日本における宗教
日语二级语法汇总
日语二级语法汇总11.~として(は)/~としても/~としての意味明确指出立场、资格或种类接続[名]+として①彼は国費留学生として日本へ来た。
/他作为公费留学生来到了日本。
②この病気は難病として認定された。
/这种病被认定是疑难病症。
③あの人は学者としては立派だが、人間としては尊敬できない。
/那个人虽然作为学者来讲是优秀的,但作为一个人却不值得尊敬。
④彼は医者であるが、小説家としても有名である。
/他虽然是医生,但作为小说家也是很有名的。
⑤日本はアジアの一員としての役割を果たさなければならない。
/日本作为亚洲的一员,必须发挥其作用。
2.~とともにA意味和…一起接続[名]+とともに①お正月は家族とともに過ごしたい。
/希望和家人一起过新年。
②大阪と東京とともに日本の経済の中心地である。
/大阪和东京都是日本的经济中心。
B意味…的同时接続[動-辞書形][い形-い]+とともに[な形-である][名-である]①小林氏は、学生を指導するとともに、研究にも力を入れている。
/小林先生从事学生指导工作的同时,也从事着研究工作。
②代表に選ばれなくて悔しいとともに、ほっとする気持ちもあった。
/不能当选为代表,在懊悔的同时也感到了解脱。
③この製品の開発は、困難であるとともに、費用がかかる。
/这种产品的开发既有困难,同时也需要资金。
④義務教育は、国民の義務であるとともに、権利でもある。
/义务教育既是公民的义务,同时也是公民的权利。
C意味伴随着某种变化的发生,其它变化也相继发生。
接続[動-辞書形][名]+とともに①年をとるとともに、体力が衰える。
/随着年龄的增长,身体开始衰弱。
②自動車の普及するとともに、交通事故も増えてきた。
/随着汽车的普及,交通事故也不断增多。
③経済成長とともに、国民の生活も豊かになった。
/随着经济的增长,人民的生活富裕起来了。
3.~において(は)/~においても/~における意味在…〈表示时间、地点〉接続[名]+において①会議は第一会議室において行われる。
日本文化考点整理
日本文化考点整理日语112班王明雪第3回聖徳太子と飛鳥文化法隆寺金堂(こんどう)第5回奈良時代と天平文化天平文化时代的历史①☐710年:平城京へ遷都☐720年:藤原不比等没不比等の死後、長屋王(天武天皇孫)が中心となって政治を行う。
☐724年:聖武天皇即位☐729年:長屋王の変讒言により長屋王が自殺させられる。
藤原4兄弟(不比等の子)の陰謀説が有力。
天平文化时代的历史②☐729年:光明子立后(光明皇后)藤原不比等の娘の光明子が聖武天皇の皇后になる。
臣下の娘では初めて。
立后=皇后になること☐737年:藤原4兄弟相次いで病没この年、全国で流行した天然痘で藤原4兄弟全滅。
藤原氏の勢力が一時的に衰え、橘諸兄を中心に吉備真備や玄昉などの唐留学経験者が活躍。
☐740年:藤原広嗣の乱☐740~745:恭仁→難波→紫香楽→平城と遷都を繰り返す天平文化时代的历史③☐749年:聖武天皇譲位、孝謙天皇即位光明皇后を後ろ盾に藤原仲麻呂が台頭。
橘諸兄の力が弱まる☐752年:東大寺大仏開眼供養☐754年:鑑真が日本到着☐757年:橘奈良麻呂の変☐758年:孝謙天皇譲位、淳仁天皇即位この時、藤原仲麻呂が恵美押勝の名を賜る。
天平文化时代的历史④☐764年:恵美押勝の乱恵美押勝(藤原仲麻呂)が反乱を起こして敗死する。
淳仁天皇廃位されて孝謙上皇が重祚(称徳天皇)し、その寵愛を受けた僧の道鏡が台頭。
☐770年:称徳天皇没、光仁天皇即位天武天皇の系統が絶え、天智天皇の孫の光仁天皇が即位。
この時、道鏡は下野(今の栃木)に追放。
☐781年:光仁天皇譲位、桓武天皇即位☐784年:長岡京へ遷都天平文化的特征☐平城京中心の高度な貴族文化☐盛唐文化の影響が強く国際色豊か☐鎮護国家思想に基づく仏教文化※鎮護国家思想:仏教によって国の安定を図るという仏教思想記紀古事記現存する日本最古の歴史書。
712年完成。
稗田阿礼が暗唱していた「帝紀」「旧辞」を太安万侶が筆録。
日本 の 宗教
キリスト教の信徒数は现在は、(洗礼を基准と した)公式数としては、全人口の0.8%とされる。 この割合は欧米を中心とする先进诸国と比较し て当然ながら低い。またアジア全体と比较して も异例の低比率である。日本のキリスト教団体 の多くは、ヨーロッパ・アメリカ・韩国に比し て小规模である(特にプロテスタント教会)。
• 日本の宗教日本における宗教の信者数は、文部科 学省の宗教统计调査によると、神道系が约1亿700 万人、仏教系が约9,800万人、キリスト教系が约 300万人、その他约1,000万人、合计2亿900万人 となり、日本の総人口の2倍弱の信者数になる。 神道系と仏教系だけで2亿人にせまる
信加神いな教ず神 者な棚が入)(道 とどの、信に注( 见を设特规は〃神 る行置定定明教社 向う、のも确派神 きこ神神なな神道 がと社社い教道) 多もへの。义系は いあの氏氏がの明 。り寄子子存セ确 、付で入在クな こ、なりすト教 れ祭いがる宗义 を事日こ)教が もへ本れ、(存 っの人に厳新在 て参が近密宗せ
神道、仏教に加えて、宗教として意识されることは少ないが、葬仪、死生 観を中心に儒教も大きな影响を残している。先祖霊などの観念は现在では 仏教に组み込まれているが、本来は仏教哲学と矛盾するものであり、古来 の民间信仰と儒教に由来する。位牌、法事など、先祖供养に関わる重要习 惯が儒教起源である。思想、道徳としての儒学は支配阶级を中心
在う生と中徐 そ す。がの东々万の る结影结、に人他 が婚响婚南増いの 、にしでア加る宗 现拠て改ジ倾と教 时らい宗ア向いで て点なるし、にわは いでいとた东あれ、 なは、思人南るるイ い大日わ々アと。ス 。き本れとジい ラ な人る、アわ ム 流の そなれ年教 れ改要のどる代の に宗出二の。後信 は者典世出こ半徒 なもとの身れかが っ存い诞者はら约
武者小路实笃的【友情】
目録1 はじめに...................................... 错误!未定义书签。
2 先行研究 (2)3 白樺派と武者小路実篤について .................. 错误!未定义书签。
3.1白樺派の概観 (3)3.2武者小路実篤の紹介............................. 错误!未定义书签。
4 『友情』について.............................. 错误!未定义书签。
4.1『友情』の背景及び粗筋 ..................... 错误!未定义书签。
4.2『友情』の主人公の心理変化と特徴............ 错误!未定义书签。
4.2.1野島は自己喪失から自己肯定へ.............. 错误!未定义书签。
4.2.2大宮は自己抑制から自己肯定へ.............. 错误!未定义书签。
4.2.1杉木は自己肯定........................... 错误!未定义书签。
5 『友情』の中から、武者小路実篤の理想主義の表現と意義错误!未定义书签。
5.1『友情』の中から、武者小路実篤の理想主義の表現错误!未定义书签。
5.2『友情』の中から、武者小路実篤の理想主義の意義错误!未定义书签。
5.2. 1武者小路実篤に対する意義 .............. 错误!未定义书签。
5.2. 2日本文壇に対する意義..................... 错误!未定义书签。
5.2. 3私たちの生活に対する意義.............. 错误!未定义书签。
6 終わりに...................................... 错误!未定义书签。
6.1まとめ (13)6.2今後の課題................................. 错误!未定义书签。
1 はじめに武者小路実篤は、明治一八年—昭和五一年、東京生。
日本の芸术
浄 瑠 璃
浄瑠璃(じょうるり)は、日本の伝統芸 能における音曲の一種、語り物(かたり もの)の総称。
净琉璃是日本传 统艺能中一种的 音曲,说唱故事 的总称。
概要 浄瑠璃は、三味線を伴奏楽器として太夫が詞章(し しょう)を語る音曲である。詞章が単なる歌ではな く、劇中人物のセリフやその仕草(しぐさ)、演技 の描写をも含むものであるために、語り口が叙事的 な力強さを持つ。このため浄瑠璃の口演は「歌う」 ではなく「語る」という用語を以て 表し、浄瑠璃系統の音曲をまと めて語り物(かたりもの) と呼ぶのが一般的 である。
夸张的表情
漫才是日本曲艺的一种,又称万岁或万才,日本式的相声表演。
一般由两人表演,以幽默风趣的语言艺术见长,类似中国的对 口相声。 源于古代日本人大年初一拜年表演的万岁。即把拜年作为一种 仪式,由艺人头目和配角为一组,头戴乌纱,身着大礼服,到 各家以风趣吉祥的语言道贺,然后击鼓表演歌舞。据说这种歌 舞模仿的是唐朝的踏歌舞。 现在的漫才融进了口技、舞蹈、歌唱等艺术,而且出现了戏剧 漫才 (相声剧) 、多口漫才 (多口相声)以及女漫才师表演
狂言在15世纪中页趋于定型后,主要分成“大 藏流”,“鹭流”与“和泉流”三个流派。 鹭流经历了江户末期的动荡以后,在明治时期 已经失传
一般是按照主角所扮演的人物来分类: 第一类为“胁狂言” 。 第二类是“大名狂言”。大名就是地主。 第三类是所谓新郎新娘戏。描写男女婚事,岳父和女 婿的口角等等。 此外,还有鬼狂言、山僧狂言、座头狂言等等,一般 称为“杂狂言”。
日语的“落”是指抖包袱,落语最精彩之处就在于段子最后的 “落”。表演者身着传统和服,手持折扇,跪坐于蒲团之上, 依靠幽默诙谐的笑话和惟妙惟肖的表演制造笑料。日本关根默 庵所著的《江户之落语》曾这样描述落语的魅力:“一碗白汤, 一柄折扇,三寸舌根 轻动,则种种世态人 情,入耳触目,感兴 觉快,落语之力诚可 与浴后的茗香熏烟等 也。”
葬式中日泣表現比較
Science &Technology Vision 科技视界1泣きの普遍性と多様性泣きとは一般的に生理現象の一つであると考えられている。
「泣く」ということは、悲しみや苦しみや喜びなどを抑えることができず、内側から感情が溢れて、声が出て、涙が出るということである。
①この点から見れば、泣きは人間にとって普遍的な現象である。
しかし、人間がどんな場合に泣くか、どのように泣くか、また、泣きによってどんな意味を表したいのかということは、文化的背景によって異なっている。
すなわち、泣きは多様性がある。
例えば、ある社会で、「泣く」ということは自分の感情を表す適当な方式として、地元の文化に許容されている。
しかし、ほかの文化においては、人前で感情を表に出さないことがマナーとして守られ、人間ができるだけ涙を抑える。
文化的背景は子供の時から、人間の感情の表し方に大きな影響を及ぼしている。
なぜかというと、赤ちゃんは腹が減る時や痛みや不快を感じる時に泣いて、人の注意を引く。
この段階での泣き方と泣きの意味は、どの社会においても同じである。
しかし、子どもから少年、青年への成長につれて、人間はだんだん泣かなくなって、泣き方も変わっている[1]。
例えば、日本では、「人前では感情を抑えるのが美徳」とされるので、日本人は葬式においても、悲しくて無理して顔に表さない。
これに対して、中国人は葬式で悲しみを表すために大きな声で泣く。
これから、極めて悲しみに満ちている葬式における泣き方を中心に、中国人と日本人の泣き方とその意味を見てみよう。
2葬式で泣き叫ぶ中国人中国の伝統的な葬式においては、「泣き」は非常に重要な一環である。
葬式で泣き叫ぶことは当然のことだと思われている。
また、儀式としてプロの「泣き屋」(“哭丧队”)という上手に泣く女性に頼んで、泣いてもらうことも珍しくない。
農村の伝統的な葬式では、親戚や近所の人は葬式場に一歩入ったとたんに、葬式場にいた遺族たちは号泣し始め、弔問して来た人も号泣しながら、死者の遺影の前に三回叩頭して紙銭を焚いた。
日本文化-8宗教
鳥居
手水舎
、末社
狛犬
参拝の作法 ①神社に行く前にお風呂で体を洗う。 ②鳥居をくぐる時に一礼する。 ※参道を歩くときは中央は避けて歩く。 ③手水舎で手口を洗う。洗った後は手口をき れいな紙やハンカチでふく。 ④拝殿の前で、二拝二拍手一拝する。 ※神社によって作法が違うところもあります。 その場合は巫女さん等に作法を教えてもらっ てください。
東大寺:奈良県
法相宗(ほっそうしゅう) 開祖は道昭(どうしょう) 本山は興福寺(こうふくじ)、薬師寺(やくしじ)等
興福寺:奈良県
薬師寺:奈良県
律宗(りっしゅう) 開祖は鑑真(がんじん) 本山は唐招提寺(とうしょうだいじ)
唐招提寺:奈良県
真言宗(しんごんしゅう) 開祖は空海(くうかい) 本山は東寺(とうじ)、金剛峰寺(こんごうぶじ)等
①鳥居:神域と人界を区画する結界。 ②石段:参拝をしに行くために歩く道。 ③参道:参拝をしに行くために歩く道。 ④手水舎:参拝者が身を清める。 ⑤灯篭:灯明を奉納する。 ⑥神楽殿:神楽(神に奉納する歌舞)を奉納するための建物。 ⑦社務所:神社の事務を行う。 ⑧絵馬殿:絵馬(祈願や感謝を奉納するもの)を掛ける所。 ⑨摂社、末社:神社の神と縁の深い神を祀る。 ⑩狛犬:魔除けに用いるとされている。 ⑪拝殿:参拝用の建物。 ⑫瑞垣:神域と人界を区画する結界。 ⑬本殿:神体が鎮座する場所。
知恩院:京都府
光明寺:京都府
浄土真宗(じょうどしんしゅう) 開祖は親鸞(しんらん) 本山は西本願寺(にしほんがんじ)、東本願寺(ひがし ほんがんじ)
论文刘秀秀定稿日语
中日葬式の比較1 初めに死亡は人々どうしても免れないことである。
葬式は民族特性、地理条件、歴史時代、社会制度、経済状況などの制約を受ける。
それはある国、民族、地域が特定の時期に文明程度の反映である。
葬式は「魂が消えてなくなることがない」の死生観を影響して、生者と死者の話である。
生者と死者の間、祖を思うことと懐親が存在している。
死者をめぐって各種葬式を展開して、直接的あるいは間接的に多くの現実の社会の方面を反映する。
葬式は人々の宗教の信仰、倫理の観念、民族の意識、生活様式、社会の構造などと密接な関係がある。
現在、中国は土葬と火葬、二つ全然違うの葬式が共存する。
伝統文化と新興文化が共存する。
それで、中日両国の葬式に対して、研究をする。
中日両国の葬式の研究を通して、中日両国の文化交流を深める。
2 日本の葬式2.1 日本での葬法の種類「葬法などというものは、民族種族にとっては基本的な文化要素であるはずで、葬法がちがえば他世観も違い、それにつれて儀礼や信仰の様相が、根本的に異ったものになると思われるのだが、少くとも日本では、土葬人種もしくは火葬文化というような、葬法種別にもとづく文化が、確立しているような気配がない。
」①葬式は、人の死を弔うために行われる祭儀、葬制の一部である。
地域と時代が異なるため、埋葬のやり方が違ってくる。
「『続和漢名数』によると、日本でも中世には土葬、火葬、水葬、野葬、林葬の五葬あり、このうち土葬以外は、みな身体の形をこわしてしまうのだから不孝不仁のいたりである。
近世になって文化がようやく開け、水葬、野葬、林葬の三つはなくなった、といっている。
このほか、風葬、曝葬、洞窟葬、死体保存(ミイラ)などの名称があり、こんにちわが国で現に習俗としておこなわれているのは、土葬や火葬にかぎられ、わずかに沖縄その他に曝葬・洞窟葬が痕跡程度に見られるばかりである。
出羽三山のミイラなどは、葬法というよりは一種の自殺手段で、日本には一般に死体保存の習俗はない。
日本の宗教
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3. 挙げる「あげる」(下一他)/举行
4. 溶け込む(五自)/溶化,溶解
5. もっとも(副)/最
6. 伝える「つたえる」(五他)/(被动态为伝えられる)传给,传播
7. 存続「そんぞく」/存续,延续,连续
8. 両立「りょうりつ」/两立,并存,两者都做得到
9. クリスチャン「Christian」/基督教徒
神道是日本最古老的宗教,始于自然崇拜,以崇拜祖先为主流。因此,神道是多神教。
佛教始于公元前五世纪的印度,大约在六世纪时传入日本。自国外传入的佛教对日本人的生活产生了极大的影响,但日本自古以来的民族信仰——神道仍继续存在。两种宗教长期并存,这就是日本宗教的特征。
日本基督教的历史还很短,基督教徒仅为国民总数的1%。
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上一期 下一期 【日语阅读】日本世情368、日本の宗教
正月は神社に初もうでに行くが、結婚式はキリスト教で挙げ、お葬式は仏教でというように、日本には特有の宗教観が日常生活の中に溶け込んでいる。
神道は日本でもっとも古い宗教であり、自然崇拝に始まり祖先崇拝を本流とする。このため神道には多くの神々が登場する。
日本人の宗教観はだんだん薄れていると言われるが、それでも、神棚と仏壇を供える家庭はまだ多く見受けられる。また形に表れない場合でも、日本人の精神の奥深くに、仏教、神道に根差した宗教観が宿っているといえる。
《徒然草》第七十五段中的中国文化
它是“天台三大部”之一,是天台宗大师智顗的 门人章安听记并整理的著述,内容主要是智顗对 于“止观”的论说。文中引用的“生活、人事、 伎能,学问等诸缘皆应弃去”出自《摩诃止观》 四下:“第四息诸缘务者。缘务妨禅由来甚矣。 兰若比丘去喧就静。云何营造缘务坏兰若行。非 所应也。缘务有四。一生活。二人事。三技能。 四学問。”
天台宗以外,第七十五段的内容也反映了 《徒然草》深受禅宗的影响。这一段也被认为是 兼好性情论的反映,从中可以看出其对于“心” 的论点。例如第二部分的首句可以解释为:流于 世俗,人心就容易被外物左右而迷惘,同他人交 际就容易迁就他人而压抑本心。在追求一贯、不 变的心境这一点上,兼好可以说与禅宗六祖慧能 是一致的,可谓“菩提本无树 , 明镜亦非台 , 本 来无一物 , 何处惹尘埃”。
最后,虽然在本段中与中国儒教相关的因 素无迹可寻,但儒教的伦理观对于吉田兼好以及 《徒然草》的创作都产生了重要的影响,也是不 可忽视的中国文化元素。
三、总结 上文就是笔者从佛教(天台宗·禅宗)、 道教两个角度,对于《徒然草》第七十五段中的 中国文化宗元素的考察。虽然只是其中一段,但 足以看出兼好对于人世的重视,以及意图从社会 现实中探求真理的志向。也可以看出中国文化中 的宗教思想对于作者的影响和在其文学作品中的 表现。可见当时的日本社会不仅持续受到中国文 化及从大陆传入的佛道教思想渗透,并已形成了 诸教共存、调和的局面,且对文学创作也产生了 巨大的影响。
其次,中国的道教思想在《徒然草》的思想 基础形成过程中也起到了至关重要的作用。“苟 能断离诸缘而使此身趋静,不参预世事而令此心 趋安”,兼好推崇静寂可以看作是对于回归“虚 静”(取自《老子》十六章“致虚极、守静笃”) 的思考,也可视为对于《庄子》天道篇中所讲求 的“虚静恬淡寂漠无为”理念的反映。第七十五 段中所体现出的“无常观”“无为”与道教的 基本教义是契合的。此外,在《徒然草》第十三 段中,兼好也曾提及其爱读《庄子》《老子》。
日本人の宗教観と国民性
Q4.次の中で、気にすることは?(複数回答可)
仏滅の日の結婚式 42.1% 友引の日の葬式 42.8% 葬式帰りのお清め 30.2% 北まくら 31.7% 4という数字 15.3% 13日の金曜日 11.9% 厄年(やくどし) 43.8% 家の方角 21.2% 名前の字画数 13.3% どれも気にしない 22.5% わからない 2.0% ※1 ※1
神棚(かみだな)
仏壇(ぶつだん)
うじが札
神宮大麻
Q2.次の中で、やっていることは?(複数回答可) お正月に初詣に出かける 72.6 % お彼岸やお盆にお墓参りに行く 76.0% お守りやお札などを身につけている 25.8% 神社や寺などの近くを通った時にお参りをする 24.3% 家内安全、商売繁盛、入試合格などの 祈祷(きとう)をしに行く 22.7% Q3.次のものは存在すると思うか。(複数回答可) 神 35.6 % 仏(ほとけ) 36.3% 先祖の霊(れい) 36.3% 天国 12.1% 地獄 10.0% あの世・来世(らいせ) 15.9% 生まれ変わり 17.8% 存在するものはない 27.0%
日本人の宗教観と国民性
二 〇 二 段 の 階 段 も て ざ )は か (お 坂 「表 称 通
の 竈 神 社 (し お が ま じ ん じ ) ゃ
塩
1.日本人の宗教(しゅうきょう)観
よく欧米人から 「日本人は宗教を持たない民族だ」と言われる なぜ?→・結婚式ー神社や教会 ・子供が生まれるとー神社←お宮参り、七五三 お宮参り ・葬式ー寺 ➡統一性がない
②.仏教
538年 朝鮮半島より伝来 鎮護(ちんご)国家のため各地に国分寺建設 歴史上たびたび弾圧を受ける Q1.次のものの中であなたの家にあるものは?(複数回答可) 神 棚 44.1% 仏 壇 49.8% 氏神様のお札 24.0% 神宮大麻 7.3% 著名な神社・お寺のお札 26.3% 荒神様(かまど神)のお札 9.8% ない 24.0% わからない 1.5%
日语论文参考题目
2012届日语专业毕业论文备选题目一.一.日本文化、社会について1.1.日本におけるアニメ創作2.2.中日の入社教育の比较3.3.日本への中国人留学生について4.4.桜と武士道との関係5.5.日本人が外来文化への態度6.6.新闻记事の在り方から见た日本の人権7.7.日本人と日本語――文字から見た日本人8.8.日本の祭事・行事9.9.日本人の国家意識10.10.人間関係における義理人情11.11.日本のドラマから見る日本社会12.12.日本語教育への文化導入13.13.日本人の宗教観について14.14.日本人の憂患意識について15.15.日本の茶道の流派について16.16.日本人の恥について17.17.メディアは日本人への影響18.18.日本における祭り文化19.19.「羅生門」の現代の意識20.20.なぜ宮崎駿は人気があるのか21.21.日本の神道についての一考査22.22.日本の生徒同士间いじめから考える中国教育の在り方23.23.日本人の自殺心理24.24.挨拶から見る日本文化の特徴25.25.グローバルが日本の伝統文化への影響26.26.オスカーに入賞したアニメ27.27.日本のアニメ文化が中国の子供への影響28.28.日本における「女性職業文化」についての分析――OLを中心に29.29.日本人の食文化30.30.名刺に依頼する日本社会31日本人の弁当から見る日本の文化32.中日テレビニュースの比較33.中日両国における環境意識について――ゴミ処理の视点から34.日本における相撲35.日本の中学校における野球36.中日における伝統的な着物の比較37.日本の演歌歌詞の特徴38.日本人の中流意識の変わり39.少子化が日本社会への影響40.日本の高齢化社会の福祉について41.日本の核家族の特徴42.日本の人口構造について43.中日における貿易の摩擦44.中国におけるトヨタの経営方式について45中国市場に進出した日本車の調査46.西安の日本料理店の調査47.日本の中学校における野球48.日本の核家族の特徴49.日本の人口構造について50.中日テレビニュースの比較二.日本語について(一)(一)文字、語彙1.1.日本語における国字2.2.日本語における「~れる、~られる」3.3.日本語における漢字の未来4.4.日本における漢字の変遷5.5.日本における外来語について6.6.日本語における数量詞について7.7.流行語への再認識8.8.日本語における自他動詞9.9.女性言葉の文末詞について10.10.日本語における常用外来語11.11.日本語での「大丈夫」と中国語での「大丈夫」の考察12.12.日本語の「で」と「に」の使い方13.13.日本語の使役表現について14.14.日本語における「の」に関する使い方15.15.「こと」に関する慣用型16.16.日本語における畳語についての研究17.17.日本語における漢字についての研究18.18.日本語教育の角度から「は」と「が」の使い分け19.19.日本語における漢語の(意味)についての研究20.20.和字についての研究(二)(二)表現1. 1.日本語における仮定表現2. 2.敬語から見る日本人の「内」と「外」意識3. 3.日本語の主語の省略現象について4. 4.日本語における流行語について5. 5.日本語の忌み言葉6. 6.日本語の授受関係について7.7.日本語における比喩表現8.8.日本語における色に関する表現9.9.日本語における若者言葉10.10.日本語の敬語についての考査11.11.お礼を言う感謝の言葉12.12.日本人の好きな言葉に関する考査13.13.日本人の嫌いな言葉に関する考査14.14.日本語における女性用語の表現(三)文法1. 1.日本語の助詞について2. 2.「~てある」について3. 3.中日両国語の受動態の比較4. 4.“让·使”と「せる·させる」5. 5.日本語の「が」について6. 6.日本語助詞、助動詞についての研究7.7.日本語の動詞についての研究8.8.日本語接続詞ついての研究9.9.日本語謙遜語についての研究10.10.日本語「らしい」についての研究11.11.「そうだ」、「ようだ」、「みたいだ」、の区别について12.12.「へ」と「に」についての比較考察(四)文学1.「雪国」における女性像2.社会学から「おくりびと」を見る3.「渡る世間には鬼ばかり」について4.「ノルウェーの森」について5.原爆と「黒い雨」6.曽野綾子と女流文学7.「鼻」の主人公の性格について8.「蟹工船」とプロレタリア文学9.夏目漱石と「こころ」10.大江文学における「死者の奢り」11.川端文学から見た孤児性12.野間宏と戦後派文学13.井上靖の「敦煌」を読む14.松本清張と推理小説15.「伊豆の踊り子」を読む。
向日葵の咲かない夏 ——刘澈
传入:儒学东渡 据成书于公元720年的日本第一部正史《日本书纪》记载, 应神天皇15年(公 元405年)百济博士王仁应邀到达日本,带去 10卷《论语》和一卷《千字文》。712年的《古事记》也有类 似的记载。 这是中国儒学传入日本的最早记录。此后,中国 儒学在日本逐渐传播,对其政治、法律、文学、哲学、宗教及 艺术等产生广泛 而深刻的影响,加速了日本的文明进程。 早期日本儒学(飞鸟 、奈良、平安时代): 早起的日本儒学主要依附于佛教之下。从圣德太子进行推 古朝改革后,到孝德天皇进行“大化改新”,再到大宝元年, 制定《大宝律令》,这些都是日本早期儒学治国治民的思想被 日本政治所采用的标志。
江戸時代: 江戸時代になると、それまでの仏教の僧侶らが学 ぶたしなみとしての儒教から独立させ、一つの学問と して形成する動きがあらわれた(儒仏分離)。中国 から、朱子学と陽明学が静座などの行法をなくした純 粋な学問として伝来し、特に朱子学は幕府によって封 建支配のための思想として採用された。藤原惺窩の弟 子である林羅山が徳川家康に仕え、以来、林家が大学 頭に任ぜられ、幕府の文教政策を統制した。 朱子学は、文治政治移行の傾向を見せる幕政にお いて、立身出世の途となり、林家の他の学派も成長し た。特に木下順庵門下には、新井白石、室鳩巣、雨森 芳洲、祇園南海ら多くの人材を輩出した。
江戸時代を通して、武家層を中心として儒教は日 本に定着し、水戸学などにも影響、やがて尊皇攘夷思 想に結びついて明治維新への原動力の一つとなった。 一方、一般民衆においては、石田梅岩の石門心学等わ ずかな例外を除き、学問としての儒教思想はほとんど 普及しなかった。
儒学的全盛和日本化(江户时代) 江户时代(1603-1867)是日本社会的最后一个封建 时代。经过战国时代的混乱,德川家康建立了他的政治 体制——幕藩体制。进入江户时代以后,儒家思想上升 到统治地位,儒学在此阶段进入了它在日本的兴盛时期。 德川幕府时代,日本学者推崇儒学,尤为推崇《论语》。 然而由于日本不受科举制度的束缚,对《论语》的解释 比中国要自由得多。 在儒学发展的同时,日本出现了研究儒学的不同派 别。各学派之间的学术观点各异,于是各派之间展开了 学术争鸣,犹如百花齐放,争相斗艳,使学术研究得到 了更加深入的发展。
日本文化
日本の昔話昔話は民話のひとつである。
「ムカシ」「ムカシコ」「ムカシガタリ」などとも呼ぶ。
民衆の生活のなかから生まれ、民衆によって口承されてきたもので口承文学、また民俗資料の一である。
テレビアニメ化やビデオアニメ化もされている。
「むかし」という確かではない時や「あるところに」という不明な場所を発端句として用い、本当にあったかどうかは知らないけれどという心持ちで語り継がれる話である。
そのため、固有名詞を示さず、描写も最小限度にとどめ、話の信憑性に関する責任を回避した形で語られる。
時代や場所をはっきり示さず、登場人物の名前も「爺」「婆」などのように性別や年齢などの特徴をもとにした普通名詞が多い。
「桃太郎」も「桃から生まれた長男」の意味しか持たない。
「てっぺんぐらりん」「どんどはれ」「とっぴんぱらりのぷう」などで終わることが多く、これを結句と呼称している。
結句は地域によってそれぞれの言葉が用いられる。
日本のおもな昔話は、こぶとりじいさん、桃太郎、金太郎、浦島太郎、花さかじいさん、さるかに合戦、一寸法師、舌切り雀、笠地蔵、おむすびころりん、うりこひめとあまのじゃく、かちかち山、鶴の恩返し、うばすてやま、かぐや姫、わらしべ長者、力太郎、雪女、耳なし芳一、三枚のお札、貧乏神と福の神、一休さん、分福茶釜、親指太郎、聞き耳頭巾、牛若丸などである。
話はさまざまだが、内容によってパターン化され、いくつかの型に分けることができる。
一.異常誕生譚一番有名な日本昔話ともいえる桃太郎が、異常誕生譚の一である。
異常誕生譚とは、異常な姿で生まれた子供にまつわる物語である。
動物の姿で生まれてくる話も多いが、非生物の話も多い。
瓜姫、ひょうたん息子、指太郎、田螺息子などがある。
二.異類婚姻譚浦島太郎や、雪女などが異類婚姻譚に属する。
異類婚姻譚とは、人間と違った種類の存在と人間とが結婚する説話の総称である。
日本での異種婚説話大まかに六つの要素で構成されている。
自考日本社会文化复习资料
日本社会文化复习资料1、神代(先史時代)とは?歴史の始まる前の神話で伝えられている時代。
戦前の小学校や中学校の教科書で原始社会の歴史が全然書かれていなかったです、直接には「神代」の説話で日本歴史を書きます。
2、岩宿文化とは?大陸からやってきた人間は狩猟生活を営む人々であった、食するには獲物を打ち倒し加工する武器が必要となる。
武器として先頭器と握り槌があります。
この当時の武器といえば、石材を打ち砕いて作った「打製石器」である。
石と石を打ち付けて砕くと、その断面は鋭利な刃物のような形状になり、その石を棒に固定すれば槍や斧や包丁のような使い方ができる。
こういった武器を使い日々の狩猟で生活した時代を「旧石器時代」と呼ぶ。
旧石器時代の文化も岩宿文化と言います。
3、縄文式文化とは?日本列島において、旧石器時代の文化に続く、食料採雄に基づいた文化。
木の実や貝を雄め、狩りや魚とりなどに生活の基礎をおき、若干の栽培も行ったらしい。
打製・磨製石器や土器を用い、堅穴住居を住まいとした。
为に東・北日本の落葉広葉樹林帯で栄えた。
4、縄文土器およそ約1万6000年前から、やく2300年前の縄文時代に北海道から沖縄島で作られた土器である。
表面に縄文のあるものが多い。
焼成温度が低いため黒褐色や赤褐色を呈するが、時期・地域による型式の差は大きい。
5、上古時代(石器時代)人の精神生活(呪術)の内容を簡単に述べよ。
文明の未発達な石器時代は暴風・水害などで雄落が一拳に壊減したり、また長雤や日照りで飢餓にさられることもあった、ですから、自然現象などに霊威を認めて恐れた。
土偶・石棒などは生産の実利を祈る。
呪術に用いられたものと言います。
为に女性をかたどっている土偶は生命を生み出すことの敬意を表したものらしい。
6、縄文人と弥生人の住宅の特徴を比較して纏めよ。
縄文人住宅について、人々は竪穴式住居を建てて家とし、雄団生活の村を作った。
こうした村は日当たりのよい平坦な台地に作られることが多かった。
日本沐浴文化研究
日本沐浴文化研究日本の風呂文化について目次摘要 (I)要旨 ...................................................................................................................... I I はじめに .. (1)第一章風呂の歴史 (3)1.1大衆浴槽の発祥 (3)1.2銭湯の発祥 (3)第二章風呂文化の発達した原因 (7)2.1水と気候 (7)2.2火山 (8)2.3自然崇拝と禊 (9)第三章現代の日本の風呂 (12)3.1家庭浴槽 (12)3.2大衆風呂場 (12)3.3温泉 (13)第四章風呂文化から見た日本人の特徴 (15)4.1日本人の清潔意識 (15)4.2日本人の審美意識 (16)4.3主な社交場としての存在 (17)おわりに (19)参考文献 (20)謝辞 ............................................................................................. 错误!未定义书签。
摘要沐浴对于日本人来说,作为愉快生活中不可或缺的一部分,早已渗透到日常生活的各个方面。
沐浴之所以有如此重要的地位,一方面是因为有卫生保健的医疗功效,另一方面也蕴含着浓厚的宗教文化。
自古以来日本的文化层出不穷,而洗浴文化却一直如此醒目。
这究竟是为什么呢?本文通过对洗浴文化的发展的历程,发展的原因以及对日本人审美意识和清洁意识等的研究来更深的了解日本这个独树一帜的洗浴文化。
通过本文的研究可以发现日本独特的沐浴文化很巧妙地诠释了其崇尚的自然,时代在变迁,沐浴文化也在逐渐地改变。
但是,作为日本社会的缩影,它已经成了每一个日本人都不可缺少的生活的一部分了。
关键词:沐浴发展清洁意识审美意识自然崇拜要旨お風呂は日本人にとって愉快な生活の重要部分として、もうさまざまな日常生活に染み込んでいる。
日本宗教历史
玉虫厨子
日本で最も古い仏壇として、法隆 寺にある国宝の玉虫厨子がよく知ら れています。また、日本書紀による と、白鳳(はくほう)14年(西暦686 年)3月27日「諸国の家毎に仏舎を 作り、即ち仏像と経とを置きて礼拝 供養せよ」との勅命(ちょくめい)が 天武天皇の下に施行されました。そ の後、江戸時代の中期になると、現 代のようにどの家にも仏壇が祀られ るようになりました。
新しい宗教の動きについて
近代に入って日本では数多くの新興宗教が登場しました。 それらの中には、大規模で、多くの人々の信仰を集めてい るものもある一方で、排他的で、疑わしい手段で信者を集 めているものもあります。1995年に、オウム真理教と称す るそのような教団の1つが東京の地下鉄で毒ガスを撒き、 死者12人と、数千人に上がる負傷者を出しました。同教団 の信者の多くが高学歴の若者であったために、どのように して、またなど、このような教団に入信したのかが、大き な問題として持ち上がりました。
神道
神道は日本に固有の宗教です。神道は多神教で、開祖も いませんし、確固とした教養があるわけでもありません。 5~6世紀の古墳時代、人々の心を強くとらえていたのは 日本固有の神の信仰でした。神は宇宙のいたるところの存 在すると考えられ、人々は樹木や山、川、岩などを祭りま した。やがて、人里近くに社が作られるようになり、自然 神や祖先神が祭られるようになりました。そして、伊勢神 宮や出雲大社を始め、海神を祭る住吉大社などが国家神を 祭る社として崇敬されるようになりました。
日常のお祭りの手順
1.お仏壇の前に座る 2.ローソク立てにローソクを立て、火をつける 3.お線香に火をつける 4.香炉にお線香を立てる(浄土真宗は折って横に寝かす) 5.鈴を2回打つ 6.手のひらを合わせ胸の前で合掌、頭を下げて礼拝
日本登山史 山崎安冶著
5 播隆の槍ヶ岳開山
中世からの信仰登山は、江戸時代になって一般庶民の間にも 広まっていった。 山上に大日如来、薬師、観音、などの仏像を安置している山の 多くは、江戸時代に開かれたものと見られている。 文政十一年(1828年)槍ヶ岳が播隆和尚によって開山された。 播隆はただ槍の穂に登っただけでなく、槍ヶ岳から西鎌尾根を 伝い双六池から抜戸岳を経て笠が岳までの縦走も記録している。
日本山岳会の設立
日本山岳会の設立に大きな役割をはたしたのは烏水・小島久太であった。 これに博物同志会の武田久吉、高野鷹蔵、河田黙、梅沢親光が加わり、 さらに年配の弁護士城数馬が後見役となり、越後の地主高頭仁兵衛の援 助で、明治三十八年(1905年)十月十四日、東洋における最初の山岳団 体として山岳会は発足した。
日本登山史
1 山の発見
山崎安冶著より
火の山日本 地球の歴史は二十億年におよぶ 日本列島の歴史は二億年前に起こった地殻変動で地中から 姿を現した。 一万年前にようやく列島の骨組みが出来上がった。 列島はいたるところ火の山であった。富士山もその頃出現し たといわれている。
2 原始宗教における山岳崇拝
大自然の現象が、人々に人知を超越 した畏怖の念を抱かせ、 静かだった山々が噴火や地震などで一朝にしてすさまじい形 に変わるのを眺め、人間の力を超えた神の姿を見た。 日本の原始宗教、山岳崇拝が起った。
中世の登山
1 修験の始まり
日本の山岳信仰の中心であった、吉野山と大峰山、 文献上からは吉野山に入った最初の人「日本書紀」 に古人大兄皇子で、天知天皇の皇弟、大海人皇子 が壬申の乱の前年、身の危険を感じ吉野に入った 記録がある。 大峰山は持統天皇朱雀元年(686年)役小角によって 開かれたとつたと伝えられている。 六世紀の末ごろに、優れた験者が葛木山におり、伊 豆に流されたが、小角の流れを継いだ一群の修験者 たちが、日本全国の聖山、霊山を中心に修業を重ね、 山岳信仰は盛んになった。
日本宗教
• 神道、仏教に加えて、宗教として意識さ れることは少ないものの、葬儀、死生観 を中心に儒教も大きな影響を残している。 先祖霊などの観念は現在では仏教に組み 込まれているが、本来は仏教哲学と矛盾 するものであり、古来の民間信仰と儒教 に由来する。位牌、法事など、先祖供養 に関わる重要な習慣が儒教起源である。 思想、道徳としての儒学は支配階級を中 心に学ばれ、明治時代以降は一般庶民に も直接、間接に影響を与えた
日本の宗教
日本における宗教の信者 数は、文部科学省の宗教 統計調査によると、神道 系が約1億700万人、仏教 系が約8,900万人、キリス ト教系が約300万人、その 他約1,000万人、合計2億 900万人となり、これは日 本の総人口の2倍弱にあた る。神道系と仏教系だけ で2億人にせまる
神道
• 神道(神社神道)は明確な教 義が存在せず(教派神道系の セクト宗教(新宗教)には明 確な教義が存在する)、厳密 な入信規定もない。氏子入り がこれに近いが、特定の神社 の氏子でない日本人が神棚の 設置、神社への寄付、祭事へ の参加などを行うこともあり、 これをもって信者と見る向き が多い。
神社
新宗教
• 明治時代および第二次世界大戦後には、日本国 内で様々な新宗教・新新宗教が登場した。新宗 教は現在においても新たに作られており、その 状況は「カルトのラッシュアワー」と呼ばれて いるが、あまりに数多くの宗教が発生したため に、どの宗教も大量の信者を獲得しているとは いいがたい。また、そうした新宗教の中には、 海外での活動の奇抜さにより、一部の国からカ ルト宗教のレッテルを貼られ危険視されている 宗教団体もあり、日本国内でもこうして生み出 された新宗教団体や信者が関与していると思わ れる犯罪やトラブルがあとをたたない。
日本近代文学史
2.
お勢(おぜい)
文三の従妹。
3.
本田昇(ほんだのぼる)
24歳。文三の同窓、後同僚。出世主義者。
4.
お政(おせい)
文三の叔母。お勢の母。
『浮雲』の新しさ
1. 2. 3.
4.
言文一致体 描写の手法ー客観的リアリズム 人物の造型、心理面 新旧思想の対立
言文一致運動(明治20年代から)
写実性を目指した口語体実践運動 提唱者とその実践作:
天保3年5月26日~明治24年6月7日 (1832~1891) 慶応2年(1866)幕府遣英留学生の監督と して渡英。同人社創立者。 14年(1881)東 京大学教授、文学博士。個人の人格の尊 厳や個性と自由の重要性を強調した。
加藤弘之 (かとう ひろゆき)
天保7年6月23日~大正5年2月9日 (1836 ~1916) ドイツ学を研究 帝国大学総長を歴任
樋口一葉 ひぐち いちよう
明治5年3月25日~明治29年11月23日 (1872~1896) 東京生まれ。歌人、小説家。 25年(1892)に発表した『うもれ木』は出世作 となり、「文学界」同人との交流を得た。『に ごりえ』(1895)、『たけくらべ』(1895)など 明治時代の貧困と身分差別の中で生きる 庶民の涙とため息、そこへの深い共感。
尾崎紅葉
尾崎 紅葉(おざき こうよう):
慶応3年12月16日(1868年1月10日) - 明治 36年(1903年)10月30日) 日本の小説家。江戸生れ。帝国大学国文科中 退。明治18年(1885年)、山田美妙らと硯友社 を設立し「我楽多文庫」を発刊。 作品:『金色夜叉』(こんじきやしゃ )
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1.1 世界観 1.1.1 因果論 1.1.2 仏教と神 1.2 苦、その原因と解決法 1.2.1 四諦 1.2.2 八正道 1.2.3 中道 1.3 仏教の存在論 1.3.1 無常、苦、無我 1.3.2 縁起 1.3.3 空 1.3.4 妙覚 2.1 2.2 2.3 2.4 三宝への帰依 五戒 戒律 禅
人要“生如夏花之绚丽,死若秋叶之静美”,泰戈尔的这句名诗,在日本之所以被广泛流传, 无外乎是它一针见血地指出了日本人的悲观思想,暗自契合了日本人的悲情情结,那么,日本民 族的这种浓厚的悲剧情结,又得自何方呢?分析研究日本的文化历史,我们会发现,日本民族之 所以有这种悲剧情结,既是其自然环境陶冶的结果,也是其传统文化生成的必然。 说其受自然环境影响,我们知道,日本是一个山多、水多、平原少而资源匮乏的岛国,自古, 日本人就教育后代, 自己国家是一个没有资源可供开发的环境恶劣的岛国, 打小儿就有意识的培 养孩子的紧张感和危机感,而地震、山体滑坡、火山爆发以及随处可见的喘急得河流,这些可知 不可知的自然变动,也无形中形成了日本人容易陷入焦急、失望的悲观情绪,这种无形有形的自 然压力,更是扩大了日本人的心理阴影,使得在狭隘的海岛上生存的日本人,一直以来就认为老 天不公,这些,都在潜移默化的生成着日本人的悲情情结。
[3][4]
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1. 諸行無常 2. 諸法無我 はない 3. 涅槃寂静 目標である 4. 一切皆苦 1 教義
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ቤተ መጻሕፍቲ ባይዱ
一切の形成されたものは無常であり、 縁起による存在としてのみある 一切の存在には形成されたものでないもの、 アートマンのような実体 苦を生んでいた煩悩の炎が消え去り、 一切の苦から解放された境地が 一切の形成されたものは、苦しみである
神道は太古の日本から信仰されてきた固有の文化に起源を持つ宗教である。日本列島に
住む民族の間に自然発生的に生まれ育った伝統的な民俗信仰・自然信仰を基盤とし、 豪族 [1][2] 層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立した 。 なお、神道には明確な教義や教典がなく 、 『古事記』、 『日本書紀』、 『古語拾遺』、 『宣命』といった「神典」と称される古典を規範とする。森羅万象に神が宿ると考え、天 津神・国津神や祖霊をまつり、祭祀を重視する。浄明正直(浄く明るく正しく直く)を徳 [3] 目とする 。他宗教と比べて現世主義的であり、まつられるもの(神)とまつるもの(信 奉者)との間の連体意識が強い、などといった特徴がみられる。 神道と仏教の違いについては、神道は神話に登場する神々のように、地縁・血縁などで結 ばれた共同体(部族や村など)を守ることを目的に信仰されてきたのに対し、仏教はおも に個人の安心立命や魂の救済、 国家鎮護を求める目的で信仰されてきたという点で大きく [1] 相違する 。 神道は日本国内で約 1 億 600 万人の支持者がいると『宗教年鑑』 (文化庁)には記載があ るが、これは神社側の自己申告に基づく数字である。約 85000 の神社が登録されている。 仏教(ぶっきょう、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、あるいはガウ タマ・シッダールタ)を開祖とする宗教。キリスト教・イスラム教と並んで世界三大宗教 のひとつ(信仰のある国の数を基準にした場合)である。仏教とは一般に、仏陀(目覚め た人)の説いた教え、また自ら仏陀に成るための教えであるとされる。
日本人と宗教 日本人は無宗教である、と欧米人からよくいわれる。また日本人は無神論者である、と 自ら公言したりする。 しかし、 日本人は無宗教でも無神論者でもないことは明らかである。 欧米人とはちがう神とのかかわり方を持っているからそのように感じるだけである。 欧米 の宗教であるキリスト教などにおいて「God」は最高かつ唯一の存在である。しかし日本 における「神」は至る所にいて、様々な役割を持っている。日本の「神」はどれもが等し く人々の信仰の対象になりうるのである。 しかし、日本で信仰を集める存在はなにも神社や祠、神棚にに祭られている「神」だけ ではない。それ以外にも仏教の「仏」という存在もある。名称は違っているが、信仰の対 象という点では「仏」も「神」も同様の存在ということができる。日本人の不思議なとこ ろは、同一の個人が「神」も「仏」も同時に信仰できることである。土着の信仰が仏教の 信仰の下に完全に組み込まれてしまうという、 仏教が伝来した地域でも他に例を見ない特 異な習合が起こったことが日本の不思議なところである。 この不思議な信仰は明治の神仏分離の以後も引き続き存在し、 日本人は現在でもさまざ まな人生儀礼などで無差別に各宗教施設に詣る。 生まれたときや七五三などは神社に、 そ して死を迎え葬式は仏式である。 また結婚式をキリスト教教会で行なうこともある。 これ が普通の日本人の姿である。 この、 一見無節操にも思える日本人の宗教観を理解すること が日本人と宗教の関係を見ていく上でたいへん重要である。
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“花是樱花,人是武士”,樱花是日本文化的图腾,日本人的骨子里认为樱花是其生命最重要 的象征,“宁愿短暂,只要灿烂”是日本人将武士比做樱花所取的原意,因为樱花在最美的时候, 也就是它将要凋谢的时候。 因此, 日本人把樱花与大和民族的武士道精神相连, 樱花的瞬间开放, 瞬间凋零,就如同武士最光彩的时候,也就是他抛洒热血效命疆场的时候。 将武士比做樱花, 也有寓意人生的悲观无常和凄美的视死如归的英雄悲情心结之意, 所以说, 日本人可以把死亡看作是樱花陨落时的璀璨悲壮的一种景观, 而这种超越生死的超然心态从日本 人与佛教的关系中也能找到根据,日本人出生的时候去神社洗礼,结婚时又大都采用教会式,而 当吹灯拔蜡时又毫无例外的都用佛教仪式做最后的生命告别, 外人对日本人的宗教观百思不解而 日本人自己却乐在其中。 但在日本的所有宗教中, 佛教, 无疑是对日本人影响最深的, 究其原因, 就是佛教尤其是禅宗的轻生、出世、信仰命运等人生观教义与日本人的悲观主义心态极为契合, 是佛教,使武士对于命运有一种镇静之信托,对于前途所不能避免之死,有一种安之若素安之如 归的自然心态。 从日本人的审美倾向亦能看出日本人的悲观主义思想, 与中国人看戏喜欢看喜剧 看大团圆结局不同,日本人无论是看书还是看戏,大都喜欢看悲剧,百十年来热映不衰的演绎日 本古代“47 浪人”为主复仇的悲情剧《忠臣藏》是之,前几年风靡一时的小说及根据小说改编的悲 情剧《失乐园》亦是之。其实,这些小说、戏剧、电影的故事情节都很老套,但却都蕴含着人生 短暂世事难料,美好的东西必将付之流水的悲情意识,因此,他们受欢迎的原因之一也可以说是 因为戏里同样体现着日本人的悲情情结。 日本最古老的诗歌集《万叶集》有句名句为日本人万世所传唱,诗云:“色香俱散,人事无 常”。我们中国最古老的诗歌集《诗经》中,亦有传唱千古的八个字,谓曰:“窈窕淑女,君子好 逑”。对比可知,一个悲观,一个乐观;一个忧郁,一个明朗;其情怀之差,似有天壤之别。但 世世代代念叨“色香俱散,人事无常”的日本却能在悲情中奋发,而至今日傲视世界,而摇头晃脑 “好逑”了数千年“窈窕淑女”的“君子”中国,却仍在蹒跚着,日本是一个名副其实的悲情国度,但这 个悲情国度却常常让我们陷入困扰。(
統計調査はアンケートで行うため、必然的に自団体の信者数を多めに申告する傾 向にある。 日本古来の民族信仰の基盤の上に、自然風土の中で培われた年中行事や、祭礼な どを通じて、多くの日本人が七五三や初詣、あるいは季節の祭りを神社で行い、 江戸時代の寺請制度の影響で、葬式やお盆などを仏教式で行うなど、複数の宗教 にまたがって儀礼に参加している。他国では洗礼を受けた時点でその宗教の信者 に成るのに対し、日本ではその宗教の神を拝めば信者とみなすわけで、氏子・檀 家の家庭に新たな子供が生まれるとそのまま信者数にカウントしてしまう。 また、 死亡しても信者リストから外すことなく放置するなどの例もある
日本における宗教の信者数は、文部科学省の宗教統計調査によると、神道系が約 1 億 700 万人、仏教系が約 8,900 万人、キリスト教系が約 300 万人、その他約 1,000 万人、合計 2 億 900 万人となり、 日本の総人口の 2 倍弱の信者数になる。 神道系と仏教系だけで 2 億人 [1] にせまる 。 この要因として、以下が挙げられている。
二宮尊徳の話をまとめた『二宮翁夜話』という書物には、宗教多元主義を示す次のような 譬え話も含まれている。 「世の中に本当の真理はただ一つしかないが、その真理に近づく入り口はいくつもある。 神道、仏教、あるいは仏教でも天台宗、浄土宗、真言宗などいろいろあるが、これらは何 れも、 いくつもある真理への入り口に付いている小道の名前に過ぎない。 例えば富士山に 登るのに、吉田から、須走りから、須山から、それぞれ登れるが、最終的に頂上に至れば 同じ所である。 これを、 違う目的に到達できる別々の道がある、 と考えるのは誤りである。 入り口が幾つもあっても、最終的に到達する場所は、一つである。それは、誠である。と ころが世の中では、これらを別々な道であると言い、真理が幾つもあるように言ってい る。」
1
この浮気性の日本人の宗教観はどういうことであろうか。 複数の神が存在している汎神 論的な宗教観ならいざ知らず、 その宗教の壁すらも存在していないのだから。 日本人にと って信仰という行為そのものが存在しないかのようにも見える。 しかし、 その宗教の垣根 がないというのが、日本人の宗教観である。あえていうなら、超汎神論である。 日本人はあらゆる物に神を見いだしてきた。住んでいる土地、家、始祖、鍋、鎌、はて はトイレまで、何にでも神を見いだしてきた。さらに、国家が安定し、経済活動が活発に なるにつれてひろく交流が行なわれるようになると、 神もさまざまな能力を特化させるよ うになり、 商売繁盛や病の治癒などひとびとの願いを聞き届けるようになる。 そうなると、 その神は村の神ではなくなり、神の力が及ぶ範囲も氏子を超えていってしまうのである。 国家建国の神でもないのにやがて、日本全国に信者が出現するのである。もちろん、それ には御師と呼ばれる神社の営業マンの存在があってのことである。 日本の神社の中心であ る伊勢神宮にしたところで、 御師によって信者を獲得していったのであるから、 なにより も宣伝活動が大切だったのである。 もちろん、 新たな外部の神を信仰できるのも、 超汎神論的な素地があったからにほかな らないのではないか。 したがって、 日本人にとって後発の宗教であったキリスト教もかつ ての御師のような宣伝活動が効を奏し、その「ご利益」 (キリスト教の場合はファッショ ン性の方が大きかもしれないが) が認められた結果、 宗教として認められるようになった とも考えることができるだろう。 もちろん、 長期間の政治的排斥政策も関係はしているだ ろうが。 このように日本人にとって宗教というものは単一の深遠な体系よりも、 自分たちの生活 に深くかかわることが最優先なのである。言い換えれば、自分たちにとって望ましい「ご 利益」 を与えてくれれば、 それはなんであれ信仰の対象になりうるのである。 したがって、 日本人の願いの数だけ神や仏が必要なのである。 「鰯の頭も信心から」これが日本人と宗 教のかかわり方をよく表している言葉といえるのではないだろうか。 昔から多くの日本人は、どんなものにも神(魂)が宿っていると考えてきました。 道端に落ちている石にも、小川に流れる水にさえも 一粒の米ですら無駄にはしまいという慎ましさを持っていたのも 農業中心であった昔の日本人の暮らしが貧しかったからだけではないと思います。 そういった個々人で持つ自然崇拝という信仰心は、宗教とは結びつきません。 我从樱花情结重新解读日本人