英语专业考研二外经典日语作文
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1.私の一番大切な友達(我最要好的朋友)
私の一番大切な友達は、今上海に住んでいます。私たちは毎日メールで連絡します。彼女は私の親友です。私の考え事を彼女はよく知っています。ですから、彼女の前に、本当の自分の気持ちを伝えています。仲良し友達ですね。とても幸せです。
3年前に、高校の食堂で彼女と会いました。彼女の肌は雪のように白いです。高校で1番美人ですね。最初の頃は、彼女が大切でした。そして、彼女に自分の好きな気持ちを告白しました。でも、彼女は私のことが好きじゃありませんでした。あの時、私の気持ちがとてもつらかったです。かなしくて、涙が出ました。あと、私は彼女に手紙を書きました。彼女に明るい未来を祝福しました。
でもそのあと、まったく思いもかけないことがおこりました。彼女からの電話を受け取りました。彼女は「私たちは、将来いい友達になるかもしれません。」と言いました。あの時、私はとてもうれしかったです。
3年前のあの日から、私たちはずっと連絡しています。私は彼女のことを知ります。友達どうし、尊重しあいます。互いに助け合います。
実は、今彼女のことがやはり好きです。でも彼女はそのことを知りません。しかし、これでもいい。私にとって、そんなすばらしい親友を持って。もう足るをしります。もしかしたら、ずっと友達になるしかない。
中国で一つの言葉があります。「世の中に知己があれば、遠く離れていても隣人のようなもの」と言います。いつまでも友達になります。彼女はずっといい気持ちを持つことは、私にとって幸せのことです。ですから、真心がこもっている神様に祈ります。彼女はずっと楽しげなほほえみをもっています。これは私の願望です。
2. 愉快的一日游
埼玉県にある寄居駅は思ったより遠かったです。でも、行ったことがないところに一度も会ったことのない方を訪ねることは私にとって胸がわくわくすることでした。最近都市の生活に疲れている私にとって、このホームビジットはいい気分転換になりました。
寄居駅の周りは全部が自然でした。さくらの木、ぶどうの木、色々な野菜の畑と野原。その緑の自然を見て、突然私のふるさとを思い出しました。私がその駅の前であったホームビジットのお母さんと娘さんも寄居の自然の印象と同じでした。
ホームビジットのために、先生と一緒に勉強した色々な表現と丁寧な言葉は、優しくてゆったりした雰囲気の寄居の家では全然使えませんでした。お母さんは私の母の年と同じくらいで優しい女性でした。娘さんの絵美さんは心だけじゃなくて、顔も本当にかわいい美人でした。絵美さんは旅行が好きで、私たちはカナダでお姉さんと撮った写真を見ながら、趣味とか仕事とか、家族とかについて話しました。
二時間ぐらい後、お母さんは私たちを車で、ある有名な観光地に連れていってくれました。そのとき、私たちはラッキーで一日一回観光客のために、運行している蒸気機関車に偶然
に出会いました。長瀞駅の周辺には、その機関車の写真を撮るとめに待っている人がたくさんいました。もちろん、私たちも写真をとって、それからハイライトの舟に乗りました。約3KMを舟に乗って豊かな自然の中を通過したことは、忘れられない思い出になり、一番楽しい出来事でした。ラフティングをしている感じで、私たちは写真をとることに夢中になりました。
舟を降りた後、寄居のお母さんがお勧めのおすし屋さんに私たちを連れて行ってくれました。私が一番好きな料理がおすしだったので、うれしかったです。私は寄居のお母さんのそばにすわって、お母さんがすすめてくれたおすしをたくさん食べましたが、スギョンさんは胃もたれで全然食べられませんでした。お母さんと一緒におすしを食べながら、私の家族について話したとき、突然私の家が懐かしくなりました。でも、寄居のお母さんのあたたかい心に、私のなつかしさはすぐ無くなりました。
帰る時間が遅くなったので、お母さんは私たちを近くにある駅まで車で送ってくれました。お母さんが車の中で一生懸命書いてくれた黄色い紙には、「080-****-****(携帯電話の番号)寄居のお母さん」のメモがありました。そのとき、私はお母さんのあたたかい心をもっと感じました。
また、訪問することを約束してなごりおしくても、帰る電車に乗りました。最後まで駅の前で手を振っていた、寄居のお母さんと娘さんを今でも思い出すことができます。
「お母さん、お元気ですか?絵美さんは仕事を楽しんでいますか?」
2. 我的故乡
ある日、友達とラーメン屋で食事したとき、友達が餃子を注文した。昔は故郷でよく餃子を食べていたので、その時ひとつの餃子を口に入れたとたん、久しぶりに故郷の味が心に来た。
もう日本に来て三ヶ月経った。さびしいとき、かなしいとき、よく故郷の様子を思い出した。私は中国の東北で生まれた。上海や北京のにぎやかさと違って、故郷はみんながびんぼうに暮らしている。私はこのびんぼうな町で生まれて育った。石炭は故郷の名物だ。私も石炭のおかげで肌が黒っぽくなった。そこにはアジアで一番大きい石炭開発場がある。100年前、人々はそこで石炭を開発した。そして今まで開発されてきた。もう100年が経って、石炭がなくなってしまった。昔は石炭のおかげで、みんなはしばらく豊かな生活ができた。でも、石炭がなくなった今日は、みんな再びびんぼうになってしまった。昔は石炭で豊かなとき、政府にたくさん税金を払ったけれど、残念なことに、今びんぼうになった故郷は政府の助けをぜんぜんもらえなくなった。政府はたくさんの投資を上海に与えたが、故郷は無視された。でも、みんなは我慢して、自分の力で生きている。びんぼうでも強く生きている。その強い意志を持っている東北人を私は深く愛している。自分は東北人としてとても光栄だと思っている。
少しの投資でもいい、少しの進歩的な技術でもいいから、故郷に注いだら、きっと昔のゆたかな都市の光景に戻るだろう。今の闇はしばらくだ。その先きっと光がある。