日本平安时期文学史总结PPT

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落窪物語:全四巻の作 り物語である。主題が明 らかで「継子いじめ」を取 扱った物語で、仏教の勧 善懲悪、因果応報の思 想も見られる。貴族生活 を写実的に描いている。
伊勢物語:一巻、平安初期、貴族社会 に流行していた歌語りを文章化したもの である。背景や事件を付けくわえた百二 十五段の話が、優雅な趣の中に述べら れた風流貴人の一代記である。<万葉 集><古今和歌集><源氏物語>とと もに和歌の聖典として尊重された。 伊勢物語 大和物語:二巻、天暦五年にできた。 百七十余の章段を有し、口承書承の和 歌を集録したものである。 平中物語:天徳四年から康保二年ま でには成立したもので、平貞文を主人公 とする、三十九段からなるものである。 主人公の色好み生活に関する描写であ るものの、その行動は消極で、情熱を乏 しい人間像となっている。
催馬楽は近畿社会の民謡であったものが、貴族社会に入り 、遊宴に用いられた。自由な形式で、素朴な恋愛の歌、滑稽 風刺の歌など、庶民の生活感情を歌ったものが多い。
風俗歌はもともと地方土俗の歌の意味で、民謡、里謡と同意 で、地方の土俗歌二十六首を一まとめにして、伝えている本に 収められている歌をいう。 朗詠は元来漢詩を朗詠することであったが、平安期から、一 定の曲風をつけて、楽器の伴奏も加え、和歌をも歌うようにな った。
今様は当世風の歌謡の意味で、主として、七五を四回繰り 返し、調子がよいため、庶民の間でも盛んに謡われ、宮中でも 用いられた。
第三節
物語の出現
一、物語の誕生――作り物語と歌物語 作り物語:作り話で、伝承説話を取りどころにして作られたき 虚構した物語である。 (<竹取物語> 、<宇津保物語>、< 落窪物語 > ) 歌物語:歌を中心とし、歌語りが散文化され実現した抒情的 な世界である。 (<伊勢物語> 、<大和物語> 、<平中物 語> )
竹取物語:二巻、延喜 年間に成立した。竹取 の翁に見出されたかぐ や姫を中心として、地上 的なものの悲哀と、美し いものへのあこがれを 描きながら、そこの適度 のユーモアと現実社会 への風刺をまじえてい る。
宇津保物語:二十巻か らなる長編物語である。 竹取物語の系統をひく 物語で、空想的な筋に 始まり、しだいに貴族生 活の写実的な变述を加 え、貴族社会を多面的に 描いている。
三、和歌の復興 九世紀の末頃から、和歌の復興の兆しが見えてくる。六歌 仙の活躍と貴族の間の歌合などに和歌は再び盛行した。九 世紀の半ばごろから社交性、遊戯性の高い和歌が詠まれる ようになった。和歌は次第に抒情的なものから知的、客観的 なものへと変質していった。この時期、<新選万葉集><句 題和歌><紀師匠曲水宴和歌>などがある。醍醐天皇の時 代を迎えてから、律令制を強化し、勅撰和歌集の編集が計 画された。
後 拾 遺 和 歌 集
金 葉 和 歌 集
<金葉集>にならって新 風を目指した<詞花和歌集 >が引き続き撰進されたが 、比較的に保守的傾向が強 かった。 文治三年に編まれた<千 載和歌集>は第七番目の 勅撰和歌集である。二百年 間の歌を撰んでいるが、当 代を重んじて、出家歌人が 多く、述懐歌、釈教歌に特 色がみられる。余情、幽玄 の歌風をうちたて、新古今 歌風の先駆をなすところに 、大きな価値がある。次期 の<新古今和歌集>を加 え、八代集という。
凌雲集
文華秀麗集 経国集
嵯峨天皇とその近臣による唱和を中心 唐風文化の真髄を見せる
政治上の文章、漢才が国造りに役立 つと述べる
凌雲集の中の漢詩
中期及び後期: 平安中期の漢詩文の発展は二つの時期に分けられる。一 つは村上天皇を中心として大江朝綱、菅原分時、兼明親王な どが活躍している。もう一つは女房文学が隆盛を極めた時代 である。藤原公任の<和漢朗詠集>はこの時代の風貌の象 徴ともいえる。漢詩文は<本朝文粋><日本往生極楽記> がある。
詞花和歌集
千載Hale Waihona Puke Baidu歌集
三、私家集、歌論、歌謡
私家集:古代以後に出た歌人は優れていて、私家集が多く 作られた。<和泉式部集>(和泉式部)、<會丹集>(會禰好 忠)、<長秋詠藻>(藤原俊成)、<山家集>(西行)などがあ る。
和泉式部
長秋詠藻
歌論:奈良時代以後、漢詩文隆盛の中、中国詩学を適用し た<歌経標式>が書かれた。和歌の批判と表現について述 べた歌論は、紀貫之の<古今和歌集>の仮名序である。歌 合せの隆盛に従い、<和歌体十種>、<俊成髄脳>、<綺 言抄>、<新選髄脳>、<和歌九品>、<袋草紙>、<和 歌初学抄>、<古来風体抄>などがある。
大和物語
二、物語文学の集大成――源氏物語 従来物語の二系統の方法に加え、和歌、日記の伝統をも吸 収して壮大な絵巻を展開したのが<源氏物語>である。
作者は紫式部、五十四帖からなる長編物語である。十一世 紀の初めにできたものと推定される。光源氏の一生とその子の 薫の半生を中心として描く。物語は帝王四代、七十四年間に及 び、三百余り人が登場する長大の構想のもと、各人物は細かく 描き分けられ、まて精密な心理描写、深い人間観察が、優雅な 文体で語られる。隠然たる世界が構築され、自然、人事、そし て人物の性格や心理描写にすぐれ、全編に「もののあわれ」が 漂っている。表現は流麗で、和歌の効果と相まっている。
源 氏 物 語 の 人 物 関 係 図
三、<源氏物語>以後の物語 平安後期になると、<源氏物語>の模倣にとどまった衰退 期の作品ばかりである。しかしその時代の官能的、退廃的な 世相をよく反映していたところに価値がある。
二、文学の特徴 平安初期漢詩文が隆盛に極め、<凌雲集><文華秀麗集 ><経国集>の三勅撰集が余れる。十世紀初めごろに日本 最初の勅撰和歌集<古今和歌集>が編纂された。 また、物語や日記も仮名で書き表わされるようになった。< 竹取物語><落窪物語><宇津保物語>などの作り物語、 <伊勢物語><大和物語>などのうた物語が次々に書き出 された。 和歌は公的文学として、漢詩文と肩を並べ、隆盛期に入った 。<古今和歌集><後選和歌集><拾遺和歌集>という三 代集が編纂された。あとの<後拾遺和歌集><金葉和歌集 ><詞花和歌集><千載和歌集><新古今和歌集>を加え て、八代集という。
古 今 和 歌 集
巻数 成立 歌数 撰者 構成 序 表現 地位
二十巻 延喜五年(905)、醍醐天皇の勅命で 約千百余 紀友則、紀貫之、壬生忠岑、凡河内躬恒 春、夏、秋、冬、賀、離別、恋、哀傷など十三の部立 て 仮名序(紀貫之) 真序(紀淑望) 繊細かつ洗練、技法を伴う 日本初めての勅撰和歌集、和歌文学の隆盛を招く
第二節
詩歌の発展
一、漢詩文の隆盛――唐風謳歌の時代 弘仁天長期を頂点に、「唐風謳歌時代」が出現した。漢詩 文の知識こそ宮廷貴族の立場にとって必須条件であり、「文 章経国思想」が盛んになった。 初期から中期へ:真言宗、天台宗が中国から導入され、日 本文学に大きく影響した。空海の<文鏡秘府論><性霊集 >が有名である。漢詩文においては、<白氏文集>が伝来 した。<文選>と<妙法蓮華経>は平安時代もっとも広く読 まれた外国作品である。その影響を受けて、<凌雲集>< 文華秀麗集><経国集>の三集が編集された。 菅原道真:詩文集十二巻<菅家文草>と<菅家後集>一 巻が伝わる。和歌と漢詩訳の作品集<新選万葉集>、事頄 別に分類編集の形げ編んだ史書<類聚国史>がある。菅原 道真は漢詩人、歌人、学者として遣唐使廃止と国風文学を促 進した。
時期 第一期 読み人 知らず の時代 第二期 六歌仙 の時代
年代 嘉祥三年まで
歌風 万葉集からの過渡的な 歌風、素朴な五七調
歌人
嘉祥三年から 寛平二年まで
第三期 寛平二年から 選者の 延喜五年まで 時代
古今歌風の確立、七五調 僧正遍昭、在原 が優勢となり縁語、掛詞、 業平 文屋康秀、 見立てなどの技法を使う、 喜撰法師 小野小 心情を景物にまねて優美 町、大友黒主 な感情を表現した 古今歌風の完成期、縁語、紀友則、紀貫之、 掛詞、比喩などの修辞が 壬生忠岑、凡河 多用され、擬人法も使う、 内躬恒、大江千 表現技法は洗練され、優 里、大江伊勢 美で知的、流麗な七五調 が用い、三句切れも多く
十世紀後半から十一世紀前半にかけて、女流文学が開花 した。随筆の<枕草子>、物語の<源氏物語>、日記文学と しての<蜻蛉日記>、<和泉式部日記>、<紫式部日記> 、<更級日記>などがある。この時代は女房文学の時代とい っていい。
十一世紀後半から十二世紀に至る時期を、王朝文学の爛 熟期と退廃期と称する。一面では<夜の寝覚><堤中納言 物語><浜松中納言物語><狭衣物語>のような次代の文 学が現出した。一方で、激動する平安末期の世相と退廃を描 く作品が現れた。<栄華物語><大鏡>のような歴史物語 がいくつか作られた。また、<今昔物語集><梁塵秘抄>が 編集され、新しい時代の息を感じさせた。女性作家たちに対 して、男性の歌人も輩出した。藤原明衡の<本朝文髄>、空 海の<文鏡秘府論>があった。
成立 撰者 巻数 歌数 歌風 内容
拾 遺 和 歌 集
後 撰 和 歌 集
八代集:
承保二年には藤原通俊に勅撰集選進を命じて出来た<後 拾遺和歌集>は第四番目の勅撰和歌集である。<拾遺集> にもれた歌に当代の歌を加え、中心を道長時代においてい るので、和泉式部、相模、赤染衛門などの女流歌人の歌が 多く、清新な趣がうかがえる。 天治元年に選進された<金葉和歌集>は今までの勅撰集 と違って十巻からなり、連歌の部立てが新しく加り、古今集的 な歌風から抜け出た歌も多くなり、新風を見せている。
古代後期の文学
第一節
古代後期の文学概観
時代区分:延暦十三年桓武天皇の平安京遷都から建久三 年源頼朝が鎌倉に幕府を開くまでの約四百年間
一、文学の背景
社会的背景:平安京遷都当初の宮廷文化は唐風文化の積 極的な振興が図られ、文化の成熟を見るようになった。 政治の面では、十世紀後半、摂関政治は藤原道長が権 勢を独占する当時に、全盛期を迎えたが、十一世紀後半 になって、白河天皇が院政を始め、衰退していった。 風土の環境:青龍、白虎、朱雀、玄武の四神相応の地とい われる。邸宅の遊宴は平安文学の情趣的傾向を培った 。
三十三帖までは運命的なかげりをもつ愛の遍歴の中での 光源氏の栄華のきわみが描かれる。次の八帖には女三宮の 光源氏への降嫁、葵上の死後正妻となった紫上の苦悩、薫 の出生と女三宮出家、紫上の死去などを経て、ついに出家を 願う光源氏が語られる。残り三十三帖は光源氏の死後、残さ れた人々の世界が描かれ、匂宮薫大将と宇治の姫たちとの 愛の葛藤ののち、決して実ることのない薫の恋に終わってい る。
和漢朗詠集
新猿楽記
平安後期になると、漢詩文が和 歌への転換期である。藤原明衡 が学者としての地位を築いた。< 新猿楽記>は市井風俗を描き、 <明衡往来>は散文作品の新し い世界を開いた。平安中期以後 文章経国の理念が形骸し、漢詩 文は衰退していった。大江匡房は この時期の代表的な作家で、< 続本朝往生伝><本朝神仙伝> <遊女記><洛陽田楽記>など の作品のほか、談話記録の<江 談抄>、漢詩文の<本朝続文粋 >がある。平安時代最後の総集 <本朝無題詩>は無題詩を中心 に、詩人の人生や社会への感懐 の心情を表した。
成立 後 撰 和 歌 集
951
三 代 集
拾 遺 和 歌 集
撰者 巻数 歌数 内容
梨壺の五人 二十巻 千四百二十数首 日常性の高い贈答歌を中心にけの歌が 多く、物語の傾向を示している
1005――1007 花山院 二十巻 千三百五十余首 古今集風をさらに洗練させたような優美な 歌が目立っている 新しい部立てが設けられ、連歌や釈教歌 などの新しい分野も開拓
歌謡:神前歌舞に用いられた神楽歌、東遊歌、催馬楽、風 俗歌のような遊宴歌謡、漢詩や和歌を歌う朗詠、今様をはじ めとする雑芸などがある。
神楽歌は神遊ともいい、神事に用いる歌舞で、その歌詞を 神楽歌という。
東遊は東舞ともいい、東遊歌は元来東国の民謡であったも のが、神前で奏せられるようになったものをいう。
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