10 舞姫(现代日本语)——森鸥外

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舞姫(現代語)
森鷗外 石炭は積み終わったようだ。

二等室の机のあたりはひっそりと静まりかえっているのだが、アーク灯だけは無意味に光を放ち続けていた。

今宵は毎夜ここに集まるトランプ仲間も皆、ホテルに泊まっている。

船に残っているのは私だけだ。

5年前、かねてからの望みがかない、洋行の官命を授かり、このサイゴン(ベトナムの都市)に来たときは、見るもの聞くものひとつとして新しくないものはなく、筆に任せて書きつづった紀行文は膨大な量にのぼった。

当時の新聞にも掲載され、世間ではもてはやされたが、今になって思えば、未熟な思想、身の程を知らない発言、さらには一般的な動植物や風俗などをさも珍しげに記していたその文を、見識のある人はどう思っただろうか。

今回の帰郷の旅では日記をしようと思って買った冊子はまだ白紙のままである。

それはドイツで物を学んでいた間に一種のニル・アドミラリー(「nil-admirari(ラテン)」何事にも感動しないこと)の精神に至ったからであろうか。

いや違う。

それには別に理由がある。

東へと帰る今の私は、西へと旅立つ昔の私とは違う。

学問はいまだに飽きたらぬ所は多いが世の中の浮き節というものを知った。

他人の心は頼りにならないことはいうまでなく、自分の心でさえ変わりやすいということを知った。

昨日では正しいと思ったことが今日では間違いであるという瞬間を、筆に記して誰かに見せられようか。

これがいまだ日記に手の伸びない理由である。

違う。

それには他の理由があるのである。

ああ、イタリアの港、ブリンジーシー「Brindisi」を出発してから早くも20日を過ぎた。

普通ならば初対面の客に対しても親交を結び旅の疲れを慰め合うのが航海中の習いであるのだが、軽い病気といって部屋にこもっている。

同行の人々と口をきくことの少ないのは、人の知らぬ恨みに頭を悩ましているからである。

この恨みは初めて一片の雲のように私の心をかすめて、スイスの山を私に見せず、イタリアの遺跡をも心には届かなかった。

中頃には世の中を嫌い、自分ははかなんで、腸(はらわた)日ごとに九回す(悩みが甚だしいさま)ともいうべき痛みを私に負わせた。

今ではそれは心の奥底に凝り固まって一点の影となったが、本を読んだり物を見ていると、鏡に映る影、声を応じる響きのように、限りなく懐かしく思い出されて、何度となく私の心を苦しめている。

ああ、どうやったらこの気持ちを忘れることができるのだろうか。

これが他の恨みであるなら、詩を読んだり歌を詠んでるうちに気が晴れたであろう。

しかしこれだけは私の心に深く彫り付けられているので、そのようにはらすことができないだろうと思うが、今夜は周りに人はいない。

ボーイがきて電機線の鍵を閉めるにはまだ時間があるのでその概略を文章で綴ってみようと思う。

私は幼い頃から厳しい家庭教育を受けた。

父は幼い頃に失ったが、学問の荒れ衰えることなく、旧藩の学館で学んでいたときも、東京にでてきて東京大学の予科に通っていたときも、東大法学部に入った後も、太田豊太郎という名前はいつも一級の首席に記されていた。

このことは一人の子の私を心の支えにして世を渡っている母の心を慰めていただろう。

19歳には学士の称を受けて、「大学創立以来の名誉である」と人にも言われ、某省に出仕して、故郷にいる母を東京に呼び迎え、楽しい時を過ごしたのは3年ほどであった。

上司である官長の覚えも特別で、「洋行して一課の事務を取り調べよ」との命を受け、「我が名を知らしめるのも、我が家を興すのも今だ」と思う気持ちが沸々と湧き出て、50を超えた母と別れることもそれほど悲しいことだとは思わず、はるばる家を離れてベルリンの都へやってきた。

自分ははっきりしない功名の気持ちと自己を制することになれた勉強力を持って、今、このヨーロッパの新大都の中央に立っている。

いかなる光彩か私の目を射るものは、いかなる光沢か私の心を惑わすものは、「菩提樹下」を訳すので、幽静な場所だと思っていたが、この大通りが直線に続く「ウンテル・デン・
リンデン」『Unter den Linden』に来てみると、両端の石畳の歩道を行く、女性たち、まだヴエルヘルム1世が街に臨む宮殿の窓に寄りかかるころだったから、胸張り肩のそびえ、様々な色に飾った礼装に身を包んだ士官。

パリ風の化粧をした顔立ちの良い少女。

あれもこれも目を驚かさないものはいない。

車道のアスファルトの上を音も立てずに走る様々な馬車。

雲にそびえる建物の少しとぎれたところには、晴れた空に夕立の音を聞かせる噴水の水。

遠くを望めばブランデンブルク門を隔てて緑樹が枝を差し交わす中から、半天に浮かび出る凱旋塔に神女の像。

この多数の景物が目と鼻の先の間に集まっているので、初めてここに来た物が眺め尽くせないのももっともなことである。

だが私はいかなる場所に来てもはかない美観には心を動かすまいという考えがあったので、常に私を襲うこれらの外物を遮っていた。

呼び鈴のひもを鳴らして謁を通じる。

公の紹介状を出して東方の日本から来た目的を告げると、プロシアの官吏は、皆快く私を迎え入れてくれた。

大使館からの手続きさえ無事に済んだなら、どんなことでもお教えし、伝えましょう。

と約束を交わした。

喜ばしきことは、自分の故郷で、ドイツ、フランス語を学んでいたことであった。

彼らは初めて私に会ったとき、どこでいつの間に学んだのか、と訊かれないことはなかった。

さて、官事の暇があるごとに、事前に公の許可を取っていたので、当地の大学に入って政治学を修めようと、名前を名簿に記入した。

ひと月ふた月過ぎた頃、公の打ち合わせも済んで、取り調べも次第にはかどるようになったので、急用には報告書を作って送り、そうではないものは写しとどめておき、それはついには幾巻にかなった。

大学の方では、幼い心が思いつくような、政治家になるための特科があるはずもなく、これかそれかと迷いながらも、2、3の法律家の講義に出席することを決めて、謝金を納め、授業に参加した。

こうして3年間が夢のように過ぎていったが、時が来ると、包んでも包みきれないのは人の本性である。

私は父の遺言を守り、母の教えに従って、人が神童だと褒めることのうれしさに怠けることなく学んでいたときから、官長に良い人材を得たと励まされた頃まで、自分のことをただ、受動的、機械的な人間だと思ってきたが、今25歳になってすでに永いことこの自由な大学の風に当たってきて心の中は何となく穏やかでなく、心の奥底に潜んでいた本当の自分がだんだん表に現れてきた。

これは昨日までの自分でない自分を攻めているのと似ている。

私は自分が今の世に活躍する政治家になるのも望まない。

また、よく法典を暗記して判決を下す法律家になるのもふさわしくはないと感じた。

私は密かに思うのだが、母は自分を生きた辞書にしようとし、官長は生きた法律としようとしていたのではないだろうか。

辞書になるにはまだ我慢ができるが、法律になるのは我慢ができない。

今までは些細な問題でも、きわめて丁寧に答えていた私が、このころから官長の寄せる文に対しては法律の細目にこだわる必要はないと論じて、一度法の精神を学んだなら、些細な万事は破竹のごとく解決できます。

と広言した。

また大学では法律の講義は外にやり、歴史文学に興味を持ち最近ようやく佳境に入ってきた。

もともと私の官長は意のままに用いる器械を作ろうとしていた。

独自の思想を持って、人並みならない面もちをした男をどうして喜ぶだろうか。

危ういのは私のその頃の地位であった。

しかしそれだけではまだ私の地位を覆すには足りないでいた。

日頃、ベルリンの留学生の中にある勢力あるグループと私の間におもしろくない関係が生じて、これらの人びとはまず私を疑いの目で見て、後ろには捏造され貶(おとし)められた。

しかしこれも理由のないことではない。

これらの人々は私がビールのジョッキを挙げず、ビリアードのキューも取らないのを、頑固な男だ、自制心の強い男だとそれぞれ理由をつけ、ある者は軽蔑し、ある者は嫉妬した。

しかしそれは私を知らないか
らだ。

ああ、この理由は私自身でさえ分からないというのに、どうして他人に分かるのだろうか。

私の心は合歓(ねむ)の木の葉に似て、物に触ると縮んで避けようとする。

私の心は処女に似ている。

私は幼い頃から年長者の言いつけを守り、学びの道を選んだのも、仕える道を選んだのも、すべて勇気があってよく励んだのではない。

忍耐勉強の道は辿ったのも、すべて自らを欺き、人をさえ欺いて、人が辿らせたレールをただひたすら走ってきただけである。

他の誘惑に心惑わされなかったのは、誘惑を捨てて顧みないほどの勇気を持っていたからではない。

ただ誘惑をおそれで自ら自分の手足を縛ったからである。

故郷を立つ前も、自分が役に立つ人間であると疑わず、また自分の心が耐え得ることも確信していた。

ああ、それも一時。

船が横浜を離れるまでは、豪傑だと思っていた我が身であったが、止めどない涙にハンカチを濡らしてしまい、この時はおかしな事だと思っていたが、これが実は私の本性であった。

この心は生まれつきの物であったのか。

それとも早くから父が失い、母の手に育てられたので身に付けたのだろうか。

かの人々が嘲るのは当然のことである。

しかし妬むのは愚かである。

この弱く不憫な心を。

ある日の夕暮れの時であるが、私は動物園をあてもなく歩いた後、ウンテルーデンーリンデンを通り、モンビシュウ街『Monbijou Strasse』の下宿に帰ろうとクロステル街『Kloster Strasse』の教会の前に来た。

私は例のろうそくの海を渡ってきて、この狭くて薄暗い通りに入った。

建物の窓の手すりにほしてある、シーツや肌着などをまだ取り入れてない人家、頬髭の長いユダヤ教徒の老人が、入り口付近でたたずんでる酒場、一つの段階は直接頂上に達していて、他の段階は穴倉住まいの鍛冶屋に通じる貸家に向かって凹字の形に引っ込んで立てられていた。

この300年前の遺跡を望むごとに心に感動をおぼえ、しばらくの間たたずむことは何度であったろうか。

今この場所を通り過ぎようとしたとき、閉じた寺の門の扉に寄りかかり、声をのみながら泣く一人の少女を見かけた。

年は16、7ぐらいだろうか。

かむった布からはみ出した髪の色は薄い黄金色で、着ている服は垢がつき汚れたようには見えない。

私の足音に驚いて振り返った顔には私には詩人の才能はないのでこれを表現することはできない。

湿りを帯びた長いまつげに覆われた、この青く清純で物言いだけに憂いを含んだ目は、どうして一目見ただけで私の用心深い心の底まで通したのだろうか。

彼女は予期せぬ深い嘆きにあって、前後を考える暇なくここに立って泣いているのだろうか。

私の臆病な心は哀れに思う情けに打ち負けて、思わずそばにより、「なぜ泣いているのですか。

このあたりに知り合いのいない他人ならかえって力を貸しやすいということもあるでしょう」と声をかけた。

我ながら自分の大胆さにあきれた。

彼女は驚いて私の黄色い顔をじっと見つめたが、私の率直な心が顔色に現れたのか、「貴方はいい人のようですね。

あの人のようにひどい人ではないでしょう。

また私の母親のように」しばらくの間枯れていた涙の泉はまたあふれてきて愛らしい頬をつたって流れ落ちた。

「私を救ってください、貴方。

私が恥知らずな人間になることを。

母は私がある人の言葉に従わないといって私を打つのです。

父は死にました。

明日は葬らなくてはならないのですが、家に一銭の蓄えさえないのです。


あとはすすり泣く声のみ。

私の目はこのうつむいた少女の震えたうなじにのみ注がれていた。

「君の家に送ってあげましょう。

その前にまず心を落ち着けなさい。

声を人に聞かせるものではありません。

ここは往来です」彼女は声をかけてるうちに、無意識に私の肩により掛かっていたが、ふと頭をもたげると、初めて私を見たかのように、恥ずかしがってそばから飛びのいた。

人に見られる煩わしさに、早足に歩く少女の後ろを付いていって、寺に筋向いにある大きな戸を入る
と、欠け損なった石の階段があった。

そこをのぼると、4階に腰を折ってくぐるほどの戸があった。

少女は錆びた針金の先をねじ曲げて、手をかけて強く引いた。

中からはしゃがれた老女の声がして「だれ」とたずねる。

エリスただいまと答える間もなく、戸を荒々しく引き開けたのは、白髪混じりの髪、悪い人相ではないが、苦労の跡を額に刻んだ老女で、古いラシャ(厚地の綿織物)の服を着て汚れた上履きを履いていた。

エリスが私に会釈して入って行くのを老女は持ちかねたように戸を荒々しく閉めた。

私は呆然として立っていたが、ふとランプの光に透かして戸を見ると、エルンスト=ワイゲルトと漆地で書いてあり、下に仕立物屋と注してあった。

これは死んだという少女の父の名前である。

中では言い争うような声が聞こえてきたが、しばらくすると静かになって、戸は再び開いた。

先ほどの老女は丁寧に自分の無礼な振る舞いを詫びて、自分を迎え入れた。

戸の内側は台所で右手の低い窓には真っ白な洗った麻布を掛けてある。

左手には粗末に積み上げた煉瓦のかまどがあった。

正面の一部屋の戸は半開きであるが、中には白い布で覆われたベットがあった。

そこに横たわっているのは死んだ人である。

かまどの側にある開いて私を招いた。

この部屋はマンサルド(『mansarde(仏)』屋根裏部屋)に面した一間であるので、天井もなかった。

隅の屋根裏から窓に向かって斜めに下りた柱を紙で張った下に、立った頭のつかえる場所にベットがあった。

中央の机には美しい毛織りのテーブルクロスをかけて、上には1、2冊の書物とアルバムを並べて、陶器の花瓶にはここに似合わない高価な花束が生けてあった。

その隣には少女が恥じらいを帯びて立っていた。

彼女は優れて美しかった。

乳のような色の顔はランプの光に映って薄紅色に紅潮していた。

手足のか細く女性的なのは貧しい家の女のようではなかった。

老女の部屋を出た後、少女は訛ある言葉で言った。

「許してください。

貴方をここまで導いた思慮のなさを。

貴方はいい人です。

私をまさか恨みはしないでしょう。

明日に迫った父の葬儀。

頼りにしていたシャウムベルヒ。

貴方は彼を知らないでしょう。

彼はビクトリア座の座長なのです。

彼の元で働いてから、早くも2年になるので、問題なく私たちを救ってくれるのだと思っていたのですが、人の弱みにつけ込んで、身勝手な言いがかりをつけようとは。

私を救ってなければ母の言葉に従わせねば・・・」彼女は涙ぐんで身を震わせた。

その見上げた目には、人にいやとはいわせない媚態があった。

この目の働きは自分で気づいて使っているのかそれとも無意識なのか。

私の懐には2、3マルクの銀貨があったが、それでも足りるようではいので、時計をはずして机の上に置いた。

「これで一時の急をしのぎなさい。

質屋の使いのモンビシュウ街3番地で太田とたずねて行った折にはお金を与えるでしょう」
少女は驚き感動した様子で私が別れのために出した手に唇を当てた。

はらはらと落ちる熱き涙が私の手の甲に注がれた。

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