的表现相适应的清新的文体。
第二,描写的手法也远超当时小说的水准,即便环视日本近代文学全体也可以说是罕见的,客观的现实主义。
第三,以主人公为首,人物造型生动,其心理活动也被活灵活现地表现出来。
第四,通过主人公内海文三的苦恼,就近代知识分子生活的艰难,官僚制度的庸俗,新旧思想的对立等根本问题进行了如实的阐述。
因此说日本近代文学通过【浮云】由此宣告迈出了第一步,也并非不合适。
言文一致的口语体的文章的试验田当中,也有山田美妙的短篇集【夏木立】的身影。
将这二者仔细比较的话,美妙的文章通常是使用敬体的,然而二叶亭那可以说是简体式的用语则完全与众不同;美妙的文章,通常惯用比喻或拟人等多种手段,令人感觉到稍微有些矫揉造作,与此相对,二叶亭的作品尽量避免使用修饰语,简洁明晰地描述事实,这一点可以说是领先了其他作品一步。
而且即便是翻译自屠格涅夫作品的【幽会】【邂逅】二叶亭也展示了其费尽心血的现代语翻译,其对自然描写的新鲜感让人瞠目而视,给后世以国木田独木为首的作家以深刻的影响。
拟古典主义政教社、砚友社的兴起由于西洋文明制度的输入过快,引起了对极端欧化的批判和自我反省。
过度的欧化热在明治20年的鹿鸣馆的假装舞会上达到顶峰后,终于进入了反省期,这种反抗更是逐渐地掀起了保守主义和国粹主义的风潮。
且先不说极端反动的事,因为一般人们都是想尊重传统和古典的优秀的东西,因此也怀揣着正当的要求。
与此相比,即便是在明治初年,慨叹浅薄的西洋化、持有遁世态度的《柳桥新志》的作者成岛柳北那样的人都存在,但是国粹派也紧紧地团结在一起开展活动也是明治20年以后了。
也就是说,明治21年,以三宅雪岭、志贺重昂、杉浦重刚等人为核心组成了政教派,他们以《日本人》和之后的《日本及日本人》作为机关刊物,批判浅薄的文明开化的事事,拥护国粹,攻击对西洋卑躬屈膝的态度。
在文学领域,由于外国文学的输入,了解了近代文学是什么样的东西,这次进入了用那双眼去重新审视本国的古典、重新发现其价值的这样一个阶段。
特别是淡岛寒月对井原西鹤价值的再发现,由于人们鼓吹宣传,元禄文学、尤其是西鹤的小说,作为日本的写实小说开始被重新认知、评价。
对于近松门左卫门和松尾芭蕉等的关注度也很高。
在西鹤的文学作品中,与陷入人物刻画类型的剧作文学相比,人们惊奇地发现了新的对人物的典型的描写。
这样,在文坛中拟古典主义风靡开来,砚友社的人们便处于中心地位。
砚友社是在明治18年,以尾崎红叶为中心,加上山田美妙、石桥思案等人成立的文学社。
机关刊物开始是发行的抄写传阅的《我乐多文库》,之后逐渐改用印刷手段在市面上出售,期间,岩谷小波、川上眉山、广津柳浪等人作为同事加入。
砚友社逐渐成为很显赫的存在,在明治20年代势力得到扩张,红叶也和幸田露拌平起平坐,甚至获得了被公认为红露时代的巨大声望。
红叶以《二人比丘尼色忏悔》初登文坛,这部作品因为文体而备受瞩目,它并非言文一致,而是叙事部分用文语体,会话部分用口语体,雅俗共赏。
这就是当时的新倾向,据说是为了对抗美妙的短篇集《夏木立》而创作的。
后来,不管是构思也好,文章也好,都完全模仿西鹤风格写的《伽罗枕》、描写美丑两姐妹婚姻生活对照的《二人女房》、还有描写一个男人和三个女人的关系的《三人妻》等等都成名了。
更有为了显示对新时代风俗的关心而创作的《多情多很》、《金色夜叉》被认为是优秀的文章而备受追捧。
红叶就这样成为当时文坛拥有巨大力量的巨匠,不管怎么说,他都是新时代不可多得的重要的核心作家,而且更不用说其门下肩负新文学的优秀作家一代又一代涌现出来。
作为红叶门下屈指可数的作家,有泉镜花、小栗风叶、德田秋声等。
幸田露伴虽然幸田露伴被与尾崎红叶相提并论,明治二十年代也被称作红露时代,但其在文坛上的出现简直就像彗星一般。
幼年就爱好文学,很早就开始接触并熟知井原西鹤等作家的作品,但是由于父亲的反对,从而入学电信修技学校,作为电信技手赴任于北海道。
之后受到东京文学运动的刺激,辞职赴京,在【都之花】杂志上发表了【露团团】并博得好评。
在【露团团】【一刹那】等作品中自由运用汉语词和佛门语言而被誉为奇才。
诚然,在当时言情小说盛行的潮流中露伴的小说显得尤为可贵。
接下来发表的【风流佛】再次让露伴名声鹊起。
其中描写了与演艺之道相结合的理想主义的宗教式恋爱。